本当は怖すぎる幻想郷 【ホラー短編集】   作:個人宇宙

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文字数:約4,000字


生首キス

 

 

 今日の彼女はいつにも増してやる気に満ち溢れていた。

 

 顔を上げると、どこまでも澄んだ青空が広がっている。雲一つない天気だ。

 まるで、今の自分の気持ちを象徴しているような気がして、さらに彼女の気持ちは高ぶった。ここしばらくは面倒なのでやってこなかったが、今日は思い切ってやってみよう。

 こうして、彼女は辺りの森を散策し始めた。

 

 ◇

 

 亮介は周囲の木々を見て、ますます訳が分からなくなった。

 なぜなら、何の前触れもなく自分の部屋から森にワープしてしまったからである。

 

 つい一時間前まで、彼は三日前に買った恋愛ゲームに熱中していた。

 そして、三人目のヒロインを攻略して、ちょっと一休みしようとベッドに横になって、目を覚ましたら得体の知れない森の中に迷い込んでいたわけである。

 全くもって理解できなかった。

 周囲は木や草に囲まれて薄暗く、蝉の鳴き声だけがやけにうるさく聞こえてくる。

 

 どのくらいの時間、その場に立ち尽くしていただろうか。

 額から流れる汗を拭って、ひとまずこれからどうすればいいのかを考えてみる。しかし、全く思い浮かばず、焦りの感情だけがどんどん加速してしまう。

 

 ここで、亮介は自分の腕に一匹の蚊が止まっていることに気付いた。

 ばちん、と威勢の良い音が響いた。

 結局、蚊には逃げられてしまったが、その音でようやく亮介は我に返った。

 ふーっ、と大きく息を吐く。

 

「……行こう」

 

 何はともあれ、動かなければ始まらない。

 そう思った彼は早速行動を開始する。

 闇雲に歩くよりかは、一定の方向を歩き続けた方が出られる可能性は高いだろう。

 とりあえず、太陽の方向に対して真っ直ぐに進んでみようと決めた直後だった。

 

「ねえ、そこのあなた」

 

 突然、背後から声が掛けられて、亮介は立ち止まる。

 振り返ると、そこには金髪ショートヘアの可愛い女の子が立っていた。

 年齢は十歳前後で、頭に乗っている赤いリボンが印象的である。

 

「こんなところにいて、どうしたの?」

「あ、あの――」

 

 目を覚ましたら、いきなりこの森に迷い込んでいたんだ。

 ようやく人に出会えた喜びで、一瞬本当のことを言おうとしたが、さすがにそれは荒唐無稽のような気がしたので、子供にも分かりやすい内容に変えようと決めた。

 

「実は道に迷っちゃってさ」

「迷ったの?」

「うん。どうやったら出口に行けるか分かるかな?」

「ふーん。迷ったんだ」

 

 彼女はじーっと亮介の姿を眺めた後、ゆっくりとした足取りで目の前までやってくる。身長は亮介の胸くらいまでしかないのに、どこか得体の知れない威圧感があった。

 

「出口なら分かるよ」少女がぼそりと言った。

「本当?」

「うん。案内してあげる」

「あ、ありがとう! 助かるよ」

「その代わり、一つお願いを聞いてくれる?」

「お願い?」

 

 すると、ここで少女は目を閉じる。

 

「わたしにちゅーしてくれたら、案内してあげる」

「はっ?」思わず変な声をあげてしまう。

「いいでしょ? ちゅーの一つくらい。やってくれたら連れてってあげるからさー」

 

 そう言って少女は亮介の服をぎゅっと握って、唇をこちらに向けてくる。

 どうやら唇でのちゅーを希望のようだった。さすがの亮介もこれには慌てる。

 

「い、いや、なんで会ったばかりの奴にそんなことしなくちゃいけねえんだよ」

「どうして? ちゅーがそんなにいやなの?」

「ええと、いやというよりは、あまりにも唐突すぎると言うか何ていうか――」

 

 亮介は頬を赤らめながら、その場から離れようとする。

 しかし、少女は彼の服を掴んだまま一向に離れようとしなかった。

 

 まるで、ついさっきまでやっていた恋愛ゲームのような展開だった。

 そのゲームは下手したら十八禁に引っかかってしまいそうな過激な描写が売りで、三人目に攻略したヒロインは、まさに彼女によく似た金髪のキャラクターだった。

 その女の子は主人公と肉体関係をやたら積極的に求めるようなキャラで、ラストシーンは十八禁に引っかからない程度で本当にやってしまった。

 

「もー。しょうがないなー」

 

 すると、彼女は強引に亮介の体を押し倒そうとする。

 すごい力だった。十歳くらいの少女とは思えない強い力で、亮介は為すすべなく仰向けに倒される。そして、言い返す暇もないまま、その唇を少女によって塞がれてしまった。

 

 しかも、ただ唇を重ねるだけのキスではなかった。

 あろうことか、少女は強引に舌を亮介の口に入れてこうとしているのだ。

 最初こそはそうはさせまいと彼は抵抗したが、もともと異性との接触経験がなかった彼は、己の欲望と快感に勝てることはできず、ついに彼女を受け入れようと全身の力を抜く。

 そして、彼の舌に絡んでくる彼女の味は――。

 

 吐き気を催してしまいそうな、ひどく不味い、鉄の味がした。

 

 ――えっ?

 疑問を思った直後に、首元から何かが砕ける音が聞こえてくる。

 何が何だか分からないまま、亮介の意識は途絶えた。

 

 ◇

 

 あっさりと仕留めたルーミアは、すでに息絶えた少年の唇から離れた。

 

「ちょろいねー」

 

 口に溜まっていた唾液を、そのまま地面に吐き捨てる。首があらぬ方向に曲がっている少年は、口から唾液を流しながら、半分開いた目をルーミアに向けている。

 

 一切のためらいもなく、彼女は手刀でその首を切断した。

 

 その衝撃で少年の首がころころと彼女の足元に転がったので、とりあえず髪を掴んで目を閉じさせてから、そこらへんに放り投げておく。

 

 殺す時は、相手を油断させてから一気に仕留める。

 失敗してしまうと激しく抵抗して面倒な事態になりかねないので、ルーミアは昔からこの方法を使って人間を殺害していた。

 ただし、相手によって油断させる方法を変えていた。

 先ほどのキスは、若くていかにも押しの弱そうな男に対して有効な手段だった。もし、獲物が壮年の男性だったら、迷子の振りを装って、油断した隙に一気に仕留めていただろう。そう考えると、この可愛らしい子供の姿はとても便利だった。

 

 ――早くしないと、体が硬くなっちゃう。

 

 そう思ったルーミアは、急いで彼の服を手刀で切り裂いて全裸にさせる。

 このまま齧り付くこともできるが、いくつか小分けして、あらかじめ固くて食べられない骨や爪の部分を取っておいた方がストレス無く食べられる。

 

「いただきます」

 

 両手を合わせてから、ルーミアは肘の部分に狙いを定めて一気に手刀を振り下ろす。

 けたたましい蝉の鳴き声がする森の中で、肉が引き千切れる音が生々しく響いた。

 

 ◇

 

 ルーミアが生きている世界――幻想郷には多くの妖怪が住んでいる。

 その妖怪たちは基本的に人間を襲ったり食べたりすることができ、ルーミアもその例に漏れず、今日も外の世界からやってきた一人の人間を殺して食べた。

 

 妖怪の中には己の欲求や目的のために人間を襲っている者もおり、一ヶ月前には外からやってきた青年に対して、生きたまま全身の皮を剥いでいる妖怪の姿をルーミアは見た。

 後で、その妖怪に「どうしてそんなことしたの?」と好奇心で訊いてみたら、アクセサリーの材料にどうしても必要だったらしい。

 

 この世界に迷い込んできた人間は、基本的に妖怪に殺される運命にある。

 しかも、先ほどの妖怪のように、非常に残虐な手段で殺される場合だってある。

 酔狂な妖怪の手によって運良く人里に保護される場合があるが、ルーミアの耳には数えるほどしか聞いたことない。

 

 現在、ルーミアは空を飛んで、近くの湖に向かっている最中だった。

 手には血に染まった風呂敷を持っている。

 厳密には、先ほどの少年が着ていた服を風呂敷のような感じで包んでいるだけである。

 

 今日は本当に良い天気だった。

 見上げると、吸い込まれてしまいそうな青空がどこまでも広がっている。

 ルーミアとしては、もうちょっと気温が低かった方が快適に解体作業ができたのだが、今は頭も体も大変満足していたので、細かいことは気にしないことにした。

 

 湖の前に着いたルーミアは早速、風呂敷を広げる。

 中には少年の生首と、骨と爪といった食べられない部分が入っていた。余った中身の部分については、解体場所の近くに適当に捨てておいた。

 

「あれっ?」

 

 少年の生首を確認して、ルーミアは目を瞬かせる。

 なぜなら、少年の目が大きく見開かれていたからである。

 念のため瞳孔を確認してみるが、ちゃんと開いており、間違いなくこの少年は死んでいる。彼の目は異様なほど見開いており、まるで「どうして殺したんだ」と叫んでいるようだった。

 

「仕方ないでしょー。あなたがそこにいたのが悪いのよ」

 

 そう言ってから、ルーミアは少年の目を改めて閉じさせる。

 彼女はどちらかと言うと、あまり人間を襲わない方だった。

 妖怪は人間を食べることができるが、実は食べなくても生きていけるのだ。しかし、この世界に住んでいる下級の妖怪には、どうしても抗いきれない衝動がある。

 

 それは人間を殺害したい衝動だった。

 細かい理屈は分からないが、とにかくやらないと気が済まないのだ。

 

 妖怪にとって「人間を殺すな」とは、人間にとって「そこから一歩も動くな」と同じような意味である。

 いつまでも我慢できることではないので、限界を迎えると今日のような殺人行動を取ってしまう。人間を食べるという行為は、この衝動の延長線上に過ぎないのだ。

 上級の妖怪の中には、この衝動を克服して人間と平和的に接している輩もいるらしいが、それは数少ない例外に過ぎない。

 

 少年の生首を見ながら、ルーミアは笑みを浮かべる。

 ともあれ、この少年が死んでくれたおかげで、今の自分はすごく気分が良いのだ。

 とりあえず、感謝しておくだけなら損はないだろう。

 

「ごちそうさま。ありがとう」

 

 生首の唇にキスをしてから、ルーミアは少年の残りカスを全て湖に沈める。

 今日も幻想郷は、いつも通りの日常が過ぎていた。

 

 


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