蒼き鋼のアルペジオ ―Auferstehung―   作:主(ぬし)

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前回の更新から2ヶ月しか経ってない(強弁)


Depth 04

『わたしの艦長。ツイに手に入れた。わタしを使ッてくれる人。私ノために一緒に沈んでくれるヒト……』

 

 

 

 覚醒した直後、夢の温もりを塗り潰すように鼓膜に滑りこんできた()の声は、救われない霊魂の慟哭のようだった。冷たく掠れた呻きが喉輪をじわりと締め付け、全身の毛がゾッと総毛立つ。強烈な悪寒が生命の危機を訴え、俺は横たわっていた半身を勢いよく引き起こした。見開いた目に最初に飛び込んできたのは一面の暗闇だった。深海の底に落ち込んでしまったかのような、広がりを感じさせないずっしりと凍てついた常闇(とこやみ)が俺を閉じ込めていた。

 

「ここは、どこだ……?」

 

 反響した声と四方から迫る圧迫感から、そこが8メートル四方ほどの機械的な空間だと経験から見做した。滑らかで硬質な床面からは一定のピッチを刻む機関の振動が伝わり、ここが何か(・・)の内部なのだろうことを容易に想像させたが、目を凝らして全貌を掴もうとすれども光源といえば壁面でわずかに点滅する電子機器の発光のみ。鼻奥をつんと刺激するのは精密機器が吐き出すオゾン臭だろう。ひと気をまったく感じさせない密室は、人間の生存を想定していないサーバールームのようだ。機械のみが居心地良く居座れるよう造られた空間は身を切るほどに冷えきっていて、吐き出した息が目前を乳白色に濁らせる。

 

「……つっ!」

 

 深く呼吸をして、喉の粘膜が火傷でひりついた。肺が膨らむ度に全身が打ち身をしたようにキリキリと痛む。胸中に滞留していた空気はわずかに焦げ臭い。視界の下で、胸ポケットに引っかかっていたジャンパーがざっと滑り落ちた。未だ意識が弛緩して朦朧とする中、額に手を当てて最後の記憶を懸命に手繰り寄せる。俺はたしか、霧の漂流艦の情報を盗み聞き、目黒基地から脱走して、霧の潜水艦(イ405)に辿り着き、海軍の護衛艦に襲撃され、魚雷が着弾し、金色の光を見て、懐かしい夢で昔の友だちに導かれて、そして―――。

 

アイツ(・・・)は……アイツは、どこだ……!?」

 

 記憶が戻った途端、気に掛かったのは自身のことではなくアイツ(・・・)の安否だった。しかし、慌てて胸元をまさぐっても、アイツ―――『イ405』のメンタルモデルの姿は無かった。抱きしめて守っていたはずなのに、ここにあるのは裾の焦げたジャンパーだけだ。まさか全て妄想だったのかと両手で手繰り寄せれば、微かに布に残る温もりと甘い残り香をハッキリと知覚して拳を握りしめる。夢じゃない。“霧”とは思えないほどに人間っぽくて、無邪気で、寂しげな少女は、確かにこの腕の中にいたのだ。

 少女の存在を確信できた歓喜と、今彼女が腕の中にいない喪失感が身体の内奥で渦を巻き、全身がカッと熱くなる。自身が置かれている状況を知るよりも、今はあの少女を再び胸にかき抱いて安堵を得たいという感情が勝った。

 

「おい、イ405! どこにいるんだ!? 無事か!?」

 

 衝動的にあげた声は四方の分厚い壁に冷たく阻まれる。まさか最後の魚雷攻撃で吹き飛んだのか。俺は、あの少女を護ってやれなかったのか。少女の最期を想像しようとして心が激しく首を振る。不安で胸の内側が灼けつくようだ。俺は明らかにあのメンタルモデルを失うことを恐れている。“霧”の潜水艦ではなく、そのメンタルモデルである少女と会えなくなることを全身全霊で拒んでいる。当初はただ現状を変革する“力”を欲していただけだったのに、気づけば俺はそれ以上のものを見つけて、そしてこの手から失くしたことを悔やんでいる。己の異常を理性が反芻するも、それを無視して少女に呼びかける。

 

「お前が沈む時は俺も一緒だって言っただろう!頼む、応えろ、イ405!!」

 

 

 

「―――()はここにいるわ、艦長(・・)

 

 

 

 その少女は、まるで闇の中から滲み出るように現れた。

 すらりと伸びた四肢はどこも欠けていない。艶やかな肌にも傷一つ見られない。流麗な銀髪を背に流し、雪白色の裸体は宝石そのもの。姿形は寸分違わず同じに見える。―――だが、違う(・・)

 「無事だったか」と綻びそうになった唇をすかさず険に引き締め、キッと猜疑の目で睨む。塗り潰したような闇の下、目元を陰らせた少女は、先までの生命力に満ち溢れた雰囲気とは一変して無機質な冷気を纏っていた。別人―――いや、それ以上の差異を感じる。例えるなら、人間とそうでないもの(・・・・・・・)のような。少女を見つけた喜びと本能が叫ぶ悲鳴が伯仲し、板挟みになった思考が肉体を硬直させる。

 唐突に、陶器のようにのっぺりと白い顔の下半分に、ニイッ(・・・)と三日月形の亀裂が走る。それが“笑み”なのだと理解するのに数秒を要した。強烈な違和感が胸の内でじくじくと疼き、拒絶心となって喉を震わせる。

 

「お前は、誰だ」

 

俺を“艦長”と呼んだ少女が底昏い音吐で応える。

 

「イ405。あなたの(ふね)よ」

 

 「そしてここは私の艦内(なか)」。声を恍惚に蕩けさせながら、肉付きの薄い下腹部を愛おしそうに両手で擦る。秘部の真上、痩身にうっすらと骨盤が浮き出るそこは、人間の女なら膣と子宮が宿る場所だ。

 

「ああ―――、なんて心地が良いの!艦内(なか)に他人を入れることが、人間を装備(・・)することがこんなに気持ちがいいことなんて知らなかった!ずるい、ずるいわ、イ401!こんな感覚を独り占めにしてただなんて……!」

 

 身悶えし嬌声を迸らせた少女が闇を引きずって近づいてくる。ひたひたと這い寄る足音が、媚びるような淫らな声音が、鼓膜を突き抜けて脳髄に怪しく舌を這わせてくる。思わずゴクリと唾を飲み下し、その微かな音を聞き逃さなかった少女の双眸がうっとりと愉悦に歪む。己の欲情に直截過ぎるその表情に、俺の内側で違和感が倍加する。こんな目をする奴ではなかった。たしかに自分の感情に正直だったが、慎みも持ち合わせていた。

 

これこそが(・・・・・)()なのか(・・・)

 

 あまりの激変に愕然として言葉を失う。友よ、これのどこが“助けを求めて泣いている”ことになるんだ。

 純粋な少女の姿は、他者とコミュニケーションをするための単なる意識体(マイク)だったのか。人間の戦術を真似るためのただの道具(ツール)だったのか。先ほどまでの爛漫とした仕草は、馬鹿な人間を騙して捕えるための疑似餌(まやかし)に過ぎなかったのか。“霧”本来の姿とはこんなにも一途でおぞましいなのか。

 騙されたと憤懣を覚える一方、どうしてもあの眩い少女が紛い物だったとは思えず、思いたくなく、その願望を込めて再度問う。

 

「答えろ、『イ405』。さっきまでのお前と、今のお前、どっちが本当の『イ405』なんだ?」

さっき(・・・)どちら(・・・)?変なことを言うのね、艦長。私は私だけよ?今この瞬間、貴方を手に入れた私だけ(・・・)がイ405よ?他の誰にも渡したりしないわ」

 

 とろんと熱に侵された瞳で不思議そうに首を傾げる。恋人の他愛ない嘘に付き合うような微笑はとても芝居をしているようには見えず、思考に無視できないザラつきを挟んだ。先ほどまでの記憶や、自身の不調―――もう一人の自分を把握できていないらしかった。

 

 

 

―――どうもオレ、イ401と戦って一回沈められたらしいんだ。その時に混ざっちゃったみたいでさ―――

 

 

 

 少女の台詞が閃光のように脳裏を突き抜け、ハッとした閃きが額で弾ける。もしや、その際に負った深刻なダメージはメンタルモデルの人格構造にまで影響したのではないだろうか、と。言わば二重人格障害のように、爛漫な少女も、幽鬼のような女も、どちらも『イ405』なのだ。大昔の安直なドラマのように、どちらかの人格が表に出ている時はもう一方の人格が眠りについているのだ。そう考えれば、この別人のような変貌にも説明がつく。

 現象を説明できる理由がわかれば、その正否はともかく虚勢を張れるようになるのが人間というもので、張っていた緊張が少しずつ解れていくのを知覚する。

 

「コインの裏表、みたいなもんか」

「……?ふふ、おかしな艦長。人間の言動って本当に予想がつかない。場当たり的で、意地汚くて、嫌らしくて、生臭い。それに私は沈められた。ふふ、とってもおもしろいわ」

 

 “もう一人のイ405”は俺の足元に膝をつくや、雄を誘う女豹のように腰をくねらせながら手を伸ばしてくる。胸や尻を惜しげも無く晒す身ごなしは下品なストリップショーだ。自身の“女”を安売りするような蠱惑的な腰使いに、透明だった処女湖が濁っていく不快感が募る。“最初のイ405”―――アイツ(・・・)の印象が清々しすぎて、大きすぎるギャップに心が抵抗を示している。しかし、“霧”を使いこなすためには慣れなければならない。おそらく、あの千早 群像も、きっとこの不気味な接触を乗り越えて『イ401』を支配したのだろうから。

 嫌がる肉体が腰を引こうとするのをグッと耐え、青白い手を頬で受け止める。血の通いを感じさせない冷たい指が、細枝のような華奢さからは想像もつかない乱暴な力加減で頬や顎をざわざわと這いまわる。その間も、“もう一人のイ405”の双眸は真正面から俺の眼球を覗き込んで一ミリも外れない。“目は口ほどにものを言う”と言われるが、光のない一対の黒目からは何の感情も読み取れない。まるで足元にぽっかりと空いた底無し穴だ。人間でないとわかっているとはいえ、一度とてまばたきもしないのも不気味だ。アイツはもっと自然にパチパチと目をしばたかせて愛嬌があったし、頬に触れる手つきだって人間の脆さをちゃんと心得ていて優しかった。

 

「とっても温かい。これ(・・)が私と一緒に沈んでくれる。ああ、それなら、きっともウ寂しくナイわ。もう寒くナくなルワ」

 

 少女らしい可憐な声にザラついたノイズが混じったように聞こえた。音響調整をミスしてハウリングが起きたような鼓膜をひっかく不快感に顔を顰める。未だ鼓膜が回復していないのか……いや、それは後でいい。逸れようとした思考を切り替える。少なくとも、この“もう一人のイ405”にあからさまな敵意は無さそうだ。おどろおどろしい雰囲気を纏ってはいるものの、素直に艦内に招き入れたり、自分から俺を艦長と呼んだりと従順そうではある。ダメージを負っていないことからして、日本統制海軍の護衛艦からも無事に逃げ果せたのだろう。

 

(裏だろうが表だろうがコインはコイン、“霧”の潜水艦であることに変わりはない)

 

 そう自分に言い聞かせるも、姿形が同じだからこそ余計に寂しさが募っていく。せっかく友から譲り受けたあの名前(・・・・)も、今の『イ405』に相応しいとは思えなかった。あの眩い笑顔にこそ似合う名前なのに。「もうお前とは会えないのか?」。思わず零しそうになった声が喉に引っかかる。

 いよいよ耐えられなくなった精神(こころ)が顔を背けさせようと身じろぎし、万力のように頬を挟む手に阻まれた。こちらの心情を慮ることのない少女が無遠慮に顔を近づけてくる。ちょっと顎を突き出せば唇が触れてしまうほどの近さは、しかし、アイツを模した蝋人形と向き合っているような不誠実で不快な気持ちしか浮かばなかった。やめさせようと、改めて視線を正面に見据え、

 

「う……ッ!?」

 

 目の前まで迫ったその双眸を目の当たりにして、一瞬のうちにギクリと身体が強張った。

 

(───まるで死体だ(・・・・・・)!)

 

 ドロリとどす黒く濁った眼球が、海岸に打ち捨てられた死者のそれだった。俺を見ているようで、俺を見ていない。血が、骨が、細胞が、未知の恐怖にザワザワと発熱する。胃袋が収縮し、口腔内がまたたく間に干上がる。生者の足にすがりつくどんよりと昏い目が、危うげに緩んだ口もとが、良くない予感をひしひしと湧き立たせる。

 

『そう―――暗クて冷たい世界でも、貴方と一緒ナラきッと退屈しなイ。もうアドミラりてィ・こードなンて関係ない!人間モ、“霧”も、誰も彼もみんな水 底(みなそこ)に沈めてしマエば、ずっと寂シくなンてない!!』

「お、お前はいったい―――くッ!?」

 

 転瞬。バチンと風船の破裂に似た音を立てて、正面に眩い閃光が灯った。眼神経を突き刺す痛みに耐えて光源を見やれば、3メートル四方のホログラム・パネルが暗闇にぽっかりと大口を開けていた。何か画像を表示させようと色彩を微細に変化させていくパネルが光を溢れさせ、闇を押し広げて空間の全容を照らしだす。最低限の機器類が効率的に配され、空間を俯瞰できる位置には無骨なシートが一つだけ備えられている。護衛艦の艦橋とCICを混ぜ合わせたような構造―――まさに潜水艦の司令室そのものだった。

 自分の現在地を知った俺は、ホログラム・パネルに映し出された惨状を目にして驚きを上書きさせられた。

 

護衛艦(みかた)が……!」

 

 “霧”の光学カメラのスペックの高さが余計に思えるほどに鮮明な映像に我知らず呻く。それはまさに、弄ばれながら追いかけられる弱った獲物だった。勇壮だったろう堅牢な艦影はもはや跡形もない。艦橋構造物はズタボロに切り裂かれ、舷装甲はほとんどが焼け焦げている。後部甲板は火の手が上がり、ついさっきまで艦載機(オスプレイ)を構成していた残骸が散乱している。自動消火装置すらも赤く舐めて溶かそうとする凶暴な火災に数人の格納庫整備員(ハンガーエイプ)が消火ホースを武器に必死に立ち向かっているが、焼け石に水だ。ワイングラス型の優美だった艦尾には、今しがた貫かれたのだろう巨大な穴が開き、高温で真っ赤に熱せられた断面が海水を蒸発させて白煙をあげていた。間違いなく、“霧”の兵器───こちらの艦から放たれた熱線兵器による傷跡だ。艦尾を斜め下にまっすぐに貫いた弾痕を見るに、おそらく機関部の半損で済んだはずだ。乗員の優秀なダメージコントロールのおかげでなんとか航行(はし)ってはいるが、片肺となればもう限界に違いない。

 

「なんてことを……」

 

 艦橋部に目をやれば、ガラスは残らず砕け散り、千切れた配電ケーブルから鮮血のような淡い火花が散っていた。怪我人どころか死人すら出ていてもおかしくはない。気絶する前とは似ても似つかぬほど痛めつけられているが、間違いなくイ405(おれたち)を攻撃してきた日本統合海軍の護衛艦だった。俺が意識を失っているあいだにイ405は彼らに逆襲を加えたのだ。人知を超えた高精細なホログラムは肉眼で覗き込んでいる錯覚を想起させ、乗員の恐怖と苦痛の叫びの幻聴に耳を打たれて俺は思わず目を逸らしたい衝動に駆られた。

 そんな俺の苦々しい心境など気にもとめず、“もう一人のイ405”は大きく腕を広げて歓喜に声を震わせ、とんでもないことを求めてくる。

 

『さア、早ク命令して、艦長。アレ(・・)を沈メろッて、命令して!』

「なんだと!?お前、俺に同じ人間を殺せっていうのか!?」

 

 反射的に叩き返した反駁に、虚無の目が不思議なモノを前にしたようにキョトンと丸くなる。小動物めいた可愛げな仕草なのに、ゾッとする狂気しか覚えない。本来なら眼がある場所にぽっかりと穴が開いて、向こう側の見えてはいけない世界が覗いているようだ。いや、そっちの世界から覗き込まれているのか。その穴から今にも無数の手が這い出して引きずり込まれる想像を浮かべ、全身の毛が逆立ち、人間に残された動物の勘が後頭部で金切り声をあげる。

 

「アレは私たちを沈めよウとした。暗くて寒くて寂シい水底に、また私を蹴り落とソウとした。もう沈むのは絶対にイヤ。私を沈メようとする奴は、みんな殺しテやる!」

 

 再び熱線が照射された。ホログラム・パネルが白光に焼き付いたのも一瞬、次の瞬間には護衛艦の右舷装甲が大きくえぐれていた。加速された荷電粒子が30ミリの分厚い装甲表面をケーキスポンジのように容易くすくい取った。さらに熱線はその程度では食い足りないとばかりに艦正面の海面を深々と穿って水蒸気爆発を引き起こす。巨大な泡となって盛り上がった海面が限界まで膨れ上がり、赤い水風船の体を成したかと思いきや、ズドンと空気を震わせて破裂する。爆発の余波が微弱な振動となって俺にも伝わってきて、その映像が今まさにリアルタイムに起きているのだと否応なく理解する。被弾の衝撃と至近からの大波には、いかに強固な護衛艦でも踏ん張りきれず、顎に食らったボクサーのように左右に派手にグラつく。片肺であえぐ護衛艦が崩れかけた煙突から火の粉混じりの煙を吐いて苦しげに喘いでいる。「いい気味」。ホログラムを流し目で見やった“もう一人のイ405”がさも愉快そうに口端を歪めて喉を鳴らした。そのセリフからも、わざと致命傷を避けて攻撃しているのは明らかだ。肉食獣が獲物を不必要にいたぶって遊んでいるに等しい。そのあからさまで卑劣な手の掛け方は俺の流儀とは真反対で、全身の毛がざわと怒りでささくれ立つ。

 

「欲しかったんでしョう、世界を壊す力が。なら、私が与えてあげる。私が力そのものになってあげる。一緒に、全部壊シて、壊して、殺しましょう。あなたはただ座っているだけデいい。殺せ、全部殺せって言っテくれるダケでいい。私とずっと一緒にいてくれルだけでいい」

 

 コイツは、この世に未練を残して死んだ亡霊だ。この亡霊は、生者を死の縁に叩き込むに飽き足らず、極限まで怯えさせ、苦痛に顔面を歪ませて尊厳を損なわせてから命を奪うつもりだ。そんな奴と手を組むなんざお断りだ。なにより、これ(・・)は俺が求めている少女ではない。こんな振る舞いはアイツ(・・・)の姿でしてほしくない。こんな戦い方は、俺たち(・・・)に相応しくない。この亡霊は、一秒ごとにアイツを穢し、侮辱している。

 

 

───最期にお兄さんと話せて良かった───

 

───会いに来てくれて嬉しかったよ───

 

───あの娘が泣いてる。お前の助けを待ってる。早く行ってやれ───

 

 

 健気で爛漫な少女の顔が脳裏をチラつくたびに怒りが倍加し、背を押してくれる親友の吠声を思い起こすごとに拳に力が籠もる。張り裂けんばかりの憤怒が目の前の人外に対する恐怖を刻々と塗り潰し、やるべきことを俺に思い出させる。そうだ、何をガキみたいにビビってるんだ。自分の(ふね)一つ満足に御し得ないで、どうやって世界に風穴を開けるんだ!

 こちらの心境の変化など察しようともしない自分本位の亡霊が「ねえ、早ク命令を」と急かしてさらに顔を近づけてくる。唇と唇が触れ合う寸前───俺は、アイツの名前(・・・・・・)を紡いだ。




宮下裕樹先生の『任侠転生』と『宇宙人ムームー』がくっそ面白い

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