第213話
犬飼一族の隆盛と衰退の記録を知った。最後に読んだ本は歴代の当主の日記か忘備録みたいな物だった。
三代目から先代迄の当主が色々と書き込んでいたので、和紙の質が違ってたんだ。
気になる点は、魅鈴さんの祖母が一族を離れた事が書いて有った。
里の男と駆け落ち同然に一族を抜けた多伎(たき)と言う名前の直系の長女。
彼女が居なくなった所為で長男が後を継いだが、霊力は低かったそうだ。
確かに一般人と結ばれて血が弱まった筈なのに、小笠原母娘の霊力は高い。
もし彼女達の祖母が犬飼一族を継いで子孫を残せば、今日の衰退は無かったかも知れない。
魅鈴さんが言っていた最後まで祖母が大婆様を気にしていたのは、コレが原因かもね。
有能な血筋を残さねばならないのに、一族から逃げ出してしまった。巻物と本を元の本棚に戻す。
得る物は少なかったが、歴代当主の書斎なんて大抵こんな物だろう。他人には意味の無い物だが、本人には大切な物。
文机に向かい胡坐をかいていたから足が痺れてきたので、欠伸をしながら後ろに倒れ足を伸ばす。
仰向けで手足を伸ばした状態だ……
「悪食、この屋敷を調べてくれ。他に何か隠しているかも知れない……」
思い付きで言ってみたが、悪食は僕の影から這い出してくるとカサカサと部屋の外へ出て行った。眷属を百匹以上引き連れて……
「頼りになりそうだが、問題も多いよね。人には言えない式だな」
只でさえ美幼女を左手に宿しているのに、更に巨大ゴキちゃんを使役しているとかネタとしては最高だが現実としては大問題だ。
悪食に頼めば一万匹以上のゴキブリを動員出来るのだから、バレたら社会現象にまで発展するかも……
『正明、犬飼のジジイが来るぞ』
胡蝶さんの警告に従い起き上がり身嗜みを整える。暫らく待つと外から声を掛けられてから扉が開かれた。
「お待たせしました。昼食の支度が出来ましたよ。何か参考になりましたか?」
相変わらず表情が掴めない、食えない爺さんだ。
「いえ、犬飼一族の歴史に触れただけでしたよ。歴代当主の日記に犬の育成と配合について纏めた巻物。
あとは殿様から名字帯刀を許された覚書?まぁ色々ですね」
ヨッコラショと魔法の呪文を唱えながら起き上がる。昼食を食べたら今日は帰ろう。帰って悪食について色々と調べるかな。
「ほぅ、榎本さんは古文を読めるのですか?見かけによらず博識ですな。さぁ此方へ、田舎故に大した遇しも出来ませんが……」
「心霊現象は最近のだけじゃないですからね。逆に強い霊ほど古い場合が多い。今日は食事を頂いたら帰りますよ」
他愛ない話をしながら昼食を頂いた。山と川の幸が沢山食卓に並んでいる。
部屋の中央に囲炉裏が有り車座に座って皆さんと一緒に食べるみたいだ。
山菜の天麩羅にお浸し、ヤマメの塩焼きに茸鍋。取れたて新鮮な山菜に舌鼓を打った……
◇◇◇◇◇◇
犬飼の爺さんズの遇しを受けて、お腹は大満足。
田舎料理で男の手料理だが、不思議と死んだ爺さんの手料理を思い出して、しんみりとしてしまた。
食卓に悪食を呼ぶわけにもいかず、トイレを借りて個室に籠もった。
呼べば悪食はカサカサとやってきて、やはり手乗りインコ宜しく掌に飛び乗ったが、何かを咥えている。
「お疲れ様、悪食。これは何だい?」
掌に乗せた物は、古い指輪だ……シンプルな金色の指輪でリング状に唐草模様が掘り込まれている。指輪の内側を見れば文字が掘り込まれている。
「TとIだな……多伎犬飼、犬飼多伎かな?いや、まさかな。だけど僅かに霊力を感じるな。悪食、これ何処に有ったんだ?」
ヒクヒクと触覚を動かすと、そのまま僕の影へと入って行った。今後の課題は悪食とのコミュニケーションかな?
トイレを出ると仙台市内のホテルまで送って貰った。何度か通うならレンタカーを借りるべきかな。
◇◇◇◇◇◇
午後三時、予定より随分早く帰ってこれた。一応五十嵐さんの携帯にショートメールを送る。
「第一の試練終了。明日以降で残り七つの試練に挑む。榎本」
彼女は試練は三つと言ったが倉は八ノ倉まで有る。二ノ倉の鍵は手に入れたが、どこぞの少年漫画宜しく試練を越えないと次の倉の鍵が手に入らない流れ?
悪食の事を知る為に本屋に寄って昆虫コーナーを探すが、ゴキブリ特集は無かった。
インターネットで調べるしかないかな?幸い東横inはノートパソコンの貸出もしているから、部屋で調べる事も出来るだろう。
本屋を出てホテルに戻る途中で五十嵐さんから電話が入った。律儀だな、御隠居衆に良い様に使われている彼女に同情しちゃうよ。
『もしもし、榎本です』
『五十嵐です。おめでとうございます、最初の試練をクリアしたのですね。でも残り七つの試練とは?』
自分の能力で知った内容と違うから気になったのかな?口調が少し早い。
『うん、犬飼一族の試練は全部で八つらしいよ。明日、第二の試練に挑むから少なくとも後一週間は掛かるかな?
一日で二つ位いけるのかな?まぁ全部受ける必要も無いけどね。引き際は弁えているつもりだよ。それじゃ、また明日ね』
現段階で教えられる事は少ない、全ての試練が終われば教えられる事は有るかもしれないけど……
『ちょ、ちょっと待って下さい。扱いが素っ気なくないですか?』
確かに妙齢の女性に対しての態度としては悪いかな。でも親切にする義理もないし、今は試練に集中したいから今は派閥争いには正直関わり合いになりたくない。
『いや、素っ気ないって言われても……内容は秘密だし他に言い様が無くない?』
まさか時事ネタや雑談を交える訳にもいかないぞ。
『やっぱり教えてはくれないのですね。でも私の自動書記で教えた結果だけは……』
これは、ある程度言わないと引き下がらないかな?彼女は僕に情報提供をして成功したかが気になるんだ。
『黒のイメージは合っていたよ。確かに試練に現れた奴は黒かったね。うん、黒かったよ……』
少し言葉を濁す。悪食は漆黒で艶やかな外殻を持つ巨大で立派な大和ゴキブリだったよ。
『そうですか……次の試練について自動書記で分かったら教えますので、会ってくれますか?』
効果有りと分かると売り込みに必死だな。次の試練の何かを掴んでいる可能性は高い。
だけど断片的な情報は逆に先入観を与えるからな。絶対に必要な訳じゃない。
『いや、今回の試練については先入観を無くす為に情報は要らないよ。なまじイメージを持って挑むと正確な判断が出来なくなるからね。
この試練が終わる迄は待機でお願い、じゃね!』
そう言って相手が何かを言う前に電話を切った。
◇◇◇◇◇◇
「電話を切られたわ……」
もう掛け直しても出てはくれないだろう。未来予知の情報を欲しがらない人も居るんだ。
他人に縋る様子を見せたくない為にホテルの部屋に鍵をかけて籠もったけど、彼は私に必要性を感じてくれなかった。
いっそ清々しい位に要らないって……調査資料によれば、彼は事前調査に力を入れるタイプだ。
だけど自分が調べた事以外を信じないタイプじゃない。
外注の興信所を使ったり郷土史家に意見を求めたり、風巻姉妹にも仕事を任せている。逆提案も受け入れる位に柔軟な対応が出来る人。
私の場合は?最初の試練の情報は正解と言った。でも試練の数が違っていると言われた。
初音様は確かに三つの試練が有ると言ったが、彼は八つの試練が有ると……この数の違いは何かしら?
初音様の未来予知情報は間違えた事は無い。ならば榎本さんは三つ目の試練で止める?
八つの試練と言ったが実は五つは簡単で試練とは言えない?分からない、分からないわ。
初音様の予知は刻々と変わる未来を知る事だから、昨日の予知が今日変わる事も多々有る。
「初音様、初音様、姿をお見せ下さい」
私の問い掛けに応えてくれた。目の前の空間がグニャリと曲がり、その中から初音様が現れた。
その予知能力故に若くして命を散らした童女が初音様だ。
見た目は座敷童(ざしきわらし)の様に膝下までの白い着物に赤い帯、裸足でオカッパ頭のクリクリの瞳。
その力故に8歳で当主に祭り上げられて10歳で殺された少女が初音様だ。
「どうした、巴?あの男に嫌われて悲しいか?」
「まさかですよ、初音様。ただ全く相手にされない事に驚いてます。
予知について疑われているのかも知れません。試練の数も違うと言われました」
黒のイメージの件も曖昧な答え方だったし、私達の能力について疑っているのかも知れないわ。
「ふむ……私の予知では榎本殿と巴とは、どんなに頑張っても結ばれぬから安心しろ。
さて私の最初の試練について黒が頭の中を埋め尽くしたのだが……それは当たったみたいじゃな。
だが試練の数が違うか。あの男にとっては用意された試練も試練とは感じてないやもしれんぞ」
何かしら?意地悪い笑みを浮かべる初音様。私と榎本さんが結ばれる未来が無いって事なの?何をしても無駄なの?
もっ、勿論私は彼と結ばれたいとは考えてないけど全否定は酷過ぎます。
全く私には興味も魅力も感じないって事よね、それって?
「仮にも犬飼一族の試練が試練と呼べない簡単な物って事ですか?有り得ませんよ、非公式ですが先々代の亀宮様が挑んで逃げ出した試練ですよ。
誰も生きて出て来なかった試練に挑み生還した事は、流石は亀宮様と言われてますが……その後、絶対に挑んではならない、しないと言い続けたそうですよ」
防御特化の亀様だからこそ、亀宮様が無事に生還出来たと言われている。
「それを半日で達成したのが榎本殿だよ。彼にとっては大した障害では無かったのだろう。巴……」
「何ですか、初音様」
妙に真剣な表情と声。これは私に夜這が掛けられ、奴等を追い払った時に似ている。どうしようもない危険が迫った時の……
「榎本殿の未来は日々変わっている。もう私では読み切れない。これだけ未来に道が多い人間も珍しい。
普通はどんなに足掻いても決まった未来に進む。劇的な変化は無い、精々が小さな変化で本筋が変わる事は無い。
それが幾通りも未来への道が示されるなんて異常だと思う。彼との距離は良く考えるんだよ。お前にとって良い事ばかりじゃ無いんだよ……』
初音様は、そう言うと霞の様に薄れて消えてしまった。私にとって良い事ばかりじゃ無い、か……
「初音様……そうは言っても御隠居衆からの命令なのよ。それに五十嵐家の繁栄と衰退にも関わるんだし……決めた、会いに行こう」
私は私の出来る事をするしかないの。先ずは宿泊先を聞き出して押し掛ける!
◇◇◇◇◇◇
「ふーん、大和ゴキブリじゃなくてヤマトゴキブリなのか……クロゴキブリやチャバネゴキブリは外来種ね。
悪食、お前本来は森に住んで朽ち木とかを食べるのかよ。何で人里に来たんだ?」
ホテルの部屋でノートパソコンを使い悪食について調べたが、ゴキブリってアレだな。
「人類が死滅しても世界が滅びても、ゴキブリだけは生き残る!」って言うの嘘なんだな。
人類が滅びたら人里に依存する種も滅び、自然が崩壊すれば山林に依存する種も滅ぶ。
「正明……巨大ゴキブリを掌に乗せて語り掛ける姿は人には見せられぬな、まぁ良いが……悪食だが視界を共有する事が出来るぞ。
覗きには適した能力じゃないか。試しに念じてみるがよい」
「視界を共有?念じる?それって、どう言う?おお、自分が見えるよ」
自分の視界が楕円形を横にした形に狭まり、その中に自分が見えた。これが視界を共有する事か……
益々この式(悪食)を手に入れた事は人には言えないな。
便利だが、便利だが悪の誘惑に耐えられるかが問題だ……