第208話
あの後、微妙な雰囲気だったが何とか山手洋館群を見て回れた。
結衣ちゃんは僕を意識してか腕を組んだりはせずに適度な距離をおいていた。一子様に文句を言いたい。
折角結衣ちゃんとの距離が縮まったと思ったのに、意識されてから又距離をおかれた……
何だろう、初々しい中学生カップル?いや、結衣ちゃんは中学生だから正しい男女交際なのだろうか……僕はオッサンだけど。
◇◇◇◇◇◇
一子様に配慮されたからと言って、僕が亀宮に今回の件を内緒にする義理は無い。
彼女は余計な事をして僕の亀宮での位置を心配してくれたが、黙っていないで報告すれば良い。逆に配慮に気遣って黙っている方が不味い。
亀宮さんに言ってしまうと大事になるから御隠居様にメールで報告した。
『加茂宮一子より直接的な勧誘の言葉は無かったが、引き抜きを匂わせる行動が有った。二回ほど直接会いに来た。
彼女は亀宮本家が積極的に僕に関する『ある噂』を流していると警告。その『ある噂』について、御隠居様の意見を聞きたい』
これは牽制にもならないと思うが、加茂宮の内乱を知らない事になっている僕では彼女が接触してきた理由を「派閥争いには参加しない約束だけど反古にされてるぞ!」と教えて引き抜きに来た。
そう解釈したと御隠居様に思わせるのが目的だ。だが僅かな失態で僕(胡蝶)の探査・探知能力と範囲を知られてしまった。
これで加茂宮に対して大きなアドバンテージが無くなったと考えないと駄目だ。
半径500mで感知されるなら、それ以上の距離を置かれたら対処出来ない。
最もライフルで狙撃とかされなければ命の心配無いけれど、相手の隙を突く事が出来なくなった。
もう無用心に接近しては来ないだろうし、警戒するだろう。加茂宮の当主連中は他の二人を喰えば胡蝶と同等、三人喰えば勝てないと言った。
生き残りは六人だが、その内の二人を胡蝶に喰わせれば残り四人が一つになっても何とかなるそうだが……
既に三人も食べてるから、過半数の五人を食べないと駄目って事なんだよな。そりゃ半分以上食べて力を吸収すれば勝てるだろう。
「正明さん、お昼はサッパリした海鮮ラーメンでしたから夕飯は石狩鍋にしました。出来ましたから降りて来て下さい」
自室で布団に横になって考え事に耽ってしまったので、結衣ちゃんの接近に気付かなかった。
扉の外で中に入らずに声を掛けてくれた彼女に、直ぐ行くと微笑んで立ち上がる。
石狩鍋は久し振りだなぁ……
◇◇◇◇◇◇
慎重に言葉を選んで会話をした夕食が終わった。結衣ちゃんは石狩鍋に独自の工夫を凝らしている。
普通、石狩鍋と言えばメインの具材は鮭だ!
だが彼女は鮭の代わりに鱸(すずき)と言う煮ると固くなる白身魚を薄くスライスして中に昆布を挟み更に白菜の葉で包んだ。
一見すればロールキャベツだが手間を掛けてくれたのが嬉しい。
味は微妙だったが二人で顔を見合わせて笑ってしまった。
彼女が微妙な創作料理を供するのは珍しいのだが、実は桜岡さんの発案らしい……久し振りに彼女の料理メモを見て作りたいと思ったそうだ。
桜岡さんか……
そろそろ修行が終わった頃じゃないかな?関西巫女連合の事も有るし出来れば戻って来て欲しい。離れていると、もしもの時に対処出来ないし。
◇◇◇◇◇◇
寝る前にパソコンのメールをチェックしたら三件来ていた。一件目は御隠居様から、二件目は魅鈴さんから。
三件目はメリッサ様からだった。御隠居様のメールから確認するが、狸だなぁ……
僕に関する『ある噂』について、自分達も調査し報告するそうだ。
つまり尻尾切りか組織に不要な連中に濡れ衣を着せるのかな?転んでもタダでは起きないって感じだよね。
次は魅鈴さんだ。
仕事用のパソコンにメールとは珍しいな。大抵は携帯に電話か直接押し掛けて来るのに……メールを開いて文面を読む。
『榎本様
宮城県の犬飼本家から手紙が来ました。
内容が先日亡くなりました大婆様の遺産相続についてなのですが、金銭的な遺産の他に呪術的な遺産項目も有ります。
そして遺言状に「呪術的な遺産についての相続権は全て榎本さんに有る。彼が相続を拒む場合、それらは封印する事」と厳しく書かれています。
どうしたら良いでしょうか?』
パソコン画面から目を反らし暫し瞑想する。大婆様については小笠原母娘を絡めて大変だった。
現在の当主は嫌な男だが、存命の彼を差し置いて呪術的な遺産を相続するのは問題だろう。
日本の法律では親族以外には相続権は無い。親族が居ない場合は国が財産を没収するのだ。
だが形の無いモノの場合は問題にならないと思う。犬飼一族は畜生霊を操る一族だ。
彼等の守る呪術的な遺産ならば、現当主を主と認めない強力な畜生霊だろうか?
『正明、良いではないか!その遺産とやらを貰いに行こうぞ。正明も貪欲に力を欲すると決めたであろう?加茂宮の件も有るし、我等のパワーアップは必要だぞ』
『ああ、既に人の枠から外れた身だからな。新しい力を得る事は賛成だが、呪術的なモノを継承したら……
最悪の場合、犬飼の名前まで継がないかな?それは嫌なんだけどな』
派閥争いに参加するのは、ましてや犬飼一族は亀宮の山名一族と繋がりが有りそうだった。巨大な力を貰うには相応の見返りが必要だぞ。
『確かにそうだな。一族の当主にしか憑かない畜生霊を貰ったのだ。
これからは犬飼一族として行動しろなどと言われたら、我は奴等を根絶やしにするぞ。
我は、我を縛る契約は榎本一族の繁栄。それを他の一族に変わるなど許されない』
胡蝶さんの雰囲気が怖い……古代の呪術による契約だからな、彼女を縛る条件が厳しいのかも知れない。
僕は榎本一族最後の直系子孫だから、僕の名前が変わるなど認められないのだろうか?
『うん、兎に角一度先方に出向かないと駄目だよね?どんな呪術的なモノを貰えるのか、条件が有るのか、そもそもモノが僕等に必要か?
それを見極めてから決めれば良いか』
『ふむ、なれば赤目達を天に還したのは勿体なかったな。犬は主人に尽くすし探査も戦闘もこなせる』
赤目達か……霊となっても僕を涎だらけにした可愛い犬達だったな。だが殺さなければ使役出来ないならばお断りだ!
気を取り直して最後のメリッサ様のメールを開く。鶴子さんって呼んだら凄い怒られた。
『榎本さんに言われた通りピェール氏にセキュリティ強化と監視網の構築の話をしましたが、凄い剣幕で怒られました。
まるで別人の様だったと。それとベビーシッターの竹内さんが辞めました。
彼女は急に来なくなりメールで辞めたいと申し入れが有り、その後連絡が取れなくなりましたが、派遣元から正式にお詫びが来たそうです』
別人の様に怒る、か……若い嫁を貰い大切にしていたが、隠していた本性が現れた?
だが怒るって事は洋館に他人を出入りさせたり調べたりする事が駄目なのか?
秘密が有るのか、単に心霊が嫌いで怒ったのか?だが心霊に絡ませずに防犯面から説得する様に提案したけど、話の持っていき方を間違えたのか?
メールじゃ良く分からないが、僕の感じ方としてはピェール氏は黒だ!
何かを知っていて秘密にしたがっている。パソコンから離れて布団に大の字に寝っ転がる。
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す事を三回繰り返す。先ずは御隠居様、若宮の婆さんだが特に何もしなくて良いだろう。
元々チクリと釘を刺せれば良い程度だ。犬飼一族については、現地に行ってみよう。
勿論一人でだ。
メールの感じからして魅鈴さんが同行したがりそうだが、呪術的なモノなんて必ず手に入れる為の資格と試練、それにリスクが有るだろう。
逆に何も無ければ、あのボンボン当主が何もかも奪っていた筈だ。
魅鈴さんの説得が面倒臭いが、黙って行く事は不義理だし今後の関係の為にもやらないとね。
彼女の口寄せは僕の仕事に大いに役立つし、静願ちゃんの事も有るし。何より僕は仲間として彼女達が好きだからね。
最後はメリッサ様の件だが……
美羽音さんと赤ちゃんが心配だ。僕等は正式な依頼も無しに動けないが、メリッサ様に動いて貰うしかないかな?
元同僚だし友人でも有るから、問題になっても被害は少ない。
だが高梨修の動きが分からない内は、神職として迷える子羊の救済として善意の行動をしないとな。
既に霊能関係の業界で悪目立ちし過ぎてるし、一般紙に暴露記事ても書かれたら何が起こるか分からない。
「胡蝶さん、人付き合いが広がるとさ。こんなにも面倒臭いんだね。前は気楽で良かったと思うよ、戻りたいとも思わないけど……」
「ふん、人の縁は良きも悪きも寄ってくるのだぞ。我は人ではないが、我と縁を結んだ事により力を得たが加茂宮との因縁も呼び込んだろ。
正明、男の甲斐性を見せる時だな」
お腹からニョッキリ生えた胡蝶さんが、ドヤ顔で宣(のたま)ってくれた。
「甲斐性って何だよ?胡蝶や魅鈴さん達になら分かるが、美羽音さんは関係無いぞ。そもそも人妻だし不倫は文化じゃない、悪業だ!
惚れた相手なら離婚まで待てば良いじゃん。浮気なんて婚姻って契約を無視した悪業だよ」
「やれやれ、エロい癖に結婚したら浮気せずに正妻一筋になりそうだな。正明?我は一族を増やせと言ったぞ。
畑が一人じゃ駄目なのだ。浮気や不倫じゃない、正妻公認の妾を囲え。
多分だが魅鈴は静願と一緒に囲っても平気だぞ。正妻は条件的には亀憑きだな。亀宮一族の当主となれば、妾は囲い放題だぞ」
胡蝶さん、最初に亀宮一族の乗っ取りは駄目だって言ったよね?軒先借りて母屋を取るだっけ?
「それは駄目だよ、義理を欠く行為だし。亀宮さんに失礼だぞ。そもそも結婚しても当主は彼女だからね。亀ちゃんを取り憑かせてるから亀宮なんだよ」
胡蝶は僕の体から抜け出して布団にうつ伏せになり、足をブラブラと曲げている。どうやら今夜は添い寝したいらしい。
「まぁ亀宮一族の乗っ取りは不可だからな!じゃ寝るから電気を消すぞ」
「ふふん、もし我の今の姿を狐憑きが見たら?どうなるかな?」
「なっ?」
スッポンポンの亀宮さんに変化しやがった!しかも世間一般ではセクシーと言われるポーズまで……こんな所を結衣ちゃんに見られたら、勘違いされてしまうだろ!
「分かった、分かったから。人形寺か古戦場ツアーで手を打とうよ!だから姿を元に戻してくれ。結衣ちゃんに見付かる前に……」
久し振りに土下座をして許しを請う。一子様にも頭は下げたが土下座まではしなかったんだぞ。
「ふむ、だがな正明。亀憑きはお前の子供を産んでも良いと言質を取ってるのだ、名古屋の洞窟でな。
なのにお前は女に恥をかかせる心算(つもり)か?」
亀宮さんの姿のままで胡坐をかくな!その……色々と大変な事になってるぞ。生々しい色気に思わず目を逸らす。
どうにも苦手意識が高い。
但し桜岡さんと亀宮さんは、他の育ち過ぎた女性よりは万倍マシだけど……
「ふむ、お前の苦手意識が梓巫女と亀憑きは少なかろう?それが我と混じり合うと言う事だ。その内、我の本当の姿を見せてやろうぞ」
そう言うと、バシャリと流動形となりスルスルと僕の左手首の蝶の痣に吸い込まれた……
「何だよ?添い寝はしないのか?」
そう問い掛けた時に、扉の外に人の気配を感じた。
「正明さん?何か話し声がきこえたけど、誰か居るんですか?」
ヤバい、結衣ちゃんに胡蝶との会話を聞かれたか?
『こっ、胡蝶さん?もしかして聞かれた?』
『大丈夫だ、我が正明の体に入った時は階段を上る前だぞ。やれやれ、小心な愛しい下僕だな……』
呆れられたが、元はと言えば胡蝶さんが原因だろうに。
「ん?誰も居ないよ。入っておいで……」
何とか平静を装い返事をする事が出来た……