第206話
真っ赤なアウディが法定速度で走り去るのを見送る。スピードも出さず安全運転なんだな彼女は。
結局顔を見て帰って行っただけだが、何をしたかったのか幾つも考えられるので難しい。
玄関を開けて中に入り警報装置を解除する。神泉会絡みで防犯関係を強化する為に導入した機械式警備だ。
「良かった、結衣ちゃんは未だ帰ってなかったか……」
仮にも自宅に新しい美人が訪ねて来たとか問題有りだろう。最近、魅鈴さんが妙に積極的過ぎて結衣ちゃんがピリピリしているんだ。
壁に設置された操作盤からインターホンに備え付けられたカメラの記録画像を探し出して見ると、4時8分に一子様が写っている。
現在時刻は4時52分だから少なくとも40分位は待っていた計算だ。
次に外壁に取り付けた防犯カメラで録画した画像をチェックすれば、何と3時57分には車を停めている。
暫く家の前で躊躇う様子が有り、意を決してインターホンを押して留守と分かると肩を落として車に戻る姿が写し出されているけど……
「凄いな、無意識なのか計算されているのか?こんな姿を見せれたら男は堪らないだろうな」
留守に現れ一時間近く待ち、ただ顔を見せて何も言わず帰る。一瞬だが最初に監視カメラに目線が合わなければ、僕も騙されただろう。
彼女は監視カメラの存在に気付いていた。一芝居打ったと思うのは邪推だが、彼女は魅力操作系能力者だからな。
人心掌握の技術には長けているだろう。
それに略奪愛が大好きだとも聞いているし、見た目も厳ついオッサンに好意を寄せているとか考え難いし自惚れてもいない。
彼女は僕の協力ないし敵対しない事を目的に動いている。
万が一にも有り得ないが、他の加茂宮の当主達に取り込まれない様に釘を刺しにきたんだな。
好意を寄せられている(と思わされている)相手に敵対行動を取る事は難しい。
相手が美人なら尚更だ。
キッチンの冷蔵庫からコーラを取り出して居間のソファーに座る。フルタブを開けて一口飲めば、程良い炭酸の刺激が喉を通る。
落ち着いてから一子様の事、加茂宮との今後の付き合い方を考える。先ず僕は蟲毒の件で彼女達が必ず一族で争い合うのを知っている。
当主連中が喰い合うなら、彼女は勝ち残る為に一族内外に協力者を募るだろう。
彼女の協力者が現時点で何人居るかは分からないが、亀宮さんが僕を思い切り持ち上げたからな。
他勢力のトップが同等と評し、面識の有る僕を野放しとは考え辛い。
直接の戦闘力の低い彼女は、他者の協力が無ければ兄弟姉妹を倒せない。それに僕と胡蝶も、加茂宮の蟲毒に絡まないと駄目だから。
過去の胡蝶と因縁浅からぬ関係らしいから、彼女と一蓮托生の僕は早期に相手を無力化したい。
一子様とは利害が一致してそうで、実はしていないのが問題だ。僕も彼女も敵は同じだが、互いに倒した相手を食べたいのだから。
彼女が二人喰えば僕等では勝てないかも知れない。一人食べても同等らしいから厄介なんだ。
コーラの残りを一気飲みして空缶をクシャクシャに握り潰す。アルミ缶の強度など、今の僕にとっては紙と同じだ。
最近鍛えた筋肉以上の力を発揮出来るのは、胡蝶と混じり合っている所為か……
『そうだ、我と正明の魂が混じり合えば我から引き出せる霊力が増える。霊力が増えれば肉体を強化する力も増える。それが恩恵や加護で有り……』
突然の脳内会話には驚くが大分慣れた。
『罰でも有る?僕は人間の範疇から逸脱し始めている。もう健康診断を受ける事は厳しいだろう。
採血とかの検査数値が異常値だろうな。だけど、それも折り込み済みで力を借りているから今更だよね?』
僕は厳密に言えば既に人間じゃないかも知れない。基礎体力の向上や軽い切り傷なら人よりも倍以上早く治る。
『む、いや恩恵や加護は与えられる物だから、我への報酬の無い無償の愛ではないのか?少なくとも罰ではないぞ』
加護が与えられる物なら反対は与える事か、貰えない事か?
『胡蝶を信奉し力を与えられる。仏の教えでは現世利益(げんせりやく)になるのか?いや胡蝶は厳密には神や仏とは違う。祟り神?力有る者?』
そう言えば僕は胡蝶の事を殆ど何も知らない。700年前に御先祖様と契約を結んだ力有る者。
可愛い外観だが中身は鰐みたいなナニかだ。そして僕と魂レベルで混じり合い始めている。
『何だ?女の過去を知りたいのか?自分の女の過去を知りたくば、身体に聞けば良かろう?
くっくっく、最近女郎街に行ってはいまい。溜まっているなら今晩どうだ?』
『女郎街って……確かに最近は風俗には行ってないな。何故だか性欲が減っている様な気もするし、年か?』
昔ほど、いや昔と言っても半年位だが確かに性欲が減っているな。横浜や川崎の風俗街には全然遊びに行ってないのも確かだ。
昔はムラムラしたら我慢出来ずに遊びに行っていたのにだ。
『正明の風俗通いはストレスの発散の意味合いも有ったからな。今は心の負担が少ないからだろう。
女の身体に溺れるのは、ある意味逃げだ。愛欲とは歯止めが効かぬから余計だろう』
ん?僕が今の生活に安心し満足している?マイハニーエンジェル結衣ちゃんにフードファイターの戦友である桜岡さん。
愛娘の静願ちゃんに敬愛する当主の亀宮さん。悪友の高野さんに親友の晶ちゃん。他にもメリッサ様や魅鈴さん、阿狐ちゃん……
『見事に女ばかりだな。早く誰でも良いから孕ませろ!梓巫女と亀憑きなら世間的にも問題無かろう。狐憑きは囲えば良いのだ!』
桜岡さんと亀宮さんだって?IFな世界の僕は彼女達を喰ってしまった様な気がするのだが……現実の僕は違うぞ。
嫁は結衣ちゃんが良いのだ!
『なぁ正明?我と同化するとな、好みも混じり合うのだぞ。つまり性的な好みを幼さに極振りしたお前の性癖が……』
無理を承知で目を瞑り耳を塞ぐ。
『見えません、聞こえません、分かりません!』
ノーマルな性癖なんて僕のアイデンティティーが……
『ふむ、強情だな。まぁ良い、我の姿がお前の無意識下の潜在的な好みなのだ。我の姿が変われば納得もしようぞ』
確かに胡蝶に会う前は、僕は普通の性癖で同い年の彼女も居た。だが胡蝶に会って初めて襲われて今のロリコンに変わったんだ。
いや、おかしい。爺ちゃんや親父は言った筈だぞ、最初に会った時は自分の求めた相手の姿だったと……
ならば最初から幼女だった胡蝶を見た僕の性癖って何だ?
「あれ、正明さん?灯りも点けずにどうしたんですか?」
「ん?ああ、お帰り。いや、ちょっと考え事をしてたら止まらなくてね……」
気が付けば周りは薄暗くて結衣ちゃんが帰って来たのも気付かなかった。
心配そうに見上げる彼女の頭を撫でると、細くサラサラな感触が指を楽しませる。
「本当ですか?」
不自然にならない程度の笑みを浮かべる。親の愛情に疎い子供達は、相手の表情から感情を読む事に長けている。
だからオーバーアクションは見破られたり疑われたりするんだ。
「うん、本当に大丈夫だよ。明日は一緒にお出掛けだね」
ピェール邸視察と周辺の様子を見に山手散策に誘ったんだ。
オッサン一人で女性向け観光地を徘徊するのは人目に付くが、女性同伴ならば目立たない。
凸凹カップルだから余計に目立つかもしれないが、少なくとも不審者扱いはされない。
最近は年の差カップルも多いらしいし……
「はい、帰りに関内のグランバックに寄りませんか?正明さんの夏服を見ましょう」
最近は自分で服を選ばず桜岡さんか結衣ちゃんに選んで貰っている。
流行り物に疎い僕だが、彼女達はその辺も良く研究していて最近は私服はお洒落ですね、と言われる。
仕事着は機能と隠密性が優先だから、そこにデザイン性は必要無い。
「そうだね……もう五月だし梅雨が明ければ直ぐに暑くなるかな?」
グランバックとは大きな男の御用達の服屋で7Lサイズまで常備している僕の最近の行き付けの店だ。
カジュアルからスーツまで殆どが海外ブランドのセレクトショップだが、お洒落な桜岡さんもOKを出した信頼出来る店なのだ。
「それと背広も新調しませんか?黒やグレー系は似合いますが、威圧感が……正明さんには茶系や柄物も似合いますよ」
やはり黒のスーツは駄目なのかな?御手洗達には似合うって言われたが、亀宮さんは微妙な顔をされたし。
「うーん、柄物はちょっと……変わりにネクタイとかカフスボタンで妥協しない?」
幾らお洒落になったとはいえ自分で選んでないので、柄物とかは恥ずかしくて嫌だな。
「駄目です。只でさえヤクザみたいって言われるんですよ。正明さんは優しいのに見た目で損をしてます」
彼女は言いだしたら考えを曲げない事が有る。それは我が儘じゃなく大抵は他人に対しての思いやりなので、僕も強くは言えないんだよね。
結局、結衣ちゃんに夏服とスーツを選んで貰う事になった。明日は現金を多めに用意しないと駄目かな?
◇◇◇◇◇◇
天気は快晴、お出掛け日和となった。京急電鉄横浜駅でJRに乗り換え関内駅で降りる。
結衣ちゃんプランでは先に僕の服を見て中華街で食事をしてから山手散策、そしてお洒落な喫茶店でお茶して帰る。
健全なカップルの王道デートプランだ。
JR関内駅を降りて右側に向かえば、直ぐに国道を挟んで横浜スタジアムが見える。
横浜スタジアムを通り抜ければ横浜中華街の入口だ。
中華街に入らずに道なりに海岸方面に歩くと目的の店、大きな男の御用達「グランバック」に到着。
硝子製の扉を開けると直ぐに店員さんが声を掛けてくれた。
「いらっしゃいませ。あら、今日はお二人ですか?」
僕に結衣ちゃん、それに桜岡さんの組合せは兎に角目立つ。故に店員さんに覚えられてしまった。
「はい、夏物の私服とスーツを探しに来ました」
「丁度セール何ですよ、昨日から。今年流行りそうなのは……」
店員さんと結衣ちゃんの会話を聞きながら、ああ今日も試着させられるんだなって思うとゲンナリする。苦手なんだよね、試着とかって。
「正明さん、先ずは……」
長い試着になりそうだ。
◇◇◇◇◇◇
長い戦いを終えて麻のスーツにポロシャツ等を買い、荷物を自宅に送って貰った。
万単位での買い物だし、送料はお店の負担だ。それに結衣ちゃんが縫製の悪い所やボタンが取れそうなのを発見し、手直しを頼んでいた。
頼りになる美少女なのだ。中華街は混んでいるし天津甘栗の呼び込みは多いし歩くだけで大変だ。
なので自然に結衣ちゃんは僕の腕を掴む。
まるで迷子にならない様に掴む姿が、周りは僕等をカップルでなく親子と勘違いして優しい目で見る。
不本意だ……
「正明さん、この店です。四五六飯店、麺類が美味しいって評判ですよ」
この手の店って原色を多用して派手派手しいのだが、この店も緑色を基調として赤色と金色が多く使われている。
「結衣ちゃんのお薦めか……結構混んでるね」
時刻は12時23分、一番混む時間帯だ。
「でも回転率は良さそうですよ。並びましょう」
既に7人ほど並んでいるので最後尾に立つ。この店の席数なら15分位で座れるだろう。
壁に寄り掛かり二人並んで立つが、結衣ちゃんは僕の左腕を抱えている。道を歩く野郎共の羨ましい視線が嬉しいぜ。
「正明さん、昨日の夕方に家に訪ねて来た女性ですけど仕事の関係の方ですか?」
思わず結衣ちゃんを見下ろすと見上げる彼女と目が合う。真剣な表情だ……迂闊だった、画像データを消さなかったから見られたんだな。
「ああ、一子様かな?彼女は日本の霊能会の御三家の一角である加茂宮一族の当主様だよ。前回の仕事で知り合いになってね。
わざわざ自宅に来てくれたらしいんだ。派閥絡みだから距離を置かなきゃ駄目な相手なんだ」
実は結衣ちゃんには亀宮さんや滝沢さん、風巻姉妹の事は教えていない。今となっては何たる不手際だと感じているんだ。
静願ちゃんは風巻姉妹と会っているから、彼女から結衣ちゃんへと情報が流れるかも知れない。
仕事とは言え女性の知り合いが増えたら、それとなく教えるか会わせるべきだった。特に亀宮さん関係は長い付き合いになるのだから……
「御三家?当主?一子様?正明さん、後でゆっくり教えて下さいね?」
「うっ、うん。勿論だよ、何なら最近仕事を一緒にする連中とも会わせようか?」
笑顔の結衣ちゃんの迫力に負けた。だが丁度良い切っ掛けだろう。
高野さんや鶴子さんは微妙だが、亀宮さんには会わせておかないと今後マズい事になるかもな。
彼女も結衣ちゃんに会いたがってたし……