榎本心霊調査事務所(修正版)   作:Amber bird

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バレンタイン記念挿話前編(平成26年版)

「珍しいね、恵美子が料理を教えて欲しいなんて……」

 

「まぁね、料理がお薦めの旅館の跡取り娘の晶なら詳しいと思ってさ。

しかし湯煎って時間が掛かるよね、電子レンジでチンしちゃ駄目なの?」

 

 最近元気の無かった恵美子から久し振りに連絡が有った、何でも手作りバレンタインチョコを作りたいと……

 恵美子は社交的で派手な衣服や化粧を好むけど異性との関係は消極的、友達は多いけど特定の恋人は居ない筈だった。

 義理チョコや友チョコは市販品を買っていて、何時もこの時期はチョコ購入費の為にバイトまでしているのに……

 だから宿泊客を送り出して手の空いた十時過ぎから調理場を借りてのチョコ作り、市販の板チョコを割ってボールに入れて湯煎をしている。

 

「市販品のチョコは急激に温度変化をすると味が変わるんだよ、湯煎で溶かして型に流し込んで冷やすだけなんだから頑張ってよ」

 

 ぎこちない手でボールに入れたチョコをゆっくりと掻き混ぜているけど既に面倒臭くなってないかな?

 自分で教えてくれって言ったのに、普段の彼女からは考えられない態度だ。

 

「それでチョコの中に色々な具を入れるんだよね?

用意したのは定番のアーモンドにカシューナッツ、変わり種はドライフルーツか……

でもマンゴーやパインは分かるけど柿とか梨ってチョコに合うのかな?」

 

 テーブルの上にはナッツ類の他に市販品のドライフルーツを数種類買って2㎝角に切り揃えてある、不揃いだとチョコから飛び出したり中心からズレたりして仕上がりが悪い。

 

「その日に作って渡せるなら生イチゴをホワイトチョコでコーティングが美味しいんだけどさ、渡すの明後日だろ?」

 

 基本的にミルクチョコは大抵のフルーツと合う、生ならバナナや苺は定番だがドライフルーツなら変わり種でも大丈夫。特にオレンジ等の柑橘類との相性は抜群だ。

 昨今のバレンタインは海外ブランドの高級品が主流だ、ゴディバとかレオニダスとか……でも国産の百円板チョコでも十分美味しい物は作れる。

 

「うん、まぁね……でも面倒臭いよね、誰がバレンタインなんて始めたんだろ?こんな強制参加型イベントなんてさ、キリスト教のお祭りって大変だよね」

 

「バレンタインデーってキリスト教のイベントだけどチョコを贈るのは日本のアレンジだよ、確か1970年前後に明治製菓・モロゾフ・メリーの三社が販促活動の為に始めたのが切っ掛けじゃなかったかな?

友チョコや自分チョコ、逆チョコは2000年以降に流行りだしたよね」

 

 確かに既製品を贈るみたいな趣旨になってるからお菓子メーカーの販促活動に乗せられている、強制参加型の購入イベントだ。

 僕は中学生の頃から貰う方だったので少ないお小遣いで買ってくれたチョコを断るのが辛かった、でも受け取るとホワイトデーに破産するから……

 何だよ、「倍返しだー!」みたいな風習は、男の方が負担がデカいじゃん!

 

「晶、詳しいね……」

 

「貰う方だったからね。調べたんだよ、断るのに相手を傷付かない方法や理由が有るかなって……

本来はローマ皇帝が侵略戦争に明け暮れていた頃、故郷に妻子を残して戦う兵士の士気が低い為に結婚を禁止したんだ。

でもバレンティヌ司祭?が内緒で結婚を認めていて、バレて捕まって処刑されたのが2月14日だと思ったよ」

 

 うろ覚えだけど大体そんな内容だったと思った、流石に高校を卒業してからは貰ってないし贈るのも今回が初めてだし……榎本さん、僕のチョコ受け取ってくれるかな?

 

 

「全然チョコ関係無いじゃん!」

 

「最初は好きな人にチョコを添えてラブレターを贈ろうとかチョコが主役じゃなかったみたいだよ。まぁ製菓メーカーに上手くヤラれたんだ、ほら、手がお留守になってるよ」

 

 確かに愛の告白イベントなんて意味は薄れてるかも……榎本さん、初めて贈るチョコが手作りだと深読みして受け取ってくれないかな?

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「完成した、でも晶の市販品並のクオリティーのチョコと並べると見劣りする。それって噂の榎本さんに渡す本命チョコ?」

 

「なっ、ななな、何言ってるんだよ!ちっ、違うよ、お世話になってるからお礼に贈るんだよ」

 

 図星を突かれると動揺するよね、恵美子には完全に疑われたかも……

 

 トレイに並べて冷やす、粗熱を取ってから冷蔵庫に入れるのがコツだ。

 確かに恵美子の分は少し歪で入れた具も少し見えていたりしてるが手作りチョコは気持ちの問題だ、好きな相手からじゃないと中々受け取れないけど……

 

「ねぇ、恵美子。誰に渡すの?バレンタインに手作りチョコなんて渡せる相手が居たんだ。僕、知らなかったよ」

 

 椅子に座り黙って作ったチョコを見ている親友に珈琲を煎れて目の前に置く、私はブラックだが彼女は甘党だからミルクと砂糖は必須だ。

 渡したカップに砂糖だけ三個いれた恵美子は黙ってスプーンで掻き混ぜている……

 

「うん、相手はね……井上君だよ」

 

「井上?井上って高校三年の時に同級生だった井上じゃないよね?」

 

 共通の知り合いで年頃の井上姓の男性は彼しかいない、でも彼は……その、恵美子の趣味じゃない筈だ。

 彼は止めろって言葉を何とか飲み込む、もしかしたら真剣に付き合っているのかもしれない。

 だけど記憶に残る井上は、確かに頭は良かったが自分と比較して他人を馬鹿にする自信過剰な嫌な男だった筈だ。

 そんな彼に何故、恵美子は手作りチョコなんて贈るのかな?

 

「その井上君だよ……何故って言われると良く分からないんだけど、贈らないと駄目な気持ちになるんだ。

不思議だよね、自分の気持ちが分からないなんて……」

 

 自分の気持ちが分からない?恋は盲目って事?いや、それは違う。

 それなら惚気る筈なのに恵美子からは嬉しそうな気持ちを全く感じない。

 試しに彼女の後ろに回り込み軽く塩を振り掛けてみる、自分でも馬鹿な行動だと思うが最近知り合った筋肉質なお坊様から教えて貰った方法だ。

 

「晶、何を……あれ?私って何で井上君の為にチョコを作ってるんだっけ?

そんなつもりは……いや、作らないと駄目なの……何故かは分からないけど……私は、井上君に……手作りチョコを渡す……」

 

 やはり変だ、目が虚ろだし目の前に居る私を見ていない。これって催眠術とかマインドコントロール?兎に角普通じゃない!

 

「恵美子、しっかりして!コレを手首に巻いて、気をしっかり持って!」

 

 榎本さんから貰った水晶のブレスレットを恵美子の左手首に巻き付ける。

 

「晶、何を……あれ?何だろう、頭の中がスッキリしたみたいだわ。井上君に手作りチョコを渡す?私が?そんな馬鹿な行動を何故かしら?」

 

「良かった、恵美子が元に戻って良かった……」

 

 思わず親友に抱き付く、訳も分からず抱き付かれた彼女が私の背中を軽く擦ってくれた。僕が落ち着いた所で詳細の説明を聞いてみる。

 

「思い出したわ。一昨日私のバイト先のカラオケボックスに井上君が一人で来て会話をしたんだ。

他愛の無い世間話だったのに、何故かその後に一緒に夕食を食べにサイゼリアに行って別れたの。

それで明後日に手作りチョコを渡す約束をした……今思うと自分でも不思議な行動だよね、大して仲も良くない井上君とバレンタインに会って手作りチョコを贈るなんてさ」

 

 コレって榎本さんが戦う世界に関係してないかな?貰った水晶のブレスレットが効果有りなら、もしかしたら?

 壁に掛かっている時計を見れば12時8分、今ならお昼休みだから電話しても大丈夫かな?

 

「恵美子、時間が有るなら一寸待っててね。帰っちゃ駄目だよ」

 

「えっ?何処に?」

 

 申し訳無いけど親友の一大事だ、何時も頼ってばかりだけど……

 携帯電話を取出しアドレスから榎本さんの番号を検索し通話ボタンを押す、五回目のコールで繋がった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 名古屋での一件が片付いた、結果的に御三家のトップと知り合えたのだが関係は微妙だ。

 亀宮さんも千葉の本家に帰ったし次の正式に依頼を請けた仕事も無い、慌しかったから少し休みを取りたいと思いつつも留守にしていた横須賀中央の事務所に来てしまうのは働き過ぎな日本人だからか?

 事務所の空気を入れ換え簡単に掃除をして冷蔵庫の中身の賞味期限を確認する……うん、幾つかの買い置きが賞味期限を過ぎていた。

 パソコンの電源を入れてメールチェックをするが転送処理をしていたので数日分だけ確認するが緊急の用件は無かった。

 逆に郵便受けにはパンパンに手紙が詰まっていたし宅配便の不在者通知も一件有って処理だけで午前中が終わった……

 

「んー、もう昼か……亀宮さん達とは外食ばかりだったからな。久し振りにコンビニ弁当でも食べるかな」

 

 前回の仕事は御三家の一つ亀宮家の当主と一緒だったので食生活は豪華だったし同僚の御手洗の手料理も美味かった、流石は調理師の資格を持ってる筋肉だ。

 つまり美味い物を食べ過ぎたので節制しろって事なので近くのローソンに行く為に財布と携帯電話だけを持って事務所を出る。

 携帯電話が鳴っているので開いて画面を見れば霧島晶の文字が……

 

「もしもし、晶ちゃん?」

 

『榎本さん、実は親友の恵美子が……』

 

 少し慌てている彼女の話を纏めると……

 

 親友の恵美子ちゃんの様子がおかしい、大して仲も良くなかった同級生の為にバレンタインの手作りチョコを一緒に作ったそうだ。

 それだけなら晶ちゃんの知らない内に仲良くなった可能性も有る、例え晶ちゃんから見て好ましくない相手でも恋愛は当事者同士の問題だ、他人が口を挟む事ではない。

 だが様子が変だ、理由を聞いても何となく手作りチョコを贈らなければならないとしか言わない。

 此処が好きとか頼まれたからとかでなく、本人にも分からない理由で行動している。

 おかしいと思い塩を振り掛けたら意識がハッキリして水晶の数珠を着けたら更に……本人も何故か理由が分からない、贈る必要も無いと言っている。

 これは催眠術とかマインドコントロールとかなのでは?

 

 だから僕に連絡してきた訳か……

 

「うーん、今からその子と会えるかい?直接見ないと何とも言えないけど、晶ちゃんの対応は間違いないと思うよ。出来れば他人の目を気にしない場所が良いな……」

 

 魅惑系か操作系の術だと思う、清めの塩で祓える位だから低級だろうし相手の身元も分かっているなら対処もしやすい。だけど人前で話す内容じゃないから気を付けないと……

 

『今は僕の家なんだけど、両親に知られちゃ駄目だよね?真緒の時もお父さんとお母さんは半信半疑だったし……』

 

 二ノ宮真緒、晶ちゃんの友達だったが逆恨みから呪いの人形を送り付けたんだよな、祖母と母親を含めて脅しておいたが悪戯にしては悪質だった。

 

「そうだね、変な心配をさせるよりは黙って解決した方が良いと思うよ」

 

『えっ、なに?うん、そうだね……えっと、恵美子は一人暮らしだから部屋の方に来て欲しいって。場所は……』

 

 晶ちゃんの教えてくれた住所をメモして携帯電話を切った。さて、どうするか?

 一旦家に帰って道具を積んで車で行くか、事務所に有る道具を集めて電車で行くか……

 

「胡蝶さん、どう思う?清めの塩で祓えるんだから低級の魅惑系か操作系かな?」

 

「ふむ、人間とは不思議な生き物だな。チョコなど市販品の方が美味かろう。わざわざ手間暇掛けて術を使い作らせるとは……」

 

 自分の胸から幼女が飛び出してくる事には慣れないな、今回は巫女服を着ているが偶に全裸で飛び出してくるから困る。

 

「その恵美子って子が好きなんだろ、好きでもない相手からの手作りチョコなんて怖くて貰えないよ。

バレンタインに手作りチョコを贈るってのは相当強い思いが込められているそうだよ、親愛か友愛か家族愛か欲情か……重たいよね」

 

 この時間だと高速道路は渋滞かもしれないので公共機関の電車で行く事にする。

 除霊道具を掻き集める、清めの塩に御札に胡蝶さんの力を込めた水晶、それと念の為に伸縮警棒とマグライトを鞄に詰め込んだ。


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