200話達成リクエスト(レナ・ロッソ編)
レナ・ロッソ、アメリカ国籍の留学生。
早くに両親を亡くした為に兄妹二人、力を合わせて異国の日本で暮らしている。
生活費を稼ぐ為にキャバクラで働く苦学生だが、実は兄であるクロード・ロッソはモグリの霊能力者で一攫千金を求めて岩泉氏の依頼に単独で挑み、その身を餓鬼へと貶めた。
彼が餓鬼化するには危険な洞窟の最奥に有る泉に身を浸さなければならない。つまりモグリだが有能な霊能力者だったのだろう。
理由は分からないが人から餓鬼へと変貌し、最後は胡蝶に魂まで喰われた。
事件を解決しレナさんに金銭的負担を無くす為に挑んだ筈なのに、何故餓鬼化したかは分からない。
不老不死の秘密を知って己の欲に負けたのか、餓鬼に襲われて餓鬼化したのかは永遠の謎だ。
結局、彼が存在した証は、このドッグタグだけだ。
これをレナさんに渡して彼が餓鬼に喰われて死んだだろうと虚偽の報告をしなければならない。
前に渡された名刺には携帯電話の番号だけが記されていた。固定電話を引く余裕が無かったのか必要が無かったのか……
苦学生であり夜はキャバ嬢の彼女の自由な時間は午後四時過ぎと思い、気が重いが連絡をする事にした。
亀宮一族から支給された携帯電話ではなく私用の方で……だって履歴とか調べてそうなんだよね、あの一族は油断がならないから。
コール四回目で繋がった。
『はい、もしもし?』
少し警戒色の強い固い声だ……
「榎本です、今電話大丈夫かな?」
『榎本さん?……あっ、榎本さん!レナです、ご無沙汰してます』
ご無沙汰とか今の若い日本人だと中々言わないよね。
「うん、レナさんから頼まれていた兄さんの件だけど……」
『はい、兄は……兄は見つかりましたか?』
言葉を被せられて必死に質問する彼女に、何て言えば良いのか言葉に詰まる。
「兄さんは、クロードさんはね。餓鬼に(なってしまい、胡蝶に)……喰われた。喰い残されたドッグタグだけ持って来たよ」
嘘は言ってない、大事な事を言葉にしなかっただけだ……
『そんな……嘘ですよね?兄さんが、餓鬼に食べられてしまったなんて……そんな……兄さん……』
嗚咽が暫く聞こえるが、電話を切らずに待つしか出来ない。1分か3分か分からないが黙って待つ……この後でドッグタグを渡さなければならないから。
『すみません、榎本さん。わざわざ兄さんの遺品を持ち帰って来てくれて、本当に有り難う御座います。何とお礼を言って良いのか……』
「うん、力に成れずに……ドッグタグは今から届けるよ、何処に届ければ良いかな?お店に届けておこうか?」
せめてもの償いに早くドッグタグを渡してあけよう。
クロードさんについては、不死の餓鬼として永遠に輪廻転生の輪から弾き飛ばされるよりはマシだと思いたい。いや、胡蝶が魂を食べたから無に還った?
『少しお話を聞かせて下さい。良ければ私の家に……』
「いえ駄目です。僕みたいな巌ついオッサンが若い女性の家に行くなど、どんな悪い噂が立つか分からないからね。
公園とか図書館とか人の少ない公共施設にしようよ」
独身女性の家に一人で行ったとか亀宮さんに知られたら恐い事になりそうだ、割と本気で……
『ふふふ、榎本さんって本当に女性には優しいんですね。初めて会った時も私達に興味なんて無いのに、親分さんの手前楽しそうに対応してくれて……
若頭さんが言ってましたよ。何をされても我慢しろ、でも多分だが何もしないだろうって。本命の女性が大切だからなんですってね?』
軍司さん、やっぱりキャバ嬢に言い含めてたんだな。手を出したら、それをネタに……良かったロリコンで。
「いや、そうではないのですが……名古屋港の近くに海釣り公園が有ります。
そこで会いましょう、今から出れるなら一時間後に。着いたら携帯に電話して下さい」
そう言って電話を切る……最後は少しだけ冗談を言って笑ってくれたのが救いだ。
◇◇◇◇◇◇
良くサスペンスドラマで犯人の密会場所に利用されるのが波止場だ。人目に付き易いが閑散としている場所。平日の夕方なんて人は殆ど居ない。
しかも高潮防波堤かさ上げ工事中の為に更に人通りは無いので密会には丁度良いだろう。
一時間後と指定したが、僕は30分前には着いてしまった。公園内のベンチに座り夕方の海を眺める、少しだけ海風が肌寒いかな……
待つ事10分、レナさんからの連絡が来たので現在地までナビゲートする。
漸く視界に捕らえたので手を振って場所をアピールする。手を振り返して小走りに近付いてくるレナさん。
「ハァハァ、お待たせして済みません」
慌てて来たのだろう、身嗜みが少しだけ乱れている。ベンチから立ち上がり頭を下げる。
「いえ、急に呼び出してしまってすみません」
そのまま何となく海の方へと歩く……レナさんも後ろから付いてきて最後は二人並んで海に向いて立っていた。
「では、これを……」
差し出された彼女の掌にドッグタグを乗せる。
「ああ、これは兄さんの……」
その場でしゃがみ込み泣き崩れるレナさん。彼女が泣き止むまで黙って隣に立ち尽くす事しか出来ない。
5分位だろうか、地平線に太陽が半分位隠れた頃に漸く彼女は立ち上がった。
「少しだけ話を聞かせて下さい……」
そう言われたので黙ってベンチを指差す。先に彼女を座らせて近くの自動販売機で飲み物を二人分購入、一本を彼女に手渡す。
黙って受け取る彼女を見てから漸く隣に座る。選んだ飲み物はジョージアのエメマンだ。
「何が知りたいのですか?」
クロードさんの死の原因か事件の内容か……教えられる範囲は全て教えるつもりだ。
「兄さんは、本当に死んだのでしょうか?」
ドッグタグだけで死んだとは信じられないのだろう。
「餓鬼に食い散らかされた痕跡の有る場所に、それは落ちていました。あくまでも痕跡だけでしたから決定的な証拠は有りません。
それは……大量の餓鬼が潜む洞窟の中に落ちてました。
洞窟は単調な一本道の狭い物でしたから見落としは無いでしょう。クロードさんは見付けられませんでした」
「その洞窟を教えて下さい。せめて私の手で探したいのです、兄さんの……」
悲痛な声に耳を塞ぎたくなる気持ちを押さえる為に珈琲を一口、妙に苦いな。
「洞窟はコンクリートを流し込んで完全に埋めました。洞窟に潜んでいた餓鬼は伊集院一族が全て倒しました。
その後で亀宮一族が洞窟を埋めたのです。30人近い人数で奥まで行きました、僕も最奥まで行きました。クロードさんは居ませんでしたよ」
言い終わった後で残りの珈琲を飲み干す、やはり妙に苦い……
「そうですか。既に兄さんの仇は伊集院さん達が討ってくれたのですね。そして、その場所はコンクリートの中……」
最後の場所にも行けず仇討ちは終わっている。気持ちをぶつける場所が無いのだろう。復讐したくても既に解決済みだからな。
「伊集院さん達にお礼を言いたいのですが……」
「一般人の貴女が会える連中じゃないです。伊集院一族は日本の霊能力関係の御三家の一角。四国と九州を牛耳る一族です。
残りは西日本の加茂宮、東日本の亀宮ですね。今回伊集院一族は当主自らが出向いて来ました。だから余計に会い辛い」
阿狐ちゃんに説明しておかないと駄目かも。遺族のパワーって凄いから、直接お礼に行かれて話の食い違いに気付かれたら大変だ。
「そうですか……そんな人達が出向かなければ解決出来ない事件だったんですね。
榎本さん、本当に有り難う御座いました。何かお礼をしたいのですが……」
「お礼は要りません。一刻も早くレナさんが元気になってくれれば、それが一番のお礼です。さぁ家まで送りますよ」
臭い、臭過ぎる!
そして凄く恥ずかしい。恥ずかしいので先に立ち上がり海釣り公園の出口へと歩きだす。
「榎本さん……少しで良いので胸を貸して下さい」
そう言ってレナさんが抱き付いてきた、そして泣き出した。レナさん、ソコは胸じゃなくて背中ですよ。
しかも大振りのナイフを仕込んでますから固くないですか?端から見れば立ち去る男に縋って泣く女の図式だな……
暫く泣いたらスッキリしたのか、少しだけ微笑んでくれたレナさんを自宅まて送り届けて、今回の事件が全て終わったと感じた。
レナさんが立ち直ってくれるのを願うが、クロードさんの魂を喰った張本人が彼女を支える事は叶わないだろう。
もう会う事は無いと思うが、彼女の未来が明るい事を祈ろう。
◇◇◇◇◇◇
「御手洗よ、名古屋の夜を堪能しようぜ!亀宮さんにもOK貰ったからさ」
筋肉同盟の連中の慰労を兼ねて夜の繁華街に繰り出す提案をした。
そしてレナさんの件で少しナーバスになったので、男同士でワイワイと飲みたくなったんだ。
何故か亀宮さんも快く了承してくれた、実際に亀ちゃんの防御を抜ける奴なんて少ないから大丈夫だと思う。
「む、だが亀宮様の警護をだな……」
「亀宮様がOKなら良いじゃないですか!」
「そうですよ、素直になりましょう!」
「偶には羽根を伸ばしましょうって!」
「久し振りに飲みましょう!」
配下全員に言われて渋々と言った感じで頷く御手洗を全員で連行する。
◇◇◇◇◇◇
一応だが途中コンビニに寄りATMでお金を多めに引き出す。親父さん系列以外の店に行くのは不義理だが、行くと奢りの可能性が高い。
貸し借りは嫌だが、今回の仕事で親父さんには相当の利益が転がり込む筈だから大丈夫と思う。
亀宮さん達と夕飯を食べてから別れて、五月(さつき)さんの店に到着。
既に何人かお客さんは居たが、直ぐに店を閉店にして貸し切りにしてしまった。
ソファーに座る御手洗達には二人ずつ女性が着いたので、僕は一人でカウンターに座る。
男同士でワイワイ飲みたかったが、夕食を済ませて来たから居酒屋には行けなかったんだ。
折角綺麗なキャバ嬢が両隣に座ってくれたなら、彼女達と盛り上がれば良いだろう。
五月さんが当然の様に相手をしてくれるが、親父さんのコレ(愛人)だから注意が必要だ。
「水割り濃い目で、銘柄はお任せします」
「あら、榎本さんはビールじゃないんですか?」
少し驚いた様に五月さんが僕を見る。
「今夜は少し飲みたい気分なんですよ」
出された水割りを一気飲みして、お代わりを貰う。
「まぁ?ペースが速いですわ。はい、お摘みです」
カウンターに生ハムやらフルーツやらが山盛りのお皿が……生ハムを纏めて口に入れて水割りで流し込む。ヤバいね、大分精神的に参ってるのかな?
「榎本さん、良くないお酒の飲み方ですわ。何か有りましたの?」
心配そうにグラスに手を置いて押さえながら言われた、濡れた瞳で見詰めながら……流石は親父さんの愛人だけあり接客&男心を掴むテクニックが凄いです。
一瞬だけどクラクラってキたよ!
「弔いかな。人の生き死にに関わる仕事だからね、やり切れない事も多いんだ。五月さん、悪いけど僕は先に帰るよ。此処は少し賑やかだ……」
甲高い女性の声を聞くと落ち着かない、心がざわめくんだ。御手洗達には悪いが、独りになりたかったのかな……
「榎本さんが弱気になるなんて珍しいですわね。今、タクシーを呼びますわ。あの方達の事はお任せ下さい、存分に楽しんで貰いますから」
嫌な顔せずに対応してくれるのが嬉しい。その後はタクシーが来るまで五月さんが相手をしてくれたが、特に会話は無かった。
ただ水割りを用意してくれるだけ、そっとしてくれたのが嬉しい。
「榎本さん、タクシーが来ましたわ」
「有り難う、これで支払いを頼みます。御手洗達には存分に飲ませてやって下さい」
ATMからおろした30万円を封筒ごとカウンターに置いて店を出た。五月さんが何やら断っていたが気持ちの問題だから……
店の外は妙に肌寒かった。
200話達成リクエスト(滝沢さん編)
タクシーに乗り込み、さて行き先をどうするかを悩んだ。
「運転手さん、市内の……」
もう外で飲む気分では無くなったのでマンションで家飲みする事にする。御手洗達が外で飲んでるから男部屋は誰も居ない。
買い置きの酒は全く無いから途中でコンビニに寄ってもらいビールのロング缶を六本ほど購入した、ツマミは要らない酒だけで良い。
マンションに到着し精算して時計を見れば未だ21時19分、領収書を貰ってしまうのは個人経営者の癖だろう。
税務署と戦う武器の一つは領収書だ!
必要経費と認められれば納税額が変わるから、取り敢えず何でも領収書は貰う癖が付いてしまった。
部屋に戻る為にエレベーターに乗り込み三階で降りると、何故か廊下に滝沢さんが立ったいた。
薄暗い廊下に直立不動で居られると不気味だが、本人には言わない。
「ただいま……って廊下に居るのは何か用事かい?」
普段の黒の上下スーツじゃなくて白のワイシャツにベージュスラックスと初めて見る私服?
背中にトンファーを隠しているから護衛なんだろう。普段は夜に部屋に打合せに行っても黒の上下スーツだから新鮮だ。
「ん、ああ警備だ。幾ら亀様が居るとは言え、護衛の仕事を疎かには出来ないからな。
榎本さんが早く帰って来たのは……気付いたのか?」
さぞマンションの住人は三階を敬遠してるだろうな、常に廊下に護衛が居るなんて。まぁ、その辺は亀宮本家が上手くやってるんだろうけど。
「気付く?何を?何となく静かに飲みたかったんだ。いや、最初は男同士でワイワイ飲みたかったんだけどさ……まぁ色々有ってね、先に帰って来ちゃったよ」
コンビニ袋を胸の高さまで上げてビールを見せる。メンタルな部分が思ったより酷いダメージを受けてるのかも知れないな。
廊下で立ち話も何なんだが、女性に夜間警備を任せっぱなしも嫌だよね。
何となく廊下の手摺りの上に組んだ腕を乗せて夜の街を眺めると、未だ殆どの家から灯りが零れている。
「今回は仲間に犠牲者は出なかったのに、何を気に病んでるのだ?
殆ど理想的な仕事の進め具合と終わり方だろ、一族の他の連中と仕事した時より断然今回の方が良いぞ。榎本さんは、それだけ有能なんだな」
そう言って微笑んでくれた彼女は純粋に褒めてくれたのだろう。隣に並んで同じ様に街を見てくれる滝沢さんに缶ビールを一本渡し自分の分を開けて飲む。
「だから私は護衛中なんだが……」
500mlを一気飲みして空缶をクシャクシャに握り潰す……胡蝶と交じり合い霊力を肉体強化に使える様になった為に、ピンポンボールよりも小さく丸められる。
「うん、僕等は誰も傷付いていない……確かに難易度の高い仕事を僅か一週間程度で終わらせられた。
報酬も高額だし信頼出来る仲間も得られた。順調だ、何も問題は無い……」
二本目の缶ビールを取出し半分ほど一気に飲む。喉が焼け付ける様な炭酸の刺激が普段よりも嬉しく感じない。
「順調なのに悩んでいるのは?榎本さんの気に病む原因は何なんだ?」
「それが分からない。いや、本当は分かってるんだ。人の死の責任の重さ、すり減る良心、普通で無くなる自分自身。
理性では納得しているのに感情が、いや心かな?納得出来ないんだよ、だからモヤモヤが治まらない」
残り半分のビールを飲み干し空缶を同じ様にクシャクシャに丸めて手摺りの上に置く、二個目だ。
「人の死の重さとは、今回の犠牲者の事ですか?流石は僧侶、今は在家僧侶でしたか。
立派な志ですが、全て自身の所為だと考えるのは良くない事です。人間は万能じゃない。
我々からすれば亀宮様も榎本さんも万能に近い力を持ってるけど……力を持つ者の苦悩かもしれないけど……
それは傲慢な考え方です。いえ、すみません説教みたいに……」
傲慢、傲慢な考え方か……端から見れば僕の悩みは傲慢か……だが本当は人間を殺して胡蝶に魂を喰わせても痛む心が無い事が痛いんだ。
加茂宮の三人、桜井さん、クロードさんに名も知らぬ餓鬼化した連中の魂を無に還しても痛む良心が無い。
「傲慢か……確かにそうだね、人は身の丈に合った事をしないと駄目だね。有り難う、少し気が晴れたよ」
彼女の労りが少し嬉しくて真実を言えない事が、もっと苦しくて……
「嘘だな、すまない。余計に辛くしてしまったみたいだ。私って奴は、本当に脳筋だから人の心の機微が分からないんだ」
彼女に辛そうな顔をさせた事を更に辛く感じる。
御手洗達と同じ様に霊力も無く女で有る事で、彼女は亀宮一族の中でどんなに辛く不利だったのだろうか?
どんなに弱い立場だったのだろうか?筋肉ムキムキなオッサンばかりの職場は辛く厳しいだろうに……
「いや、滝沢さんは心の機微に鋭いよ。確かに僕は、僕にはね……他人に言えない心の闇が有るんだ。
それの折り合いを付ける為に酒の力を借りている。君が思う程、僕は万能じゃない」
そう言って三本目の缶ビールを取り出す。
「飲み過ぎだぞ。でも少しだけ嬉しくも有るな。榎本さんみたいな何でも出来る人が弱みを見せてくれるのは……
何だろうか、少しだけ優越感?いや違うな、信頼されてるって感じるのかな?」
今気付いたが彼女はサングラスをしていない。横目で此方を見て微笑んでくれる目元の泣き黒子が凄く彼女を魅力的に見せてくれる。
僕がロリコンじゃなければ惚れたかも知れない。前にも感じたが、嫁にするなら滝沢さんみたいな娘が良いのだろう。
夫の悩みを軽くしてくれる妻は理想的だからね。もう滝沢さんを残念美人とは言えないな。
何だろうか、急に心のモヤモヤが晴れた気がする。人の枠から逸脱した僕を受け入れてくれる人が居るのが嬉しいんだ。
何だ、良心の呵責とかじゃ全然無かったんだな。
僕は何処までも自己中心的な悪人なんだろうか?
「くっくっく、そうか僕って奴は……滝沢さんに言われて自覚出来るとは、全く救いが無い駄目な男だな。
滝沢さん、ありがとう。今度は本当に心が楽になったよ」
自然と笑いが込み上げてくるが悪くない気分だ、いや寧ろ爽快だね!
「良く分からないが、榎本さん結局自己完結しただろ?それで礼を言われても複雑だな……」
少しだけ拗ねた感じたが、それはそれで見ていて楽しい仕草だ。
「ありがとう、おやすみ」
今夜は良い夢が見られそうだな……
◇◇◇◇◇◇
「ありがとう、おやすみか……榎本さんは自分の中に闇が有ると言った。
それで苦しむのは良心の呵責じゃないのか?割り切られるより余程信用出来るな」
何かを理由に割り切る事も決して悪い事じゃない。仕方ないじゃないか、どうしようもないんだ。
だけど何かを理由に自分の悪業を正当化するのは気に入らない。
「榎本さんは……私達に言えない程の闇を心に抱えている。多分だけど現行法に照らし合わせると罪なんだな。
だから心が病むんだ。
心が病む?亀宮様も病み始めたが、アレはヤンデレ。基本的に依存が進み過ぎて榎本さん以外を必要としなくなっている。
病的な迄の独占欲と言うのだろうか?」
貰った缶ビールは既に温くなってしまったが、プルタブを開けて一口飲む。
「ふむ、梅酒の方が美味いが苦味と喉越しはビールだな。
さて、亀宮一族に属する私としては亀宮様の恋の成就の手伝いをしなければ駄目なんだろうな……榎本さん、私を恨むだろうか?」
女性に対して妙に潔癖な所が有るから、既に恋人が居るのに他の女性とくっ付け様とする連中は嫌いだろうな。
もう一口ビールを飲む。妙に苦い、これも私の心が負い目を感じるからか?我慢してロング缶一本分のビールを飲み干す。
無理して500mlも飲んだ為か急に眠くなって来た。駄目だ、少しだけ休もう。
部屋に入るとソファーに亀宮様が座って何やら携帯電話で話をしている。多分だが御手洗達に付けた諜報からの連絡だろう。
亀宮様は大人の夜遊びを榎本さんがするだろうと心配したので、佐和が手配した連中だ。
「そうですか……榎本さんは直ぐに店を出て帰宅したのですね。
廊下で滝沢さんと少し会話を……ええ大丈夫ですわ、本人が目の前に居ますから聞いてみますわ」
ゴクリと唾液を飲み込む……榎本さん、貴方は心に闇を抱えて病んでいると告白してくれました。
でも目の前に、もっと凄い病みを……ヤンを発病した主が居ます。
貴方の事が異性として良いなって思い始めてましたが、忠誠心(保身)に走らせて頂きます。
さようなら、私の初恋。
こんにちは、私の病んだ主様。
疑う様な視線を送る亀宮様に、何故?と言う様な表情を張り付ける。指先が少しだけ震えるけど鍛えた肉体は無様な仕草を力ずくで押さえ込める。
「はい、榎本さんなら先程戻られました。どうやら亀宮様が放った監視には気付いてなさそうです。
少しだけ話をして探りましたが、単に独りで飲みたくなり帰って来たそうです」
淡々とした口調で報告するのが正解だ、感情を面にだしては駄目。
「独りでですか?男同士でワイワイ飲みたかったと言ってましたよ。まさか御手洗が悪さを?」
駄目だ、このヤンデレ様は榎本さんが全て正しくなっている。依存性って怖い、しかも全てを頼り切るだけしか出来ない訳じゃない同等の力の有る亀宮様がこの有様だ。
今の亀宮様なら一族の全てを敵に回しても榎本さんを取るだろう。
「多分ですが、榎本さんは疲れ切ってます。心の休まりを求めて男だけの馬鹿騒ぎをしたかったのですが、やはり独りでゆっくり考えたかったそうです。
少しだけ廊下で話しましたが、早いピッチでビールを飲んでましたから。今夜は独りにさせて休ませて、明日の朝にでも亀宮様が優しく接してあげるのが宜しいかと」
亀宮様は私の提案を少しだけ考えた後、微笑みながら頷いた。どうやら私の秘めた思いは誤魔化せたようだ。
全く初恋が実らず裏切り行為まで働いてしまうとは私も最低だな。
だが今の状態の榎本さんの所に病んでる亀宮様を突撃させるのは、双方にとって良くない。
最悪は榎本さんが亀宮様を煩わしく思ってしまうかも知れない。だから防げただけでも良かったと思いたい。
「榎本さん、せめて今夜だけはゆっくりと休んで下さい……」
◇◇◇◇◇◇
滝沢さんと別れて誰も居ない男部屋に入る。人の温もりが無い冷たい部屋だ。
「お帰り、正明。何にする?飯か?酒か?風呂か?それとも我にするか?」
巫女服バージョンの胡蝶が、玄関で三つ指ついて危険な台詞を言ってくれた。だが折角ボケてくれたから応えねばなるまい。
「じゃお酒で!」
立ち上がる胡蝶を右手で抱き上げて応接間に運びソファーに座る。電気は点けず彼女を膝の上に乗せてビールを開ける。
胡蝶も飲みたそうだったから彼女にも渡す、残りは一本だ。
「ん、ビールは余り好きではないが仕方ないな。それで、気持ちの整理はついたのか?」
気持ちの整理か……
「ああ、ついたよ。こんな化け物みたいな僕を信じている人が居る。それだけで、それだけで僕は救われる。
なぁ、胡蝶?
僕等はどれ位混じり合ってるんだ?既に筋肉強化は五割り増しだぞ、右握力が80㎏から120㎏に増えてる。
掠り傷なら直ぐに治る。視力も両目共に裸眼で3.0だ。筋肉達磨が100mを10秒切れる早さで走れる。もう普通じゃないよな」
既にオリンピック強化選手並みの運動能力だ。伊集院一族とは違い人間の肉体的スペックは上回れないが、僕を人間の枠に納めるのは無理だ!
「それだけじゃないぞ!精力も強化した、持久力も回復力も大きさも量もだ。
既に正明は我と魂のレベルで混じり合っている。もう八割以上だな」
そんな種馬みたいな強化は嬉しいが嬉しくない。余りに大きいのは女性には不評だし、持久力は遅漏と読み替えられる。
「確かに男の浪漫だが、女性から見ればマイナス評価だろ?」
「む、そうなのか?すまん、良かれと思ったのだが元に戻しておくから安心しろ」
本当に頼みますよ、胡蝶さん!まぁ馬鹿話で笑える位に精神が安定したけどね。