クリスマス記念作品
A面
一神(キリスト)教の聖誕祭。
日本人であり仏教徒である僕等には本来の祭りに参加する権利は無いのだが、日本人の殆ど全てが何かしらの関連行事に参加している。
本来の儀式とは全くの別物だが、チキンを食べケーキを食べシャンパンを飲みプレゼントを渡す。
街はクリスマス一色で関連セール品も買うだろう。クリスマス特別番組を見たりもするだろう。
「不思議だよな?日本人って何故、仏陀様が生まれた祭りは独自にイベントを作らないのにイエス様の生まれた祭りは色んなアレンジをするんだ?」
「さぁ?でもクリスマスプレゼントを買う前に言う台詞では無いわね。
今年は色々な女性と知り合ったから大変でしょ?結衣ちゃん・桜岡さん・亀宮さん・小笠原母娘・晶ちゃん、もしかしてメリッサ様もかしら?」
指折り数えている悪友を見て思う。ここは八王子某所にある「マダム道子の店」だ。
風水の有名な導師らしいが、同業者嫌いでも有名。
自分の店に同業者が来ない様に陣を敷いている程なんだが、僕には効かないらしい。
同業者嫌いで店を開くと言う事は、客層は一般人を対象にしている。
それにクリスマスシーズンであり、各種宝石を扱うとなれば店内は一般人のカップルばかりだ。
「君のもだろ?マダム道子の店に連れてけって、この時期にしかも宝飾品を買いに一緒に行く訳だし……」
このシチュエーションで女性に財布を開かせるのは辛い。
「あら?榎本さんだって、マダム道子に全員分のブレスレットを注文してたじゃない?
私は加工品でなく原石で良いのだから、本命のよりリーズナブルじゃない」
隣で水晶を選んでいた女子高生が「なに、愛人?」とか呟いて離れていった……いや、山のように水晶とか琥珀とか持ってるよね?
それ僕に買わせた後に、更に胡蝶が霊力を注ぎ込むんだよね?手間は君のが一番掛かるんだけど。
「それ位にしてくれ。明日、メリッサ様にクリスマス会の招待状を貰ってるんだよな。
在家僧侶の僕に神の家への招待状をさ。一緒に行ってくれないかな?」
これ以上、商品棚を漁らない内に手に持つ宝石達を奪う。全部で10万円は越えないが、普通は本命に贈るプレゼント予算だぞ。
「ふーん、私を誘うんだ?」
真面目な顔で僕を見上げてくる。何か企んでいると思ってるのかな?
「亀宮さんとメリッサ様って仲悪いだろ。小笠原母娘や結衣ちゃんは面識ないし、そもそも明日は平日だから学校だ」
レジ待ちの列に並ぶ。高野さんの分で約10万円、予約注文したブレスレットが各15万円。六人分だから90万円か……
「桜岡さんは?」
「彼女は実家に帰ってるんだ。明後日の休みに戻るよ」
懐のダメージ量を計算していたら他のメンバーの予定を確認してきたが、これは教会に行くのが嫌なのかな?
「ふーん、本命は24日に会って私は22日なんだ?良いけど、コレも買ってよ」
並んでいるのは店内、当然陳列棚にそってだ。彼女は目の前に置いてあったトルコ石のイヤリングを指差した。お値段は5万円か……
「はいはい、買ってあげるから明後日は付き合って貰うぞ」
「やった!榎本さん、太っ腹!でも今月だけで2000万円位稼いでるものね」
何故、僕の今月の出来高を知ってるんだ?経費や外注費も有るから、僕の給料と会社の純利益は合わせても200万円もないんだけどね。
周りもちょっとざわついたけど、僕が高額所得者だと変かな?
「あんな筋肉の塊がお金持ちなの?」とか「畜生、まっとうな商売じゃねえな」とか囁かれてます。
順番が来たので、マダム道子に話し掛ける。
「これと、注文の品を下さい。全て別々にプレゼント包装で、お願いします。ああ、領収書は品代で……」
毎回派手なヒラヒラ衣裳を来ているが、店に並んでいる商品は上物ばかりだ。
「あらあら、クリスマスプレゼントに同じ物ばかりなんて深読みするわよ」
高野さんの選んだ品をレジ打ちしながら、不思議な事を言われた。差を付けない事にしたのだが、不味いのか?
「何故です?」
「複数の女の子に違う品を贈ると、後で分からなくなるじゃない。
水商売の女の子達も複数のお客さんに同じ物を強請(ねだ)ってね、一つを残して売るらしいわ。
それの逆バージョン?合計で110万5千円よ」
電卓で計算し金額を此方に見せてくれる。
「じゃ現金で払います」
カウンターに銀行から下ろしてきた帯封付きの100万円とバラで11枚の1万円札を並べる。
周りのカップルがドン引きと言うか、悪目立ちし過ぎだろうか?先程は男からの囁きだったが、今回は女性からだ。
「あれ位の甲斐性が欲しいわ」とか「貴方ももっと頑張ってよね」とか叱咤激励?の声が聞こえます。
「はい、領収書とお釣りの5000円。此方が品物になります」
綺麗にラッピングされたプレゼントの中から、高野さん用の物を取り出す。
「はい、メリークリスマス」
「有り難う。お礼に明後日はトコトン付き合ってあげるわ」
珍しく邪気の無い綺麗な笑顔に、不覚にもドキリとしてしまった。
◇◇◇◇◇◇
「榎本さん、私にコレを着させるの!確かにトコトン付き合ってあげるって言ったけど、こんなの恥ずかしい……」
流石は教会主催のパーティーだけ有り、ドレスコードが有ったのだ。
なので彼女には僕の渡した衣裳を着てもらった。中々似合うのだが、腕を後ろに組んで真っ赤になっている。
鼻も赤い……
「良く似合ってるよ。じゃパーティー会場に行こうか?」
彼女の手を取る。
「えっ?はっ、恥ずかしいじゃない」
黙って扉を開けて、パーティー会場に突撃する!
「メリークリスマース!良い子にしてたかな?サンタとトナカイお姉さんが遊びに来たぞー!」
そう、メリッサ様の招待状は教会に併設された幼稚園のチャリティーパーティーでのサンタとトナカイ役だ。
「良い子にクリスマスプレゼントだぞー!ほーら、一人一つだぞー」
トナカイお姉さんの持っている袋から、結衣ちゃん謹製のクッキーを園児達に渡していく。
セクシートナカイとムキムキサンタに子供達は大興奮だ。特に高い高いは好評で順番待ちで園児達の長い列が出来た。
「たまには良いだろ?慈善事業もさ」
「裏に生きる私達が慈善事業?確かに悪くはないわ。でも、この衣裳を選んだの榎本さん?
スカート短いし体のライン分かるし、園児の父親からはイヤらしい目で見られるし……榎本さんのエッチ!」
全身茶色のスエットスーツにジャケットとミニスカート、角を模した頭飾り。
それにロングブーツと少々セクシー過ぎる衣裳だが、良く似合っている。
「僕が選んだ訳じゃないぞ。文句はメリッサ様に言ってくれ」
そんなメリッサ様達は普通の修道女服を着て、園児達と遊んでいる。トナカイ高野お姉さんも、ぎこちなく園児達と接している。
普段、彼女は裏の世界で動いているので、たまには明るい表の世界を味あわせてあげたかったんだ。
「慣れてきたみたいたね。高野お姉さん?」
「はいはい、この埋め合わせは高いわよ?」
そう言う彼女の笑顔は、何時もの腹黒さが微塵も無い純粋で綺麗な笑みだった。
◇◇◇◇◇◇
B面
毎年恒例の榎本家クリスマスパーティー。去年までは結衣ちゃんと二人切りのイベントだったが、今年は違う。
「榎本さん、お招き有り難う御座います」
「その、良くにあってますよ。その衣裳……」
日本霊能界の御三家の一角、亀宮一族の当主で有る亀宮さん&亀ちゃん。
亀宮さんは何故かセクシーサンタの格好だ。
ドンキとかで売っている安物のコスプレ服じゃない高級品であり、胸を強調したりスカートが短いがギリギリ下品じゃないレベルに仕立てた逸品だ。
「榎本さん、お招き嬉しいですわ」
「榎本さん、有り難う」
此方はクリスマスパーティーなのに母娘で着物を来ている。彼女達は、ここぞと言う時は必ず着物を着てくる。
和服美人母娘は町内で最近話題になっている。
「今日は楽しんで下さいね。それと料理を手伝ってくれて有り難う御座いました」
魅鈴さんが料理を手伝ってくれたお陰で、結衣ちゃんが楽だったそうだ。
「榎本さん、僕も呼んで貰って良かったのかな?何か霊能力者の集まりみたいな……」
晶ちゃんが場違いなパーティーに参加した様な感じで、そわそわしている晶ちゃん。
「気にしなくて平気だよ。身内の集まりだからさ」
彼女はスーツを着込んでいるので、ベル薔薇の男装の麗人みたいだ。
黒い上下スーツに胸元を開いたYシャツ、誰のコーディネートなのかな?
もし自分で選んでいるなら、桜岡さんか亀宮さんに見立てて貰った方が良い。
あの二人はお嬢様だけあり、センスが良いからね。
「正明さん、準備が出来ました」
「榎本さん、初めましょう」
朝から料理や会場の準備を手伝ってくれた、結衣ちゃんと桜岡さん。最近は姉妹みたいになって来ている。
此方も最近だが美人姉妹としてご近所様から大人気だ。今日もお揃いの衣裳を来ているし……
真っ白なワンピースに胸元の赤と緑のコサージュがクリスマスっぽさを控え目にアピールしている。
桜岡さんのシンプルなワンピースはメリハリの取れたスタイルを強調。
逆に結衣ちゃんの方はリボンやフリルをあしらい可愛らしさを強調している。
嗚呼、結衣ちゃんをお持ち帰りしたいな……全員にグラスが行き渡った所で乾杯だ。
「「「「メリークリスマス!」」」」
◇◇◇◇◇◇
裏面
お腹一杯に飲んで食べて騒いだ。亀宮さんと小笠原母娘は帰ったが、桜岡さんと晶ちゃんはウチに泊まって貰った。
桜岡さんは自分の部屋へ、晶ちゃんは結衣ちゃんの部屋で寝ている。時刻は既に0時を回った……
「胡蝶が飲みたいなんて初めてだな。飲み食い出来るのは知ってたけど、日本酒が飲みたいから付き合えとか驚いたよ」
彼女は珍しく現代風のワンピースを着て布団に胡坐をかいて座っている。胡蝶な持つ薩摩切子のぐい呑みに「浦霞」を注ぐ。
「ん、そうだな……騒がしい宴に昔の事を思い出してな。
我が未だ榎本一族と契約を結んだ頃、初代の手伝いをさせられていた。子守りや家事もだ……」
昔を懐かしむ様に目を閉じて、彼女の過去を話してくれた。
「初代?700年前の僕の御先祖様の事だろ?子守りや家事なんて、奥さんみたいだな」
一気に杯を煽る彼女の為に日本酒を注ぐ。
「奥さん?妻の事か?そうだな、公私共に世話をさせられたな。
正明、お前はアレには似ても似つかぬが我との相性は勝るとも劣らぬぞ。
お前の代で榎本一族は繁栄するだろうな。我が手を貸すのだから当然だ」
僕の御先祖様か……興味は有るが、比べられるのが嫌だな。知れば知る程に、力有る術者だった筈だから。
「勿論、出来る範囲で力を貸すさ。元々僕はさ、胡蝶を崇めなきゃならないんだろ?」
ぐい呑みで飲むのが、まどろっこしいのか一升瓶を奪うと、そのままラッパ飲みを始めた。
凄い勢いで一本目が無くなる。
「ほら、飲み過ぎるなよ」
二本目の「天狗舞」を渡す。だが、どう見ても幼女が一升瓶を煽るのは違和感有り捲りだぞ。
「む、分かった。なぁ正明……」
「何だい?摘みでも欲しいのか?」
日本酒のみじゃ辛いかな。
「いや、正明は我を恨んでないのか?」
目線を逸らして日本酒をラッパ飲みする幼女。照れ隠しだろうか?
「正直に言えば、最初は恨んでたぞ。だけど、今僕が生きているのも胡蝶のお陰だからな。
爺さん達の魂も解放して貰ったから……って、胡蝶さん?」
僕が恥ずかしい告白をしてる時に、彼女は眠ってしまった。日本酒を二升も一気飲みするからだよ。
一升瓶を抱き抱えて眠るのは女性としてどうなんだ?彼女を抱いて布団に寝かせる。
確かに恨んでないと言えば嘘になるが……今は相棒と言うか、お世話になりっぱなしのお姉さんと言うか。
多分だが、もう身内と認めてしまっているのだろう。胡蝶の隣に横になり、部屋を暗くする。
しかし酒臭い幼女と添い寝って、どうなんだろうか?
翌朝、起こしに来てくれた結衣ちゃん達に空の一升瓶二本を発見され、割と本気でアルコール中毒疑惑を持たれた。
昨夜は封を開けてないのに、空っぽじゃ驚くわな。
「正明さん、辛い事が有るなら黙ってないで私に話して下さい。小笠原さんですか?小笠原さん達が悩みの種なんですか?」
僕の両手を握り締めてそう言った結衣ちゃんの目は、本気と書いてマジだった。
暫く榎本家では買い置きのお酒が無くなったのは困ったし、夜も帰ると顔に鼻を近付けてクンクン匂いを確認されるのも困った。
目を閉じて顔を近付けてくるから、つい出来心でキスしないようにと鋼の自制心が必要だったが……でも、心配されているのだから嬉しかった。
やはり結衣ちゃんは僕の嫁だな!
リクエスト話(小笠原魅鈴編)前編
「はい、これがお約束の録画したCDです」
「……有り難う御座います」
「おほほほほ、コピーは有りませんから大丈夫ですわ」
宮城県某所に有る小笠原さんの実家兼仕事場。皆に内緒でワザワザ魅鈴さんに会いに来たのは、高野さんのアリバイ作りの為にわんこ蕎麦大食い大会に出場、そして優勝。
その様子をローカル局が放送したのを見られたからだ。アリバイを高める為に第三者にも見せる事が仇(あだ)になった。
前回彼女を寝かせたソファーに座り、魅鈴さんと対峙している。
問題は彼女が僕に何をさせたいかだ……喉が渇いたのでコーラを飲む。
お茶じゃなくコーラを用意してくれのは嬉しい。心地好い炭酸の刺激が喉を潤す。
ニコニコと此方の様子を伺う彼女が怖い。
「ところで榎本さん?」
「はい、何でしょう?」
沈黙に耐えられなかったのか、最初に口を開いたのは彼女だ。
「何時から、あの女性とお付き合いを?私、榎本さんは桜岡さんとお付き合いしてると思ってましたわ」
直球でキター!
キッチリと着物を着込み両手で湯呑みを持ちながら、さり気なく聞いてきた。だが、この質問は想定内だ!
どこまで正直に言えるかが問題なだけで。
「守秘義務が有るので詳細は話せませんが、アレは見た通りの関係じゃないのです。勿論、相手に確認を取って貰っても構いません」
当然、馬鹿正直に言えば高野さんに迷惑が掛かる。だが、辻褄の合わない嘘は男女間では悪手でしかない。
女性は勘で嘘を見抜くし感情論になったら負けだ。阿狐ちゃんの言った「女性は理不尽な生き物」は至言だ。
「あら?桜岡さんとのお付き合いは否定しないのね」
否定したくても出来ない状況だ、今否定したら亀宮さんとの関係を突っ込まれかねん。
「……ええ、良き関係(フードファイター)として、お付き合いしてます」
照れや吃(ども)り、まごつきは嘘と見抜かれる。恥ずかしがらずにズバッと言うのが嘘を吐く時のコツらしい。
また無言……暫く無言で向かい合う。
交渉時は自分からの発言は最小限とし、相手に話させるのがコツだ。
話の主導権を握られる場合も有るが、先ずは相手が何を考えて求めているかを聞き出さねば駄目だ。
「何も言っては下さらないのね。酷い人……」
「何かお悩みですか?最初の連絡の時にも言いましたが、出来る事ならば協力しますよ」
弱みを見せずに此方から協力すると言われれば、恩にも感じるし無理も言い辛いだろう。長い前置きを終えて、漸く本題に入れる。
◇◇◇◇◇◇
「離婚調停が済んだのに、元旦那が現れて復縁を迫ってきた……ですか?」
黙って頷く彼女を見て思うが、別に難しくも何ともない話だぞ。それこそ法に基づいて行動すれば、何の問題も無い。
「僕に相談する程の内容ではないですよね?離婚は成立してますから、魅鈴さんが毅然とした態度で接するだけでOKですよ。
勿論、同席して恫喝するのは吝かでは有りませんが……」
こんな外見だから、一緒に居るだけでも相手は引くだろう。湯呑みを手で弄ぶ彼女を見れば、何かしらの問題が有るのは分かる。
「その……実は、榎本さんと再婚すると言ってしまいまして……静願の為には両親が必要だって言われて。
既に私のお付合いしている方に懐いているから問題無いので、もう関わらないで欲しいって……
その、私達に男性の知り合いは、榎本さん以外には居なくて……」
真っ赤になり湯呑みを弄る彼女は可愛い。年上女性の魅力に溢れる彼女が、子供っぽい仕草をすればギャップ萌えだ。だがしかし、僕はロリコンだから魅力は半減。
「うーん、別に嘘でも構わないでしょ?証拠を見せる必要も義務も無いですし。
育児放棄した本人が、何を言うのかと一喝して終わりですよ。僕が交際相手として元旦那と会わなくても大丈夫じゃないですか?」
そう、彼女の悩みは大した問題ではない。だから別に問題が有る筈だ、僕を引っ張りだす理由が……
「ごめんなさい……実は大婆様(おおばあさま)に後添えを早く探せと言われて、放っておいたら再婚させられそうになって。
もう将来を約束した人が居る……」
「分かりました!そのお祖母様(おばあさま)に無理強いすんな、ゴラァ!
って平和的に納得させれば良いのですね。任せて下さい、交渉は得意なんですよ」
下手に婚約者とか彼氏とか再婚相手とかで紹介されたら、話が拗れる。
そのお祖母様とやらも、もしかしたら元旦那の件で早く身を固めろと善意で言っているだけかもしれない。
この後、そんな甘い考えは捨てるべきだと、僕も未だ甘いと実感させられた……
◇◇◇◇◇◇
「デカい、そして霊気か半端ないな……魅鈴さんの実家は神道系だったんですね」
車と徒歩で辿り着く事二時間、人里離れた山間部に連れてこられた。見上げる社は優に10m以上は有る。
苔蒸しているが、時代を感じさせる建物だ。
「はい、でも祖母が駆け落ちしてからは疎遠で……小笠原家は祖父の家を継いだのです」
これだけの力有る霊媒師だからな。旧家の流れは覚悟していたが、まさか由緒正しそうな一族の傍系だったとは驚きだ。
アレ?そう言えば先程は再婚をごり押しするのは、お祖母様って言ったな。
でも小笠原家は祖母の代で駆け落ちした筈だ……お祖母様も祖母も同じ意味だよね?
『正明、ボケっとするな!囲まれているぞ!気を付けろ、かなりの術者だ』
僕には何処に居るのか全く分からないのだが、囲まれているらしい。
「隠れてないで出て来てくれませんか?僕等に敵意は無いです」
胡蝶が教えてくれた方向、道の脇の藪に向かって声を掛ける。ハズレてたら恥ずかしいぞ。
「ほぅ、我々を見付けるとは中々だな。魅鈴、お前の後添えは大した者だな」
「本当に逞しい漢だな。結構な事だで」
全く存在が分からなかったのだが、山伏みたいな爺さん連中が五人、藪から飛び出してきた。
そして無遠慮に見定める様な視線を向けてくる。全員が60代だろうが引き締まった身体をしている。
筋肉ムキムキではないが引き締まった細マッチョ爺さんズだ。
「お祖母様に会いたいんですが、案内して貰えますか?」
魅鈴さんは場所を知ってそうたが、一応彼等に断りを入れる。
「大婆様に会いたいか?」
「ええ、話し合いをしに来ましたので……」
今回は魅鈴さんに会いに来たので、基本的に丸腰だ。せめて警棒の一本位は持っていたかったな。
だから爺さんズには下手に出るしかない。
「よいよい、どのみち案内する様にいわれちょる」
「ほら、こっちじゃよ」
取り囲んだりせずに先に歩き出す爺さんズの後を警戒しながら着いて行く。
『胡蝶さん、怪しくないかな?罠とか平気かな?』
『うむ、特に何かしらの術や結界は無いな……』
彼女が感知出来ない事は無いから、本当に罠は無いのだろう。不整地な道を歩くには着物姿の魅鈴さんは不向きだ。
仕方なく右手に座らせる様にして持ち上げた。
「歩き辛いだろ?」
魅鈴さんは50㎏は越えてないから大丈夫。オンブやダッコは誤解を招きかねないから頑張るしかないか……
「あの……重くないでしょうか?私……その……」
「大丈夫、余裕綽々ですよ」
本来なら利き腕を疲労させるのは下策だが、僕の本命は左腕だから良い。筋肉疲労が軽視できない位に歩いた頃、漸く古民家が見えた。
「下ろしますよ」
ゆっくりと屈んで魅鈴さんを地面に立たせる。途中から首に抱き付いていたので、大変な苦痛でした!
「ほいほい、こっちじゃよ」
正面玄関でなく庭?の方に案内されたが、付いていけば東屋風な建物が有り既に一人のご老体が座っている。アレがお祖母様かな?
「おうおう、立派な漢よの。ほれ、座りなされ」
向かい側の椅子を勧められた。良く見るとお祖母様って割りには皺が深く刻まれ肌もカサカサ、頭髪は真っ白で目も白内障みたいに濁っている。
お祖母様って言うよりは……
「大婆様、ご無沙汰しております」
「ん?おおばあさま?」
何か発音が違っていた様な……
「はい、大きな婆様で大婆様(おおばあさま)です」
勘違いしてた、婆さんの代で駆け落ちだから変だと思っていたんだ。
「ほっほっほ、魅鈴と一緒に会いに来たと言うと……」
「大婆様!魅鈴が知らない男を連れて来たって本当か?」
なんか小走りで中年が近付いて来るが、厄介事に違いない。何故なら敵意が剥き出しだから……
「はっ?この脳筋が、まさか再婚相手とか言わないよな?魅鈴と静願は、一族繁栄の為に俺様の嫁と愛人になるのが決まりなんだぞ」
一方的な言い種にムカッときたが、コイツの話は変だ。何故、今更なんだ?
一族繁栄なら、何故魅鈴さんが最初に結婚する事を止めなかった?何故、元旦那が家出した後も放置した?
「何故、今更なんですか?彼女達が一番困っている時は放置で、離婚調停が成立してから手を出すのは納得出来ないな」
一瞬だがムッとしやがった。自分で都合が良過ぎるとは思ってるのか?マジマジと観察すれば、中肉中背で気の強そうな中年だな。
『霊力は正明の五割り増しは有るぞ。そこそこの霊能力者だな』
『その分、筋肉は半分以下だろ!でも正面から挑んだら勝てないかな?』
『うむ、アヤツの周りには畜生霊が渦巻いておる。多数の畜生霊を操るならば、左手一本の防御では心許ないか……我が出た方が良いな』
『いや、極力僕の中に居てくれ。胡蝶が出張ると問題が大きくなると思う』
左手で触れた畜生霊しか消せないとなると、何ヶ所かは噛まれる事は確実。だが、それでも胡蝶の事は隠した方が良いな。
「それは、俺の女房が死んだからだ!残念だが、子は成せなかった。血は濃い方が良い。
だが、一族の女性は小笠原母娘だけだ。混じり物だが、他の女よりはマシだろ?」
胡蝶さんとの脳内会話に夢中で無視してたが、理由がムカつくな。混じり物だと?他の女よりマシだと?
「種が無きゃ駄目でしょう。悪いが、そんな理由で彼女等を欲しいと言うならお断りですね」
「違う!畑が悪かっただけで、俺は悪くない!」
この男と話しても無理だな。多分だが直系男子は奴しか居ないのだろう。だから増長するし周りも受け入れてしまうのか?
「大婆様でしたか?その様な理由で魅鈴さんの再婚を勧めるのは感心しませんね。
彼女達の大変な時には手を差し伸べず、自分達が大変になったら協力を強要するとは呆れてモノが言えませんね。
今後は彼女達に関わらないで下さい。魅鈴さん、帰ろうか」
まともに取り合う必要も無い連中だ。早く帰って魅鈴さんにはキツく言わないと駄目だな。
彼女は意外と流されやすいし、優し過ぎるから騙されやすい。だから元旦那ともズルズルと別れられなかった。
今回も一族の為とか言われて断り辛く、僕を頼ったんだな。僕もこのオッサンに二人を渡すつもりは無いから、丁度良い!
「ふざけるな!俺を誰だと思ってるんだ!東の雄、亀宮一族の山名家からも声が掛かっているんだぞ。
お前、一応霊能力者だろ?亀宮一族に逆らうのか?」
あーうん、アレか。亀宮さんの所の山名の連中かよ……あの連中は余程僕が嫌いだし迷惑を掛けやがる。
「例え山名家と事を構えてもお断りだ!」
中指を立てて笑顔で言い放った!
リクエスト話(小笠原魅鈴編)後編
小笠原魅鈴さんが僕を頼った本当の理由。それは祖母の代で駆け落ちし抜けた一族からの強要だった。
本流の人材が枯渇したので、昔袂を分けた血筋にたよる。それも強引に、母と娘共々と来やがった。
「大婆様、これはアンタも了承してるのか?母と娘の両方をコイツの畑として強要するんだな?」
言質を取るために無表情の老婆に確認する。
「当たり前だろう、一族の存続が総てだ!一族ならば当主の意に添うのは当然の事だ。魅鈴、そうだろ?」
「私、私は……」
手を胸の前で組んで、よろける様にしている魅鈴さん。やはり魅鈴さんは押しに弱そうだが、未だ他に何かしらの理由は有りそうだ。
「アンタには聞いてない!少し黙ってろ。大婆様、アンタも同じ考えか?」
言葉を促す為に、大婆様を睨み付ける。何時の間にか爺さんズも大婆様の脇を固めている。
「いや、無理矢理は本意ではない。じゃが、我等の事情も汲んではくれんか?」
爺さんズも苦虫を噛み潰した顔だが頷いている。無理矢理じゃないけど言う事は聞いて欲しい。
自分の代で一族を潰す苦しみは分かるか、他人の貞操まで自由にされては困るんだよ。
「話にならないな。魅鈴さん、帰るよ。此処にいるのは無駄でしかない。魅鈴さんは仲間であり、静願ちゃんは愛弟子だ。畑は他を当たれ!」
魅鈴さんの腕を掴んで強引に抱き寄せる。
「きゃ!」
可愛い声を上げるが抵抗はしない。
「待ちやがれ!俺の魅鈴に馴れ馴れしくすんな。それは俺の畑だぞ。怪我をしない内に帰るんだな。一人でなぁ!」
簡単にキレやがって!やはり奴は甘やかされて育ったボンボンか?爺さんズの制止を振り切り仕掛けてきた!
『正明、畜生霊が来るぞ!』
オッサンが腕を振るうと、此方にモヤモヤした塊が飛んで来る。口だけ、犬の口だけがモヤモヤの中に有るぞ。
「ハッ!」
左腕を振り上げてモヤモヤを払う。
「ほぅ?白渕(しろぶち)を退けたか。同業者としては中々だな」
余裕なのかニヤニヤと此方を見てやがる。
『正明、奴の術は畜生霊を使役する事だ。奴は飼い犬を殺して使役しておる。奴の周りには未だ八匹の畜生霊が居るぞ』
拙い霊視をすると、確かにモヤモヤしたモノが八個フヨフヨと浮かんでいる。
「畜生霊を操るとは、えげつないな。それがアンタの力か?」
魅鈴さんを体の後ろにして庇うと、オッサンに向き合う。
「ああ、俺が育てた犬達を俺の手で殺した。生きてちゃ役に立たないからな。死んで初めて役に立つ」
真面目な顔で言い放ちやがった。僕も他人の霊や化け物達を胡蝶に喰わせたが、手塩に掛けて育てた犬を殺せるのか?
「下衆が!術で魂を縛り付けて使役するとは……」
同族嫌悪に近い感情が芽生える。不味いな、出来れば胡蝶は出したくない。だが同時に襲われたら防げない。
『正明、やはり我が……』
『いや、噛まれても治せるなら我慢する。奴の畜生霊は八匹以上居るかな?』
『居ないな。だが、ババァの傍には目の前の畜生霊が霞む程のヤツが居るぞ』
腐っても大婆様って事か。
「ほら、ほら、ほらよ!茶筋(ちゃすじ)・黒眉(くろまゆ)・灰髪(はいがみ)、奴を噛み千切れ!」
奴の掛け声と共に、真っ直ぐに飛んでくる三匹の犬達。涎を垂らしながら大きく口を開いている!
「ふん!」
左腕を横に凪ぎ払い二匹を散らすが、三匹目が右脇腹に噛み付いた。筋肉に力を入れて牙の侵入を防ぎ左腕で掴んで払う。
「ぐっ、結構痛いな……」
胡蝶に治療して貰う為、左手を傷口に当てる。
『正明、最後の犬は我の支配下に置いたぞ。灰髪と言う名前の甲斐犬だな。成る程、奴の術が何となく分かったぞ』
『流石は胡蝶!痛みも和らいだし、次に行くか!』
一本前へ踏み出す。奴との距離は10m程度有るので、大股でも八歩は必要だ。
「くっ?未だだ!茶尾(ちゃお)・赤目(あかめ)・白腹(しろばら)、奴の足を食い千切れ!」
今度は血を這う様にして二匹が飛んで来て、一匹は顔に目がけて時間差連携攻撃かよ!
顔に向かって来た奴を掴み握り潰すと、右太股と左踵から激痛が……太股は筋肉でカバー出来るが、踵はそうはいかない。
「くぅ……問答無用で殺しに来たな。だが、未だ平気だぜ」
二匹を払い太股に手を添える。太い血管が有る太股は応急措置が必要だ。
爺さんズも大婆様も動揺しているが、止める気は無さそうだな。
魅鈴さんを見れば真っ青な顔をしているので、笑顔で手を振り無事をアピールしておく。
霊力の弱い僕は防御力とタフネスさが売りのマッスル僧侶だからな。
『赤目を支配下に置いたぞ。うむ、雑種だな。奴の手駒はあと二匹、我の扱える犬も二匹。次で仕留めるぞ』
胡蝶さんの言う通り、僕の両脇にナニかの気配が濃くなったのを感じる。ハァハァと息遣いも……
『分かった、ぶん殴る!』
『灰髪と赤目と呼んでやれ!我の支配下とは正明の支配下でもある』
僕はペットは鳥派なんだが……
「これで最後だ!黒牙(こくが)・灰牙(はいが)、奴の喉元と脇腹を食い破れ!」
目が血走り口から唾を飛ばしながら、奴が残りの畜生霊に指示をだす。
「灰髪、赤目!」
そう叫んでオッサンに突撃する。先に飛び出す灰髪と赤目!四匹の畜生霊は途中で激突、力は拮抗しているのか激しく噛み合っている。
『胡蝶さん、敵だけ払って!』
絡み合うモヤモヤに触れると奴の支配下の二匹だけが散らされた。
「俺の犬が……馬鹿な、俺の使役霊を奪うだと……そんな馬鹿な……」
コイツ、戦っている最中に惚けてやがる。確かに対人戦で犬を九匹も自在に扱えれば増長もするかな。
「コレは俺の分!」
奴の右頬を力一杯叩く!
「ぐはっ?」
「コレも俺の分!」
今度は左頬を力一杯叩く!
「ひゃ、ひゃみぇてぇ」
張り手と言え全力の往復ビンタだ。奴は鼻血を流し口の中も切れたのか、涎が血塗れ。胸ぐらを掴み持ち上げる。
「序でにコレも俺の分、コレもコレもだ!」
更に往復ビンタをかまし、地面に投げ出す。
「あの……榎本さん?自分の分だけ……ですか?」
魅鈴さんが恐る恐る声を掛けてくれた。勿論、僕の仕返しだけですよ。
「灰髪、赤目。このオッサンの種蒔き器と種製造袋を食い破れ」
去勢すれば大人しくなるだろ?
「まっ、待て!俺に手を出したら、山名家と事を構えるぞ。亀宮一族に逆らうのか?」
灰髪と赤目の気配を感じてか、座りながらズルズルと後ろへと下がる。命乞いにしては陳腐で他人任せだな……
「亀宮一族の山名家は今は失敗して威信を失墜してる。一族内での序列は最下位だよ。
ああ、僕は亀宮一族の御隠居衆筆頭である若宮家の直属なんだ。お前とお前の一族の事は報告しておくよ」
亀宮さんか御隠居様に言えば、何とかなるだろう。いや、山名家から未だチョッカイが掛かってくると言ったらどうなるかな?
「灰髪、赤目……ヤレ」
「ひぃ、やめ、止めてくれ……大婆様、助けて」
大婆様に擦り寄っていくが、爺さんズが止めた?
『正明、ババァの隣の犬畜生が襲おうとしてるぞ。口封じとは楽しい発想だな。食うか?』
『一匹だけだろ、どうかな?胡蝶の力を見ても玉砕するとは思えないけど』
オッサンは灰髪と赤目に噛まれてのた打ち回っているが、誰も彼等を見ない。
「魅鈴さん、おいで……」
彼女が遠慮がちに近付いて来たので、その細い腰を抱く。
「あっ、あの……見られてます……」
何やら呟いて頬を真っ赤に染めている。守るには密着した方が良いだけなんだけどね。
「がぅ」
「きゅーん」
噛み飽きたのか、灰髪と赤目が僕の足元で戯れ付く感じがする。アレ?前は口だけだったが、今は身体全体が見えるけど?
『術者の力により形状に変化が有るのは当り前だ。奴程度では複数操れても一部を具現化するので手一杯。
だが我と我の正明ならば、その力全てを引き出せる。これが歴然とした力の差だ……』
俯せになり痙攣を繰り返すオッサンをチラ見してから、大婆様に話し掛ける。
「ソレを襲わせてみますか?それとも金輪際、僕と魅鈴さんに構わないと誓いますか?僕はどちらでも構わないですよ」
爺さんズが大婆様の様子を伺う。もし口封じに一斉に仕掛けられたら、胡蝶を出して僕は魅鈴さんを抱いて全力で逃げれば良いかな……
「一族は儂の代で終わりじゃ……榎本さん、この子の面倒も見ては貰えまいか?」
自分の脇に控えるモヤモヤを撫でている婆さん。
『胡蝶さん、この子って婆さんの犬?』
『犬じゃないぞ。多分だが日本狼だな……昔は沢山居たぞ』
絶滅してしまった太古の種、本来なら正当後継者に継がす犬神じゃないのかな?
『奴では器にはならなかった。だから世継ぎを強要したのではないか?』
自分が死ぬ前に、寿命が尽きる前に……だが灰髪と赤目を支配下に置いた僕と言うか胡蝶に託したい?
『胡蝶さん、アイツ婆さんが好きだから離れたくないんじゃないかな?』
婆さんの前に立ち塞がり僕等から婆さんを守る様に威嚇する犬神を見ると、無様に気絶したオッサンとは比べ物にならない絆を感じる。
『そうだな……アヤツの力で、あのババァの寿命も延ばしている。だが、それも限界が近いのだろう』
深い皺を刻んだ顔は、気の遠くなる歳月を過ごした事が分かる。
『灰髪と赤目も他の犬達と同じ様に魂を解放出来るかな?』
戯れ付く二匹をあやしながら、この犬達の成仏を願う。
『ふん、わざわざ手に入れた力を手放すのか?』
『僕は胡蝶だけで良いんだ……この犬達は兄弟の元に還そう』
僕は婆さんの前に立ち塞がる犬神の前に座り、目線を合わせる。
「この日本狼はさ。婆さん以外には仕えたくないってさ。最後まで一緒に居させてやりなよ。共に大地に還りたい。そうだろ?」
モヤモヤの頭付近を撫でると、ビロードの様な感じがする。
「がぅ!」
「そうだよ、他の犬達も灰髪も赤目も魂を天に還す。人間なんかに使役されずに自由になるべきだ。
婆さん、それが僕の答えだよ。灰髪も赤目も僕が魂を解放する。
その犬神は婆さんが天に連れて逝きなよ。じゃ、もう会う事もないけどお達者で」
両手でモヤモヤを撫で捲ると、胡蝶さんに頼んで灰髪と赤目を天に還した。
最後にザラザラした舌で舐め回されて涎だらけにされたが、別れの挨拶としては上等だ。
◇◇◇◇◇◇
行きとは違い魅鈴さんを背負って山を降りる。血だらけ傷だらけ泥まみれな不審者が和服美女を背負ってるのは犯罪チックだ……
「私の祖母が、死に際まで気にしていたんです。大婆様に全てを押し付けて一族を離れた事を。大婆様は祖母の祖母だったんです」
祖母の祖母?すると魅鈴さんより四代前から生きてるのか。
「だから、大婆様の頼みを無碍には出来なかった?」
返事の変わりに首に回した腕に力が入った。
「魅鈴さんはさ。もっと自分の幸せを貪欲に求める位で良いと思うよ、僕は無理だけど……
でも恋愛だけが幸せじゃないと思う。家族愛や趣味、動物を飼ったりとかさ。色々と有るでしょ?」
「本当に酷い人……体を張って助けてくれたと思えば、恋愛対象にはならないとか正直に言うし。
普通は黙って抱き締める場面じゃないですか?本当に桜岡さんが羨ましい、妬ましい。同じ女として……」
「ほら、雪が降り出しましたよ。今夜は冷えるかな?夕食は飲みに行きましょう。牡蠣が美味しい季節ですよね?」
見上げた空はドンヨリと鉛色、細かい雪がハラハラと舞い降りてくる。
「本当に憎らしくて愛しい人……」
本気で首を絞められるが、筋肉の鎧はビクともしない。
「暴れると落ちますよ。ほら、行きましょう」
「榎本さん、あの人に自分の分しか仕返ししませんでしたわ。俺の分だ、俺の分だって!
酷い人、ちゃんと責任を取って貰いますわ。聞いてます?」
「はいはい、それだけ元気なら大丈夫ですね」
僕はロリコンだから、生々しい嫉妬とか苦手なんだよな。
『あの犬達を使役霊にしなくて本当に良かったのか?』
『うん、あの犬達の幸せは僕の元に居る事じゃないんだ……』
それにね、結衣ちゃんは狐っ娘だから犬が苦手なんだよね。もし僕があの犬達を纏わり付かせてたら、彼女が僕を敬遠するかも知れないから……
「榎本さん、他の女の事を考えてませんか?」
「いえ、考えてません」
女の勘って怖いな……だけど寒い山道を歩くには、肉感的な魅鈴さんは絶好のカイロだ。たまにはこんな時間も悪くはないと思う。
「寒いからもう少しくっ付いて下さい」
「あら?はい、こうかしら?」
薄ら山道に雪が積もる。本格的に降り出した様だ……二人で降りているのだか、彼女の家まで足跡は一人分しかなかった。