榎本心霊調査事務所(修正版)   作:Amber bird

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幕間第3話から第5話

幕間3

 

 爺さんが亡くなってから一週間が過ぎた。何とか初七日の法要を終える事が出来たのは、田舎故の地域コミュニケーションのお陰だ。

 殆どを手伝って貰った。だが、思い出が沢山詰まったこの家ともお別れしなければならない。

 ここら一帯は、もう直ぐダムの底に沈む……昔からの知り合い達も代替え用地がバラバラだから、次に何時会えるかも分からない。

 爺さんの葬儀は、この地域の最後の協同作業みたいな感じだ……全てを終えて、独り自宅のベランダで空を見上げる。

 既に夕刻で有り、向の山に太陽が半分以上沈んでが辺りを赤く染めている。

 

「母さん、父さん、爺ちゃん……遂に独りぼっちだよ。

僕はコレから榎本家の宿痾(しゅくあ)を独りで全て背負っていかないと駄目なのか?何故、何故僕なんだよ!」

 

 問い掛けに返事は無い……僕の為に死に急いだ爺さんは、これからの事をちゃんと考えてくれていた。

 相続その他の法的な事は、松尾の爺さんに。修行に付いては、知り合いの住職に話を付けていてくれた。

 普通は総本山に話をとか思うんだが……勿論、総本山が修行を受け付けない訳じゃない。

 だがそれは一般的な修行であり、除霊を目的としてないんだ。そもそも、そんな修行を総本山が取り仕切ってるなんて対外的にバレたらアウトだろう。

 あくまでも精神的な修行や祈祷等を学ばせ、徳の高い僧侶を育成するのだ。だから所謂、霊能力を鍛え除霊の方法を学ぶのはどうするか?

 実際に除霊を生業としている人に弟子入りするんだ。僕は爺さんの遺言の中に、一通の紹介状が有るのを見つけた。

 

 宛名は竜雲寺(りゅううんじ)の悟宗(ごそう)。

 

 自分の寺を持っているが集落から離れた山中に有り、坊主でなく除霊を生業としている。富山県の辺鄙な場所に有り、何度か連絡したが不在。

 一週間連絡を取り続けて、漸く話す事が出来た。既に爺さんから連絡と報酬も貰っているらしく、日時を指定され会いに行く事となった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 在来線と路線バスを乗り継ぎ、竜雲寺に到着したのは既に3時過ぎ。インターネットで乗り継ぎ案内で調べていたが、予想以上に時間が掛かった。

 一日三往復しかないバスは、今乗ってきたのが最終。既に一泊させてもらうしか帰る手立ては無い。

 

「なんつード田舎なんだ。ウチの方が全然都会だそ……」

 

 くたびれたアスファルトの道路、標識だけのバス停。見渡す限り民家は無い。少し小高い場所に山門が見えるが、アレが竜雲寺だろうか?

 このバス停は山間部の集落と集落を結ぶ道の途中に有り、普段利用するのは殆ど居ないそうだ。降りる時に運転手に確認された位だし……

 竜雲寺に呼ばれていると言われて、やっと納得してくれたんだ。携帯電話を確認したが、当然ながら圏外。

 街灯も道路沿いにポツポツしかないので、早く目的地に行こう。さっきから犬の遠吠えが聞こえるんだ。

 きっと野犬とかが居るんだろう……荷物を背負い直し坂道を山門の方へ上り始めた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 竜雲寺と書かれた山門を潜り境内に入る。うん……荒れ果ててる。

 手入れが全くされてないと言った方が良いのかな?雑草はボウボウだし枯れ葉は山盛り、良く見れば建物も大分傷んでいる。

 廃墟じゃないと分かるのは、電気が点いてるからだ。自家発電機でも有るのかな?いや市道には街灯が有るから電気は引いてるだろ?

 荒れ果てた寺を見上げて、暫し呆然とする……

 

「おぅ!突っ立ってないで入って来い」

 

 野太い声に現実へと引き戻される。見れば50代前半位、目つきの鋭い筋肉質な男性が立っていた。作務衣を着て頭にタオルを巻いている。

 

「あっあの、僕は……」

 

「聞いてるよ。榎本んとこの坊主だろ?まぁ上がれ」

 

 そう言って家の奥にスタスタと歩いて行ってしまう。慌てて靴を脱ぎ後に続く。通されたのは本堂。

 此処だけは綺麗に清掃されていた。本尊は……多分だが愛染明王だ。優に3mは有ろう立派な木像に見とれる。

 

「まぁ座れよ。大変だったな、アイツから聞いてるよ。お前の右ポケットに収まってる奴の事もな」

 

 言われてハッとポケットを押さえる。此処にはアレが「箱」が入ってるんだ。アレは肌身離さず持ってろと命令した。

 断る事は無理だし、故意に忘れてもちゃんとポケットに入っていた。大人しく板張りの床に胡座をかいて座る。

 

「俺はお前の爺さんから、一人前の霊能力者としてやってける位に鍛えてくれと頼まれた。

だが、俺の除霊方法は自己流だ。だからお前はお前のスタイルを確立せにゃいかん。

最低限のルールは教えよう。今日は疲れたろ?部屋に案内するから少し休んでろ。夕飯に呼んでやるよ」

 

 ニカッと人懐っこい笑みで言われたが、修行に来たのにお客様扱いは……

 

「いえ、何かお手伝いを……」

 

「今日はお客さんだ。だけど明日からは大変だぞ。来い、コッチがお前さんの部屋だよ」

 

 そう言ってスタスタと先に行ってしまう。仕方無く鞄を抱えて後を追う。案内されたのは何もない10畳程の和室だ。

 

「押し入れに布団が有る。足りない物は麓の町で自分で揃えな。1ヶ月位を目標に鍛えてやるよ」

 

 そう言うと、またスタスタと去ってしまう。取り敢えず部屋に入り……

 足の裏がジャリジャリしたので、掃除用具を借りに悟宗さんを探しに行った。慌ただしく布団を干して部屋中を掃除した。

 布団は……うん、じっとりとしていたので夕方でも干したが明日は本格的に干そう。ちょうど掃除が終わった時に悟宗さんが呼びに来た。

 食事は台所で食べるのだが、電気は来ているが水道は無く井戸を使う。ガスはプロパンだ。

 一応のライフラインが揃ってるので安心したのは内緒だ。

 

「男の簡単料理だ。まぁ食えよ」

 

「はぁ頂きます」

 

 テーブルに並べられた料理は……山盛りご飯・具沢山味噌汁・山菜のお浸し・カボチャの煮付け、それと日本酒だ。

 

 あれ、日本酒?

 

「今時の若い奴は細っこいな。除霊は忍耐と体力の勝負だぞ。沢山食べて体を鍛えろ」

 

 昭和の体育会系なご意見を頂きました。この先が思いやられるぞ。

 

「はい、頂きます」

 

「ほら、湯呑みを出せ。坊主に酒は駄目だが、これは般若湯(はんにゃとう)だから平気だ」

 

 差し出された日本酒は剣菱だ。悟宗さんは辛口好きか?空の湯呑みを差し出すと並々と注いでくれる。

 暫くは黙々と料理をたべる。うん、まさに男の手料理だ!具材の大きさはバラバラ、味付けも大雑把だが不思議と美味しい。

 何とか山盛りの丼飯を食べ終わった。

 

 お腹がパンパンで苦しい……

 

「さて飯も食ったし少し話をするか。お前さんは自分の中の霊能力を感じ取り、真言と共に手に霊力を集める事は出来るんだよな。

だがそれは基礎中の基礎だ。霊能力者を名乗る連中なら誰でも出来る」

 

 厳しい表情で僕の現状を再確認してくれた。確かに僕は体の中に有る霊力を何となく掌に集める事は出来る。なので黙って頷く。

 

「霊力自体も並みだ……突出もしてないが低すぎる訳でも無い。だから無理をしなければ普通に霊能力者としてやってけるだろう。

お前さんが、お前さんの爺さんが何故、霊能力者として俺に鍛えてくれと頼んだから知らんがな」

 

 それは今のままでは「箱」の呪いに逆らえないからなんだが……そもそも爺さんは悟宗さんに「箱」の事をどこまで正直に教えたんだろう?

 知らんと言う事は、全ては教えてないのかも知れない。僕には一族を殺し捲る存在が取り憑いているんだ。

 普通なら関わるのを遠慮したいだろう……だから曖昧な笑みを浮かべるしか無かった。

 

「風呂は大変だからシャワーを使え。明日から本格的に始めるから、早く寝ると良い。そうだな、5時に本堂へ来なさい」

 

 悟宗さんは湯呑みに入った日本酒を煽ると、台所から立ち去った。残された僕は、取り敢えず食器の片付けを終わらせてからシャワーを浴びた。

 湯沸かし器が古すぎて使い方が分からす、素っ裸で試行錯誤したが何とか浴びる事が出来た。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 電気を消すと本当に真っ暗だ。カーテンも無い部屋だが、外は曇りらしく月明かりも何もない。

 携帯電話の液晶画面の灯りを頼りに布団に入る。

 少しじっとりとしてる敷き布団だが、疲れが溜まっている所為か余り気にならずに眠りに落ちた。

 眠気を堪えて何とか目覚ましだけはセットする事が出来た。

 

 

 

 夢を見た。

 

 

 

 家族が亡くなってから良く見る夢だ……

 

 

 

 暗闇の中で全く体が動かせない状態で声だけが聞こえる。

 

 

 

 苦しい辛い助けて……

 

 

 

 それは忘れもしない家族の声だ。

 

 

 

 榎本一族で生き残ってしまった僕を責める声。

 

 

 

 愛していた家族から責められる辛さ。

 

 

 

 何故、僕だけ生き延びてしまったんだ?

 

 

 

 何故、助けてくれた爺さんまで僕を責めるんだ?

 

 

 

 そして散々肉親から恨み妬みを聞かされた後に、現れる不気味な幼女。

 

「正明、お前の罪を思い出せ」

 

「僕の罪って何なんだよ?教えろよ!」

 

「くっくっく、あははははははははははぁ……」

 

「笑ってんじゃねーよ!」

 

 ハッと目が覚める。全身が嫌な汗でべっとりだ。体全体が怠くて起き上がる事も億劫だ。

 額に浮いた汗だけを手で払う。またあの夢だ……爺さんに親父、母さんに罵られる夢。

 そして何時も最後に「箱」が出て来て狂った様に笑う夢。アレは夢じゃなく「箱」が見せる現実。

 「箱」に捕らわれた両親と爺ちゃんの苦しみを見せていると思う。

 

 僕の罪って何だ?

 

 アレに対して僕が何をしたと言うんだ?全く分からない話だが、罪を償わねば爺ちゃん達は救われないのだろう。

 つらつらと考えていたら携帯電話の目覚まし音が鳴り響いた。

 

「もう時間か……」

 

 嫌な汗を拭い顔を洗おう。洗面所に向かう為に立ち上がると、コロンと「箱」が布団の上に転がった……

 何時でも何処にいても、コレは追ってくる。箱をそのままにして洗面所に向かう。

 

「おお、早いな。ん?なんだ、余り寝れなかったようだな」

 

 洗面所には既に悟宗さんが居て僕の顔を見ながら心配してくれた。このオッサンは見た目は厳ついが、不器用な優しさが有ると思う。

 

「ええ、夢見が悪くて魘されました」

 

 空けて貰った洗面所の脇に水瓶が有り、洗面器に水を移してからジャブジャブと顔を洗う。冷たい水が意識をシャキッとさせてくれる。

 

「先に本堂に行っててくれ。後から行くからな」

 

「はい、お願いします」

 

 一旦部屋に戻り、動き易い服に着替えて本堂に向かう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 暫く正座して悟宗さんを待つ。5分とせずに最初に見た作務衣にタオルを頭に巻いた姿で現れた。向かいに胡座をかいてすわる。

 

「まぁ足を崩せ。そんなに畏まらなくても良いぜ。さて、お前さんの修行だが先ず午前中は普通にお勤めをしてもらうからな」

 

 お寺のお勤め……つまりは掃除だな。確かに本堂が綺麗なのは悟宗さんが掃除をしてるからだろう。

 教えを請う立場だし当たり前だろう。黙って頷く。

 

「午後は霊能力の訓練だが、今までの修行をやってみろ。それを見させて貰い考えるよ。夜は自由だ、何をしても良い。もっとも何にも無い場所だがな」

 

 そう言って豪快に笑った。何をしても良い、ね。つまり自主トレをしないで遊んで良いって意味だ。

 悟宗さんは意外と意地悪かも知れない。学びに来て遊びは無いだろう。

 

「それはそれは……大分厳しいですね」

 

 そう僕が言うとニヤリと笑った。

 

「分かってんじゃねぇか!此処で自分を甘やかす奴は駄目だ。お前は見所が有るよ。

夜は実践だ!この辺は古戦場だから教材には事欠かないぜ」

 

 ヤレヤレ、それにスパルタな人らしい……

 

 

幕間4

 

 爺さんの知り合い、竜雲寺の悟宗さん。彼はフリーで除霊を生業とする霊能力者だ。

 僕は爺さんの紹介で彼に師事している。爺さん曰わく僕等は「箱」と言うヤバい秘密を持っているから、総本山とかに相談は出来ないそうだ。

 疫災の塊みたいな奴だし、下手したら幽閉とかも有り得る。だから細々と力を付けなければならない。

 周りに気付かれずに「箱」に対抗出来る力を得る為に……此処での修行は既に二週間程過ぎようとしていた。

 悟宗さんのアドバイスで、自分の除霊スタイルは大体固まった。だけど成果は……うん、自信が無いです。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 修行は朝5時からのお勤めから始まる。15分前に起きて布団を畳み顔を洗って身嗜みを整える。

 因みに作業服は上下スエットだ……本来なら悟宗さんみたいに作務衣が良いのだが、麓の町に買い出しに行った時に見つからなかった。

 まぁ周りに人は居ないから気にしなければ平気だと思う。先ずは本堂の掃除だ。

 井戸から汲み上げた水を、バケツに入れて本堂まで運ぶ。メチャメチャ水は冷たい。雑巾を固く絞り床を丁寧に拭き清める。

 20畳程の広さの板の間は、バケツ四回は入れ替えないと綺麗にならない。毎日水拭きしてるのに、何故こんなに汚れるのかが不思議だ。

 次は御本尊たる仏像の埃を払う。これは駝鳥の羽をまとめたハタキの様な物で丁寧に払っていく。

 

 此処の御本尊は愛染明王。悟宗さんもウチの実家と同じ真言宗泉涌寺派だ。

 

 愛染明王は一面六臂で忿怒相、頭には象徴する獅子の冠を被っているが、これはどのような苦難にも挫折しない強さを表している。

 叡知を収めた宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐で座るという、大変特徴ある姿だ。

 もともと愛を表現した仏であるためその身色は真紅であり、後背に日輪を背負って表現されることが多い。

 また天に向かって弓を引く容姿で描かれた姿の「天弓愛染明王像」など双頭など異形の容姿で描かれた絵図も現存する。

 愛染明王信仰はその名が示すとおり「恋愛・縁結び・家庭円満」を司る。また「愛染=藍染」と解釈して染物・織物職人の守護神としても信仰されている。

 更に余り知られてないが愛欲を否定しないことから古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっている。

 

 だから、悟宗さん曰わく愛染明王は

 

「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」

 

 とする煩悩退散が殆どの仏教の中で、愛染明王の教えは愛欲を功徳に変える力を持っているそうだ。

 

※勿論、これは女好きな悟宗さんの曲解かもしれないが、僕も霊能力を得る代わりにストイックになれって言われないだけ良いと思う。

 煩悩を退散し悟りを開かないと駄目なんて、俗世の欲望や復讐心・自己保身願望がグチャグチャ入り混じってる僕には無理だから。

 因みに愛染明王は軍神としての一面も有り、戦国時代の名将直江兼続は愛染明王への信仰から兜に愛の文字をあしらったとも考えられている。

 

「何だ、マジマジと仏像を見詰めて。珍しいモンじゃないだろ?」

 

 大体6時前に悟宗さんは朝のお勤めの確認に来る。その後、彼は朝食を作りに台所に行くのだがサボったりしてるとお叱りを受けるんだ。

 

「ええ、実家も真言宗泉涌寺派(しんごんしゅうせんにゅうじは)ですから……」

 

 実家の寺も真言系仏教宗派のひとつで、古義真言宗に属していた。そろそろダムの底に沈んじゃうけどね。

 

「そうだったな。我々の泉涌寺派は苦難の歴史を辿った。知ってるか?元々泉涌寺は皇室の御陵所・香華寺とされて皇室との関係が深かったんだ。

だが明治時代に入ると皇室からの保護が無くなり、財政的にも逼迫(ひっぱく)して衰退しちまった。

漸く力を取り戻したのは1907年(明治40年)。真言宗古義八派聯合に際して初めて泉涌寺派の派名を公称したんだぞ」

 

 ここは試験に出すからな。そう冗談を言われたが、僕だって実家の宗派の歴史位は頭に叩き込まれたよ。

 

「知ってますよ。

その後の太平洋戦争にともなう政府の宗教政策により、1941年(昭和16年)に古義・新義両派の真言宗各宗派が合同して大真言宗に統合された。

戦後、大真言宗から独立し1952年(昭和27年)9月30日に真言宗泉涌寺派として宗教法人認証をして10月17日登記完了。そうですよね?」

 

 良く出来ましたとばかりに頭をワシワシと撫でられた。悟宗さんは爺ちゃんに似ている所が多い。

 僅か二週間しか接してないが、僕は悟宗さんを大分気に入っている。

 

「まぁ正解だ。力を借りる愛染明王の事は知ってなきゃならん。合格だよ。さぁ本堂が終わったら庭の掃除と水汲みだ」

 

「はい、悟宗さんは今日はお出掛けですよね?」

 

 昨夜の内に仕事に出掛けると聞いている。僕は未だ見習い以下だから同行出来ないが……

 

「そうだ。俺は朝食を作ったら買い出しと仕事の打合せをしてから除霊だ。

夕食までには帰るから。久し振りに町でオカズを買ってくるぞ。飯と汁だけ作って食わずに待ってろよ」

 

「打合せは西崎さんですよね?でも昼間っから仕事が出来るんですか?」

 

「霊の活動が夜だけだと思うなよ。今日の除霊は閉鎖中のパチンコ屋だ。暗い場所なら昼でも出るんだよ」

 

 そう言って本堂から出て行ってしまった。仕事の打合せとは霊障で困っている人を斡旋してくれる人が居るんだ。

 定期的にその人と打合せをして、自分に合う仕事を紹介して貰う。看板も出せない様な商売だし、当然だがギルドみたいな組織も無い。

 同じ宗派とかで纏まっている小組織は有るが、基本は個人だ。だから仕事が欲しい時は金を払って斡旋して貰うんだ。

 仲介人みたいな奴が、色々と探して来ては斡旋してマージンを取る。

 名前が売れれば直接仕事が来るが、そんな連中は極一部しか居ないそうだ。 ただマージンが高額な為、霊能力者の仕事の半分は職探しらしい。

 僕も一度顔合わせをさせて貰い連絡先も交換した。

 

 西崎と言う30代の痩せていて愛想笑いの不自然な男だ。個人的には好きになれないタイプだな。

 駆け出しの僕にはランクの低い仕事を紹介してくれるそうだ。但し元の請負金額が低いから紹介料は50%。

 相場は20万円前後だから、半分取られても月3回やれば生活は出来るのだが微妙だ。この先の生活設計が余り明るくないのにガッカリする……

 言われた通り、井戸から生活用水を汲み庭を掃除し終えてから昼食にする。今日は簡単にインスタントラーメンだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 午後は自主トレ。僕は霊力を飛ばしたりする事は出来ない。

 掌に溜めての近接攻撃しか出来ない為、少ない力を嵩ましするのに御札と清めた塩を使えと教えられた。

 御札は接触させないと効果が出ないが、清めた塩は霊力を注ぎ込めば有る程度……撒き散らす事により2.5m位は距離が稼げる。

 拡散する程に威力は落ちるのが難点だけど……この二種類の力を使い分ける事、それが悟宗さんの教えだ。

 だが御札は高額なので自作する事にした。作り方も教わったが、墨汁を作る時から霊力を込めて力有る文字を正確に書く。

 雛型の文字が有るから模倣するだけだが、上級者は自分で御札の内容も考えるらしい……精神を集中して作るも、3枚の内で1枚がどうにか実用に耐えられるかどうかだ。

 

 まだまだ成功率は低い。

 

 墨汁を作り文字を書くのに1枚当たり30分は掛かるので、半日費やしても4枚出来れば御の字だ。だが霊力は使えば使う程、総量が上がるらしいので頑張っている。

 自主トレを終えたら夕食作りだ。悟宗さんは基本的に和食派なので、お米は必ず炊く。

 普段のオカズは男の手料理故に大抵が肉野菜炒めだ。味噌汁も野菜を沢山いれて作る。

 一汁一菜、侘びしい食事だが栄養のバランスは考えられている。まぁ毎回同じオカズじゃ飽きるんだけどね……

 だが今夜は久し振りに出来合いの料理を買ってきてくれるそうだ。だからご飯を炊いて具沢山味噌汁を作るだけだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 時刻は午後八時、遠くの山から野犬の遠吠えが聞こえる。冗談で無く人を襲う野犬が居るそうだ。

 だから戸締まりは確実にして、餌となる生ゴミも小屋の中に入れている。因みに溜まったら、その辺に埋めるのだが。

 悟宗さんは車で出掛けたから、帰って来れば分かる。乗っている車は深緑色のパジェロミニだ。

 僕も買い出しの時に借りるが、結構古いし手入れも余りしてないみたいだ。何もする事が無いので私室で寝て待っている。

 テレビは無し、携帯は圏外で唯一の娯楽はラジオだが電波の調子は良くない。持ち込んだ雑誌も何度も読んでいるし、暇潰しの道具は本当に何もない。

 悟宗さんと居る時は昔の仕事の事を聞いたり将棋に付き合わされたりするが、詰め将棋をやる程好きでもない。

 時間を持て余していると、砂利道に乗り込む車の音が聞こえた。漸く帰って来たなと時計を見れば、既に9時過ぎだ。

 グウグウ鳴るお腹を抑えながら玄関まで迎えに行く。

 

「ああ、済まないな。遅くなっちまった。ほら、土産だ。温め直してくれ」

 

 渡されたビニール袋からは焼き鳥の甘いタレの匂いがする。しかも、この重さなら40本位は有りそうだ。

 

「分かりました。先に夕飯を食いますか?」

 

 疲れているなら先にシャワーを浴びるかも知れない。そう思って聞いてみた。

 

「わりぃな。下界で風呂に入って来ちまったんだよ。早く飯にしようぜ」

 

 片手を上げながら私室に行く悟宗さんを見て、ああソープランド行ったから遅かったんだなと思う。既に50代前半なのに、悟宗さんの性欲は旺盛みたいだ。

 これも愛染明王の功徳だろうか?兎に角、グウグウ鳴るお腹を何とかする為に焼き鳥を電子レンジで温め直す事にする。

 本当に電気は通じていて良かったと思う。

 焼き鳥は、ネギま・ツクネ・ハツ・皮・若鶏・ポンポチ・砂肝をタレと塩の両方買ってあった。

 大皿に並べてレンジでチンする間に味噌汁を温め直す。テーブルに料理を並べていると、一升瓶を持った悟宗さんが台所に来た。

 何時もの作務衣に着替えている。

 

 ドンと剣菱をテーブルに乗せると「今夜は祝い酒だな。まぁお前も飲めよ」置いてあった湯呑みに日本酒を注ぐのを見て、ああご飯をよそるのは後だな。

 

 と思い向かい側に座り湯呑みを受け取る。

 

「ほら、グッといけよ。明日は休みにしようや」

 

「有難う御座います。今日の除霊は成功だったんですね」

 

 注いで貰った剣菱を一口飲んで聞いてみる。ご機嫌な様子を見れば、除霊は上手く行ったんだろう。

 

「ん、ああ……そうだ。今日はオーナーが変わり改装中のパチンコ屋だったんだけどな。

出たのは借金で店を手放した前オーナーだったよ。思い入れの有る店を弄られるのが我慢できなかったんだな」

 

 そう言って焼き鳥をかじる。僕もハツを一本貰いかじった。久し振りの焼き鳥は本当に上手い。

 

「それで、どんな手順で除霊をしたんですか?」

 

 悟宗さんの空になった湯呑みに剣菱を注ぎながら除霊の内容を聞く。他人の除霊手順は参考になるから……

 

「簡単だよ。ソイツは改装中の店の店長室で服毒自殺をしたんだ。理由はギャンブル遊びに店の経営資金まで注ぎ込んだ為だな。

黒字経営なのに、それ以上に注ぎ込んでサラ金にまで手を出した。だから店長室で現れるまで待ってたのさ」

 

 ニヤリと笑って剣菱を煽る。悟宗さんの除霊手順は大胆と言うか大雑把と言うか……

 

「そんな無茶苦茶な!下調べとかは?」

 

「んなモンは死んだ場所と理由が分かれば何とかなるんだよ。確かに探査系の霊能力者も居るが奴らは高い。

だから割に合わないし、俺もチマチマ調べるのは性に合わないからな」

 

 ガハハと笑う悟宗さんを見て、力の無い僕は入念な下調べをしないと危険だと思った。

 

 

幕間5

 

 日本酒を飲み過ぎてテーブルに突っ伏して眠る悟宗さんに毛布をかける。僕が修行に来て半月、彼は既に三回の除霊を行っている。

 勿論全て一人でだが……今日のパチンコ屋もそうだが、前回も倒産した縫製工場に出る元従業員の霊。

 前々回は女に捨てられて当てつけに女の部屋で首吊り自殺した元カレの霊。対象が分かり易い案件を選んでいる。

 それだけ仲介役の西崎さんの事前調査がシッカリしてるのか?でも、とても危うい感じがするんだ。

 悟宗さんは、その豪気な性格の所為か細かい事には拘らない。故に除霊は何時も一発勝負で現地に乗り込んで、現れた奴を祓うんだ。

 

 でも僕は……

 

 僕には臨機応変な対応が出来るだろうか?やはり長年の経験と実績の裏打ちが有ってこその除霊手順だろう。

 だらしなくテーブルに突っ伏して眠る悟宗さんを見て思う。女好きで酒好きで、嫁さんに逃げられて……こんな山奥で一人、除霊なんて仕事をしてるのに何とも憎めない人なんだ。

 別れた(逃げ出したと聞いた)奥さんは既に他界したそうだ。子供も居ないので天涯孤独だと教えてくれたし……

 守りを一切考えない除霊手順は、彼は死に対して恐れてはいないのかと疑ってしまう。だが、これはプライバシーの領分だから聞く事も変えて欲しいと願う事も出来ない。

 食器を洗い終えてから、再度声を掛ける。

 

「悟宗さん、布団で寝ないと風邪をひきますよ」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌朝、休みと言われたが何時もと同じ時間に目が覚めた。確か23時には寝たから6時間程度の睡眠時間は取れた……

 布団に入ったままで、これからの事を考える。悟宗さんの修行と人脈のお陰で、ヒヨッコ霊能力者としてやっていける最低限な事は出来つつある。

 基本的な霊力の使い方と御札に清めの塩の作り方。仕事を斡旋してくれる西崎さんとも連絡先を交換した。

 後は現場での経験を積めば一応、霊能力者と名乗れるだろう。僕が「箱」から命令されている事は生贄を差し出す事……

 生きた人間は無理だが、強い霊ならば良いそうだ。つまり僕が斡旋して貰える低レベルな仕事でなく、高レベルな物件に現れる奴等だ。

 だが西崎さんに斡旋を頼んでも無駄だろう。考えなくても駆け出しのヒヨッコに教えてくれる訳が無い。

 ならば自分で探すしかないので、霊能力者として生きていく必要が有る。勿論「箱」から身を守る事も重要だが逆立ちしたって勝てない。

 つまりは「箱」の為に悪霊を探さなくてはならない。それも周囲に「箱」の存在がバレない様にだ……

 7時になり流石に悟宗さんも起きただろうと、身嗜みを整えて台所に行く。台所には既にテーブルで、お茶を飲む悟宗さんが居た。

 

「よう!休みだって言ったのに早いな。もっとゆっくりしても良いんだぜ」

 

 雑誌を見ながら気さくに話し掛けてくれる。悟宗さんは大衆ゴシップ誌が大好きだ。良くまとめ買いをしてくる。

 

「習慣ですかね?二度寝が出来なくて。昨日のご飯と味噌汁が残ってますから温めますね」

 

 二人で一升瓶を空けた所為か、焼き鳥以外の物には手を着けなかった。お陰で朝食の準備は楽だ。

 

「ん、そうだな。頼もうか……お前さん、今日はどうするんだ?町に行くなら車を貸すぜ」

 

 この辺鄙な場所は街道沿いに一応バス停は有るが、一日三往復しかバスが来ない。朝昼夕の8時12時16時ぐらいにだ。

 まさに陸の孤島に相応しい寂れっぷり。だから町に行く時は悟宗さんのパジェロミニを借りる。

 煮立つ前に火を止めて、温まった具沢山味噌汁を椀によそる。ご飯は悟宗さんがよそってくれた。

 冷蔵庫から白菜の浅漬けを出せば朝食の完成!

 

「「いただきます」」

 

 黙々と白米をかっこみ味噌汁を啜る。10分と掛からずに完食。お茶を淹れ直す。

 

「おお、すまねえな。で?町に行くのか?」

 

「ええ、日用品の買い出しと銀行に。それと携帯が圏外なんでメールチェックもしないと……」

 

 ここは圏外、だからメールの確認は受信出来る場所まで行かなければならない。

 

「最近のケータイは大変なんだな」

 

「悟宗さんだって携帯電話持ってるじゃないですか」

 

 悟宗さんはドコモのらくらくホンを使っているが、イマイチ操作方法を分かってない。短縮ダイヤルに行き着けの飲み屋・ソープランド・西崎さんの番号を設定してくれって頼まれたし……

 酒・女・仕事と凄い分かり易い順番だ。

 

「そう言えば仕事を終えたばかりなのに、次の仕事の打合せしてましたよね?直ぐなんですか?」

 

 確か仕事の打合せをしてから除霊を行った筈だ。普段よりも頻度が高くないかな?

 

「ん、まぁな。今度のは、ちと厄介かもな。だが実入りは良いんだ」

 

 悟宗さんの仕事は大体100万円前後で仲介料は20%らしい。だが儲けの殆どを酒と女に注ぎ込んでしまう。

 健康診断を行えば赤紙が付いて、要経過観察が必要な位の不摂生さだ。

 

「無理しないで下さいよ」だが、僕にはそれしか言えなかった。

 

 三日間後、悟宗さんは一人で除霊現場に向かった。どんなに遅くても翌日には帰ってくるのに、今回は連絡も無いまま二日間が過ぎた……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 幾ら何でも連絡も無く二日以上過ぎるのは変だ。この家にも固定電話は有るから、連絡は簡単に取れるのだ。

 普通は大の大人が高々二日間位と思うかも知れない。だが死の危険が有る商売だから心配なんだ。

 パジェロミニは悟宗さんが乗って行ったから、仕方無く朝一番のバスに乗り込んで町まで出た。取り敢えず悟宗さんの携帯に電話するが……

 

「……電源が入って無いだと?これじゃ連絡の取りようが無いじゃないか!」

 

 10分毎に電話しても繋がらない。念の為、ショートメールも送るが返信は無い。

 

 手詰まりだ……

 

 町中を彷徨いても意味がないので、取り敢えず喫茶店に入る。兎に角、喉が渇いたんだ。

 何処にでも有る大手チェーンの喫茶店でアイスコーヒーを飲む。苦く冷たいコーヒーを飲んで少しだけ落ち着いた。

 

 悟宗さんの行き先を知っている人……そうだ!

 

 仕事を斡旋した西崎さんなら知ってる筈だ。店内で有る事も構わずに電話を掛ける。

 

「もしもし、榎本君かい?」

 

 ヨシ、数コールで繋がった。

 

「西崎さん、悟宗さんから連絡が途絶えたんですが……何か仕事でトラブルでも有りましたか?」

 

「ん、彼かい?いや聞いてないが……仕事の予定日から未だ三日目だろ?」

 

「そうなんですが……殆どが一日で終えている悟宗さんが二日も連絡が無いのが気になります。命懸けの仕事ですし」

 

 呑気に構えやがって!もしかしたら廃墟か何かで怪我をして動けないかも知れないだろ?

 

「分かったよ。僕からも連絡してみるよ」

 

「悟宗さんの携帯はずっと電源が入ってないか圏外に居ます。除霊現場を教えて貰えませんか?」

 

 お前が悟宗さんに連絡しても同じなんだよ!早く居場所を教えろや!

 

「んー分かったよ。除霊現場は教えられないからね。僕から依頼者に連絡するからさ」

 

「あっ、もしもし?」

 

 そう言って電話を切りやがった。不安だが西崎さんを信じて待つしかない。一旦携帯を置いて残りのアイスコーヒーを飲む。

 大分氷が溶けて薄くなってしまった……待つだけと思うと急にお腹が空いてきた。

 追加でカルボナーラとクロワッサンを頼み暫く居残る理由を作る。待つ事50分、漸く西崎さんから電話が有った。

 

「もしもし!」

 

 2コール目で出る。

 

「ん、榎本君か。ちょっとヤバい事になってる。落ち着いて聞いてくれ。彼は今、病院に居る。

どうやら除霊は失敗したらしい。対象の民家の玄関先に倒れてるのを通行人が発見し、救急車を呼んだ」

 

 何だって?事故に有った、いや除霊に失敗したのか?

 

「それで、何処の病院なんですか?直ぐに行きますから」

 

「もう少し話を聞いてくれ。それで彼は不法侵入か不審者の容疑者として警察に通報されている」

 

 不法侵入?不審者?依頼を請けて仕事してんだろ?

 

「除霊を頼まれて……」

 

「依頼人は事が公になるのを恐れた。知らぬ存ぜぬだ。彼も意識不明の重態だし、そもそも証拠も無いから難しい」

 

 今は悟宗さんに会うのが先決だ。責任云々は、その後で良い。

 

「分かりました。それで悟宗さんは何処の病院に?」

 

「メモれるか?良いか、住所は……」

 

 教えて貰った病院の住所は隣の県だった。携帯サイトの乗り換え案内で最短ルートを検索。

 在来線を乗り継いでも70分で行ける。直ぐに最寄りの駅に向かった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 病院に到着してからが揉めた。警察経由で運び込まれた意識不明の重体患者の知り合いが、いきなり訪ねて来たんだ。

 僕も相当の不審者だろう。直ぐに病院は警察に通報、所轄の刑事が話を聞きに来た。

 空きの病室に案内され、簡単な事情聴取をされた。担当刑事は二人、テレビで見る様な着崩した背広姿にコートを羽織っている。

 だが二人共厳つい顔だ。

 

「榎本君と言ったね?何故、彼がこの病院に居ると知ったのかね?」

 

 質問だが尋問されてる様な威圧感が有る。それは西崎さんに聞いたから……は通用しないか?

 彼もゴネるし依頼人も面倒だからと知らぬ存ぜぬを決め込んだし。

 

「その……実は……」

 

 何て言えば良いんだ?

 

「君も若いが、お坊さんなんだな。アレか?彷徨う霊を祓うってヤツか?」

 

 やはり警察だけの事は有る。身分証明の為に免許証を見せたが、僅かな時間で調べられたのか?

 

「……そう言う事をしてる人でした」

 

 建物の所有者に頼まれたとは信じて貰えないか……

 

「近所で噂の幽霊屋敷に、お坊さんが倒れてれば噂にもなるわな。で、彼は天涯孤独だが君が身元引受人で良いのか?」

 

「身元引受人?はっはい、それで構いません」

 

「一応不法侵入だが所有者も大事にしたくないそうだ。だから罪には問われない。

だが重体で意識不明の彼の事で悩んでたんだ。君が身元を引き受けてくれるなら良いんだよ」

 

 心霊現象の噂の有る空き家に、お坊さんが経を上げに来たけど返り討ちじゃ問題になるからね。家主も秘密にしたいんだろうな。

 悪いが、そういう話らしいから警察としては介入出来ないんだ。

 医者の先生が言うには外傷も無いし持病の悪化らしいので事件性は薄い。勿論、仕事環境が悪いとか労災だとかは契約書とか有れば別だが、それは民事裁判だからな。

 そう言って刑事が退出すると入れ替わりで病院の事務の人が書類を持って現れた。入院に対しての手続きだろう。

 国民健康保険証の提示が無いと全額個人の負担になる事。入院するのにも保証人が必要な事。

 治療に当たり当事者が意識不明の場合、親族もしくは保証人の承諾が必要な事。悟宗さんは天涯孤独だから知人の僕でも構わないそうだ。

 本来なら定職の有る日本国籍を持つ者が望ましいそうだが、僕も僧籍を持ち自分名義の寺(まだダム湖に沈んでない)を持っているから問題無いとの事。

 漸く全ての手続きを終えて、悟宗さんの病室に行けたのは夕方だった。

 

 その病室は西向きの為か夕日が室内を赤く染めている……

 

 ナースセンターの隣、四人部屋だが末期か目の離せない患者が一時的に入る部屋なんだろう。点滴の管を左手に差して鼻から酸素を送って貰ってる悟宗さんさんは、10歳以上老けて見えた……

 

 案内してくれた看護師さんは「何か有ればナースコールして下さい」そう言うと隣に置かれた計器の数字をチェックし、席を外してくれた。

 

 去り際にカーテンを閉めてくれたので、周りを気にする必要は無い。

 

「悟宗さん……」

 

 声を掛けたが彼の反応は無かった。

 


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