第66話
「何故、神や仏は悪人に罰を与えないんじゃ?」
暗い笑みを浮かべるオヤジさん。悪人とは小原氏の事を言ってるのだろう。我が子と孫娘を捨てた相手だから怨むのは当然だな。だけど……
「オヤジさん。御仏は死んだ人間を生前の罪により裁くんだ。生きている人間の罪を裁いたり罰を与えるのは……それは人間だよ」
良く自然破壊が引き起こした災害を天災とか神罰とか言うけど、アレは自業自得だ。
「神罰・仏罰は無いんか?こんなに信仰しても助けてはくれないのか?」
僕だって信仰だけで救われるなんて思ってない。仏の道を説いていた爺ちゃんや親父、それに母さんが死んだのは何故だよ?
未だに魂を「箱」に捕らわれて苦しんでいるんだぞ!
「僧籍に身を置く者として言い辛いけど、生きている内に御仏が罪人の罪を裁く事は無いんだ。罪人は死後に裁かれる。贖う罪の重さにより、それぞれの地獄に落とされるんだ……」
仏教の多様な地獄とは、あらゆる罪に対応している。
「不便な物なんだな。アイツがくたばる迄、罪が裁けないなんて……」
それっきり喋らなくなったオヤジさん。深い葛藤が有るのか、両手を握り締めて目を閉じている。食堂で見せた笑顔からは想像が出来ない苦悩が分かる。
「僕等は廃ホテルの異変を何とかしたい。先ずは放置された稲荷神の御霊を抜く予定ですが、オヤジさんは他に何を知っているのですか?
もし、もし娘さんに関係する何かが有るのなら……僕等も協力出来ます。勿論、お孫さんも含めて」
仮に我が子を求めてさ迷っているなら、我が子と会わせてあげれば良い。亡くなった女の子そのものの霊を呼ぶのは不可能だが、彼女が我が子と認識すれば問題無い。
身代わり札とかは、そんな使い方も出来る。幾つかの情報が有れば……生年月日や名前に性別・没年等が分かれば作れる。
「流石にお坊様は言う事が違いますな。何故、娘が……娘の霊がさ迷っていると思うのかな?
もし娘の霊がさ迷っているなら、あの男に復讐する筈じゃ」
大抵の人は死して霊となり復讐を遂げるって思うけど、実際は稀だ。確かに強い怨みを持ち相手に祟る霊は居る。でも大抵は誰彼構わず縋ってしまう。
無差別な霊障が殆どなんだ。
「特定の人物に対して復讐する場合も有ります。でも大抵は誰彼構わず縋ってしまうんです。彼等も苦しんで居ますから……
だから早めに現世のしがらみを断ち切って成仏させる。それが僕等の仕事です」
「あの子が今でも苦しんでいると?」
僕は黙って頷く。雲が太陽を遮ってしまった。墓地の中での長い立ち話の為か大分体が冷えてしまった。風も出てきたみたいだし、雨が振りそうだ。
「榎本さん、寒くなってきましたわ。オヤジさんも一度お店に戻りませんか?」
「そうだね。僕等まだ代金払ってないし食い逃げは嫌だよね」
桜岡さんが良いタイミングで話を外してくれた。オヤジさんも暗い表情から少しだけ笑みが……
「あんたら良いコンビじゃな。坊主と巫女なんて水と油じゃろ?店に戻るかの」
もう一度、彼女のお墓を拝んでから食堂に戻る。下りの山道は歩き難い。そして左腕にナチュラルに絡み付く桜岡さん。
歩き難くて危ないからって言うけど、逆にお互い歩き難くないかな?獣道を抜けて路地を通りメインストリートに出ようとした時、オヤジさんが止まった。
「また来てるぞ。胡散臭い連中が……」
路地からメインストリートを伺う様に顔だけ半分だしている。後ろから覗いてみると作業着姿の若い……30歳前後の男達が食堂の前に屯っている。
「オヤジさん、彼等は?」
一見真面目風な連中だ。
「あいつ等が、あの廃墟ホテルの新しい管理会社の連中だ。最近やたらと集落の手伝いをしたがるんだが……
何か嫌な感じがする。あんた等も最初は胡散臭いと思ったが、もっと違う嫌らしさじゃよ」
アレが神泉会の関連会社の連中か。報告の通りに最初に周辺住民に溶け込むのか……確かに厄介な手口だ。
「オヤジさん。彼等は関西で有名な宗教団体、神泉会の信者ですよ。布教活動の為に関連会社の社員にボランティア活動をさせて近隣住民と仲良くさせる手口です。まぁ心霊詐欺が濃厚なんですが……」
「何だと!小原の差し金か?」
何でも悪いのは小原氏じゃないと思いますよ。でも繋がってないとも言えないんだよな。どっちも厄介な連中だし……
「いえ、小原氏との関係は不明ですが……彼等の関東進出の拠点がココらしくて」
「ふん、本当に良く調べてるお坊様じゃな。コッチだ、裏口に回るぞ」
そう言うと、いきなり目の前の家に入っていった。
「ほら、靴を持って着いてくるんじゃ」
居間でお茶を飲んでいた家の人も気にしていないみたいだ……勝手知ったる他人の家って事か?オヤジさんを先頭に何件かの家を通らせて貰い食堂の裏口に着いた。
「二階の和室に居てくれ。準備中の札を出していたのに待っていたなら、食事をする迄は帰らないじゃ。前もそうだったし……」
オヤジさんはヤレヤレと言いながら厨房に向かっていった。
◇◇◇◇◇◇
古い木造建築のオヤジさんの家は、当然防音性能も低い。つまり食堂での会話も階段の途中迄降りれば聞こえる訳だ。
和室で何故か卓袱台に置いてあったお茶のセットで寛ぐ桜岡さんを部屋に残し、管理会社の連中の様子を伺う。神泉会とは初めての接触だから、どんな連中か知りたい。
「親父っさん珍しいね。昼間っから準備中なんて?」
「ああ、すまんね。儂ももう年だし腰が痛くてな。少し休んでたんじゃ」
「何だい、雑用なら僕等が手伝いますよ。なぁ?」
「そうだな。結構暇だし、良かったら手伝いましょうか?」
話だけ聞いていると真面目な好青年達だ。高齢化が進んだ今なら、若い労働力は魅力的だろう。しかもボランティアなら余計に。
だから溶け込み易く排除し難い。上手い手口だよな……
「はっはっは。まだまだ若い者には負けないぞ。今日は仕入れが出来なくてカレーか麺類しか出来ないが、どうするね?」
僕等が沢山食べたからか?きっとカツ丼とかのカツも買い置きが少ないんだろう。暫くは調理をするオヤジさんに親しげに話し掛ける連中の会話だけが続いた。
これをヤラれちゃお年寄りは堪らないだろう……
「ご馳走様。親父っさんお会計は一緒で……」
どうやら帰るみたいだな。特に勧誘とか怪しい壷の売り込みも無かったか。
「なぁ、親父っさん。見慣れない車が停めてあったけど誰か来てるのかい?」
「ん?儂は朝から寝込んでたし店も閉めてたからな。店にゃ来てないが……何か有ったんか?」
「いやいや。珍しいなってさ。じゃご馳走様」
アイツ等、油断がならないぞ。見慣れないとは言えメインストリートには他にも何台か停めていた筈だ。
しかもキューブなんて珍しくもない車種なのに、集落の連中のじゃ無いと直ぐに分かったのか?オヤジさんが戻ってくる前に和室へ戻った。
◇◇◇◇◇◇
丸い卓袱台。今では中々見られない昭和の文化遺産だ。そこに湯呑みに急須、竹で編んだ籠に入った蜜柑。
まさに田舎のお婆ちゃんの居間だ。オヤジさんが座ると桜岡さんがお茶を淹れる。
「すみません、先に頂いてしまって……」
お茶を淹れてオヤジさんに湯呑みを渡す姿を見ると、本当に彼女の育ちの良さが分かるな。
「構わんよ。あんた達の事、いや彼女の事は思い出したぞ。確かにテレビで見た事が有るの。それで今回の特番が、あの廃墟ホテルか。で、色々調べちょる」
流石はお茶の間の梓巫女、桜岡霞だ。こんな田舎でも知名度抜群?
「何度も言いますがテレビ局の企画として依頼されてるんですよ。正直に言えば胡散臭い依頼だから断る事も考えて……でも引くに引けない事情が出来てしまって」
僕は「箱」、桜岡さんは魅入られた「ナニ」かの対処。しかも神泉会とかも絡んでるし。
「事情?で、本当に娘と孫娘を成仏させられるのか?」
オヤジさんにとって、それが一番大切だよね。だけど……
「オヤジさん……何故、娘さんが現世にさ迷っていると確信してるんですか?普通は埋葬されていれば、化けて出るなんて笑い話ですよね」
そう、オヤジさんは娘さんの成仏前提で話をしている。僕等の掴んでいる情報では娘さんの霊の目撃情報は無い。
そもそも廃墟化した後で霊障が出ているんだし、時期も違う。オヤジさんを見詰めると目線を逸らした。
両手を卓袱台の上で握り締めて何かを言うか言わないか苦悩しているみたいだ。
「ホテルが廃業する前から、チラホラと噂が有った。鷺沼に子供が遊びに行くと女の子だけが見る霊が居ると。そして、それは我が子を探しているらしい。そんな噂が有るんじゃよ」
無理心中をして離れ離れになった我が子を探している娘さんと思った訳か。
「だけど……オヤジさん電話みたいですよ」
話の途中で懐かしい黒電話のベル音が。携帯電話でも設定出来るが、やはり真似た電子音より全然懐かしい。オヤジさんが一階に降りていくのを見届けてから桜岡さんに話し掛ける。
「桜岡さん、何となく分かってきたよ。鷺沼の遊女お鷺かとも思ったが、オヤジさんの娘さんの可能性が高い。我が子を求めて女の子達を呼び寄せる。筋は通ってるよね」
彼女は少し考えてから「でも廃ホテルの噂とは違いますわ。それに不審死なら大人の女性や男性もいらっしゃいますし……」と言った。
確かに地縛霊なら鷺沼と廃ホテルを移動出来るとは考え辛い。それは親玉は複数か、若しくは「ナニ」かが総てを支配下に?
そんな強力な霊は丹波の黒尾狐クラス?トンでもなくハードルが上がったぞ。いや元からヤバいと想定してたろ?
「先ずは娘さんの、愛子さんの除霊から始めようか?身代わり札を用意して……」
「おい、アイツ等がお坊さんの車を調べてるらしいぞ。しかも近くで待機しちょるらしいぞ」
なんだって?迂闊だったな、まかさ此処で神泉会に目を付けられるとは……
「榎本さん、私達は彼等の所属する管理会社からの依頼の為に調査に来てますわ。彼等と神泉会との繋がりを知っているのは私達だけが知ってます。
ですから今、彼等と接触しても問題無いですわ」
「確かに依頼された調査を桜岡さん自身が行っているからな。後は廃ホテルに案内しますとか連れて行かれなきゃ平気か……」
でも車のナンバーを調べれば僕にまで辿り着くだろう。悠長に構えてはいられないな。
「オヤジさん。オヤジさんは僕等を知らないと言ってくれた。それがノコノコと食堂から出て来てはマズい」
集落に溶け込もうとしてる連中だ。色々と調べている筈だし。オヤジさんが疑われるのもマズいだろう。
「ふむ、確かにな。裏口から出れば見つからずに脇道に出れるぞ」
脇道からメインストリートに出て車に戻れば良いか。
「元々調査に来てるので、周辺を調べていた事にすれば良いかな。オヤジさん、何から何まで有難う御座います」
桜岡さんと二人、深々と頭を下げる。突撃取材に近かったが、収穫は大きい。
「ああ、娘を愛子と孫娘を成仏させてくれるなら良いさ……」
その後、愛子さんと孫娘の写真。生年月日等の必要な情報を教えて貰った。
それと集落の皆さんに管理会社と神泉会の事、僕等が廃ホテルの除霊を依頼されている事。
僕等が小原氏の手先では無い事を話して貰う様にお願いしオヤジさんと別れた。
第67話
「あんた達、どっから来たんだい?」
「ん?君達は、この集落の人かい?」
双方心の中に含みは有るが、フレンドリーに会話を進める。化かし合いの始まりだ……
◇◇◇◇◇◇
あの後、オヤジさんと別れて裏口から迂回しメインストリートに出た。
周りを珍しそうに見回しながら如何にも初めて来ました的な所作で車に行くと、案の定例の男達に話し掛けられた。しかし3人組だ……
最初、食堂の前に屯っていたのは4人。1人足りないのは隠れているのか、それとも報告にでも行ったか?流石は組織的詐欺集団は油断が出来ないな……
「ん?僕等は近くで働いていて、この集落の人達とは親しいんだ」
リーダー格なのだろうか?短髪の20代後半位の青年がにこやかに話し掛けてくる。残りの2人は、彼の後ろに立っているだけだ。勿論、にこやかな表情だ。
右側が30代半ば、七三分けにマスク。左側は最も若くて下手したら10代後半か?長い髪を無造作に後ろで縛っている。しかし全員が貧相な肉体だな。
その普通さが一般人に溶け込み易いのか?
「ふーん。それで何か用かい?そろそろ帰ろうと思ってるんだ」
少し警戒気味に答える。リモコンキーで車のロックを外し、桜岡さんを先に乗る様に目で合図をする。車・僕等・連中の並びなので桜岡さんは邪魔されずに車に乗れる。
「いや、この集落に他の人が来るのって珍しいからさ。つい声を掛けたんだ」
「ああ、そうなんだ。テレビ局の仕事で、あの廃墟ホテルを調べてるんだよ。だから周辺の集落とか、近くの沼とかね。この集落の人達は余り余所者が好きじゃなさそうなんでね……」
商店街の方を見ながら言う。僕等は集落の人達から冷たくあしらわれたよ、と。だから君達も何か言いに来たのかと思った。そう言う意味を含めて安堵な表情をした。
「あの廃墟ホテルかい?もう潰れて久しいよ。何を調べてるんだい?」
一瞬だがリーダー格の男の表情が変わった。相変わらずフレンドリーだが、後ろの2人が左右に少し広がった。気付かない振りをしながら運転席のドアを開ける。
「夏の心霊特番でね。アイドルをあの廃墟に探検させる企画だよ。それの下見。
今度はスタッフとか大勢で来るけどね。企画会議をするにも資料が要るからさ。これから編集だよ。じゃな?」
そう言ってドアを閉めてエンジンをかける。横目で見る彼等に動きは無い。軽く手を振って車を発進させる。
暫くルームミラーで後ろを確認するも、追跡の車は居ない。
「榎本さん、彼等は……」
桜岡さんが何かを言いそうになったので、口に人差し指を当てて内緒ってジェスチャーをする。あんな連中だ。盗聴器や発信機の心配もするべきだろう。
「さてファミレスでお茶したら帰ろうか。今夜は編集で残業だよ」
「そうですわね。色々とまとめないと駄目ですから……」
暫し無言で車を走らせて、適当なファミレスの駐車場に停める。店内から見える位置に。車を出て簡単に外装周りや車の下、タイヤ周り等をチェックする。
彼等にしても集落の連中の目も有るし、盗聴器等を取り付けるにしても簡単な場所にしか無理な筈。
「盗聴器や発信機の類が付けられてはないな。安心して良いかな」
「それでですか?車内で、あんな嘘を……」
ファミレスに入り車が確認出来る窓際に陣取り、暫くダベる。僕等の後から来た客は4組。子連れ主婦・学生3人組・カップルそして女性の独り客……
怪しいのはカップルと独り客の女性か?30分程時間を潰してから車に戻った。どうやら尾行はされてないみたいだ。しかし車のナンバー位は控えただろう。
この車を多用するのは駄目かもな。
◇◇◇◇◇◇
携帯電話の目覚ましアラームで意識が覚醒する。時刻は23時丁度。少しでも休まなければと思い、ホテルの部屋で暫く仮眠をとった。
今夜、廃ホテルに突入する。「箱」のご希望だから仕方ない。一応、オヤジさんの孫娘の身代わり札を作った。
もしも彼女の……
小原愛子の霊が出た時に最悪でも牽制位には使えるだろう。長く現世に留まる霊の場合、当初の思いが劣化したりする場合が有る。
悪霊化して子供を……
女の子を誰でも良いから引き込むなんて思いだけ残ってる。我が子の判別もつかない。そんな最悪の場合も有るしね。
序でに小原氏の身代わり札も作る。此方は囮として効果が有れば儲け物程度の意味だ。
僕にもっと力が有れば本来の自分に降りかかるダメージを変わりに受けてくれるお札になるのだが……そんな便利道具は作れない。
因みに小原氏の身代わり札がダメージを受けると、本体に何がしかの悪い事が起こる。これは呪いと同じ原理だ。
顔を冷水で洗ってサッパリしてから、持ち物を確認する。服装は黒を基調とした動き易い物。
ホテル内で黒ずくめは怪しいのでマスタード色のダウンジャケットを羽織る。軍用ブーツを履きポケットに「箱」を入れる。
残りの道具は事前に用意しているレンタカーの中だ。このホテルは使い捨てのカードキータイプ。一々フロントに鍵を返さなくても良い。
出入りも24時間OKだから朝帰りも大丈夫だ!問題は桜岡さんにバレないかだけだが、夕食後に朝のバイキングの待ち合わせ時間を決めたから最悪7時迄に部屋に居れば良い。
勿論、目標は5時に帰還だ。暗い内に勝負をかけないと駄目だ。実際は「箱」が廃ホテルに行きたいのだが、帰りの時間はお願い出来るだろう。
何気ない振りをしてホテルを出て、近くに用意していたレンタカーに乗り込む。
用意していた除霊道具をウェストポーチやポケットに詰め込み、マグライトの点灯試験を行う。問題は無さそうだ。
ルートは集落側からでなく最初に調査に行った時の道だ。昼間の調査で集落側からのルートが廃ホテルに繋がっているか調べきれなかったから……
暫く県道を走り問題の山道に差し掛かった頃、ポケットから「箱」が這い出してきた。太股に伝う冷たいアメーバーの感触に、思わず呻き声をあげてしまった。
助手席に人型に形成し始めた「箱」の中身を睨む。
「脅かすなよ。事故るだろうが……」
「ふふふ。随分と可愛い鳴き声だったぞ」
相変わらずの全裸の幼女だ。その裸体は病的な迄に青白く均整のとれたストン体型は素晴らしい。
「それで?最初から廃ホテルに向かえば良いのか?少なくとも4時には帰りたいんだ。アリバイ工作も有るからさ」
珍しそうに車の中を触って確認する幼女。ダッシュボードを開けて中身を見たり、ルームランプを点けたり……そんなに珍しいのか?
「ん?そうだな、感じる力は……沼とホテルだが……」
何やら意識を集中する様に目を閉じている。
「ふむ、やはり邪悪に変化してるな……くっくっく。奴も気付いたのか?よし、正明。ホテルに向かえ」
嫌な単語が色々有ったぞ。邪悪・変化・気付いた。コレって、もしかしなくても人の霊か稲荷神が邪悪化して待ち構えている。そう言う意味だよね?
「おい、稲荷神か?それとも人の霊か?邪悪に変化って……」
「正明、集中しろ。雨が降り出したぞ」
ポツポツとフロントガラスを濡らした雨は傘が無いと辛い位の降りになった。ワイパーを動かしライトをハイビームにして速度を落とす。
気のせいか車内が寒くなってきたのでヒーターを強に。幼女は真っ直ぐ前を向いているが、口が薄く開き糸切り歯が見えている。
「くっくっく……降りは弱いが天候を操れるとは中々じゃないか。正明、気をつけろ。既にヤツの支配下に置かれた連中のおいでだ」
徐行する車の前に人影が見える。前方20m位に、人影?「おい、停まるぞ」人影の10m程手前で車を停める。
車のハイビームに当たっているが、背後が透けている。若い女性と思われるが全体的にモノトーンで不気味な表情をしている。
何故が真っ白なワンピース姿でユラユラと立ち尽くす。数珠を取り出し、お札にするか清めの塩か迷う。雨はどちらも使用に制限がかかるから……
「くっ苦しい」
いきなり首が締め付けられるような圧迫感が!ルームミラーで確認すれば後部座席に人影だと?
「ぐっぐっ……うけけけけっ……」
目を凝らして見ればミイラの様にやせ細そった腕が僕の首を絞めている。ニタニタ笑いながら首を絞める霊体。
「馬鹿な!くっ車には……お札の結界……が……有るの……に……」
数珠に霊力を込めて首に回された手を払う。霧散する腕、楽になる呼吸。
「油断するな、正明!我の大切な下僕に大層な事をしてくれたなぁ!」
幼女が霊体を助手席の座席ごと抜き手で貫く。
「うがっ」
呻き声を上げながら霧散する霊体。
「正明、出るぞ!」
そう男らしく言い放ち助手席のドアを開けて飛び出す。物理的な椅子と霊的なモノを同時に貫くって、どうなんだよ?
弁償に幾ら掛かるか溜め息をつきながら車外に出る。結界の効かない車内は逃げ場が無く危険なだけだ!
外に出ればモノトーンのワンピース女を右腕一閃で消し去る幼女無双が見れた。
「まだ居るぞ。ふっふっふ、あーっはっはぁ!」
瞳の白黒が反転し両手の爪を尖らせた幼女が闇夜に吠えている。両手を開き天を見上げながら馬鹿笑いする姿は、その全裸幼女の形を差し引いても不気味だ……
しかし、まだ居るぞ!この言葉に周囲を確認すれば……崖側のガードレールに右腕が掛かっているのを見付た。
爪が剥がれ所々肉が裂けている腕を……もう少しで視界に顔が入る位によじ登っている。正直、顔は見たくない。
「おい、左側のガードレールに居るぞ!」
僕から3mも離れていないソレに清めの塩をブチ撒ける!そして幼女の脇に移動、周囲を確認する。
「なぁ?坂の下からユラユラと歩いてくる集団。アレも敵だよな?」
坂の下からユラユラと蠢く集団は……5〜6人じゃきかない数だ。
「どうやら周辺の浮遊霊・地縛霊を呼び寄せられるみたいだな。だがザコばかりでつまらん。正明、車を出せ。ホテルに乗り込むぞ」
このままではジリ貧か?しかし後顧の憂いを絶つには……幼女が車に乗り込んだ時、揺らめく影は5m位に迄近付いていた。
手に持っていたペットボトルを横薙ぎに振り回し、清めの塩をブチ撒けると急いで車に乗り込む。無言でアクセルを強く踏み込み坂を登って行く。
事前調査と霊の数が合わないじゃないか!理不尽な敵の出迎えに文句の一つも言って良いよね?
元々麓から大した距離は無かった廃ホテル迄の道のりを前方に集中し細心の注意を払って運転する。幼女が霊体に締められた首の痣に舌を這わせているのを無視して……
「くっくっく。つまらぬモノに怪我を負わされるとは情けない……」
言いたい放題だ。そう言えば筆卸しは「箱」が相手だったな。金縛りで身動きが出来ない時に、散々弄ばれたんだ。
自分の性癖のロリコンが確定したのは、あの鮮烈で忌まわしい行為が忘れられないからに違いな……
「おい、廃ホテルが見えたぞ。どうするんだ?」
トラウマな記憶を思い出していると、前方に禍々しい廃墟と化したホテルが見えた。闇夜の中に浮かび上がる廃墟は雨雲の中で有っても、その異様なシルエットを浮かび上がらせていた。
車を正面ゲートに横付けしエンジンを止める。お札を四方に貼り結界を張るが気休めだな。
「正明、付いて来い。人に呼ばれ弄ばれた神の成れの果てを見せてやる。くっくっく」
どうやらラスボスは稲荷神らしいな。ズンズンと先を歩く幼女の3歩後ろを警戒しながらついて行く。長い夜になりそうだ……
第68話
あれだけ準備・調査をしているのに、実際は考えなしの突撃除霊と変わらない。無理・無茶・無謀の大胆行動。
コレじゃ桜岡さんの事を悪く言えないや……初めて廃ホテルの敷地内に入る。
膝の高さまで雑草が生い茂っているが、舗装された歩道は自然の浸食に耐えていた。小雨降る中をペタペタと素足で歩く全裸幼女。
今は実体が有るのに何故か雨には濡れていない。レインガード仕様?
僕も右手にマグライト、左手に数珠を持ち続く。この程度の雨でもお札は濡れると文字が滲み清めた塩は溶ける。雨対策としてジップロックにお札を入れて有るが車の結界用に使い後2枚分しかない。
昼間の段階で雲が出ていたんだから除霊道具の雨対策はもっとするべきだったな……車に積んでいた雨具の中で合羽の上だけを着る。
フード付きの為、頭から伝った雨が目に入るのを防いでくれる。視界が妨げられないだけで大分助かるから。その分、カサカサと五月蝿いけどね。
歩道はホテル本館を迂回して奥へと続いていた。この先に稲荷神社が有るのだろう。
700ルーメンの光量を持つマグライトで左右を照らしながら警戒する。流石はバブル時代の抱え込み型のホテルだ。
広い駐車場スペース、テニスコート・パターゴルフにクラブハウス棟。案内看板は錆び付き雑草でボウボウだが往時を忍ぶ事は出来る。
どうやら今回の相手は丹波の尾黒狐と言われる神様崩れの相手らしい。僕達の調べた不審死を遂げた人達以上の数の使役霊を使ってきた。想像を超える相手だ。
「正明、鳥居と社が見えるぞ……」
幼女が歩みを止めて前方を指差す。
「アレが今回の親玉か?禍々し過ぎるぞ」
マグライトの光の先に赤い鳥居と社が見える。鳥居の前には大型犬ほどの毛むくじゃらなナニかが……禍々しい黒い煙の様な固まりに紅い光が並んで2つ。あれが瞳なんだろう。
「人に祀られし霊獣も放置されれば良くないモノとなる。しかも自我を無くし畜生にまで堕ちたか……正明、油断するなよ。ゴガッ……ガガガガッ……」
初っ端から本気モードだ。愛らしい幼女は口を限界以上に開き、中からギザギザの歯が並んだ有り得ない口を露出し始めた。頭の皮を全て捲るとワニの様な口だけが現れる。
今回は両手両足も同様に内部から爬虫類の様な爪が皮膚を突き破りながら伸びている。体だけが幼女特有の華奢なのだが頭と手足は別物だ。
「ウガァ!うけけけけっ……」
涎なのか体液なのかを撒き散らし信じられない跳躍力で禍々しい黒い煙に飛びかかった。もう僕には何も出来ない。
人外と魔獸決戦は一進一退、とばっちりを受けない様に距離を置いて周囲を警戒するだけだ。比較的枝振りの広い木の下に移動し周囲の草を踏み固めて平らにする。
自分を中心に2m程度の平地を作り、清めた塩を多めに使い円形の結界を張る。ここなら雨の影響も少なく塩も溶け難い。
遮蔽物が多いから周囲の警戒はイマイチだが、敵地のど真ん中で結界なく佇むなんて嫌だ!合羽を脱ぎ捨てると数珠と清めた塩の入ったペットボトルを構える。
霊感が魔獸決戦以外にも敵が居ると訴えているんだ。シトシトとした雨音の他に何か聞こえる。
「オジサン、あそぼ?ねぇ……クスクス……オジサン……」
突然の声に振り向けば、結界の外に体育座りをする少女が居る。手を伸ばすが結界に阻まれて入れないのか?モノトーンの少女が俯いた顔をあげると、比較的綺麗な顔だった。
「ああ、お兄さんが君を極楽浄土に送ってあげるよ。お兄さんがね……おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」
愛染明王の真言を唱え、清めた塩を軽く頭に振り掛ける。
「オジサン……暖かいね……オジサン、ありがとう」
比較的自我を保って恨み辛みが無い霊だったのか、淡い光を放ち霧散した少女の霊に合掌する。
「オッ……オジサン、オジサン……」
「僕は未だ30代前半だ!お兄さんと呼べ」
次に呼ばれた方を見れば、何も無い。
「オジサン、コッチ……オジサン……」
上から呼ばれた気がして見上げれば、木の枝から逆さまにぶら下がっている少女がいた。ザンバラな長い髪をだらんと下げて目から血の涙を流す少女の霊……
コッチは悪霊っぽい嫌らしい笑みを浮かべている。
良く見ればスカートを履いているから……逆さまになれば見えるんだぞ、パンツが!
「お嬢ちゃん、パンツ見えてるよ。その年で一部スケスケはいただけないな」
少女の履いているパンツは年頃の女性の履くパンティーだ。クロッチ以外の飾り部分がレース地の様に透けている。
モノトーンで色は分からないが所謂ヒップハングと言われるタイプだ。ローウエストのパンツでも見え難い事で人気のパンティーだ!
ああ、今はパンティーでなくショーツと呼ぶんだっけ?この辺がオジサンか?
「オネエチャン……ノヲ……カリタ……オジサン……キモイ……」
逆さまに下がってきながら、両手で自分をかき抱きながらイヤイヤをする。芸が細か過ぎるぞ!
「キモくて悪かったなー!おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく。成仏しろよ、オマセさん」
真言を唱えて霊力を数珠に込めて振り払う。
「アハ、コレデ……ジユウ……」
彼女も祓う事が出来た。でも彼女達には悪いが、そこら辺の浮遊霊と変わらない。こんな筈じゃないと考えていたら、背中がゾッとした。
良くある表現で冷水を浴びた様な……嫌な汗が体全体から噴き上がる。
「何処だ?」
視界の隅では全裸幼女が黒い獣に馬乗りになっているのが見えた。彼方の勝負はつきそうだが……コッチはピンチ。
雨宿りをしている木にもたれ掛かる女性。何故、モノトーンで白いワンピースなんだろう?
俯き加減に上目使いで此方を見ている仕草は大変可愛らしく有ります。
ただ、落ち窪んだ眼下の奥底に光る紅い瞳。病的に青白い肌のアチコチに有る擦過傷。だらりと下げた両手の爪は剥げてますし何本かは折れて不自然な方向へ曲がっている。
多分自分で掻き毟っただろう首に有る傷。死の間際に大変苦しんだタイプだ。でも水死じゃない。
「お兄さん……私と……一緒に……死にましょう。あはっあははははっ」
上半身をクネクネと動かしながら笑い出す。
「オジサンは一人遊びが好きなんだよ!おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」
裂帛の気合いを込めて真言を唱える。うん、効いてないぞ?
「あは、あはは……オナニー好きなんて……私が、して……してあげ……あげ……」
ゆっくりと近付く彼女は、簡単に塩の結界に踏み込んだ!素足が結界の塩を踏む。
「あは、いっ痛い。でっでも……でも……平気な……の……」
足の裏から焼け爛れた煙が上がるのも気にせず、結界に入り込んで来やがった!
「ドエムか?放置プレイにするから僕に構うな」
ペットボトルに残る最後の清めた塩をブチ撒ける!顔から胸にかかった塩は、彼女を焼け爛れさせながらも苦悶の表情を浮かべるだけだ。
「あはっ……酷い人……ねぇー!」
突然掴み掛かってくるエム女の腹にヤクザキック!反動で距離を取るが結界からは出てしまう。エム女の方も結界の外にはじき出したけど。
「酷い……人……女を……蹴るな……んて」
実体化してる怨霊か。正直勝てる気がしない。結界の中に戻っても同じ事になるだろうし……暫しエム女と睨み合う。
手持ちの霊具は数珠とお札だけだ。胸ポケットに入れていた札を右手に持ち、梵字が書いてある面を下に向けて構える。
雨で濡れて文字が滲めば効果は半減するが、ジップロックに入れている暇は無い。
「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」
愛染明王の真言を唱えてながら、お札に霊力を注ぎ込んでいく……限界まで霊力を注ぎ込んだら、迷わずエム女の額にお札を叩き付けた!
「がはっ……だっ……誰よ……貴方は……わたっ……私に……抱きついて……あはっ、あははは……」
必殺のお札は確かにエム女の額に貼り付けた。なのに何故、エム女は変な事を言ってるんだ?
「あはっ、あははははっ。私に……そんな……に……しがみ付く……な……んて……変態……ねぇ」
お札を握り締めてニヤニヤしだしたぞ?
「おい、何を……ヤバっ、アレは小原氏の身代わり札だ。つまり彼女には小原氏が抱き付いてると思ってるのか……」
「私……達……いっ一緒……捨てない……で……今度……は……」
お札を抱き締めながら霧散していったエム女。何か捨てられて殺された感じの言葉だったが……
「グハっ、なっ何だ?」
エム女を呆然と見ていたら脇腹に衝撃が!ヤバい肋骨が持ってかれたか?濡れた地面を転がりながら衝撃を逃がす。
脇腹からは浅い呼吸でも鈍い痛みがする。痛みを堪えて衝撃が来た方を見るも目に泥が入ったか右目が見えない。霞む左目で見れば、半分白骨化した女が立っている。
アレにヤラれたのか?
片足を付いて数珠を構え、愛染明王の真言を唱える。喋るたびに痛みが走るが我慢だ。
「おん まからぎゃ ばぞろ しゅにしゃ ばざら さとば じゃく うん ばん こく」
「正明、何をやってるんだ!」
捲れた皮を元に戻した幼女が、僕を睨んでいた白骨化女を袈裟懸けに手刀で切り裂いていた。頼むから、もう少し早く助けてくれ。痛みを堪えて近くの木にもたれ掛かる。
「そっちは終わったのか?」
僕を見下ろす幼女は、酷く不機嫌そうだ。
「ああ、人により祀られ人により放置された霊獣は喰ったよ。哀れな獣……でも、それは我も同じ。正明、アレは良い贄だったぞ。良くやったな」
幼女が跪いて脇腹に手を添える。一瞬、腑を引き刷り出されるかと思ったが小さな手を当てられた部分から痛みが引いていく。このバケモノは治癒も出来るのかよ?
「なぁ……人により祀られ人により放置、我も同じってさ。お前、もしかしてウチの先祖に祀られてたのか?」
田舎の土蔵に二重で封印されていた「箱」。どちらかと言えば祀るより封じていたと思ってた。
「うわっ舐めるなよ」
いきなり泥の入った右目を舐められる。
「漸く気が付いたか。愚かな一族め。そうだ、我を呼び出し祀りあげながら700年前に封じ込めおった。だから我を崇めるのを忘れているお前らの祖先を喰ったんだ」
寄りかかる僕の腹の上に跨る様に座り、両手で僕の頭をがっちりと掴む。祖先を喰った!その一言に逆上した。
「ならば言えば良いじゃないか!我を祀ればでも崇めろでも。何で一族を殺したんだよ」
「罰だよ、正明。我を忘れた罰だ!でもお前は700年振りに我を祀り贄を捧げた。そして今、お前の先祖の咎の理由を知った」
右目を舐め終わり頬を舐め始める。
「我の唯一の下僕よ。我は機嫌が良い。褒美を取らすぞ、何が良いんだ?ふふふっ、久々に閨を共にするか?」
こっコイツ、僕の初めてを奪っておいて良く言う。待て、待てよ。
「なぁ?爺さんと両親を解放してくれよ。出来るだろ、なぁ?」
幼女の両脇の下に手を入れて持ち上げる。その顔は不満気だ。
「我を忘れた連中をか?ふん、良いだろう。肉親の情など我には理解出来ぬがな。それと我の事は胡蝶と呼ぶが良い」
そう言うとパシャりと黒いヘドロ状態に戻って、ポケットの「箱」へと入っていった。
「爺さん、父さん、母さん。やった、やっと苦しみから解放させられた。でも、何なんだよ!
祀るのを忘れた罰で殺すってのはよー!何なんだよ、畜生がぁ」
肉親を苦しみから解放出来た。でも理不尽な理由に納得など出来なかった……