伊豆大島の温泉旅館にてつかの間の休息を得た、やはり日本人はシャワーより浴槽に浸かれる風呂が良い。
風呂上がりのコーラを部屋で楽しんでいた時に、一子様が訪ねて来て今後の方針を話し合う、ビール片手にだが……
「四子は九子に食われた、本当ですか?」
「ええ、間違い無いと思うわ。四子は祇園の置屋を束ねていたわ、彼女の強味は接待力と祇園の有力者からの豊富な資金。
その有力者達が慌てて私に接触してきた、未だ詳しい話は聞いてないけど根拠としては十分だと思うわね。
私と違い自身は戦闘系の術者だったのよ、兄弟姉妹の中では単純な戦闘力は一番だったわね」
その分政治的工作は苦手で、祇園の置屋での接待しか出来なかったけどと笑って締め括った。
だけど祇園の置屋を使った接待と豊富な資金、自身も強力な術者だったか……
九子が最初に四子を潰したのには意味が有るのかな、だが食った後に後ろ盾の祇園の有力者達を取り込まずに放置するのは疑問だ。
『取り込まれた奴は少なからず狂う、理路整然とした考えは出来難いと思うぞ。
だが強い奴には自然と人が集まって来る、利用したいのか強さに憧れるのか動機は色々だがな』
突然の胡蝶の脳内会話だが慣れって怖いな、慌てる事も驚く事も無い。
『だが祇園の有力者達は九子じゃなく一子を頼った、又は複数の生き残り達に声を掛けたか?
切羽詰まった状態で、なりふり構わず縋るのも疑問だな、欲望渦巻く色街祇園の有力者達が何も考えない訳は無い。
四子を食った九子には与したく無い、残りの生き残りでは筆頭は一子様か……』
「ならば生き残りは六郎と八郎、二人の潜伏先は分かりますか?」
残りは男二人、最悪一人は確保しなければ厳しい戦いを強いられる。一子様は僕のグラスにビールを注いでくれたのでビール瓶を奪い返杯する、彼女に慌てた様子は無い。
「六郎は本拠地である広島県の呉に、八郎は本拠地である岐阜県には居ないのよ。情報では関西空港から羽田空港に、その後新幹線で山形県に入ったわ。
巧妙に追跡出来る僅かな痕跡を残しながら移動して、今は北海道に潜伏してるらしいわね」
今も追跡は行っているが彼女のファンクラブを総動員しても現在の潜伏場所迄は突き止められないそうだ、相当の隠密能力だが毎回痕跡を残すのが逆に変だ。
「常に移動して、しかも後を追える痕跡を僅かに残すか……痕跡自体が罠だと思うな、囮を追わされている懸念が有る。
片方は本拠地で待ちの状態、当然だが罠を張り巡らせて待ち構えているだろうね」
ビールを煽る、両方共に罠を張り巡らせているけど前者は追っているのが本人なのか怪しい、後者は罠を張り巡らせて獲物が来るのを待っている。
三郎は本拠地じゃなくて絶海の孤島に愛人達と共に逃げ込み隠れていただけだ。
「六郎を追って呉に行こう、八郎は囮を追わされて時間を浪費する可能性が高い。同じ罠なら食い破れる方が良いよ」
兎に角時間が惜しい、小賢しい誘導する様な罠よりも待ち構えている迎撃系の罠の方が対処しやすい。
「六郎は呉市の鷺山(さぎやま)神社の氏子総代の一人、他の親族と共に鷺山周辺を支配下に置いているわ。
鷺山神社は広島県の県社、今は神社本庁の別表神社で旧呉市内の総氏神として信仰されている。八幡神として帯中日子命(仲哀天皇)を祀っている地元密着タイプの連中ね」
「総氏神で氏子総代か……」
厄介だ、氏神とは昔は氏子達だけが祀った神で祖先を神として崇める事が多かった。
その後、氏神の周辺に住みむ者達も祭礼に参加する様になり氏子達が増えていった地域ぐるみの信仰集団だ。
日本は八百万の神々が居て、その曖昧さも有って氏神は鎮守や産土神と区別されなくなり混じり合う。
同じ氏神を祭る人々を氏子中や氏子同と呼び、その代表者である氏子総代達を中心に神事や祭事が担われているんだ。
某(なにがし)かの理由で土地を離れても信仰を続ける者を崇敬者(すうけいしゃ)と呼び、氏子と併せて氏子崇敬者と総称し勢力拡大に貢献している。
つまり六郎は呉市を中心とした地域で有力者として君臨している、そんな奴が罠を仕掛けて待ち構えているのか……
「私の掴んだ情報では相当な人数が呉市内に集まっているのよ、六郎は地元では有力者、いえ支配者と言っても良い鷺山(さぎやま)家の跡取り息子なのよ」
「鷺山家、親族が鷺山神社の氏子総代を独占してるんだよね?地場密着の宗教は強いんだ、攻略には作戦を練らないと駄目だな」
地域と密接な関係に有る宗教は根強い、霊能力者は少ないが普通の人々が信仰と言う名の結束で協力している。
つまり御町内の爺さん婆さんから若妻や子供達まで協力者として六郎を助けるんだ。
彼等は一般市民で素人、あくまでも信仰心からの行動だから僕等も危害を加える事は厳禁、巻き込む事すら躊躇する。
僕も地域に密着した田舎の住職の孫だったから、地元に溶け込む宗教関係が、いかに厄介なのか分かるんだ。
「次の目標は六郎で決まりね、情報は集めておくわ。六時半から宴会よ、三階の大広間の『大島』だから間違えないでね」
そう言って一子様は特に酔った感じもせずに自分の部屋へと向かった、短時間で瓶ビール二本を空けるとは驚いたな。
◇◇◇◇◇◇
大宴会場『大島』は七人で使うのには勿体無い三十畳程の広さとステージを持っている、ステージは焦げ茶色の緞帳(どんちょう)が下りているが中にはモニターとカラオケの機材が有るらしい。
そこに高そうな絨毯が敷かれてテーブルと椅子が配置されている、既に準備された料理は見事だ。
「榎本さんのリクエスト通りに伊勢海老のお造りに花咲蟹の釜茹、鮪の兜焼きよ」
海老・蟹・鮪と来たか、しかも数が半端無い、鮪の兜焼きなんて大皿で三つも並んでいるぞ、普通に考えて二十人前か?
他にも地魚の舟盛りやローストビーフとか和洋中華が混じり合い過ぎです。
「うん、嬉しいよ。でも先ずは乾杯しようか?」
一子様なりに大食いの僕の為に無理をしてくれたんだろう、彼女ならフレンチとかイタリアンが似合うのに鮪の兜焼きの前に座ってるなんてレアモノだな。
多分だが大食いって人種は初めてだから、取り敢えず大盛りな料理を沢山って感じで頼んだのだろう。
僕的には単品が山盛りでなく色々な種類の料理を品数多く食べたい気持ちも有るけど、正直配慮してくれた事が嬉しい。
「そうね」
皆にグラスとお酒が行き渡ったのを見てから軽くグラスを持ち上げる。
「私と榎本さんの新しい幸せな未来の為に、乾杯!」
いや、それは否定させて下さい。洒落にならないから!
「「「カンパーイ!」」」
華やかな女性達に囲まれた緊張を強いられる宴会が始まった、皆さんグラスに入ったビールを一気に飲み干してから部屋の隅に用意されたドリンクコーナーに向かう。
冷酒・ビール・ワイン・ソフトドリンクは備え付けの冷蔵庫に入っており、ウイスキーや焼酎や氷にミネラルウォーターはテーブルの上に並んでいる。
流石に若い女性達はビールが苦手なのかと思ったが、各々がビール瓶を取り出した。
一子様もだが関西巫女連合は実はビール党が多い?
「はい、榎本さん。一献どうぞ」
モブ巫女さんの一人がビール瓶を差し出して来た、自分用の空のグラス持参なのも好印象だ、最近は女性に御返杯もセクハラとかアルハラだと言われるご時世だし。
「有り難う御座います」
グラスに入ったビールを飲み干してから注いで貰い更に半分位飲む。
「では御返杯を」
モブ巫女さんの差し出したグラスにビールを注ぐ、一応接待的な気持ちなのだろう、モブ巫女さん全員がビールを勧めに来てくれた。
「榎本さんはビール党なんですね、では私も」
モブ巫女さんの次は高槻さんだ、普段の独特な化粧を落としてナチュラルメイクな彼女も相当な美人さんだ。
「大体ビールばかりですね、頂きます」
手持ちのグラスのビールを飲み干し空にしてから差し出す、立て続けに飲まされたが未だ大丈夫だ。
酒の上の過ちは最大限に気を付けなければならない、ハニートラップの定番だし……
「では御返杯を」
注がれたビールを一気に飲み干し「ふぅ」って色っぽく溜め息を吐かれたが、全く心は動かされない。大丈夫だ、鋼の精神(ロリコン)は平常運転だ。
彼女の後ろには一子様が控えているが、何故か笑顔でワインの瓶を持っている、僕はアルコールのチャンポンは苦手なのだが……
◇◇◇◇◇◇
結果的に今夜の宴会を振り返れば楽しかった、一子様と高槻さんは美人だしモブ巫女さん達も若く普通の女性達だ。
接待の気持ちで接してくれるので楽しくない訳はない、例え僕が重度のロリコンでもね。
だが胡蝶と混じり合った僕は頼めばアルコール成分は身体から飛ばして貰えるので酩酊する事は無い、それが六対一でも変わらない。
それにモブ巫女さん達はお酒に強い訳でもなく、大体ビール瓶に換算して一人当たり五本目位でギブアップしフェードアウトしていった。
「榎本さん、アルコール強すぎです」
「本当に……あのビール瓶の山は何ですか?二ケース(四十八本)は空けましたよ」
身体全体が真っ赤で呂律も怪しい高槻さん、既に座っている事も怪しくてグラグラしている。これ以上は急性アルコール中毒の危険性が有る。
一子様は飲む量も抑えてたので頬を赤く染める位で未だ平気そうだ、手際良く蟹の身を解しては僕の皿に乗せてくれる。
「体質でしょうね、ですが明日に響くのでアルコールは打ち止めにしましょう。酔い覚ましにコーラを貰いますね」
ドリンクコーナーから自分用のコーラと女性陣用の烏龍茶の瓶を持ってくる、自分で開けるから栓抜きは要らない。
高槻さんは一口飲んでから下を向いて黙ってしまった、そろそろ危険域か?
「榎本さんは、何故私を助けようと思ったのかしら?普通なら対立派閥の当主は放置するわよ、幾ら九子が危険でも先ずは私達に戦わせて戦力を削ぐのが普通の考えだわ」
自分のワイングラスに手酌で赤ワインを注いでいる、下を向いているので表情は見えない。
「そうですね、僕も一子様と会ってなければ見捨ててましたね。
対立派閥の勢力争いに好き好んで首を突っ込むのは馬鹿者の行動だ、亀宮からしてみれば御三家の一角が弱体化する絶好の好機、何故手伝うのかと痛くない腹を探られました」
黙って見詰めてくるが納得していないな、途中で何度か理由は話したけど瞳術は使ってないが未だ秘密が有るなら話してくれって事か……
「本音と建前のどっちが聞きたい?」
「そうね、在り来りだけど建前から聞かせてくれるかしら?」
そろそろ目を逸らしたい、黒い瞳に吸い込まれそうだ。
「建前は……九子は危険だ、我々霊能力者全体の敵。被害が拡散する前に早急に倒さなければならない、そこに派閥争いとか損得感情とか持ち込むな、かな」
ニッコリ笑って次の本音を促された、毎回言ってるから聞き飽きたみたいだな。
「本音はね、名指しで僕自身や大事な人達が巻き込まれたから。
一子様の協力は渡りに船だった、加茂宮の当主達の情報に詳しく他勢力の本拠地である関西での行動がスムーズに出来る。
名古屋の事件で知り合えた君の人柄は少しだが知り得た、嫌いじゃないし互いに利益も有る。
正直に言えば無報酬でも良かったけど亀宮に配慮したんだ、巨大な組織には派閥が有り利益を求め過ぎて本末転倒な馬鹿な行動をする。
お前等の為に命を張るんじゃないのに口を突っ込んで偉そうに騒ぐ滑稽な連中だ。
でも僕等は互いを裏切る事は絶対に無いだろ?だから君と僕は一蓮托生で呉越同舟だ、命を賭けても悔いは無い」
『そして大事な者には我も含まれ他の当主達は我等の為に贄とする。だが目の前の女は守る、正明も悪よのう』
悪代官みたいな例えは止めて下さい、だが一子様は僕の九割本音トークを信じてくれたみたいだ。
七百年に及ぶ胡蝶と奴との因縁に決着を付ける為にも頑張るぞ。