榎本心霊調査事務所(修正版)   作:Amber bird

15 / 183
第39話から第41話

第39話

 

 神奈川県三浦市。

 

 都内近郊で有数な海水浴場、三浦海岸を有する田舎町だ。駅周辺や海岸線沿いは、それなりに開けている。

 しかし一歩山側に入れば、延々と畑・畑・畑。自然豊かな場所が多い。

 そんなご近所さんが近くに居ない場所に、僕の隠れ家と言うか仕事場は有る。元々は農家だったが、息子夫婦の元へ引き取られた知り合いの爺さんから安く借りた物件だ。

 トタン張りの古民家と言うか、古い家だ。その代わり、壁の中とか庭とかに色々仕込んでも構わないとお墨付きを貰っている。

 なので庭・家・祭壇の有る部屋と、三重の結界を張ってある。そんな周りが畑だらけ、古い家の前に車を止めた時の桜岡さんの驚きと言ったら……

 口を開けて、ポカンと眺めてたからな。

 

「こっこっこっこ……」

 

「コケコッコー?いやコカ・コーラ?」

 

「こっこんな汚い……いえ、手入れの行き届いてない家が隠れ家なんですか?」

 

 震えながら指差している、僕の仕事場。そんなに嫌かな?

 外見は良くないけど、中は知り合いの不動産屋さんに綺麗にして貰ったんだけどね。

 

「中はリフォームしてるから綺麗だよ。それに周りを気にしなくても良いし、結界は厳重に張ってあるから」

 

 そう言って庭石をひっくり返して、中に仕込んだ結界札を見せる。パウチで防水加工した逸品だ。

 

「まぁ!でもお札をパウチっこするなんて……」

 

 驚いているのか、感心しているのか?うんうん考えている彼女を脇目に車を入れる。ガレージと言う、ただ広いだけの庭に。

 当然、舗装も無い剥き出しの地面だ。車を停めたら、清めた塩で周りに円を描く。

 車をグルリと塩の円で囲ってから、四方にお札を裏側に仕込んだカラーコーンを立てる。

 

 これで車を目印に追跡は出来ない筈だ。

 

 更に桜岡さんと自分も念入りに塩をかけてから、漸く玄関の中に入った。ギィっと建て付けの悪い木製の玄関扉を開けて、玄関に入る。

 電気を付けると2畳程の玄関部分が、パッと明るくなる。電球をLEDに替えたので4000kの明るさだ。

 古い家だから玄関は広い……無駄に広い玄関には、本棚みたいな下駄箱に大きな姿見。

 それにドレッサーが置いてある。ドレッサーには仕込みがしてあり、扉を開くとお札と清めた塩が飛び出す様にしてある。

 玄関から逃げ出す時、または玄関から侵入されそうな時の対策だ。後は窓とか裏口とか出入り出来る所には全てだ。

 因みに普通の泥棒には、全く効果は無い!一度空き巣に入られたが、お札や祭壇とかを見て気持ち悪くなったのか何も取られなかった……

 尤も金目の物なんて無いけどね。でも僕以外の白髪染めをしていた毛髪が落ちてたので、軽い呪いをかけた。

 

 一日中トイレに篭もらねばならぬ呪いをね。

 

 取り敢えずお客様を通せる場所と言えば、居間しかない。八畳和室、コタツも完備された冬ならば日本人垂涎の部屋だ!

 

「上着はハンガーに掛けて。何が飲みたい?珈琲・紅茶・昆布茶・日本茶、それとコーラにジンジャーエールが有るよ」

 

 玄関口で立ち尽くす彼女に、冷蔵庫をガチャガチャと探しながら話し掛ける。途中、コンビニで買い出しはしてきた。食料品は山盛りだ。

 

「えっ、と……では紅茶を頂きますわ」

 

 漸く再起動出来たのか、スリッパを履いて中に入ってくれた。紅茶か……先ずはお湯を沸かさないと駄目か。

 備え付けのガス台にケトルを乗せて火をつける。自分はジンジャーエールの缶を持ってコタツへ向かう。

 

「さて、今晩をどう乗り切るかがヤマだね。取り敢えずヤルだけの事はヤッたから、追跡される事は無いと思いたい。

でも目が合ったのが心配なんだ。もしかしたら僕の防ぎきれてない印が有るかも知れないからね」

 

 コタツの向かい側に入って話し掛けてから思う。

 

「もしかして自前の結界を施した場所有った?なら無理矢理連れてきて悪かったかな?」

 

 仮にも霊能力者なんだ。それ位の用心は……アレ?真っ赤になって俯いたぞ。またアレか?恥いってるのか……

 

「その……そう言った技能は無くて……何時も何時も言われて気が付いて、恥ずかしい……です……」

 

 この娘の師匠は、彼女に何を教えていたのだろうか?この業界は、防衛手段こそが大切なのに……

 僕が教えようにも宗派が違うから無理だし、いや僕が道具を用意すれば可能か?

 

「得手不得手は誰でも有るよ。僕は防衛と道具作成が主だからね。別に恥いる事は無い。

簡単な方法なら宗派は違えど効果は発揮する筈だし」

 

 全く、随分と優しくなったものだな。最初の物件で距離を置くつもりが、こっちから関わりを持とうとするなんて。

 まぁ桜岡さんは結衣ちゃんとも仲が良いし、手助けは仕方ないだろう。

 

「何故?何故、榎本さんは私に……」

 

 ピーっと言う甲高い音が鳴り響き、ケトルが沸騰した事を知らせてくれた。

 

「お湯が沸いたようだね。ちょっと待っててね」

 

 この家には大した茶葉は置いてないんだよね……確かリプトンしか無かった筈だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 もう!肝心な時に邪魔が入るなんて。流石に此処まで親切にしてくれるのは……期待して良いですわよね?

 でっでもでも、私……今日は着替えを用意してないわ。

 それに初めてが、こんな古い家では嫌だわ。せめてお気に入りの……

 

「はい。レモン無いから、砂糖とクリープね」

 

 考え事をしていたら、目の前に紅茶が。とても大きなマグカップね。

 

「頂きますわ」

 

 熱い紅茶を砂糖を二つ入れて頂く。ふぅ、少し落ち着いたわ。別に焦って結ばれる必要は無いわね。

 幸い彼の周囲には女の影は無いわ。精々が結衣ちゃん位だし……

 榎本さんを見ればジンジャーエールをチビチビ飲んでいるわね。本当にお世話になりっぱなしだわ。頼りになるクマさんね。

 

「それで……この後、は?私、今日は準備が……その……」

 

 いきなりお泊まりなんて用意してませんわ!

 

「ああ。色々と考えたけどヤバい物件だったね、あの廃ホテルは」

 

 今思い出しても恐ろしいわ。全く力が入らないなんて、アレは何だったのかしら?

 

「確かに準備無くいきなり行ったら大変な事になったわ。でも不思議ね。管理人の人は、あの怖い建物に入っているのかしら?」

 

 私達だけじゃないはずよね。アレだけの力有る「ナニかか」が与える影響は……

 

「確かに管理人は……怪しいんだ。それに今回の件はホテルだけが原因じゃないと思う。

池の祠だけど、云われを調べる必要が有るかな。蛇神か龍神か、はたまた人柱の線も有るし。

格式を守らない神社。有るだろう稲荷神社。何もかもが怪しくて仕方無いよね」

 

 徐(おもむろ)にポテトチップを勧めてくる。のり塩味ね。私も大好きだわ!

 のり塩>コンソメ>フレンチの順番よ。

 

「あの神社ですけど、境内は清々しい感じがしましたわ。格式を守ってないのに何故かしら?」

 

 手順を守ってこそ、効果が有るのよ。あんなインチキしたら、効果は発揮されないわ。

 

「僕は……感じとしては、見た目は神社だけど寺としての結界が生きていると思う。アレは廃仏毀釈で建物は壊されたけど、未だに寺としての機能は保ってるんだ」

 

 廃仏毀釈ね……我々宗教関係者には忌まわしい記憶でしかないわ。

 

「榎本さんは今回の件は歴史的な事件も関係有ると思うの?」

 

 難しい顔をしたわね。判断はし辛いのかしら?

 

「ただホテルが潰れたにしては強力だ。勿論、稲荷神の線も捨ててないさ。兎に角、情報が少ない……

正直、この件を続けるか続けないかも微妙だよ。勝てない相手に挑むのは、自殺志願者と変わらないからね……

さて、一息ついたら結界を強化するよ。手順を教えるから覚えるんだ。なに、材料さえ揃えば簡単さ」

 

 どうやら結界の張り方を教えてくれるみたいだわ。さり気なく大切にして貰ってる感が嬉しい。

 

「分かりました。教えて下さい」

 

 深々と頭を下げる。この感じなら下心は無いみたいだわ。やはりムードは大切にして欲しいから良かった。

 さて、真面目に教えてもらいましょう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「先ずは知ってる結界方法を教えて」

 

 コタツに向かい合って座っているが、真面目な顔で……いえ、カールのチーズ味を頬張りながら聞いてくる。

 既にポテトチップのり塩味は完食したわ。知らなかった……電子レンジで20秒ほど温めると、出来立て風味になるなんて。

 サクサク感が増して美味しいわね!

 

「簡単な盛り塩。小皿に粗塩を盛って四隅に置く結界。それと古神道の招福折符かしら……」

 

「招福折符って?神折符の一種だっけ?」

 

 カール争奪戦を繰り広げながら聞いてくる。流石の榎本さんも、招福折符は詳しくないのね。

 デッカい掌でお皿を隠すけど、隙間からカールを取り出す。アッという間にカールも完食。

 次は何が出て来るのかしら?一旦榎本さんがコタツから立ち上がりキッチンに向かう。

 冷蔵庫からお代わりのジンジャーエールと……本命の湯煎していた缶詰シリーズを出してきたわね。

 

 名取の焼き鳥、おでん。それに鯨の大和煮に鯖味噌缶。お酒が欲しくなるわね。

 

「そうね。神折符とも言われるわ。それの厄祓符と祓い包みを少し……」

 

 あっ!お皿に分けてよそったわね。榎本さんの分を強奪する楽しみが無くなってしまったわ。

 

「ふーん。商売繁盛・家内安全・厄除け祈願とかは見た事有るけど、祓い用の符も有るんだ」

 

 安心しておでんの大根を食べてるわ。玉子と大根は狙っていたのに……

 ワキワキと箸を動かしていたら、お皿を左手で隠されたわ。

 

「ちょっと酷く有りませんか?私、そんなに榎本さんの分を狙ってませんわ!」

 

 彼の指差す先には……既に完食した空のお皿が有りますわね。私の……ですわね。

 

「おほほほほー!とてもインスタントとは思えない味よ」

 

 肩肘張らない関係が、こんなに楽しいなんて。見た目は筋肉で決して美男子でないクマさんだけど、一緒に居て楽しいのが大切なのは良く分かるわ……

 見た目だけの男を追うのは愚かよね。ちゃんと大根と玉子を箸で半分に切って渡してくれたし。餌付けされた訳じゃないわよ。

 私が差し出されたおでんを食べていると、チーカマを出してきたわ。

 

「私、それも好きですわ」

 

 剥いていたチーカマを途端に口に放り込まなくても、良くありません?全く失礼だわ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 楽しい夜食が終わり、結界を張った祭壇の間に布団を敷かれて独り。大人しく布団の上に座っているわ。

 あの後、朝まで此処に籠もるからトイレを済ませろ!とか水と食料を用意したから、外に食べに出るな!

 とか散々注意されたので、大人しく朝までお籠もりますわ。

 

 彼曰わく

 

「良く怪談で言われているけど、誰が来ても開けない事。僕は朝まで間違っても開けてくれとは言わないから。

言ったらソレは偽物だ。結界が破られたら分かるから、それまでは大人しく寝ていて構わない。

最悪の場合は……共に最後まで足掻こう」

 

 そう言ってくれたわ。つまり最悪の場合は、共に最後まで戦ってくれる。私を残しては逃げないって事よね?

 正直嬉しい。他のどんな美辞麗句より、彼は自分の命を賭けてくれるのだから……

 これって、告白よね?でも周りから見れば既成事実を作ってしまったのよね。仕事帰りに二人でお泊まりしてしまった訳だし。

 テレビ局の人達も薄々は分かってたでしょうし。まぁ良いですわよね?

 別に私は困らないのですから……

 

 

第40話

 

 自分の仕事部屋兼寝室の布団に寝っ転がり、今までの事を考える。桜岡さんは祭壇の間に押し込んで結界を張った。

 自分の時よりも念入りで厳重な事に、少し可笑しくなった……思えば霊能力を持った者と、こんなに親しくなったのは初めてだ。

 「箱」の存在に気付かれない様に、常に彼らからは距離を置いていたからな……

 

 彼女は僕の秘密を知ったら、軽蔑するだろうか?距離を取るか?排除するか?……今は考えても仕方無いだろう。

 過剰な位の結界だ。

 

「ナニか」が干渉すれば分かるから、今は少しでも体を休めよう。

 

 時計を見れば9時を過ぎた……「ヤベェ!結衣ちゃんに連絡してねーよ」携帯電話でなく固定電話から彼女の携帯電話にかける。

 

 家の固定電話にかけないのは、ナンバーディスプレイじゃないからだ。少しでもアリバイに信憑性を……アリバイ?なんで?

 3回目のコールで繋がった。

 

「もしもし、結衣です」

 

 久し振り?に聞いたロリの声に心が躍る。

 

「結衣ちゃん。ゴメンね、仕事でドジってしまって……今、三浦の作業場の方に来て結界張ってるんだ」

 

 卑怯な言い回しだが、安全の為に此方に来ていると伝える。ナンバーディスプレイも此方の番号が表示されてる筈だから、信憑性は有る。

 

「えっ?大丈夫なんですか?」

 

 心優しい結衣ちゃんは疑わずに、腹黒く汚れた僕を心配してくれる。

 

「うん、今晩此処に籠もれば大丈夫。帰れないから戸締まりをしっかりね。明日は昼過ぎには帰れると思う。心配しないで、念の為に此方に籠もるだけだから……」

 

 それでも心配そうな彼女に「大丈夫だから!」と念を押して電話を切る。

 

 フッと思ったけど、この状況ヤバくない?霊的じゃなくて大人の男女が一つ屋根の下……まぁ心配しなくても平気だよね。

 仕事としてだし、桜岡さんの安全確保の為だから。彼女もそんな気は無いだろうし、周りに言い触らす事も無いだろうし……

 さて、少し休むか。今日は色々有って疲れたよ……倒れ込んだ布団は、暫く使ってなかったがフカフカだった。流石はマルハチ製だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「正明、起きろ……ほら正明、起きんか」

 

 横になって暫く、一時間位だろうか?耳元で囁く声と、頭を揺らす振動により意識が覚醒する。

 

「誰だ、うわぁ?」

 

 「箱」の擬態たる真っ裸なロリが小さな足で僕の頭をグリグリと押している。僕には、そんな趣味は無いが……目線は細く病的に白い足の付け根へ。

 男の性とは言え、好みを的確に擬態する「箱」の魅力に足掻けないのは悲しいぜ。

 

「何だよ!家の祭壇に祀ってあるだろう?毎回出歩くなよ」

 

 僕の布団にペタンと座り込む姿は、とても扇情的だが本性を知っているのでギャップに悩む。

 

「正明。面白い女を連れ込んだな。力有る子孫を残すには適当な女だ。アレは、ナニに憑かれたんだ?纏わり付く波動は……

くっくっく。面白い、全て話せ」

 

 「箱」が興味を持つ物件なのか?子孫ってなんだよ?

 僕は今夜を乗り切れば、彼女をあの廃ホテルから手を引かせるつもりなんだが……しかし「箱」には逆らえない。

 

「実はテレビ局からの依頼で……」

 

 真っ裸な幼女に今までの経緯を説明する。端から見れば情けない。真っ裸な幼女に頭を垂れて説明など……粗方の説明を終えて幼女を伺う。

 凄く楽しそうだ。

 

「正明、お前の予想は近くて違う。あの女に纏わりついてるのは……いやタダで教えるのは面白くないな。

あーっはっは!

足掻け正明、この件に関わるんだ。私を忘れずに持ち歩けよ」

 

「ちょ、待てよ!彼女は無事なのか?」

 

「知らんな。自分が連れ込んだ女なんだ。自分で何とかしろ」

 

 そう言って「箱」に戻った。コロンと布団の上に転がる「箱」を見て、何で不機嫌なんだよと思う。

 もっとも機嫌の良い時は、大抵は贄に喰らい付いてる時くらいだけどさ。幼女の高笑いなど、桜岡さんに聞かれてはないか?

 心配なのでテレビを付けてチャンネルを変えていく。丁度良く子役の出演しているドラマが有った。

 何か聞かれたらテレビ見てた事にするか……「箱」が言っていたが、やはり桜岡さんには「ナニか」が纏わりついている。

 しかも、この件に関われと言ってきた。「箱」が興味を持つのは大抵がロクな連中じゃない。

 だから彼女の為には、テレビ局のロケ前に片を付けなくてはならない。ロケ中に霊障に見舞われたら危険過ぎるし、責任問題を問われるだろう……

 しかし前振りで厄介な現場だと教えてしまったから、テレビ局も黙っていないよな。

 こんな危険だが視聴率が取れそうなチャンスをみすみす見逃すとも思えない。どう話を持って行くかによっては、素人を大量に同行させるか・させないか。

 

 難易度が段違いだよ。コレは難しい……いっそ断って独自で動いた方が?

 

 いや、三浦のマンションの件も有るし二度目は流石に桜岡さんも本気で怒るだろう。

 

「んー君ぃ、これは難問だよ……」某メガネ君の真似事をしながら悩む。

 

 布団の上をゴロゴロと転がるが、解決する訳じゃないから素直に寝る。少なくとも「箱」が手元に有る以上、半端な奴が来ても喰われるだけだから極論から言えば安心だ。

 

「おやすみ……「箱」少しは協力しろよ。お前に捧げた贄は少なくないだろ?」

 

 言っても無駄だが、言わずにはいられない。明日の朝、桜岡さんに何て説明しようか?悩んでいる内に、眠気が我慢出来なく……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 冬の日の出は遅い。大体6時過ぎ位だ。目覚まし時計を6時にセットしていたので、日の出前に起きる事が出来た。

 先ずは家の内側の結界札を確認する。

 

「うん、剥がれてないな……」

 

 次にテレビを付けて画面の右上の時刻を確認。部屋の壁掛け時計と同じ6時8分を示している。トイレを済ませてから顔を洗い歯を磨く。

 さて周りが明るくなってきたので、慎重に玄関を開けて外に出た。うん、冬晴れで清々しい。

 冷たい空気を胸一杯に吸い込み深呼吸する。次に車を見るが……周りの清めの塩もカラーコーンに仕込んだ札も異常は無い。

 どうやら追跡はされなかったみたいだな。

 

「さて、天照大神を天岩戸から出しますか!」

 

 朝食のメニューを頭に描きながら、祭壇の間に向かう。入口に貼った札を剥がしノックをする。

 

「桜岡さん?おはよう、朝だよ。開けて良いかい?」

 

 中の様子を伺えば、既に起きていたのだろう。

 

「開けていただいて構いませんわ」と直ぐに返事が来た。

 

「失礼します」と声を掛けてから扉を開けると、ムッとした女性の体臭が鼻についた……

 ああ、昨日は風呂に入れなかったっけ?失礼な事を考えていたが、顔に出さずに挨拶する。

 

「おはよう。どうやら無事だった様だね」

 

「おはようございますわ、榎本さん。今日はどうしますか?」

 

 目元が少し赤いが元気みたいだ。寝れなかったのかも知れないが、大丈夫そうだ。

 

「そうだね。君を自宅に送ったら、置いてきた車を取りに行くよ」

 

 居間に向かいながら、今後について話す。昨夜コンビニで朝食用にと買い込んだ品々をテーブルに並べて選別する。

 総菜パンはトースターで温めた方が美味しいだろう。後は生卵を買ったので、簡単な具なしオムレツを作る。

 飲み物は彼女の為に紅茶を用意し、自分は朝からコーラにする。瞬く間に減っていく総菜パンを見ながら思う。

 

(桜岡さん……君、料理苦手だろ?)

 

(お嫁に貰ってくれるなら、料理くらい習いますわよ)

 

「えっ?」

 

 心のボヤキに突っ込みを入れられた気がした?

 

「何ですの?」

 

「ははははは……いや、何でもないよ。食べたら送るよ」

 

 誤魔化しながらコーラを一気飲みして……吹いた!コーラを飲んだらゲップが出る程確実だ。的なセリフが頭の中を過ぎる。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 7時前に作業場を出発する。県道?農道?早朝だからか農作業の軽トラとすれ違いながら海岸線の国道に向かう。

 朝日が柔らかく照らして、寝不足気味な桜岡さんがうつらうつらしている。眠気には勝てずに居眠りを始めたよ。

 自宅の場所は大体分かっているから、直前までは寝かせてあげよう……

 

 長閑な農道を走り、これまた長閑な海岸線を走る。三浦半島は自然が豊かだ!遠く千葉まで見渡せる。

 

 更に海岸線の国道134号線を暫く走り、佐原のインターから横浜横須賀道路に乗る。なるべく振動をさせない様に気をつけるが、このスカイラインR34は半端無い振動が運転席に来る。

 サスペンションがガチガチに固いんだ。それでも80キロで走行車線を安全運転。目的地近くまで来るのに50分か。

 

 良いペースだ。

 

「桜岡さん、そろそろ起きてくれるか?ここから先は道が分からないんだ」

 

 一般道に降りて路肩に寄せてハザードを点ける。平日早朝だから車通りは少ないが、なるべくなら路駐はしたくない。

 

「うにゅ……あふぅ。ごめんなさいね。寝てしまったわ。えーと、此処からですと一つ先の信号を右折して……」

 

 彼女のナビに従い運転する。大体知っているので楽だ……自宅マンションの前に到着し、指定の駐車場に停める。

 彼女の住まいは15階建ての真新しいマンションだ。

 

「流石はお嬢様!立派なマンションだな」

 

 分譲だろうマンションは、丁度通勤時間帯なのだろう。何人もの父親ズが出勤する風景が見られる。新婚さんも多いんだな……

 

「ほら!行ってらっしゃいのキスとかしてるよ。このマンションは新婚さんが多いんだね」

 

 玄関が駐車場に向いている為に、見上げるとラブラブな出勤風景が……

 

「新築の分譲だったので、新婚さんが多いのよ。集会とかもラブラブだし……」

 

 溜め息をつくなら、彼氏でも作れば良いじゃん!空気が読めるから、口には出さない。出したら殴られそうだし……

 

「少し休んでいきませんか?これから八王子に行って、また運転でしょ?」

 

「行きの電車で寝るよ。じゃ今後の件は帰ったら連絡する。念の為に渡したお札で暫くは結界を張ってね」

 

 そう言って通勤の父親ズ&旦那ズに混ざって上大岡駅まで歩いて行く。さて、昼過ぎには帰れるかな?

 横浜駅でJRに横浜線に乗り換え、八王子駅からタクシーで車までの大体の時間を逆算して考える。

 「箱」から、この件に関われと言われた。ならば準備を整えて挑むしかない。先ずは桜岡さんと西川を丸め込まないと駄目か……やれやれだぜ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 彼と駐車場で別れ、自分の部屋の階までエレベーターで登る。吹き抜けの廊下から外を見れば、まだ榎本さんが歩いているのが見えた。

 あの筋肉の存在感は、離れていても目を引く。周りの旦那さん達は悪いけど貧相だわ……

 

「そうね、貧相ね。霞、暫く実家に連絡が無いと思えば朝帰りとは良い御身分ね。父さんに言い付けるわよ」

 

「ひゃ?なっなんですか、お母様。いきなり朝帰りなんて!違います。仕事で八王子迄調査に行った帰りですわ」

 

 たまに抜き打ちでウチにくるお母様は苦手だわ。本当の母親ではなくて血の繋がらない後妻だけど、悪い人じゃないの。

 私の為にとお父様と子供は作らないと言ってくれてるし……でも10歳しか離れてないから、お母様よりお姉様よね。

 実際若作りだし派手だしケバいし……このヒト苦手ですわ。

 

 

第41話

 

 まさか自宅にお母様が来てるとは思いませんでしたわ……しかも榎本さんと朝帰りとか誤解されてますし。

 確かに朝に帰宅しましたが、大変だったんです。それを……

 

「まぁ良いわ。西川さんに聞いたら、昨日の夕方にはテレビ局の連中とは別れたって言われたわよ。あの筋肉さんと今までナニしてたか言いなさい」

 

 しかもテレビ局に裏まで取ってますし。この腕を組んで胸を強調しながら詰問してくる、若い義母を見る。

 朝からキッチリお化粧をして派手なスーツを着込んでいる。この調子ですと多分昨夜辺りに訪ねてきて、そのまま泊まったわね。

 

「ナニって?えっ榎本さんは優しくて紳士だから、イヤラシい事はしないわ。脳味噌筋肉だけど、私をとても大切にしてくれるの!」

 

 もう少し私を意識しても良い位なのに……まだまだ調教が足りないのよね。

 

「脳筋?ケダモノと同義語じゃない!あんた、綺麗な体でしょうね?くんくん、少し匂うわよ」

 

 そう言えば昨日は結構な距離を歩き回ったけど、お風呂には入れなかったわ。寝る前にウエットティッシュで拭いた程度で……

 

「昨夜はお風呂に入れなかったから……玄関前で騒ぐのは御近所迷惑よ。お母様、家の中へ……」

 

 只でさえ芸能人扱いで周りから興味を持たれているんですからね。此処で男性問題なんて、榎本さんにも迷惑が……榎本さんに迷惑?

 

 責任問題?既成事実?それはそれで……良いかもしれませんわ。

 

「霞?あんた腹黒い顔してるよ。ほら、中に入るわよ」

 

 腹黒いなんて失礼な!でも状況証拠が固まってしまったら、仕方無いわよね。

 

「はいはい。最初からお話ししますわ。でもお風呂に入ってからですわよ」

 

 お母様には事実を包み隠さずお話ししますわ。それでも誤解されてしまうなら……仕方無いですわ。

 今後の事を榎本さんを交えてお話すれば良いだけの事。お父様は怒るかもしれないけど、娘の幸せが一番よね?とっても腹黒いお嬢様に成長した桜岡霞だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 体中にサブイボが?駅に向かう途中で全身を襲う寒気?悪寒?思わず立ち止まり左右を見回す。

 周りを同じ方向に歩いていた連中が、迷惑そうに避けていったか……まさかマーカーを付けられたのは、桜岡さんでなく僕だったのか?

 「箱」も僕の推理は近くて遠いとか言ってたし……用心が必要だな。警戒しながら最寄り駅に着いた。

 八王子駅までは一度JRに乗り換えなくてはならない。PASMOはJRも使えるから乗り換えは楽だ。

 八王子駅まで90分程度かかるが、今後の方針を考えれば直ぐだろう。ホームに立って電車を待ちながら考える。

 

 何から始めるか?勿論、情報収集だ。

 

 ネットは大体調べたから、最寄りの図書館でホテル倒産の前年位から今までの事を地元紙で調べる。周辺やホテル絡みの事件・事故をだ。

 変な神社について、また廃ホテル内の稲荷神社について調べる。これは桜岡さんに頼もう。

 伊勢神宮にコネは無いが、彼女なら有るかもしれないし……京都の伏見稲荷に確認が出来れば一番良いんだ。

 必ず誰が申請して歓請されたかのリストが有る。御霊を移して有れば良いのだけど、放置プレイだと危険なんだよね……

 祠については裏に伸びていた獣道を調べたいが、Google EARTHで調べきれるかな?集落の存在が別れば行ってみるか。

 

 一番怪しいのは管理人だ。どういう人物なのか?

 

 地元民やホテル関係者とかなら、何か秘密が有りそうなんだよね。全く手掛かりが無いからな……

 思考が行き詰まった時点で、電車がホームに入ってくる。背広姿の団体が乗っている車両に押し込まれた。横浜駅迄は満員だろう……

 かろうじて吊革に掴まれたが、前に立つ男のポマードがキツい。幾ら筋肉の鎧を纏おうと、嗅覚は一般人なんだ。

 辛い10分間だった……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 横浜でJRに乗り換える。東神奈川駅が横浜線の始発駅だ。八王子駅まで大体60分で到着するだろう。

 発車時刻を確認すれば、9時25分か……電車は停まっているので、八王子駅に到着するだろう時刻の5分前に携帯のタイマーをセット。

 寝坊して折り返し運転で東神奈川駅に逆戻りしない様にしてから、座席に座り込み少し眠る……体力を少しでも回復しないとね。

 

 胸ポケットに入れていた携帯から黒電話の音が鳴り響く……もう八王子駅に到着か。

 

 携帯を取り出し時刻を確認すると、10時20分だ。周りを見渡せば、結構な混み具合だね。

 妙に10代後半から20代前半が多いのは大学が有るからだろう。八王子キャンパスとか、車内吊りの広告が目に付く。

 ロリじゃない年齢だし、女性達も化粧とかして大人の女性っぽいからツマラナイネー……

 

 彼らと共に終着駅を降りて考える。バスかタクシーか?今回は経費で落とせるか微妙だ……最悪は請求無しのただ働きの可能性が有る。

 

 「箱」の存在を知られない為にも内緒で除霊するかも知れないんだ。右のポケットに突っ込んである悩みの元凶、「箱」を弄りながら考える。

 こんな場所で擬態たる真っ裸な幼女で現れない事を切に祈りながら……此処で擬態化したら、僕の社会的地位は地に落ちて犯罪者の烙印を押されるだろう。

 もっとも擬態が保護されても、どうせ消えるから証拠は残らないんだけどね。

 

「まぁ普通は経費削減の為にバスだよな……」

 

 どの路線か分からないので、バスの案内所を訪ねて聞きますか!見回すと、それらしいプレハブが見えた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 何という便の悪さだろう?多分だが、開業当時は送迎バスが有った筈だ。しかし現状のバス路線だと乗り換える事3回。

 自家用車なら40分位の距離を迂回しながら90分もかけて漸く近くのバス停に着いた。時刻は既にお昼前……

 何にも無い田舎町のバス停を降りて周りを見回す。辛うじて国道だからチラホラ店は有るけど。

 

「此処から徒歩で10分くらいかな?車を停めた場所までは……」

 

 昨日の事だが、記憶を辿りながら道を歩く。国道から脇道に逸れてからは、本当に何も無い住宅街?

 遠くに問題のホテルの有る山が見える。昨日は気が付かなかったけど、山の中腹に廃ホテルが見えるね。

 

 グゥー……「あれだけ朝食べたのに、お腹が空いたよ?」最近フードファイター仲間が出来たせいか、お腹の自己主張が激しい。

 

 前は結衣ちゃんの普通より少し大きいサイズの弁当箱で良かったのにな。

 

「やはりロリの愛情は空腹をも満たすんだ!」

 

 改めて結衣ちゃんへの愛情を確認した。なので空腹を満たす為に食事の出来そうな場所を探す……

 真っ直ぐな田舎道を見渡すと、マイナー系のコンビニと蕎麦・うどんのノボリが見える。

 コンビニでオニギリ等を買って車で食べる。どう見ても個人営業的な食堂で食べる。悩む事2秒、食堂にする。温かいご飯が食べたいんだ。

 

「いらっしゃーい!」

 

 暖簾を潜ると威勢の良いオヤジが声をかけてきた。壁に掛けてあるメニューを見ながらカウンターに座る。

 

 こんな店でツウぶって「お薦めメニューは?」とか聞いても意味は無い。「カレーに味噌ラーメンを頼む」水を置いてくれたオヤジに注文する。

 

「へい!」

 

 手際良く麺を茹で始めたオヤジを暫く眺めながら

 

「昔、山の上のナントカってホテルに来た以来だけど、この辺も変わったね」

 

 世間話みたいに聞いてみる。野菜を刻む手を休めずに「ああ、あのホテルですか?結構前に潰れましたよ」と答えてくれた。

 

 それなりに周りも知ってるのかな?

 

「そうなんだ。会社の宴会旅行だから詳しく覚えてないけど、辺鄙だったよね。それに観光がショボい池だか滝だかしか……なる程ねぇ」

 

 先に出されたカレーを受け取る。そして冷たい水の入ったコップにスプーンが刺さった物も受け取る。

 何故、コップにスプーン入れてだすんだ?一口食べたが昔風なジャガイモ・人参・玉ねぎ・豚肉の中辛だ。

 

「ふーん。オヤジも行った事有るのかい?倒産した会社の社員旅行だったから思い出深いんだよな。暇つぶしに行ってみようかな……」

 

 何気ない様に話した。さり気なくオヤジの表情を伺ったが「止めといた方が良いですよ。変な連中が出入りしてる噂を聞いてますよ」特にビックリした表情でもないな。

 

「変?アレかい。今時の若い奴らがバカ騒ぎかい。全く困った連中だね」

 

 野菜を炒めてスープを入れ、味噌を溶いて味を調整している。茹でた麺を丼に入れてから、スープを注ぐ。

 

 中々旨そうだ……

 

「へい、お待ち。いやガキじゃなくて宗教関係みたいですよ。ほら、新興宗教?兎に角ヤバい連中みたいですよ」

 

「ふーん。じゃ止めとくよ。そんなに行きたい訳でもないしね。元々友達ん家に来た序でだったし……フーフー、うん旨いな」

 

 宗教関係者?新興宗教?ヤバいキーワードだ。やはり管理人が怪しいぞ。カレーと味噌ラーメンを平らげて店を出る。

 カレー700円・味噌ラーメン750円、合計1450円だが味噌ラーメンは十分旨かった。カレーは本当に家庭の味だったな。

 腹も満ちたので愛車の元へ向かう……平日の昼過ぎだからか、人通りは殆ど無い。

 少し歩くと駐車場に到着。早速結界を調べるが、清めた塩もお札も異常は無い。タイヤもパンクしてないし大丈夫かな……

 車に乗り込みエンジンをかけて暫くは暖気だ。シートを倒して先程の話を纏めてみる。

 

 新興宗教か……

 

 一口に新興宗教と言っても、実は年代により細分化されてるし定義もマチマチだ。1970年代前後で新宗教と新新宗教に分けるのが一般的だ。

 新宗教で代表的なのは天理教。新新宗教で代表的なのは幸福の科学や統一協会。まぁ、こんなメジャーどころは関係無いだろう。

 彼らは根本的に従来型の教義の派生型だったり、教義を引き継いだりしている。問題は一代で築いた方。

 

「私は天啓を授かった!」

 

「我が力、神なり!」

 

 ある日突然、力有る教祖が誕生する方が厄介だ。神がかり的な教祖は信者に絶大な影響力が有るから、何をするか分からない。

 詐欺紛いの偽物教団も多いが、真面目な教団も少なくはない。本物の力を得た人が、人々を救済する為に興した教団も知っている。

 だが、今回のは善意じゃなさそうだ……海外でカルト集団の話題が有り、それが国内の新宗教・新新宗教を纏めて新興宗教と思われがちだけど実際は違うんだ。

 人間絡みだと余計に面倒だな。

 

「さて最寄りの図書館に行って新聞を調べるか。結衣ちゃんが学校から帰って来るのは4時過ぎ。3時前に出れば間に合うからね……」

 

 少しでも調べておく為に、カーナビの検索で図書館を探す。割と近くに有った。

 

「八王子市立図書館か……」

 

 携帯で八王子市立図書館を検索。大抵の公共施設はホームページが有るから、規模や扱っている物が分かる。

 どうやら中々の規模らしく、地元紙のバックナンバーも扱っているみたいだ。鞄の中に眼鏡が入っているのを確認し、図書館に向けて出発する。

 

 まだ老眼じゃない!近眼なんだ!

 

 でも眼鏡を掛けた姿を結衣ちゃんに見せたら「眼鏡を掛けると知的に見えますよ」って言ってくれたんだ。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。