いよいよ直接ピェール邸に乗り込む。
幸い?今は誰も居ないので焼失した部屋のドアを調べる事が出来るが、端から見れば不法侵入で犯罪だ。 美羽音さんが居れば問題は無かったが居る筈の彼女が居ない、これは最悪の事態も考えなくては駄目かもしれない……
レンタカーを有料駐車場に停めてタクシーを拾い近く迄移動する、目的地より100m手前で降りる。
観光客を装いピェール邸に近付きながら観察する、家の前に車も停まってなければカーテンも閉められたままだ。
『胡蝶、先に流動化して鍵を開けてくれないか?玄関の前で立ち尽くすのは不味い』
『分かった、事前に悪食に開けさせて置けば良かったな』
その通りなのだが、流石の悪食もドアチェーンは外せないと思うんだ。
目的地の10m手前で胡蝶が僕の足元から出ていった、別に左手首の蝶形のアザからしか出入りしない訳じゃないのを最近知った。
モノトーンの水溜まりみたいなモノが素早く地面を走ると玄関ドアの隙間から家の中にと入っていく。
僕はそのまま歩いて玄関に行くとドアを開けて中に入る、因みに皮手袋をして指紋を付けない様に気を付けている。
「随分と荒んだな……」
「ああ、だが気配が何もないぞ。霊も人もだ」
既に胡蝶は巫女服姿の美幼女だ、薄暗い中で彼女は妙に浮き上がっている。
確かに僕にも何の気配も感じない、僅かに食べ物の腐った匂いがする位だ……
「直ぐに扉を調べよう、ピェール氏が帰って来たら不味い」
念の為に玄関ドアの鍵を閉める、もし帰って来たら窓から飛び出して逃げるか?
周囲に気を配りながら二階へと続く階段を上がる、直ぐに悪食が僕の頭に飛び乗って来た。
「悪食、ご苦労様。玄関から誰かが入って来たら眷属数匹で撹乱してくれ。お前の眷属を見れば慌てるだろう」
そして僕等も直ぐに分かるから逃げる時間も稼げる。二階に上がり左側の奥の壁を調べる、たしかこの辺にドアが見えたのだが……
触ったり叩いたり壁紙を少し剥がしたりして調べるが何も無いし何も感じない。
「何故だ?全く分からない、実際に見てなければ本当にドアが有ったのかと疑ってしまうな」
「いっそ壁を壊してみるか?」
壁を壊す?ふむ、壁の中に秘密が有るかも知れないが……僕が悪食の目を通していた時にドアが見えた、そうだ見えたんだ。
「悪食、視界を共有するぞ」
頭の上に鎮座する悪食とラインを繋ぎ視界を共有する……
「見えた、やはり何かを通してしかこのドアを見る事は出来ないんだ。何かを通して?そうか、ピェール氏がハンディカムを持ち歩いていたのは?」
一旦悪食との視界共有を切り携帯電話を取出し撮影モードに切り替える。
「やはり予想通りだ、このドアは直接見れないんだ。何かを通して初めて見る事が出来る」
携帯電話の画面には有る筈のないドアが見えている、画面を見ながら手を差し出すと固い真鍮のドアノブに触れた。
「触れた、胡蝶さん開けるから警戒して」
僕の肩越しに画面を見ていた胡蝶に声を掛けて注意を促す。
「うむ、分かった。正明、赤目と灰髪も出せ。総力戦だ!」
「分かった。赤目、灰髪、おいで」
僕の影から二匹の式神犬が飛び出して来た、最初から大型の戦闘モードだ。
「「がぅ!」」
「よしよし、もし誰か居ても問答無用で攻撃するなよ。先ずは無力化するか命令を待て」
「「わん!」」
この子達にとって主である僕以外の人間については基本的に無関心だ、主に仕える式神だから当然なのだが敵と認識すると危害を加える事に躊躇しない。
普通は命令通りしか動かないのだが、この子達は自我が芽生えているので独自の判断も出来る。
時には敵を無傷で捕える臨機応変さも必要なので追々学ばせるつもりだ。
部屋の中に集中しながらドアノブを回す、鍵は掛かっていない。ゆっくりとドアを開けば焼失した筈の部屋が存在した……
「悪食、眷属を中に入れて様子を探ってくれ」
頭の上に鎮座している悪食に頼むと何処からともなく大量の黒い奴等が現れ部屋の中に傾れ込んで行った……
頭に巨大黄金虫(油虫)を乗せて足元から大量の黒い眷属(チャバネとヤマト)を湧きださせる僕ってかなりヤバいよな。
「罠は無さそうだな、行くぞ」
男らしい台詞と態度の胡蝶さんの後ろに着いて室内に入る、焼失した部屋が存在するってどんな力か働いているのか?
間違いなく超常現象だよな……
「他の部屋と感じが違う、焼失前の内装だからか?つまり昭和五十二年の……それにしては落ちていた新聞が今週の日付だな」
無造作に床に落ちていた毎日新聞の日付は一昨日で、同じ新聞を購読している僕は一面の内容も大体覚えている。
「つまり洋館の主はこの部屋に出入りしている訳だな……む?正明、人の気配がするぞ!」
小声で胡蝶さんが警告を発する、さっき迄は無人だったのに誰だ?
「ピェール氏か?待てよ、今カメラを通さずに見えているドアの外はどうなっているんだ?元に戻れるのか、外も焼失前の世界なのか……どっちだ?」
「正明、窓の外を見ろ。見覚えが無い景色じゃないか?」
窓の外をだって、コレは……
「街並みが変わっている、横浜山手地区に有った洋館群は何処へ行ったんだ?」
窓際まで移動してガラスに顔を擦り付ける様に外を見る、どう見ても何度見ても下町に見える。
同じ様な外観の小さな家が連なっている、赤い瓦屋根に板張りの外壁、昭和初期の文化住宅に近いイメージだ。
テレビアンテナが八木式だと?今の設備では映らないだろ?
「まさか昭和五十二年って、こんな感じだったのか?いや違う、昔から洋館が集まっている地区だった。つまり僕の知る今でも過去でもない景色だ……」
参ったな、摩訶不思議過ぎて言葉が出ない。それでも気を取り直して部屋を探索するが特に目ぼしい物は無かった。
「部屋の外へ出よう、人の気配がしたのは近いんだよなって……悪食、どうした?」
ヒクヒクと触角を動かして何かを差しているが、人の気配は隣の部屋って事か?
「隣に誰か居るんだな?」
「我が見てくるぞ」
悪食と視界共有するより胡蝶が流動化して覗いた方が早いのだが、全く知らない世界で余りこの部屋から離れるのは危険だ。戻れなくなる可能性も……
「正明、あの女が居たぞ!」
ああ、美羽音さんも捕われていたのか……
◇◇◇◇◇◇
慎重に隣の部屋へ移動するとベッドの上に手足を拘束されて寝かされていた美羽音さんを発見した。
特に外傷も無く衣服に乱れも無い、手錠で手足を拘束されているが金属が当たる所にはタオルが巻かれている。一応は大切に扱われていたのだろうか?
「美羽音さん、大丈夫ですか?」
声を掛けると驚いた顔をして唸り出した、口にはSMプレイでお馴染みのギャグボールを咥えさせられていた……やはりピェール氏は色情霊に取り憑かれた変態性欲者だったのか?
先ずはギャグボールを外す、止め金具はベルトと同じだが一部ゴム製で伸縮するタイプか。
「ぷはぁ?え、榎本さん?助けに……」
「落ち着いて、今手足の手錠も壊しますから」
最近は玩具でも本物と同じ性能の手錠が普通に売られているから怖い。
流石に輪っかの部分は無理だがチェーンの部分は胡蝶と交じり合って筋力の増した僕なら引き千切れる!
「金属のチェーンを……凄い力持ちなんですね。助けてくれて有り難う御座いました」
拉致られて拘束されていても育ちの良さかオットリした性格かは知らないが先ずお礼を言われた。
だが幾らタオルを巻いていても手首は赤く腫れているな、擦っているが凄く痛そうだ。
「教えて下さい、何故こんな場所に捕われていたのですか?」
直ぐにでも元の場所に戻りたいのだが、この場所の事や奴の事を聞かなければならない。
なるべく優しい顔をして右手を彼女の肩に置いて質問する。
掌には彼女の身体が細かく震えるのが伝わってくる、やはり怖い思いをしたのだろう……
「あの、その……信じられないかもしれないのですが……主人が二人居たのです」
「二人?ドッペルゲンガー説が正解だったのか?色情霊の憑依説は外れだったな」
彼女はピェール氏が二人居ると断言した、つまり性格が変わったのではなく……本人が入れ替わったんだな、だから取り憑かれた訳じゃなくて柳の婆さんは失敗したんだ。
「美羽音さんを此処に連れてきたピェール氏は偽物かい?」
ベッドから立ち上がった美羽音さんがよろけたので支える、大分体力を失ったみたいだな。
「そうだ!美羽音の元旦那はもう居ない、俺が旦那だぞ。筋肉霊能力者、明日来いって言ったのに待てなかったのか?」
「お前が偽物か?だが……」
入口のドアの所に刃渡り30㎝位のコンバットナイフを構えたピェール氏が立って僕を睨んでいる、しかし風巻姉妹が調べた写真と全く同じ顔だぞ。
「偽物?馬鹿め、俺もアイツも間違いなくピェールだぞ。もっとも向こうのピェールは既に俺が殺したけどな!
コッチに来なければ生かしといてやろうと思ったけど秘密を知られちゃ無理だ、お前も殺してやる!」
ニヤニヤと薄汚い笑みを浮かべているがナイフの構えが素人じゃない、軍司さんの所の中堅所の雰囲気が有るな……つまり堅気じゃない、迫力も中々だ。
「ああ、やはりあの人は既に……」
美羽音さんもピェール(偽物)の迫力に押され気味で僕の背中に隠れた、確かに女性にはキツいな。
身体を動かして彼女を庇う位置に移動する、人質にでも取られたら厄介だ。
「お前もって事はピェール氏も竹内さんも高梨修もお前が殺したのか?」
「ああ、そうだ!秘密を知られちゃ口封じするしかないからな。あの若造は俺を証拠も無く強請りやがったからカッとなって殺した、最後は命乞いしたけど関係無い」
カマを掛けたら全て自白しやがった、つまり聞かれた僕も美羽音さんも口封じする気だな。奴との距離は3mか……
「美羽音、お前は助けてやるからコッチに来い、お前は俺の女だ!」
「嫌よ、絶対に嫌!」
美羽音さんが僕にしがみ付く、どうやら奴は彼女を気に入ってるみたいだが、単に入れ替わった時に妻として抱けたからか?
性欲は強そうだが、一番大事な事は聞いた……コイツは黒だ、真っ黒だ。
「俺の女にしがみ付かれて喜んでるんじゃねーよ!霊能力者?何が出来るんだよ、お前はさー!」
もう会話も限界みたいだな、完全に頭に血が上ってるみたいだ。
「そうだ、なっ!」
距離は3m、今の僕なら一歩踏み出せば攻撃範囲だ!
前傾姿勢で突っ込み、先ずはナイフを持つ右手の手首を掴む。
そのままタックルして壁に押し付けて動きを止めてから奴の手首を握り潰して落としたナイフを美羽音さん側に蹴り飛ばす。
「おっ、俺の手が……手がぁ?」
僕の握力は既に100㎏を超えている、骨が軋むだろ?
「悪いな、肉体派霊能力者に接近戦を挑むとは失敗したな、偽物さんよ」
「クソがぁ、死ね!」
そう叫ぶと躊躇無く左手をチョキの形にして目潰しをしてきたが、僕には聞かない。
チョキを包み込む様に握り締める、人差し指と中指が折れた感触がした。手首と違い指は脆いからな……
「こんチクショウがー!」
膝蹴りで急所を狙ってきたが同じく膝でガードする、コイツ喧嘩慣れしてやがる。
「ふん!」
両手が塞がっているので思いっ切り頭突きをかました!
一瞬頭の中で火花が散るが僕よりもピェール(偽物)のダメージがデカいだろう、ズルズルとその場に座り込んだ。
だが両手を押さえているから万歳してるみたいで変だな。
「多少は喧嘩慣れしているがマダマダだ。美羽音さん、紐かガムテープとかないかな?コイツを拘束して色々と話を聞かなければならないから……」
何とか胡蝶や悪食や赤目達を美羽音さんに見せずに無力化出来て良かった、後はこのピェール(偽物)から事情を聞いて対処を考えるか……