第219話
「待ちなさい土井、楠木!」
走ってきたので息が切れて苦しい。漸く榎本さんの所に到着すれば、何と言う惨状。
八人の男性が倒れていて榎本さんと対峙する二人の背中が見える。 榎本さん、土井と楠木、そして私達と直線で並んでいる。
倒れた人を見れば呻き声を漏らしているので、生きてはいるみたいだわ。何となく見た事が有るかも?な連中ね。
「まさか、榎本さんが?って楠木、何を持っているの?」
振り返った楠木の手にはテレビや映画で見慣れたピストルが握られている。
「答えなさい、楠木!何故、そんな危険なモノを持っているのですか?」
ピストルなんて所持してるだけで犯罪なモノをまして人に向けてるなんて……
「ああ、巴様。それに御隠居様もいらしたんですか?この無礼な野良犬に教育を施している途中です。なぁ、土井よ」
「そうです。訳の分からない野良犬には過ぎた遺産ですからね。犬飼一族の一人を買収して情報を得たのです。
どうやら野良犬は順調に試練をクリアしている。奴に出来るのなら我々でも出来る筈ですからな。ここで退場して貰いましょう」
悪役三下宜しく聞きもしない事まで喋ってくれたけど、これじゃ何一つ榎本さんに落ち度が無いわ。全て私達五十嵐一族の悪業……
でも榎本さん、ピストルを突き付けられているのに平然としているし、周りに倒れている人達はどうしたのかしら?
状況的に考えれば、榎本さんが倒したのよね?
「御隠居様、巴様、危のう御座居ます。我等の後ろへ」
芝塚さんと東海林さんが強引に私達の前に出るけど、相手はピストルを持っているのよ、危ないわ。
「ふん、芝塚か……生意気な奴だ、我等を差し置いて重鎮気取りか?って馬鹿め、死ぬ気か!」
「全くだ、女の癖に生意気なっ、グハッ!」
突然、榎本さんが両手で顔をガードして楠木に突撃したわ!楠木の腹を殴ったけど土井が、榎本さんに向けて至近距離からピストルを……
ああ、肩と太股に当たった。服が弾けて血が舞ったわ!えっ?怯まずに土井の手をピストルごと掴んで捻ったわね。
土井の人差し指が有り得ない方向に曲がっているわ。そのまま土井のお腹を蹴り上げて楠木の方へ突き飛ばした。
位置が入れ替わったので榎本さんの背中しか見えないけど、両手にピストルを持っている。
撃たれた肩と太股は平気なのかしら?慌てて榎本さんの隣に並ぶけど……
「ひっ?こっ、怖い……です」
その場で尻餅を付いてしまったわ、余りの怖さに腰が抜けて……横から見た表情も恐かったけど、榎本さんの体から発する威圧感が怖い。
あの目、アレは捕食者の、絶対強者の目だわ。榎本さんは左手に持っていたピストルを前ズボンのベルト部分に差し込んで、左手を傷口に当てた。
肩と太股を軽く触っただけなのに、何故か出血が止まった?あれだけ滲み出ていた血が止まったみたい。
思い出したわ、榎本さんの噂を……『自動回復装置付き重戦車』って霊能治療が出来るんだった。
凄いわ、私達なんて全く眼中に無いのね。まさに化け物だわ……思わず呟きそうになった言葉を両手で口を塞いで飲み込む。
だってピストルを持っている相手に躊躇せずに飛び掛かれるのが普通な訳が無いわ。
そんな事が出来るのは亀宮一族でも亀様の防御特化の加護が有る亀宮様だけよ。
でも、でも何か話し掛けないと、私達の本意では無かったと、敵対するつもりは無いと……
「我が一族の者が迷惑を掛けた、謝罪させて欲しい。本当に済まなかった」
私が言う前にお婆様が榎本さんに謝罪した。芝塚さんも東海林さんも頭を下げている。恥ずかしいけど腰を抜かして動けないのは私だけ……
「五十嵐一族の総意では無いと信じろと?僕の掴んだ情報では一族の膿を炙り出す為に利用された、と。
この暴走は仕組まれていた。それなら五十嵐一族上層部の総意ですよね?」
表情が見えない、淡々とした声、だけど隠し切れない怒りが分かる。バレてる、榎本さんにバレてますよ!
私と初音様の予知なんかより全然未来を見通してるわ。
いえ、予知なんてあやふやなモノなんて頼らずに情報と推測による結果を語っただけかしら……
あははは、最初から私は疑われていたのね。
「とんだ道化役だわ……これで次期当主とか、お笑い草よね」
思わず愚痴が零れる、結局私は踊らされていただけ。私のした事は無駄だったのね。考えると視界が滲んで……
「全ては派閥争いに絡んだ計略ですよね?貴女は僕に内緒で巻き込んだんだ。でも五十嵐巴さんだけが、彼女だけが、僕に対して真摯に接してくれた。
どう責任を取るのかは、言わなくても分かりますよね?」
え?私だけ?思わず榎本さんを見上げたら目が合った、笑ってくれた。
悲しみで溜まっていた涙が、嬉しさで流れ落ちた。化け物と言いそうになった私に、そんな私の努力を認めてくれていたんだ。
「勿論じゃ、ケジメは付ける。儂は五十嵐家当主の座を引退し、土井と楠木は家を取り潰す。そこに転がっている連中は五十嵐一族から放逐する」
「うん、それは貴女が思い描いていた通りの結末。そして次期当主の五十嵐巴さんと縁を結ばせようとした。それは貴女側のケジメと都合で僕には全く関係無い」
ピシャリと言われた、ウッと詰まる思いだ。確かに何一つ詫びてもいないし罰もない。
お婆様が引退しても榎本さんには何一つメリットが無いわ。殺されそうになったのに、五十嵐一族の内紛のダシに使われたのにだ。
「亀宮一族の御隠居衆から引退するのだぞ!これ以上の詫びは有るまい」
「確かに彼等は暴走したが、私達とは関係無いのですよ」
芝塚さんも東海林さんも自分達は無関係で、責任は全て土井と楠木に押し付けるつもりなのね。
絶望に染まる土井と楠木の顔が滑稽だわ。アレだけ啖呵を切ったのに、配下全員とピストルまで用意しても彼に負けた。
もう再起は無理でしょう……
だらんと垂らしている榎本さんの左手を掴んで起き上がる。
起き上がろうとしたら、ゆっくりと腕を曲げてくれたから掴んでるだけで立ち上がれた。
風巻姉妹の言っていた榎本さんの優しさが少しだけ分かったわ。私は偏見と畏怖と言う色眼鏡を通して彼を見ていた。
噂は所詮噂なのに、踊らされていたのね。この人には中途半端な対応は駄目よ。
彼の不興を買うのは、その先に居る亀宮様の不興を買うのと同じなの。榎本さんは根っこは優しいかもしれない、でも亀宮様は違うわ。
「芝塚さんも東海林さんも黙りなさい。我が五十嵐一族内の人事など榎本さんには無関係、意味が無いのです。
詫びとは相手に掛けた迷惑以上のメリットを提示する事です。榎本さん?」
ああ、震えや恐怖心が無くなって清々しい気持ち。
「何だい?」
巌つい顔に笑顔はギャップで可愛く感じるのね。本音は未だ少し怖いけど、本当に信じて良いのか決められないけど……でも今は彼を信じて行動しよう。
「希望が有れば何でも言って下さい。金銭でも助力でも術具や霊具でも、何なら私自身でも構いません。お詫びになるのでしたら、喜んで差し出します」
あら、キョトンとしてから頬に赤みが……亀宮様の求愛をはぐらかしているって噂は本当なのかしら、シャイなのね?
「いや、それは……駄目だ。君はもっと自分を大切にしろよ、こんな訳分からんオッサンに身を任すとか馬鹿なの?」
ふふふ、こんな小娘の言葉に慌てるなんて噂なんて信じちゃ駄目ね。冷酷非道で強欲な色魔とか全然違うじゃない。
誰が酷い噂を流しているのか風巻姉妹と協力して調べてみようかしら?この人を亀宮一族から放しちゃ駄目だと思うから、対策を考えなくちゃ。
「勿論、私も亀宮様の不興を買う事は出来ません。なので榎本さんの愛人にはなれませんが、予知能力は提供出来ます。
私が五十嵐家当主を継いだら、亀宮一族序列五席の私は榎本さんの傘下に入ります。それで今回の不祥事を許して下さい」
榎本さんの左腕を抱えて上目遣いにお願いする。
「それは断る。僕は派閥争いには関わりたくないんだ。それは若宮の御隠居にも言ってある。だから……」
ふふふ、即断されたわ。でも五十嵐家を継いだ私が榎本さんに降る事に許可は要らないの。
私が榎本さんの立場が悪くない様に動けば良いだけだから。
「分かりました、では金銭でお詫び致します。お婆様!」
「何じゃ、巴よ」
「榎本さんに現金で一千万円を払って下さい。勿論、使途不明金扱いですわ。不明瞭な現金の流れは榎本さんに迷惑が掛かりますから。
榎本さんも、それで良いですわね?」
ニッコリと自然に笑う事が出来たわ。引き攣る榎本さんの顔を見るのが楽しい。本当に女性慣れしていないのかも。
「いや、一千万円は多いだろ?あんな連中を倒した位じゃ釣り合わない」
十人からの、しかもピストルを持った連中に襲われたのよ。私なら、もっと要求するわ!
「口止め料込みと思って下さい。お婆様も宜しいですね?」
渋々頷くお婆様を見て漸く今回の不祥事が解決したと思った。序列五席の五十嵐家は同じく序列七席の風巻家と一緒に榎本派になったわ。
これで初音様の未来予知は、五十嵐一族の未来は良い方へと変わった筈よ。あっ?未来予知、そうよ土井達の事を忘れてたわ。
「しまったわ、土井と楠木が?」
すっかり忘れていた、彼等の命が危険だったのよ!初音様の予知では、彼等が殺されそうだった筈よ!
彼等を見れば、倉の扉の隙間から伸びたナニかに掴まれていた。
「なに、アレなに?何なの?」
◇◇◇◇◇◇
良く分からない内に五十嵐巴さんに纏められた。金銭的補償で今回の不祥事を収める事になったのだが、良い様に使われた感が否めない。
若宮の御隠居とは一回膝を詰めて話す必要が有るな。僕の左腕を抱えている彼女を引き離そうとした時、彼女が何かを叫んで……五ノ倉のナニかが動き出した!
惚けていた土井達の首にナニかが巻き付いている。半開きの扉から伸びているモノは人間の腕に酷似していた。
そして先端の五本の指が彼等の首を掴んでいる。咄嗟に五十嵐さんを自分の後ろに移動させて左腕をフリーにする。
『胡蝶さん、アレが動き出したのかな?』
『そうだ、あの二人の精気を吸っているぞ。封印されていた分の栄養を補っているんだ。出て来るぞ!』
カラカラに干からびたオッサン二人が崩れ落ちる。伸びていた腕が縮み倉の扉を掴んで、ゆっくりと開け始めた。
奴は倉から出れるらしい……完全に扉を開けると白装束に残バラ髪の男が立っていた。
ミイラの様に干からびていた身体は、若干痩せ気味程度に回復している。ボサボサの前髪の間から血走った眼が爛々と輝いているが、そこには敵意が伺える。
誰が見ても友好的じゃないな。
「おい、お前!話し合うつもりは有るか?」
話し掛ければ反応はする、顔だけ僕に向けたぞ。
「…………何故、我と契約せし一族の者が居ないのだ?」
『胡蝶さん、コイツもしかして犬飼一族の先祖と何か契約を交わして縛られてる系かな?』
『ふむ、分からんが何かしらの呪術的な繋がりは有りそうだな』
犬飼の現当主は一ノ倉の試練で悪食に喰われた。大婆様は亡くなって残る血筋は小笠原母娘だけだ。
だがコイツを魅鈴さんや静願ちゃんに会わせるつもりは無い。
「犬飼一族は、本家筋は残っていない」
「何だと?ならば何故、我を起こしたのだ?」
やはりだ、何かしらの契約が有るらしいが彼女達にとって益が有るとは思えない。この場で始末するか。
「最後の当主の遺言さ、倉の試練を受けてくれってね」
そう言うと奴はニヤリと笑った。試練とは奴を倒せとか何かで、奴は返り討ちにすれば自由になれるとかかな?