第218話
犬飼一族の霊的遺産が納められた五ノ倉。
此処で初めて胡蝶が危険を感じた。古ぼけた暗い倉の中には首を吊った人間らしきモノがブラ下がっている。
マグライトの灯りを当てて確認すると、白装束を着て髪が長い。昔は男女共に長髪の場合が有るから一概に女性とは言えないが……
『胡蝶さん、百年以上も前の首吊り死体には見えないけど……』
白装束の袖から見える皮膚がテレビで見るミイラよりも質感と言うか程度が良いんだ。
『ああ、妖(あやかし)だな。アレの発動条件が分からぬ。扉を開けた時には、何も感じなかった。
或いは倉の中に入るか触れるかだろうか?だが悪い知らせだ。五十嵐の手の者が凄い勢いで此方に向かっている。
後僅かで到着するな。倉の中のアレを相手にするには時間が無い』
ブラ下がるアレは、未だ放置しても平気か?
『ならば先に五十嵐一族の相手をするしかないか……』
重たい扉を閉めようと思ったが気配が近過ぎたので振り向く。向こうも隠れる気が無いのか堂々と姿を晒して歩いてくるな。
振り返って見たら走るのから歩きに変えた。つまり急いで僕に接触したかったのか?
扉は閉めずに五ノ倉から離れて対峙する、距離は後50mも無い。
悪食がカサカサと接近して僕の肩に飛び乗った、周辺に眷属を配置し終わったんだな。
歩いて来る連中の顔が判別する迄近付いてきたので確認すれば、やはり新幹線で会った土居と……
もう一人は誰だっけ?
彼等の後ろに八人の男達が居るが、五十嵐一族に連なる連中だろうな。スーツ姿や僧衣に私服とバラエティーに富んでいるよね。
ただ手に特殊警棒や木刀を持って武装しているから、服の下にもナイフ位は仕込んでそうだな。分かりやすい悪意を垂れ流して居る。
『胡蝶さん、奴等って強いのかな?余り強そうには感じないんだけど……』
霊能力的にも筋肉的にも強さを感じないんだ。成人男性十人を敵に回して落ち着いている自分が、凄くおかしく思う。
既に人間の範疇を越えているからこその安心感だろうか?
『カスだな……僅かな霊能力しか持ち合わせておらんぞ』
前の二人はソコソコで他はカスか……
『奴等ってアレで全員かな?他に伏兵は?』
『居ない……いや、自動書記女と他に三人の反応が有る。だが此方は犬飼の連中と揉めているみたいだな。同じ場所から両方の反応が有って向かい合っている』
次期当主と本命が増援か?
いや、主力が犬飼一族と対峙してるって事はコイツ等とは別行動と考えるべきかな?
「悪食、奴等は目の前の連中だけか?」
器用に頭を何度も下げで同意と教えている、つまり胡蝶レーダーも悪食の眷属も周辺で探知したのはアレだけか。
『正明、応援が来る前に潰すか?我を放てば二分で全滅ぞ』
『魅力的な提案だけど未来予知が気になる。未来を知って、あの行動は変だよ。絶対に隠し玉が有る筈だ。先ずは話し合いで情報を得るか……』
とても友好的な雰囲気じゃないが、先ずは言い分を聞こう。距離が10mとなった所で、奴等が僕を中心に扇形に広がった。
五ノ倉を背に半円形状で囲われた訳だが……目の前に居るニヤつく男に声を掛ける。
「土井さんだっけ?僕に何か用かな、一応だけど聞くが?」
一応さん付けだが、呼び捨てで怒らせた方がポロリと情報を漏らしそうだな。
「用?ああ、お願いじゃない命令だ。犬飼の試練で得た物を全て差し出せ、代わりに命は助けてやる」
最後まで試練を受けさせずに途中で止めさせる、何故だ?残りを自分達でクリア出来る訳じゃないだろ?
「ふーん、交渉も無しか……意外にセッカチだな。まぁでも返事は断るだ」
「ほう?じゃ痛い目を見ないと分からないか?流石は脳筋、言葉が通じないと見える」
ニヤニヤと笑っているが、奴等の自信の根拠は何だ?まさか人質か?いや風巻のオバサンに頼んでるんだ、佐和さん美乃さんも居る。
そんなヘマはしないだろう。
◇◇◇◇◇◇
犬飼一族の本拠地に続く道は二つ。
早朝から見張っているが土井達は一向に現れない。私とお婆様、芝塚と東海林に別れて見張っているが向こうからの連絡も無い。
「お婆様、このまま此処で待っていても……やはり榎本さんに会いに行きましょう」
道路端で車で待機していても何も通らない。焦りばかりが募るわ。
「落ち着け、巴。どちらにしても他家の本拠地にアポ無しでは行けぬだろう。
それに犬飼は当主不在と言われたのだ。我等が向かえば当主不在を承知で乗り込んだと言われても仕方ないのだぞ」
後部座席にお婆様と並んで座り、ただ目の前の道路を眺めるだけ。もう榎本さんは試練を初めてるでしょうね。
だって今日からは、もっと頑張るって……ん?もう?
「お婆様、謀りましたね?私達が見張る道路には誰も通らなかったわ」
「何だ、巴。謀ったとは言い過ぎだぞ。我等は一緒に見張ってるではないか」
皺くちゃな目は糸の様に見えるが、一瞬見開いた。
「そう、見張ってますわ。
お婆様が土井達は二つの道路で仙台市内から来るルートは分かり易いから、此方の他県から繋がる迂回ルートを選ぶだろうと予想したので、それに従い見張りました。
でも朝五時から初めて誰も通らない」
黙って頷くお婆様。
「では、榎本さんは何時、犬飼一族の本拠地へ?誰か通れば連絡し合う約束なのに、芝塚からの報告は無いわ。つまり榎本さんが通るのを見逃したのね?」
芝塚と東海林はお婆様の直属、私の言う事は聞かない。だからお婆様は芝塚達に命令して、榎本さんも見逃した。
お婆様をジッと見詰めるが目を逸らされた。
「狭い車内で騒ぐでないぞ」
「お婆様!土井達を見捨てるつもりですか?運転手さん、車を出して下さい。犬飼一族の本拠地に向かいます」
はぐらかしを肯定と受け取ると、昔誰かが言った。誤魔化したり黙っていたりするのは認めたも同じ事なんだ!
「巴よ、諦めてくれんか?奴等は我が一族の膿じゃ。このまま……」
「此処で見捨てるなら、私は当主を継ぎません。五十嵐一族と縁を切ります!」
お婆様の目を見る、暫く見詰め合うが、お婆様の方が目を逸らした。
皺くちゃの目を見開き私を見た後に両手で顔を擦った。深いため息を一つ……
「仕方ないの。車を出しておくれ。だが、我等が行っても役には立つまいが?」
そう言ってお婆様は芝塚さんにも携帯電話で連絡をしていた、迂回して私達に合流する様にと。
暫く走ると、道路の真ん中に老人が飛び出して来た。慌てて急ブレーキを踏んで停まる。
「此処から先は私有地だ。用が無ければ帰られよ!」
作務衣を着た老人が二人、道の真ん中で手を広げて私達を睨んでいる。
「お婆様、あの方は犬飼の?」
「やれやれ、そうじゃな。我等が簡単に見付かるとなると、土井達はどうやって侵入するのやら……」
ブツブツと言いながらお婆様は車の外に出た、私も当然外に出る。
「犬飼一族の方じゃな?儂は亀宮一族の五十嵐じゃ。この度は急な訪問を許して頂きたい。
我等一族の者が、試練を受けている榎本殿に危害を加えようと画策しておっての。出来れば榎本殿にお会いしたいのじゃ」
「お願いします。私達の本意では無いのです、お願いします」
何度も頭を下げてお願いする。老人達は困った顔で携帯電話を取出し、何処かへ連絡をし、残りの一人が私達を警戒している。
「あの、榎本さんは既に試練を?」
「ええ、既に四ノ倉に挑んでいる筈じゃよ。しかし、御山には我等の警戒網が敷いてある。無断で侵入は出来まいて」
やはり警戒していたのね、霊能一族の本拠地だし当たり前ね。私達だって……
「何だと!五ノ倉の前で?どうやって侵入したんだ?」
携帯電話で話していた老人が、私達を睨み付けている。最悪の展開かしら?
「何故かは分からんが、既に未確認の連中が犬飼本家に入り込んでいる」
「そんな……では榎本さんは既に彼等を?」
「睨み合っているそうだ。防犯カメラの映像を確認させただけだがな。我等は戻る、お前達は帰れ。
無断で侵入した連中は我等の敵だ!排除させて貰う」
最悪の展開だわ、榎本さんだけでなく犬飼一族をも敵に回すなんて……後ろで車が停まった音がしたけど、芝塚さんと東海林さんが来たのね。
でも、でも手遅れよ……
「我等一族の不始末は我等にも手伝わせて下され。榎本殿にも詫びねばならぬ。この通りお願い致します」
お婆様が頭を亀宮一族の御隠居衆五席のお婆様が……私も慌てて頭を下げる、ここは成り振り構っていられない。
「ふむ、分かった。案内するので車に乗せてくれんか」
「はい、急ぎましょう!」
あの予知が事実にならない様に急がないと……
◇◇◇◇◇◇
「この状況で強気だなぁ、野良犬?我等に逆らうとは愚か過ぎて笑えぬわ!」
やられ役の三下芝居乙!
「ふん、下っ端風情が虚勢を張るなよ。そんなカスばかりで囲んでもな、怖くもないぞ」
胡蝶無双は不味い、この周辺には監視カメラも有るみたいだから映像が記録されてしまう。
『正明、犬飼のジジイ達が此方に向かっている。自動書記女達もだ!クックックッ、人気者だな正明は……』
心底楽しそうだな胡蝶は……僕は問題が山積みな状況で胃がね、キリキリと痛くなりそうなんだよな。
どう考えても厄介事でしかないだろ?
『これを人気者と言うなら直ぐに誰かと代わりたいですって。胡蝶さん、軽い呪咀掛けて力を削いで欲しい。
僕は特攻して二人をブン殴る。本気で腹を殴れば大人しくなるよね?』
『内臓破裂で死ぬほど苦しむと思うぞ、まぁ良い。奴等に等しく恐怖を与えようぞ』
どう考えても僕等をどうこう出来るとも思えない連中だ、悩むより行動しよう。
『行くぞ、正明』
『了解、やってくれる』
胡蝶の呪咀に合わせて軽く手を振るジェスチャーをする。途端に意識を失い倒れる八人の男達。
白目を剥いて口の端から涎を垂らしたり細かく痙攣したりと阿鼻叫喚な感じだ。
胡蝶の呪咀は精神に多大な恐怖を与えて茫然自失にする簡単な呪咀だが、元々の力の差故に『効果は絶大だ!』状態だね。
「まだヤル気?」
此処まで追い込めば取って置きを切り札を出すだろう。何時までも有るか無いか分からない切り札に怯えるのは性に合わない。
慎重が持ち味だが、状況がノンビリさせてくれない。増援が来る前に無力化したいんだ。
土井達を睨み付けると、僅かに恐怖心で顔が引き攣っているのが分かる。此処までの実力差が有るとは考えてなかったのだろう、足も微妙に震えている。
これは過大評価し過ぎたか?
「こっ、この化け物め!だが、だがコレならどうだ?跪いて詫びろ!」
土井の強気な態度の根拠は懐から出した拳銃か。パッと見ではメーカー品番は分からないが、どうやらオートマチック式の拳銃だ。
少なくとも装弾数は六発以上、確かに対人兵器としては最高だろう。
だが僕の鍛え抜かれた筋肉の鎧に胡蝶の霊力をドーピングすれば、当たっても致命傷にはならない。
勿論、頭部や心臓等の急所に何発も撃たれたら分からないが……
「素人が拳銃で人を撃てるのか?そもそも当たるのかい?」
暫く無言で対峙していたが、名前も知らない男も懐から拳銃を取り出した。同じモノだな……
「ハッハッハ!二人だぞ、拳銃を持ってお前を狙っているのは!死にたくなければ言う通りにしろよな」
「全くだ、虚勢は時として滑稽でしかないぞ。野良犬らしく尻尾を股の間に差し込んで恭順しろ」
強気な態度も分かるんだけど、そろそろ我慢出来なくなった。顔をガードして突っ込めば数発当たっても我慢出来るな。
『待て、正明。自動書記女が来るぞ』
「土井、楠木待ちなさい!」
これで関係者は全員集合かな……
ストック尽きましたので3月からは毎週月曜日に更新とさせて頂きます。