灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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第Ⅷ話 調査

 クリスマス。

 少年はイルミネーションに照らされる街中を、嬉々として祖父の手を引いていた。すれ違う人々が男女で在る意味や、そもそも何に対して祝うのかクリスマスについて全く理解していなかったが、街中を包み込むやさしい空気は彼を笑顔にするには十分であった。引きずられる祖父も、それにつられるように、ただ頬を緩ませ幸せそうに可愛い孫を見つめていた。

 少年の母が作ったおいしい料理に、愉快な兄が準備した数々の催し物。妹と彼と祖父が慣れない作業に四苦八苦したクリスマスツリーも、つい先ほど買い足した飾り物でようやく完成する。普段は忙しい父も、今日ばかりは早めに仕事を切り上げ、すでに家にいる。

 そう、まだ始まってもいない。

 本当に楽しいのはこれからだ。

 最高の思い出になる、と半ば確信に似た気持ちが彼の足を早める。

 真冬の寒空の下、強く冷たい風を切り、どこまでも軽い足取りで家に辿りついた。

 なぜか、玄関の扉が開いていたが、少年はそんなこと気にしなかった。

 とにかく、早く。

 早く、目の前にある幸せを感じたい。

 それだけを想い、靴を蹴飛ばすように上がりこんだ場所は。

 

 

 ――焼けつくような赤色で染まっていた。

 

 

 

 

 父の書斎。三メートル近い書棚が壁沿いに幾つも並び、その全てが書籍で埋まっている。部屋のやや窓際に置かれた机の美麗な曲線と目麗しい木目が、書棚に負けず劣らずな厳かさと気品の良さを漂わせ、置かれた黒塗りの椅子も牛革である。小図書館と通称されるに相応しい壮観な洋室であった。

 が、近頃受験勉強にかまけて掃除をしていなかったせいか、机や書棚には薄らと埃がたまっており、その荘厳さは半減していた。それを他人に晒して慶次は恥ずかしく思うものの、性格通り掃除という概念が損失しているのか、肝心の他人が全く気にした素振りを見せない。ホストである慶次としては歓迎すべき態度なのかもしれないが、正直女の子として色々とまずいと思う。まあ、注意した所で「うるさい」と一蹴されそうなので、慶次の胸にしまっておく。

 

 

「何か言いたそうな顔してるけど、何?」

「掃除したいナー、って思っただけデス」

「何で片言なのよ。あと、そういうのは全部終わってからにしなさい」

「はい」

「返事はいいから、早く出しなさいよ」

「承知」

 

 

 兎にも角にも、今は慶次の祖父がまとめたファイルを確かめるのが先である。

 慶次は本棚にあるはずのファイルの捜索する。ファイルはすぐに見つかった。

 辞書の倍ほどもあるキングファイル。これほど目立つ物を見つけるのに、時間が掛るはずもなかった。

 慶次が椿にファイルを手渡す。すぐさま、彼女は中身を閲覧した。

 

 

「へぇー。筆ペンで書いてるのが気になるけど、中々まとまってるじゃない」

 

  

 椿はどっかり椅子に座ると、ページをペラペラ捲りながら感嘆の声を上げる。

 

 

「まあ……な」

 

 

 祖父が命を削り、慶次を放置して書き上げたファイルだ。まとまっていなければ困る。

 

 

「事件の概要は必要か?」

「うん、お願い」

 

 

 椿が事件の概要部分を開いてから、慶次はなるべく客観的に感情を抑えて説明を始めた。

 

 

「まず、事件が起きたのは今から六年前のクリスマスイブ……12月24日の午後六時頃だ。犯人は堂々と玄関から侵入すると、書斎にいた父・利期を鉄パイプで撲殺した。その時、悲鳴を聞きつけた兄・利実は、書斎に駆け付ける中途の廊下で犯人と遭遇し、同じく撲殺された。その後、家屋に隠れた妹・幸子を絞殺してから、母・ユウキを殴殺。それからほどなくして警察が踏み込み、犯人は逮捕された」

「聞く限り、“普通の猟奇事件”みたいだけど――」

 

 

 椿はページを一気に飛ばし、兄に関する部分を開いた。そこには、殺人現場の詳しい見取り図が載っていた。ちょうどこの部屋から出て少し奥に進んだ所……玄関からリビングに続く廊下である。

 彼女は見取り図を見るなり、口の端に笑みを乗せる。そこには、被害者の傍にバットが落ちていた事。そして、そのバットで抵抗を試みた事が記してあった。

 

 

「ねえ、このバットって宝具の事?」

「ああ、同じ物……のはずだ」

 

 

 宝具は祖父が警察から受け取った遺品の一部だったので、ここに記されているバットと同一のはずだ。

 

 

「じゃあ、犯人は宝具持ちの人間を、あっさりと殺したって事になる。そんな事、普通の人間に出来るわけない。“紅世の徒”が関わっているのは確定ね」

 

 

 椿が明るく言う。ようやく、事件の尻尾を掴んだからだろうか。

 対して、慶次の顔つきは険しいものになる。

 

 

「犯人は父さんに色々と圧力かけられてて、殺す動機は十分にあった。なのに、なぜか公判中は『悪魔が乗り移っただけだ』って主張して無実を訴えてた。当然、却下されたが、つまりこれって――」

「それが本当だとしたら、“紅世の徒”に操られていたんでしょうね」

「……マジかよ」

 

 

 呆然と慶次が呟く。

 “紅世”という黒幕がいるならば、死刑となった犯人は一体何だったと言うのだろうか。

 

 

「だが、それはあくまで可能性の話だ。現状、“紅世の徒”が関与していると仮定して調査は進めるが、状況証拠のみ。“紅世の徒”以外の可能性も頭の隅に残しておけ」

 

 

 慶次の心中を察したアラストールが、思考の偏向を注意する。

 

 

「うん、分かってる」

「あ……ああ。覚えておくよ」

 

 

 椿と慶次は素直に頷くが、やはり慶次の頭から“紅世”の言葉が抜けない。

 一瞬で四名を殺した手際の良さ、犯人の裁判における不自然な発言。不可解だと思いつつも、殺人犯の言動がまともな訳がないと斬り捨てていたが、全てが“紅世”が関係していたと考えると辻褄が合う。合ってしまう。

 当事者の慶次にとって、その可能性は衝撃が大きすぎる。

 考えてもみて欲しい。今まで犯人だと思っていた奴が、実は慶次と同じ被害者だと。残りの命を燃やし尽くした祖父の苦労が、全て徒労だったと。四年前、死刑が執行された犯人は、本当に冤罪だったかもしれないのだと。

 可能性を考えるだけで、慶次の手の震えは止まらなかった。

 

 

(――ちくしょう。感情が、頭が、まとまらない)

 

 

 解決しようという覚悟は決めた。その想いは変わらない。

 だが、今は椿とアラストールのような冷静“過ぎる”思考を保てそうになかった。今の状態では調査の邪魔にしかならない。

 

 

「……すまん。ちょっと頭冷やしてくるついでに、茶でも取ってくるわ」

 

 

 少し頭を整理させるため、慶次は椿に一声掛けてから部屋を出て行く。椿は椅子に踏ん反り返っているだけで、後ろから「うむ」とアラストールの返事だけが聞こえ――慶次は振り返る。椿はファイルから目を離さない。何となく、見られている気がしたが気のせいだったようだ。

 

 

「何?」

「……紅茶でいいか?」

「砂糖とミルク。あと、お菓子」

「ああ。菓子はさっき買ったメロンパンでいいよな」

 

 

 コクンと頷く椿。十分も時間を掛けて厳選したメロンパンをここで食べてしまうらしい。

 椿に背を向けると、慶次は今度こそ書斎を出た。

 椿は一度も顔を上げなかった。

 

 

 

 

 珈琲で一息着いた後、慶次の気持ちも落ち着き、何とか手伝えるまで回復した。

 それから先は黙々と、日が暮れるまで二人にして三人は六年前の資料を調べ続けた。事件の概要から被害者である前田家四名の死因、殺人犯の最期と隅々まで目を通した。しかし、一向に“紅世の徒”の関与を決定付けるものは出ず、逆に疑問ばかりが膨れ上がった。

 中でも二つの疑問が、椿とアラストールを悩ましている。

 

 

「そもそも、“紅世の徒”が人間殺しに関与した理由が分からないのよね」

 

 

 夕食のハンバーグに舌鼓を打った椿は、食後のおやつである市販のソフトクリームを炬燵で舐めながら、一つ目の疑問を言う。緊張感の欠片もない姿だが、語る内容は大真面目である。

 対して、慶次も緊張感皆無のエプロン(背中に金属バット)姿で食器を洗いながら答える。

 

 

「“紅世の徒”が隠ぺいしたって線は?」

「そういう痕跡は確かにあるわ。けど、“紅世の徒”は基本的に目立ちたがりの語りたがりよ。奴らの本質を考えると、不自然過ぎる」

 

 

 二つ目の疑問。

 “紅世の徒”は世界のバランスを考えない放埓者たちである。他人の迷惑を考えないような輩が、“たかが人間を殺す”のに関わった痕跡を全て消すなど、普通は有り得ない。おそらく、何かしらの理由があると考えられるが、幾ら事件を洗ってもそれらしい理由は出てこなかった。

 

 

「ああもう、なんなのよこの事件は! もやっとする」

 

 

 八つ当たるようにガブガブとソフトクリームに喰らいつく椿。

 半日調査に中てたが、まだ事件の全体像さえ掴めていない。彼女の言い分には慶次も大いに同意する所であった。

 

 

「六年前の惨劇が関係あるって分かっただけでも収穫だけど……なんつーか、まるで靄を相手にしてるみたいだな」

「靄なんてとっとと晴れて、餌に引っかかってくれないかしら」

「勘弁してくれよ」

 

 

 彼女と丸一日付き合い、荒っぽい物言いにも慣れてきて、慶次は苦笑を浮かべて受け流す。

 と、

 

 

「お」

「わっ」

 

 

 家の固定電話が甲高い電子音を鳴らした。椿は電話に慣れていないのか、僅かに驚きを声に混ぜている。

 彼女の意外な反応に、慶次はニタニタ笑いながら電話に出る。

 

 

「もしもし、あがっ!」

 

 

 自分が笑われたと思ったのか(実際その通り)、椿が慶次の後頭部にみかんをぶつけた。仕返しのつもりなのか、ちょうど電話に出たタイミングでぶつけられたせいで、相手に変な声を聞かれてしまう。

 受話器から心配する声が聞こえる。

 

 

「だ、大丈夫ですか、慶次さん!?」

「お、おう。大丈夫だ。心配するな」

「そうですか? 結構、すごい声を出していたようですが……」

「そ、それより何か用か?」

「…………」

 

 

 このまま話を引っ張るとボロが出そうなので、美代の言葉を待たず強引に話題を変える。受話器の先で何か言おうとする気配がするがそれはすぐに止み、そのまま会話に乗っかってくれた。

 

 

「いえ、連絡が中々来ないので少し心配しただけです」

「そりゃ悪かったな。俺はこの通りピンピンだから、心配するな」

「ですが、何か困っていたのではありませんか? いつもより、声が少し気落ちしています」

「……お前はエスパーかよ」

「すごいんですよ、恋する乙女は」

「お、おう」

「……さっきのは忘れて下さい」

 

 

 慶次の顔に引き攣った笑みが浮かぶ。おそらく、美代なりに慶次を和ませようとしたのだろうが、悲しいかな彼女が言うと全然洒落になっていない。

 とはいえ、少しだけ肩の力が抜けた気がする。美代の気遣いは袋小路に入り始めた慶次にとって非常にありがたいものであった。

 

 

「あ、そうだ。少し訊きたい事があるんだが、いいか?」

「構いませんが……」

 

 

 美代は慶次の隣人。当然、六年前の惨劇についても知っている。もしかしたら、慶次たちの知らない何かを知っているかもしれない。

 ――きっと、慶次の心は全然整理なんてできていなかったのだろう。

 朝に失敗したばかりにも拘らず、慶次はそんな軽いで尋ねてしまった。

 

 

「六年前の事で何か知ってる事があれば、教えてくれないか?」

「六年前と言うと……その、慶次さんの、家族が……」

「ああ。あの事件の事だ」

「――っ」

 

 

 受話器越しに美代が息を飲む。それが驚愕なのか、それとも恐怖なのか慶次には分からなかった。

 

 

「慶次さんも、事件の不審な点に、気づいたのですか……?」

 

 

 十数秒の沈黙の後、美代は迷いながら何かを確かめるように慶次にゆっくりと尋ねた。

 

 

「あ、ああ」

 

 

 慶次はなぜ美代がこうなったかも分からず、何も考えずに返す。

 再び口を閉ざす美代。答えは返る事無く、受話器からは掠れた吐息だけが聞こえた。

 慶次の質問は続く。

 

 

「なあ、美代が気づいた事件の不審な点ってなんだ?」

「……お義兄様の殺害状況です。犯人と同等の装備を持っていながら、頭に攻撃を当てるだけならまだしも、一撃で脳天を割るなど人間業、ではありま、せん」

(っ――俺は馬鹿か!!)

 

 

 美代の声に湿っぽいものが混じる。慶次は事ここに至って、彼女が何を迷い、何を悲しんでいるのか分かった。

 慶次が頭を激しくかき乱す。なぜ、気づかないだろうなどと、淡い希望を抱いたのか。相手はあの美代だというのに。

 六年前の不審点、慶次の怪我、体育での異常。六年前の常軌を逸脱した敵が現れ、慶次が傷を負った。敵の対抗策として、あのバットを持っていた。

 美代の中で全てが繋がったのだ。そして気づいたのだろう。今も常軌を逸脱した敵が慶次を狙い、立ち向かおうとしている事に。

 それが怖くて、悲しくて。だけど、慶次を止める事もできず、慶次はただただ美代を突き放す。

 それでも慶次の事が心配で。嫌われるかもしれないけど、関わらずにはいられない。

 

 

「……悪い。怪我した上にこんな事に関わろうとしてるんだ、心配するよな」

 

 

 ここまで想われて、知られて。慶次にはもう、美代に嘘を吐く事はできなくなった。

 

 

「やっぱり、怪我していたのですね……。慶次さんが、私に黙っているのです、危険な事件だという事は分かっています。ですが、慶次さんがこれ以上関わって、あんなになったら、わ、私……!!」

 

 

 美代の声が慶次の耳を劈く。じんじんとする耳以上に、悲痛な声音が慶次の胸を抉った。

 

 

「すまん。だけど、もう止める事はできないんだ」

「そんな……!」

 

 

 もう慶次は命を狙われているのだ。引く事は出来ない。

 そして何より、六年前の事件が関わっていると分かった以上、絶対に逃げたくなかった。

 

 

「だったら、私に手伝わせてください! 慶次さんがこれ以上、傷つくの見ているだけなんて、耐えられません!!」

「――っ」

 

 

 美代の悲痛な叫びが、慶次を揺さぶる。

 泣かれて、知られて、そして求められて。いっその事、彼女の訴えに頷いてしまいたくなる。

 だが、それは駄目だ。宝具を持っていた慶次でさえ、“紅世”と相対したとき、何もできなかったのだ。“紅世”に対抗する術を持たない美代が、“紅世”に関わっても最悪の結末しか生まない。

 

 

「ダメだ」

 

 

 はっきりとした否定の言葉。しかし、美代も諦めない。

 

 

「どうしてですか! 事件を解決したくないんですか!」

「どうして、お前は俺のウィークポイントを的確に突くんだよ!」

「慶次さんを独りにしたくないからに決まっているでしょう! それで、事件を解決したいんですか、したくないんですか!!」

 

 

 ぐっ、と慶次は口を噤む。

 美代をこれ以上、事件に巻き込みたくない。しかし、六年前の情報を少しでも手に入れたい。

 一度は拒絶しながらも、僅かながら慶次に迷いが生まれてしまう。無論、それを逃す美代ではない。

 

 

「あれから六年、今では前田家よりも新発田家の方が情報網はあります。当然、あの惨劇についても、六年の積み重ねがあります。そこには、絶対に慶次さんが欲しい情報があるはずです」

「……魅力的な提案、どうもありがとう。だけどな、お前がこれ以上関わるのは駄目だ。危険すぎる」

 

 

 慶次の反論。しかし、そんな行き当たりばったりな反論を美代は叩き潰す。

 

 

「何を仰ってるのですか。すでにマスコミを始め他にもたくさんの人が調査なさっていますよ? その中で、調査中に不審死を遂げた方などいらっしゃいません。そのような心配は無用かと思いますが?」

「あ、相手は隠ぺいを得意とする奴なんだよ! 俺が気づかない内に消されるかもしれないんだぞ!」

「心配なさらずとも、私自ら調べる事は致しません。既存の資料をかき集め、まとめるだけです。そのかき集める作業も、外部に頼みます。慶次さんがなぜそこまで危険視なさっているのかは分かりませんが、これで危険だと仰るなら私はこの堂森市では何もできませんよ?」

「うぐっ……!」

 

 

 危険だと言う慶次の懸念を、全て美代に打ち消された。反論する余地がない。

 

 

「あー、もう分かったよ!」

 

 

 慶次は頭を掻き毟りながら、投げやりに許諾する。

 心情的には巻き込みたくないが、あの頑固な美代の事だ。どうせ、慶次が止めたところで勝手に調査する。それならば、いっその事許可を出し、手元に置いた方がまだ安心できる。

 

 

「情報収集は許す。だけどな、絶対にお前が直接するんじゃないぞ! 慎重に、絶対にお前がやったってバレないようにやれよ!」

 

 

 それでも不安なので、一応釘を刺す。

 

 

「分かってますよ、慶次さん」

「本当に分かってるんだろうな?」

「はい」

 

 

 どことなく声を弾ませる美代に、若干不安になる慶次。

 好意を持っている相手に心配されて嬉しいのだろうが、今から危険な事をするのだ。もう少し危機感を持って欲しい。

 

 

「いいか! 絶対に油断するなよ、浮かれるなよ、調子に乗るなよ!」

「分かっています。それではまた明日、お会いしましょう」

「……ああ、おやすみ。気を付けてな」

「心配性ですね、慶次さんは――っと、そういえば」

 

 

 受話器を切る直前、美代は何かを思い出したのか、慶次に待ったをかける。

 

 

「慶次さんの方では慶次さんのお義父様と前田家について調べて頂けませんか?」

「親父に俺ん家だって?」

「はい。事件当時から思っていたのですが、どう考えてもお義兄さまやお義母様たちが狙われる理由がありません。ですから、事件の直接の原因はお義父様、もしくは前田家自体にあるのではないかと、推測しました」

 

 

 確かに、偶々帰省した大学生の兄や、専業主婦の母に事件が起きた原因があるとは考えにくい。政治家であった父、もしくは江戸時代から続く名家である前田家に原因があると考える方が自然であった。

 

 

「あ、それとさっき、親父たちの発音がちょっとおかし――」

「それでは今度こそ、また明日」

 

 

 おやすみなさい、と美代が告げると、思いの外あっさりと通話が切られる。きっと、徹夜で資料をまとめるのだろう。慶次のために、一分一秒が惜しいのかもしれない。本当は、もっともっと話したいくせに。

 

 

(全く……どこまで、献身的なんだよ)

 

 

 慶次は受話器を見つめると、今までの美代との日々を思い出す。

 碌な料理が作れないと知ったときは、作ってくれるだけではなく作り方まで教えてくれた。勉強で分からない所があると言ったら、いつでもどこでも分かりやすく教えてくれた。

 いつもいつも助けてくれた。その裏に、慶次に対して想いがある事も知っていた。慶次は毎日生きるのに必死で、気づきながらも目を背け続けた。いつまでも美代に甘え続けた。

そんな慶次にいつまでも美代は尽くし続けてくれた。

 

 

(“こっち”も逃げ続ける訳にはいかないようだな)

 

 

 慶次は一つ決意を新たにして、振り返る。

 

 

「話は……聞いてたみたいだな」

 

 

 椿がティッシュで口の周りに付いたアイスを拭いながら立ち上がっていた。

 

 

「美代がもう一度事件を洗い直すが……俺たちはどうする?」

「そいつの指示通り、あんたの父親と家を調べるに決まってるじゃない」

「おお、随分と素直な事で」

「たったの数時間で“この世の真実”に近づいた奴の助言よ。家でも外でもセクハラする変態男の言葉と、比べるまでもないでしょ」

「ごもっともです、ごめんなさい」

「分かったなら、資料のある場所に案内しなさい」

 

 

 慶次はあからさまな対応の差にがっくりしつつ、もう一度父の書斎へと椿を案内するのであった。




巻き込みたくない(巻き込まないとは言ってない)。

そして、なぜか食べてばかりのフレイムヘイズ。

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