「本来この世界に『存在しないもの』である“紅世の徒”が顕現するには、“存在の力”っていう根本的なエネルギーが必要なの。彼らはその“存在の力”を人間を喰らって集めて、“自在”に操ることで存在する」
「…………でも、そんなことしたら気付きそうなもんだけどな」
「“存在の力”を喰らうっていうのは、人が食物を摂取するのと同じじゃないわ。存在自体を喰らわれると、その人は最初からいなかった事になるの」
「じゃあ、今もこうしてる間に――」
「そう、人は喰らわれ続けている」
曰く、“紅世”から来訪した“紅世の徒”は人を喰らう。
曰く、人を喰らうとは“存在の力”を集めること。
曰く、喰らわれた人は“いなかったこと”になる。
幾千年、幾万年。
人類が誕生してからという途方もない昔から、“紅世の徒”はこの世を跋扈してきた。
今この時も。
誰かが喰われ、誰かがいなくなり、そして誰も気づかない。
「これがこの世の真実」
少女は告げた。あまりにも残酷な理不尽を、常識のように。極寒とも思える冷たさで。
慶次は俯く。頭の中には彼女の言葉がグルグルと渦巻く。
「でも、そんなことやってたら、絶対おかしな事が起きるんじゃ――」
「そういった“災厄”を恐れる“徒”も当然いるわ。そこで、私のような“紅世の王”と契約した『フレイムヘイズ』が乱獲者たちを討滅するってわけ」
右手に掴んだバットを強く握りしめる。
今こうしている瞬間、この堂森市で知人や、その家族が喰われているかもしれない。もしかしたら、すでに喰われて忘れてしまったのかもしれない。
悲しむこともなく、今も―――。
「そこのミカンとって」
「あいよ……ってくつろぎ過ぎだろ!?」
「いいから早くとりなさいよ」
思わず突っ込みを入れる慶次を、少女は逆に睨めつけ返しこたつの端に置かれたミカンを所望する。
そりゃ慶次もストーブを点けたり、『こたつで話さないか?』と寒さのあまり口走ったりした。が、今の彼女は緊張感が欠けているというレベルではない。ごっそり抜け落ちているとしか思えない。
「別にいいでしょ、私が何したって」
「そりゃそうだけど……」
幾ら注意しても少女は毅然と答えるのみで、慶次は肩を落とすしかない。
(こんな子だったとはな……)
言葉を交わして分かった事だが、この少女とにかく気遣いや愛想がない。先の話もオブラートに包むことなく『喰われる』や『滅する』など普段聞かない少々暴力的な言葉遣いで憮然と説明するのだ。
彼女は言葉を飾ることは一切ない。それは同時に裏表がないとも受け取れるのだが、物騒な現状では気休めな解釈でしかない。
直情径行……これほど彼女を体現するのに相応しい言葉はないだろう。そして、こういったタイプに無闇矢鱈と逆らうのは得策ではない。一の攻勢を十にして反撃される。
慶次はため息を吐くと、しぶしぶと言った感じにミカンを手渡す。もちろん、質問することは忘れない。
「そんな事してたらさすがに気付くんじゃないのか? 昔はそれでも良かったかもしれないけど、さすがに社会が成熟した現代じゃ誤魔化し切れないだろ」
「そうでもない。人間は不自然な事があっても、説明できないものは結局“そういうもの”としか処理できないの。それに“徒”は喰らった後に“トーチ”っていう人間の代替物を設置して歪みを和らげてるのよ」
「トーチ?」
またも訊き慣れぬ単語に、慶次は訊き返す。
ミカンを食べ始めた少女に替わり、今度は胸元のペンダントが答える。
「空いた存在の空白を一時的に埋めるものだ。突如、存在の空白が生まれれば歪みが大きくなり、フレイムヘイズだけではなく人間にも気付かれるやもしれぬ。そこで、彼奴らが喰らった人間の残り滓とでも言うべきトーチを設置し、徐々に存在の穴を埋めていくことで歪みを軽減させるのだ。お主が始めに見た“封絶”も、その一助となっておる」
「ああ、あの炎の壁みたいなものか?」
「正確にはその内側の空間だ。あれは外界と因果を切り離すゆえ、内側たる空間で人は如何なる事象も認識できぬ。我らのような“この世の因果から外れた”者か、お主のような特別な『宝具』を所持した人間でなければ、な」
「ふーん……で、今更だけど、このバットって何?」
何となしに慶次は自然と少女の剥いたミカンに手を伸ばすが、別の手がそれを遮る。
主を見れば、あげるのは質問の答えだけだと言わんばかりに、真っ黒に冷めた視線で慶次を一睨みすると、ミカンを美味しそうに頬張る。
「んぐ、“紅世の徒”がこの世で作った道具のことよ。はぐ、お前のは人間を“封絶”内で動けるようにするだけじゃなくて、身体能力も向上させる物みたいだから、相当物好きな奴が作ったんでしょうね」
「うちのミカンなんだしさ、一口ぐらい食べさせてくれてもいいんじゃないか?」
「嫌。食べたいなら自分で勝手に食べなさい」
「じゃあ看病と言う観点で、怪我人に食べさせるという発想は?」
「……何でお前に食べさせなきゃいけないわけ?」
「ですよねー!」
再び睨まれて、慶次は慌てて前言を引っ繰り返す。
すっかりリラックスした少女に毒されて普段通り軽口を叩いてしまったが、どう考えても彼女は冗談を嫌うタイプだ。
(うう……ただでさえ、色々あったのに。俺の周りには、もう少し愛想の良い女の子はいないのかよ)
今日何度目になるか分からない落胆を感じながら、慶次は今まで得た情報を整理する。
“紅世の徒”と『フレイムヘイズ』。
“存在の力”といずれ来たる“大災厄”。
人の代替物である“トーチ”と『宝具』。
そして、“封絶”。
「……………」
全てが考えることも億劫で残酷な話。
世間話のように語る少女の言葉は、剛直であるがゆえの妙な説得力で耳に届いた。
少女の人と成りを信じるなら、言葉に嘘はない。
「……………」
だが、慶次は彼女の話を信じる気にはなれない。
もし彼が“徒”に襲われ、喰われかけ、トーチを目にしたのなら信じただろう。しかし、事実は『化け物に襲われた』だけだ。“存在の力”の欠片も慶次は体感していない。
少女には悪いが、信じるに足る情報が圧倒的に不足していた。
そして何より、
「その話、矛盾してないか?」
彼女の語るこの世の真実に相反した事実に気付いた。
そのような反応をされるとは思っていなかったのか、少女は眠気を吹き飛ばし訊き返す。
「どういう意味よ?」
「あの化け物は俺を喰らおうとしたんじゃない。“殺そうとしていた”。だけどお前の話じゃ、“紅世の徒”がわざわざ人間を殺す理由なんてないだろ?」
通常、“徒”が人間を喰らうことはあっても、殺すことはない。
あるとすれば個人的な恨みしかないのだが、それならば燐子に任せるのではなく“徒”本人が手を下すはずだ。仮に手を汚す事を嫌うなら、燐子ではなく人間の殺し屋の一人でも雇った方が手っ取り早く、面倒事も少ない。
慶次の場合、宝具を持っていた。もしこれが狙いだとしても、彼が家にいないうちに盗んでしまえば済む話であり、話しの筋が通らない。
少女には悪いが、彼女の話は矛盾だらけであった。
――と、ここまで慶次が説明した所で、少女の口元が感心したように曲がる。
「そうよ。お前の言う通り説明がつかない。でも、理由が思いつかない訳じゃない。あるとすれば――」
「個人的な理由……恨み、とかか?」
「もしくは、奴の行動……“殺す行為そのもの”か“封絶を張る事”に意味があったかもしれない」
少女が手を止める。
少しの間、沈黙が二人の間に割り込んだ。
慶次は宝具を所持していたとはいえ、自身にそれほど価値があるとは思えない。何より、慶次と化け物を結ぶ接点があるとは思えなかった。
少女もわざわざ封絶を張ってまで殺すほど、慶次に価値はないと思っていた。幾らかは彼の冷静さを評価してみるが、価値には結びつかない。
だとしたら、行為そのものに意味がある……とも思ったが、当の慶次が“紅世”に関する知識が皆無。到底、“紅世の徒”と関係を持っているとは思えず、この論も説得力を持たない。
お互いが同じ結論に至りつつも、全く信じていなかった。そのせいか、二人とも二の句が継げなかった。
沈黙を破ったのはペンダントであった。
「我らは当面、お前を守護しながら彼奴らの真意を探ることになろう」
相手の出方が分からない以上、相手の狙い(慶次)に張り付くのは至極当然の答えだろう。無論、慶次は死にたくないのでこの結論に否やはない。
「そういうことだから、しばらくお前の近くにいると思う」
「まあ、俺に手伝えることがあったら遠慮せずに言ってくれ。せめて、助けられた分は返したいし」
「別に助けたわけじゃない」
「そうかい」
慶次は感謝の意を込めるように、自然と弾けるような笑みを浮かべていた。何となしにした慶次の行為に少女は目を見開くと、慌てて視線を逸らした。
「どうした?」
「何でもない」
「変なやつ……なんていなかったな、うん」
睨まれる前に慶次は訂正すると、立ち上がった。無論、右手にはバットが握られている。少女は不思議そうに慶次を見上げる。
「どうしたの?」
「いや、そろそろ朝飯の時間だからな。準備しないと」
縁側の引き戸から、淡い光が差し込んでいる。いつの間にか、日が昇り始めていた。そろそろ、朝の準備をしないと学校に遅れてしまう。
ついでに少女の分も用意しようと考えて、慶次は大事なことを聞き忘れていたことを思い出す。
「前田慶次」
「は?」
「まだ自己紹介してなかっただろ? 前田慶次。それが俺の名前だ。君の名前は?」
「…………え」
予想外の質問だったらしい。少女は顔を曇らせた。凛々しさが失せ、僅かに儚い寂しさが浮かぶ。胸元のペンダントを手で弄びながら、愁いを込めた視線を流し、小声で答える。
「私はアラストールと契約したフレイムヘイズ、それだけよ。それ以外に、名前なんかない」
顔から寂しさは消えていたが、今までの凛としたものとは違う。
表情を無理やり消した顔だった。
「他のフレイムヘイズと区別するために、“『贄殿遮那』の”って付けて、呼ばしてはいたけど」
「ニエ……?」
「『贄殿遮那』。私が持ってる大太刀の名前」
「そうか。じゃあ、そうだな……」
『贄殿遮那』のフレイムヘイズ。
大仰な上に長ったらしくて、名前とするには不適切だと慶次は思う。
慶次の頭にふと、『贄殿遮那』の略して“シャナ”などと思い浮かんだが、女の子の名前を武器から取るのは、正直気が引く。
目の前の少女を見る。
意志の籠った黒鉛の瞳。潤った唇は強く引き結ばれ、少女の力強さをさらに際立たせる。腰まで伸びた黒髪は、無作法に伸びているにも関わらず艶やかに輝き、強さと美しさが織りあっている。
だが、これは少女の一面でしかない。
紅蓮の眼光。紅蓮を宿した炎髪。少女と言う存在自体を昇華させた、炎髪灼眼の討ち手の姿。
今の少女と炎髪灼眼の討ち手が合わさってこそ、彼女と言う一個の芸術品となる。
慶次は失礼だと思いながらも、率直にそう感じた。
「
「えっ?」
「俺は今度から君の事を“椿”って呼ぶことにする」
緑の黒髪を少女が、戦いの時だけに見せる炎髪。
青々しく茂る葉の先に綺麗に咲き誇る赤色の“椿”と少女が、慶次には重なって見えた。
慶次にとって気に入った呼称ではあったが、当然と言うべきか。椿と呼ばれた少女にとってはどうでもいいことらしい。彼女は首を傾げて、軽く答える。
「勝手にすれば? 呼び名なんかどうでもいいし、私は私の役目を果たすだけ」
「それは心強いことで。それより椿、うちの朝食は和食なんだが、大丈夫か? 一応、パンもあるぞ」
椿はあからさまに怪訝な顔つきになる。
「勝手に名付けて、いきなり呼び捨て? ま、いいけど……それって、用意してくれるってこと? それなら、パンでもなんでもいいわよ。お前を看病していたせいで、何も買ってないの」
これを聞いた慶次は苦笑を浮かべる。見てただけだろ、と思ったが口にはしない。
慶次は宝具をバットケースに仕舞い込み、背負う。身体に異変はない。どうやら宝具を所持しているだけで、効果があるようだ。これで両手が自由に使える。
慶次がキッチンに立つ(エプロン装備)。
「それじゃあ、とびっきりの朝食を用意しよう」
「期待してないで待ってる」
「おう!」
快活な声がリビングに響き渡る。数時間前まで、夢に震え、化け物に恐れ、死にかけていたはずが、いつもの自分に戻っていた。慶次は自分のふてぶてしさに笑った。でも、これでいい。椿といつも通りに接していける。少しでも距離が縮まれば、今のような漠然とではない、明確に事態を把握できるようになるはずだ。
椿が慶次を見ていた。それに気づいた慶次は笑顔で見返し、
「あっ」
「どうしたの?」
慶次の様子を見て、椿が訝しむ。
「いや、その。なんだ……」
「なによ、はっきりしないわね。何かあるなら言いなさいよ」
しどろもどろに答える慶次に、椿は苛立ちを見せる。
椿に気を遣ってのことだっがのだが、彼女には余計なお世話らしい。でも言ったら言ったで怒るんだろうな、と思いながらも、慶次も気分が良いので口を滑らせる。
「しかめっ面ばかりしてたけど、ちゃんと笑えるじゃん」
「っ!?」
慶次が椿の顔を指差す。慶次の笑みにつられたのか、その頬は緩んでいた。
椿の頬がみるみる朱色に染まっていく。これを見て、慶次は思わずニヤニヤと嫌な笑い方をする。
「可愛いところ、あるじゃないか」
「うるさいうるさいうるさい!! 早くその喋りすぎる口を閉めなさい!!」
「まあまあ、褒めてるんだから照れるなって」
「照れてないっ!!」
耳を劈く怒声が、慶次のいるキッチンまで響く。
さすがにやり過ぎた、と反省し慶次が口を開こうとすると、氷点下を突破した冷たい眼光が貫く。喋るな。椿の視線が、それだけを語っていた。
冷たい汗が慶次の全身から一斉に噴き出す。椿の機嫌を直す方法はないか考えてみるが、そもそも彼女の事は何も知らない、出会って数時間の関係だ。こうして話しているのも、奇跡なのだ。それを、こうして慶次がぶち壊しているのだから、馬鹿としか言いようがない。
一気に空気が悪くなった室内で慶次が悩んでいると、
「手が止まっているぞ」
唯一の大人(?)のアラストールが、やれやれという感じで声を上げた。
朝食を作ると言ってから、全く進んでいない。
「わ、悪い! すぐに作る!」
慌てて調理を始める慶次。すぐさま伺うような視線が椿から飛んできたが、慶次と目が合うとすぐに逸らされた。
結局、椿は朝食が炬燵に並べられるまで、決して慶次と目を合わせなかった。
※今後本作は、灼眼のシャナの二次創作を名乗りながら、シャナのシの字も出てこないタイトル詐欺となります。