灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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後編です。

こんなもん出張の合間に何年も書き続けてたから、頭おかしくなるんですよ。


幕間Ⅱ 決戦前夜(後編)

 慶次とアラストールの語らいとほぼ同時刻。前田家の大きな浴室で、少女が人生初めての体験をしていた。

 ――それは、湯船に浸かるという、日本人なら誰でも体験したことのある文化的習慣だ。

 

 

「おお~……!」

 

 

 椿は初めての湯船に、少々外見に相応しくない感嘆の声を上げる。浴室独特の反響する声音が薄暗闇の浴室に響き、さらに少女を上機嫌にさせる。入浴までに美代と一悶着あった椿だが、なるほどと今は納得していた。

 最初こそ、石鹸を泡立たせ全身を洗う事の何と面倒なと思ってはいたが、実際にやってみると全然違った。“清めの炎”では、汚れを落とすという感覚だった。入浴では、洗った先から汚れが落ちていくのではなく……『綺麗になっていく』とでも言うのであろうか。とにかく、新鮮かつ好ましい感覚だった。

 さらに温かな水流が身体を伝う感触。湯船に浸かった際の身体の芯から温め、身も心も解されていくような感覚。これはシンプルに気持ち良かった。“清めの炎”では絶対に気持ちいいという感想は出てこない。

 詰まるところ、椿は入浴が大好きになっていた。

 

 

「お気に召したようで、良かったです」

 

 

 椿の正面から、そんな安堵の声が上がる。美代が椿と同じ浴槽に入浴していた。彼女と共に入浴しているのは、燃料の効率や前田家の浴槽か広かった事もあるが、一番の理由は椿が入浴というものを、そもそも知らなかったからである。

 

 

「……悪くは、ないわね」

 

 

 椿はぶっきらぼうに返しながら、向かいの美代を観察する。病院にいたあの短時間で治ったのか、“燐子”に傷つけられた切傷も火傷も、完全に塞がっていた。それどころか、懐中電灯のみの薄暗闇でも映えるほど、肌は白く透き通っており、瑞々しく水を弾いている。

 そして何より目を引くのは、胸の脂肪分。浮いてた。浮くものなんだ。そもそも、何を食べたらこんなに膨れるのか。なぜ、個々人でここまで成長が異なるのだろうか。

 椿が人類の神秘について考えていると、美代が咳払いをする。

 

 

「さすがにそこまで見つめられると恥ずかしいのですが……」

「だって、浮いてるし、大きいし」

「声に出さないで下さい!」

 

 

 美代が胸を両手で隠しながら湯船に沈める。手が二つも必要なんだ、と椿が妙なところに感心していると、

 

 

「……一つお願いがあるのですが、聞いていただけませんか?」

 

 

 椿が視線を少し上げ、不覚にもドキリとした。

 緊張しているのかやや顔を強張らせ、弱弱しく眉尻と目尻が下がっている。どこか切なげで、触れてしまうだけで崩れてしまうような気がして。

 強くない。凛々しくなんてない。脆い。儚い。

 そんな感想しか出てこないのに、どうしてだろうか。彼女が……彼女の表情がとても良い、思っていた。

 椿が言葉を継げないでいると、美代が慌てた様子で続ける。

 

 

「あ、その、別に変なお願いではないですよ! ……慶次さんと大事な話があるんです。大事な、大事な――」

 

 

 段々と小さくなる声音。浴室でほんの僅かに反響するだけで、椿にしか届かなかった。内容だって、何て事のない日常会話の一つ……なのに、どんな絶叫よりも耳に残り、どんな演説よりも心に刻み込まれていた。

 一体、これの正体は何なのだろうか。椿には分からなかった。ただ漠然と、目の前にある“これ”は己にとってとても大切なものだという事だけだった。

 

 

「その……しばらく、二人きりにしていただけませんか?」

「……勝手にすれば」

 

 

 ただ、それを素直に口にすることはできず、つい投げ槍な返事をしてしまうが、

 

 

「ありがとうございます!」

 

 

 美代は感謝と共に、満天の笑みを添える。己とは正反対の態度。さらに気恥ずかしくなった椿は、全身を湯船に沈める。静かに出ていく美代を水中で見送ってから、顔の上半分だけを水面から出した。

 出口、磨硝子の扉へと目を向けると、女性のシルエットが映し出されている。シルエットはモゴモゴと動いていたが、五分もしないうちに磨硝子の外側へと消えていった。

 

 

「……」

 

 

 先まで姦しかったのが、嘘のような沈黙。どこからか水が滴る音だけが浴室を反響する。

 

 

「……」

 

 

 一人になった湯船で思い切り手足を伸ばす。広々とした浴槽を一人で独占する優越感に頬を緩ませながらも、頭にはどうしても先の美代が残る。

 今日一日、彼女は理不尽な目に遭い、何度も何度も打ちのめされていた。そして、立ち上がった美代はとても聡明で強い女性だった。そんな彼女の見せたあの表情は、一体何だったのか。なぜ、何が、良いと思ったのか。彼女がその表情を見せるに至った『大事な話』とは何なのか。

 そんな疑問が次々と沸き起こるが、どれだけ考えても答えは出てこない。なぜなら知らないのだ、美代の事も……そもそも人間というものを。

 世界の真実を知ってはいた。しかし世界の全てを知っていたわけではなかったと思い知らされる。

 カルが否定した人を。カルが否定した世界を。自身が肯定した世界を、まだ何も知らなかった。

 

 

 ――知ろう。

 

 

 気付けば、少女はそんな言葉を呟いていた。それは少女が、自らの意思で己の世界から外へと踏み出した瞬間だった。

 早速、行動に移ろうと湯船から立ち上がり――しかし、そのままの姿勢で固まる。そもそも、何から取り掛かれば良いのか検討もついておらず、奇しくも外へ踏み出した第一歩目から躓く事となった。

 仕方なしに再び湯船に浸かり、不快そうに眉根を寄せる。身体が温まりきったせいか、それとも単純に湯の温度が下がったのか、最初に感じた気持ちよさが全く感じられなくなっていた。暖め直したいところだが、さすがにこれ以上の燃料の消費は憚られた。かといって、こんなところで美代の用件が片付くまで浸かるのも耐え難い……とまで考えて、そもそもの疑問が頭を過る。

 

 

(いつまで待ってたらいいのよ……)

 

 

 美代の事だ、終われば報告に来るだろう。だが、いつ来るか分からない彼女を、ぬるま湯で待ち続けるのは嫌である。

 ではどうすればいいのか、と考えたところで少女の思考は停止してしまう。少女と“人”の交流は食料の購入という、まさに必要最小限しかなく、他の全てはフレイムヘイズの使命の遂行。少女にとって、思慮の埒外の問題だった。

 

 

「……出よう」

 

 

 そんな彼女の出した結論は、とりあえず気持ち悪いぬるま湯から出て、とりあえず美代の様子を確認するという行き当たりばったりなものだった。

 さらに、美代の願いを承諾する旨を伝えた手前、堂々と浴室を出るのは憚られた結果、ノロノロコソコソと浴室を抜け出すという、何とも半端な行動となった。

 いつもの鋭い決断力は鳴りを潜め、知らない世界で四苦八苦する等身大の少女の姿が、そこにはあった。

 

 

「まだ……終わってない、のかな……?」

 

 

 美代の用意したジャージ(なぜかサイズがピッタリ)に袖を通し、フレイムヘイズの身体能力を発揮したところ、二人の気配はまだリビングにあった。

 

 

「……これは確認、ただの確認……」

 

 

 まるで言い訳のように呟いてから、当初の予定通り? 少女はリビングに足を踏み入れる。足音はもちろん、息も殺し気配も消して、美代と慶次(ついでにアラストール)から死角となる位置まで動く。リビングの片隅に身を潜め、彼らを覗き見――そして赤面する。

 

 

(な、何であいつら、『大事な話』はどこ行ったのよ……!)

 

 

 慶次と美代が、抱き締め合っていた。それは、とても強く、激しく。しかも、好きだ好きだと、愛を囁きながら。

 少女とて、街中で抱き合うカップルぐらい見たことはある。愛の言葉だって、聞いたことはある。だが、知り合いがそれらを行う……ただそれだけの違いが、何とも表現しがたい羞恥心を呼び起こし、少女の頬を赤く染めていた。

 

 

「――………………っ!?」

 

 

 そうして湯だった頭で二人を見つめる事、数秒。いつの間にやら、ただ覗き見ているだけの己に気づき、再起動する少女。徐々に頭の熱が下がっていき、ある事に気づく。

 

 

(……何なの、これは……)

 

 

 それは二人の表情。

 ――慶次は笑っているのに、どこか寂しそうで。

 ――美代は喜んでいるのに、泣いていた。

 胸に手を当てる。傷もないのに、胸に冷たい痛みが広がっていた。

 

 

(明日には、死ぬかもしれないから……?)

 

 

 明日の決戦。慶次、美代、アラストール、そして少女、各々が使命遂行の役割がある。現状は窮地……この中の誰が命を落としてもおかしくなかった。

 だから、彼らは――とまで考えて、少女は首を横に振る。

 

 

()()()()で揺らぐような、覚悟じゃない。それは目の前で見た、私が一番分かってる)

 

 

 ならば何が、彼らをそうさせているのか。

 ――好き。

 彼らが、何度も繰り返している言葉。

 似たような言葉なら、少女も好きな人に贈ったことがあった。受け取ってもらえて、さらに贈り返してくれて、胸の奥がほのかに温かくなった。

 だけど、彼らが贈り合っているのは、きっと温かいだけじゃない。もっと熱くて、どうしようもない気持ちが込められている……そんな気がした。

 きっと、目の前の光景は二人にとって唯一無二のものであって、他者が踏み入れてはいけないもの。その考えに至り――少女は己の状況を再認識。今度は罪悪感が背中にのしかかってきた。

 

 

(バレないように、ここを離れ――っ!?!?!?)

 

 

 場を離れようとした直後、慶次と美代の行動に少女は度肝を抜かれた。

 

 

(キ、キキキキキキ――っ!?)

 

 

 ――キス。少女も親愛を表す意味で行ったことはあるが、それは頬。しかし、二人は唇と唇。想像するだけでも気恥ずかしい行動を目の前にし、少女の頭が熱に浮かされる。

 彼女の茹った頭から『離れる』という選択肢は完全に蒸発し、息を止めて、ただただ二人の色事を眺める。

 

 

「……ぁっ!?」

 

 

  そうして十数秒後、少女が息苦しさから呼吸する事を思い出したころ、ようやく二人の唇が離れる。

 

 

(うわぁ……息継ぎしないで、苦しくないの……?)

 

 

 場を去る事を完全に忘れ、見入る少女。当初の目的は完全に吹き飛び、真っ赤な顔で窃視する。

 もちろん、少女の存在など二人が気づくはずもなく、情事は進んでいく。

 

 

(押し倒して――っ!?)

 

 

 美代が慶次を押し倒し、今度は強引に唇を奪う。

 

 

(こ、こんなことまで、するんだ……)

 

 

 少女が息をのみ注視していると、耳にやや粘着質な音が聞こえ始める。即座にフレイムヘイズの強力な聴覚が音源を特定し――頭が沸騰した。

 

 

(し、しししし、舌、口に舌っ!?!?!?)

 

 

 あまりに刺激的すぎるその行為に、少女の思考回路はもちろん、五感がまるで麻痺したかのように、指先が動かなくなる。

 自身が立っているのか、座っているのかさえ分からない。ドクドクと心臓の音がうるさいほど高鳴っているのに、痛いほど静寂で他の音は何も聞こえない。

 

 

「はぁっ、はぁっ――!」

 

 

 原因は、目の前の行為。目を逸らせば、心を落ち着かせれば、呪縛から解かれる。分かっているのに、目を離すことができない。

 なぜ、と思う反面、これに似た感覚をよく知っていた。

 

 

(――違う)

 

 

 だが、それはあり得ない。そんな、目の前の想像さえもした事がない行為で、興奮しているなど――。

 

 

(違う! こんな感覚、知らない――!!)

 

 

 無論、これは大なり小なり誰でも持ち得る感覚で少女がおかしい訳ではない。

 しかし、少女は自身の感覚を認める事ができず、ただただ否定した。なぜなら、知らなかったから。こんな感覚、聞いた事も感じた事もなかったから。

 だが、否定したところで正常な反応を止めることはできない。

 

 

(違う違う違う! これは、違う!!)

 

 

 だから、少女は恐怖した。自身に湧き上がる感覚に。湧き上がる感覚自体に。

 それを正しく指摘してくれる大人は現在、使い物にならず、このままでは遠からず少女は心に大きな傷を負ってしまう――その刹那、一枚の男物の下着が、宙を舞った。

 幸か不幸か、これが止めの一撃となった。

 

 

「っ!?!?!?!?!?」

 

 

 叫び声にならない叫びを上げながら、もはや隠密行動など忘れたかのように駆ける少女。それも美代と慶次に向けて。

 そして、半裸で絡み合う慶次と美代を見るなり、口をパクパクさせたり。慶次の下半身を見て顔を赤くさせたり、床の下着を見て青くさせたり。

 もちろん、現状についてこれっぽっちも理解していない。目の前の光景に受け止めきれる許容量を超えたがための、ただの暴走だった。

 余談だが、彼女が冷静なら『宝具』の暴走と当たりをつけられたかもしれない。もちろん、遠目で見るよりも近い方がさらに官能的であり、気を落ち着かせるのとは程遠い光景。当然、冷静になれるはずもなく――、

 

 

「椿さん……見てていいですよ」

「――へっ!?」

 

 

 まるで少女に追い打ちを掛けるように、美代は慶次にしがみつき、再び唇を貪り始めた。

 少女の頭は再沸騰し、視線が接触部分に固定される。

 

 

「止めろ! いや、見るな!」

「えっ? ええっ!?」

 

 

 アラストールも美代が保健体育の実演授業を、有言実行するとは思ってはいなかったのか、要領の得ない指示ばかり飛ぶ。少女も一々、アラストールの指示に従い、結果、ヘンテコなステップを踏む。

 ――事ここに至って混沌は頂点となった。

 

「んんっ――、っあ、慶次さん……」

「アリャフトールゥ……」

「我が指示する! お前は目を塞いで、耳を塞いで――!」

「あわ! あわわわわっ!」

 

 

 もう、訳が分からなかった。何でわざわざ決戦数時間前に、彼らがこんな事をしているのか。そもそも『慶次さんと大事な話がしたい』と風呂場で切な気に告げられ、気を遣ったはずが、なぜこうなっているのか。そして……この恥ずかしさしかない行為から、なぜ己は目を逸らせないのか。恥ずかしさ以外の、妙に昂る、これは――いやでも、そんなはずは――何もかもが、分からなかった。

 もう思考がグチャグチャで、何をしたいのか分からなくなって、

 

 

 ――プツン。

 

 

 そんな音が聞こえたような気がすると、彼女の脳裏に単純明快な解決法を示された。

 

 

「うふっ。うふふふふふっ!」

 

 

 その解答に、少女は薄気味悪い笑みを漏らすと同時。シュバッ、という空気を斬る音。

 二人と一つが、その音の意味を理解する前に、

 

 

「痛いっ!?」

「ありがとうございます!」

「我もか!?」

 

 

 贄殿遮那を夜笠より取り出し、二人と一つにそれぞれ一閃(峰打ち)。アラストールは机にめり込み、慶次はソファーで白目を剥き、美代は壁に叩きつけられる。『フレイムヘイズ』らしい……というより、彼女らしい腕力にものを言わせた、脳筋的解決法だった。

 少女は満足気に微笑むと、不埒者二人を簀巻にして放置。自分は布団に潜り込んで就寝――の前に、

 

 

「アラストールはそのままね」

「………………」

「分かった?」

「……うむ」

 

 

 こうして、騒がしく全く緊張感のない夜は更けていき――決戦の時を迎えた。

 

 




ちなみにこの後、正式に慶次から美代へ破局の申し込みがあったそうです。

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