灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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遅くなってすみません。

ここからまた完結目指して頑張ります。


幕間Ⅱ 決戦前夜(前編)

 白い息を吐きながら、身体をソファーに投げる慶次。そのだらしない姿には、でかでかと『疲れた』と書いてあった。それもそのはず、夕食後に始まった作戦会議は議論に火が……否、炎が燃え上がり、終わった頃には夜も更けに更け、日付が一日進んでいたのだ。『宝具』の力で肉体的な疲労は回復したが、精神的な疲れは如何ともし難く、慶次はすっかり疲労困憊であった。ちなみに、『宝具』の扱いにもすっかり慣れたもので、ケースを肩に掛けながらも、器用に寝転がっている。

 慶次のだらしない姿に、炬燵の上の“コキュートス”から呆れた声が上がる。

 

 

「貴様、疲れた顔をしておるが、黙って聞いてただけではないか」

「うっ……」

 

 

 確かにアラストールの言うとおり、数時間の議論中、慶次はほとんど聞くだけだった。だが、これには慶次にも言い分がある。

 

 

「いやいやいやいや、あのワープ議論に入れって方が無理だろ!」

 

 

 天才と言っても差し支えのない頭脳を持つ椿と美代。そんな二人が時間的余裕のない現状で議論を行った事で、恐ろしい化学反応が起きた。

 それがワープ議論(慶次命名)。論理の過程をすっ飛ばして、互いの結論だけで会話をする凡人泣かせの議論法だ。例えるなら、早押しクイズで二人して問題文が読まれる前に解答する――というのは少々大袈裟だが、それだけ二人の会話が慶次を置き去りにして行われたという事だ。

 凡人たる慶次にとって、あんな議論とも思えない議論は、理解するだけで精一杯であり、十分疲労に値するものであった。もちろん、働いたかと問われれば目を逸らしてしまうしかないが。

 

 

「それに作戦の内容が内容だけに、な」

「うむ……」

 

 

 ため息を吐く慶次に、アラストールも重く唸る。

 椿と美代は文句なしの天才だ。その二人が、全身全霊で日を跨ぐほど議論を重ねて出した作戦は『杜撰』の一言だった。裏を返せば、そんな作戦しか立てられないほど、状況は最悪だった。当然、病院で決めた作戦は全て却下となっている。

 

 

「と言う訳で、俺も女性陣たちに倣って、しっかりと休息を取らせてもらうわ」

「貴様はずっと休んでおろうが」

「ははは」

 

 

 慶次はアラストールの苦言を流しながら、視線を浴室のある方角へと向ける。水が弾ける音と、姦しい女性たちの声が漏れ出ている。

 椿と美代は現在入浴中であった。どうせ明日には決着は着くのだ。彼女たちには本日の労働の正当な対価として、災害時の水不足に対応するための慶次宅の貯水タンクを贅沢に使ってもらっていた。入浴までに、椿が『清めの炎で十分』などとのたまって入浴を拒否したり、その女性らしからぬ発言に美代が割かし本気の説教をしたりなど、紆余曲折があったのは余談だ。

 ともかく、今、リビングには慶次とアラストールしかいない。

 慶次はソファーに思いっきり身を預ける。慶次が生まれる前に購入した物のためか、キシキシとスプリングのどこか小気味の良い音が聞こえる。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 瞬間、訪れる沈黙。意外にも椿が潤滑油となっていたのか、気まずい空気が僅かに流れる。

 

 

(いや、意外なんかじゃないか)

 

 

 真実が分かったからこそ、慶次とアラストールの間に僅かなわだかまりが生まれていた。それが表出しなかったのは、直接は関係ない椿が間にいたからだった。

 おそらく、椿が戻ればまた隠れるであろう溝だが、“後の事”を考えれば放置しておくのは拙い。

 慶次はソファーに身を預けたまま、虚空に向けて声を上げた。

 

 

「なあ、アラストール」

「なんだ」

「カルの事……話してくれないか?」

「……」

「俺は、もっと知りたい」

 

 

 六年前の惨劇と現在が繋がった今、慶次にとってカルは明確に仇となった。そして、アラストールはその仇の育ての親で、しかも事件と遠因となった。しかし、話しは全て椿の口から聞いていた。アラストールからは当時の詳細も、彼の気持ちも聞いていない。

 話したくないのか、話せないのか。慶次には、その判断もつかない。分かっているのは、本来ならゆっくり話し合うべき繊細な問題だという事だけだ。しかし、生憎と時間は残り少なく、再び時間が取れるとも限らない。

 今この場で話すしかなかった。そして、そのためには必要以上に相手の心へ踏み込み必要がある。その際、醜い所を多少なりとも晒す事になるだろう。その姿を、椿や美代に見せるのは慶次の望むところではない。おそらく、アラストールにとっても。

 話すなら今を置いて機会はない。

 

 

「結局、どうしてこうなったんだよ?」

 

 

 何が原因となって惨劇が起きたのか。まずはそれを知るために、慶次は椿のお株を奪うような、容赦のない質問をアラストールに浴びせた。

 アラストールは数瞬置いてから、答えてくれた。

 

 

「カルは……いや、我もカルも彼奴らの事を理解できていなかったのであろうな」

 

 

 普段の数段低い声であった。

 

 

「彼奴ら? っていうと、病院で椿が話した『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルと、“虹の翼”メリヒムの事か?」

「うむ」

 

 

 『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルと“虹の翼”メリヒム。

 病院で椿から語られた、彼女の出生の秘密。その中に出た知識・戦闘両面の師が彼らであった。

 当時、アラストールは『カイナ』という『宝具』の中に留まっているだけだった。力を具現化する事もできなければ、“存在の力”を繰ることも出来ない。彼が動けないとなると、単純な引き算で『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルと“虹の翼”メリヒムの両名、もしくはいずれかがカルに重傷を負わせた、という事になる。

 アラストールは非常に言いづらそうに続ける。

 

 

「あの子は、先刻は説明しなかった、いや知らなかったのだがな……まあ、その、我らの中でも恋愛というものがあって、な」

「へー、“紅世の徒”も恋するんだな……って、この話、関係あるのか? 個人的にはもっと聞きたいけど」

「関係あるのだが、その……ヴィルヘルミナ・カルメルは“虹の翼”を好いていて、な」

「養育係同士“紅世の徒”と『フレイムヘイズ』の禁断のラブロマンスか」

「いや、“虹の翼”は先代の『炎髪灼眼の討ち手』を好いていて、な」

「……ほう、敵味方同士“紅世の徒”と『フレイムヘイズ』の禁断のラブロマンスか」

「……我とマチルダは互いに愛し合っておって、な」

「……それは、また随分と、胃が、うん、痛くなる環境だな」

 

 

 アラストールの説明に、慶次は思わず頭を抱えたくなる。

 どんな事情があったかは知らない。きっと彼らとて、そんな環境を作りたくと作った訳ではないだろう。それに、最終的に椿と言う非常に優秀な『フレイムヘイズ』が誕生したのだ、各々が仕事に徹したのだって分かる。しかしだからと言って、昼ドラが一本書けそうな愛憎飛び交う四角関係(故人一名)の中で人を育てていたとは、とてもではないが慶次には正気の沙汰とは思えなかった。

 慶次は目頭を指で揉みながら、先を促す。

 

 

「それで、理解していなかったっていうのは、どういう事なんだ?」

「彼奴らが()()に協力した訳はそれぞれ異なるが、その根幹にあったのは先代『炎髪灼眼の討ち手』マティルダ・サントメールに対する愛だ。我とカルはその深さを見誤っていた」

「……」

「“虹の翼”など、我が彼奴の最期に感謝を伝えた際、激怒された。我の為ではない、マティルダの愛の為だ、とな。分かってはいた……彼奴も、我に劣らずマティルダを愛していた、と。だが、真の意味で理解はできていなかった」

「そう、だったのか」

 

 

 『フレイムヘイズ育成計画』。彼らの人間関係を知ると、そこにはさらに別の意味がある事を慶次は理解した。

 『カイナ』に“虹の翼”メリヒムを置き全体の運営管理、その他の実務的な運営を『万条の仕手』ヴィルヘルミナが行い、『フレイムヘイズ』を育てる……つまり、メリヒムとヴィルヘルミナが一生そこにいられる環境を作る、その隠れた意味は――。

 

 

「暗にマティルダさんからヴィルヘルミナさんに乗り換えろってか? ……言い分は分かるが、さすがに、それは無神経すぎないか?」

「それは極論ではあるが、結果的にそうしろと勧めていたのは確かだ。だが、あのまま続けておれば、“虹の翼”は死に『万条の仕手』は親友に続けて愛する者も失う事は確定していた。事実、“虹の翼”は最後にはあの子と戦い、死に、『万条の仕手』は消えぬ傷を負った。カルは、その確定した未来をどうにかして変えたかっただけであった……それが例え、己の愛を捻じ曲げてしまう結果になろうとも、な」

「それだけ愛していたのか」

「ああ。だからこそ、全てを踏み躙られてしまった、あの時……カルはすでに壊れていたのやもしれぬ」

 

 

 アラストールのポツリと零したそれに、どれだけの悔恨が篭っていたのか。慶次は何とも言えぬ気持ちになる。

 誰も彼もが自分の大切な人を愛していた。深く深く愛していた。だからこそ、後戻りすることが出来ず、閉ざされた未来しか見ることが出来なかった。

 カルもそんな彼らを愛していた。彼らが雁字搦めにされた鎖を解こうとした。だが、その優しすぎる救いの手は、無情にも断たれた――愛するがゆえに。

 愛する人たちに拒絶され、未来を断たれて、正気でいられるはずがない。狂ったカルは、『使命』に縋るしかなかったのだろうか。どんな手段を用いても、『使命』を完遂さえすれば全員の()に報えると思って――。

 あまりにも、救いがなかった。

 だからこそ、だろうか。先刻、アラストールには珍しく、直接美代に助言を与えたのは。

 愛の強さだけではない。愛の恐ろしさも知っているからこそ、ただ盲目にならないように。

 ――それでは、まるで。

 そして慶次は、ずっと目を逸らしていた事実に気づかされる。

 

 

「なあ、アラストール」

「何だ」

「…………一つ、訊きたいっ」

 

 

 慶次の喉が酷く乾いて、声が詰まる。いっその事、訊かなければ、言わなければ誰も気づかないと、頭の片隅でそっと囁かれる。

 ――それでも、アラストールが答えてくれたように。

 慶次は掠れる声でアラストールに問うた。

 

 

「家族の過ちは、どうやったら償える?」

「…………」

 

 

 六年前の惨劇で一人の男性が犯人として捕まった。祖父は彼をあらゆる手で追い込んだ。息子を、その妻を、孫を、愛していたから。そして逮捕から僅かに二年後に、死刑は執行された。

 だが、全てはカルが仕組んだ事であって、男性に罪はなかった。

 もし、祖父が愛に壊れていなかったら。きっと今も裁判は続いていただろう。例え判決が出ていたとしても、死刑は執行されていなかっただろう。死ぬ事だって、なかっただろう。

 これは日常を過ごしてさえいれば、決して気づく事がなかった祖父の過ちだった。

 

 

「致し方ない事だ。それに、お前が背負う業ではない」

 

 

 確かに、アラストールの言う通りそこから目を逸らし続けるのは簡単だった。真実を知る者は慶次とアラストール、そして椿と美代だけ。加えて、これは日常から離れた『非日常』の出来事。日常に生きる人々は、絶対に気づけない。きっと、誰も慶次や祖父を責める事はないだろう。

 それでも、慶次はその罪から目を背けたくはなかった。

 

 

「そりゃ、俺がやった事じゃないし、仮に償ったとしても誰も褒めてくれないし、気づきもしないだろうな」

「ならば、なぜだ?」

「じいちゃんが大切だから。大切な人を、間違ったままにしたくない」

 

 

 亡くなる直前まで、惨劇に囚われてしまった祖父だったが、それでも慶次は彼が好きだった。否、大好きだった。だから、彼を間違ったままにしておけなかった。

 カルが愛していたように、アラストールもカルを愛していた。だからこそ、壊れてしまった彼を止めると決意した。

 胸に秘めた志も信念も、慶次とアラストールの間には天と地との差があるだろう。だが、他者を想う気持ちで動くのは同じだった。

 互いに、どこか似た感情で動いているからこそ、慶次は自分に何ができるのか、アラストールに訊きたかった。

 

 

「もう一度訊く。家族の過ちは、どうやったら償える?」

「我も明確な答えを持ち合わせてはおらんが……形にせねば償えぬと我は考えている」

「具体的には?」

「我らはカルを止めた後は、この街の復興とお前の援助を行うつもりだ。それで償えたとは思わんが、何もしないよりは良い……して、その男に家族はいたか?」

「……ああ。妻と子ども二人」

「ならば、お前が最初に出来る事は彼らの支援ではないか」

「……そうか……」

 

 

 慶次は再びソファーに身体を投げ出す。

 当然、その事は慶次とて考えた。だが、慶次の身の上はただ苦学生。当たり前だが、三人も養える資金力はない。加えて、現在三名とも堂森市にはいない……否、堂森市にいられなかった。

 まずは彼らを探す所から始めるか、と慶次が考えていると、解決法は意外なところ……というか、アラストールだった。

 

 

「先も伝えたが、我らはお前の支援も行うつもりだ。彼らの支援も、その際、取り図ろう」

「えっ、いいのか……じゃなくて! こういうのは俺がやるべきじゃ、」

「馬鹿者。彼らが救われる事が重要なのであって、手段は問題ではない」

「いや、そうだけど。でも、それでいいのか?」

「お前が我に言わなければ為せなかった事だ。他者を使うのも己が力の一つだと、納得せずとも、理解はしろ。それに……」

「それに?」

「……もっと我らを頼れ。もうお前は十分やっている」

 

 

 魔神らしからぬ、小さな小さな呟きは、しっかりと慶次に耳に届いた。

 こんな僅かな会話で、全てのわだかまりが消えた訳ではない。だが、互いの腹の内は曝け出し、訊きたくない事も言った。言いたくない事も言った。今はそれで十分だった。

 慶次はアラストールに笑顔で応え、それが合図となって、ただの雑談に戻る。

 

 

「それじゃあ、頼むな」

「うむ」

「それと、一応訊いておくけど、誰の財布から出すんだ?」

「昔の知人だ」

「アラストールじゃないとは思っていたけど、まさかの椿でもなければ、古い知り合いかよ!? それって大丈夫なのか!?」

「仕方あるまい。そもそも、我らに固定収入などない」

「そりゃ、椿の見た目があれだし、アラストールはペンダントだし、金策なんて出来ないけどよ……金の無心に行く昔の知人って、結構性質の悪い奴じゃね?」

「むっ……しかし、我らに他に金銭の当てなどないが……」

「さっき言ってたフレイムヘイズの支援組織『外界宿(アウトロー)』にでも頼めよ。つーか、こんな事態になるまで放っといたんだから、適当に金品その他かっぱらっても罰は当たらないと思うぞ」

「……さっきよりも性質が悪い話になっておらんか?」

「いいじゃん、どうせ普段使ってないんだろ? 知り合いに嫌われるより、赤の他人に嫌われる方が万倍いいって……それに、少ない友達は大切にした方が――」

「き、貴様、口が過ぎるぞ! それに少ない訳ではなく、減少しただけだ!」

「それはそれで悲しいな……ま、それならやっぱり『外界宿(アウトロー)』に集る方向でいいだろ」

「……少しは、言葉を選べ」

 

 

 “紅世”真正の魔神を金の無心に行かせるという、古参の『フレイムヘイズ』が聞けば卒倒しそうな事案が進んでいると、浴室の扉が開いた。どうやら、いつも間にかそれなりの時間、話し込んでいたようだった。

 

 

「湯加減はどうだ――」

「!?」

 

 

 暗闇から近づいてくる人影に、慶次は何気なく視線を向け固まり、動いてもいないはずの『コキュートス』から動揺が伝わる。

 蝋燭の揺らめく灯りから浮かび上がってきたのは、美代だった。濡れそぼった黒髪が上気した頬に張り付き、いい得も知れない艶っぽさを出している。何でそんなにエロくなるんだよと言いたいが、彼女からすれば風呂に入って出ただけなので、そこは目を瞑るとする。

 問題は顔から下、服装である。

 所謂、ネグリジェと呼ばれるワンピース型の寝巻。袖も裾も十分長く、美代の制服の上からでも分かった豊満な身体を覆っているのだが……覆い過ぎていると言うべきか。余計に身体の凹凸が浮かび上がって彼女の艶めかしい姿態を強調してくる。

 アラストールとの雑談からの突然の事態に、慶次は頭が真っ白になりながら跳ね起き、必死に口を回す。

 

 

「ば! お前、何でわざわざ、そんなもん着るんだよ!?」

「わ、私は、いつもこの服で寝てます。ですから、今日もこの服で寝ます……何も問題ないでしょう?」

「問題だらけだっつーの!!」

「そんな事より、何か言う事はありませんか?」

「!?」

 

 

 言いながら美代は距離を縮め、遠目で薄暗かった身体が一気に明るくなる。

 全身白一色の生地は非常に薄く、彼女の赤く火照った白い珠肌、そして下着を僅かに透かしていて――そこまで一瞬で瞼に情報を焼けつけた慶次は、ある一つの事に気づく。

 

 

「……火傷、治ったのか?」

「……」

「ひいっ!?」

 

 

 ぎりり、と目の前で歯軋りが聞こえて、慶次は思わず仰け反る。言葉の選択を間違えたと後悔している間に、美代は不機嫌を隠さず慶次の左隣に座った。膝と膝が触れ合い、慶次は慌ててそっぽを向く。きっとこの距離ならば、目を凝らさなくても美代の素肌が見えてしまう。

 ちなみに、アラストールは空気を読んで空気になったので、助力は期待できない。

 

 

「……慶次さんの意気地なし」

 

 

 当たり前だが、美代は慶次を誘惑してきている。その元になる感情については……今さら、考える必要もない。重要なのは、貞淑な彼女にとって、こんなあからさまな誘惑は、かなり勇気がいる行為であった事だ。だというのに、傍から非難が一つ上がっても、慶次は彼女に指一本触れようとしない。まさに美代の言う通り、意気地なしである。

 美代は溜め息一つ吐くと、慶次の肩に枝垂れかかった。風呂上がりだけのせいではない熱さが伝ってきて、慶次まで体温が上がり……それでも、慶次は動かない。

 

 

「火傷は慶次さんが気を失っている間に、病院で『宝具』を共有して治しました。包帯をつけていたのは、塞がった傷をすぐに晒すのが怖かったからです」

「そうだったのか……それで、あー……悪い。こちとら余裕がなくて、全然気づかなかった」

「慶次さんは危篤状態だったんです、気にしないで下さい。ただ、今訊く事ではなかったですね」

「はい、すみません」

「……まあ、私もこんな時にこんな事をしているのです。お互い様でよろしいですか?」

「おう」

「…………それで、ですね……」

「うん」

 

 

 美代は一旦言葉を切ると、何度も何度も深呼吸をする。リラックスするための行為のはずが、枝垂れかかった美代の身体から伝わる鼓動は、その速度を一向に落としてはいない。むしろ、より早く、より強くなっていた。指先も震えている。

 こんな時に――とは慶次は思わない。覚悟を決めて、最後の夜にかもなるかもしれないからこそと、美代の心中を慮る。

 

 

「慶次さん」

 

 

 慶次も覚悟を決めて美代を見れば、目尻からも涙が溢れてきている。だが、その瞳には今まで奥に秘めていた熱い想いが宿っており、真っ直ぐと慶次を見つめていた。

 慶次は内心、密かに狼狽していた。

 今回の事件を通して、何度も美代の気持ちを感じ取ってきた。いち早く慶次の危機を察知し、しつこいほどに何度も献身をしてきた。慶次が瀕死の重傷を負った時には、心を乱し狂いかけた。先刻など、想いの強さゆえか思わず口にしてしまっていた。

 何かある度に、彼女の愛情を垣間見てきた――見てきたと思っていた。

 今、初めて美代は自身の想いを覆い隠さず、覚悟を決めて真っ直ぐに向き合っている。その姿がこんなにも熱くて、大きくて、そして美しいものかと。慶次は彼女の想いを知っている気になっていただけだと、今さらながら気付かされた。

 だが、それもまだ言葉に、形にされた訳ではない。慶次は、彼女の想いの、ほんの表面上しか見ていない。

 ――もし、それが形になってその深くまで見せられたら。

 慶次の鼓動もまた、知らないうちに高鳴っていた。

 

 

「……慶次、さん……あの、私……」

「お、おお」

「慶次、さん」

「――っ!」

 

 

 中々踏み出せない美代。それは勇気を振り絞るためなのか、それとも他の効果を狙ったのか、美代は無意識の内に慶次の手を握っていた。

 絡みつく指は、まるで縋る様で。優しく包み込む掌は、全てを受け止める様で。たった一つの所作だったが、慶次にはまるで彼女の恋と愛が詰まっているような気がした。

 次から次へと現れる慶次の知らない美代。聞いているだけ、見ているだけ、触れ合っているだけ、のはずだが、慶次は段々と混乱を極めていく。もう何がどうなっているのか慶次には分からなかった。

 そして、混乱する慶次を余所に、ついにその時は訪れる。

 

 

 ――好き。

 

 

 その呟きにどれだけの勇気が、どれだけの想いが籠っていたのか。声は大きくはなかった。言葉も長くはなかった。だが、今まで漏れ出た小さな想いではない。真摯に、ただ慶次だけを想い、慶次に向けた言葉。胸の中はどうしようもなく温かく、嬉しかった。

 小さな小さな呟きは、確かに慶次の心に響いた。

 

 

「きゃっ」

 

 

 慶次は左腕一本で、美代の身体を抱きしめる。柔らかさと同時に、見た目以上の小ささ、そして自身の思わぬ行動に動揺する。どうして、己がこんな事をしているのか全く分からないまま、腕に段々と力が込められていく。

 

 

「あの、け、慶次さん、これは、その」

「頑張ったな」

「……はい……! 私、慶次さん、好きなんです……! 大好きなんです!」

「ああ」

「もう、慶次さんがいれば、慶次さんが、慶次さんなら、どんなことも、どんなところも……!」

「――本当に、ありがとう」

 

 

 以前から、慶次の中には、美代を想う気持ちは確かにあった。だからこそ、美代が傷ついた時、最も姿の近かった母が重なった。でも、それは異性に向ける愛ではない。友や家族に向ける親愛だった。きっと、美代の半分ほども、彼女の事を想えていなかった。

 だから、何をされても、何を言われても、慶次の答えは決まっている――決まっていると、勝手に思い込んでいた。

 柔らかい美代の身体を撫でると、その度に緊張が解けてく。彼女が慶次に身を任せてくる。それに、ひどく安心している自分がいて、慶次はまた驚いた。

 

 

(ははっ……まさか、告白一つでこうなっちまうなんて、どこまでチョロいんだよ、俺。だけど――)

 

 

 慶次は自身のあまりにも早い心変わりに自嘲しながら、再度己に問いかける。

 

 

(もし、これが美代以外の人だったら……ありえないが、奥村や椿だったら、俺はどうしていたんだ?)

 

 

 時や場所、言葉や人物を幾ら入れ替えても、出てくる答えは一つだった。

 

 

(俺は美代以外だったら、絶対に打ち震えていない)

 

 

 もしかしたら、親愛と思っていた感情の下に、慶次は美代と同じ想いがあったのかもしれない。

 それは勝美の事や家の事、様々な障害や懸念があって決して表には出てこれなかった。だが、その全ては壊れてしまった。そうして初めて、慶次は美代の告白を、想いを素直に受け止められたのだろうか。

 

 

(いや、今は理屈なんてどうでも良いか)

 

 

 慶次の想いが美代と同質だろうと、そうでなかろうと、思いの丈は彼女のものの半分もない。美代に応えるには、慶次の想いはあまりにもちっぽけで、浅く脆いものであった。

 ――それでも慶次は、彼女の想いに応えたかった。理屈ではなく己が感情が、そう訴えていた。

 慶次はどこまで己は身勝手なのだろうと思う。勝手に彼女の想いを理解した気になって、勝手な思い込みで適当な結論を自分だけで抱えて。気付いた時には、明日には死地に赴く身。数年来想い続け、やっと通じ合ったというのに見送る事しか出来ないという状況。どこまで彼女を弄ぶのか、慶次は自分のことながら情けなくなってしまう。

 もしかしたら、慶次の選択は間違っているのかもしれない。彼女を、また縛ってしまうだけかもしれない。それでも、今は、この瞬間だけは、この想いを信じたかった。この温もりを手放したくなかった。

 

 

「美代、悪いんだけど、先に俺の話を聞いてくれないか?」

「っ……ぁい、なんで、しょうか……」

「ありがとう……それと、ごめんな。俺、全然お前の想い、分かってなかった。全然、理解できてなかった」

「あ、謝らないで、下さい。慶次さんには、その……自分なり、と言いますか……それなりに、隠してたつもりでしたから……バレてたかとは思いますが」

「……ああ、そうだな」

 

 

 今日一日、割と隠してなかった上に、クラスメート(成実を除く)にも以前からバレバレだったというのは、今だけはその事は隠しておく。無論、面白そうなので絶対に教えるが、今はもっと大事な事がある。

 抱きしめていた身体を、名残惜しさを込めて、ゆっくりと離す。彼女を見て、彼女に見てもらって、大事な言葉を贈りたかった。

 吐息がかかる距離で見つめ合う。

 慶次は美代に伝えたい事を、感じたままに口にする。

 

 

「俺は、美代が好きだ。その……誰よりも」

「……」

 

 

 慶次の言葉がよほど予想外だったのだろうか。美代は口を半開きにしたまま、固まってしまった。

 そして数度の瞬きの末、ようやく理解が追い付いて。

 

 

「……ぅ」

 

 

 今まで堪えていたものが決壊し、美代の目から涙が溢れ出てくる。

 美代はたまらず、慶次の胸に飛び込んだ。

 

 

「け、慶次さん、私、私……!」

「あー、ごめんな。また泣かせたみたいで」

「好きです、私も、誰よりも、慶次さんが!」

「ありがとう。本当に、嬉しいよ」

 

 

 感情を爆発させしがみつく美代を、慶次はただ抱き寄せる。抱きしめて、抱きしめられて。互いの違う体温が、一つになるように高くなって。傍にいるんだと強く感じる。

 

 

「慶次さん! 好きです! 大好き、です!」

「俺もだ。好きだよ、美代」

 

 

 好きだと、何度も何度も繰り返す。この気持ちを、大切な人に伝えたかった。同じ気持ちだと、伝えて欲しかった。

 ――それでも、足りなくて。

 世界で一番愛しい女性が、世界で最も近い場所にいると、心と身体で、確かめたくなる。

 ふと身体を離して慶次と美代は顔を向けあうと、どちらともなく唇を押し付け合った。

 そこに好きな人がいる。今、あなたと触れ合っている。互いの体温や鼓動、息遣いを感じ合うようなキスだった。

 いつまでも離れたくなくて。長い長いキスは、互いの息継ぎで終わりを告げた。

 

 

「――っ、慶次、さん」

「っ、美代……」

 

 

 ――それでも足りなくて。

 もっともっと感じたい。今、自分たちは同じ想いを抱いて、同じ場所にいて、互いを受け入れあっているのだと。

 キスの、もっと先を――。

 

 

(っ!? 今、俺は何を――)

 

 

 ふと慶次は我に返り、『宝具』を流し見る。そこには、ケースに収められているにも関わらず、一際輝き出した『宝具』が見てとれた。

 

 

(――いやいや、そりゃ三大欲求の一つだけども、それはないだろ)

 

 

 どうやら、“そういう感情”にも反応するらしい。これには慶次も、感心を通り越して呆れ返るが扱いづらい事も既知。昂りに流されかけながらも、しっかりと感情の手綱を引いた。

 とはいえ、さすがにこのまま美代を抱き締めていて理性が保てるほど、慶次の意思も強くない。何より明日は決戦である事に加え、アラストールも椿も傍にいる。

 名残惜しいが常識的な判断で離れようとして――ソファーに倒れる。

 呆然とする慶次に、僅かな重みと胸やら何やらが押し付けられ今までの数倍の柔らかさのし掛かってくる。どうやら、美代に押し倒されたらしい。

 

 

「いや、ちょ、えぇ……?」

 

 

 困惑する慶次を、美代は吐息が掛かるほどの距離で見つめる。その顔は異様に熱に浮かされ溶けているが、瞳だけはギラギラと鋭さを増していた。どうやら、またも美代の感情が暴走してしまっているようだが、何となく今までとは様子が違う。

 慶次は違和感を覚えながらも、まずは彼女を止めることを優先する。

 

 

「気持ちは分かるが、そういうのはまた今度……!?」

 

 

 諭しながら押し返そうとして慶次の顔が驚愕に染まる。美代の身体はビクともしなかった。嫌な怖気が、慶次を襲う。どうか杞憂であってくれと、恐る恐る横目に『宝具』を見て、驚愕に目を開く。美代の脚がガッツリ『宝具』に絡みついていた。

 

 

(えっと、つまり美代も『宝具』を使っている訳で、推察するからに現状は――)

 

 

 ――美代が『宝具』を暴走させていた。

 動力源は当然()()()()()()である。さらに『宝具』の特性上、感情に沿った行動を取る。現状から察するに、美代はこれから欲望剥き出しで襲って来る。対して、平静を保つ慶次は今に限り美代より非力で――要約すると、慶次の貞操の危機だった。

 

 

「おい、馬鹿! 『宝具』に流され――んんっ!?」

「ん――」

 

 

 喚く慶次の口を、美代の口が塞ぐ。瞬間、暖かいものが慶次の口内に侵入する。美代の舌だと気づいた時には、まるで慶次の内側を蹂躙するかのように口内を暴れていた。今までの、確かめ合うようなものではない。相手を喰らうような、激しいキスだった。

 舌と舌が絡み合う。口の中は唾液が混じり合い、くぐもった淫靡な音を鳴らす。身体の内側から貪られるような感覚。しかしそこに不快感はなく、むしろ頭の中まで溶けるような快感が走り、慶次の身体の端々から力が抜けていった。

 

 

(この天才、そっちの方面まで天才かよ……!?)

 

 

 慶次は快楽に溺れないように、そんな栓無き事を考えるしかできず、されるがままだった。どうにか意識を繋ごうとするものの、強烈な快感が頭の中を瞬き、どこか思考は途切れ途切れになる。

 

 

「っ、はぁっ……!」

「――んぅっ……」

 

 

 気づいた時には、美代の唇は慶次から離れていた。突如消えた感触……それが嘘ではないと証明するかのように、美代の唇と慶次の唇を透明な糸で繋いでいた。それを視界に入れた美代は、妖艶な微笑みを浮かべた。それは慶次が初めて見る美代の表情で……慶次に()()()促すには十分だった――普通の甲斐性がある男であれば。

 

 

「アリャストールゥ……」

 

 

 慶次は呂律の回らない口で、真正の魔神を助けを呼んだ。この期に及んでこの様……状況が状況とはいえどこまでも残念な男であった。

 

 

「我を巻き込むでない……!」

 

 

 たまらないのは呼ばれたアラストールだ。せっかく気を遣って空気になったというのに、何が悲しくて“紅世”の中でも最上位の権能を持つ天罰神が、人間の男女の睦事に口を挟まねばならないというのであろうか。

 それでも、純真な少女が()()()()に乱入するという悪夢を避けるため、アラストールは介入するしかなかった。

 

 

「新発田美代、落ち着け。いずれあの子が戻ってくる。その際、この様子を見れば如何にあの子でも……うぬぅっ!?」

 

 

 美代の返答はスケスケのネグリジェだった。投げつけられたネグリジェが、神器“コキュートス”に被さる。

 

 

「…………」

 

 

 今まで色んな暴力暴言を“紅世の徒”から受けてきた魔神も、この扱いには閉口するしかなかった。

 下着姿になった美代は、慶次のズボンに手をかけ、

 

 

「お気遣い感謝します。ですが、必ず椿さんの利益になりますので、ご容赦ください」

「普通に話せるのか……」

 

 

 アラストールが困惑する。さすがに声に熱を帯びてはいたが、暴走状態でも美代は割りといつもの調子で喋っていた。

 

 

(何? こいつ、暴走状態でコントロールしてんの? それとも、いつも発情してるから暴走してても変わんないの? ……もしかして、『宝具』の効果が切れて――!)

 

 

 普通に話す美代に淡い期待を込めて力を込めるが、起き上がる事はできない。暴走は続行中だった。慶次は全てをアラストールに(勝手に)託した。

 

 

「まずは、前田慶次を脱がすのを止めろ!」

「まあまあ、非常識な行動なのは理解しますが、ここは是非、協力をお願いします。椿さんのためにも……!」

「あの子の……いや、これは利益の有無が問題ではなかろう!?」

「まあまあ、とりあえず聞いてから決めて下さい」

「あふん」

 

 

 慶次が情けない声を上げると、ズボンが宙を舞う。慶次の慶次を守るものが、また一つ失われてしまった。というか、パンツ一つだった。アラストールに助け求めたはずが、先よりも事態が悪化している。

 ――そして慶次は気づく。アラストールだけでは、美代を止める手立てが無いことを。言葉だけで発情期の獣を止められるなら、慶次はここまで苦労していないのだ、と。

 それでも少女のため、アラストールは無謀な戦いに挑む。

 

 

「聞くから、一旦止めよ!」

「いいですか、“すれば”私と慶次さんの二人が極度の興奮状態になります。その時、『宝具』に触れれば、大量の“存在の力”を得ることができ、『短時間で回復』する事ができるのですよ。“作戦”を早める事だってできます。椿さんは作戦が早まって満足、慶次さんは怪我治って満足、私は結ばれて大満足! ほら、誰も損していません!」

「筋が通っているように聞こえるが、貴様たちの負傷はすでに完治の目処が立っておろうが! 今更、博打を打つ必要はない! それに、あの子は……性教育を受けておらん。そんな子が、見たら――」

「だったら、実技で教えて差し上げましょう……!」

「おふ」

 

 

 美代はトンデモ理論を唱えると、もう我慢の限界なのか、布切れが一枚宙に舞う。慶次は下半身がとても寒くなった。

 

 

「前々から思ってはいたが、貴様はなぜ前田慶次が絡むと馬鹿なる!? 冷静になれ!!」

「ダメです、『宝具』のせいで冷静になれません。やはり、一回ここに腰を落ち着かせなければ――」

「!?」

 

 

 やはり、手も足もないアラストールには、荷が重たかったのか。奮戦? 虚しく、まさに慶次の貞操が失われてしまおうとした――刹那、らしくない大きな足音鳴らして、少女が来てしまった。

 

 




長くなったので分割。

後編に続きます。

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