灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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第Ⅰ話 夢と現

 冬の寒さもいよいよ本格的になり始め、マフラーを手放せなくなったこの頃。堂森市の南部、旧市街地の一角に位置する豪奢な建物の一つ。

 

 

「あああああああぁああぁっ!! ――……………ぁあ?」

 

 

 豪邸の一室、暖房も付けずにカンカンに冷えたリビングで前田慶次は“自分の絶叫”で目を覚ました。他人に見られたら悶絶モノの光景だったが幸い? にもここの住人は慶次だけで、彼が羞恥を感じることはない。

 暗がりの中、妙に夜目が利く視界を眺めながら何となくソファーから起き上がり、周囲を見渡す。手提げ黒塗りのカバンや真っ白なマフラー、学ランなどが部屋のあちこちに散らばっていた。どうも学校から直帰した後、そのままソファー寝てしまったらしい。

 徐々に覚醒していく意識が、帰宅までの記憶を呼び戻していく。

 

 

「あー……そういや、朝から具合悪かったんだっけ? 美代には心配かけちまったな」

 

 

 幼馴染の少女の事を思い浮かべため息を吐く。

 隣人という事で何かと気にかけてもらっているが、あまり迷惑を掛けるのは慶次としては本意ではない。

 首を回し身体の調子を確かめながら立ち上がると、壁に立てかけられた年季物の鳩時計の短針は何の冗談か『3』を指していた。

 

 

「まだこんな時間かよ……」

 

 

 明日も学校があるのに、と付け加えるが冷静に考えればすでに日を跨いでいるので正確には“今日”だと思い直す。が、今はそんな些細な問題よりも自身の体調の方が重要だ。

 肩や首を回し体調を調べると、身体の節々の気だるさが残っている。いや、むしろ日中よりもダルさが増している気がして、不調の身体を見下ろす。いつも寝巻代わりに着ているジャージではなく、防寒着代わりのTシャツを重ね着していた。

 

 

「なんちゅー格好だ、俺」

 

 

 こんな格好で寝て治るわけがない。

 慶次は秒針のカチカチと規則正しい音だけを刻む部屋を横断すると、隅に畳まれた毛布を一枚取り出す。その柔らかな感触をしばらく楽しむと、今度はソファーへ飛び込む。

 とりあえず、普通に身体を暖め寝ることにする。芋虫の如く毛布に包まると、瞳を閉じ睡眠態勢に入る。

 眠りに向かいながらも思い浮かべるのは今日の献立。

 一人暮らしの慶次は当然ながら家事を自分でこなさなければならない。そのせいか、こういった僅かな時間を用いて家事を効率的に行う方法を組み立てる癖がついていた。

 冷蔵庫の中身を思い浮かべる。そういえば、先日購入した魚はまだ残っていただろうか。残っているならば、朝食のおかずは魚の塩焼きに決定。あとは簡単にみそ汁や漬物を添えれば良いな……とまで思考して、

 

 

「寝れねぇ……」

 

 

 時間は深夜の三時。早寝早起きを基本とする慶次にとって、睡魔が訪れることが必然の時間帯。本来ならあっという間に眠気に塗れ夢の国へと旅立つ頃だというのに、瞼は一向に重くならない。毛布を頭から被っても、震えは収まらない。

 理由はすぐに分かった。

 さっきの絶叫の原因。

 

 

「……………っ」

 

 

 夢。

 内容は覚えていない。

 恐怖だけが深く心に刻まれている。

 少なくとも、眠れられないほどに。

 慶次は一人暮らしだ。ここには彼以外誰もいない。無論、学友はいるが『怖い、一緒に眠って!!』と深夜の真っただ中に頼まれ、それを快諾するような“お人好し”が居るわけがない。

 

 

(でも、美代だったら本当に来そうだな……)

 

 

 もちろん、慶次とてそんな事が出来るほど気が大きい訳でもないし、やったらやったで(主に美代の両親から)社会的制裁が来る可能性の方がもっと怖い。

 つまり、慶次はこの恐怖を一人で乗り切らなければならない。この四年間、独りの寂しさで苦しくなった時と同じように。そう、今までように。

 

 

(……“らしく”ねーな)

 

 

 しかし、今日に限って感情が全く呑み込めない。今までやってこれた事が、全然上手くいかない。慶次は己が思っていた以上に、まだまだ子どもだったのだろうか。

 慶次は髪をわしゃわしゃと掻き乱すと立ち上がり、壁に立てかけられた金属バットを取り上げる。こういったときは、身体を動かすのが一番だ。この際、中途半端な事などせず、思いっきり身体を動かして調子が悪いのも吹き飛ばしてやろう、と思い部屋から屋外へ飛び出す。

 

 

「さむっ!!」

 

 

 寒風が室内を駆け抜け、慶次は思わず叫ぶ。

 開け放した扉の先には、暗雲が立ち込められた寒空の下、大雑把に整備された庭園が広がっている。これは慶次宅の庭で、彼が手入れしたものである。というのも、専門の庭師に依頼する金銭の余裕が慶次にはなかったからだ。そのため慶次の手入れは素人らしく、維持を念頭に置いたもので、余計な草は根こそぎ刈り取り、木々の葉も綺麗に取り払うだけのものだった。ついでに美的感覚も欠落していたので、木々の全てが疎らに配置されている。

 常人ならあまりの無様さに心を痛める所だが、慶次はそれらを気にする素振りすらみせず、庭の中心に立つとバットを振り始める。

 

 

「……………」

 

 

 バットが空を斬る。

 一振り。

 二振り、と。

 慶次は回数を積み重ねていく。

 それに従い、力も、速度も増していく。

 一人には大きすぎる家の。

 一人では広すぎる庭で。

 慶次はただ一心不乱に、バットを振り続けた。

 

 

「……………………………………ふう」

 

 

 どれだけ長い間、バットを振り続けていたのだろうか、慶次の額には大粒の汗が浮かんでいた。彼はポケットからハンカチを取り出し、拭う。暖まった身体は何時の間にか、恐怖と気だるさを吹き飛ばしていた。

 

 

「やっぱ運動はいいねー。スッキリするなー」

 

 

 慶次は口笛を吹くと、家屋に向かう。その表情には先の恐怖を微塵も感じさせない笑顔が浮かべ、脳内では朝食の献立を組み立てていると。

 

 

 ――突如、空が赤く燃え上がった。

 

 

 もし、今までの生活が“日常”と言うならば、今日この時を以って慶次の“日常”はなくなってしまった。


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