灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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前回のあらすじ:新発田さん家に来たら撃たれた


第ⅩⅦ話 前進

 耳を劈く銃声。その瞬間、黒色だった長髪を紅蓮に灯した小さな、しかし力強い背中が、慶次の視界を埋めた。

 コンッ、とくぐもった音が、小さく部屋に響き、椿の足元に無数の銃弾が転がる。何という事はない、椿はその身一つで全ての銃弾を受け止めていた。

 

 

「ひぃっ」

 

 

 勝美はあり得ない情景に目を剥き、小さく悲鳴を上げ、まるで化け物を見るように怯えた視線を椿に向ける。その視線は、美代や福子たち、慶次の友人が“燐子”に向けたものと同質のものだった。椿はそれに大した感慨も浮かべず、ただ淡々と猟銃を奪い取り、後ろ手に縛り上げる事で応えた。

 慶次は落ちた弾丸に目が奪われるが、それは一瞬。勝美が引き金を引き、誰が一番傷ついているか。それを考えれば、呆然としている暇はなかった。

 

 

「すまん、椿!」

「ちょっと、勝手に動かないでよ!」

 

 

 椿の制止を振り切り、慶次は弾丸を踏み越える。

 開け放たれた扉の前には、美代がへたり込んでいた。動いてもないのに、荒く息を吐き、焦点の合わない視線が、弾丸を、勝美を、ゆらゆらと行き交う。

 慶次は美代の姿に一瞬言葉を失うが、美代の気持ちを考えれば、この逡巡は無駄でしかない。

 

 

「美代!」

「っ!」

 

 

 彼女を少しでも慰めようと、慶次は声を掛ける。だが、それは逆効果だった。

 漂っていた視線が慶次を捉えた瞬間、瞳には怯えが浮かび上がり――ごめんなさい、と。

 音にならない口で、何度も何度も謝罪の言葉を形にしていた。

 

 

「――! ――!」

「お、おい!」

 

 

 堪らず慶次は止めようとするが、彼女は後ずさりながら、口を動かし続ける。

 今まで美代は慶次を助けるために行動しているはずだった。しかし、学校では慶次を死地に追いやり、挽回しようと無理矢理説き伏せて付いて行けば、今度は実親が殺そうとする。自身の“好意”が悉く慶次を追いつめている事が、美代の心を深く傷つけていた。

 慶次を想い行動しているのに、それが逆に慶次を追いつめる。ボロボロになった美代は、もうどうしていいか分からず、謝るしか出来なくなったのだろう。

 だが、そんなのはおかしい。美代が慶次を考えて、助けるために行動しているのは明らかだ。そもそも、実の父親が慶次を狙うなど、誰が予想できるか。何より、慶次も椿も彼女の提言に賛成してここまで来たのだ。美代だけが悪いなど、絶対にありえない。

 慶次は目線を美代に合わせ、必死に何度も呼びかける。

 

 

「――! ――!」

「俺は大丈夫だから、もうやめろって!」

「――! ――!」

「美代!」

「っ、――」

 

 

 慶次の声が届いたのか、壊れたように動いていた口は止まる。

 ごめんなさい、と先とは意味の違う謝罪をする。しかし、慶次とは決して目を合わさない。どころか、慶次の一挙手一投足に、怯えるように身体を震わせる。

 少しは落ち着いたが、完全に立ち直った訳ではない。一体、どうすれば――慶次が途方に暮れていると、

 

 

「さっきの音は――!?」

 

 

 台所で作業をしていたのだろう依子が、銃声を聞き部屋に飛び込んできて――絶句。

 いつの間にか真っ赤になった女の子が旦那を縛り上げ、

 バットを持った近所の男の子が号泣する娘の前にいる。

 この情景を見て、普通はどのような判断を下すか――。

 

 

「あ、あなたたち、目的は何なの!?」

「だろうと思ったよ!」

 

 

 案の定、勘違いした依子が棚の上の花瓶を掴み取り、いつでも投げられる構えをとる。何でこうも、面倒事が重なるのか。慶次はいもしない神を恨みながら、少しでも相手を落ち着かせるために『宝具』をケースにしまう。

 

 

「おばさん、別にあなたたちに危害は加えようとしている訳ではありません! お願いですから、話を――」

「旦那を縛りながら言われたって、聞ける訳ないでしょ!」

「あのですね、こっちは撃たれたんですよ! 縛らない訳にはいかないでしょ!」

「うちの旦那は意味もなくそんな事しないわ! ……そうよ、きっとこの女の子に原因があるんだわ!」

「おばさん!」

 

 

 慶次は依子に説明しようとするが、とりつく島もない。

 

 

(くっそ! これだから、この人は信用ならないんだよ!)

 

 

 美代には悪いが、慶次は勝美よりも依子の方が嫌いだった。

 依子は何に置いても妻が旦那を立てる……そう言えば聞こえがいいかもしれない。だが、依子のそれは、あまりにも度が過ぎている。

 例え、普段どれだけ慶次に良い顔をしていても、勝美がダメと言えば、普段の顔など躊躇なく捨て去る。善悪も価値観も、勝美の言動でその場その場で変わる。ある意味、勝美よりも本当に性質が悪い女性だった。その反動で、美代は慶次にズバズバ言うようになったのかもしれない。

 ともかく、依子を宥めるには一旦、勝美から離す必要があった。

 

 

「急に真っ赤になるなんて、おかしいわ! もしかして、外もあなたが――」

「――!!」

「っ、み、美代ちゃん!? ちょっと、何で引っ張るの!? お父様が危な、って痛い痛い痛い!?」

 

 

 なおも喚く依子を、美代が引っ張って行く。合気だろうか、普通に引っ張って見えるのに、依子はすごく痛そうにしていた。

 

 

「……美代」

 

 

 美代は涙にぬれた顔のまま一礼すると、依子を引いたまま部屋を出て行った。だが慶次には、痛がる依子なんかより、美代の方が痛みを耐えているように見えた。

 いや、“ように”ではない。実の親が眼前で想い人を殺そうとした……美代は声にできないだけで、誰よりも痛かったに決まっている。

 このまま放っておく事などできない。そう思っているのに、慶次は一歩を踏み出せない。 仮に美代を立ち直らせたとして、その先はどうなるのか。その時は単純明快、再び想いのまま慶次の傍にいる。そして思う。果たしてそれでよいのだろうか。このまま遠ざけた方が安全で、幸せではないだろうか、と。

 

 

(……っ、アホか俺は! んな事は、立ち直ってから考えればいいだろうが!)

 

 

 慶次は不安を振り払い、美代を追いかけようと――の前に、椿に一声掛ける。

 

 

「椿、何度もわがまま言って申し訳ないが、こっちは任せてあっちに付いてていいか?」

「は?」

 

 

 怒気を纏わせた椿が、苛立ちを隠さずに返す。勝美が原因だと分かっていても、ちょっと怖い。

 

 

「だ、ダメか?」

「……ごめん。八つ当たりした」

 

 

 椿は気持ちを落ち着かせるため、大きく息を吐いてから答える。

 

 

「あいつたちが何かしないか見張ってくれるんだから、私に文句はない。けど、あんたはそれで本当にいいの?」

「いや、放置って訳にはいかないだろ?」

「そうじゃなくて……こいつが命を狙った理由、直接聞きたくないの?」

「うーん……聞きたいような、聞きたくないような……」

「この、化け物、いい加減離、ぐぅっ!?」

「うるさい」

「くっ……!」

 

 

 騒ぐ勝美をもう一度、強く締め上げてから、椿は続ける。

 

 

「私はこのまま新発田美代に関わらせるのも反対。あいつが優秀なのは十分わかったけど、このままだと本当に“壊れる”。そうなったら、あんたの精神状態に悪影響が出るし、あいつもただの荷物になる。どっちにとっても良い事は、何一つない」

 

 

 慶次の懸念と不安を、椿は一気に指摘する。

 全くもって、椿はどこまでも正しかった。遠ざければ、これ以上関わらせずに済む。傷つかずに済む。あんな悲しい顔も、見なくて済む。

 慶次は一度は同じことを考えた。だが、なぜか素直に頷く事が出来なかった。

 

 

「訊きたい事はたくさんある。美代だって、限界がきてる。全部、お前の言う通りなんだろうけど……」

 

 

 言葉に詰まる慶次。こんな時、消耗する前の美代だったら何と言うか。出来ない事はするな、思っていない事を言うなと、仏頂面で慶次の精神力をガリガリと削っていただろう。だがそれはきっと、慶次に能力以上の行為をさせないためであり、厳しい叱責は優しさの裏返しである。

 慶次が間違えば叱り、何と思われようと正しい道へ戻す。全ては慶次のために。

 

 

「なあ、椿」

「何よ」

「仮に遠ざけたとして、美代はこの“現実”と向かう機会は、またやってくると思うか?」

 

 慶次の問いかけに椿は小さく首を横に振る。

 

 

「今、堂森市で起きる事象のほとんどに“紅世”……いいえ、『フレイムヘイズ』が密接に関わっている。事件が終息すれば、結果の内容に関係なく“日常”が戻ってくるでしょうね。いえ、他の『フレイムヘイズ』が全力で戻す。世界の歪みを元に戻すために」

「じゃあ、逃がすにしろ戦うにしろ、“現実”と向かい合うには今しかない、って事か」

 

 

 故郷が壊された事も。

 自身の過失で慶次を追いつめた事も。

 父親が慶次を殺めようとした事も。

 今この時を逃せば、真正面から向かい合う機会は失われる。そして、もし美代が向かい合う事がなければ、例え生き延びたとしても、椿の言う“日常”に戻れるだろうか。

 ここでようやく、慶次は自身の想いに気づいた。

 

 

「勝手に遠ざけたら、美代のためにならないんじゃないか」

 

 

 事実と向かい合わず、ただただ遠ざける。そうすれば、きっと生き残れる。傷つく事もない。

 だが、例え悲惨な現実だとしても、向き合わなければ解決の時は来ない。そして、向き合う機会は今この時を除いて存在しない。美代の事を本当に思うなら、遠ざけるだけでは駄目だ。そして何より、もし慶次の美代の立場が逆であれば、美代は慶次の為ならあの手この手で向き合わせただろう。ならば慶次も、今だけは美代のために向き合わせる手助けをしたかった。

 断じる慶次を椿が真っ直ぐ見つめる。椿の黒く大きな瞳が、まるで慶次の覚悟を問うように見つめる。慶次はそれを真正面から受け止めて……椿は観念したように、ため息を吐いた

 

 

「……そこまで言うなら仕方ないわね」

「さんきゅ」

「あなたの意見を取り入れたのは、その『宝具』は感情を力に変えるからよ。こんな事でへそ曲げられたら、能力が安定しないじゃない」

「まあまあ、そう照れるなって、あだっ!?」

「照れてないっ! 全く、すぐ調子に乗るんだから……」

「だ、だからって蹴るなよ……おじさん拘束してるのに、こういう事ばかり器用あだっ!?」

 

 

 椿は勝美を拘束しながらも、器用に足で慶次を蹴りながら、視線を胸元のペンダントへと向ける。

 

 

「えっと、それでアラストール? 慶次に付いていて欲しいんだけど……」

「うむ」

 

 

 恐る恐る尋ねる椿に、快諾の返事をするアラストール。慶次の感情を考慮した結果だが、結論は二人で出したものだ。否やはなかった。

 しかし、やはり多少は不満もあるのか。苦言を添えて返答する。

 

 

「だが、決して貴様たちの感情を鑑みた訳ではなく、あくまで戦闘での性能を考えてであって……」

「ア、アラストール!」

「分かってる。ありがとな、アラストール」

 

 

 その保護者根性丸出しのアラストールに、椿は口を尖らせながら、神器“コキュートス”を手渡してくる。慶次も念のため、漆黒のコート・夜笠を返す。隻碗となった全身傷だらけの包帯姿が晒され、勝美が何やら驚く。

 だが、そんなもの知った事ではない。勝美を無視して、慶次と椿は続ける。

 

 

「それじゃあ、そっちは任せた」

「――は、それで――ぉ」

 

 

 椿が何やら小さく呟くが、慶次の耳には届かない。

 

 

「? 何か言ったか?」

「……何でもない」

 

 

 尋ねても、何でもないと返ってくるばかり。椿が言わない事を追及するのも気が引けたので、慶次は大人しく引き下がる。

 

 

「それじゃ、任せた」

「うん」

「アラストール、悪いけどしばらく頼むな」

「うむ」

 

 

 慶次は椿とアラストール、それぞれ声を掛けつつ部屋を後にする。

 

 

「ま、待て前田慶次!! 私をこんな化け物の傍に置いていくのか!? おい、待――」

 

 

 何やら聞こえる絶叫に、慶次は扉を強く閉める事で答えた。

 

 

○ 

 

 

 バタン! と強く扉が閉まる。何となく、慶次らしくない行為と思う。もしかしたら、彼にも何か思う事があったのかもしれない。

 

 

「……あんたはそれで本当にいいの」

 

 

 三度、その言葉を口にし、もやもやしたモノが胸の内に渦巻く。慶次が自身の意志で『やりたい事』を選んだと分かっているのに、胸のもやもやは決して拭えない。

 椿も手酷く失敗したことがあった。その度に学び、強くなってきた。そういう自負もあった。だが、未知の出来事に対して、何と弱かった事か。初めて、自分の“過去”と“使命”を否定され、如何に無力だった事か。

 しかし、慶次は違った。

 “紅世”に過去の悲劇。そして、今も進む惨劇……経験した事ない、想像もした事ない事態に揺れながらも、真っ直ぐ進んだ。ともすれば『フレイムヘイズ』である自分を引っ張っていくほど、強く真っ直ぐ。

 ――だが、慶次は弱い。ここにいる、誰よりも。

 慶次は確かに強い。どんな困難が来ても、苦境が訪れても、迷いながら自分の答えを見つけて真っ直ぐ進んでいく。だがそれは同時に、立ち直った回数だけ傷ついたことを意味する。

 身体も心も、慶次には数えきれない傷を負っている。そして今、慶次はまた傷つき、その傷を癒す間も無く、自分の出来る事を……慶次の言葉を借りるなら『自分のために』出来る事を始めた。

 慶次は強い。そして弱い。どれだけ傷ついても、強く真っ直ぐ進んでいける。だがその弱さゆえに、何時倒れてもおかしくはない。

 慶次の強さが本当に尊敬できる事だと、椿は心の底から思っていた。だが、同時にその底に潜む危うさも分かった。新発田美代がどうしてあんなにも慶次を大事にしていたのか。そして、なぜあの時、己が無意識に彼を突き放したのか、事ここに至ってようやく理解した。

 

 

 ――あんたはそれで本当にいいの。

 

 

 それは彼の生き方を知ったからこその疑問。彼を知ったからこその疑念。そしてそれは、この街に来る前なら、決して思い浮かばなかった思考であった。

 

 

(……やめよう)

 

 

 椿はすぐさま、この疑問を解決する事を諦める。

 今は使命とは関係ない事を考えている場合ではない。何となく、今の自分に解決する力がないと分かっていた。それに今は相談する相手――アラストール、次点で慶次――が傍にいない。きっと、幾ら考えても答えは出ないだろう。

 

 

「放せ! 放せと言っているだろう、化け物!!」

「……」

 

 

 後ろ手に縛った勝美が叫び、思考が途切れる。元々、思考を止める予定であったものの、無理矢理止められると何となく不機嫌になる。

 というか、そもそもこの男は無駄に慶次を傷つけ――否、殺そうとした。その事を思い出すと、急に沸々と怒りが湧いてきた。それは本来、慶次が抱くべき感情だと分かっていても(アラストールという目がない事もあって)湧き上がるものが抑えきれなくなる。

 

 

「……」

「うがぁっ!」

 

 

 少女からすれば、軽く投げ飛ばしただけだが、常人からすればとんでもない力で勝美は壁に叩きつけられた。衝撃に息が止まった勝美は、受け身も取れずに床に落ちる。

 椿は悶える勝美に冷たい視線を送りながら、淡々と尋問を始める。

 

 

「今から私の質問に、正直に答えなさい。今この時から、無駄な発言、欺瞞、沈黙は全て許さない」

「……っ、こんな事をして、ただで済――」

 

 

 蹲った姿勢からの、力ない反論さえ椿は許さない。目にも止まらぬ早さで、身の丈ほどもある大太刀『贄殿遮那』を鼻先に突きつける。

 勝美は眼前にそびえる死を運ぶ大太刀と、それを躊躇なく振るうと確信に足る鋭利な眼光、そして少女の純粋な膂力の強さに、反論の全てを封じられる。

 

 

「……わ、私は、新発田、勝美、だ……」

「……」

 

 

 恐怖に足も立たないくせに、僅かなプライドで無駄に口を開く。

 椿は何も言わず、大太刀を勝美の右手に切っ先を刺した。

 

 

「あああああああああああっ!」

 

 

 僅かに筋肉に達しただけの刺し傷なのに、勝美は叫び右手を抑えて苦しんだ。

 

 

(一番傷ついてる慶次は、痛いって、一度も言ってないのに……!)

 

 

 引き攣った笑顔で耐える慶次と、感情のまま喚く勝美。あまりに対照的過ぎる姿に、さらに不快感が掻き立てられる。

 もう一度、ぶっ刺してやろうかと大太刀を正眼に構えたところで、勝美はようやく根を上げた。

 

 

「分かった! 全てを話す! 話すから……もう、やめてくれぇっ!!」

「……」

 

 

 その足元には、椿の気のせいでなければ、新しい水たまりが出来ていた。“これ”が慶次と同じ人間とは、とてもではないが信じられなかった。

 

 

「どうして、慶次の命を狙ったの」

「お、お前たちが来る少し前に、『奴』に全ての原因は前田慶次にあると、言われたんだ! だ、だから、私は、この街のために、前田慶次を殺――ひぃっ!」

「お前の良い訳なんて訊いてない」

 

 

 椿は大太刀を眉間に突きつけ、余計な事を喋る勝美を黙らせる。というか、はっきり言って不快だ。街のためなどではなく、街のために戦ったという“免罪符”が欲しいだけなのが、明らかだったからだ。

 

 

「その『奴』の情報を知ってるだけ吐きなさい」

「……ぃっ!?」

「沈黙は許さない。そう言ったはずよ」

 

 

 押し黙る勝美に、椿は僅かに贄殿遮那押し当てる。舞い落ちる前髪、額から零れる一筋の血に、勝美は堪らず口を開く。

 

 

「し、知らないんだ! 本当に、私は何も知らないんだ! 『奴』の名前も、経歴も、容姿も全て!」

「……」

 

 

 今度は椿が黙る番だった。

 何も知らない奴の情報に踊らされ、慶次を殺そうとしたと言うのだ。あまりの愚かさに、罵倒の言葉さえ出てこない。

 どうして、と尋ねる事さえ馬鹿らしい。椿は尋問を進める事にする。

 

 

「そんな怪しげな奴と、いつ、どこで接点を持った?」

「八年前、新市街地開発により市財政が悪化して、しばらく経ってから奴から手紙がきた」

 

 

 新市街地。昨日、椿が調べたところによれば、新発田邸と前田邸がある旧市街地の丁度真向かいにある地域の事だ。

 およそ十年前から始まった開発で、新市街地には住宅街や医療施設、新設の教育機関が次々と建った。今では、堂森市で最も活気のある地域と資料にはあったが、どうも勝美の言葉からして良い面だけではなかったらしい。

 

 

「よそ者のお前は知らないだろうが、十年前から前田家主導で旧市街地の真向かいの開発が始まった。医療、教育、情報……今、最も活気のある分野を集積した地域だったが、結局は堂森市など中途半端な地方都市だ。予定の半分も企業の誘致は進まず、負債ばかり増えた。そんな時、奴から連絡がきた」

「負債の返済を手伝った、と?」

「手伝った? そんなレベルの話ではない。奴は『幾つかの指示を遂行する』だけで、企業、住民、国からの補助金を引き出した。奴のおかげで、前田家のせいで疲弊させれた堂森市は立ち直った。立ち直ったんだ……だから、私は……私は……!」

 

 

 言いながら、言葉の端々には悔しさが含まれている。勝美も心から『奴』を受け入れている訳ではなく、それしか選択肢がなかったのだろう。だからといって、椿に彼を許す気は更々ない。

 

 

「手紙は?」

「全て燃やした」

「指示の内容は?」

「指定された積み荷の輸送。もしくは、土地や建物の斡旋だ。さすがに積み荷の中身は知らんが、念のためリストアップだけはしておいた。私の書斎から持って行け」

「現状について、何か知っている事は?」

「さあ、な。私の援助が、現状の一端を担っている事ぐらいしか、私には分からん」

「……」

 

 

 椿は今まで出た情報を整理する。

 『奴』……このタイミングで慶次の抹殺を仄めかした事から、『弐得の巻き手』で相違ないだろう。とすると、『弐得の巻き手』は八年前から堂森市で何か活動をしていた事になる。そして、現地の政治家を懐柔、利用する事で『計画』を完成させた――となるのだが、

 

 

(わざわざ人間に協力させる必要性は何? 積み荷が人間にしか入手できない代物なのかしら? いえ、そもそも“たったの”八年で使命を遂行するための『計画』が完成するの?)

 

 

 なぜ、人を利用したのか。それは勝美の持つリストを見れば、予想がつくかもしれない。だが、使命完遂という大命が、僅か八年で完成する……これが一番解せなかった。

 過去に世界を変えてしまうような大戦が、“紅世の徒”と『フレイムヘイズ』の間で起きた事がある。いずれも、数十年という人間からすれば途轍もなく長い戦であった。八年とは、“紅世の徒”や『フレイムヘイズ』が事を成すには、あまりにも短すぎる。

 新たに増える疑問。とはいえ、確実に解決の糸口は見え始めている。

 

 

(これだけ集めたら十分かしら)

 

 

 勝美から絞り出せる情報も、あまりないだろう。そう考えた椿は、尋問を止め情報を精査しようとして――何か確信があった訳ではない。本当に何の気もなしに、ある一つの質問をした。

 

 

「六年前の事件で、何か知っている事を言いなさい」

「っ!?」

 

 

 勝美の肩が、不自然に跳ねた。それだけで十分だった。

 気付けば椿は、勝美の横っ面に拳を叩きこもうと振りかぶっていた。だが、その拳は寸前で止まる。

 前田家の惨殺の一端を知っていながら、のうのうと六年もの間、被害者である慶次の隣に住んでいた。吐き気を催すような事実を知り、殴りもしないなど絶対に嫌だったが……さらに元をたどれば、元凶はアラストールたちの不手際。椿に、尋問以外の理由で彼を殴る権利があるとは思えなかった。

 

 

「ち、違う! わ、私は悪くない!」

 

 

 勝美は震えながら拙い言い訳を始める。喋らなければ、尋問を理由にぶん殴れたのに……と、思って耳を傾ける。

 

 

「あいつが……前田利期が余計な調査などするから……! わ、私は調査に関係している人物を全員『奴』に報告しただけなんだ!」

「……それだけ?」

「た、確かに、私が報告した後にあいつは殺された! だが、本当にそれだけなんだ! それ以外、私は何も――!」

「うるさい。もういい」

「ま、待ってくれ! 私は本当に知らないんだ! 何が起きているか教――」

 

 

 それだけ言うと、椿は夜笠に贄殿遮那を仕舞う。そして、今度こそ勝美に背を向ける。背後からは、何やら言い訳の数々が飛んでくるが、そんなものどうでもいい。

 

 

(やっぱり、全部繋がってたんだ……)

 

 

 六年前の事件と今回の惨劇。それが先の勝美の証言で、とうとう繋がってしまった。今まで慶次の身に降りかかった不幸の根源が、アラストールたちにあると分かってしまった。

 

 

「それなのに、一緒に戦おう、なんて……」

 

 

 自嘲気味な笑いが込み上げ、すぐさま自己嫌悪に陥る。

 確かに、共に戦って欲しいと言いながら、戦いの原因が己にある。慶次からしたら、椿の誘いは酷い皮肉だった。だが、慶次は椿の不手際から生死を彷徨ったのに、罵声の一つも上げなかった。それどころか、椿と共に立ちあがってくれた。

 そんな彼が、この“事実”を皮肉と受け取るはずがない。否、そう思う事さえ、覚悟を持って臨む慶次に失礼であった。慶次を想えばこそ、今ここで椿が足踏みしてはいけない。

 この“事実”は決して漏らさずに慶次に伝えよう――そう椿は心に決めるが、これが重い事実である事には変わりない。さすがの椿も『慶次の両親が殺害されたのは、アラストールが遠因』と馬鹿正直に伝えられるほど、面の皮は厚くないし、慶次との付き合いも乾いたものではない。

 適切な助言を与えてくれるアラストールはいない。相談する相手はおらず、そもそも相談する時間もない。

 椿は腹を括って慶次の元へ向かう。ただし、その足取りは常では考えられないほど重いものであった。




このシャナ初登場時以外、まともに贄殿遮那振ってないような……


毎度、お待たせしてすみません。
とりあえず、今投稿できるところまで投稿しました。
次話は……ちょっと彼らを自由に遊ばせすぎたので軌道修正して
からになります。

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