灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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第ⅩⅥ話 急転

 病室に入ってきたのは、トレードマークの黒縁メガネはないが、慶次のクラスメートの奥村福子だった。傷が浅かったのだろうか、慶次と美代を比較すれば、身体の包帯は明らかに少なかった。しかし、満足に動く事はできないのだろう。福子は車椅子に座っていた。

 そんな彼女が、病室を見渡す。

 隅っこには、なぜか体操座りの慶次(隻碗)と、その頬を引っ張る外見小学生の女の子。そして、ベッドで悶絶する親友の美少女。

 

 

「え? あんたら何やってんの? ――えっ!? あんたら本当に何やってんの!?」

 

 

 思わず二回突っ込んでから、項垂れる福子。彼女からすれば、傷ついた友人を見舞う、いや、もしかしたら最悪の事態が広がっているかもしれない――そういう悲壮な覚悟で来たのに……このカオス。身体が健康だったら、ドロップキックの二、三発叩きこんでいる所である。

 

 

「あーも~……あんたが生きてるって聞いて、頑張って見舞いに来たのに、何なのよも~! もう、私が悪かった! あんたたちを、一般人と同類に扱った私が悪かった! ……あと、あんたたちが無事で、本当に良かった……!」

 

 

 本気でガックリしながらも、友人たちの無事にホッと胸を撫で下ろす福子。その友人を想う姿に、慶次たちは「マジで何やってんだろ、()たち」と恥ずかしくなり、慌てて動く。

 慶次と美代がベッドの上に座り、椿はベッドの傍らに立つ。福子は彼らの対面に車椅子を移動させる。

 これで病室に元通りだ――否、そもそもカオスなんてなかった! 全員がそういう認識で慶次が福子に話しかける。

 

 

「無事……とは言い切れないけど、俺は大丈夫だ。そっちはどうなんだ?」

「あ、普通に流すの。いいけど……で、こっちは見ての通り。歩くのが痛くて痛くて、こうして車椅子借りてんの。まあ、あんたからすれば、ただのかすり傷ってところね」

「なあ、もう歩けない、なんてことは――」

「心配性ねー。そんな事ないから安心して。というか、私からしたら、あんたの方が百倍心配っつーの」

「ですよねー」

「それで、新発田さんは大丈夫なの?」

 

 

 福子が美代の様態を尋ねる。今の美代は声が出ない。当然、答えることが出来ず、代わりに喉の前で小さくバツ印を指で作った。

 福子が息を呑む。異常な動揺が慶次にまで伝わってきた。これは間違いなく、勘違いしているだろう。美代は右腕が攣って文字が書けないし、椿は説明する気ゼロだ。

 ここは慶次が美代の様態を代弁する。

 

 

「え、その……え……」

「待て待て。何か嫌な想像したかもしれないが、半分不正解だ」

「えっと、どういう事?」

「声が出ないのは確かだが、肉体的なものじゃなくて精神的なものだ。いつかは絶対治る」

「あーもー、ビックリした! もう二度と声が出ないって思ったじゃない」

「…………」

 

 

 美代が頭を下げて、言葉足らずを謝る。福子はいいのいいの、と手を振って、素直に治る見込みがある事を喜んだ。

 惨劇の中、壊れていく人々と街。その中に残された友人という僅かな日常存在が、慶次の心を何よりも落ち着かせてくれた。

 

 

「それで……状況は、どうなんだ……?」

「…………」

 

 

 慶次はそれとなく、他のクラスメートに水を向ける。

 壊れてしまったものもある。だが、こうして変わらず残っているものもある。まだ残っているものを守るためにも、現状と向かい合わなければならない。

 福子は悔しそうに唇を噛みしめてから、ポツポツと語り始めた。

 

 

「……佐久間の奴ね、あんたがやられるの見せられたくせに、危ないから逃げろって言われたくせに、結局、笹さんを庇ったの。先生も、あんたが助けられないなら、一人でも多くの生徒を助けようとして……最後は自分が逃げ遅れて、一発、よ」

「奥村」

「笹さん、佐久間に向かってね、やめてって。ずっとやめて、自分を庇って傷つかないでって言ってるの。それなのに、あの馬鹿やめなくて……気づいてた時には、笹さん、嗤ってた。壊れるって言って、嗤ってた。佐久間の奴、傷ついて欲しくなくて庇ったのに。笹さん、壊れたの……あいつ、頑張ったのに理不尽よね」

「奥村……!」

「みんなも似たようなもの。身体が傷ついているか、心が傷ついているか……もしくは、その両方。このまま、みんなどう――」

「奥村!!」

「――えっ」

 

 

 語れば語るほど、福子の目から涙が流れ落ちていた。これ以上は語らせてはいけない。慶次が福子を遮り、美代は彼女の傍に立つとその頭を胸に抱いた。

 福子は抵抗しなかった。代わりに、何か言おうとするがそれも言葉にならず、すぐに顔はくしゃくしゃに崩れ、嗚咽が彼女の口から洩れるようになった。

 慶次は自分の迂闊さが、また嫌になった。

 慶次の様に武器もなければ、心強い味方もいない。傷ついていないはずがないのに、僅かな日常が心を緩ませ、酷い事を訊いてしまった。本当に、浅はかな自分が嫌になる。

 

 

「悪い。辛い事、言わせて。俺と違って全部見てるのに、大丈夫な訳ないよな。気づかなくてごめん」

「違、私、大丈……っ、だって、みんな、頑張って、私、何もしてなくて……だから、大丈夫じゃないと」

 

 

 福子が嗚咽交じりに、胸の内を吐露する。

 自分は何もしなかった。何も出来なかった。他の人は頑張ってるのに。だから、今は、頑張らなかった自分が、傷ついている暇はない。何もしなかった自分が、大丈夫じゃない訳がないと。

 

 

「なのに、私、何も出来なくて……っ、だから、二人に、何か出来ないかと、っ……でも、二人とも、もう大丈夫で」

「そんな事ないから、もう自分を責めるな。俺も美代も、お前にまた会えて、本当に嬉しいんだから」

「っ、ぅぅ……!」

 

 

 慶次は優しい言葉を福子に語りかけた。美代は静かに福子の髪を撫でた。苦しそうだから、辛そうだから優しくする。ともすれば、残酷にしかならない優しさを振りまく。それが今の二人に出来る精一杯だった。

 

 

「……これが、計画とでも言うの……っ」

 

 

 椿はそれだけ言うと、何かに耐えるように真一文字に口を切り結び、静かに瞳を閉じた

 押し殺した嗚咽が、嫌に大きく部屋に響く。

 時間にして十数分程度だろうか。

 美代は福子の頭を優しく撫でて、慶次は大丈夫だと呼びかける。それが功を奏したのか、嗚咽はいつの間にか収まり、目を真っ赤に腫らした福子は、車椅子に座ったまま頭を抱えていた。

 

 

「見舞いに来て慰められるとか、馬鹿か私……!!」

 

 

 こんな時だからこそ、傷が浅い自分が友人たちの一助にならなくては。

 純粋な友情で慶次たちを見舞い、よしんば力になろうとしたはずが、心の奥底に溜まった不安と絶望をを言い当てられた。それだけでなく、鬱屈したものを解放してくれた。

 ――助けるつもりが、助けられていた。

 これほど恥ずかしいものもないと、福子は頭を掻き毟って悶絶していた。

 これを見て、慶次と美代が微笑む。

 

 

「いつもの調子に戻ったみたいだな」

『いつもの福子さんに戻って一安心です』

「ぅあっ! あんたら、その微妙に被った内容を同時に話すんじゃないわよ!! 『俺たち、通じ合ってるぜ』みたいなの、鳥肌立つんだから! って、新発田さん、何時まで撫でてんのよ!?」

「調子、戻り過ぎたか……っと、それよりも」

「それよりもじゃない!」

 

 

 慶次は平静を失った美代と被害者の福子を無視して、話を進める。

 

 

「他に何か報告はないか? ……できれば、良い報告がいいんだが」

「他に? これ以上は特には――」

 

 

 福子が何かを思い出したのか、言葉の途中で止まる。

 良い報告か、悪い報告か……いや、この状況で良い報告はないだろう、と半ば諦観の気持ちで待つ。

 福子は幸運とは言えないけど、と前置きしてから、

 

 

「誰かが亡くなったって話、一つも耳にしてないわね」

「……これから出てくる可能性は?」

「ない訳じゃないけど、ま、一番被害の大きかった学校と、病院内で話しが出てこないんだから、これからも出てこないでしょうよ」

「マジか?」

「マジよマジ。まさに不幸中の幸いってやつかしら――」

「それ本当?」

 

 

 得意気にペラペラと話す福子。それを遮ったのは、椿であった。

 慶次と美代も、このタイミングで椿が割って入ると思っておらず面食らう。当然、椿にそんな彼らを気遣うなどあるはずもなく、ずかずかと福子に訊く。

 

 

「本当に誰も死んでないの? 聞き間違いとか、勘違いじゃなく?」

「……さっきから訊こうかと思ってたんだけど……誰、このチビッ子」

「……誰がチビですって……?」

「えっと! この人、俺の命の恩人なんだ! だから、質問に答えて貰えると、俺も非常に嬉しい!」

 

 

 椿を必死に宥めながら福子に弁解するも、『本当に?』と疑いの眼差しを向けてくる。それでも、慶次の顔を立てたのか、福子は彼に従い説明する。

 

 

「ほら、昨日からあれだけ雪が降ってたでしょ? どうも、事前に災害に対して準備していたから、インフラがぶっ飛んでも適切に対処できたみたいよ。ま、一番の理由は派手に暴れた割に、怪我が浅かった人が多かったみたいだけど」

「……」

「何? まだ疑うの?」

「いい。分かった」

「……ふん」

 

 

 椿はそれだけ言うと、再び顎に手をやって思考に耽る。福子の表情もあからさまに不機嫌になる。

 椿の事だ、まだ憶測でモノを喋りたくないから、返答がぶっきらぼうになったのだろうが、福子からすれば訊くだけ訊いて後は放置されただけだ。何で無愛想を通り越して、相手を苛立たせようとしているしか思えない。もう少し気遣いを……と慶次は思うが、それを椿に期待するのは無理というものだ。

 美代は美代でやはり思考に耽っている。

 結局、慶次が間を取り持つ事になるが、

 

 

「へ、へー。確かに、それは不幸中の幸いってやつだな。みんな俺みたいになってたら、やば……かった……!?」

「? 前田、どうしたの? 確かに、みんなあんたみたいに……!?」

 

 

 その言葉の中途で二人は、なぜ椿がああも福子を疑ったのか思い至る。

 

 

「な、何でだよ……! 何で、あいつら、俺を、人なんて何時でも殺せる力を持ってるのに、死人が出てないんだよ……!」

「わ、私に訊かないでよ……! 私だって、どうしてそんな――!」

 

 

 全身に飛び散った夥しい充血した眼。限界まで裂けた、頭部と腹部の双口。地面を穿つ爪に、全てを焼き尽くす破壊の炎。

 化け物――“燐子”――は力が……否、そもそも“存在自体”が人間を凌駕しているのだ。そんな奴らにとって、人を殺すなど造作もない事なのだ。なのに、誰も死んでいない……そこに何かしらの思惑があるのは、明白だった。

 しかし、ならば慶次を除いた人間をわざわざ生かした理由は一体、何なのか。全く見当がつかない。

 慶次と福子が言葉を失っていると、利き腕が回復した美代がスケッチブックに書きなぐる。

 

 

『ここでいくら考えても答えは出ません。慶次さんと私も動けるようになりましたし、私の家に向かいませんか?』

「……それもそうだな」

 

 

 計画を遂行するには登山道具が不可欠で、それは今のところ新発田家しか所在の心当たりがない。早かれ遅かれ行かなければならないなら、早く済ませるべきだろう。

 加えてここは病院、しかも個室だ。慶次が重傷だった数時間前ならともかく、今は動けるまで回復している。正直、一室占領しているのは心苦しい。

 念のため、慶次は椿に視線を送ると、頷き返される。

 

 

「それじゃ、行くか」

「えっ、ちょ、マジで行くの!? チビッ子と新発田さんはいいけど、あんたは包帯だけでほぼ全裸の上、重症じゃない!?」

 

 

 慶次が立ち上がろうとしたところ福子に突っ込まれ、彼は自身の身体を見下ろす。腕、肘、肩、胸、腹、脚……確かに全身くまなく包帯に巻かれているだけで、せいぜい衣装はパンツ(ボクサー)ぐらいだ。

 慶次は今になって、“燐子”の炎弾で服がほとんど焼け落ちた事を思い出す。

 

 

「マジでほぼ全裸だ!」

「今気付いたの!?」

「いや、だって寒くないし……」

「あんたは本当にどんな体の構造になっちゃったのよ!?」

 

 

 本気で突っ込む福子に、まさか馬鹿正直に『このバットのおかげだぜ』と言う訳にもいかず、日ごろの行い、とだけ答えておく。

 それはともかく、寒さを感じないのは『宝具』の効果で身体能力が向上しているためだ。有難い事に、ミイラ男になっても異常に寒いとは感じない。きっと外に出でも、『宝具』の効果でほとんど寒いとは感じないだろう。

 猥褻物陳列罪に問われそうだが、肝心の警察も忙しいはずだ。つまり、今の慶次を遮るものは(衣装的な意味でも)ほとんどない。でも、普通に服は欲しい。

 

 

「まあ、服も欲しいし、家帰るわ」

「そうしなさい……じゃなくて!」

「うわっ!」

「っ!?」

 

 

 福子が慶次と美代の腕を掴み、手繰り寄せる。二人は福子の行為の意味が分からず、されるがままになる。

 

 

「な、何を――」

「こんな時に外に出るって、あんたたちは何を考えてるの!!」

「奥、村……」

 

 

 福子が至近距離で、慶次と美代に責めるような視線を向ける。

 思えば、当たり前の事だった。何てことはない。慶次たちが福子を慮ったように、福子も慶次たちを心配していたのだ。

 嬉しかった。こんな時でも、慶次たちを想ってくれる福子が。だが、もう慶次たちの覚悟は決まっていた。もう福子の言葉では、揺らがない。

 慶次たちは、翻らない。しかし、今の吹っ切れた福子では、納得させなければ決して引かないだろう。そして、それは慶次たちにとって、残念ながら避けるべき事だった。

 どう説明し、納得させるか。慶次が悩んでいると、美代が肩を叩いた。私に任せろ、という事だろう。

 

 

「すまん、奥村」

「っ!? ちょっと、まだ話は――」

『話しは私が承ります』

「わ、私を論破するつもりなんでしょ!?」

 

 

 慶次は福子の手を振りほどく。彼女は悲しそうに慶次を見つめたが、決して慶次は揺らぐことなく、椿と話し合う。

 

 

「椿、出発の準備は?」

「私は何時でもいいわ」

「さすが……で、俺の準備は?」

「何で私があんたの……って言いたいところだけど、そういえばあんた、さっきまで気を失っていたわね。ああもう、分かったわよ。『宝具』を入れる袋と、さすがに寒いだろうから『夜笠』を貸すわ。それ以外は、家に着くまで我慢しなさい」

「悪い、助かる」

「別に。それで、あいつだけど……終わったみたいね」

 

 

 話を切り上げ、椿は視線を福子と美代に向ける。そこには、両手で顔を覆った福子と、やりきった表情でため息を吐く美代がいた。何が起きたかは……訊かなくてもいいだろう。

 

 

「……お、奥村……それじゃあ、俺たちは旧市街地に向かうからな?」

「分かりました! 私が浅はかだったって認めるから、早く行ってきなさいよ!」

「そ、その……あんま、落ち込むなよ?」

 

 

 慶次は投げ遣りな福子を慰めながら、『宝具』をケースに入れ、椿から受け取った黒寂びたコートに袖を通す。生地というには頑丈で、防具というには伸縮し、風も冷感も通さない。常識はずれな性能に、慶次は思わず感嘆のため息を漏らす。

 

 

「うおっ。やっぱ、すげーな」

「当たり前でしょ」

「だな……って」 

 

 

 ちょっぴり誇らしげに言う椿は、なぜか慶次を右肩に、美代を左肩に抱える。

 美代は“常識”から、訳が分からないと首を傾げるが、少なからず椿と付き合っている慶次には、何となくこの直情径行な彼女の思考回路が読めてしまった。だが、まだ常人から半歩しか飛び出していない慶次には、彼女の正気を訊かずにはいられない。

 

 

「あの……椿さん? 念のため伺いますが、俺たちをどうしようと?」

「時間が惜しい。跳ぶわよ」

「やっぱりそうだと思ったよ!!」

 

 

 慶次は嫌な予想が当たり半ば自棄に叫び、美代は『冗談でしょ? 冗談なんでしょ!?』とでも言いたそうに、挙動不審に慶次を見る。

 実際、積雪のせいで道は通りにくいし、時間が惜しいのも事実。残念ながら、これは場を和ませるジョークなどではなく、『フレイムヘイズ』の常識に沿った合理的な“決定”であり、慶次たちに拒否権はない。慶次は諦めろ、と静かに首を振った。美代が泣きそうな顔になった。

 

 

「何か異論でもある?」

「怪我しないならオッケー、って、いてぇっ!?」

 

 

 『何でオッケーするの!?』と美代が慶次を殴って抗議するが、それで椿が止まるはずもなく。ずんずんと二人を抱えながら、窓へと向かう。

 美代が慶次の頭を左手で激しく叩きながら、右手を目一杯開いてみせる。察するに、五階だと伝えたいのだろう。

 五階。およそ、二十メートル。きっと、落ちたらすごく痛い……何だか今になって、慶次もやめたくなってきた。

 

 

「椿」

「何?」

「トイレ」

「うるさい」

「はい」

 

 

 慶次の無駄な抵抗も終わり、椿が窓を蹴破る。もう数秒もしない内に、慶次は堂森市の空を舞う。

 慶次は現実逃避に病室を見渡す。福子がドン引きして慶次たちを見ていた。

 

 

「あー……頭が痛い。もう何が何だか分からなくて、あんたたちには付いていけないわ」

「付いてこなくていいさ……そう、付いてこなくていいんだ……」

「な、何か悪いわね。あんたたちにばかり、面倒な事させて」

「いいさ、好きでやってる事だし。つーか、どうせ片腕の俺と声を出せない美代じゃ、ここにいても出来る事ねーし」

「……そう」

「それじゃあ――」

 

 

 ――みんなの事、頼んだ。

 それだけ言うと、椿は窓に足を掛けて跳躍。絶叫する慶次と、目の死んだ美代を抱えて、少女は次々と屋根伝いに跳んでいった。

 

 

「……つくづく非常識な奴らね」

 

 

 言いながら福子は車椅子の向きを変える。

 

 

「それじゃあ、私は私の出来る事をやりましょうか」

 

 

 向かう先は、重傷者が集まる一角。今度こそ、己が為すべき事を遂げるため、福子は前に漕ぎ出す。

 病室には誰もいなくなった。

 

 

 

 

 堂森市の南部、旧市街地の一角に位置する豪奢な建物の一つ。古き日本家屋を趣を残しながら、インターフォンや街灯、監視カメラなど現代的な利便性を取り入れた屋敷。前田家の真隣である、新発田家の玄関先に慶次たち三人にして四人はいた。ただし、今は美代と慶次は恐怖(と寒さ)で絶賛震え中である。

 

 

「し……死ぬかと思った……!」

「っ! っ!」

 

 

 慶次の心からの叫びに、美代もぶんぶんと顔を縦に振る。

 あの屋根伝いに跳び回る度に、上下左右シェイクされる世界と内臓。思い出しただけで、慶次と美代は胃から消化物が込み上げてくる。

 

 

「も、もうお前には、絶対に頼まねぇ……!」

「っ! っ!」

「な、何よ、二人とも……! そんな、大袈裟な――」

「大袈裟じゃないよ!! おかげでちょっと、もらしそうになっちゃったよ!!」

「…………」

 

 

 瞬間、椿の身体が紅蓮の炎に包まれる。

 

 

「て、手前! 清めの炎を使いやがったな!? 冗談に決まってるだろうが……って、美代までジリジリ下がるな!! こんにゃろ……お前ら後でまとめてセクハラしてやる!」

「!?」

「あんた何言って――」

 

 

 椿が近寄る前に、慶次がチャイムを鳴らす。新発田家のインターフォン(カメラ付き)は別電源で動いているため、停電した今でもその機能を失っていない。きっと、椿が何かをすれば全て向こう側に伝わる。無用な騒ぎを見られても、益は一つもなく不利益ばかりだ。

 慶次の小狡い行為に椿が動きを止めていると、インターフォンからがさごそと誰かが立つ気配が伝わってくる。

 

 

「すみません、前田ですけど」

『前田君? 本当に前田君なの!?』

 

 

 呼びかけると、すぐに返答が来た。

 美代から刺々しさを抜いて、感情の起伏を加えたら丁度こうなるのではないか、と思えるほど瓜二つの声。顔は見えないが、美代の母親、依子(よりこ)と慶次は当たりを付ける。

 美代を見れば、母親の無事が確認できたためか、若干目を潤ませていた。慶次は美代に代わり来訪……否、帰宅を告げる。

 

 

「はい、前田です。美代さん、ただいま連れて帰りました」

『――!!』

 

 

 美代の無事をカメラ越し確認したのだろう、途端にインターフォンから伝わっていた気配が遠ざかっていく。数秒もせず玄関が開く。

 飛び出してきたのは、美代によく似た釣り目を真っ赤に腫らした女性。彼女は美代を確認するなり、飛び付く様に抱きしめた。ただし、身長は美代の方が高いため、抱きつくような形だが。

 

 

「もう……本当に、心配、したのよ……っ!」

「……っ!!」

 

 

 アンバランスな母娘。だが、やはり美代は娘なのだろう。声にならない叫びを上げながら、依子に縋りついた。まるで、今まで溜まっていたものを吐き出す様に慶次が目を覚ましてから、一回も流さなかった涙を流す。

 

 

「…………」

「どうしたのよ、変な顔して」

「ん、いや、ちょっとな……」

 

 

 椿に問い詰められ、慶次は言葉を濁す。

 本来なら、再会を喜ぶべきなのだろうが、慶次は素直に喜べなかった。

 開かれた玄関には、無造作に脱ぎ捨てられた、男性物の濡れた革靴があった。新発田家の柵の外には、黒塗りの車も乗り捨てられている。間違いなく、美代の父親も家にいた。

 

 

(夫婦そろって数時間以上、一人娘を放置して、本当に心配してたのか? ……っ、やめやめ! 嫌がらせさせられたからって、つまんない事考えてんじゃねーぞ!)

 

 

 余計な考えを吹き飛ばす様に、慶次は頭を掻き毟る。

 

 

「…………」

 

 

 そんな不審な慶次を椿は怪訝そうな表情で見た後、彼の視線が辿った軌跡――黒塗りの車と、濡れた革靴――を目でなぞった。

 椿はそれ以上、慶次に尋ねなかった。

 

 

 

 

 それから応接間に案内された慶次と椿は、一通り自分たちの身に起きた事を説明した。無論、“化け物”に襲われたという事実だけを説明し、“紅世”に関する事柄は完全に伏せた。もちろん、椿も適当にでっち上げて伝えている。

 

 

「……そんな事に、なってただなんて」

 

 

 石油ストーブの仄かな明るみだけの部屋で、テーブルを挟んでソファに座った依子が、ぽつりと呟く。

 吹っ飛んだインフラも、壊れた家屋も、直す事ができる。美代の声も、時が必ず癒してくれるだろう。しかし、慶次の片腕は何をやっても戻ってこない。

 化け物、地震……彼女も現状を理解していたつもりでいたのだろう。だが、慶次を目の前にして、ようやく事態の深刻さを真の意味で理解したようだった。

 ちなみに美代は今、父・勝美から情報収集をするため書斎にいる。理由は言わずもがな、慶次が彼に一方的に嫌われているからである。

 まあ、それはともかく、今は慶次と美代に分かれて情報収集だ。慶次は怪しまれない範囲で、依子に当時の状況を訊く。

 

 

「おばさんは、ずっと家にいたんですか?」

「ええ。夫から、危ないから絶対に外に出るなって言われてから、ずっと中にいたわ。幸い、化け物は家を襲わなかったし、家も頑丈だったから、地震で倒壊する事もなかったし」

「じゃあ、化け物の話はおじさんから?」

「それと少しでも、情報を集めたかったから外を覗いていた時に見たわ。夫が絶対に出るなって意味が、その時、ようやく分かったわ……っ、でも、あなたたちに比べたら、私なんて……」

「おばさん……みんな生きてる、それでいいじゃないですか」

「……あなたは強いわね」

 

 

 お茶入れてくるわね、と依子が部屋を出て行く。

 

 

「へぇ。あんた、腹芸できたんだ? ……すごい下手だけど」

「う、うっせぇ」

 

 

 扉が閉まるのを確認するなり、椿が面白いものを見たとでも言いたそうに、愉快そうに笑う。

 椿の言いたい事は分かる。友人たちと同じ、いやそれ以上に社交的に依子と接していた。腹の底では信用していないと思っているにも関わらず、である。

 だが、椿にはそれがあからさま過ぎて、明け透けて見えていたらしい。いかにも小馬鹿にする様子に、慶次も大人しく認める気になれなくなる。

 

 

「出来ない腹芸は、するものじゃないわよ」

「腹芸なんかじゃないですよー。慶次さんの社交性だよー。つーか、お前さっきから黙って、コミュニケーション能力がなさ過ぎ――」

「…………」

「って事はないかなー」

 

 

 間近から睨みつけられ、慶次はすぐさま前言を撤回する。ただただ情けない男の姿に、椿はため息だけで答える。

 

 

「……」

「……」

 

 

 何となく、それで会話が途切れる。事件の相談をするには情報の不足は拭えず、下らない日常会話を続けるには、なんというか空気が重い。だが、嫌な沈黙じゃなかった。

 二人して何も喋らず、他人の家にも関わらず、ソファに寄りかかって寛ぐ。今日一日、色々あり過ぎてこうやってゆっくりする時間もなかったのだと、今になって気づかされる。

 ――できれば、この沈黙をもう少し。

 

「――! ――!!」

「……何かあったのか?」

 

 

 慶次のそんなささやかな願いは、突如として騒がしくなった廊下に打ち破られる。

 

 

「『フレイムヘイズ』の気配はしないわね」

「まあ、何にせよ警戒は必要だな……全く、ゆっくりする暇もないものかね」

 

 

 愚痴りながらも、慶次はケースから『宝具』を取り出す――それとほぼ同時に、応接間の扉が開く。

 

 

「前田慶次!!」

「っ!?」

 

 

 慶次の目が驚きに開かれる。

 それは怨嗟を込めた声で呼ばれた事でも、美代に大きく受け継がれた端正な人相が、疲労のせいなのか禍々しく変貌した事でもない。

 美代の父・勝美の手に持たれた筒状の銃身……猟銃が慶次を真っ直ぐ捉えていた事だ。

 

 

「待――」

 

 

 ――身体能力が上がっていた慶次でも反応できないほどの即決即断で、勝美は引き金を引いた。




話数を原作っぽく変更。
話数が30を超えたら? そこも原作っぽく気にしない方針で!

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