病室に入ってきたのは、トレードマークの黒縁メガネはないが、慶次のクラスメートの奥村福子だった。傷が浅かったのだろうか、慶次と美代を比較すれば、身体の包帯は明らかに少なかった。しかし、満足に動く事はできないのだろう。福子は車椅子に座っていた。
そんな彼女が、病室を見渡す。
隅っこには、なぜか体操座りの慶次(隻碗)と、その頬を引っ張る外見小学生の女の子。そして、ベッドで悶絶する親友の美少女。
「え? あんたら何やってんの? ――えっ!? あんたら本当に何やってんの!?」
思わず二回突っ込んでから、項垂れる福子。彼女からすれば、傷ついた友人を見舞う、いや、もしかしたら最悪の事態が広がっているかもしれない――そういう悲壮な覚悟で来たのに……このカオス。身体が健康だったら、ドロップキックの二、三発叩きこんでいる所である。
「あーも~……あんたが生きてるって聞いて、頑張って見舞いに来たのに、何なのよも~! もう、私が悪かった! あんたたちを、一般人と同類に扱った私が悪かった! ……あと、あんたたちが無事で、本当に良かった……!」
本気でガックリしながらも、友人たちの無事にホッと胸を撫で下ろす福子。その友人を想う姿に、慶次たちは「マジで何やってんだろ、
慶次と美代がベッドの上に座り、椿はベッドの傍らに立つ。福子は彼らの対面に車椅子を移動させる。
これで病室に元通りだ――否、そもそもカオスなんてなかった! 全員がそういう認識で慶次が福子に話しかける。
「無事……とは言い切れないけど、俺は大丈夫だ。そっちはどうなんだ?」
「あ、普通に流すの。いいけど……で、こっちは見ての通り。歩くのが痛くて痛くて、こうして車椅子借りてんの。まあ、あんたからすれば、ただのかすり傷ってところね」
「なあ、もう歩けない、なんてことは――」
「心配性ねー。そんな事ないから安心して。というか、私からしたら、あんたの方が百倍心配っつーの」
「ですよねー」
「それで、新発田さんは大丈夫なの?」
福子が美代の様態を尋ねる。今の美代は声が出ない。当然、答えることが出来ず、代わりに喉の前で小さくバツ印を指で作った。
福子が息を呑む。異常な動揺が慶次にまで伝わってきた。これは間違いなく、勘違いしているだろう。美代は右腕が攣って文字が書けないし、椿は説明する気ゼロだ。
ここは慶次が美代の様態を代弁する。
「え、その……え……」
「待て待て。何か嫌な想像したかもしれないが、半分不正解だ」
「えっと、どういう事?」
「声が出ないのは確かだが、肉体的なものじゃなくて精神的なものだ。いつかは絶対治る」
「あーもー、ビックリした! もう二度と声が出ないって思ったじゃない」
「…………」
美代が頭を下げて、言葉足らずを謝る。福子はいいのいいの、と手を振って、素直に治る見込みがある事を喜んだ。
惨劇の中、壊れていく人々と街。その中に残された友人という僅かな日常存在が、慶次の心を何よりも落ち着かせてくれた。
「それで……状況は、どうなんだ……?」
「…………」
慶次はそれとなく、他のクラスメートに水を向ける。
壊れてしまったものもある。だが、こうして変わらず残っているものもある。まだ残っているものを守るためにも、現状と向かい合わなければならない。
福子は悔しそうに唇を噛みしめてから、ポツポツと語り始めた。
「……佐久間の奴ね、あんたがやられるの見せられたくせに、危ないから逃げろって言われたくせに、結局、笹さんを庇ったの。先生も、あんたが助けられないなら、一人でも多くの生徒を助けようとして……最後は自分が逃げ遅れて、一発、よ」
「奥村」
「笹さん、佐久間に向かってね、やめてって。ずっとやめて、自分を庇って傷つかないでって言ってるの。それなのに、あの馬鹿やめなくて……気づいてた時には、笹さん、嗤ってた。壊れるって言って、嗤ってた。佐久間の奴、傷ついて欲しくなくて庇ったのに。笹さん、壊れたの……あいつ、頑張ったのに理不尽よね」
「奥村……!」
「みんなも似たようなもの。身体が傷ついているか、心が傷ついているか……もしくは、その両方。このまま、みんなどう――」
「奥村!!」
「――えっ」
語れば語るほど、福子の目から涙が流れ落ちていた。これ以上は語らせてはいけない。慶次が福子を遮り、美代は彼女の傍に立つとその頭を胸に抱いた。
福子は抵抗しなかった。代わりに、何か言おうとするがそれも言葉にならず、すぐに顔はくしゃくしゃに崩れ、嗚咽が彼女の口から洩れるようになった。
慶次は自分の迂闊さが、また嫌になった。
慶次の様に武器もなければ、心強い味方もいない。傷ついていないはずがないのに、僅かな日常が心を緩ませ、酷い事を訊いてしまった。本当に、浅はかな自分が嫌になる。
「悪い。辛い事、言わせて。俺と違って全部見てるのに、大丈夫な訳ないよな。気づかなくてごめん」
「違、私、大丈……っ、だって、みんな、頑張って、私、何もしてなくて……だから、大丈夫じゃないと」
福子が嗚咽交じりに、胸の内を吐露する。
自分は何もしなかった。何も出来なかった。他の人は頑張ってるのに。だから、今は、頑張らなかった自分が、傷ついている暇はない。何もしなかった自分が、大丈夫じゃない訳がないと。
「なのに、私、何も出来なくて……っ、だから、二人に、何か出来ないかと、っ……でも、二人とも、もう大丈夫で」
「そんな事ないから、もう自分を責めるな。俺も美代も、お前にまた会えて、本当に嬉しいんだから」
「っ、ぅぅ……!」
慶次は優しい言葉を福子に語りかけた。美代は静かに福子の髪を撫でた。苦しそうだから、辛そうだから優しくする。ともすれば、残酷にしかならない優しさを振りまく。それが今の二人に出来る精一杯だった。
「……これが、計画とでも言うの……っ」
椿はそれだけ言うと、何かに耐えるように真一文字に口を切り結び、静かに瞳を閉じた
押し殺した嗚咽が、嫌に大きく部屋に響く。
時間にして十数分程度だろうか。
美代は福子の頭を優しく撫でて、慶次は大丈夫だと呼びかける。それが功を奏したのか、嗚咽はいつの間にか収まり、目を真っ赤に腫らした福子は、車椅子に座ったまま頭を抱えていた。
「見舞いに来て慰められるとか、馬鹿か私……!!」
こんな時だからこそ、傷が浅い自分が友人たちの一助にならなくては。
純粋な友情で慶次たちを見舞い、よしんば力になろうとしたはずが、心の奥底に溜まった不安と絶望をを言い当てられた。それだけでなく、鬱屈したものを解放してくれた。
――助けるつもりが、助けられていた。
これほど恥ずかしいものもないと、福子は頭を掻き毟って悶絶していた。
これを見て、慶次と美代が微笑む。
「いつもの調子に戻ったみたいだな」
『いつもの福子さんに戻って一安心です』
「ぅあっ! あんたら、その微妙に被った内容を同時に話すんじゃないわよ!! 『俺たち、通じ合ってるぜ』みたいなの、鳥肌立つんだから! って、新発田さん、何時まで撫でてんのよ!?」
「調子、戻り過ぎたか……っと、それよりも」
「それよりもじゃない!」
慶次は平静を失った美代と被害者の福子を無視して、話を進める。
「他に何か報告はないか? ……できれば、良い報告がいいんだが」
「他に? これ以上は特には――」
福子が何かを思い出したのか、言葉の途中で止まる。
良い報告か、悪い報告か……いや、この状況で良い報告はないだろう、と半ば諦観の気持ちで待つ。
福子は幸運とは言えないけど、と前置きしてから、
「誰かが亡くなったって話、一つも耳にしてないわね」
「……これから出てくる可能性は?」
「ない訳じゃないけど、ま、一番被害の大きかった学校と、病院内で話しが出てこないんだから、これからも出てこないでしょうよ」
「マジか?」
「マジよマジ。まさに不幸中の幸いってやつかしら――」
「それ本当?」
得意気にペラペラと話す福子。それを遮ったのは、椿であった。
慶次と美代も、このタイミングで椿が割って入ると思っておらず面食らう。当然、椿にそんな彼らを気遣うなどあるはずもなく、ずかずかと福子に訊く。
「本当に誰も死んでないの? 聞き間違いとか、勘違いじゃなく?」
「……さっきから訊こうかと思ってたんだけど……誰、このチビッ子」
「……誰がチビですって……?」
「えっと! この人、俺の命の恩人なんだ! だから、質問に答えて貰えると、俺も非常に嬉しい!」
椿を必死に宥めながら福子に弁解するも、『本当に?』と疑いの眼差しを向けてくる。それでも、慶次の顔を立てたのか、福子は彼に従い説明する。
「ほら、昨日からあれだけ雪が降ってたでしょ? どうも、事前に災害に対して準備していたから、インフラがぶっ飛んでも適切に対処できたみたいよ。ま、一番の理由は派手に暴れた割に、怪我が浅かった人が多かったみたいだけど」
「……」
「何? まだ疑うの?」
「いい。分かった」
「……ふん」
椿はそれだけ言うと、再び顎に手をやって思考に耽る。福子の表情もあからさまに不機嫌になる。
椿の事だ、まだ憶測でモノを喋りたくないから、返答がぶっきらぼうになったのだろうが、福子からすれば訊くだけ訊いて後は放置されただけだ。何で無愛想を通り越して、相手を苛立たせようとしているしか思えない。もう少し気遣いを……と慶次は思うが、それを椿に期待するのは無理というものだ。
美代は美代でやはり思考に耽っている。
結局、慶次が間を取り持つ事になるが、
「へ、へー。確かに、それは不幸中の幸いってやつだな。みんな俺みたいになってたら、やば……かった……!?」
「? 前田、どうしたの? 確かに、みんなあんたみたいに……!?」
その言葉の中途で二人は、なぜ椿がああも福子を疑ったのか思い至る。
「な、何でだよ……! 何で、あいつら、俺を、人なんて何時でも殺せる力を持ってるのに、死人が出てないんだよ……!」
「わ、私に訊かないでよ……! 私だって、どうしてそんな――!」
全身に飛び散った夥しい充血した眼。限界まで裂けた、頭部と腹部の双口。地面を穿つ爪に、全てを焼き尽くす破壊の炎。
化け物――“燐子”――は力が……否、そもそも“存在自体”が人間を凌駕しているのだ。そんな奴らにとって、人を殺すなど造作もない事なのだ。なのに、誰も死んでいない……そこに何かしらの思惑があるのは、明白だった。
しかし、ならば慶次を除いた人間をわざわざ生かした理由は一体、何なのか。全く見当がつかない。
慶次と福子が言葉を失っていると、利き腕が回復した美代がスケッチブックに書きなぐる。
『ここでいくら考えても答えは出ません。慶次さんと私も動けるようになりましたし、私の家に向かいませんか?』
「……それもそうだな」
計画を遂行するには登山道具が不可欠で、それは今のところ新発田家しか所在の心当たりがない。早かれ遅かれ行かなければならないなら、早く済ませるべきだろう。
加えてここは病院、しかも個室だ。慶次が重傷だった数時間前ならともかく、今は動けるまで回復している。正直、一室占領しているのは心苦しい。
念のため、慶次は椿に視線を送ると、頷き返される。
「それじゃ、行くか」
「えっ、ちょ、マジで行くの!? チビッ子と新発田さんはいいけど、あんたは包帯だけでほぼ全裸の上、重症じゃない!?」
慶次が立ち上がろうとしたところ福子に突っ込まれ、彼は自身の身体を見下ろす。腕、肘、肩、胸、腹、脚……確かに全身くまなく包帯に巻かれているだけで、せいぜい衣装はパンツ(ボクサー)ぐらいだ。
慶次は今になって、“燐子”の炎弾で服がほとんど焼け落ちた事を思い出す。
「マジでほぼ全裸だ!」
「今気付いたの!?」
「いや、だって寒くないし……」
「あんたは本当にどんな体の構造になっちゃったのよ!?」
本気で突っ込む福子に、まさか馬鹿正直に『このバットのおかげだぜ』と言う訳にもいかず、日ごろの行い、とだけ答えておく。
それはともかく、寒さを感じないのは『宝具』の効果で身体能力が向上しているためだ。有難い事に、ミイラ男になっても異常に寒いとは感じない。きっと外に出でも、『宝具』の効果でほとんど寒いとは感じないだろう。
猥褻物陳列罪に問われそうだが、肝心の警察も忙しいはずだ。つまり、今の慶次を遮るものは(衣装的な意味でも)ほとんどない。でも、普通に服は欲しい。
「まあ、服も欲しいし、家帰るわ」
「そうしなさい……じゃなくて!」
「うわっ!」
「っ!?」
福子が慶次と美代の腕を掴み、手繰り寄せる。二人は福子の行為の意味が分からず、されるがままになる。
「な、何を――」
「こんな時に外に出るって、あんたたちは何を考えてるの!!」
「奥、村……」
福子が至近距離で、慶次と美代に責めるような視線を向ける。
思えば、当たり前の事だった。何てことはない。慶次たちが福子を慮ったように、福子も慶次たちを心配していたのだ。
嬉しかった。こんな時でも、慶次たちを想ってくれる福子が。だが、もう慶次たちの覚悟は決まっていた。もう福子の言葉では、揺らがない。
慶次たちは、翻らない。しかし、今の吹っ切れた福子では、納得させなければ決して引かないだろう。そして、それは慶次たちにとって、残念ながら避けるべき事だった。
どう説明し、納得させるか。慶次が悩んでいると、美代が肩を叩いた。私に任せろ、という事だろう。
「すまん、奥村」
「っ!? ちょっと、まだ話は――」
『話しは私が承ります』
「わ、私を論破するつもりなんでしょ!?」
慶次は福子の手を振りほどく。彼女は悲しそうに慶次を見つめたが、決して慶次は揺らぐことなく、椿と話し合う。
「椿、出発の準備は?」
「私は何時でもいいわ」
「さすが……で、俺の準備は?」
「何で私があんたの……って言いたいところだけど、そういえばあんた、さっきまで気を失っていたわね。ああもう、分かったわよ。『宝具』を入れる袋と、さすがに寒いだろうから『夜笠』を貸すわ。それ以外は、家に着くまで我慢しなさい」
「悪い、助かる」
「別に。それで、あいつだけど……終わったみたいね」
話を切り上げ、椿は視線を福子と美代に向ける。そこには、両手で顔を覆った福子と、やりきった表情でため息を吐く美代がいた。何が起きたかは……訊かなくてもいいだろう。
「……お、奥村……それじゃあ、俺たちは旧市街地に向かうからな?」
「分かりました! 私が浅はかだったって認めるから、早く行ってきなさいよ!」
「そ、その……あんま、落ち込むなよ?」
慶次は投げ遣りな福子を慰めながら、『宝具』をケースに入れ、椿から受け取った黒寂びたコートに袖を通す。生地というには頑丈で、防具というには伸縮し、風も冷感も通さない。常識はずれな性能に、慶次は思わず感嘆のため息を漏らす。
「うおっ。やっぱ、すげーな」
「当たり前でしょ」
「だな……って」
ちょっぴり誇らしげに言う椿は、なぜか慶次を右肩に、美代を左肩に抱える。
美代は“常識”から、訳が分からないと首を傾げるが、少なからず椿と付き合っている慶次には、何となくこの直情径行な彼女の思考回路が読めてしまった。だが、まだ常人から半歩しか飛び出していない慶次には、彼女の正気を訊かずにはいられない。
「あの……椿さん? 念のため伺いますが、俺たちをどうしようと?」
「時間が惜しい。跳ぶわよ」
「やっぱりそうだと思ったよ!!」
慶次は嫌な予想が当たり半ば自棄に叫び、美代は『冗談でしょ? 冗談なんでしょ!?』とでも言いたそうに、挙動不審に慶次を見る。
実際、積雪のせいで道は通りにくいし、時間が惜しいのも事実。残念ながら、これは場を和ませるジョークなどではなく、『フレイムヘイズ』の常識に沿った合理的な“決定”であり、慶次たちに拒否権はない。慶次は諦めろ、と静かに首を振った。美代が泣きそうな顔になった。
「何か異論でもある?」
「怪我しないならオッケー、って、いてぇっ!?」
『何でオッケーするの!?』と美代が慶次を殴って抗議するが、それで椿が止まるはずもなく。ずんずんと二人を抱えながら、窓へと向かう。
美代が慶次の頭を左手で激しく叩きながら、右手を目一杯開いてみせる。察するに、五階だと伝えたいのだろう。
五階。およそ、二十メートル。きっと、落ちたらすごく痛い……何だか今になって、慶次もやめたくなってきた。
「椿」
「何?」
「トイレ」
「うるさい」
「はい」
慶次の無駄な抵抗も終わり、椿が窓を蹴破る。もう数秒もしない内に、慶次は堂森市の空を舞う。
慶次は現実逃避に病室を見渡す。福子がドン引きして慶次たちを見ていた。
「あー……頭が痛い。もう何が何だか分からなくて、あんたたちには付いていけないわ」
「付いてこなくていいさ……そう、付いてこなくていいんだ……」
「な、何か悪いわね。あんたたちにばかり、面倒な事させて」
「いいさ、好きでやってる事だし。つーか、どうせ片腕の俺と声を出せない美代じゃ、ここにいても出来る事ねーし」
「……そう」
「それじゃあ――」
――みんなの事、頼んだ。
それだけ言うと、椿は窓に足を掛けて跳躍。絶叫する慶次と、目の死んだ美代を抱えて、少女は次々と屋根伝いに跳んでいった。
「……つくづく非常識な奴らね」
言いながら福子は車椅子の向きを変える。
「それじゃあ、私は私の出来る事をやりましょうか」
向かう先は、重傷者が集まる一角。今度こそ、己が為すべき事を遂げるため、福子は前に漕ぎ出す。
病室には誰もいなくなった。
○
堂森市の南部、旧市街地の一角に位置する豪奢な建物の一つ。古き日本家屋を趣を残しながら、インターフォンや街灯、監視カメラなど現代的な利便性を取り入れた屋敷。前田家の真隣である、新発田家の玄関先に慶次たち三人にして四人はいた。ただし、今は美代と慶次は恐怖(と寒さ)で絶賛震え中である。
「し……死ぬかと思った……!」
「っ! っ!」
慶次の心からの叫びに、美代もぶんぶんと顔を縦に振る。
あの屋根伝いに跳び回る度に、上下左右シェイクされる世界と内臓。思い出しただけで、慶次と美代は胃から消化物が込み上げてくる。
「も、もうお前には、絶対に頼まねぇ……!」
「っ! っ!」
「な、何よ、二人とも……! そんな、大袈裟な――」
「大袈裟じゃないよ!! おかげでちょっと、もらしそうになっちゃったよ!!」
「…………」
瞬間、椿の身体が紅蓮の炎に包まれる。
「て、手前! 清めの炎を使いやがったな!? 冗談に決まってるだろうが……って、美代までジリジリ下がるな!! こんにゃろ……お前ら後でまとめてセクハラしてやる!」
「!?」
「あんた何言って――」
椿が近寄る前に、慶次がチャイムを鳴らす。新発田家のインターフォン(カメラ付き)は別電源で動いているため、停電した今でもその機能を失っていない。きっと、椿が何かをすれば全て向こう側に伝わる。無用な騒ぎを見られても、益は一つもなく不利益ばかりだ。
慶次の小狡い行為に椿が動きを止めていると、インターフォンからがさごそと誰かが立つ気配が伝わってくる。
「すみません、前田ですけど」
『前田君? 本当に前田君なの!?』
呼びかけると、すぐに返答が来た。
美代から刺々しさを抜いて、感情の起伏を加えたら丁度こうなるのではないか、と思えるほど瓜二つの声。顔は見えないが、美代の母親、
美代を見れば、母親の無事が確認できたためか、若干目を潤ませていた。慶次は美代に代わり来訪……否、帰宅を告げる。
「はい、前田です。美代さん、ただいま連れて帰りました」
『――!!』
美代の無事をカメラ越し確認したのだろう、途端にインターフォンから伝わっていた気配が遠ざかっていく。数秒もせず玄関が開く。
飛び出してきたのは、美代によく似た釣り目を真っ赤に腫らした女性。彼女は美代を確認するなり、飛び付く様に抱きしめた。ただし、身長は美代の方が高いため、抱きつくような形だが。
「もう……本当に、心配、したのよ……っ!」
「……っ!!」
アンバランスな母娘。だが、やはり美代は娘なのだろう。声にならない叫びを上げながら、依子に縋りついた。まるで、今まで溜まっていたものを吐き出す様に慶次が目を覚ましてから、一回も流さなかった涙を流す。
「…………」
「どうしたのよ、変な顔して」
「ん、いや、ちょっとな……」
椿に問い詰められ、慶次は言葉を濁す。
本来なら、再会を喜ぶべきなのだろうが、慶次は素直に喜べなかった。
開かれた玄関には、無造作に脱ぎ捨てられた、男性物の濡れた革靴があった。新発田家の柵の外には、黒塗りの車も乗り捨てられている。間違いなく、美代の父親も家にいた。
(夫婦そろって数時間以上、一人娘を放置して、本当に心配してたのか? ……っ、やめやめ! 嫌がらせさせられたからって、つまんない事考えてんじゃねーぞ!)
余計な考えを吹き飛ばす様に、慶次は頭を掻き毟る。
「…………」
そんな不審な慶次を椿は怪訝そうな表情で見た後、彼の視線が辿った軌跡――黒塗りの車と、濡れた革靴――を目でなぞった。
椿はそれ以上、慶次に尋ねなかった。
○
それから応接間に案内された慶次と椿は、一通り自分たちの身に起きた事を説明した。無論、“化け物”に襲われたという事実だけを説明し、“紅世”に関する事柄は完全に伏せた。もちろん、椿も適当にでっち上げて伝えている。
「……そんな事に、なってただなんて」
石油ストーブの仄かな明るみだけの部屋で、テーブルを挟んでソファに座った依子が、ぽつりと呟く。
吹っ飛んだインフラも、壊れた家屋も、直す事ができる。美代の声も、時が必ず癒してくれるだろう。しかし、慶次の片腕は何をやっても戻ってこない。
化け物、地震……彼女も現状を理解していたつもりでいたのだろう。だが、慶次を目の前にして、ようやく事態の深刻さを真の意味で理解したようだった。
ちなみに美代は今、父・勝美から情報収集をするため書斎にいる。理由は言わずもがな、慶次が彼に一方的に嫌われているからである。
まあ、それはともかく、今は慶次と美代に分かれて情報収集だ。慶次は怪しまれない範囲で、依子に当時の状況を訊く。
「おばさんは、ずっと家にいたんですか?」
「ええ。夫から、危ないから絶対に外に出るなって言われてから、ずっと中にいたわ。幸い、化け物は家を襲わなかったし、家も頑丈だったから、地震で倒壊する事もなかったし」
「じゃあ、化け物の話はおじさんから?」
「それと少しでも、情報を集めたかったから外を覗いていた時に見たわ。夫が絶対に出るなって意味が、その時、ようやく分かったわ……っ、でも、あなたたちに比べたら、私なんて……」
「おばさん……みんな生きてる、それでいいじゃないですか」
「……あなたは強いわね」
お茶入れてくるわね、と依子が部屋を出て行く。
「へぇ。あんた、腹芸できたんだ? ……すごい下手だけど」
「う、うっせぇ」
扉が閉まるのを確認するなり、椿が面白いものを見たとでも言いたそうに、愉快そうに笑う。
椿の言いたい事は分かる。友人たちと同じ、いやそれ以上に社交的に依子と接していた。腹の底では信用していないと思っているにも関わらず、である。
だが、椿にはそれがあからさま過ぎて、明け透けて見えていたらしい。いかにも小馬鹿にする様子に、慶次も大人しく認める気になれなくなる。
「出来ない腹芸は、するものじゃないわよ」
「腹芸なんかじゃないですよー。慶次さんの社交性だよー。つーか、お前さっきから黙って、コミュニケーション能力がなさ過ぎ――」
「…………」
「って事はないかなー」
間近から睨みつけられ、慶次はすぐさま前言を撤回する。ただただ情けない男の姿に、椿はため息だけで答える。
「……」
「……」
何となく、それで会話が途切れる。事件の相談をするには情報の不足は拭えず、下らない日常会話を続けるには、なんというか空気が重い。だが、嫌な沈黙じゃなかった。
二人して何も喋らず、他人の家にも関わらず、ソファに寄りかかって寛ぐ。今日一日、色々あり過ぎてこうやってゆっくりする時間もなかったのだと、今になって気づかされる。
――できれば、この沈黙をもう少し。
「――! ――!!」
「……何かあったのか?」
慶次のそんなささやかな願いは、突如として騒がしくなった廊下に打ち破られる。
「『フレイムヘイズ』の気配はしないわね」
「まあ、何にせよ警戒は必要だな……全く、ゆっくりする暇もないものかね」
愚痴りながらも、慶次はケースから『宝具』を取り出す――それとほぼ同時に、応接間の扉が開く。
「前田慶次!!」
「っ!?」
慶次の目が驚きに開かれる。
それは怨嗟を込めた声で呼ばれた事でも、美代に大きく受け継がれた端正な人相が、疲労のせいなのか禍々しく変貌した事でもない。
美代の父・勝美の手に持たれた筒状の銃身……猟銃が慶次を真っ直ぐ捉えていた事だ。
「待――」
――身体能力が上がっていた慶次でも反応できないほどの即決即断で、勝美は引き金を引いた。
話数を原作っぽく変更。
話数が30を超えたら? そこも原作っぽく気にしない方針で!