灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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遅れましたが、第10話です。


第Ⅹ話 明暗

 早朝、と言っても浴室の出来事から数時間も掛かっていない時分。朝食後、慶次はせっせと皿洗いをしていた(金属バット装着)。椿といえば、炬燵に首まですっぽり潜り込んでおり、慶次をちらちら横目で伺いながら決して視線は合わせようとしなかった。

 

 

(恥ずかしいのは分かるけど……どうにかならないもんかな)

 

 

 椿の浴室突入事件(と勝手に命名)で奇跡的にトラウマを回避した三者であったが、やはりと言うべきか、椿が一番ダメージを受けていた。浮き世離れしてて常識知らず……薄々感じてはいたが、それは“そっち”の知識に関してもそうだったようだ。

 おそらくだが、あそこまではっきりと“異性”の肉体を見るのは初めてだったのだろう。己との肉体との差異が“男性”というものをこれでもかと強く意識させられ、本能的な恥ずかしさが慶次の顔さえも見られなくさせたのだと推測した。

 これが立場が逆――椿が見られる側――であるのならば、原因である慶次をぶっ叩いてすっきりして終わっただろう。だが、実際は椿の軽率ゆえの結果であり、椿はぶつけるべき矛先がなく、悶々とするしかないのだ。

 まあ、こういうのは気持ちの問題。気の持ちようでどうにでもなる、と慶次は考え気分を変えるために、朝食をイチゴジャムたっぷりの食パン。スクランブルエッグとソーセージ、そして昨日の安売りで買ったグリーンサラダとリンゴを添えた王道洋食を出してみた。だが、その程度で羞恥心が吹き飛ぶはずもなく。

 慶次はすっかりフレイムヘイズの意外と純情な一面に困り果てていた。

 

 

(まあ、あるべき女性の姿だよな。それを変えろ……と言うのは、ちょっと違うか)

 

 

 とはいえ、これは淑女としてあるべき姿。でも、だからといってこのまま沈黙一個では本日の活動に支障が出る。

 慶次は仕方なしに、箱入り娘に声を掛ける。

 

 

「椿、そろそろ出てこないか? 顔を合わせて話し合おう」

「今日は寒いんだからしょうがないでしょ。それに、このまま話しても問題ない」

 

 

 ん、と窓の外を顎で指す椿。

 そこは昨日の午後から降り続けた雪が、庭を一面の白に変えていた。今も吹雪、と言っていいほどの降雪が続いている。

 

 

「……アラストール」

「む」

 

 

 決して目を合わせようとしない少女から、ターゲットを保護者(アラストール)に変える。

 

 

「お前からも出るように説得してくれよ。淑女なのはいいが、それも過ぎると箱入りだぞ?」

「箱入りじゃない!」

「悪い、炬燵入りか」

「そういう問題じゃない!!」

 

 

 否定しながら、椿が蜜柑を慶次に向けて投擲する。慶次は顔を逸らして回避する。

 

 

「ふははは! そう何度も同じ手を――がはっ!」

 

 

 と、実は二個同時に投げられており、綺麗に顔面に蜜柑が直撃する。

 鼻を抑えてながら、ちょっとイラッとする慶次。気恥ずかしくて、隠そうと言うのは分かる。だけど、照れ隠しで蜜柑をぶつけるのはないだろう。そもそも、見られたのは慶次だというのに。蜜柑をぶつけられただけなのに、昨日のソフトボールの件に続き、慶次の大人な部分が全部噴き飛んでいく。

 

 

「今日の予定はどうするのかな!」

「!?」

 

 

 慶次は手早く皿洗いを済ませると、エプロン姿のまま首だけの椿の前に立った。目が合うと椿は慌ててぷいっ、とそっぽを向く。真っ赤な耳が慶次の前に来る。

 慶次はすぐさま横移動し、椿の前に立つ。今度は椿が反対方向を向く。また椿が反対を向く。慶次が前に立つ。

 

 

「……っ! ……っ!」

「……! ……!」

 

 

 二人とも黙って真剣に何度も繰り返す。お互い段々意地になっていく。

 

 

「……」

「あっ!」

 

 

 慶次が小癪にもフェイントを入れ出したあたりで、椿が頭もすっぽり炬燵に入る。ほとんど間を置かずに、他の場所から顔を出した。慶次がそちらに回り込もうとすると、再び潜り込み、別の場所から顔を出す。

 それから、何度も目を合わそうと慶次がチャレンジするが、椿が無駄に早くて全然追いつけない。そんな慶次を横目で見て椿が鼻で笑った。やめておけばいいのに。

 慶次の思考が悪ふざけから真剣(マジ)に変わる。ついでに、常識も投げ捨てる。

 

 

(これは言うならば、北風と太陽! なら俺は――!)

 

 

 慶次は室内にあるとある機器の位置を一瞬で確認すると、素早く部屋を回る。

 そしてストーブを、エアコンを、炬燵を、ホットカーペットの温度設定を、

 

 

「太陽になる……!」

 

 

 ――最大にした。

 

 

「あっつ!?」

「うっひゃっひゃっひゃっひゃっ!! あっつ、だってよ!!」

 

 

 堪らず炬燵を飛び出す椿を見て、指を差して大笑いする慶次。当初の目的なんてすっかり忘れている。色々と酷かった。

 

 

「どうだ、参ったかぐへぇっ!?」

「うるさいうるさいうるさい! 予想外な事ばかりして! 変な声が出ちゃったじゃないのよ!!」

「痛い痛い! ごめんなさい参りました!!」

 

 

 調子に乗った慶次を容赦なく椿がボコボコにする。もちろん、手加減はしているが宝具がいい塩梅で効いているので、常人なら気絶するぐらいの勢いであった。

 

 

「この! この! ……あんた、殴るのにちょうどいいわね」

「丁度良くないって! って、ボディはダメ! 傷口が開いちゃう!!」

「……ふぅ……」

 

 

 アラストールのため息にも気づかず、椿は喜々として半泣きの慶次を追い回す。さっきまでぎこちなかった雰囲気は、いつの間にやら吹き飛んでいた。

 

 

 

 

「いてて……」

 

 

 朝からサンドバックにされていた慶次は、傷が開く前にほうほうの体で脱出した。我が家なのに、とも思わなくもないが、正直さっきは調子に乗り過ぎたのでしょうがない。

 椿のご機嫌をどうやってとるか考えていると、

 

 

「おはようございます、慶次さん」

 

 

 雪降り積もる寒空の下、格子門の先に傘を差した美代が待っていた。今日は首元にファーを巻き付けており、彼女のはっきりした目鼻立ちと相まって、いつもに増して大人っぽく見えた。

 

 

「……おはよう、美代」

「どうかなさいましたか、慶次さん?」

 

 

 と思っていると、手には可愛らしいミトンの手袋。子どもらしい可愛らしさが良いギャップになり、不覚にもちょっとドキッとする。

 

 

「あー……その、今日は何と言うか、可愛いな」

「……ありがとうございます」

 

 

 美代が一応、という感じで礼を述べる。照れ隠し……と言う訳ではなく、普通に不服なだけなのであろう。というのも、実は美代は頭脳や運動神経だけではなく、ファッションセンスも天才だったりする。だが同時に、どれもこれも一般人の理解力では追いつけない先進的なファッションであり、普段着としては使えないものばかりだった。

 だからこうして、慶次に褒められる場合は、往々にして美代の母親や友人が選んだものであり、褒められたとしても彼女自身が褒められている気になれないのであった。

 

 

「それで、まだどこか痛みますか?」

 

 

 これ以上、服装に触れるな、という事なのか。美代があからさまに話題を変える。

 

 

「全快だ。今日は健康体そのものだぞ」

「……色々と突っ込みたいところはありますが、とりあえず治って良かったです」

「すまん、心配かけた」

「そう思うのでしたら、早く結果を出して下さい」

 

 

 はい、と美代がファイルを突きつけてくる。どうやら、頼まれた資料を一日足らずでまとめたようだ。しかもご丁寧にも表紙を数学にして、カモフラージュしている。慶次とは違って本当に仕事が丁寧で早い。

 

 

「さんきゅ」

 

 

 慶次は鞄にしまいながら、ちょっと罪悪感が湧いてくる。

 

 

(まとめたって事は、事件の内容を見直したって事だよな……)

 

 

 椿でも最初は辛そうに訊いていた事件だ。メンタル弱めの美代には、かなり苦しかったと思われる。労いの一つでもかけたいところだが、敵がいるかもしれない往来で言う訳にはいかない。それに頭の良い美代の事だ、慶次の忠告を忠実に守るため、辛さをおくびにも出さないのだろう……逆に、そのせいで高い請求が来るかもしれないが、それはそれで致し方ない。

 慶次は心の中で美代に感謝しつつ、傘を差して歩き出す。その半歩後ろを、美代が付いていく。

 路面はほとんど雪に覆い尽くされている。一歩ごとに靴の半分以上が、雪に埋もれる。

 会話は“紅世”関連から、日常へと変わる。

 

 

「またバット背負っているのですか。今日は終業式だけだからいいですけど、フォローするこっちの身にもなって下さい」

「大丈夫大丈夫。あの馬鹿どもなら、どうとでも誤魔化せる。それよりも、今日って終業式だったんだな。すっかり忘れてた」

「忘れてたって。しっかりしてくださいよ、慶次さん」

「まあまあ。つーか、これだけ降ってるんだから、休校にならないの?」

「まだ成績表貰っていませんから、別の日に行かないといけません。冬休みが一日潰れても良いなら、それでもいいのではありませんか?」

「んじゃ、さっさと受け取ってさっさと帰りますか……」

 

 

 バス停で足を止める慶次。美代は足を止めずにそのまま行こうとする。

 

 

「乗らないのか?」

「こんな積雪で正常に動いている訳ないじゃありませんか」

「マジかよ……」

 

 

 確かに、目の前の道路を通る車は、全てがノロノロの徐行運転。というか、ほとんど止まっているのと一緒だ。こんな状態で、バスが正常に運行している訳がない。

 慶次たちのいる旧市街地から学校のある新市街地までバスで十数分。これが徒歩となれば最低数十分かかる。

 

 

「そこまで苦労して、手に入れるのは?」

「成績表」

「俺たち三年生に意味あるのかよ?」

「先生たちの仕事が終わります」

「先生も仕事終わらせなきゃいけないのは分かるけど、何か納得できねぇ……」

 

 

 進学志望の慶次にとって、大事なのは来月のセンター試験。成績表が良くても悪くても、そもそも受け取っても受け取らなくても、何の影響もない。

 こんな事なら“紅世”の事もあるし、いっそ休んだ方が良いかも知れない……何て慶次が考えていると、隣の美代が鋭い目つきがみるみる鋭利なモノに変わっていく。

 

 

「出席日数」

「わ、分かってるよ! ずる休みしねーから、そんな目で見るな!」

「本当ですか?」

 

 

 美代が胡散臭いものを見るような目で慶次を伺う。

 実は慶次、今年度の前期はかなり学校を休んでいた。アルバイトに免許取得等々、正当不当諸々の理由があるが、詰まる所それらは全て金策の一つであった。

 正直なところ、慶次が祖父や両親から受け継いだ遺産は少ない。原因は語るのも空しい遺産争いだ。慶次は確かに、この年の子どもとしては神経が図太く、勘も冴える。だが、大人たちの権謀術数を潜り抜けるには、明らかに能力と経験が足りておらず、あの手この手で見知らぬ親戚たちに遺産を食い荒らされていたのだ。

 今年に入って、慶次は大学進学に十分な資産を捻出するために、出席日数を犠牲にして金策を行っていた。美代は度々止めていたが……それが今になって足を引っ張るとは、全く以って美代の慧眼には恐れ入る。

 ともかく、そういう経緯があり、慶次は全く信用されていなかった。まあ、慶次も慶次で信用させる気がないので、すごく適当に答える。

 

 

「ホントホント」

「棒読みやめて下さい。そもそも慶次さんはですね、何でそんなに私の忠告を無視するんですか? 夏の時もそうです。素直に短期アルバイトにしなさいと言っているのに、宅配のアルバイトがしたくて二輪免許取ったって聞いた時は、本気で頭を疑いましたよ」

 

 

 それは受験の現実逃避とストレス発散でやった事なのだが、正直に言ったら、もっとうるさくなりそうなのでやめておく。

 

 

「今回だって、もっと早く相談していただければ、もっとやりようがあったでしょう」

「ああ、やだやだ。うるさいうるさいガミガミおばけが出てきたよ。そんな小さなことをいつまでもネチネチと。乳はデカいのに器は小さい事で」

「だ、誰がガミガミおばけですか! というか、むむむむむ、胸の事は関係ないじゃないですか!? セクハラですよ!! それに、人間小さいのは、慶次さんじゃありませんか!!」

「あー、聞こえない聞こえない。あと、小さくて結構」

「あっ、待って下さい! しっかり聞こえているじゃないですか!」

 

 

 美代の耳の痛い小言が多くなってきたので、慶次は足を速める。美代も慌てて並走して説教を続けるが、慶次は涼しい顔で聞き流す。こんな態度を取りながら、慶次の事が好きだと言うのだから、女とはよく分からない。

 

 

(全く。そういうところが、好意が分かりにくいって言うんだよ……分かり易かったら、めっちゃ困ってたけど)

 

 

 慶次は勝手な事を思いながら、旧市街地から新市街地へと抜ける大通り――堂森市の中心部でもあり最も栄えている――を眺める。

 今は十二月の下旬。建物から樹木、果ては店先のマスコット人形に至るまで、色彩豊かなイルミネーションが輝いていて、街はクリスマス一色であった。

 

 

(もうこんな時期か。全然気づかなかったな)

 

 

 今になって気づいた事に、慶次は嘆息する。受験に資金繰り、さらには“燐子”に椿、と騒動が続いたとはいえ、今になって気づくとは慶次が思っている以上に自分に余裕がなかったのだろう。

 

 

「それで慶次さん、明後日に予定は入ってますか? 受験勉強以外で」

 

 

 そんな事を考えていたせいか、ついつい口を滑らせてしまった。

 

 

「勉強以外? 面倒事解決すりゃ、特に予定はない……っは!」

「それでは、時間を空けておいて下さい。朝から勉強を見て差し上げますね」

 

 

 美代が小さな口を歪めて、まるで獲物を狙い定めるように薄く笑う。密かに右手を強く握り、ミトンが可愛らしく丸くなる。

 本日は二十二日。明後日は二十四日、クリスマスイブ。勉強を見るなど方便だと、さすがの慶次も気づく。

 

 

「今のなしで!」

 

 

 慶次はほとんど反射的に拒否反応を示した。美代の表情から、何となく危険な香りがしたからだ。

 対して美代は、慶次の反応にさっきまでの凶悪そうな顔を引っ込め、困惑気味に突っかかってくる。

 

 

「何ですかそれは!? 予定はないって言ったじゃないですか!? せっかく、ここ数日の遅れを取り戻そうと、善意で申し上げているのに! 浪人したいんですか!? そ、それに、私と一緒にイブの夜を過ごせるんですよ!! 寂しい寂しい独り身の慶次さん、一体何の不満があるのですか!?」

「うっせぇ! 微妙に反論できない事、言うんじゃねぇ!」

 

 

 美代が危険なワードを織り交ぜながら、チクチクと耳の痛い事を言う。誘うなら誘うで、もっと甘い言葉を囁いて欲しいものである。

 どうしたものかと思いながら、とりあえず慶次は美代の方を伺う。寒いにもかかわらず上気した頬、潤んだ瞳が慶次を上目遣いに睨む。その表情は怒っている、というよりか艶っぽい。美代を毎日見ている慶次だが、これはちょっとぐらりときた。

 

 

「イブの夜に二人っきり……ね」

「ほ、本当の目的は、ただの勉強会ですからね! 偶々イブに二人っきりになるだけですからね!」

 

 

 そっぽを向いて、言い訳がましく美代が叫ぶ。どうやら、先の表情は無意識だったらしい。もし、意識して使われたりしたらと思うと、末恐ろしい。

 それはともかく、本当にどう答えるべきか。正直なところ、ここ数日の遅れを取り戻したいのは事実だ。誘いは抜きにしても事件が解決次第、勉強は教えてもらいたい。

 でも、今の美代に『イエス』と答えるのはちょっと……いや、かなり怖い。

 普段の慶次はヘタレで、器が小さくて、考え無しの甲斐性無しだ。もし、何かあったとしたら、混乱して何もできない自信がある。受験は……まあ、今まで頑張ってたのだ。これぐらいの遅れ、どうにかなるだろう。

 慶次は強く頷くと、小心なのか図太いのか分からない直感を信じて、首を横に振る。

 

 

「すまん、予定は入ってないけど断るわ」

「あの、その断り方、全く意味が分からないんですけど……!」

 

 

 美代はムッと顔を顰める。と、すぐに気を取り直し、今度は打って変わって慶次の耳元に妖しく囁く。

 

 

「私たちは高校三年生……推薦受かっている私はともかく、他の方も受験勉強に精一杯なんです。私ともあろう者が、冬休みに何も予定が入っていないんです。慶次さんと同じく、イブに独り身なんです」

「…………」

「もし、慶次さんが明後日に予定を空けて下されば、私は一日中慶次さんの勉強を見られます。私もイブの予定が見事に埋まります」

「……」

「慶次さんは勉強を見てもらって幸せ。私は予定が埋まって幸せ。二人とも幸せなんです――断る理由なんてどこにもありませんよ?」

「――っ!」

 

 

 なるほど! と思ってしまう慶次。何だか本当にそんな気がしてきた。というか、いつもより美代がしつこいので、面倒になってきた。

 もうこのまま承諾してしまおうかと思っていると、

 

 

「マサくーん! 明後日はクリスマスイブだね!」

「成実、予定はもちろん空けているよな?」

「もう何言ってるの! マサくんとデートする予定で埋まっているよ!」

「あっ! そうだったな! 悪い悪い!!」

 

 

 市中心部を抜け、真新しい建物ばかりの新市街地に差し掛かったところで、傍から見れば連れ去られる小学生と怪しい男にしか見えない凸凹コンビを、慶次と美代は視界の端に捉える。成実と正守だった。どうやら、昨日の体育の後、無事に結ばれたらしい。ご丁寧に相合傘までして、バカップルを見せつけてきている。

 

 

「あいつら、付き合う事になったみたいだな」

「……好きな人と想いが通じ合って、良かったですね」

「…………」

「どうして目を合わさないんですか?」

 

 

 美代が二人を祝福しながら、ジロリと慶次を睨みつけてきて、堪らず目を逸らす。自業自得とはいえ、すごく居心地が悪い。

 学校までもう少し。慶次がこのまま一気に走って行こうと思った所で、

 

 

「へぶっ!?」

「マサくーーーんっ!!」

 

 

 目の前のバカップルが比喩なしで襲われていた。

 

 

「はっはっはっ!! 失せろ失せろ失せろ!!」

「くっ……! 成実、ここは俺に任せて先に痛い痛い痛い!? やめてくれぇっ!!」

「そんな!! マサくんを置いては、あべっ!? もうやめてよぉっ!!」

 

 

 馬鹿みたいな高笑いを上げながら、黒縁メガネの女生徒がおろおろしている少女を二人引き連れて、雪玉の全力投球でバカップルを駆逐していた。というか、奥村福子だった。

 

 

「福子さんは一体何を……!?」

「大方、今年も増殖したカップルの駆除でもしているんだろ。独り身の女の嫉妬は恐ろしいぜ」

「そ、そうなんですか……」

 

 

 美代がちょっと頬を引き攣らせて呟く。

 慶次も福子がよく『爆ぜろ!』とか叫んだり、カップル見ただけで鳥肌立てたりしていたのは知っているが、まさか本当に通り魔になるとは思っていなかった。福子の心の闇は想像以上に深かったようである。

 

 

「せ、先輩……!」

「これでもう十人目ッスよ……! もうやめましょうよ……!」

「天誅よ、天誅! つまり、正義なんだがら、あんたらももっと堂々と投げなさいよ!!」

「ひぃっ……!」

「もうやだぁっ……!」

 

 

 どうやら後輩らしい女生徒二人に、福子が無理やり雪玉を握らせる。昨日の慶次と美代を慮っていた姿はない。完全に暗黒面に堕ちていた。

 と、成実と正守の駆除をそこそこで切り上げた福子は、目敏く慶次と美代を見つける。

 福子はニヤッ、と女の子がしちゃいけない形に顔を歪めた。

 

 

「げっ! 見つかっちまった。逃げるか、それとも迎撃するか!?」

「それは、福子さんが来ると言う事ですか!? つ、つまり、私たちがそのカカカカカ、カップルに見えて――!!」

「そんな事、言ってる場合か!?」

 

 

 美代の心の琴線に触れたのか、何やら呟きながら顔を真っ赤にして硬直した。もちろん、そうしている間にも、福子は迫ってきている。

 

 

「ほら! とっとと逃げるぞ!」

「そ、それにしても、い、いやですね、私と慶次さんを、その、勘違いなさるなんて、私と慶次さんは、まだまだそんな――」

 

 

 トリップした美代を促しながら、学校へ向けて逃げ出そうとするが、なぜか福子の足が止まった。慶次たちも合わせて止まる。

 福子は美代を一瞥すると、

 

 

「……同類か」

「!?」

「あんたも、後で参加しなさいよ」

 

 

 福子は美代の肩を優しく叩くと、ちょっと嬉しそうに笑いながら、後輩二人は頭を下げながら、慶次たちの脇を通り抜けていった。

 美代が無表情で硬直する。

 

 

「そ、その美代さん?」

「…………」

 

 

 慶次はショックで固まっている美代からジリジリと距離を離す。散々、美代の好意から逃げ続けたのは慶次だ。福子に同類項扱いされた原因が慰めても、傷口に潮を塗りこむのと同意だ。

 

 

「明後日、予定空けてますから……その、元気を出して下さいね?」

「…………」

 

 

 美代が可哀想なので、慶次はそれだけでも告げると、すぐにその場を逃げ出した。なぜか知らないが朝から災難続きだ。これ以上留まったら、何が起きるか予想もできない。

 降り積もったばかりの柔らかい雪を踏みしめながら、一人で学校へ続く坂道を歩く。

 

 

(どうしてこういう時に限って、色々起きるんだろうね)

 

 

 思い出すのは、朝から続いた他愛もないやり取り……そして、六年前の事件と“紅世”だ。

 

 

(あー……一人になると、どうしても思い出しちゃうな)

 

 

 少し長く白い息を吐いてから、遠くを眺める。喧噪の市中心部、閑散とした旧市街地。新市街地は丘陵にあるため、雪が降り注ぐ堂森市が朧気ながらも見渡せた。

 慶次は歩く速度を緩めて、堂森市を見下ろす。

 日常と異常。最初は“徒”や六年前の事件の一端に触れてしまい動揺していたが、今ではすっかり落ち着いていた。

 

 

(俺にとっては、どれも失うものだから……なのかな)

 

 

 三か月も経たないうちに、慶次は卒業し……この街から離れる。何気ない日常も、恐ろしい非日常からも、遠い遠い場所に行ってしまう。

 楽しい事も、辛い事もあった堂森市。慶次はこの街は嫌いじゃなかった。だが家族、そして遺産さえも失いかけている慶次にとって、堂森市は住みづらかった。だから、高校卒業を機に離れる事を決めていた。

 

 

(もうすぐ終わるから、落ち着いていられるんだろうか)

 

 

 もし、変えたくない日常があったら、取り乱していただろう。これからも、この街に住むならば“紅世”が許せなかっただろう。でも、慶次には終わりが見ている日常だった。

 すぐに堂森市を離れる慶次には、この街を意地でも守る理由はなかった。今の平穏も一時のものだと察していたから、“燐子”に殺されかけた時も、淡々と事実を受け入られたのかもしれない。

 だけど、それでも踏ん張っている。終わりが見えているのに、逃げ出さずに頑張っている……否、見えているからこそ、よりよい終わりを迎えたいのかもしれない。終着点を、ゴールを知っているからこそ、迷いながらも真っ直ぐ進めているのかもしれない。

 

 

(何とも後ろ向きな理由でして……まあ、どんな理由でも、最後までやりきるだけか)

 

 

 そんな自己分析をしている間に、慶次は校門前に辿りつく。だが、ここを潜り抜けず、堂森市を見下ろす。何名かの生徒が慶次を不思議そうに目を見遣り、そして通り抜けていく。慶次は彼らを気にせず、丘陵から堂森市を眺め続ける。何となく、今だけは堂森市をこの目に焼き付けていたかった。

 

 

 だが、慶次の想いを嘲笑うように、“敵”は現れた。

 

 

 視線を戻し、再び通学路を歩き始めようとした、その矢先。慶次は駅とビルの立ち並ぶ堂森市中心部を薄桜色の陽炎が囲った。最初に慶次を閉じ込めた結界みたいなもの、“封絶”だ。

 

 

「ちっ!」

 

 

 このタイミングで何でだよ、と慶次は悪態をつきながら、校門を通り抜ける。目指すのは校舎裏など人気の少ない場所。椿と合流するためだ。さすがに、学校周辺に人気のない場所は少ないので、校内で合流するしかない。

 慶次は新雪の降り積もった校庭を突っ切り、おそらく人気が少ない代表格のような場所……体育館裏に辿りついた。さすがにこの雪中から朝練をするような猛者もおらず、体育館はシンと静まり返っており、それに合わせるように裏も静かだった。その代わり、という訳ではないが、校庭よりも多くの雪が積もっていた。

 

 

「椿!」

 

 

 慶次の行動を読んでいたのか、そこにはすでに椿が立っていた。どういう訳か、椿の周りに足跡一つもないが、今はそれどころではない。

 慶次は背を向けた椿に問いかける。

 

 

「“徒”が来た……のは分かっていると思うが、これからどうする!?」

「私が、仕留める」

 

 

 冷え切った声が、返ってきた。

 慶次は一瞬、別人かと思った。初対面は確かにこんな声だったかもしれないが、あれから一日経ってそれなりに打ち解けた。今は確かに戦闘前だ。とても明るい声で話せる雰囲気ではない。目に映る小さな体躯や、黒く艶やかな長髪、凛とした声と後姿は椿のそれだが、慶次は違和感を感じずにはいられなかった。

 慶次が動揺している間も、少女は畳み掛けるように告げる。

 

 

「私が封絶に入って、奴を仕留める……それで終わり」

「はぁっ!? お前、何言ってんだよ!?」

 

 

 少女の言葉に、慶次は動揺を押し殺して反論する。

 

 

「今回の事件は六年前の事件と繋がってんだろ! そんな壮大な計画が、敵の首領倒したぐらいで終わる訳ねーだろ! それに封絶に入るって……普通に考えれば、あれは罠だ! 行くにしても、もう少し対策を練ってから――」

「今回の事件が六年前と繋がっているのは、そもそも可能性の話。本当に繋がってる確証はない。それに、仮に繋がっていて“封絶”が罠だったとしても、あの場所は堂森市内で人口密度が高い場所の一つ。放っていれば、大量の人が喰われて世界は歪む。それを黙って見ている訳にはいかない」

「…………」

 

 

 残酷までにゆっくりと、丁寧に椿は慶次を突き放す。

 慶次には、これ以上反論できない。その間も、椿は続ける。

 

 

「だから、お前はここに残る。分かった?」

「…………」

「それじゃあ、行ってくる」

「待――」

 

 

 ――ありがとう、おいしかった。

 慶次の耳が壊れていなければ、確かに彼女はそう告げた。

 慶次がまたたきする間に、少女の姿は消える。

 一対の足跡だけが、そこには残っていた。

 

 

 

 

「は、ははは」

 

 

 乾いた笑いが出た。真相の一端を知り、解決へ臨もうと覚悟を決めて一歩を踏み出したその先で……終わったのだ。

 

 

「は、はーっはっはっは!!」

 

 

 慶次は大いに笑った。弾けんばかりに笑った。

 柄にもなくキメたと思ったら、全てがするりと抜けおちていく。何と滑稽であろうか――慶次も、“椿”も。

 慶次は椿が最後まで……六年前の真相が分かるまで協力してくれると、勝手に思っていた。だが、そうではない。彼女は今の事件さえ、“紅世”とこの世のバランスさえ守れれば、それでいいのだ。

 慶次は少女の事を分かったつもりだけでいた。そして、それは椿も、である。

 

 

「全くよ……よくも、やってくれたな」

 

 

 慶次はふてぶてしく笑うと、走り始める。もちろん、封絶のある市中心部に向けて。

 

 

「こんな中途半端にされて、逃げられると思うなよ!!」

 

 

 燐子? 紅世の徒? 命の危険? 関係ない。過去を掻きまわすだけ掻きまわして、こんな気持ちの悪い状態で放っておかれて、さよなら。そんなの納得できるわけがない。

 所詮、慶次は図太くても小心者で甲斐性無しの考え無しの、器の小さい男。椿がそんな身勝手をするなら、慶次だって身勝手で応えるだけだ。

 だけど、そんな騒いでいたら誰かに見つかる訳で。

 

 

「慶次さん、何かありましたか?」

「げぇっ、美代!?」

「って、どこに行こうとしているのですか!! ちゃんと出席するって約束したばかりなのに!!」

 

 

 慶次はよりにもよって、完全復活した美代に見つかってしまった。だけど、椿を今ここで逃がせば二度と会う事はない。慶次は足を止めることなく、校門へと向かった。

 ――当然だが、それが美代の逆鱗に触れる事となる。

 美代は大きく舌打ちをしてから鞄を捨てると、どこからともなく大量の雪玉を取り出して、投擲してきた。

 

 

「こっちは昨日から本気で心配して、忠告までしているのに!! いい加減にしてくださいよ、慶次さん!!」

「痛い痛い痛い!! 慶次さんのお尻壊れちゃう!! というか、その大量の雪玉……まさか奥村と一緒に――!?」

「い、いいから早く止まりなさい!!」

 

 

 次々全力投球する雪玉は、なぜか全弾慶次の臀部に命中した。ケツばかり狙うなんて、お仕置きされているみたいで地味に精神ダメージも通る。だけど、若干『宝具』で強化されている慶次には肉体的なダメージは薄く、止めるには至らない。

 そうして、ぐんぐん美代を引き離し、ちょうど校庭のど真ん中辺りに差し掛かった時だ。

 

 

「っ!?」

 

 

 ぞくり、と。

 突如、寒さとは違う悪寒が慶次を襲った。

 

 

「はぁ――ぁっ――!」

 

 

 それはまるで、幾十の、幾百の線が身体を貫くような感覚。腹の底から、怖気が上がってくるような悪寒。寒いはずなのに、汗が止まらない。

 慶次はそれが何を意味するのか知っている。本能が、覚えている。

 

 

「マジ……かよ……」

 

 

 それは四足歩行の生き物。

 犬に近い身体構造だが、その体毛は有り得ないほど長く直毛で、とても寒さを凌ぐためのものとは思えない。口は有り得ない事に、頭と腹に一つずつ付いており、どちらも舌と涎を垂らしながら、二つ呼吸音を重ねていた。

 そして、何よりも目を引くのは、頭も、顔も、足も、腹も、尻尾にさえにも埋め込まれた、幾十、幾百もの眼球である。その眼球には須く瞼は存在せず、真っ赤に腫れあがって、明確な敵意を持って慶次を射抜いていた。

 

 

「“燐子”……!」

 

 

 昨日、慶次を襲った“燐子”が『封絶も張らずに』立っていた。

 混乱する慶次の耳に悲鳴が届くまで、差して時間はかからなかった




遅くなった理由:話を積め込みすぎ

これでも、何個もネタを没にしているから恐ろしい。
次話からは、なるべくテンポよく行きたいと思います。

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