灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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第Ⅸ話 一日終えて

 むかしむかし、山奥に悪い悪い鬼がいました。

 鬼は山の麓の街を訪れるたびに、人を攫いました。

 困った人々は鬼に多額の賞金を懸け、腕に自信のある男たちを集めました。しかし、誰一人として鬼を退治する事はできませんでした。

 このままでは、街が廃れてしまう。

 故郷の街を憂えた一人の少年は、刀一つで鬼に挑みかかりました。

 

 

『お前のような小童に、俺を倒せるか』

 

 

 鬼の云うとおり、少年の刀は傷一つ負わせることができませんでした。

 三日三晩、鬼と戦い続けた少年は、とうとう精根尽き果て、倒れてしまいました。指一本動かせない少年は、それでも諦められず、鬼に噛みついてでも挑みました。

 とうとう怒った鬼は少年の手足を折り、歯を砕き、眼を抉り取りました。

 

 

『もう俺も、ここで終わりなのか』

 

 

 いよいよ動けなくなり諦めかけたその時、少年の前に天の御使いが現れました。

 少年の強き心に打ち震えた天人が、彼の心に応えようと神器を与えたのでした。

 

 

『強き者よ。この“鬼灯の剣”を以って、かの悪鬼を打ち滅ぼせ』

 

 

 御使いの言葉に従い神器を抜いた少年は、みるみる傷を治し一太刀の元、鬼を打ち滅ぼしました。

 鬼の死体からは鬼灯が花が咲き乱れ、これを以って神器は“鬼灯の剣”と呼ばれ、街を守り続けました。

 

 

 

 

 鬼灯の剣。

 今や絵本となった物語だが、前田家が成った切っ掛けとなった事件を元に作られた伝承である。

 初めて読んだときは、何の変哲もない昔話だと思っていたが、“この世の真実”を知ってから読んでみると、全く別の視点が見えてきた。

 鬼とは“紅世の徒”で鬼灯の剣とは『宝具』。

 おそらく、江戸時代初期に“紅世の徒”に度々襲われていた旧堂森市に、宝具を持った人間が現れ、徒を討滅した。“鬼灯の剣”が宝具であるならば、それ以外考えられない。

 

 

「でも、“鬼灯の剣”は刀……このバットとは違うよな、椿?」

 

 

 自身の背負った(バット)と絵本の“鬼灯の剣”は似ても似つかない。

 珍しく美代の予想が外れたのか、と思い絵本を閉じながら椿に問うてみるが、返事が返ってこない。

 書斎の机を見れば、椿は突っ伏したまま瞼を閉じていた。どうやら、夢の世界へと飛び立っているようだ。時計はすでに深夜の三時を過ぎている。二夜続けての徹夜はフレイムヘイズでもきついのか、はたまた、椿だからなのか。

 少女の肩の力が抜け切った姿に、慶次は思わず微笑みを一つ零す。

 最初、椿と話した時はどうなるかと思ったが、今の彼女の姿を見るに信頼関係は築けたのだろう。ご飯を作ってあげたり、ご機嫌取りにお菓子をあげたり謝り倒したり……何だか小間使いとか餌付けしかしてないような気がするが、そこは結果オーライである。

 それよりも、今は“鬼灯の剣”に関してだが、彼女の安心しきった寝顔を見て、完全に訊く気が失せた。まあ、急ぎの用、という訳でもない。

 起きてからでいいだろう、と慶次は判断すると、椿の小さな体躯に毛布を一つ掛けてから、夜食のせんべいを齧りながら本棚の前に立ち調査に戻った。

 いつの間に外したのか、机の上の神器“コキュートス”から、労わるような声がかかる。

 

 

「その子は徹夜に慣れておらぬでな。手間をかける」

「いいさ、これぐらい。手間のうちに入らないって」

「して、まだ続けるのか?」

「まあ、足を引っ張ってばかりだから、これぐらいは頑張らないと。つーか、今働かないと、働ける場所がない」

「……少し休め。今、貴様に倒れられると、我もこの子も困る」

 

 

 アラストールの意外な言葉に、慶次は思わず振り向く。

 

 

「おいおい、どうしちゃったんだよ。あれだけ変態扱いして、急にそんな事言っちゃって。俺、調子に乗っちまうよ?」

「客観的な事実だ……変態である事も含めて、な。それに、倒れられると護衛がしにくい……それだけのことだ」

「はっはっは、照れるな照れるな」

 

 

 おどける笑う慶次に、アラストールは溜め息で返す。今日一日、慶次と接するようにから、アラストールたちの溜め息の回数が増えているのは、気のせいではないだろう。

 再度、慶次は資料と向き合う。資料の内容は父が手掛けた都市計画の練り直しと、新たな産業の振興についてだ。新市街を建ててから、すぐに都市計画の練り直し……事情があったのかもしれないが、なんとも行き当たりばったりである。新たな産業の振興も、介護・医療分野でありこれまた人気取りのような支援策が盛り沢山。

 この年になってようやく、父に政敵が多かったと言うのも納得できる。

 今度は慶次のため息が、決して狭くはない部屋に響く。

 それから数分。たっぷりと間をおいてから、今度は慶次からアラストールに声を掛ける。

 

 

「お前たちって、案外似た者同士だよな」

「どこが似ていると言うのだ?」

「なんつーか、イメージ的にどっちも厳正な裁判官みたいだな。もう有罪なら有罪、無罪なら無罪ってズバズバ言い切っちゃうのに、ついつい面倒を見ちゃうところとか」

「……そうか」

 

 

 慶次は手を止め、アラストールの方を振り返る。

 

 

「どうした?」

「いや……何でもない」

「ふん。変わった男だ」

 

 

 声が、何となくだが、嬉しそうに聞こえたような気がしたが、気のせいだったのだろうか。アラストールの声音は元の厳めしいものに戻っていた。

 

 

「……まあ、この子が甘味以外を食べる、と考えれば、役に立っていない事もない」

「ま、そこはホント、俺が好きでやってるところだから気にしなくていいさ。一人だと、どうしても料理が手抜きになっちゃうからな」

 

 

 独りの食卓。己の食欲を満たすために料理の腕を奮えるほど、慶次は食い意地は張っていない。食卓に一人、しかも美味しそうに食べてくれる人がいるだけで、十二分にお釣りが返ってくる。

 慶次は資料を本棚に戻すと、背伸びをする。割と身体に負担のかかる所作だったが、傷口が痛むような事はなかった。

 ふと、昨日からまともに風呂にも入っていない事を思い出す。傷口も塞がってきたし調査も停滞中。肝心の椿は夢の国の住人。汗を流すには、調度いい頃合いだろう。

 

 

「ちくっと、シャワーでも浴びて来るかな」

「浴室はここから少々離れておったな。念のため、この子を起こせ」

 

 

 アラストールに言われて、椿を見遣る。その顔に何時もの厳しさや鋭さはなく、ただただ穏やかに瞼を閉じている。これを潰せとアラストールは言っている。

 

 

「アラストールが起こせよ」

「……うむ」

 

 

 さすがのアラストールも罪悪感が湧いたのか、唸り声だけ上げてそれきり黙る。椿にはとことん甘い契約者である。

 

 

「どうせ、一緒に浴室には入れないんだ。アラストールが来るだけでいいだろ?」

「……手早く済ませろ」

「分かってる。あまり、椿の手は煩わせないさ」

 

 

 慶次はコキュートスを引っ掴むと、そろりそろりと忍び足で浴室へ向かった。

 

 

 

 

「……ぅ」

 

 

 険の取れた呻き声を上げ、身じろぎ一つをすると、少女は目を覚ました。寝ぼけ眼のまま突っ伏した身体を起こすと、毛布が肩からずり落ちる。

 はて、と可愛らしく小首を傾げる。こんなものを掛けた覚えはない。となれば、己以外の“誰か”となるのだが、その“誰か”は一人しかありえないのだが、

 

 

「――っ!?」

 

 

 瞬間、少女の両目が大きく見開かれ、同時に頬が赤くなる。

 たかだか『人間』に途轍もなくみっともない姿を見られた。ほとんど初対面の相手に見せてしまった己が失態に、気恥ずかしさや情けなさやらで悶絶したくなる。

 幸いと言うべきか、あの男は室内にはいない。いたら、きっと羞恥心が二倍、三倍になって顔もまともに見れなかっただろう。

 今のうちに気を落ち着かせるため、何度も何度も深呼吸をする。

 ようやく、眠気も完全に覚めて冷静な思考ができ始めた頃、少女の頭には疑問が渦巻いていた。

 

 

(どうして、こんな“失敗”をしたの?)

 

 

 過去、強力な宝具を持った『人間』が“紅世の徒”を討滅した例もある。少女が取った“不覚”は、一歩間違えれば己が命が潰える事になるかもしれなかった。二夜続けての徹夜だったとはいえ、これはあってはならない事だった。

 だが、いつもならこんな当たり前の事、出来ていた。出来て当然だった。

 みるみる少女の顔は不機嫌に染まり、口は大きくへの字を描く。出来ていたことが出来なくなる。己の不甲斐無さと怠惰に腹が立つ。

 だが、ちょっと待て、とその感情に一旦ストップをかける。慶次と出会う前は普通に出来ていたのだ。それが、慶次と会ってたったの一日でこの体たらく。慶次に何か原因があると考えるのが自然である。

 今日一日の行動を振り返る。

 燐子討滅後(慶次を救出した、とは言わない)、この世の真実や今後の方針を話し合った。一緒に情報を共有し、事件の調査も行った。それ以外は、慶次に食事の準備やらの身の回りの世話をさせた……のではなく、これは勝手に慶次がやった。別に強制させた訳じゃない。

 他には、揚げ足取ってからかわれたり、蜜柑をぶつけて黙らせたり、本当に下らない事ばかりで。後、あるとしたら、あいつが変態で人をイラつかせるのが得意で、何度も苛々した、という事ぐらいだろうか。

 特に“学校”に言っている間の慶次が、特にイラついた。家にいる時の慶次と、学校に行っている時の慶次に大差がなく、同じように他の人間と接して何かを謝っていた。それは裏表なく少女と接している証拠であったが、同時に他の人間と少女を同等に扱っている事でもあった。

 別に偉ぶりたい訳ではないが、自分が“特別”じゃないと思った途端、ムカムカしたものが胸に広がった。それを何とか抑えつけようとしてもできず、結果慶次にそのままぶつけた。自分でも信じられないような冷たい声が出た。

 だが、彼と会話を重ねていくと、分からない感情は抜けていった。これも、よく分からなかった。

 

 

(本当にあいつと一緒にいると、よく分からない事ばかり……でも、肝が据わってて案外役に立つから困――っ!)

 

 

 そこでふと気づく。たかが人間が、自分の近い所で一緒に“徒”と戦っている事に。自分が慶次といる事を受け入れている事に。

 そう考えると、段々背中がむず痒くなってきた。別に、背中に虫がいる訳ではなく、何と言うか気恥ずかしくてじっとしていられない感じだ。

 何が気恥ずかしいと問われれば、居心地がいいのに居心地が悪いと言うか……とにかく、言葉では表現しにくかった。

 でも、今の慶次のような存在を、少女は幾度となく考えた事があった。自身の世話役として身の回りをし続けてきた女性。少女がフレイムヘイズになる前は、その女性と、白骨の師匠と一緒に世界を回れれば、と夢見ていた。その時、女性がフレイムヘイズだったと知らなかった少女は、身の回りの世話をして一緒に事件を考える……そんな役割を、女性がやってくれればと夢見ていた。

 

 

(……っ!? あいつは変態、あいつは変態――)

 

 

 もし、彼がそれを引き受けてくれたら――とまで考え、少女は呪文を心で唱えながら、頭を左右に大きく振った。そんな“惰弱”な考えが吹き飛ぶように、と。

 

 

(こんなんじゃ、駄目だ)

 

 

 出来ていた事が出来なくなったのに、まだそんな温い事を思う。あってはならない事だ。

 

 

(私はアラストールのフレイムヘイズ。私は『完全なフレイムヘイズ』)

 

 

 緩んでいた手綱を引き締めるように、強く強く心に念じる。『炎髪灼眼の討ち手』たる使命が、“本来あるべき”フレイムヘイズの姿で自分を塗り固めるように。

 再び、瞳に力を漲らせた少女は、一つ心に決める。

 

 

(“紅世の徒”を討滅したら、すぐにここを離れよう)

 

 

 完全なフレイムヘイズであるために。どこまでも気高く、そして冷酷なほどに強く、彼女は決断を下した。

 

 

「あれっ?」

 

 

 そして、何気なしに首元の神器“コキュートス”を弄ぼうとして――ようやく気づく。アラストールがどこにもいない事に。

 意外な事態に若干動揺するが、そもそも神器はフレイムヘイズか紅世の王のどちらかが望めば、フレイムヘイズの手元に現れる。つまり、アラストール同意の元、ここにいないのだ。慌てる必要はない。

 ――と、平静をすぐに取り戻した少女だったが、また斜め上の事態が起きる。

 

 

「ぬわーーっ!!」

「!?」

 

 

 尋常ではない男の叫び声が上がった。例えるなら、とてつもなく大きな火の玉をぶつけられた時のような、断末魔であった。

 

 

(――しまった!)

 

 元々、少女が慶次の傍にいるのは“紅世の徒”が彼を狙っていると判断したからだ。“徒”気配は感じられなかったが、詰まる所、慶次は普通の人間だ。別に“燐子”でなくとも、彼の命は簡単に狩れる。

 少女は己の油断に歯噛みしながらも、すぐさま頭を切り替えて書斎を飛び出る。

 音源は書斎の外、キッチンのさらに奥の方だ。

 

 

「慶次! 大丈――っ!?」

 

 

 慌てて飛び込んだ先で見た光景に――少女は絶句する。

 

 

「傷が微妙に沁みるぅ――っ!?」

「なぜ奇声を上げ――うぬぅっ!?」

 

 

 湿気の多い、靄の掛かった部屋。その靄の先に、お湯をちびちびと腹部に当てていた慶次がいた……全裸で。

 

 

「……」

「……」

 

 

 慶次とアラストールも予想外過ぎる状況に呆然とする。

 その光景に段々と少女の頬に赤みが差してくるが、なぜか目を離さないまま慶次の身体を見つめる。

 

 

「……」

 

 

 起伏の激しい隆々とした筋骨。自身の凹凸の少ない緩やかな曲線とは一線を画した力強さが、はち切れんばかりに主張していた。治療の時はあまり意識しなかったが、すっかり傷の塞がった腹筋も綺麗に六つに割れている。

 すごい――素直にそう思った少女は、そのまま腹部から下の方へ視線を移そうとして――。

 

 

「ぬおぉぅっ!!」

「き、貴様!? やめ――」

 

 

 ようやく再起動した慶次が、目の前の清純な少女の無垢な所作を察し、咄嗟に両手で大事な場所を隠した。少女にトラウマを植え付ける訳にはいかない。

 この際、右手にコキュートスが握られていて、アラストールが慶次の股間に接触してしまう……寸前、討ち手の元に戻れる機能を無駄に駆使し、少女の首に瞬間移動。何とかこちらもトラウマ回避に成功した。

 

 

「こら! いつまで見てんだよ、椿! 早く閉めろよ、ハリーハリーハリーハリー!!」

「うむ! このままでは、幾ら馬鹿とはいえ風邪を引くやもしれぬ! 急ぎ、戸を閉めよ!」

「……っ!? う、うん、分かった!!」

 

 

 慶次とアラストール、二人がかりで説得(というか絶叫)されて、少女もようやく機能不全から立ち直り、扉を勢いよく閉める。

 扉を隔てて三人が、同じように荒く息を吐いた。

 

 

 ――ちなみに、椿は午前中の間ずっと、慶次と目をあわせられなかった。

 

 

 

 

「危惧していた事が起きていたか」

 

 

 闇に塗られた一室。日の光も刺さない深い深い暗闇の中で、真っ白のカッターシャツだけを浮かび上がらせた“何か”が小さく呟いた。

 次いで、闇夜に灰色の瞳が、ぬらりと現れる。視線は壁の一点、さらに言えば画鋲で止められた一枚の写真に注がれていた。

 

 

「前田……やはり、もっと早い段階で殺すべきだったか。否、そもそも関わるべきではなかったな」

 

 

 貼り付けられた写真を睨みつけ、“何か”が苦々しく告げる。そこには、若干の後悔が含まれていた。

 次、再び眼が動き、別の写真に視線を向ける。敵愾心を持っていた先と違い、今度はどこか温かみのある眼差しでその写真を眺める。

 

 

「とはいえ、危機が起きたからこそ『炎髪灼眼の討ち手』と邂逅する機会が得られた」

 

 

 ふっ、と少女の写真の前に人差し指が現れる。と、その先端が何度も何度も少女の頭をなぞる。粘着質があるように、粘っこく、ねっとりと。

 

 

「これも天の采配なのかもしれない」

 

 

 指を動かしながらニカリ。暗闇に白い犬歯が浮かべ、“何か”が笑い、

 

 

「作戦は少々変えるのはしょうがないとして……そろそろ、始めるか」

 

 

 刹那、“何か”が全て闇夜に解けていく。

 

 

「世界を救うために」

 

 

 ――その言葉を深く深く刻みつけるように残して。




サ、サービス回。

書いてて一番楽しかったです、すいません。

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