(仮)第501統合戦闘航空団専属家政婦エミヤシロウ   作:にんにく大明神

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今回も少ないです。


夜間哨戒 1

 

 

 

Sanya V.Litvyak

 

 

 

 遅い昼食を食べた後、どこへ行くでもなくエイラと食堂でぼんやりとしていた時だった。

 

「芳佳ちゃん大変! 31飛行隊の稲垣少尉が負傷で本国送還だって!」

 

 唐突にリネットさんが大きな声をあげた。どうやら配達された朝刊に載っていた記事に目を引くモノがあったらしい。

 31飛行隊、というとあの世界的エースがいる『アフリカ』のことだ。ウィッチならば知らない者はいないと言っても過言は無い部隊だけど――。

 

「あの、リーネちゃん……。怪我をした人がいるのは分かるし、それは本当に大変なことだって分かるんだけど、31飛行隊って?」

 

 正直驚こうにも、まず話が分からないといった顔であいまいに微笑む芳佳ちゃん。

 まあ、それも仕方ないだろうな。お父様が宮藤博士っていうすごい科学者でも、芳佳ちゃん自身は最近まで戦争とは無縁な生活を送っていたのだから。

 

「バカダナー。宮藤はそんなことも知らないのカ?」

 

「……エイラ」

 

「な、なーんてナ。仕方ないよナ。アハハハ」

 

 まったく。エイラにはもう少し大人らしさがあってもいいと思う。

 

 ほどなくしてリネットさんが芳佳ちゃんに、31飛行隊についての説明を始めた。懲りずに横から茶々を入れるエイラに溜め息をつく。

 そんな光景を横目にまた一口紅茶を口に運ぼうとして、カップがもう空になっていることに気が付いた。時計を見れば、時刻はもう午後の三時を回っている。いつまでも紅茶ばかり飲んでいては仕方ないし、これを片付けたら仮眠を取りに行くことにした。

 今日から芳佳ちゃんも交えての夜間哨戒だ。ここは一日の長がある私が何かと彼女を気遣ってあげないと、なんて、柄にもなくやる気になっている自分に驚いた。もしかしたら、芳佳ちゃんの前で少し良い恰好をしようとしているのかもしれない。

 

 カップを流し台に持っていく途中、なんとはなしに窓から中庭を見下ろすと珍しい人たちが集まっていた。シャーリーさんとルッキーニちゃん、ミーナ中佐にエミヤさん。それぞれの組み合わせはそれほど珍しくないのだが、訓練以外でルッキーニちゃんがミーナ中佐といるのは珍しい。なにやら本を手渡したり返してもらったりしてるみたいだけど、何をやっているんだろう。

 

「ん、サーニャどうしたんダ?」

 

「ううん。なんでもないわ」

 

 後ろから聞こえてくるエイラの声に首を振り、窓から目を切って台所に入っていく。

 綺麗に片付けられたキッチンでは、芳佳ちゃんとリネットさんが新聞を前に話をしていた。既に31飛行隊の話は終えて、何かの英雄の話をしているみたいだ。

 邪魔をするのは気が引けたけど、今を逃せば言う機会はなさそうなので仮眠を取るように言っておくことにした。

 

「……あの、ちょっといい?」

 

「あ、ああ。ごめんなさいサーニャちゃん。今日の話を芳佳ちゃんとしないといけないんだよね」

 

 リネットさんはこちらの顔を一目見て用事を理解したらしい。私もこれくらい人に気が遣えればいいのにと少し羨ましくなってしまう。

 

「すぐにじゃなくていいんだけど、夜間哨戒の前に仮眠をとっておいた方がいいよ」

 

「あ、そっか! 夜だから眠くなっちゃうもんね!」

 

 当たり前のことなのに大仰に驚いた芳佳ちゃんに、自然と口元が緩む。

 その反応を見て一つ提案をしてみることにした。エイラがなんて言うか分からないけど、きっと喜んでくれるだろう。

 

「それで、あの。……仮眠をとる時良かったら私の部屋に――」

 

「うん! 私もすぐに行くねサーニャちゃん!」

 

「うん」

 

 待ってるね、という言葉を口の中で呟く。

 不思議と夜が楽しみになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「なんだかお昼から寝ちゃうのって新鮮ですねー」

 

「何言ってるんダ宮藤。お前はこれからしばらくこの生活なんダゾ」

 

 暗闇の中にどこか明るい会話が響く。声の主は言うまでも無くエイラと芳佳ちゃんだ。

 今、私達は今夜の哨戒に向けて仮眠を取るために、私の部屋に集まっていた。

 私がいつも夜間哨戒明けに使うため、部屋には暗幕が備え付けてある。ミーナ中佐の特注品らしく、完全に閉めきってしまうと一切の光源が絶たれてしまう。普段は私一人、たまにエイラが夜間哨戒に参加してくれるときはエイラと私の二人でこの部屋を使うのだが、そこに基本的に会話は無い。二人の時でもぼんやりと時間を過ごして、たまに寝て、といった感じで静かなものなのだ。個人的にその静寂はなんとも居心地が良いのだが、芳佳ちゃんはどうやら昼間から暗くすることが慣れないみたいだ。

 だけど、こんな空気も嫌じゃない。

 

「ごめんなさい。……芳佳ちゃんはこういうの嫌?」

 

「う、ううん!  ちょっとびっくりしちゃっただけ。

 この雰囲気もなんだかお泊りみたいで楽しいよ」

 

「そう、良かった」

 

 慌ててフォローを入れてくる芳佳ちゃん。どうやら本当に嫌がっているのではないようだ。

 良かった。

 

「それにしても、いっつもこうなのサーニャちゃん?」

 

 こう、とはどういうことだろう?

 

「あの、ほら。今は私達三人で楽しいけど、普段は一人でこの暗いところにいるんだよね?

 私だったら怖くて出来ないよ」

 

 暗くて表情はよく見えないが、声のトーンから芳佳ちゃんが本当に心配してくれていることが伝わってくる。

 だけど、実はそれは検討違いの心配だ。

 ずっと一人っ子で育ったからだろうか。自分で言うのもなんだけど、私はどうやら一人でいることが好きらしい。それは別に他の人と、たとえばエイラとか芳佳ちゃんとかと一緒にいるのが嫌だ、というわけではない。ただ純粋に、一人でいても全く苦ではないのだ。

 小さい頃から、お父様は演奏会などで各地を転々としていて滅多に帰ってこなかったし、屋敷には普段お母様と私、そして数人の使用人の方達しかいなかった。敷地面積に対して圧倒的に人が少なかった生家で、私はもっぱら一人遊びに時間を費やすしか無かったのだ。

 小さい頃にお父様が作ってくれた歌を口ずさみ、楽器と戯れる。空想の世界に羽を伸ばして、目をつぶる。そんな毎日は、私の人見知りと恥ずかしがりという性格を形成するのに大きく役立ってしまった。

 ペリーヌさんには、いるのかいないのか分からなくて幽霊みたいだ、なんてことも言われた。

 まったく情けないことにその通りだと私も思うのだが、同時に、こんな私に仲良くしてくれるエイラ達には本当に感謝しないといけないなとも思う私だった。

 

「サーニャには私がいるかんナ。そんな寂しい思いはさせないゾ」

 

「さすがですねーエイラさん。サーニャちゃんとエイラさんて、本当に仲良しで羨ましいです!」

 

「おっ、宮藤いいこと言うじゃないカ。お前もようやく分かってきたみたいダナ」

 

 エイラが芳佳ちゃんの脇腹をくすぐっているのが暗闇の中ぼんやりと見える。二人ののきゃーきゃー笑いあう声に口元が緩んだ。

 

 さて、いい加減寝よう。

 滅多に干さないせいで少し硬い布団に体を横たえる。

 なんとも言えない満足感に包まれながら、私はゆっくり目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後十一時半。どこか油のにおいが漂うハンガーを、いつものように無機質な電灯の明かりが照らし出していた。

 私とエイラ、芳佳ちゃんは、遅い夕食を取ってからここに集合した。

 ハンガーにはいつものようにミーナ中佐が見送りに来てくれていた。他には坂本少佐に、リネットさん。そして驚いたことにバルクホルン大尉までいらっしゃっていた。

 たぶん芳佳ちゃんを心配しての事だろう。

 

「うう、あんまり眠れなかった」

 

「大丈夫? ダメそうだったら――」

 

「あ、ううん大丈夫だよサーニャちゃん」

 

「宮藤が眠ったら私が叩き起こしてやるかンナ」

 

「お、お手柔らかにお願いします。エイラさん…………」

 

 そうやってエイラと芳佳ちゃんは笑いあった。それでも小さくエイラが欠伸を噛み殺しているのを見て、改めて自分がしっかりしないといけないことを確認した。

 

「いいか、宮藤。夜間哨戒とはいえ敵に遭遇することは十分にあり得る。そんな時は、まず落ち着いて基地に連絡するんだ」

 

「はい、バルクホルンさん」

 

「今日の宿直は私だからな。安心しろ、二分で駆けつける」

 

「本当ですか!? やっぱりバルクホルンさんは頼りになるなあ」

 

「と、当然だ!」

 

 ……いくらなんでもそれは無理だと思う。

 芳佳ちゃんの手前大きなことを言うバルクホルンさんを見てみんなが苦笑していた。

 

「なあにが『今日の宿直は私だ』ダヨ。無理やりシャーリーからシフト奪い取ったくせに……」

 

「何か言ったか?」

 

「な、何も言ってないゾ大尉! アハハ!」

 

 大尉にジロリと睨まれて縮こまるエイラ。エイラはそのまま、大尉の眼力から逃れるようにそそくさとその場を離れて装備を整えに行った。

 そろそろ私も用意を始めなければ。

 

「まあそんなに気負うなよ宮藤。何かあったらサーニャを頼ればいい」

 

「はい、坂本さん」

 

「うむ」

 

 これはいよいよ責任重大になってきた。

 背後から聞こえる二人のやり取りに気を引き締める。

 

「芳佳ちゃん!」

 

「何? リーネちゃん」

 

「寝ちゃダメだよ」

 

「う、うん。……頑張る」

 

 ハンガーの隅に設置されている私のストライカーの発射台の前までやって来る。

 普通出撃するとき発射台はハンガーの中央まで移動させられるのだが、私が夜間哨戒に出るときは隅に置いたままにしている。夜遅くと朝早くにいちいち整備兵の方たちに迷惑をかけられないからだ。

 律儀な彼らのことだから、きっと頼めば快く引き受けてくれるだろう。だけどそれは少し申し訳なく感じられてしまって、わざわざ場所を移動しなくていい旨を彼ら伝えたのだった。

 

 ハンガー内にエンジン音が響き渡る。

 どうやらエイラはもうストライカーを履いたらしい。

 私も続いてストライカーを装着する。一瞬の浮遊感のあと、使い魔と一体になる感覚。魔導エンジンの鳴動を感じながら横に用意されたフリーガーハマーを片手で担ぎ上げる。

 ゆっくりと発射台を離れ、入り口で待っているエイラの元へ飛んで行く。

 

「行ってらっしゃい。気を付けてね」

 

「はい」

 

 途中声をかけてくれるミーナ中佐に返事をする。ここだけはいつも通りだ。

 

 

「うへえー。雨降ってるじゃないカ。昼間はあんなに晴れてたのに……」

 

 言われて入り口から外の様子を窺って見ると、外はエイラの言う通り雨だった。嵐、とまではいかないものの結構雨足も強い。

 

「すぐに雲の上に出てしまいましょう、エイラ」

 

「ダナ」

 

 しかめっ面を浮かべたまま頷くエイラ。

 魔導針を起動させて近くの雲の分布を確かめてみると、この周辺の海域はずっと分厚い雲に覆われているようだった。これはもしかしたら数日間は雨かもしれない。

 

「ごめんなさい遅れちゃって! もう準備できました!」

 

 慌ててやって来る芳佳ちゃんに気にしないよう伝える。

 再び外に目をやると、滑走路の誘導灯が暗闇の中にポツポツと浮かんでいるのが見えた。今日は一段と暗い夜だ。

 

「よっし、いい加減行こうサーニャ、宮藤」

 

 パンと手を叩いて空気を切り替えるエイラに小さく頷いて返す。

 

「芳佳ちゃん?」

 

 ふと背後にいる芳佳ちゃんが静かなことに気が付いて声をかける。

 振り返ってみると、気まずそうな笑顔をした芳佳ちゃんが私達に言った。

 

「……あの、手。手を繋いでもらってもいいですか――?」 

 

 

 

 

 

 眼下に雲海を見ながら、夏の夜空をゆっくりと飛ぶ。

 満点の星空の下、耳に入るのはストライカーのエンジン音とプロペラのはばたき。

 基地から離れて五分ほど、繋いでいた手をようやく放して、エイラが呆れたように口を開いた。

 

「まったく、宮藤には困ったもんダナ。暗いのが怖いナンテ……」

 

「だ、だって怖いものは怖いんですよ! お、お化けとか、で、出たらどうするんです!?」

 

「お、お化けなんて怖くないゾ!」

 

 芳佳ちゃんはどうやら夜の暗闇が怖かったらしい。

 後ろに大声で応援してくる大尉や、なぜか高笑いを上げる少佐達を背に、私とエイラと芳佳ちゃんは手を繋いで夜闇に飛び出していった。

 雨を一気にかいくぐって雲の上に出ると、今日は下弦の月が夜空を照らし出していた。

 この季節の満月は本当にきれいだから出来れば芳佳ちゃんの哨戒初日に見せてあげたかったのだけど……、まあそんなに世の中上手く出来ていないということなんだろう。

 

「大丈夫よ芳佳ちゃん。エイラも最初は手を繋ごうってお願いしてきたし」

 

「え? そうなんですか?」

 

「あ、あれはサーニャが不安だと思ってダナ!」

 

 エイラは一歩先に進み、こちらに振り返って弁解を始める。手を大げさに振ってジェスチャーをしているのが少しおかしくて笑ってしまう。

 

「だ、大体お化けなんて大して怖いもんじゃないしナ!」

 

「え~? 怖いですよ~」

 

「ほら、この前サーニャが買ってくれたスオムスの本。アレに出てきたお化けだって――」

 

 急に話を振られた。たぶんエイラが言っているのは、この間のオフに私が街で買ったあの本だ。

 

「『小さなトロールと大きな洪水』のこと?」

 

「そう! 怖くないダロ?」

 

 したり顔でこっちを見てくるエイラに溜め息をつく。

 

「エイラ……。ムーミンをお化けって言わないで頂戴」

 

「ご、ごごごごめんサーニャ。別にそんなつもりで――」

 

 まったく。ヤンソン先生に謝ってほしい。

 

 ――――ただ、これは後日知ったことだけど、ムーミンはもともと筆者が小さい頃に描いた化け物を原型としているらしい。何てことだ。

 

 

 

「ふわぁあ……」

 

 もう一時間ほど飛んだかという頃だった。

 会話もひとまず終わって、今はただみんなでぼんやりと飛んでいたのだが、芳佳ちゃんが耐え切れないといったように口に手を当てて大きな欠伸をした。それを見咎めて注意しようとするエイラも、実はさっき小さく欠伸をしている。

 まあそれも仕方ないだろう。昼間あれだけはしゃいでいたのだから疲れて当然。

 かといってココで仮眠をとりましょうか、なんてことはもちろん出来るはずもない。

 少し迷ってから、いつものアレをすることに決めた。

 

「芳佳ちゃん」

 

「ふわぁ――な、何!? サーニャちゃん! 私まだ寝てないよ!」

 

 わたわたと腕を振る芳佳ちゃん。どうやらちょっと危ないところだったみたいだ。

 

「あのね、ちょっとインカムをオンにしてみてて」

 

「え? うんいいけど……」

 

 耳を押さえる芳佳ちゃんを見て頷いて見せてから、私は魔導針を使ってある周波数の電波を捉えようとする。

 私が何をしようとしているか悟ったエイラがあわてて声をあげた。

 

「さ、サーニャ。それは二人だけの秘密だって――」

 

「ごめんなさいエイラ。でも、特別に、ね?」

 

「うぅ、いいけどサ……」

 

 少し不満そうにしながらも了承してくれたようだった。それを見ても何のことか分からない芳佳ちゃんは怪訝そうな顔で首を傾げる。

 説明をしてあげても良いのだけど、やっぱりここは実際に聞いて驚いてもらおうと思って黙っていることにした。

 

 数秒後。インカムから少し不快なザリザリとした電子音が聞こえ始める。

 

「……これって?」

 

「フン、宮藤のくせに。サーニャに感謝するんダゾ」

 

 合間合間に人の声と軽快な音楽が混じる。それはしばらく続いて、ようやく一つの放送として聞き取れるようになった。

 

「これ、ラジオだよね? どうやって……」

 

「サーニャのレーダーで地上の電波を捉えたんダヨ。ちぇー、折角二人だけの秘密だったのにナー」

 

 インカムの向こうでは陽気な歌が聞こえてくる。

 この芸当が出来ることには大分前から気が付いていた。本当は今も作戦中というくくりなのでこういうのはあまり良くないんだけど、それでもやっぱり退屈なのはどうしようもない。結果として今まではエイラと二人だけの秘密、ということにしてきたのだが……。

 実はエイラには申し訳ないけど、もう一人知っている人はいるのだ。それはもちろん、今日も今日とて魔導針に遥か後方で引っかかるあの人だ。とても視認できないような距離なのにしっかりとペースを合わせて来るのには毎度驚かされる。

 二人に気付かれないよう彼にもインカム越しに音を飛ばす。もしかしたら迷惑に思われているかもしれないが、それでもこれは私の寂しい夜間哨戒をいつも見守ってくれていることに対するせめてものお礼のつもりだった。

 それでもいつか、本当に面と向かってお礼を言えるようにならなければとも思っていた。

 

「うわああすっごーーい。すごいよサーニャちゃん!」

 

「ダロ~?」

 

「なんでエイラさんが胸を張るんですか?」

 

「こ、コイツぅ……!」

 

 良かった。

 二人ともまた元気が出てきたみたいだ。

 

 空を見上げながらリベリオンのジャズに耳を傾ける。

 こんな、平和な日がいつまでも続けばいいのにとふと思った。

 

 ……そういえば、もうずいぶんとお父様達に会っていないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 みんなで夜間哨戒をするようになって一週間ほど経った。

 幸いというかなんというか、その間ネウロイが姿を現すことは無かった。芳佳ちゃんも大分夜間飛行に慣れてきたみたいだし、不安の要素はかなり減ってきていると言える。

 話は変わるが、彼はあいかわらずだ。敵が出ない限りは向こうからコンタクトを取ろうとしないのもいつも通り。後方七キロの距離を保ったまま着いて来るのも変わっていない。芳佳ちゃんとエイラは気付いていないとは思うが、きっと知ったらひどく驚くだろう。

 

 そんな彼はといえば、今はどうやらアフタヌーンティーの用意をしているらしい。

 現在午後二時半。

 夜間哨戒組の私達が少しでも栄養を摂取しようと食堂に向かったところ、501のみんなが揃っていた。なんでもリネットさんの実家から送られてきたブルーベリーを分けてくれるというのだ。甘い匂いに誘われてアイランドキッチンを覗き込むと、熱気の中エミヤさんとリネットさんが忙しく動き回っていた。

 

「ブルーベリーは目に良いって聞くから、少しでも芳佳ちゃん達の役に立てるかなって思って……」

 

「しかしこんなにたくさん、良いんですか?」

 

「大丈夫です中佐。毎年家だけじゃ消費しきれなくって、ご近所さんにも配って回るんですけどそれでも余っちゃうんです」

 

 紅茶をテーブルに置いていくリネットさんと中佐がテーブルの隅に山と積まれた生のブルーベリーを眺めながら言葉を交わす。どうやら調理用だけでさらに余るので、生で食べてもいいように用意されているらしい。現にルッキーニちゃんとハルトマン中尉などは口の周りを紫に染め上げてしまっていた。

 テーブルの端を見やると、坂本少佐が何か考えるように手元のブルーベリーが入ったボウルをかき混ぜている。何か非常に良くない予感が。

 

「……目に良い? 目に、目に……。あ、そうだ宮藤! ちょっと来い!」

 

「ほえ? 何ですか坂本さん」

 

「いいから――」

 

 芳佳ちゃんは配膳をする手を止めて、手招きする坂本少佐の元へ歩いて行った。なんというか、今の坂本少佐の雰囲気は稀に彼女がろくでもないことをするときのソレに似ているような――。

 

「待たせたな。軽くつまめるようなものを、と思ったのだがあまりにも量が多くてな。腐らせるのは勿体ないので、保存の効くジャムを作っていた。

 糖分を控えたものとそうでないもの二種類用意したから、ジャムティーにでもしてくれ」

 

 そうしてエミヤさんが運んできたのは、とうてい軽くつまめるようなものでは無かった。

 タルトにスフレ、ガレットにマフィン。ジュースみたいなものもある。加えて今は、鍋からジャムらしきものをさらに取り分けていた。

 

「うおお……。随分本気だしたなぁ、エミヤ」

 

「シロー、どれおいしいー?」

 

 感心を通り越して少し呆れた様子を見せるシャーリーさん。その横で、珍しく椅子の上で大人しくなっていたルッキーニちゃんがエミヤさんのエプロンを引っ張りながら尋ねた。

 そういえばココでエミヤさんのことを名前で呼ぶのはルッキーニちゃんだけだな、なんてふと思った。

 

「ふむ、このスフレだな。我ながら会心の焼き上がりだと自負している」

 

 エミヤさんが指差したスフレにルッキーニちゃんが手を伸ばそうとすると、それより先にハルトマン中尉が盆からかすめ取る。なんて抜け目ない。

 そして中尉のその行動を皮切りに、一斉にみんなが動き出した。呆けていたら自分の分が無くなってしまうことに気が付いたのだ。

 私も慌てて近くにあったタルトを皿に取り分ける。

 

「……おいしい」

 

 味が良いであろうことは分かっていたのだけど、改めて思い知った。

 熱処理をしてあるはずなのに、生地に丸ごと乗ったブルーベリーからは生の物と遜色がないほどの果汁があふれてくる。甘さは控え目であり、砂糖の甘さよりベリーの酸味が口の中にほんのり広がって……素材の味、という奴だろうか。生地のサクサク感も相まってまったくくどくない。むしろ抜けるような後味がなんとも――。

 

「うめええええ!!」

 

「あ、おいそれ私のダゾ中尉!」

 

「ええー? 気のせいじゃない? よっと、これもーらい」

 

「ちゅ、中尉! それは(ワタクシ)の――!

 んもーー、もう少し落ち着いて食事出来ないんですの貴方達は!?」

 

「ペリーヌ、ここは戦場だ。扶桑の軍人曰く、『戦術とは道徳から切り離されたものであり、卑怯もクソも無いのである』。不意打ち闇討ち大いに結構! 油断大敵だペリーヌ!」

 

 そう言って大尉はペリーヌさんがキープしていたマフィンをひょいっと口に運ぶ。メガネをずらして悶絶するペリーヌさんを後目に、バルクホルン大尉はいたって真面目な様子で争奪戦に復帰した。

 なんというか、大尉も大分丸くなったように見える。一時まとっていた刺すような緊張感も程よくほぐされて………いや、もしかしたらこれが彼女の本来の姿なのかもしれない。

 

 にわかに阿鼻と叫喚の渦に巻き込まれた食堂。しかし、ふとテーブルの隅の方で穏やかな空気が漂っていることに気が付いた。

 見れば喧噪など目に入らないかのようなミーナ中佐と、そのわきに立って執事然としてカップに紅茶を注ぐエミヤさん。あそこだけは見事に異界として隔離されているようだ。

 

「あら、ジャムティーも悪くないわね」

 

「だろう? ……どうだ、君くらいの年齢ならルシアンティーなど――」

 

「エ・ミ・ヤさん? 私くらいの年齢って、どういう意味ですか?」

 

 怒気を孕ませた重い声がミーナ中佐の口から洩れる。その口元は笑みの形を作りながらも眉間には深いしわを刻み込んでいる。

 対するエミヤさんは慌てて付け加えた。

 

「あ、ああいや。そういうことでは無くてだな。……そう、君は年相応以上の貫録が、ということであって――」

 

「……もう。大体私はまだ18なんですよ? それをみんなしてまるで三十路を迎えたおばさんか何かみたいに!」

 

「そんなことは無い。それは君に大人としての魅力があるということだ。私としても君のその在り方は好ましい」

 

「へ? あ、えと。ああ、ありがとうございます」

 

 エミヤさんの一言で言い籠ってしまう中佐。見つめてくるエミヤさんからすぐに顔を逸らしていたが、良く見れば頬にはほんのり赤みがさしている。

 なんというか、見てはいけないものを見てしまっている気が――。

 

「やあやあみんな! 待たせたな! 私達も目に良いものを持ってきたぞ! はっはっはっは!」

 

 食堂の入り口から坂本少佐の高笑いが聞こえてきた。

 目に良いものを持ってきた、と言っていたが、少佐がもっているのはどう見てもただの一斗缶。扶桑の漢字で『肝油』という張り紙が貼ってあったらしいその銀の立方体を、私達は永遠に忘れることは無いだろう。

 

「お? なんだ少佐。うまいもんか?」

 

「飲んでみるといい」

 

 そう、この時に気が付くべきだったのだ。

 

「待ってーシャーリー! 私も飲むー!」

 

「お、ルッキーニも飲むか?」

 

 今思えば感覚が麻痺していたんだと思う。

 それなり以上においしい芳佳ちゃん達の料理。そしてプロといっても通用するエミヤさんのデザートに慣れてしまったせいか、私達は口に入れられるものが全て美味なものであるなんて、そんな勘違いをしていたのだ。

 

「ル、ルッキーニー!! 大変だ! ルッキーニが倒れた!」

 

「お、おいハルトマン! 目が、目が虚ろに!?」

 

「ペリーヌさん!! メガネが――!!」

 

 かくして、後に語り継がれる『肝油事件』は始まったのであった。

 

 

 

 

 

 

「……あら、おいしい」

 

 

 

 

 

 

 

 




あまりにも話が長くなり始めたので章にすることにしました。

どうぞお付き合いをば。

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