(仮)第501統合戦闘航空団専属家政婦エミヤシロウ 作:にんにく大明神
Sanya V.Litvyak
肝油は二度と口にしないことを誓って、フラフラになりながらも何とかその日の夜間哨戒を乗り切った、そんな波乱万丈な一日の、その次の日。
エイラ、芳佳ちゃん、そして私は、もはや習慣になりつつある仮眠の時間を私の部屋で迎えていた。
「む、塔の正位置カ。ドンマイ宮藤」
「え、ええー!? それどういうことですかー!!」
「聞かない方がお前の為だってコト」
気楽な様子で芳佳ちゃんの肩をポンポン叩くエイラ。どうやらあまり良くない結果が出たようだ。対する芳佳ちゃんは教えてもらおうと必死に食い下がっている。
自分から占ってやると言ったのだから結果を教えてあげないのは正直どうかとも思うが、聞くことで悪くとらえてしまう人もいるというし、これもエイラの優しさなのかもしれない。
嫌な予感は嫌な現実を引き寄せるともいうし。
「ちなみに私の占いは当たるって評判なんダ」
「なんですかそれー! 私に良くないことが起きるっていうことですか?」
「うん。突発的な災いとかカナ」
その言葉に顔を青くする芳佳ちゃん。あんまり気にしないようさすがにエイラもフォローを入れている。
しかし本人も言っていたことだけど、エイラの占いは良く当たる。ここまで夜間哨戒は万事順調に進んでいただけに、何か予感めいたものが感じられてしまって少し不安だ。
そう。今、エイラは暇つぶしがてらにタロット占いをしていた。いや、正確には占ってやると宮藤さんに強引に押しかけたのだが……。
「……もう。エイラさんの意地悪。
あ、そうだ。サーニャちゃんもやらない? 占い」
芳佳ちゃんの顔がこちらを向いたのがぼんやり見える。表情は暗くてよく見えないが、きっといつものような明るい顔をしているんだろう。
「おっ、サーニャもやるカ?」
「……それじゃあお願いするわ」
「ン」
首肯してからタロットの山札をこちらに差し出してくるエイラ。そこに左手を重ねる。
しばらくして私が手を放すと、エイラはカードをベッドの上に広げ始めた。
さっきは一枚しかワンオラクルという簡単な方式でやっていたのに、私の時になって急に手間のかかる方法を取り始めたのはどういうことだ。正直占いとかは信じやすい性質なので、あんまりちゃんとやられて変な結果が出られるのは困るのだけど。
「ムっ」
「どうでしたかエイラさん?」
「ムム」
手際よくタロットを何枚か並べたあと、エイラは躊躇することなくカードをめくり上げていった。……のだけど、何やら反応が悪い。
もしかしたら良くない結果が――。
「ムゥ。悪くはナイ。いや、むしろかなりいいんだけど……」
奥歯が虫歯になった時のような唸り声をあげ続けるエイラ。
「良いならいいじゃないですか」
「うぅ……、でもナァ……」
「タロットはね、芳佳ちゃん。出たカードの意味以上に、引いたカードを見たときに感じる印象を大事にするの。……だったよねエイラ?」
そう、タロット占い師の腕とは、その予感めいた直感の鋭さやそのことに対する判断力がモノを言うのだ。エイラの占いの腕が優れているというのは、当然そのことも踏まえた評価である。
カードがいいのにエイラが難しい顔をしているのは、つまりは嫌な予感がするということ。イコール結果は良くなかったと言える。
「イヤ、嫌な予感がする訳では無いんダ。ただ何か面白くない気がするというか、なんというか。……いやいやそんなワケ無い! 私がサーニャの幸せを喜べ無いなんてことはありえナイ――! きっと私の腕がまだまだポンコツだから……」
髪をわしわし掻き毟ってベッドでバタバタ足を振るエイラ。
何というか無駄な心配を与えてしまったみたいだ。こんなことなら誘いを断っておけばよかったかもしれない。
「じゃ、じゃあとりあえずカードの内容はどうだったんですか?」
見かねた芳佳ちゃんがエイラに声をかけた。聞かれたエイラはしばらく枕に顔をうずめたままだったが、唐突に顔をばっとあげて説明を始めた。
「ムゥ、……さっきも出たカードは良いって言っタロ? だけどまずその前に、すごい珍しい出方もしてるんダナ。
……ほら、半分大アルカナで、しかも小アルカナもカップが多い」
「はぁ……? それはすごいですね……?」
あいまいに頷く芳佳ちゃんを横目にエイラは説明を続ける。
「いや、まあそれは大した意味も無いんだけどナ。珍しいだけでありえないわけでもないし。
で、ダ。今回はコンシクエンシーズスプレッドって方式でやったんだけど、これは漠然とした運命とかそんなモノを占う時にちょうどいいんダ。この六角形の中で場所によって過去現在未来を表してる」
「ほえー? これがですか?」
「あ、コラッ。触るな宮藤! 場所が分かんなくなっちゃったらどうするんダ」
中心の月が描かれたカードに手を伸ばそうとした芳佳ちゃんの手をパシっと叩くエイラ。慌てて手を引っ込める芳佳ちゃんを見届けてから、エイラは六角形の上半分を指差して説明を再開する。
「ここら辺は過去。これが未来。真ん中は現在ダナ。現在に『月』があるのが気になるケド、まあ大方問題は無い」
「『月』ってどんな意味なんですか?」
「不安とか孤独、無力感ダナ」
ドキリと心臓が跳ね上がるのを感じた。
……別に今のエイラの言葉に特別思い当たる節があった訳では無い。だって今の自分は恵まれているのだ。エイラに芳佳ちゃんはもちろん、501のみんな、そしてあの人も。到底孤独などというモノは感じる余地が無い。
ただ、漠然とした心の奥底にある何かが……
「いや、でもこのカードはそんなに悪いモノじゃない。何より悪いイメージが感じられなかったしナ」
ここが暗くてよかったと胸を撫でおろす。自分が今少しみっともない顔をしている気がする。
「問題はこいつらなんだよナー」
そう言ってエイラが指差したのは六角形の下の方。星や女の人が書いてあったりするカード達。
「最終結果に『
再びじたばたし始めたエイラは、また枕に顔をうずめてしまう。どうやらもう説明する気は無いようだ。なんとも居心地の悪い感じ。
エイラ的に言えば、不幸というわけではないがエイラには面白くない。そういうことらしいのだけど……。
そういえば、以前エイラに少しタロットを教えてもらったことがある。
どうにもカードの意味を覚えられなくて諦めたのだけど――エイラに言わせればカードの意味なんて二の次らしいが、私にはそうは思えなかったのだ――その時に教えてもらったカードの意味を少し覚えていた。
『
自分の記憶力に少々うんざりしてしまう。確か中心にいる女王が手にしているのは
それきりエイラがタロットの説明をすることは無かった。そして気付かないうちに私達も眠りについていた。
深い微睡の中。
何か心の温まる、そしてどこか痛みのある夢を見たような気がする。
そう。
こんな、ある意味象徴的なことがあった夜のことだった。
▼
何やら嫌な空気だ。
ハンガーから覗き込んだ外は、相も変わらない雨模様。叩きつけるような雨粒で空気が白くかすんで見える。
暑さと湿気でどこか息苦しいような気がする。それに加えてお腹の底がざわざわするような漠然とした悪寒。ただの気のせいならば良いのだが……。
むせるような雨土のにおいから顔を背けハンガー内を見やれば、既に日常の光景と化したバルクホルン大尉が、今日も今日とて芳佳ちゃんに注意事項を伝えている。この一週間毎日宿直に入っているみたいだけど、ちゃんと眠っているのだろうかと心配になってしまう。昼も訓練に出ているみたいだし本当に体力の塊みたいな人だ。…………うん。殴られたら私はきっと死んでしまうだろう。
午後十時ちょうど。
いつもより少し早いのは、そんなバルクホルンさんの体調を心配して、早く出て早く終わろうという魂胆からだった。余計なお世話かもしれないが、宿直に入っていただ帰るというのは私もまた助けられているのと同義なのだ。これで大尉に倒れられでもしたらとてもハルトマン中尉達に顔向けできない。
「まったく、大尉にも困ったものダヨ。宮藤病は悪化していく一方ダ」
「いいじゃないエイラ。誰かを思うって言うのは素敵なコトだと思うわ」
「うーん。そう言えば確かに聞こえはいいケド……。なんか大尉のは倒錯しているというかなんというカ、そう、ツンツン眼鏡みたいな感じで」
「ふふ、妹のクリスさんに重ね合わせて見ているのかもね」
「ちゅ、中佐!?」
エイラと二人で芳佳ちゃんとバルクホルン大尉の様子を眺めていると、ミーナ中佐が会話に加わってきた。
苦笑するような、それでいて温かい眼差しで大尉達のことを見つめている。一時期大尉が不安定だったころは中佐も本当に心配していたみたいだし、今の微笑ましいやり取りをしている大尉に思うところがあるのだろう。
「それじゃあ行ってきますバルクホルンさん!!」
「ああ、気を付けろ! ……そうだ、サーニャ。ちょっと来い」
何だろう。代わりに私が呼ばれるなんて。
飛んでくる芳佳ちゃんと入れ違いに飛んで行く。
「コレを渡しておいてくれ、とアイツに頼まれてな」
「はぁ…………? これ、本ですよね?」
アイツとはまぎれも無くエミヤさんの事だろう。
大尉から手渡されたのは小さな黒い革のポシェットだった。ジッパーを開けてみれば赤い臙脂色のハードカバーの本が入っていた。
これを持っていけということなのだろうか?
「なんでも、『今日は行けそうにないから、いざとなったらそれを頼ってくれ』だそうだ。全然意味分からないんだが……意味、分かるか?」
「いえ……」
ポシェットをジロジロ見ながら尋ねてくる大尉に首を振って答える。
行けない、というのは十中八九夜間哨戒にということだろうけど、頼る? この本にどう頼れと……。
本の中身は白紙。ただ、表紙に描かれた模様、二つの同心円に短い棒が一本入った図形。それが嫌に目についた。
「サーニャ」
「……はい」
「お前も気を付けるんだぞ」
思わず目を見開いた。
咄嗟に言葉に詰まってしまい、自然と大尉と見つめ合う形になる。
本当は優しい人だということは分かっていたつもりだ。でも、普段のしかめっ面から怖いイメージを持っていた私にとっては、今のは全く予想外の言葉であった。
大尉の不意打ちで白紙になってしまった頭から必死に言葉を探す。しかしどうにも頭が上手く回らない。
そうこうしているうちにこの間をどう受け取ったのか、大尉は目を逸らして弁解のように口を開き始めた。
「いや、夜間哨戒に関してベテランのお前に気を付けろというのは少しおかしかったか。……だがなサーニャ、人間油断している時ほど予想外の事が起こるのであって、こうしたなんでもない折を見て――」
……何やら大尉のスイッチを入れてしまったらしい。
「そもそも私としてはお前が普段一人で哨戒に行くのも反対なんだ。いや、適正があるのも十分に理解しているし戦況としては必要な任務であることも理解しているつもりだ。だが――」
「……大尉」
「――ああ、なんだ」
「行ってきます」
真っ直ぐに目を見据えて言った。大尉達の心配はしっかり受け止めなければならない。
私が二人を守らないと……!
「そうか、……行って来い」
渡されたポシェットを雨から守るように抱え込んで、激しい雨をかいくぐって雲を突き抜けた。
そこにはもはや見慣れてしまったブリタニア上空の夜闇。どこか暗いのは今日が新月だからだろう。
月の光が無いせいかいつもより星が鮮やかに輝いていた。
▼
なんだろう、このもやもやした感じは。
いつも通り饒舌なエイラと芳佳ちゃんの会話に適当に相槌を打ちながら、私はどこか漠然とした不安に鼓動が早くなっているのを感じる。何というか、痒いところに手が届かない歯がゆさ。思い出せるはずの言葉が出てこない時の焦燥。そんな感じの居心地の悪さだ。
いつもより時間が早いから?
月が無いから?
タロットの結果が思わしくなかったから?
それとも今日は後ろにエミヤさんがいないから?
自分にしても珍しいくらい不安になっている。
「エイラ、芳佳ちゃん。今日は早めに上がりましょう」
思わず口をついてそんな言葉が出る。
二人は疑問に思ったようだがすぐに快く承諾してくれた。
今日は用心するに越したことは無い。そんな気がした。
二時間ほど経った。
予想とは反して何も起こっていない。が、私の警戒心はより一層強くなっていく一方だ。
現在の海域は、この前のミーティングで問題になった、どこから来たのか分からないネウロイがいた辺りで………おかしい。
やはりおかしい――!
漠然とした居心地の悪さの正体に私はようやく思い至った。
レーダーがおかしい。
魔導針に、普段なら滅多に生じないノイズがこの先の地域に多く生じている。前方に何があるか全く判別できないのだ。
リヒテンシュタイン式魔導針は条件によっては地球の裏側の飛行物体すら捉える超高感度レーダー。微弱な魔力波のソナーはどんなに小さな障害物でも見逃すことは無い。
それが機能しなくなり始めている。インカムすら使い物にならない。明らかに異常事態だ。
「…………エイラ。インカム使える?」
「ん? いきなりどう――」
「いいから」
「ちょっと待ってくれよナ」
抱えていた機関銃をおろし、エイラが耳に手を当てる。
これでおかしいのが私か、それとも現状なのかがはっきりするだろう。魔導針は私が気付いていないだけで、自身の体調に影響されているのかもしれないし、インカムだってたまたま自分の使用している者が故障しているだけかもしれない。可能性はかなり低いけど、ありえない話ではない筈だ。
でもエイラのインカムすら使えない場合。それは確実に私達が知らずに陥った状況が危険なものであることを証明する。
「あー大尉聞こえるカ―? あれ、寝てんのカナ」
『あ――たい―――――――てん――』
「あーあーあーあーーこちらエイラー」
『―――ジジ―――――ザ―――』
「さ、サーニャつながらないゾ!!」
「私もダメですエイラさん!」
…………これはかなりまずいことになったかもしれない。
ひとまず二人に止まるように言うと、大人しく止まってくれた。耳からインカムを取り出してポンポン叩いたりしてみる二人を見ながら、これからどうするべきか思案する。
異常事態であることはもう疑う余地は無いだろう。繋がらないインカム、レーダーの機能不全。
これらの状況を作り出す物といえば、まず電波妨害技術ならば可能だろう。ブリタニアで開発された『ウインドウ』とか言うアルミ箔の妨害物質、リベリオンではチャフと呼ばれるアレなら十分あり得る。
でもそんなことがあるだろうか? ネウロイ相手では使用価値が無いと一蹴された技術だと聞くし、なによりこんなところに散布する意味が無い。
となると、やはりネウロイの能力…………? これまでそんな前例は聞いたことが無い。だけど最近坂本少佐が言うようにネウロイは進化している。もしかしたらこちらの通信手段を阻害するという方法で侵略を進めようとしているのかも……。
そこまで考えて思わず背中に冷や汗が流れる。そうなったら各国の連携を強みにしている私達人類はどうなって――いや、今はそんなことを考えている場合ではないだろう。
とにかくこの海域は危険だ。基地とも連絡が取れず、いざという時応援を呼べない。普通に考えて、今すぐUターンして帰投、みんなで対策を練ったほうが良い。
「エイラ、芳佳ちゃん。落ち着いて聞いてくれる? …………今から基地に――――」
その時だった。はるか前方に赤い輝き。
「―――ッ!!? 散って!!」
「は? ――――うわっ!」
慌てて事態を理解していない二人の腕を掴んで強引に下に押しやる。その反作用の力で私も少し上昇した。
次の瞬間、目の前にまで迫っていた赤い極光が足元を通り過ぎていく。
左足に焼けるような感覚。
痛みに歯を食いしばりながら、おそるおそる足がついているか確認してみると、ストッキングが破れて擦り傷のように血をにじませながらも足はしっかりついていた。が、左足のストライカーはもはやどこにも見当たらなかった。
「え……? ネ、ネウロイ!?」
「サーニャああああ!! 足、足が!!」
眼下にいる二人が無事であることを確認してほうと息をつく。だけどまだ気を緩めてはならない。まだ敵は存在しているのだから。
そして再び赤い閃光。今度はしっかり見えた。
十分避けられると判断して、さらに上昇して避けようとしたけど、ストライカーが片足分しかなかったために変な軌道で間一髪で避けることになる。どうやら敵は手負いになった私を狙おうという魂胆らしい。
「サーニャちゃん!!」
「サーニャ! 今行くゾ!!」
「来ないで! 私を狙ってる! エイラは敵を――ッ!」
下に向かって叫ぶと同時に改めてビームが飛んでくる。迫る赤い光にあわててシールドを展開する。
「きゃっ!!」
「サーニャ!?」
しかし急ごしらえのシールドは役割を果たしきらなかった。漏れた光が担いでいたフリーガーハマーを紙屑のように切断する。
思わず顔を背けながら手を放して、
「サーニャあああああ――――ぐあっ!?」
「エイラ!!」
「エイラさん!?」
さっきまで私に向かって猛スピードで飛んできていたエイラが、今は頭から落下していた。良く見えなかったけど、フリーガーハマ―の破片に頭を打ったらしい。
機関銃の肩ひもは首から離れ、ストライカーのプロペラが停止しかけている。まずい、気を失っている!
必死で落ち行くエイラに追いすがる。この時ほど自分のどん臭さを呪ったことはない。
「エイラさん! しっかりして下さい!!」
「エイラ!!」
下から上がってきた芳佳ちゃんがエイラをしっかり受け止めてくれた。数秒後に私も合流する。
芳佳ちゃんの腕の中で気絶しているエイラは、拍子抜けなほどしっかり息をしていた。しかし頭部からは血が垂れてきていて、エイラの顔に赤い筋を作っている。
…………私のせいだ。
私が異常を感じてすぐに帰投を決定しなかったからこんなこ――
「芳佳ちゃんシールド!!」
「へ? あ!! この!!」
自己嫌悪の途中だったが空気を読まずにネウロイのビームは飛んでくる。それに対して芳佳ちゃんが片手で展開したシールドは、呆れるほど見事にビームを散らした。
残念なことに今の私のシールドでは役に立たない。動けないエイラがいる以上、もう芳佳ちゃんに防御をお願いするしかなかった。
「くっ――!」
「大丈夫!? 芳佳ちゃん!」
「う、うん!」
頭だけこちらに向けて笑顔で頷いてくる芳佳ちゃん。だけどその額ににじむ汗が、そう長いことは持たないことを表していた。
そしてにわかに黒い敵影が雲の中からその姿を現す。
中型だ。この前の攻撃してこなかったのと同じ形。
「…………そんな……」
しかし今回は前回のより遥かに大きく見えた。
そう、距離三十メートルあまりの至近距離。加えて、なおも接近してきている。
「ど、どうしようサーニャちゃん!」
圧倒的な威圧感。近づいてくるにつれてそのビームも収束して威力を増していく。久しぶりにネウロイがひどく恐ろしいものに見える。
だけどそれ以上に自分に対する無力感がひどかった。
芳佳ちゃんの辛そうな声。エイラを抱きかかえているだけの私。
本当なら私が打開策を提示しないといけないのに――――!!
何も思いつかない。どうして? エイラと芳佳ちゃんを守りたいのに!
必死で頭を働かせようとしても、まるで名案、それどころか何も考えることが出来ない。
どうしようどうしようどうしよう――――!!
「サーニャちゃん、ダメ。私もう――!!」
切羽詰まった芳佳ちゃんの声に頭は混乱していく。
ここはすぐに退避しなければならない…………でもどうやって? 芳佳ちゃんはシールドに集中していてとても後退なんか出来る状態じゃない。
なら私が芳佳ちゃんを抱えて――――無理に決まっている!! 片足分のストライカーで芳佳ちゃんとエイラを運ぶなんてとても出来ない!
いや、なら一回エイラから手を放して――――一瞬で決着を付けて落下前に拾うとでもいうのか? バカな。そんなことをして万一エイラが……そんなことは絶対に嫌だ。
「く……ぅぅ……」
どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう!!??
「サー、ニャちゃん。……ごめ、ん。あぅ……」
――――!!
その極限状態の中、無意識のうちに私は叫んでいた。
「――――助けて!! エミヤさん!!」
瞬間、視界が白く染まりあがる。
眩しさが収まった時、ネウロイのビームは止んでいた。
archer
司令部で初めて顔を合わせた加東圭子という女性の愚痴――というより飲酒――に付き合ったあと、一人で夜の公園のベンチに腰掛けて雨模様の空を見上げていた時だった。
ぐいと体の内側から引っ張られる感覚。白く塗りつぶされる視界。
そしてだれかの助けを求める声。
気付いた時には空中にいた。空気の冷たさ、酸素の薄さから、かなりの高高度に呼び出されたことを理解する。
まったく、保険の為と機能確認のつもりだったのに、渡した当日からその効果を発揮されることになるとは驚きだ。同時に渡しておいてよかったとも安堵する。
さて、状況を確認しよう。
十中八九私は偽臣の書の令呪で呼び出された。ということは哨戒中のサーニャの元に呼ばれたということである。
眼下を見やるとまさに絶体絶命の状況が広がっていた。中型のネウロイ一体の超至近距離に、シールドを展開する芳佳、気を失っているエイラ、それを抱きかかえるサーニャ。どうやらちんたらしている暇はなさそうだ。
手始めに黒鍵を両手に二本ずつ投影し、鉄甲作用などは考えず、純粋に英霊の膂力で以てネウロイに投擲する。
着弾と共にはじけ飛ぶネウロイの外装。どうやらコアを破壊するには至らなかったようだ。
それを見届けるまでも無く両手に再び剣を投影する。慣れ親しんだ夫婦剣である。
「
対怪異宝具である干将莫邪に存在意義としての強化をかける。刀身が伸び、洗練された陰陽剣は荒々しい二振りの野太刀に姿を変えた。
そして二秒後の衝突に備え――、振るう。
大した手ごたえも無く両断されるネウロイ。同時に剣の延長線上の雲にも深い切れ込みが入った。
舞い散る破片の中、崩れかかるネウロイの上に両手両足で着地する。お世辞にも優雅とは言えない有様だったが、問題はここからだ。今にもこの足場は消えてなくなるだろう。そうなれば必然的に海面まで落下していくことになるのだが……さすがに無事では済まなさそうだ。
いくら英霊が神秘を持たない物理攻撃にダメージを負わないからと言って、このパラシュートなしのスカイダイビングを無傷で乗り切れるイメージが湧かない。
「あー、すまないが芳佳? 私を支えてくれると――」
足場が消えた。
「へ? エミヤさん? なんでここに? ていうかネウロイは?」
頭に疑問符を浮かべるばかりで行動しようとしない芳佳を見ながら私は落下していく。
まったく、相変わらず突発的なことに弱いな芳佳は……なんてことを言っている場合ではない。すでに雲は突き抜けている。人の世から外れた存在であるというのに重力加速度はしっかり作用しているようで、ぐんぐんと私の落下スピードは増加している。
雨粒と並走する形で海面に引き寄せられていくというのはなかなか珍しい経験だな。などと柄にもなく現実逃避するが、どのみち出来ることは無いのだ。
途中遠い島影を視界に捉える。最悪あそこまで泳いで渡らないといけないことになりそうだが、正直それは勘弁したい。
うん。誰か助けてくれ―――――!
▼
途中から追いついた芳佳が、私の落下スピードを殺しきったのは本当に海面スレスレのところだった。芳佳は荒い息を整えながら大きく息をつく。特徴的なくせ毛も今は雨で頭に張り付いてしまっている。
どうやら本当にギリギリのところで私は呼び出されたらしい。
「す、すみませんエミヤさん。あまりにもいきなりすぎて何が何やら」
「いや、助かったよ芳佳」
海面を叩きつける大粒の雨。しぶきから逃れるように芳佳は再び雲の上に上昇する。
上空ではエイラを抱えたサーニャが呆と心ここに在らずといった様子で浮いていた。ストライカーが片足しかないというのに、器用なものだ。
「サーニャちゃん」
「…………え?」
「これからどうしよう?」
「え、あれ。エミヤさん何でここに……?」
どうやら状況を把握できていなかったらしい。見たところサーニャもかなり切羽詰まっていたようだ。
サーニャの問いには答えず、とりあえず応援を呼んだのかどうか尋ねてみる。バルクホルンが口を酸っぱくしていざとなったら基地に連絡を入れろと言っていたから、私も当然応援は呼んであると踏んでいたのだが……どうやら事態は深刻らしい。
電波障害のせいでインカムが使い物にならないというのだ。
「ひとまず地に足を付けよう。今の状態はどうにも落ち着かなくてね。
…………あちらに島影が見えた。サーニャもその状態で飛び続けるのはつらいだろう」
落下中に見えた孤島の方角を指差す。
特に反対の意見も出ず、芳佳とエイラはその方向に飛び始めた。
「さて、これからどうするかということだが…………芳佳。インカムはまだ使えないか?」
「ダメです!」
「サーニャの魔導針も――」
「……ごめんなさい」
さて、困った。
全員でこの島で待つのがベストなのだろうが……インカムが回復するという保証は無い。聞いたところによればここは基地からかなり離れているそうだし、救助を待ち続けるのは得策ではないだろう。
上空から見たところ、この小さな島に通信設備があることは望むべくは無い。
「ふむ、誰かが基地に戻って助けを呼ぶべきだな。……芳佳。体力と魔法力はどうだ?」
エイラを担いで浮いたままの芳佳に目配せをする。
サーニャは今の状態で基地まで行くのは不可能だろうし、行くとしたら芳佳なのだ。可能ならエイラも担いで行ってもらいたい。見たところエイラは気を失っているだけのようだし時間が経てば目を覚ますだろう。
万一芳佳が途中でダウンするようなことになれば、消耗の少ないエイラがなんとかすればいい。
「大丈夫です!!」
「芳佳ちゃん……本当に大丈夫? ダメそうなら――」
「大丈夫だよサーニャちゃん。私絶対みんなを連れて戻ってくる。体力もまだまだ大丈夫だよ!
これぐらいでへたってたら坂本さんに怒られちゃう」
不安そうなサーニャに笑顔を浮かべて見せる芳佳。その力強い瞳にかつての主の姿が重なる。
自分が言い出したこととはいえ、本当ならあまりにも不確定なことが多すぎて推奨すべきではない案だ。しかし、この島が生き残るために適さない環境だった場合を考えれば、急ぐに越したことは無い。
ここはこの、生前も死後も世話になった瞳を信じるしかない。
芳佳に考えを説明する。
念入りに本当に大丈夫か確認したが、やはりこれでは気休めにしかならないな。
「芳佳ちゃん、……気を付けて」
サーニャの言葉にエイラを担ぎ直す芳佳。
普段はあまり見せないくらい顔を引き締め、芳佳は夜に飛び出していった。
「絶対にすぐ迎えに来ます! 本当です!
だから少し待ってて下さい!!」
そういうわけでようやくこの章の冒頭に戻ったのですが、ここまでを一話に収めようとしていた自分はどうかしていましたね。
タロットについては一番時間をかけたのですが、やっぱりおかしな点はあると思います。詳しい方は是非指摘をば。
あと途中のオーバーエッジのところ。結局は強化なので士郎の方から強化時の詠唱を持ってきたのですが、本当はどうだったのでしょうか……。
そういえば、NHKで大戦時のパイロットのドラマをしていたのですが、芳佳のモデルになった武藤金義が出てましたね。真面目なところとか芳佳らしさ、という言い方はおかしいですが、この人が宮藤芳佳のモデルになったんだなあと思えてなかなか良かったです。
後編では死んじゃうみたいだし後編みたくねー、……まあ見るんですけどね。
アップルゲート許さねえ。
では。