コイキングというポケモンがいる。
「はねる! はねる! はねる!」 ――ビタァンッ、ビタァンッ、ビッタッーン――
数多く存在するポケモンの中でも知らない人は居ないほどの知名度を誇るポケモンだ。
しかし、一般に好ましい理由で知られているわけではない。
別にフラッシュで社会現象を引き起こしただとか、そういったことでもない。
第一それは“あっちの世界”での話であって、こっちで実際に生きている人たちからすればまったく関係ないどころか知りもしない話である。
「はねるっ! はねるっ! はっねる! はぁねぇるぅ!」 ――ビチッ、ビチャッ、ビチチッ――
初登場はポケットモンスター赤緑。
最初にもらえる三匹のポケモンのうちの一匹、ゼニガメを除けば、序盤の難関、オツキヤマ前で唯一入手できる水タイプのポケモンだった。
きっと数少ないトレーナー戦で稼いだなけなしの500円と引き換えに、期待に胸膨らませて手に入れた人も少なくはないんじゃないだろうか。
そして、期待はずれの性能にがっかりした人も同じくらいいると思う。
なんせ俺がそうだったからして。
ゲームではコイン換金を除いて、直接現金で買える唯一の、ある意味珍しいポケモンだったが。
「まだだよ、まだはねるんだ!」 ――ビチッビチッ――
個人的には思い入れのあるエピソードなのだが、まぁ、そんなゲームの話もこっちじゃ関係ない。
ただ、あちらでもこちらでも共通して知られている有名なコイキングの特徴がある。
「もうひとこえっ! はねる!」 ――ビチ、ビチ……ビチ……ビチャ――
それはもう文句のつけようがないほどに有名で、過去にどこかの小学校の入試問題に一般常識として出題されたほどだとか。当然、こっちの世界の話なのだが。
「よし、いまだ! ちからいっぱい、はねて、わるあがき!」 ――ビチビチビチビチビチビチビチッ――
――バチンバチンッバチバチバチ――
「えぇっ!? むこうもわるあがきっ!?」 ――……ピク……ピ、ク――
それは赤いボディに金の冠そっくりの背ビレに、どこか間の抜けた面構えという見た目と……。
「こ、コイキング大丈夫!? ……。う、うあぁあとうちゃぁああん、コイキングが死んじゃったぁあ!」
今正にうちの息子の目の前で白目をひん剥いて体現してくれた、名実ともに“最弱の雑魚ポケモン”という悲しすぎる評価である。
ゲームではレベル15になるまで『はねる』以外の技をいっさい覚えず、肝心のはねるには攻撃力が皆無。それでいて技マシンで覚える技も何一つない。
レベル15でたいあたりを覚えるまで攻撃手段がはねるのPPを使い切ってやっと繰り出せる『わるあがき』のみ。
わるあがきは使用できる技が何一つ無いときにポケモンが苦し紛れに放つ技で、そこそこ威力の技だ。
しかし、それに見合わないほどのダメージが自分にも返ってきてしまう。
元々、コイキングの種族としての強さもすばやさとぼうぎょ以外は最低レベル。わるあがきで敵を倒す前に反動ダメージで自滅する方が早かったりする。
ぼうぎょもそれほど高いわけではないので敵に倒されてしまうほうがもっと早いのは言わずもがな。
またレベル15でやっと覚えるたいあたりも攻撃技としては最低限の威力しか持っておらず、そのうえコイキングが水タイプなのに対し、ノーマル技とタイプ不一致で威力が増えない。
とにかく、同レベルの他のポケモンと比較すると悲しいほどに弱い。
レベル差が10程度あったとしても勝てないことの方が多いと思う。
正に最弱の名をほしいままにするポケモンなのだ。
そんなポケモンを最初のポケモンとして息子にあげたのは間違いだったかと、初めてのポケモンバトルが無残な結果に終わった息子の姿を見て、思えてきた。
……いや、まさか、同じコイキング相手に負けるとは思わなかったのだ。
ボコボコにされた自分のコイキングをボールに戻し、泣きべそかきながら私のもとへ駆け寄ってくる息子。
見事に短パン小僧ルックな我が最愛の息子は今日5歳になったばかり。
たまに小生意気なクソガキっぷりを発揮し、自分の息子ながら誰に似たのかと思うときも多々あるが……基本的には素直でよい子だと思う。特に今みたいに困ったときには泣きついてきてくれるのはちょっと可愛いところじゃないかと。
広げた腕に飛び込んでくる息子を軽々と抱き上げながら、とりあえず励ましておく。
「大丈夫だ。コイキングはダメージを受けすぎて、ひんし状態になっただけだから。とりあえずモンスターボールに戻しなさい」
若干の涙声でうんと返事をすると息子はコイキングをボールに戻した。ボールの中心から放たれた赤い光線がコイキングにぶつかって瞬時に包み込みボールの中へと戻っていく。
「よし。それじゃ、絶対にコイキングをボールから出さずにポケモンセンターへ連れて行くんだ。そうすればちゃんと元気になるよ」
「ねえ、おとうさんひんしってなに?」
「あぁ。ポケモンは戦えないくらい痛い目に会うとひんしって一種の仮死状態になる習性があるのさ」
「か、し?」
「あー……。わかりやすく言うと死んだふり、かな?」
「えー、それってなんだかずるい」
死ぬ一歩手前、動けないほどの傷を負って防衛本能が自動で行う死んだふりを、うちの子はずるいと申すか。この年でなんという鬼畜っぷり。誰に似た。
「でもひんしになったら今みたいにすぐにボールに入れてあげないとダメだぞ。ひんしのままボールに戻さずにいると死んじゃうこともるからな」
ボールはポケモンの体調をほぼそのままで保持しておいてくれる。ひんしのポケモンがいたらとりあえずボールに入れるのは世間の常識だ。今のうちに教えておこう。
なんにせよまずはポケモンセンターへ向かわねば。息子の手をひいて歩き出す。
「しかし、まさか同じコイキング相手でも勝てないとは……レベル差か? それとも固体値? いや、両方か? 相手がたいあたりを覚えてないことまで確認して戦ったのにこれじゃ、先が思いやれるぞ……。こっからさらに低レベルのコイキングを探せって言うのか?」
少なくとも今日ポケモントレーナーデビューしたばかりのうちの息子が一人でこのコイキングをレベル20まで育てきれるとは到底思えなかった。
息子に聞こえないようにこっそりため息をつく。
「……ねぇ、とうちゃん? 本当にこいつがあのギャラドスになるの? すっごく弱いじゃん」
俺が息子に初めてのポケモンとしてコイキングを与えたのは何も俺が鬼畜だからではない。
息子がそう望んだのだ。
息子は今、他のお子様どもの例に漏れず、毎週水曜と日曜の夕方にテレビで放送しているポケモンリーグの中継にはまっている。
そこで息子が一番好きなチームの一番好きな選手がギャラドスを使っていたらしく、それに憧れたようで。
そろそろ誕生日だけど、何が欲しい? と訊ねたところ「ギャラドス!」と元気よくかえされてしまったのだ。
私は一社会人であるのでギャラドスを捕まえにいく時間などなく、何よりたまの休日を息子をおいて遠出するなど、遠慮したいことこのうえない。
息子に見せたことはないが、私もギャラドスを持っている。持っているがそいつを息子にあげたところで言うことを聞かないだろう。他人から貰ったポケモンはレベルが高すぎると言う事を聞かないのだ。
言う事を聞かせる方法もあるにはあるが、今日ポケモントレーナーを始めたばかりのうちの息子では無理だし。
そんなわけでギャラドスの進化前であるコイキングをプレゼントすることにした。
趣味を兼ねた釣りでちょうど珍しい色違いが手に入ったところだったのも幸いした。
捕まえたときにマスター登録をしていなかったので息子のポケモンとしていちから育てられるのもちょうどよかった。
「本当だぞ? コイキングは進化するとギャラドスになる」
「でも、ともだちに話したら、みんなそんなわけないって言ってたし……」
「あー、そうなぁ。こっちじゃあんまり世間には知られてないっぽいんだよな」
ゲームではコイキングがレベル20になるとギャラドスに進化した。
ギャラドスはそれまでのコイキングの脆弱っぷりとは比べ物にならないほど強力なポケモンだ。電気タイプにめっぽう弱いと致命的な弱点があったりはするものの使える技には強力なものが多く、能力も総じて高め、見た目もその強さを表すかのよう厳つくなる。
変わるのは能力や見た目だけではない。
気性も荒いものになり、まれに怒り狂って町や村が壊滅させられたとニュースになることがあるほどだ。
とにもかくにも進化前とは印象ががらりと変わる。
そのためか、世の中にはギャラドスとコイキングが結びつかない人が多いらしかった。
ま、確かに、どこにでも吐いて捨てるほどいる最弱のポケモンと滅多に出くわすことの無い悪名高いポケモンとの接点なんて一見どこにもないからな。
実際、研究者や学者、ジムリーダーやエリートトレーナーなどの実力者の間ではそれなりに知られてはいるものの、一般人や駆け出しのトレーナーでこの事実を知っている人間はあまりいなかった。一部の漁師や釣り人が昔からの噂話として知ってたりしたけど。
「ま、大丈夫だよ。俺はコイキングがギャラドスに進化するのをこの目で見たからね。ちゃんと面倒見て強く育てればいつか進化するさ」
「うー、とうちゃんがそういうなら」
私は意外に息子から信頼されているらしい。嬉しいことを入ってくれたお礼に頭をなでてやる。
「やーめーてー」……なんか嫌がられた。
「ま、世にも珍しい金色のコイキングなんだ。もしかすると進化したら普通のギャラドスよりももっと珍しくて強いのになるかもしれないぞ?」
具体的には赤いのである。三倍速いかどうかは知らんが。
「ほんと!? ワタルのより!?」
「あー、お前の頑張りしだいだろうな」
「ぼく、がんばる!」
むふー、と鼻息荒くガッツポーズする息子を見ていると微笑ましい気持ちになる。
私も自然と笑顔になっていた。
「ま、まずは怪我を治してやるところからだな」
「あ、そうだった……」
息子は先の大敗を思い返したのか、一気にしょぼくれてしまった。
なんとも忙しいことで。
「ま、しばらくは俺もレベル上げに付き合ってやるから、そう落ち込むな」
「うん……」
その後、元気を取り戻したコイキングを引き取った息子は再度コイキングに挑戦したが再び返り討ちにあっていた。
親の目もあるとは思うが息子はトレーナーとして才能があるほうだと思う。けれども、それが今すぐ開花するわけでもなく。
とにかく、泣きじゃくる息子を泣き止ませるのに苦労した休日だった。