空と海と最後のブルー   作:suzu.

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07.気がついたら息子が増えてた

 

「今日からこいつがお前の母親だ」

 そう言ってガープは、子どもを私の目の前に引っ張り出した。

 見上げる眼はビー玉のように丸く黒々としていた。さっきまで喚いて暴れていたのが嘘のように、閉じることを忘れた口をぽかんと開けて此方をじっと見上げている。

 その子どもは阿呆そうだった。顔は何となく知ってはいたが、こうして会うのは初めてで、鼻たれたガキというのが第一印象だ。実際、年齢の割に大人びていたエースと比べると、年の差はあれど一目瞭然だった。

 何の反応もなく固まってしまった子どもに、ガープは「おい、ルフィ」と声をかけた。

 しかし、その言葉も耳に届かない。頭が足りていないのか、よほどのショックだったのか、呆けたままだ。

 目の前の大口があんまりにも見事だったので、舌を引っ張り出してやろうかと考えながら、子どもの前に顔を近づける。すると、

「すげーなぁ!! 空と海みたいだ!!」と、子どもは唐突に叫んだ。

 子どもの眼は、いつの間にかキラキラとしていた。

 私は思わず真顔のまま顔をしかめた。

 自分の色を空と海に例える者は多いが、ここまであからさまに手放しで感動されたのは初めてだ。たかが、髪と眼の色である。

「おい、ルフィ。もう一度言うが、今日からこいつがお前の母親だ」

 ガープは疲れた声で言った。

 子どもは目をぱちぱちさせて、背後のガープを見上げた。そして、

「えぇええええッ!!」と、心底驚いたような声で叫んだ。

 今更だ。タイミングがずいぶんズレていた。

 どうやら、最初の説明は耳に入っていなかったようで、ようやくガープの言葉を理解したらしい。

「おれ、かあちゃんいたのか!? 知らなかった!!」

「今日からと言ってるじゃろうが! 人の話を聞けっ!!」

 ごつん、とガープが鉄拳を振り下ろした。

 ぎゃあぎゃあと目の前で騒ぐガープと子ども。どう見ても、この祖父にして、この孫ありといったところである。

 正直、何もかもが面倒くさい。

「何じゃつまらん。もっと反応するかと思えば、真面目な顔で黙りこくりよって」

 孫を黙らせたガープが私に言った。

「おいガープ。冗談はよせ、笑えない」

 ようやく私は口を開いた。

「冗談でお前にこんなことを言ったりせんわ」

「そうか、ついにボケたか。そこそこ長い付き合いだったな、ガープ。退役はセンゴクに言っておいてやるから、老後はゆっくり孫と過ごせや」

「まだバリバリの現役じゃい」

 このジジイ、まだ海に出るつもりのようである。

「だいたい今更、一人が二人に増えてもそう変わらんじゃろ」

「……それもそうか」

「いや、変わるだろ! あんたら、人間を何だと思ってるんだ!!」

 私が納得しかけたところで、第三者の声が割り込んできた。ダダンである。

「何じゃ、お前らおったのか」

「最初からいるよ!!」

 すっかり空気となっていたが、最初から私の横にいたのだ。後ろにはマグラとドグラもいて、微妙な顔で成り行きを見守っている。

「そもそも誰が世話すると思ってんだい! まず最初にあたしに話をつけるのがスジってもんだろう!! だいたい、あんたの孫って……。小娘一人で参ってんのに、これ以上増やしてエースの機嫌を損ねるのは御免だね」

「こいつよりは手が掛からんし、あいつも子ども同士でどうにかするじゃろう」

「本当だろうね!? むしろその孫を引き取る代わりに小娘を持って帰ってくれりゃ、こっちは万々歳だよ!」

 今まで苛立ち交じりに黙っていた分、ここぞとばかりに文句を言うダダン。しかし基準がエースとはどういうことなのか。私としては大変不本意である。

「おい!! 誰だお前!!」

 突然ガープの孫が怒鳴った。

 腹を立てている子どもの視線を追うと、そこには自分より十倍以上も大きい野牛の上に座り、こちらをじっと険しい眼で眺めているエースがいた。

「お帰りエース」と私は声をかけた。

 エースは一瞬チラリと私を見たが、すぐに無言で視線をそらした。

 今日も安定の反抗期である。しかし、どうやらいつもより機嫌が悪い。

「あいつがエースじゃ。歳はお前より三つ上。今日からこいつらと一緒に暮らすんじゃ。仲良うせい」と孫に言うガープ。

 当の本人はそれどころじゃないようで、憤慨しながらエースを威嚇している。

 エースは見慣れぬ子どもを一瞥しただけで、すぐに興味を失ったようだ。何も無かったかのように、すたすたとアジトの中へ入っていく。

 ガープも「じゃあ後は頼んだぞテミス」と言い残し、孫を置き去りにしてさっさと帰ってしまった。

「あ、ていうか決定なんだ」

 私はぽつりと呟いた。

 どうやら本当に息子が二人になるようだ。あまり実感がわかないが、何とかなるだろう。今までも何とかなったのだから。

 その考えが甘かったことを、私はそう遠くない内に知ることとなる。

 

 

      ***

 

 

 アジトの中にはおいしそうな匂いが充満していた。

 それなりに広い室内には、数十人もの人間が囲炉裏を囲うように座している。その中心には棟梁のダダン、その隣にガープの孫、そして私とエースの四人が座っていた。

 今日の昼食は野牛の香草焼きと、きのこと根菜の牛骨スープ。それから、野草の御浸しの三品である。

 メイン料理はパリっと香ばしく焼けた肉の表面が艶々と輝き、スパイシーな匂いが食欲をかきたてる。普通に丸焼きにしただけでは、このようにならないことぐらい、私でも知っている。

 今や劇的に改善されたダダン一家の食事事情は、もちろん私の家事スキルが向上したためではない。自分で言うのも何だが、それだけは絶対にありえない。

 ならば、誰が一家全員の胃を掴んでいるのかというと、僅か十歳のエースである。

 ここ数年で家事の鬼と化したエースの手際の良さは、まさに魔法のようだ。肉を焼くにしろ、スープを作るにしろ、囲炉裏一つしかないこの空間を最大限に活用して同時進行で食事を作っていく。流れるような手さばきを見て、あのダダンでさえ唸ったほどだ。

 調味料にしても、この山にあるものだけでエースは味付けする。バリエーション豊富で食欲を刺激する味付けは、一体どこで覚えて来るのだろうか。

 料理を皿に取り分けているエースの横から、手伝おうと手を伸ばすが無言ではたかれてしまった。地味にショックである。諦めておとなしく座っていることにした。

 取り分けられていく料理の数々を目の前にして、ガープの孫は感嘆の声をあげた。

「すっげえ……! うまそう!!」

「そうだろう、そうだろう」と私が応える。

「何でお前が偉そうなんだい」

 ダダンが呆れたように私をジトリと見た。

 エースがいなきゃ、お前に食べさせるメシは米一粒もない。とはダダンがいつも私に言うお決まりの言葉である。いつの間にか自慢の息子の存在は私の食生活を握っていた。

 全員に行き渡ったのかダダンが食べ始める。それを見て周りも手を合わせて食べ始めた。しかし子どもが「おれの分がねぇぞ!?」と騒ぎ立てる。

「おめェの分はこっちだよ」

 ごとりとダダンが子どもの前に置いたのは、一杯のご飯と水だった。

 わぁ、質素を通り過ぎて虐待だよそれ。とは自分が対象になりたくないので口を噤んでおく。私だって美味しいものを前にしたら自己保身に走るもの。

「えーー!? これだけ!?」

「あたり前だ。働かざる者食うべからず。山賊界は不況なのさ。役に立たねえクソガキを置いとけるほどウチは潤ってないんだよ」

 そう言いながら、ダダンはチラリと視線を私に向けて戻し、「明日からおめェ死ぬ気で働いて貰うぞ」と吐き捨てるように言った。

「おかわりッ!!」

「話聞いてなかったんかいッ!!」

 いつの間にか空になっているお椀を突き出し、子どもは元気よく飯を要求する。

 青筋の浮かんだ額を手で抑えたダダンが、歯を食いしばるようにして私を睨みつけてくる。そんな顔をされても、今回ばかりは私の所為ではないというのに。

「おれも肉食いてェ!!」

 ぐぎゅるると腹の音を鳴らしながら、子どもは羨ましそうな目でエースを見た。

 そんな子どもの視線など気にもかけずに、エースは黙々と食事をしている。

 視線を落したまま背筋を伸ばして、淡々と食べる姿は妙に大人っぽいのだが、やっていることは年相応である。可愛げがあるのか、ないのか。

「仕様がないなぁ。私のを分けてあげるよ」

 ひょいとメインの肉の皿を子どもの前に置いてやる。

 とたんに子どもの眼は輝き、皿と私を交互に見比べた。エースがぴくりと動きを止めたのが私の視界の端に映った。

「本当か!! お前いいやつだな」

「まあね」

「おれ、山賊は大っ嫌いだけど、お前は嫌いじゃねぇぞ」

 ニコニコと素直な笑顔を向けてくる子どもに、思わず私は眼を細めた。

 お安く買える好意である。いくらなんでも純粋過ぎではなかろうか。ここまで真っ直ぐだと、確かにガープが心配するのも分かる気がする。

 あのガープを悩ませる存在がいたという事実に苦笑が漏れる。あいつも歳だなぁ、なんて少し感慨深くなったりして。

 突然、――ガンッ!! と音がして、私は振り返った。

 そこには怖い顔をしたエースがいた。

 場がしんと静まり返った中で、エースは私をひと睨みすると、床に叩き付けた空の皿をごろんと放り出し、無言のまま席を立った。

「いってら~」

 のんびりと後姿に声をかけるが、エースは振り返りも応えもせずに、そのまま外へ出て行った。

「何だ? あいつ突然」

 エースがいなくなって緊張が解けた部屋で、子どもがぽつりと呟いた。

 しかしその言葉を拾う者はいない。各々自分の食事に戻って、誰も口を開こうとしなかった。

「どこ行くんだろ?」

 首をひねりながら子どもはそう言った。それから、慌てて野牛の肉を丸ごと口の中に詰め込むと、口を押えながら立ち上がった。

「おめェがどこ行くんだよっ!!」

 ダダンが止めるのも聞かずに、子どもはそのまま出て行ってしまった。エースの後を追ったのだろう。

 エースは間違いなく山の中へ入っていったに違いない。この山を誰よりも自分の庭のように熟知しているのはエースだ。

「本当に誰かに似て話を聞かねぇガキだな! この山の獣に食われて死んでも知らねぇからな!!」

「大丈夫だって。あのガープの孫だよ」

 残った部屋で、憤慨するダダンに私は言った。

 いくらフーシャ村でぬくぬくと育ったといっても、あのガープがまったく何もせずに可愛がっていただけとは考えられない。多少自分の身を守ることくらいはできるはずだ。山の獣に勝てるとは思わないが、身の危険を感じればエースに助けを求めるか、すぐに逃げ帰って来るかぐらいはするだろう。

 しかし、ダダンはギロリと私を睨んで言った。

「だったら、死んだらお前がガープに事故だって報告するんだよ!」

「えー、それはちょっとぉ……」

 ダダンの剣幕に、私は思わず言葉を濁した。

「ほらみろ! あたしだって、死んだら死んだで構わねぇんだ」

「いやいや、そんなこと言って、本当は心配なくせに」

「お前が代わりに野垂れ死んでくれりゃ最高だよ」

「残念! それは無理な相談だね」

 きっぱりとおどけたように言い、私はまだ十分に温かいスープを啜った。

 スープは濃厚なのに癖がなくてさっぱりしている。牛骨だけでなく、きのこや根菜の旨味もよく出ていて、どこか優しい味がした。

 ふふふと笑いが漏れる。良い子に育ったなぁ。

「何でお前が未だに母親やってんのか理解に苦しむよ」

 ダダンは苦い顔をして言った。エースもこんな奴さっさと見捨てればいいのに、と此方に聞こえるように悪態をついてくる。

「そんなの単純明快じゃないか」

 私はダダンの顔を見ながら、にやにやと笑って言った。

「私が愛されてるからさ」

「うるせぇ!!」

 思いっきりキレたダダンに殴られた。解せん。

 

 

 

 その後、ガープの孫がボロボロの姿で帰ってきたのは一週間も経った後だった。

 どうやら山の中に置き去りにされ、山の獣に追い回されていたらしい。それでも生きて帰って来たのだから、さすがガープの孫というべきか。やっぱり逞しかった。

 だが赤ん坊の頃からこの山を歩き回っていたエースに比べると、危なっかしいのも確かだ。歩み寄りをみせる様子もないエースに、このまま二人を放置しておくのも不安が残る。

 ぱっと見ただけなら、お兄ちゃんに構ってほしい弟とそれが鬱陶しい兄の図なんだが、エースは徹底的にガープの孫をいない存在として扱っている。

 誰に似たのか、頑固で融通が利かず、身内以外には排他的な一面があるエースだ。自分からは何が何でも打ち解けようとしないだろう。

「どうしたもんかなぁ……」

 水色の空に広がる薄く引き伸ばした白い雲を見上げて、私はぽつりと呟いた。

 

 

 

 


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