空と海と最後のブルー   作:suzu.

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16.モンペですがなにか

 

 電伝虫が鳴いている。

 ぼんやりと霞がかった頭の隅でそんな事を思った。重い瞼をゆっくりと開ければ、あまりの眩しさに頭の奥がずきりと痛み、ぼんやりと白い光が眼を焼く。パチパチと何度か瞬きをしているうちに焦点が合い始め、白い光は砂であることに気付いた。

 砂? では自分が今、頬をつけて横たわっているのは砂の上なのか。そう認識した途端、五感の機能が正常に働き出す。潮の匂い、太陽の熱、それから波の音と――プルプルプルプルプル。やはり電伝虫が鳴いている。

 顔を上げると白い砂浜と海が視界に入る。なるほど、私は波に打ち上げられたのか。陸に戻って来られてほっとする。プルプルプルプルプル――意識を音に引き戻す。ご丁寧にも手を伸ばせば届く距離に電伝虫はいた。その隣には何故か新聞が添えてある。

 震える腕を何とか伸ばし、がちゃりと受話器を引き寄せ口にあてる。しかし、咽喉が干乾びているのか第一声が出ない。はくはくと無駄に息を吐き出して、それからようやく声帯を振動させることに成功した。

「……、メ、メーデ……」

 やっと出た言葉は潰れた蛙のようだった。

「ようやく起きたか、テミス」

 電伝虫の口から聞こえてきたのは嫌に落ち着いた初老の男の声だった。それが助けを求めている者に対する返答か、と思うが憤りを覚える気力もない。

「メーデー……、メーデー……」

「新聞は見たか」

 合わせて三回。きっちり救援を求めるが、男の声は構わず続ける。

 おかしいな、言葉が通じないのだろうか。世界共通の符号語の筈なのだが設定に組み込まれていなかったのかも知れない。仕様書とかそんなものは無いので確かめようがないけれど。

「み、みず……」

「ひと月前の新聞だ」

 人の話を聞けよこのクソジジイ。そう心の中で悪態を吐いても実際に声には出さない。出せないじゃなくて出さない。ようやく復職したのに、またクビにはなりたくない。

「手土産にしては派手にやったな。おかげで後始末に追われたぞ。お主のいない一ヶ月の間にな」

 人の心を読んだかのような嫌味をサラリと吐かれる。ああ、嫌だ嫌だ。これだから妖怪ジジイは。それよりもっとこう、仕事の成果を褒めるとか、他に言うことがあるだろうが。私すごく働いたよ。数十年ぶりにめちゃくちゃ仕事した。実際には何もしてないけど。なんかこう、念とか送った気がする。

「早急に帰還しろ。迎えの船は夕方までには着く。以上だ」

 がちゃ、と受話器を置く音がして、電伝虫は黙ってしまった。

 その電伝虫の死んだように生気のない眼を見つめながら、しばらく無意味に応答を待ってみたが、私と電伝虫君の間に沈黙が落ちるだけだった。通話機能以外に自律的にお話できる電伝虫とかいないのだろうか。いたら私専用にするのに。上司の愚痴とか聞いて貰えそう。

「はぁ、……ひどぃ」

 溜息を吐いてがっくりと項垂れる。

 全く、なんて上司だ。パワハラだ。訴える部署が無い。職場の福利厚生はどうなっているのだ。この政府は汚職に塗れている。世直しするしかない。革命だ。討て討て。主にジジイ共を。

 どうにもこうにも益体のない思考を飛ばしながら、私はヒドク重い身体を起こして改めて周囲を確認した。

 海と白い砂浜が続いているだけの単調な景色。陸に上がればすぐに森。当然ながら知らない場所。来たことはあるかも知れないが、こんな何の特徴もない海岸なぞ覚えていないので知らない場所。人は居ない。いや、居たかもしれないが今は周囲に居ない。森を歩きまわる体力はない。傍には電伝虫しかいない。つまり迎えの船が来る夕方まで放置。

 どう考えても可笑しいって、この状況。

 そもそも、ご丁寧に私が倒れている横に電伝虫と新聞が置いて在ったのだ。新聞は百歩譲ってニュースクーの仕業としても電伝虫はない。どう考えても副官長の仕業だ。ここまで来たなら私を介抱していけよ。ただの嫌がらせだろ、何してんのさ。いやまぁ、嫌がらせとしては最高品質だけどね、上司の仕事の電話で瀕死から目覚めるなんて悪夢でしかない。迎えが来るまでに逃げたくなるだろ、逃げられないけど。副官長もっと上官を労わろうぜ。何なの、そんなに日頃の鬱憤が溜まっていたの。同類なのかな、私はジジイ共と同類なのかな。

 何となく正座とかしてみる。白い砂浜で電伝虫と見つめ合って二人(?)きり。波の音がいい感じ。お互い迎えが来るまで暇ですね。ちょっとお話でもしませんか、って駄目だ。電伝虫君寝た。日差しが気持ちよさそうに寝ている。

 仕方がないので電伝虫の隣に置いてある新聞を手に取る。一か月前の新聞とかジジイが言っていたけど、そもそも今日が何日なのかも分からない。現在進行形で遭難中の私には今日が何日かなんてあまり意味はないので、帰還してから正確な日付は確認しよう。

 潮風でよれよれになった紙面をバサバサと広げてみる。新聞の一面見出しには、『海難事故で天竜人死亡』と大きな文字で書かれていた。

 

 

『超大型艦沈没。ジャルマック聖を含む総勢2551名、生存者なし。

 偉大なる航海(グランドライン)でさえ悠々と海を渡る政府専用の巨大艦。それが最も穏やかな海といわれる東の海(イーストブルー)で沈んだ。乗艦者は、天竜人であるジャルマック聖を始め、世界政府の役人や海軍の軍人だけでなく、多数の賓客が乗っており、乗船名簿によるとその犠牲者の数たるや2551名。未だ一人も生存者は発見されていない。

 沈没した艦は世界政府の視察団で東の海を公務の為に巡っていた。世界平和のための抑止力の象徴ともいえる世界政府の視察団。何より天竜人であるジャルマック聖も同乗なさっていた。

 世界政府史上最悪の事故といっても過言ではないこの事態を重くみた五老星は、事故の翌日には世界各国に声明を出し、事態の収拾と原因、そして対策を講じた。しかしながらジャルマック聖を事故で亡くした失態は大きく、この件について世界貴族の間では政府機関の怠慢だとの声が挙がっており、政府も対応に追われている。

 そもそも、政府の視察団は定期的に四海を巡っているが、未だかつて事故に遭ったことは一度もなかった。いかなる悪天候の中でも、巨大な海獣が現れても、凶悪な海賊に襲われても、一切航海に影響を与えないだけの最高水準の対策が施されている。その上、今回は天竜人であるジャルマック聖も乗艦なさっていたのだから、殊更その安全水準は高かった筈である。それは役人と軍人の乗艦人数からも見て取れる。それがよもや東の海で沈むなど誰が思うだろうか。

 通信が途切れる数十分間にも渡る通信記録から、この件は海難事故であることが判明している。では事故の原因は一体何だったのか? それは、突発的な時化、複数の巨大な竜巻、激しい雨と落雷、行く手を遮る濃霧と叢氷、巨大海獣および巨大海鳥の群れの襲撃、隕石群の落下とそれに伴う衝撃波、――それら全てとの同時遭遇(、、、、、、、、)である。

 東の海でこんな現象が起こり得るのか。高名な気象学者達は揃えて頭を抱え、政府お抱えの熟練航海士達も揃って蒼白な顔で首を横に振る。まさに不運の言葉では表現しがたい史上最悪の天災(、、、、、、、)である。

 事故当時、通信記録から読み取れる艦内の混乱の様子は凄惨を極めており、小型の救命潜水艦などでの脱出は悉く失敗していたようである。むしろ沈没する艦から脱出したことで、より早く命を落としていた人の割合の方が高いのではないかと事故調査委員会では推測している。これらのことから沈没する艦では脱出の手がなかったことがうかがえる。また、通信記録からは......』

 

 

 途中まで読んで面倒になり、ぽいと新聞を投げ捨てる。

 新聞の情報なんてあてにならないのはよく知っているし、そもそも生存者なしという事はない。なにせ私が一ヶ月前まで乗っていた艦である。生存者1名だ。ざまぁ。

 しかし、さすがに今回は規模が規模だけにジジイ共も下手に隠さなかったか。それで慌ただしく東奔西走してくれたのなら願ったり叶ったりではあるけれど、これ以降の事後処理は全部私に回ってくるのだった。それについて今は考えない。書類の山とか絶対に考えない。

 せめてジジイ共は聖地での教育を徹底してほしい。そうすれば私の仕事の半分くらいは減ると思う。そう、ちゃんと認識して貰わなければ。『外は野蛮で穢らわしい』ってこと。それに、『天災は時に天竜人も殺す』ってことも。

 勝手に出歩かれちゃ困るんだよね。井の中で満足して貰わなきゃ。そうじゃなきゃ、殉葬して貰った人たちが報われない。何のための私の性質の使い道か分からない。

 こんな面倒な方法でしか制御(コントロール)できない存在なんて、鬱陶しくて邪魔でしかないけれど、私にしかできない方法だからこそ必要な存在でもある。

 彼らは私の存在を知らない。

 彼らが暮らしている聖地の中に、私が入り込んでいることを知らない。彼らに私の存在を知られてはいけない。

 必要な数だけ生かして、増えれば減らす。秤がどちらかに傾いてしまわない様に。単純な均衡遊戯(バランスゲーム)。でもこれが結構難しい。なにせ私は学が無いので計算が苦手なのだ。綿密な重さの計算なんて本当に面倒くさい。

 人間一人分の重さはころころと変わる。存在の重みは他者評価も付与されるからだ。でもそんな細かいところまで計算していられないからこそ、生まれ持った絶対評価がある。人間は産まれた瞬間に階級によって重さが決まる。

 難しい計算式は知らない。与えられた計算式に放り込んで、後は足し引きを繰り返すだけ。

 つまんない事務仕事(デスクワーク)

 重いようで軽い。そんな彼らの血は濃くなっていくばかりで、ここ数十年はまともな精神状態の者が産まれる事の方が少ない。精神異常ならいくらでも世間に取り繕えるから構わないが、異形の場合は産まれた瞬間に処分されて親にも秘匿される。

 それでも彼らはこの状態を改善しようとはしない。否、改善しなければいけない問題だと私たちは認識させてはいけない。聖地という名の井の中で、何一つ不自由することなく幸せに生きていて貰わなければならないのだから。何一つ、気づくことなく。

「かわいそーな、おおさまたち」

 ふふ、と思わず笑いが零れる。

 私は砂浜に座り込んだまま波の音に身をゆだね、この一ヶ月の漂流の末に辿り着いた景色を眺めた。青い空と海、白い雲と砂浜、緑あふれる豊かな島。リゾートの広告にありそうな何の変哲もない光景だ。

 沖には船一艘もなく、ただ波間に反射する光がキラキラと揺れている。空には海鳥一羽もなく、静かに雲が流れていく。どこまでも穏やかな海と空。まるで、一ヶ月前の光景が嘘のような。

「ふふふ、」

 どうしてだか、笑いが零れる。

 こんなに楽しい気持ちになるのはいつ振りだろう。いっそこのまま海の中へ飛び込んで、海流に身を任せてどこまでも流されてしまおうか。なんて、既にひと月も経験しているのだけれど。

 

 海は嫌いだ。

 空も嫌いだ。

 

 でも今はそれほど嫌いじゃない気がした。

 この世界は海と空ばかりだけど、それが全てではない。赤い大地の上にも、海の中にも空の中にも、人々は生きている。人は産まれながらにして自由で何処までも行ける。水平線のその先、世界の果ても、更にその向こうも。私もいつかいけるだろうか。みんなと同じように。

 青い海と青い空の狭間。水平線のその彼方を見つめて私は呟いた。

「仇は討ったよ、サボ」

 

 

 

  第一部『黄昏の空』 完

 

 

 

 


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