空と海と最後のブルー   作:suzu.

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第一部『黄昏の空』
00.リストラはいつも突然に


 

 オレンジの灯火が円卓の上に影を踊らせていた。

 仄暗い部屋には五つで一揃いの椅子と円卓。その上にゆらめく蝋燭の灯火が、ジジと音を立てて白い蝋を溶かした。

 部屋をぐるりと囲んだ20枚もの肖像画が、薄暗い闇の向こうから一様にこちらを見下ろしている。彼らは私を責めたりしなかった。当たり前だ、彼らが口を開くことなどないし、息遣いさえ立てることもできやしない。

 その静寂に耐え切れず思わずふるりと体を震わせると、金属の擦れる小さな音が部屋に響いた。意識をすると途端に手首に重さを感じる。冷たい。なんて無機質なのだろう。零れそうになる溜息を飲み込んで、視線を正面へと据えた。

 正面の円卓を囲む五つの黒影は身動きもせず、こちらを見ようともしない。いい度胸だ。そう心中でひっそりと零し、淡々と口上を述べる。

「テミス、只今参上しました」

 コツン。床を叩く鋭い音。老齢の男性が手に持つ杖。

「弁解があるなら聞こう」

「なにも」

 即答すると、皺のだらけの老人の顔に増える線。それを無感情な瞳の奥で、こっそり愉悦を浮かべて楽しむ。ざまあ。

「それは、罪を認めるということだな」

「おっしゃる意味が分かりません。私は何か罪を犯しましたか?」

「牢に繋いでおいた甲斐がなかったかの」

「ならばこれも外して頂きたいですね」

 そう言って、手を目線の高さまで掲げて見せる。ジャラリ、と鎖が音を立てて主張した。両手の自由を拘束する冷たい金属。そんな物に意味がないことは彼らも分かっているだろうけど、体裁は大切だから仕方ない。

 ジャラジャラと存在を主張する鎖を見せびらかすが、誰もぴくりとも反応しない。いつもながら冗談の通じない人たちだ。

 肩を竦めて大人しく手を降ろすと、奥に座る大振りの刀を持った老人が「テミス――」と、私の名を呼んだ。

「昨日のことだ。海賊王の処刑が行われたのは」

「へぇ、そうですか……」

 とっくに分かっていた結果、動揺を表に出すようなヘマはしない。ただ少し、胸の奥のどこかが痛むような気がした。そう、それだけ。

「で――、私の処遇はどのようになさるおつもりで?」

「フム、あくまであの男の死に感情は無いと言い張るのだな」

「珍しいこともあるものですね。私を前に感情という次元の話を持ち出すなんて。ふふ、なんて珍妙なことでしょうか」

 笑みも浮かべず笑ってみせる。張りつめた場を切り裂く声色は柔らかく、けれど温かみの欠片もなければ、嘲りも侮蔑も孕んではいない。ただ無機質にしんと空気にとけてゆく。

 

 いくばくかの沈黙が続いた後、よかろう――と首に傷のある男が静かに口を開いた。

「お前のこれまでの功績に敬意を払い、今回の件を罪に問うことはしないでおこう」

「ありがたきお言葉」優雅に一礼。 

「ただし、役目を疎かにした責任からは逃れられん」頭上に降り注ぐ力強い声。

 ゆっくりと半ばまで面を上げ、下から男の眼を射抜く。

 

 ととん。

 男の指が円卓の上を叩く音。

 下される審判。

 逃れられない業。

 

「政府官僚の身でありながら、海賊王に接触しつつも、捕らえることもまた海軍に報告することもせず黙認した行為。そして、あまつさえそれを是とし、海賊王の船に居座り続けた行為。これらは明らかに義務違反である」

 淡々と告げられる事実。弁解などあるはずがない。この行為を何と呼ぶかなんて自分が一番よく分かっている。

「よって、称号を剥奪したうえで、無期限の謹慎処分とする」

「……謹んで、お受けいたしましょう」

 深く、深く頭を下げそっと瞼を閉じる。

 粛然と下された制裁。応じた声が震えなかったのは意地かプライドか。いや、そんなものは生憎持ち合わせてなどいない。俯いた頬に髪がすべり落ちるのを感じながら、歯をギリとかみ締める。

 

 

『――お前に存在意義をやろう』

 

 

 頭に懐かしい声が響いた気がした。それは決して色褪せることのない大切な記録だったが、今この瞬間にとっては地獄の使者の呼び声よりも恐ろしく、肉体の芯までぞっと凍えさせた。

 

 顔は上げられなかった。

 正面にいる暖かな肉体を纏った老人たちのためではない。そのさらに奥。20枚の肖像画――その始まりの1枚である男の視線に堪えられなかったからだ。彼は私を責めたりはしなかった。その代わりただ黙って見下してくる。それだけでさえ身体を奥から燻り焼かれるような苦痛だった。

 私は自分の行為を何と呼ぶのか知っている。裏切りよりもなお業の深い行為だ。罪よりもなお救いようのない行為ともいえる。

 

 

 そう――、不忠だ。

 

 

 


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