00.リストラはいつも突然に
オレンジの灯火が円卓の上に影を踊らせていた。
仄暗い部屋には五つで一揃いの椅子と円卓。その上にゆらめく蝋燭の灯火が、ジジと音を立てて白い蝋を溶かした。
部屋をぐるりと囲んだ20枚もの肖像画が、薄暗い闇の向こうから一様にこちらを見下ろしている。彼らは私を責めたりしなかった。当たり前だ、彼らが口を開くことなどないし、息遣いさえ立てることもできやしない。
その静寂に耐え切れず思わずふるりと体を震わせると、金属の擦れる小さな音が部屋に響いた。意識をすると途端に手首に重さを感じる。冷たい。なんて無機質なのだろう。零れそうになる溜息を飲み込んで、視線を正面へと据えた。
正面の円卓を囲む五つの黒影は身動きもせず、こちらを見ようともしない。いい度胸だ。そう心中でひっそりと零し、淡々と口上を述べる。
「テミス、只今参上しました」
コツン。床を叩く鋭い音。老齢の男性が手に持つ杖。
「弁解があるなら聞こう」
「なにも」
即答すると、皺のだらけの老人の顔に増える線。それを無感情な瞳の奥で、こっそり愉悦を浮かべて楽しむ。ざまあ。
「それは、罪を認めるということだな」
「おっしゃる意味が分かりません。私は何か罪を犯しましたか?」
「牢に繋いでおいた甲斐がなかったかの」
「ならばこれも外して頂きたいですね」
そう言って、手を目線の高さまで掲げて見せる。ジャラリ、と鎖が音を立てて主張した。両手の自由を拘束する冷たい金属。そんな物に意味がないことは彼らも分かっているだろうけど、体裁は大切だから仕方ない。
ジャラジャラと存在を主張する鎖を見せびらかすが、誰もぴくりとも反応しない。いつもながら冗談の通じない人たちだ。
肩を竦めて大人しく手を降ろすと、奥に座る大振りの刀を持った老人が「テミス――」と、私の名を呼んだ。
「昨日のことだ。海賊王の処刑が行われたのは」
「へぇ、そうですか……」
とっくに分かっていた結果、動揺を表に出すようなヘマはしない。ただ少し、胸の奥のどこかが痛むような気がした。そう、それだけ。
「で――、私の処遇はどのようになさるおつもりで?」
「フム、あくまであの男の死に感情は無いと言い張るのだな」
「珍しいこともあるものですね。私を前に感情という次元の話を持ち出すなんて。ふふ、なんて珍妙なことでしょうか」
笑みも浮かべず笑ってみせる。張りつめた場を切り裂く声色は柔らかく、けれど温かみの欠片もなければ、嘲りも侮蔑も孕んではいない。ただ無機質にしんと空気にとけてゆく。
いくばくかの沈黙が続いた後、よかろう――と首に傷のある男が静かに口を開いた。
「お前のこれまでの功績に敬意を払い、今回の件を罪に問うことはしないでおこう」
「ありがたきお言葉」優雅に一礼。
「ただし、役目を疎かにした責任からは逃れられん」頭上に降り注ぐ力強い声。
ゆっくりと半ばまで面を上げ、下から男の眼を射抜く。
ととん。
男の指が円卓の上を叩く音。
下される審判。
逃れられない業。
「政府官僚の身でありながら、海賊王に接触しつつも、捕らえることもまた海軍に報告することもせず黙認した行為。そして、あまつさえそれを是とし、海賊王の船に居座り続けた行為。これらは明らかに義務違反である」
淡々と告げられる事実。弁解などあるはずがない。この行為を何と呼ぶかなんて自分が一番よく分かっている。
「よって、称号を剥奪したうえで、無期限の謹慎処分とする」
「……謹んで、お受けいたしましょう」
深く、深く頭を下げそっと瞼を閉じる。
粛然と下された制裁。応じた声が震えなかったのは意地かプライドか。いや、そんなものは生憎持ち合わせてなどいない。俯いた頬に髪がすべり落ちるのを感じながら、歯をギリとかみ締める。
『――お前に存在意義をやろう』
頭に懐かしい声が響いた気がした。それは決して色褪せることのない大切な記録だったが、今この瞬間にとっては地獄の使者の呼び声よりも恐ろしく、肉体の芯までぞっと凍えさせた。
顔は上げられなかった。
正面にいる暖かな肉体を纏った老人たちのためではない。そのさらに奥。20枚の肖像画――その始まりの1枚である男の視線に堪えられなかったからだ。彼は私を責めたりはしなかった。その代わりただ黙って見下してくる。それだけでさえ身体を奥から燻り焼かれるような苦痛だった。
私は自分の行為を何と呼ぶのか知っている。裏切りよりもなお業の深い行為だ。罪よりもなお救いようのない行為ともいえる。
そう――、不忠だ。