ハリー・ポッターと魔法の本   作:Syuka

86 / 122
第86話 「図書館騒動」

 アンソニー・ゴールドスタインは、迷っていた。声をかけるべきなのか、それとも、このままやり過ごした方がいいのか。それが決められなかったのだ。

 その理由については、彼にも心当たりがある。前夜に寮の談話室で、パドマ・パチルから話を聞いたからだ。詳しいことは話せないけど、との前提付きであったし、それゆえの納得しづらい部分もあった。その話がいま、彼をためらわせているのである。

 

(でも、なぜひとりなんだろう)

 

 そんな疑問も、アンソニーのなかにはある。昨夜のパドマの話からすれば、アルテシアをひとりにしておくはずがない。なのにどうみても、彼の視線の先にいるアルテシアはひとりだ。となりには、誰もいないのだ。歩いていく方向から、行き先は図書館だろうと推測されるのだが、それもまた、いつもの彼女には似合わない気がする。

 アンソニーのなかで、いわば常識化されていることのひとつに、アルテシアは図書館では勉強しないというものがある。図書館を利用しているところを、あまり見た覚えがない。それにアルテシアのとなりには、いつも誰かいるはずなのだ。いつもならパドマ・パチルの姉だし、下級生のスリザリン生だったりもする。ひとりであることなど、めったにない。もしかすると、ひとりで廊下を歩く姿を見るのは、アンソニーにとって初めてなのかもしれない。

 だが見方を変えれば、目の前の状況はアンソニーにとっては絶好の機会。2人だけで話をするチャンスなのだ。当然話しかけたいところだが、前夜にパドマから聞いた内容が、彼をためらわせる。

 

(あ!)

 

 ようやく、と言うべきかどうか。この段階でアンソニーは、いま図書館に行くのはマズイのではないか、と考えた。アンソニー自身は少し前まで図書館にいて、そこでちょっとした調べ物をした帰りにアルテシアを見かけたということになるのだが、その図書館には、あのアンブリッジがいたのだ。このままアルテシアが図書館へ行ったなら、当然、顔を合わせることになる。

 

『とくにアンブリッジとは、絶対に話をさせたくないの』

 

 前夜の話のなかで、パドマが言ったことだ。授業中は仕方がないが、それ以外では徹底的に避けるべき。しかも、マクゴナガルの許可を得ているというのだ。理由の説明はされていないが、あの厳格なマクゴナガルがそこまで言うのだから、ちゃんとした意味があると、そう思うべきなのだ。

 アンソニーは、決めた。アルテシアを、図書館へ行かせるべきではない。すぐにアルテシアのあとを追いかける。

 

「や、やあ、アルテシア。どこに行くんだい」

 

 アルテシアが振り返る。そのことで歩く速度が落ちたアルテシアを、アンソニーが追い越し、その前に回り込む。図書館を背にしたアンソニーが、アルテシアと向かい合う格好となったわけだ。

 

「どこって、図書館だけど」

「へ、へえ、図書館に行くなんてめずらしいね」

「そうかも。パドマに調べ物頼まれちゃって。自分はほかに用事があるからって」

「ああ、そうなんだ。でもさ、今は、やめといたほうがいいんじゃないかな」

「え?」

「だってほら、ええと、キミはひとりじゃないか。パドマの姉さんはどうしたんだい? 一緒のほうがいいんじゃないかな」

 

 うまい言い訳とはいえないが、ともかく会話を続けること。そうしながらアンソニーは、少しずつでも図書館から離れようと考えていた。図書館とは逆方向へと歩きながら話をすることができれば、それがベストなのだ。だがアルテシアは、その場に立ち止まったまま。

 

「わたしだって、ひとりのときもあるよ。それにもちろん、図書館の場所も知ってるよ」

 

 そう言って、笑う。だがもちろん、その笑顔に見とれている場合ではないことぐらい、アンソニーもわかっている。

 

「図書館、だよね。ええと、そうだ、明日にしないか。えっと、みんなで行ったほうが楽しいだろ」

「そりゃ楽しいだろうけど、図書館で騒いだりしたら怒られるよ」

「あ、そうか。そうだよね。ええと」

 

 なぜだか、不安な気持ちがわき起こる。イヤな予感がするのは、なぜだ。しかもアンソニーは、あいかわらずアルテシアを誘導できないでいた。図書館から離れるどころか、近づいてさえいるのだ。

 

「ま、待てよ、アルテシア。その、お願いだ。ちょっと、来てくれないか」

「いいけど、どうしたの?」

「どうもしないさ。なんでもないんだけど、とにかくお願いだ。図書館は明日にしてくれ。とにかく行こう」

 

 こうなったら、引っ張ってでも。あるいはそう思ったのかもしれないが、アンソニーがアルテシアの手をつかむ。そして。

 

「お待ちなさい、そこ。なにをしてるのかしら」

 

 この甘ったるい感じのする高い声は、アンブリッジのもの。聞き違えるはずがない。思わずアンソニーは、目を閉じた。

 

「まさか、女の子をムリヤリ? あんまり感心な行為だとは思えませんけどね」

 

 その声、が近づいてくる。さて、どうすればいいのか。アンソニーの頭がフル回転を始める。まずは、逃げるという選択肢。少しだけ距離がある。しかも背を向けているので、アンブリッジはまだ誰なのか特定できてはいないはず。いま、逃げ出せば。

 だがアンソニーは、その考えを捨てた。自分だけなら逃げ切ることは可能だろう。だがアルテシアがいるのだ。もちろん置いていくわけにはいかないし、逃げるにしても、その理由を説明をしている時間がない。アンソニーは、ゆっくりと声のする方へと身体を向けた。

 

「アンブリッジ先生、なにか見間違えをされたんだと思いますよ。ぼくは、そんなことはしてません」

「おや、そうですか。おや! おやおや、まあ、こんなところで会うなんて。あなた、課題はどうなったのかしら」

 

 これでもう、自分たちが誰なのか把握されてしまったことになる。もはや、逃げることは得策ではない。

 

「課題、ですか?」

「そうですよ。マクゴナガル先生がおっしゃったでしょう。まあ、ホントかどうかは疑わしかったのですけれど」

「せ、先生。そんなことよりぼくたち、もう行ってもいいですか。ちょっと立ち話してただけなんですけど」

 

 まさか、アンブリッジとこんなことになるなんて。これは、さすがに予想外だ。いまは、できるだけ早くこの場から逃げ出すこと。それが最優先。アンソニーは、必死に考える。

 

「少し、お待ちなさいな。事情を聞きませんとね」

「ですから、ぼくたちは」

「お黙りなさい。こういう場合、事情を聞くのは女の子のほうからでしょう。そこのあなた、何があったのか話してくださいね」

 

 アルテシアが、一瞬だけ、アンソニーを見る。だがアンソニーは、アルテシアを後ろへと押しやり、自分がより前に出た。

 

「ぼくが説明します。どこでも説明しに行きますから」

「なんですって」

「だから、彼女は行かせてやってください。図書館で、なにか調べ物があるんです」

「おーや、そうなの。図書館でね。いいでしょう、では、図書館へ行きましょうか。2人ともついてきなさい」

「えっ! あの、アンブリッジ先生」

 

 こうなることも、アンソニーには予想外、であっただろう。

 

 

  ※

 

 

「あなたがたの言いたいことは、よくわかりました。なぜアルテシアを連れてこなかったのかも理解しましたが、いいことではありませんね」

「どういうことですか、先生。この話はアルテシアには聞かせない方がいいって思ったんですけど」

「そうなのかもしれません。ですが、あまり難しく考える必要はないのではと、わたしは考えているのです」

 

 図書館近くの廊下で、アルテシアとアンソニーがアンプリッジと相対していたころ、マクゴナガルの執務室では、こんな会話がされていた。そこにいるメンバーは、マクゴナガルとパチル姉妹、そしてソフィアである。話の内容は、ホグズミードから学校へと戻る道で、ソフィアがパドマに相談したことの続き、ということになる。

 アルテシアが、ひとりで図書館へ行こうとしていたのにはこんな理由があったということだが、考えすぎだとするマクゴナガルに対し、すぐにソフィアがかみついた。

 

「先生、先生は気づいてたってことですか。なぜ、言ってくださらなかったんですか」

「落ち着きなさい、ソフィア。わたしも、100%の確信があるわけではないのです」

「で、でも、先生。ほんとに大丈夫だと思われますか。なにか、おかしな影響を受けたりすることはないんでしょうか」

「ソフィア、あなたは自分で言ったことすら忘れているようですね」

 

 もともとこの話は、ホグズミード村でのティアラの言動に対し、ソフィアが疑問を持ったことに始まっている。魔法書が部分的に分けられていたため、アルテシアは、その不足分を改めて学ぶことになった。ソフィアは、その過程でなにか不都合があったのではないかと気にしているのだ。

 だがマクゴナガルによれば、ソフィアは、肝心なことを忘れているらしい。

 

「もちろん、あなたの言うこともわかります。ですがやはり、あの子はあの子、アルテシアはアルテシアです。どこか変わってしまったり、違っていたりはしない。そうは見えないのです」

「でも、先生。ソフィアが心配することもわかる気がするんですけど」

 

 これは、パドマだ。パーバティは、ただじっと、話を聞いている。ソフィアも、その視線はマクゴナガルに釘付けだ。

 

「たしかに。ですが、これは以前にソフィアが言った言葉でもあるのですが、魔法書を読んだからといって性格とか人柄が変わったりはしないのです。ただ、知識が増えるだけ」

「そうですけど、今度の場合は違ったりしないんでしょうか。だってアルテシアさまは、もう1度魔法書を」

「もう少し、わたしの話を聞きなさい。なるほどアルテシアは、改めて魔法書を学びました。このようなケースは、おそらくはクリミアーナの歴史において初めてのことでしょう」

 

 そのことは、ソフィアも承知している。だからこそ、なにかしらの不測の事態が紛れ込む可能性を気にしているのだ。

 

「ですが、だからといって状況が変わるわけではない。大きく違うことはないはずです。気になるのは、ミス・クローデルの言動ということになりますが、おそらく彼女は、確かめたのではないかと思いますね」

「なにを、でしょうか」

 

 マクゴナガルは、特に問題はないはずだという。そして話は、ミス・クローデル、つまりティアラがなにを確かめたのか、ということに移っていくのだが、はたしてソフィアは、それで納得したのかどうか。

 

「ホグズミード村での話を聞く限り、どうやら彼女は、あなたたちの反応をみたのだと思いますね。特に、アルテシアを」

「アルテシアの反応、ですか」

「ともあれ今回、アルテシアのもとには、多くの新しい知識と魔法とが押し寄せた。それは間違いありません。ああ、ソフィア、もう少しだけ話を聞きなさい」

 

 ソフィアが、なにか言おうとしたのだろう。軽く右手を挙げて押しとどめると、なおも話を続ける。

 

「その増えた知識がアルテシアの考え方や行動、発言といったものに影響を与える可能性は、たしかにあるでしょう。でもそれは、授業で学び、知識を得、成長していくことと同じようなものだと思いますね」

「でも、先生」

「ええ、ソフィア。だからこそ、そのティアラなる女性は、確かめたかったのでしょう。いまのアルテシアの考えが聞きたかった。そう思いますね」

 

 少しの間、誰からも声はなかった。マクゴナガルが、ゆっくりと3人に視線を向けていく。なぜか、パドマが手をあげる。

 

「なんですか、ミス・パチル。ああ、妹さんのほうですね」

 

 マクゴナガルには、双子の姉妹を見分けることができるのだろうか。そんな疑問もあったが、パドマには、そんなことよりも優先したい質問があった。

 

「ソフィアも同じだと思うんですけど、アルテシアって、とても素直ですよね。もちろん自分の考えは持ってるし、頑固なところもあるにはあるんですけど」

「ああ、たしかにそうですね。さすがによく見ていると思いますよ」

「ソフィアが心配しているのは、新しい知識や魔法が一気に押し寄せてきているとき、その横でささやかれたことが、ふっとアルテシアのなかに入り込むんじゃないかってことです。だってアルテシアは、人の話は聞くし、ちゃんと考えるし、頼まれごとも、よほどじゃないと断ったりしない。あれこれ世話を焼いたりもするんです」

 

 そう言いはしたものの、さすがにパドマ自身は、そこまでのことは考えていない。いくらなんでも、誰かに何かを言われたくらいで考え方や性格などが変わったりするとは思っていないのだ。だが、魔法書のことがある。魔法書のことを考えたとき、そんなこともあるのかなと、ほんの少しだがその可能性を感じずにはいられない。せいぜいが、そんなところなのだ。

 

「ミス・パチル。そのことが気にならないといえば、ウソになります。気になることはたしかです」

「先生」

「どんなに優等生であっても、間違った教育環境によって堕落してしまう、というのはあり得ることです。ましてやアルテシアには、魔法書のことがあります。できるのなら、よけいな雑音は遠ざけておきたい。そんな時期であるのは間違いない」

 

 ではマクゴナガルも、そう思っているのか。誰もがそんなことを思うなか、マクゴナガルの熱弁が続く。

 

「そもそも教育というものが、どれほど重要なことであるのか。教師というものが、いかに重い責任を負っているのか。それがわかっていないのです。正しい方向へと生徒を導くことの必要性を、あの人は理解していないのです」

「あの、先生、それは」

「教師には、生徒を正しく導く責任があるのです。その責任を放棄するようなことを、わたしは認めない。間違った方向へ導こうとするなど、わたしは決して許さない。ここで間違ったなら」

「あの、先生。大丈夫です、わたしにまかせてください」

 

 マクゴナガルの熱弁をさえぎり、そう言ったのはパーバティ。必要以上とも思える明るい声と調子は、わざと、なのだろう。

 

「任せろとは、どういうことです?」

「あたしが、アルのそばにいます。ずーっと、一緒にいます。向こうの側には行かせない。ひとりにはしませんから」

「ミス・パチル。それはつまり、あなたがアルテシアの耳をふさぎ、目を閉じ、足を縛ってみせると、そういうことなのですか」

 

 あの、明るい調子はどこへやら。パーバティは、笑顔の消えた顔で、マクゴナガルの視線を受け止めていた。

 

 

  ※

 

 

「なるほど。おおよその事情はわかりました。では、あなたは帰ってもよろしくってよ」

「えっ、あのアンブリッジ先生。ぼくだけ、ですか。もちろんアルテシアも一緒ですよね」

「あなただけ、ですよ。わたくし、そう言いましたでしょ」

 

 そこで、アンブリッジが笑ってみせる。笑顔には違いないのだが、笑顔にもいろいろあるんだなと、まったく違う別の笑顔を思い浮かべながらアンソニーは思った。もちろん、そんなことを考えてる場合ではないのだが。

 ここは、図書館。司書であるマダム・ピンスにムリヤリに近いかたちで閲覧用のテーブルを確保させ、誰も近づけないようにと指示をして、そこに陣取っているのである。場所としては、一番奥。入り口からも遠く、最も目立たないところになる。

 

「さあ、早くなさい。わたくし、彼女と話があるのですよ。ここはとても静かですから、ゆっくりと話ができるでしょう。あなたさえいなくなればね」

「いや、あのですね、アンブリッジ先生」

「いいのよ、アンソニー。先に戻って。わたしもすぐに」

「いいや、ダメだ。ダメなんだよ、アルテシア」

「レイブンクロー寮から、5点減点」

「えっ!」

 

 思わぬ減点の宣告。驚くアンソニーとアルテシアを、アンブリッジがニタニタと笑いながら見ている。

 

「教師の指示に従わないのですから、当然だと思いますよ。それで、何がダメなんです? さあ、おっしゃって」

「いいえ、べつに。ただ、アルテシアを連れて戻らなきゃいけないって、そう思ってるだけです」

「おーや、あくまでも頑張るというのね。では、アルテシアさん、あなたはどう思います? 何がダメなんだと」

「いけないよ、アルテシア。何もしゃべっちゃいけない。何も言っちゃいけない」

「どうしたの、アンソニー。なにかあったの?」

 

 その返事すら、アンソニーにはできない。アンブリッジに聞かれてしまうからだ。それにしても、なぜこんなことになったのか。なぜ自分は、アンブリッジに逆らっているのか。どうすれば、このピンチを乗り切れるのか。アンソニーは、自分で自分に問いかける。

 

「これで最後にしましょうか。わたくしも、それほどヒマではないのよ。さあ、おとなしく帰りなさいな」

「いいえ、ぼくは、ぼくは」

「おーや、あくまでもわたくしの言うことに逆らうというのですね。そうなれば、処罰ということになりますよ」

「処罰って、まさか」

「それがイヤなら、何がダメなのかを言うのです。このお嬢さんに何もしゃべるなというのはなぜ? その理由を話すのです。ほら、早く言いなさい」

 

 そんなのオレが聞きたいと、アンソニーは、そう叫びたかっただろう。なにしろ彼も、詳しいことは知らないのだ。ただ前夜に、パドマに言われただけ。アルテシアとはしばらく話をしないようにと、そう言われただけなのだ。ただそれだけのことなのに、なぜこんなことをしているのか。

 もちろん、理由を尋ねた。だがパドマもよく分かってはいないらしく、十分な説明はされなかった。詳細はあとになるけど、とにかくアルテシアはそっとしておく必要があるのだと。

 

「まったく、言うなというのに言うのをやめない生徒もいれば、こうして必要なことを言わない生徒もいるなんて。やはりホグワーツの教育には、思い切った改革が必要ですわね。ねえ、お嬢さん。あなたもそう思うでしょう?」

「アルテシアに話しかけるな。アルテシアも、返事をしちゃいけないよ。黙ってるんだ。いいね」

「待って、アンソニー。よくわからないんだけど、わたしのことが原因なら、気にしなくていいよ。アンブリッジ先生、わたし、ちゃんとお答えしますから、アンソニーの処罰はなしにしてくださいませんか」

 

 図書館には、もちろん他の生徒もいる。誰もがアンブリッジから離れたところにある閲覧テーブルにいるのだが、話が聞こえている生徒もいるかもしれない。

 アンブリッジが、またもやニターっと笑ってみせた。いいものを見つけたとでも言いたそうな、そんな顔で。

 

「いいでしょう、アルテシアさん。あなたがわたくしの言うことを聞いてくださるのなら、処罰はなしでもよろしいわよ」

「ほんとですか」

「いや、アルテシア。ダメだって」

「このうるさい生徒はほおっておきましょう。よろしいわね?」

「帰るんだ、アルテシア。寮に戻るのに先生の許可なんかいらない。だいたいキミは、なんだってひとりで図書館なんかに」

 

 なぜかアンブリッジは、何もいわずに2人を見ている。アルテシアがアンソニーにうなづいてみせたあとで、アンブリッジに視線をむけた。

 

「先生、寮に戻ってもいいですか。あとで必ず、先生のお部屋におうかがいします。ここは図書館なので、みんなの迷惑になると思いますから」

「ああ、そうだ。そうだよね、うん。それがいいよ、たしかにみんなの迷惑になるからね」

 

 アンソニーが賛成してみせたのは、とにかくアンブリッジから逃れることが先決だと考えたからだ。フリットウィックかマクゴナガル、あるいはパドマでもいい。とにかく誰かの手を借りなければ。

 

「アルテシアさん、お約束、できますわね」

 

 じっと、アルテシアを見るアンブリッジ。アルテシアが返事をしようとする、その寸前でアンソニーが割り込む。

 

「ダメだよ、アルテシア。なんであれ約束はしちゃいけない。その前に誰か、このさいスネイプでもいいんだ。とにかく誰かに相談してくるんだ。さあ、早く行って」

「お黙りなさい。ここは図書館ですので、静かにね。で、アルテシアさん。どうするの? わたくしの言うとおりにするのか、それともこの生徒に罰則を受けさせるのか」

 

 笑顔にもいろいろあるのだと、アンブリッジを見ながら、改めてアンソニーは思う。こんな意地悪そうに笑うことができるなんて、信じられない。こんな笑い顔が世の中に存在していいのか。思わず目を閉じたアンソニーの頭の中に、何度も思い浮かべたことのある笑顔があらわれる。そうだ、これだよ。笑顔だって言うんなら、こうでなくては。

 つかのま、まぼろしの笑顔にみとれたあとで、ゆっくりと目を開ける。なぜだろう、アンブリッジが立ち上がっている。

 

「では、わたくしはこれで。なかなか、楽しいひとときでした。では、またね。ごきげんよう」

 

 ああ、ようやくこれで…… これでようやく、肩の荷が下りたのだ。アンソニーは、ほっと胸をなでおろす思いだった。

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツの生徒のなかで、もっとも図書館を利用しているのは誰か。試しに誰かに聞いてみればいい。まず間違いなくハーマイオニーだという答えが返ってくるだろう。このことを疑う者など、おそらくは誰もいない。

 だがこのとき、ハーマイオニーは図書館にはいなかった。アルテシアが図書館でアンブリッジと相対しているとき、図書館ではなく、談話室の片隅でハリーと話をしていたのである。ロンのほうは、もう夕食の時間だということで、一足先に大広間に行っている。

 

「だから、なんとかしてアルテシアも仲間に引き込まなきゃいけないわ。アルテシアがいるかいないかで、参加メンバーだってずいぶん変わってくるんだから」

「わかってるよ。でも、どうするっていうんだい。あいつには、きっぱりと断られたんだろう」

「そうだけど、ハリー。まだ望みはあると思うわ。アルテシアだって、このままでいいなんて、思ってるはずないんだから」

 

 2人の前には、ホグズミード行きのときに作った参加者リストがある。防衛術の自習をしようとハーマイオニーが呼びかけ、集まった人たちのリストだ。参加意志の確認と、誰にも情報をもらさないという約束の意味とが込められた、いわば誓約書でもある。そこに記された名前を改めて確認し、ハーマイオニーが自分のカバンのなかへとしまい込む。

 

「でもぼくは、もっと少ない人数を予想してた。キミが集めすぎたって思ったくらいなんだ」

「いいえ、本当ならもっと集められてたのよ。アルテシアは来るのかって聞かれて、あたし、返事ができなかった。今思えば、交渉中だとか言えばよかったんだろうけど、そんな人もいたのよ」

「誰だい、それは。アルテシアが参加したら、そいつも参加するっていうのかい」

 

 それが誰かをハーマイオニーは言わなかったが、聞かなくても予想はできるとハリーは思っている。来そうでいて来てないヤツ、たとえばそいつがそうなのだ。

 

「スリザリンがいないのは当然としても、レイブンクローが少ないよね。あんまり声をかけてないの?」

「スリザリンは、あの子だけよ。もしかしたらって思ったんだけど、アルテシアと一緒じゃなきゃイヤだって。パドマもそうだし、アルテシアにはアルテシアのグループみたいなのがあるんだわ」

「それは、あるだろうね。ぼくたちだって、いつも一緒じゃないか」

 

 仲良しグループは、どこにでもあるもの。ハーマイオニーにしても、それが悪いというつもりはない。グループ内で、あるいは各グループ同士で、毎日を楽しく過ごしつつも互いに意識しあい、刺激しあって、向上していけばいい。それが理想だが、たとえばスリザリンのグループのように反目しあうこともある。それだって、競いあうという意味はあるだろう。

 もっと大きく考えれば、4つの寮だって、そんなグループなのだ。それぞれが、それぞれに学び、それぞれに進歩していけばいい。

 

「だけどアルテシアと離れちゃいけない気がするわ。離しちゃいけない。そんな気がするのよ」

 

 ハーマイオニーが立ち上がる。そして、ハリーに声をかける。

 

「夕食に行くわよ、ハリー。そこでアルテシアと話ができればいいんだけど」

 

 

  ※

 

 

 なぜだ、なぜ、そこで呼び止めたりするんだ! まさにそれは、アンソニー・ゴールドスタインの、心の叫び。声には出さなかったが、彼がそう思ったであろうことは、間違いない。

 アンブリッジがようやく席を立ち、図書館から立ち去ろうとしたというのに、あろうことかそれを、アルテシアが呼び止めてしまったのだ。すでに閲覧テーブルから3歩ほどは離れていたが、その場でこちらを振り返る。アルテシアもゆっくりと席を立ち、アンブリッジへと近づいていく。アンソニーのほうは、おろおろとしつつ、ただ2人を見ているだけだ。

 

「なんですか、お嬢さん。まだなにか、ご用?」

「呼び止めたりしてすみません、アンブリッジ先生。確認しておきたいのですけれど」

「なにかしら。でも、あとでもよろしいのじゃなくって。わたくしの部屋で、ゆっくりとお話しするときにでも」

「いいえ、先生。今じゃないとダメなんです。わたしの大切な友人が言ってくれたことを思い出したんです。失敗しないように気をつけなさいって」

「おや、そうですか。それで、なんです? テーブルに戻りましょうか」

 

 だがアルテシアは、すぐに済むからと、それを否定した。立ち話で十分だということだ。

 

「わたしが約束したのは、あとで先生のお部屋へ行くという、それだけですよね。そこで先生の質問に答えれば、アンソニーを処罰しないと、そういうお話でしたよね」

 

 アンブリッジの表情が、またもやゆがむ。本人は笑っているのだろうが、とてもそんなふうには見えない。

 

「いいえ、アルテシアさん。わたしの言うことには従うという、そういうお約束だったと思いますよ」

「そうでしょうか。そんな約束ではなかったと思うのですが」

「あらあら、わたくしがウソを言っているとでもおっしゃりしたいの?」

「というより、実際の内容とはあまりにかけ離れているのではありませんか」

 

 どちらの言うことが正しいのか。アルテシアはにらむようにアンブリッジを見つめており、アンブリッジはニタニタと笑いでそれに応える。

 

「納得できない? 困ったわねぇ。でも、証人がいますから大丈夫。ほら、司書の方がそこに。ねえ、ピンス先生」

「え、え、ええぇぇっ! わたしが、ですか。わたしが、証人?」

 

 突然に話を振られて、さすがにマダム・ピンスも驚いたことだろう。たしかにアルテシアたちの話が聞こえる場所にはいた。だがアンブリッジの持つホグワーツ初代高等尋問官という肩書きにすっかり気をのまれてしまっており、緊張のあまり、話は聞こえていたにせよその内容を正しく理解できてはいないようだ。

 ふだんに似合わず、ただおろおろとするただけのピンスをみて、アルテシアは軽く目を閉じる。いくぶん笑っているようにも思えるその顔を、アンソニーが見ている。おそらく彼のなかには、もう1つ新たな笑い顔というものが追加されたことだろう。なるほど、たしかに笑顔には、いろいろなものがあるようだ。

 

「アンブリッジ先生、先生は魔法省より派遣されてきたんでしたよね?」

「ええ、そうよ」

「たしか先生は、魔法省の教育令23号により初代の高等尋問官となられ、魔法大臣とともによりよい教育のために努力されているのだとか。つまり先生は、魔法省と同じ考え方なのであり、魔法省の方針に従っておられるのですよね?」

「そのとおりですよ。それが何か?」

「確かですか。間違いないですか。魔法省とアンブリッジ先生とは同じ、ということで、間違いないんですね」

 

 しつこいまでに念を押してくるアルテシアを、いぶかしげに見るアンブリッジ。だが、改めて聞くまでもないのだ。アンブリッジの答えなど、わかりきっている。

 

「間違いありませんよ、お嬢さん」

 

 アンブリッジがそう答えるのと、まだわずかに残っていたアルテシアの微笑みが消えるのとは、ほぼ同時といってよかった。ほんのわずかの沈黙のあと、アルテシアは、手をそろえて目を伏せ、ふんわりと柔らかく優雅にお辞儀をしてみせたのだ。

 そして、アンソニーを促し、ともに図書館を出た。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。