ハリー・ポッターと魔法の本   作:Syuka

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第36話 「リドルとバジリスク」

「素直に、すごいとは思いますよ。さすがだなって思います。でも、苦労するわりには得られる効果に乏しい気がするんですけど」

「かもしれないね。でも、必要なことなんだって思ってるよ。ホグワーツの生徒だもんね。まだここにいたいし」

 

 そのときのアルテシアの微笑みを、そしてソフィアの顔に浮かんだわずかな笑みを、どのように解釈すればいいのか。そんな表情を見せ合ったあとで、開かれたままとなっている秘密の部屋への入り口、すなわちむき出しとなったパイプに目を向けた。

 2人は、マートルの棲む女子トイレに来ていた。アルテシアのほうは、医務室での必要な段取りを終えてからの、予定通りの行動である。だがソフィアは、寮に戻ると言って医務室を出たはずなのだ。なのになぜ、この場にいるのか。まさかここが、スリザリンの寮でもあるまいに。

 

「触れることは、できないんですね」

 

 伸ばした手を、ひらひらとさせるソフィア。その手のひらは、アルテシアの右手を切断でもしているかのように、腕そのものを、左右になんどもすり抜けていく。しかも、動かすのになんの支障もないようだ。

 

「光を集めて写しているだけだからね。一種のホログラフィーって言えばわかりやすいかな?」

「この疑似的な体のなかに、本物の意識が封じられてるってことですよね。危険な場所に行くのには便利そうですけど、生身の体のほうがよっぽど楽なんじゃないですか。なぜこんな苦労を選ぶんですか。いざとなれば一瞬で戻れるのに」

「ああ、ダメよ。それを言いだしたらすべてが終わっちゃうでしょ」

「なるほど。一緒に行きますが、いいですよね?」

「いいけど、セルフ・サービスってことになるよ」

 

 それはつまり、危険な目にあっても自分の責任でなんとかしてよ、ということだ。秘密の部屋では、危険が予想される。すでにアルテシアは、難度の高い魔法を用いているのだ。しかもその状態を維持し続けねばならないのだから、ソフィアにまで気を配る余裕はない。それが、相当な負担となるのは間違いないのだ。だがアルテシアの表情を見る限りでは、そのことを迷惑がってはいないらしい。むしろ、喜んでいるというふうにも見える。

 アルテシアが、秘密の部屋への入り口を指さす。すると、そのパイプの中から飛び出してきたるかのよう、まったく同じ入り口が、空中に浮かび出た。もちろん、アルテシアのしわざである。

 

「秘密の部屋に安全に入れる場所を探すわ」

 

 空中に浮かんだ景色が変わっていく。パイプのなかを進んでいるのだ。だが進むにつれて、暗くなっていく。曲がりくねったパイプの奥にまで、入り口からの光が届かないのだ。

 

「少し待ってください。灯りを入れてみますから」

 

 その言葉とは、ほぼ同時。ソフィアの手のひらの上に、直系10センチほどの赤い玉が出現する。赤色に光っている、のではない。燃えているのだ。ソフィアが、その炎のかたまりをパイプのなかに投げ入れる。

 

「わたしでは、光の操作はできません。これくらいしか」

「十分だよ。十分に明るいと思うよ。ほら、パイプの中が見え始めた」

 

 アルテシアが投影している場所へ、ソフィアの火の玉が到着したようだ。そこに、火の玉が浮かんでいる。

 

「じゃあ、先へ進みましょう。速さは、わたしがあわせます」

「ありがとう、ソフィア」

 

 空中に浮かんだ景色が、動き始める。やがてパイプは終わりを告げ、石のトンネルへと変わった。これまでよりも広く、立ったままで歩けるほどだ。このトンネルは、ぼんやりと明るいようだ。もう、ソフィアの火の玉は必要ないだろう。石の廊下を進む。ハリーたちの姿は、ない。

 

「あ、あれは」

 

 ようやくにして、見えてきた人影。だが、なにかようすが変だ。その先には石というよりは岩と言うべきものが積み重なり、行き止まりとなっているようだし、ハリーの姿がなかった。そこにいるのは、ロンとロックハートの2人だけ。

 アルテシアとソフィアが、互いに顔を見合わせる。

 

「行くよ」

 

 互いにうなづいた次の瞬間には、2人は、そこにいた。

 

「ロン、大丈夫? ハリーはどこにいるの?」

「やあ、アルテシアじゃないか。そっちの子も見たことあるな。何しに来たって言うつもりはないけど、キミたちは引き返したほうがいいんじゃないかなぁ。なにしろ通行止めだ」

 

 それは、天井から落ちてきたものであるらしい。岩の塊が積み重なり、壁となっていた。その壁と天井との間にはわずかに隙間があるが、人が通れるほどではない。つまり、その壁を何とかしない限りは、先へ進めないということだ。

 

「ハリーは、この壁の向こうなんだ。だから、先に行ってもらってる」

「ケガなんか、してないよね?」

「大丈夫さ。それよりキミ、ぼくの杖を直してくれなくて正解だったぜ。杖がまともだったら、いまごろぼくの記憶はなくなってたところだ」

 

 ロンが言うには、ロックハートがロンの杖を奪い、ロンとハリーに忘却術をかけようとして失敗。杖が破裂してこんなことになってしまったらしい。いつだったかアルテシアは、ロンから杖を直せないかと相談を受けたことがあったのだ。

 

「ロン、ロックハート先生もだけど、医務室に行った方がいいわ」

「ぼくは、大丈夫。無傷だよ。それより、ここを通れるようにしておかないと。ハリーが戻ってこれないだろ」

「そのことだったら大丈夫よ。わたしが元に戻す。そんな魔法を知ってるから」

「へぇ、そうなのか。じゃあ、やってくれよ。今なら、ハリーに追いつけるかもしれない」

 

 そのロンの返事を聞いて、失敗した、とアルテシアは思った。とにかくロンを、ロックハートもだが、とにかくここから退去させてしまいたかったのだ。秘密の部屋は閉じてしまうつもりなのだし、怪物によって被害をうけてしまう可能性もある。ソフィアが口を挟む。

 

「それは、やめておいたほうがいいかと思いますよ。ところでウィーズリーさん、ロックハート先生のようすがおかしいです」

「ああ、そいつはそれでいいんだよ。さっきも言ったけど、自分で自分に忘却呪文をかけてそうなったのさ。当然の報いだよ。もう本人は、そのこと覚えちゃいないんだろうけど」

「当然の報い、ですか。なるほど、いろいろ事情がおありのようですね」

「たしかに、いろいろとあるな。とにかく、ロックハートはぼくが面倒見るから心配ない。キミたちは先に行けよ」

 

 ロンは、にこやかに笑いながら、アルテシアの肩をポンと軽くたたいてみせた。いや、たたこうとしたのだが、それは失敗する。ただの、色のついた光の塊であるアルテシアの体には、触れることはできないのだ。

 

「キミ、いまのは? ああ、いいんだ別に。説明はあとでいい。考えてみれば杖もないし、このまま先へ行っても足手まといになるだけなのはわかってる。ぼくは、こいつを医務室に連れていくことにするよ」

「ごめんね、ロン。そのかわり、妹さんは必ず助けるわ。医務室で待ってて。もうマダム・ポンフリーには言ってあるんだ。ベッドも予約済みなのよ」

「へえ、そうなのか。妹だけじゃなく、ハリーのことも頼むぜ」

 

 それには、うなずいただけ。アルテシアは、天井部分にできた大きな割れ目に目をむけた。ソフィアが、ロンの横へ来る。

 

「ウィーズリーさん。あの魔法のことは、できれば忘れてあげてください。いろいろと事情があるんです。マクゴナガル先生にもしかられるでしょうし」

「どういうことだい? キミはたしか、ソフィアとか言ったよね?」

「オブリビエイト(Obliviate:忘れよ)でしたか。それがわたしに使えれば、ウィーズリーさんに使用したでしょうね」

「ああ、それは困るな。あんなふうにはなりたくない」

 

 それは、ロックハートのことだろう。そんなことを話しているロンとソフィアの目の前では、アルテシアの魔法が進行中だった。ちょうど逆回転される映画でも見ているかのように、崩れ落ちてきたはずの岩が、吸い込まれるようにして天井へと戻っていく。アルテシアの作り出した半透明の区画に区切られた、その内部でいったい何が起こっているのか。崩れ落ちた天井は、またたくまに元通りとなった。

 

 

  ※

 

 

 その場所に着いたとき、ハリー・ポッターが背の高い黒髪の少年と向かい合っていた。そのハリーの足下には、誰かが倒れている。赤毛であることや状況から、それがロンの妹であろうと判断。ハリーは、その人物を抱き起こそうとしているところだ。

 この部屋にも、どこからか明かりがさしてくるようだ。薄暗くはあるが、行動には差し支えない。とても広い場所であり、ヘビが絡み合っているような模様が彫刻された石の柱がいくつもある。奥には巨大な石像まであるようだ。天井は見えなかった。どうやら、薄明かりでは見えないほど高いところにあるようだ。

 

「キミは、トムか。トム・リドルなのか?」

 

 ハリーの声が聞こえた。リドルと呼ばれた少年が領く。アルテシアとソフィアは、そこで顔を見合わせた。トム・リドルとは誰か。それを知っているかと、互いに確かめ合ったのだ。その答えは、リドルという少年から語られた。

 

「ぼくは、記憶なんだよ。その日記の中に50年間残されていた記憶だ」

 

 日記とは、たぶんソフィアが見たという黒いノートのことだろう。アルテシアとソフィアは、互いに目でそのことを確認し合う。だが、どういうことだろう。このことを聞き流すようなことは、アルテシアにはできなかった。本に残された記憶。実物をみていないのでなんとも言えないが、それは、どこかクリミアーナ家に伝わる魔法書を連想させる。だが今は、そのことを深く考えているときではなかった。そのことは、あとだ。すくなくともアルテシアはそう思ったし、ソフィアのほうは、そんなアルテシアをどこか不安げな目で見ているだけだ。

 リドルが指し示した、先。ハリーからそれほど遠くないところに、小さな黒い日記が、ページが開かれたままの状態で置いてあった。それを、ハリーは確認したようだ。

 

「とにかくトム、助けてくれ。ここにはバジリスクがいるはずなんだ。ジニーを運び出さなけりゃ。お願い、手伝って」

 

 だが、リドルは動かない。いや、床から何かを拾い上げるくらいのことはしたのだが、それはハリーの期待した行動ではなかった。リドルは薄笑みを浮かべつつ、拾い上げたもの、どうやらハリーの杖であるらしいが、それを手の中でくるくると回してもて遊びはじめた。

 

「聞いてるのか、リドル。急いでここを出なきゃいけないんだ。バジリスクが来たら、大変なことになる」

 

 急き立てるように言ったその言葉は、しかし、リドルには届かない。リドルは、相変わらずハリーの杖で遊んでいる。

 

「ここは、秘密の部屋なんだよ、ハリー。スリザリンの継承者のための部屋だ。聞いたことくらいあるんだろう? ぼくには、なんら危険な場所ではないのさ」

「キミがそうだっていうのか。とにかく、杖を返せ。ここが秘密の部屋だというのなら、必要になるかもしれない」

 

 だがリドルは、相変わらず笑いを浮かべたままで、ゆっくりとハリーの杖をポケットにしまい込む。そんなリドルを、ハリーは驚きの目で見ている。

 

「その、いまやかろうじて生きているだけの女の子が、どうしてそうなったのか。ハリー・ポッター、キミはなぜだと思う?」

 

 トム・リドルの、自慢話にも聞こえる説明が続く。それによれば、ジニーは長い間、リドルの日記に悩み事など書き続けていたようだ。それに応えることでジニーの心をつかみ、徐々にジニーの心を乗っ取っていったらしい。

 その話を、アルテシアたちは飾り模様のついた太い柱の陰に隠れて聞いていた。いや、ただ聞いているだけではない。話を聞きつつも、アルテシアはジニーに目をむけていた。ジニーを医務室のベッドへと飛ばしてしまうつもりなのだが、ハリーが抱きかかえている状況では思うようにはいかない。ハリーも含めれば簡単だが、そうすることはできない。

 

「もう、わかってるはずだ。『スリザリンの蛇』を使ってできそこないどもを石に変えたのは、ジニーだよ。もちろん、そのことを自覚していたわけじゃないさ。だがとうとう、変だと疑いはじめ、ついには日記を捨てた。それを拾ったのがハリー、キミだった。ボクにとって幸運なことにね」

「なぜだ。幸運だったって? それはどういうことだ」

 

 その声から、ハリーが相当怒っていることがわかる。要は、ジニーを利用したということになるからだ。ジニーを、元通りに床に寝かせてから、ハリーは立ち上がった。

 

「キミのことは、ジニーがいろいろ聞かせてくれたよ。そう、君のすばらしい経歴を、ね」

 

 ハリーがジニーを離して立ち上がったことは、アルテシアにとっては待っていた瞬間とも言えた。ハリーとリドルの話は続いている。どちらもいま、ジニーのことは意識から外れているはず。ほんの一瞬、その姿が消えたとて、気づかれることはないだろう。

 アルテシアが、ソフィアの顔を見る。アルテシアとしては、ここで互いに頷きあって実行、というつもりだったのだろう。だがソフィアは、軽く首を横に振った。そして、自分を指さしてみせる。代わりに自分がやる、という意思表示なのだろう。

 アルテシアの目が、さらに大きく開かれた。それは、意外というかおどろきのためだろう。だがソフィアは、医務室でアルテシアがベッドに印を付けたところを見ている。ジニーを転送させる位置の確認という意味でしたことだが、それによって転送先の状況などに気を遣う必要がなくなるのだ。おそらくソフィアも、同じことをしているのだろう。

 アルテシアはそう考えた。そして、うなづいてみせた。ならば、ソフィアにまかせてみよう。そして、自分はそのあとの処理をするのだ。そうすれば、ほんの一瞬であろうとも、ジニーの姿が消えるということがなくなる。万が一にも、リドルやハリーに気づかれることがなくなるのだ。

 

「そのときキミは、これといった特別な魔力も持たない赤ん坊だったんだろ。なのに、不世出の偉大な魔法使いを打ち破った。なぜだ? なぜ、そんなことができたんだ? ヴォルデモート卿は、キミに傷痕を1つつけただけだなんて、そんなことありえないだろ」

「なぜ、そんなことをキミが気にするんだ。なんの関係がある?」

 

 ハリーたちの話は続いている。アルテシアは、ソフィアの前に左手を広げてみせた。それを上下に振り、5本たてた指が4本となり、3本へ。これでタイミングを合わせようということだ。

 そのときリドルは、ハリーの杖を使って、空中に文字を書いていた。アルテシアたちにとっては絶好のタイミング。ハリーもリドルも、ジニーにはまったく目をむけていない。3本から2本、1本。そして。

 表面上は、なにも変化はなかった。ハリーたちは変わらず話を続けているし、床に倒れているジニーも、そのまま。だがアルテシアはその場に崩れるようにして膝をついた。ソフィアは、そんなアルテシアを支えようとしたが、手がすり抜け失敗していた。

 

「つまり、キミがヴォルデモート卿だってことか。だがキミは、偉大なんかじゃないぞ」

「なんだと」

「偉大な魔法使いはアルバス・ダンブルドアだ。みんながそう言っている。ヴォルデモート卿は、ホグワーツになんの手だしもできなかった。それは、ダンブルドアを恐れていたからだ」

「なるほど。だがダンブルドアは、ただの記憶に過ぎないものによって追放されたぞ」

「いいや、ダンブルドアは、それほど遠くには行ってない」

 

 それは、ウソだ。ハリーは、ダンブルドアがどこにいるのか知らない。そう言えばリドルがいやがるだろうと、そう思ってのことだった。だがそのとき、どこからともなく音楽が聞こえ、すぐそばにあった柱の上から炎が燃え上がった。

 炎の中から現われたのは、白鳥ほどの大きさの深紅の鳥。ハリーは、その鳥に見覚えがあった。ダンブルドアのペットでもある不死鳥のフォークスに違いない。こんなにキレイな鳥だったのか。

 不死鳥は、運んできた『組分け帽子』をハリーの手元に落とし、肩に止まった、

 

 

  ※

 

 

「驚きました。本当に、こうなるとは。この生徒が、ジニー・ウィーズリーなのですね」

「そうです。でも大丈夫でしょうか」

 

 そのパーバティの言葉は、なにもジニーに対してだけのものではあるまい。こうしてジニーが医務室に運ばれてきたということは、アルテシアが秘密の部屋の奥へと到着したことを意味する。それが同時に、アルテシアが無事であることの証明となるのなら、あるいはパーバティも、こんな気持ちは抱かないのかもしれない。

 マダム・ポンフリーには、そんなパーバティの気持ちが読み取れているようだ。

 

「ともあれ、この生徒の診察をしましょう。あなたは、ミス・クリミアーナのようすを見ていなさい。いまのところ、とくに変化もないようですけどね」

「はい」

 

 だが実は、穏やかに寝ているようにしか見えないアルテシアの、その表情が一瞬だけ変化したのを、2人は見落としていた。そのとき、部屋の反対側に置かれたベッドの上に、ジニーが運ばれてきたからである。もしそちらに気をとられることなく、その変化に気づいていたなら、パーバティはその瞬間に、アルテシアに渡されたボールを床へと投げつけていただろう。

 そのアルテシアは、秘密の部屋でハリーの話す言葉を聞いていた。そこにいるトム・リドルにとっての未来において、ハリー・ポッターを襲撃した際、なぜ失敗したのかを。

 

「なるほど。母親がキミをかばい、代わりに死んだのか。それが、呪いに対する強力な反対呪文になったんだろう。結局、キミにはそれしかないんだな。幸運だったということだけしかね」

 

 リドルが歩き出す。笑い声が、秘密の部屋に響き渡る。なにかをするつもりだ。ハリーだけでなくアルテシアも、そしてソフィアもそう思った。リドルは、一対となっている高い柱の間で立ち止まり、その上を見上げた。そこには石像がある。その石像へむかってリドルがなにかしゃべった。アルテシアにはシューシューという音にしか聞こえなかったが、ハリーには何を言っているのかわかっただろう。

 石像の顔、その口が動き始める。口を開けているのだ。しかもその口のなかで、なにかがうごめいている。そのなにかが、ズルズルと這い出してくる。

 

(バジリスクだ!)

 

 誰もが、そう思っただろう。その瞬間、ハリーは目を閉じた。そうしなければ、死ぬ。死なぬまでも石にされてしまうのだ。ほぼ同時に、ハリーの肩に止まっていた不死鳥が飛び立つ。続いて、何かが落ちる音がし、石の床が震えた。巨大なヘビ、バジリスクが石像から落ちてきたのだ。

 アルテシアが、魔法を発動。そのとき目を閉じていたハリーには、何が起こっているのかを見ることはできないが、赤や黄、緑などの色鮮やかな光がハリーを包み込んでいく。その色のついた光に包み込まれていくハリーの姿を外から見ることができるのは、それが半透明であるからだ。半透明であるため、その中にいるハリーも、たとえばバジリスクやリドルなどを見ることに支障はない。もちろん、目を開ける勇気があればの話ではあるが。

 ハリーを包む光の玉が完成すると、今度はソフィアを七色の光が包んでいく。それに気づいたソフィアが、あわてて首を横に振りながらアルテシアにすがりつこうとしたが、その体をすり抜けてしまう。そこに、アルテシアの体、その本体はないのだ。

 

「なんだ、それは! いったい何をしたんだ」

 

 リドルの声。だが、目を閉じているハリーには、なんのことかわからない。おそらくは目を開けたくてたまらないのだろうが、その欲求を、開ければ死ぬかもしれないという恐怖によって、かろうじて押さえこむ。視力の制限によって耳の感度が上がったらしく、ハリーには、さまざまな音がはっきりと聞こえた。バジリスクが、その巨大な胴体を床の上で滑らせる音。不死鳥のフォークスの翼が、空気を切り裂く音。その鳴き声。

 なにやら重いものが動きまわる気配が続き、ハリーは、とうとう我慢ができなくなった。おそるおそる、目を開けていく。最初に見えたのは、赤や青の色。まるでシャボン玉のように、それらの色が混ざり合って動いていた。そして、その色を通して巨大な蛇が見える。と同時に、バサバサとフォークスの羽ばたく音。バジリスクが、こっちを見た。

 ハリーは、あわてて目を閉じた。間に合ったのか、それとも遅かったのか。その顔を見た気がする。その目を見たような気がするのだが、意識はある。それはつまり、生きているということだし、石にはなっていないということだ。では、間に合ったのだろうか。

 ふたたび、フォークスの鳴き声。なにかがぶつかり合う音。バジリスクが、いっそう激しく動きまわる。いや、これでは暴れていると言った方がいいだろう。

 

「くそっ、不死鳥のやつめ。もういい、鳥にはかまうな! においで探るんだ。後ろにいるぞ! 殺せ、殺すんだ!」

 

 あるいは、ヘビ語だったのか。リドルが叫んだ。ハリーは目をあけた。真正面に蛇の顔が、そして、その目が。だが大きな黄色い球のような目からは、血が噴き出していた。察するに、フォークスのくちばしでつぶされたのだろう。

 ハリーがそう判断したとき、視線のなかにあった赤や青、黄色といった色が消え去り、視界がクリアになった。やはりバジリスクは、両眼とも潰されている。これで、即死や石化からは逃れることができるが、それでもバジリスクの戦闘力は残ったままだ。

 バジリスクの尾が、大きく旋回。尾による攻撃だ。あまりの素早い動きに、ハリーはとても逃げ切れないと思った。それでも身をかわそうと床に伏せる。そのハリーと頭の上を、バジリスクの尾が、ゆっくりと通り過ぎていく。

 ゆっくりと? ハリーは、疑問に思った。目で追えるほどのスピードだ。とてもよけきれないと思ったのに。そのはずだったのに。ハリーの頭に、フォークスが持ってきた「組分け帽子」が乗せられた。バジリスクの尾の旋回による風圧で飛ばされ、たまたまそうなったのだろう。だが、この状況で「組分け帽子」がなんの役に立つのだ。ハリーは、そう思った。だがもう、これしか残っていないのも事実。杖は、リドルに奪われたままなのだ。

 帽子をしっかりとかぶり、床にぴたりと身を伏せる。これで尾の旋回による攻撃はかわせるだろう。だが、バジリスクの牙は防げない。ハリーは考える。なにか方法はないか、助かる方法はないのか。

 

(これを使うがいい)

 

 頭の中で声がした。ぎゅっと、誰かが絞ったかのように帽子が縮んだ。そして、頭の上が重くなった。帽子の中に、何かある。

 あわてて帽子を脱ぎ、そのなかに手を突っ込む。何か、長くて固いもの。ハリーは、帽子からまばゆい光を放つ銀の剣を取り出した。柄には大きなルビーが輝いている。

 これで、バジリスクを倒せる! ハリーは立ち上がり、剣を構えた。バジリスクも、鎌首をもたげハリーへと向ける。丸ごとハリーを飲み込めるほどの大きな口が、カッと開かれ、ハリー目がけて迫ってくる。

 だが、そのバジリスクの動きはゆっくりだ。なぜかは知らぬが、十分に目で追うことができるのだ。両眼から血を流しているためかもしれない、とハリーは思った。だが、チャンスであることに疑いはない。

 長い牙のある、大きな口。そこにハリーは、全体量を乗せて、剣を突き入れた。ズブリと突き刺した。狙い通りの場所ではあったが、肘のすぐ上に焼けつくような痛みが走った。バジリスクの毒牙が1本、ハリーの腕に突き刺さったのだ。その毒牙をハリーの腕に残したまま、バジリスクが床に倒れていく。毒牙は、折れていた。

 その牙を、力のかぎりに腕から引き抜く。そこから、血が噴き出してくる。痛みもかなりのものだ。ばさばさと羽ばたきの音が聞こえ、それが、小さな爪音に変わった。爪音は、フォークスが床を歩く音だろう。

 

「フォークスだね。ありがとう、キミのおかげだよ」

 

 ハリーの傷ついた腕に、フォークスが頭を乗せる。誰かの足音が聞こえ、それがハリーの前で止まった。

 

「なかなか、やるもんだ。まさか、スリザリンのヘビがやられるとはね。だがキミも、これで終わりだ。その不死鳥を見るがいい」

 

 トム・リドルだった。

 

「キミは、これで死ぬんだ。ダンブルドアの鳥にさえ、それがわかるらしい。泣いているんだよ、ハリー・ポッター。君は死んだのだ」

 

 たしかにフォークスは、泣いていた。涙がポロポロと、そのつややかな羽毛をつたい、ハリーの腕へと落ちていく。

 

「これで有名なハリー・ポッターもおしまいだ。結局、ヴォルデモート卿はハリー・ポッターの息の根を止めたのだ」

 

 勝ち誇ったような、リドルの声。だがハリーは、異変を感じていた。あんなに痛かった腕から、痛みが薄らいでいくのだ。驚いて、腕を見る。フォークスが、そこに頭を乗せている。フォークスの流した涙が、傷口の周りを覆っていた。傷跡までもが消えていく。

 

「そうか、不死鳥の涙。癒しの力だ…… 忘れていた……」

 

 突然リドルの声がした。

 

「いまいましいやつめ、どけ、そいつから離れろ」

 

 みれば、リドルはハリーの杖を持ち、それをフォークスに向けていた。追い立てられたフォークスが、再び舞い上がった。リドルが、ハリーを見下ろし、ハリーも、リドルをにらみつける。

 

「いいだろう、1対1の勝負だ、ハリー・ポッター。決闘の方法は知っているのだろうな」

 

 だが、ハリーの右手に杖はない。左手には、傷口から引き抜いたバジリスクの牙があるが、これでは戦えるはずがない。

 そのハリーの前へ。スーっと、宙を滑るようにして小さなノートのようなものがやってくる。いったい、どこから? ハリーだけでなく、杖を構えたリドルでさえ、そのノートを見ていた。いったいどこからきたのか。なぜ、宙に浮いているのか。これをどうしろというのか。互いに、いろいろと思うことはあっただろう。

 だが、行動を再開したのは、ハリーのほうが早かった。これは、あのリドルの日記帳なのだ。ハリーは日記帳をつかむと、持っていた牙を真ん中にズブリと突き立てた。これらは、ほんの一瞬の出来事。

 

 ハリーは仰向けに寝転がり、リドルは、悲鳴をあげながら転げ回る。そのかたわらには牙の刺さった日記帳がころがり、古びた組み分け帽子と、そこから取り出した剣によってつらぬかれたままのバジリスクの死骸。そして、その上空を舞う不死鳥のフォークス。

 苦しむリドルの姿が消え去り、秘密の部屋の怪物も死んだ。これで、すべてが終わったのだ。フォークスが、ハリーだけでなく、穴の開いた日記帳や組み分け帽子、剣やハリーの杖までをもその足につかみ、飛び去っていく。

 

 誰もいなくなった、秘密の部屋。いや、そこにただ1人、ソフィアが残されていた。泣き声が秘密の部屋に響く。ソフィアが、泣いているのだ。すべてが終わったその場所で、ソフィアが声を上げて泣いていた。

 




 そろそろ、第2巻「秘密の部屋」もおわりですね。
 となれば、第3巻のお話をどうするか、なんてことになってきます。さあて、どうするかな。

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