ハリー・ポッターと魔法の本   作:Syuka

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第122話 「ヘレナの告白」

 そのとき、入り口の方でカタリと音がした。何の音だろう。何か、誰かいるのだろうか。2人して、音のした方へと目を向ける。だが、特に変わった様子はない。2人が、顔を見合わせる。

 

「気のせい、かな」

「そうでしょうね。でも、本当にこれで魔法を残すつもりなの。あなたのことだし、いろいろと工夫もしたんでしょうけれど、これであなたの知識や魔法をちゃんと伝えていけるの?」

 

 2人とは、ホグワーツ創設者に名を連ねるロウェナと、そしてクリミアーナ家の魔女。場所は、ホグワーツ内にあるロウェナの部屋である。自身が得た魔法の力や知識を、どうやって伝えていくのか。そんな共通した悩みを持つ両者の間では、こんな話題となるのはさほど珍しいことではなかった。

 

「魔法書というアイデアは、とてもいいものだと思う。でもね、気になることがあるのよ」

「気になる?」

「こうして本という形で残るんだとなれば、誰でもがあなたの知識を得ることができることになる。もちろんそのためのモノだし、それを目指していることはわかってるのよ。でもそれでは……」

 

 それでは、クリミアーナの魔法が簡単に流出してしまうことになる。ロウェナの指摘は、つまりそういうこと。本さえ読めば、その魔法を覚えることができる。すなわち、不特定多数の意図しない相手にまで伝わってしまうことになるのだ。結果、悪用されてしまう可能性はゼロではない。

 

「そうね、あなたの言うとおりだとは思う。だけど、魔法を知りたい、学びたいという思いには応えたいの。あなたたちがホグワーツを創設したのだって、そのためでしょう?」

「もちろんよ、それを否定はしない。だけど、この本は…… これを読めば、たぶん誰にでもあなたの魔法が使えるようになるのよね。たとえマグルであっても。そうよね?」

「うーん、そうなるのかな。だけどあなたはサラザールの教育理念には反対だったんじゃないの。それと同じことを言ってない?」

 

 サラザールとは、ホグワーツ創設者の1人であるサラザール・スリザリンのこと。純血の生徒だけを受け入れるべきだという彼の考えは、他の創設者との対立を生んでいる。いわゆる、純血主義のことである。

 

「純血でもマグル生まれでも、彼ら彼女らは、まだ魔法のなんたるかを知らないのは同じ。だから、誰かが教えなくちゃいけない。その考えは変わらないわ」

「だったら……」

「わたしが言いたいのはクリミアーナの、あなたの魔法が、良くないことに使われるんじゃないかってこと。誰にでも教えていいものじゃないのよ」

 

 もちろん、そのすべてではない。クリミアーナ家に特有な魔法の、そのいくつか。その特異な魔法だけはクリミアーナ家から、いや、その当主の元から離すべきではないというのがロウェナの主張である。それが、どの魔法のことを指しているのか。ロウェナは、その具体例を挙げたりはしなかった。

 

「だけど、こうして本にしておかないと。これが、未来に魔法を残すための方法なのよ。他に良い方法なんてないでしょう?」

「話を戻すようで申し訳ないんだけど」

 

 そう断ったうえで、ロウェナが言ったこと。それはまさに、2人が話し合ってきたことの、その最初に戻るようなものだった。

 

「やっぱり、その相手と直接、というのが理想だと思う。実際に教えていくのが一番じゃないかしら。このままホグワーツに残って、教師として教えていくのもありだと思うけど」

「ああ、ごめんなさい。それは無理ね。引き受けられないわ」

「理由は? ウチの娘だって、それを望んでいるのよ」

「実はね、いろいろとあって、クリミアーナで2人の子の面倒を見ることなったの。魔法も教えることになると思う」

 

 何故か、クリミアーナ家の家系図にはクリミアーナではない他家の人物が記載されている。それがこのときの2人、クローデル家のユーリカとルミアーナ家のミルバーナである。

 

「まさか、その2人はマグル? 魔法書を学ばせてみようってこと?」

「そうしてみてもよかったけど、もう少し考えてみる。あの2人は、わたしが教えることになるのかな」

「考えるって、何を?」

 

 それはもちろん、魔法書のこと。ロウェナが指摘したことを頭に置いて、もう一度考え直してみようということである。

 

 

  ※

 

 

「それで、魔法書はどういうことになったの?」

 

 問いかけたのは、アルテシアだ。よどみなく続いていたヘレナの昔話が、ようやくにして一段落したのか、ちょうど途切れたタイミングである。だが考えてみれば、魔法書のことを一番よく知っているのがアルテシアであるはず。話の流れによるものとはいえ、そのアルテシアがヘレナに魔法書のことを尋ねることになるなど、本人にとっては意外であったろう。

 だがヘレナのほうは、質問とは関係ないようなことから話を続けていく。

 

「最高の魔女って、誰だと思う? わたしはね、そんな問いかけに真っ先に名前が出てくる魔女になりたかった。みんなからそう言われる魔女になりたいと思ってた」

 

 アルテシアは、何も応えない。返事に困るというのが本当のところかもしれない。何が最高なのかは、人それぞれ。多分に観念的な意味合いが強いと思っていた。

 

「母に聞いてみたら、あなたの名前が出てきた。そのあなたから、短い間だったけど魔法を教えてもらえて、本当に嬉しかったのよ。だけどあなたは、クリミアーナで2人の女の子を教えることを選んだ。だからホグワーツには残らないんだと聞いたとき、どれほど残念に思ったか。そのこと、少しは考えてくれたのかしら?」

 

 もちろん、アルテシアのことではない。当時のクリミアーナ家先祖の話である。アルテシアの顔に、苦笑が浮かぶ。

 

「あなたの魔法を覚えたかった。そこに母の知識が加われば、きっと最高の魔女になれる。わたしは最高の魔女になれる。そう思うのは当たり前だって思わない? そう思うでしょ」

「あの、ヘレナ。魔法書のことなんだけど」

「母にいろいろと指摘されたからだと思うけど、あなたは魔法書を分けることにしたのよ。クリミアーナの魔法をね」

「分ける?」

 

 どういうことか。たしかに、クリミアーナには数種類の魔法書があるし、アルテシア自身の魔法書にしても、分割されていた。そのことと、何かな関係があるのか。ヘレナは、ニコッと笑って見せた。

 

「そうよ。十分に考えた。考えて考えて、思いつく限りのことはしてみた。たぶんこれで、ほとんどのことはうまくいくと思う」

「え?」

「あのとき、あなたが言った言葉よ。母に聞いたんだけど、クリミアーナの魔法は大きく4つの系統に分けられるそうね。たぶんホグワーツに4つの寮があるのに当てはめてのことだと思うけど、とにかくそれで、誰もが自分に合った魔法を学べることになる」

「ええ、そうね。確かにクリミアーナには代表的な4つの魔法書があって、まずそれを選ぶことから始まるんだけど」

 

 クリミアーナの娘が魔法を学ぶとき、まずはじめに行われる魔法書選択の儀式。そのときに並べられる4冊の魔法書が、このときの4冊なのだろう。だが実際には、もう1冊ある。5冊目の魔法書も、同時に選択のテーブル上に置かれるのだ。

 そのことをアルテシアが告げると、ヘレナの表情が歪んだ。そして、軽くため息。どうやら、少し話しにくいことに触れたらしい。

 

「その4冊は、いわば教育用なのでしょうね。ソレとは別の魔法書があったわ。それにあともう1冊、母が指摘した誰にでも教えていいものじゃないモノが抜粋された本があった」

 

 アルテシアの魔法書は、分割されていたことがわかっている。その分割がされたのが、このときなのか。だがアルテシアは、心の中でその考えに首を横に振る。根拠のないただの直感でしかないが、そうではないと判断。じっと、ヘレナを見つめる。ヘレナが、目を伏せた。

 

「それを、私が盗んだの」

「盗んだ?」

「あなたの魔法を覚えたかったのよ。あなたはクリミアーナに戻ってしまい、魔法を教えてくれなくなる。もう、会えなくなる。最後のチャンスだと思ったのよ」

 

 望んだのは、クリミアーナの魔法とロウェナの知識を得ること。そうすれば、最高の魔女はヘレナだと、誰もがそう言うようになる。だから、それを得たのだと。

 

「クリミアーナがクリミアーナであるための、そんな魔法なんだと思った。とても貴重で大切な魔法なんだと思ったし、実際、そうだった」

「それで、どうなったの?」

 

 気になるのは、その後のことだ。本に対する名前の登録は、そのとき実施されていたのかどうか。それによって話は大きく変わってくることになるのだが、こっそり持ち去れたという事実から考えるなら、名前登録の手段はその後の工夫、という可能性が高くなる。

 

「わたしの母が、髪飾りに知識を納めたのは知ってる? わたしは、その髪飾りとあなたの本とを持って、ホグワーツを出たわ。もちろん、いなくなるつもりなんてなかった。母の目が届かない場所で、それを身につけてから戻るつもりだったのよ。だけど、思い通りになんていかないものなのね」

 

 ヘレナの起こした、持ち去り事件。実の娘の思いもよらない行動が、ロウェナに与えた衝撃。ロウェナはこの事件を他のホグワーツ創設者には隠し通すのだが、実際に魔法書を持ち逃げされたクリミアーナに対しては、正直に話すより他に方法はなかった。

 そのことを気に病んだのか、ほどなくしてロウェナは病魔を得ることになる。またヘレナのほうは、アルバニアの森にいるところを捜索に来た男爵に見つかり、諍いの果てに暴力を受けナイフで刺されてしまうのである。男爵は、その同じナイフで自殺。どちらもホグワーツへの思いが強かったのか、やがてヘレナはレイブンクロー寮の、男爵はスリザリン寮の寮憑きゴーストとなっている。

 

「これで、全部よ。ええ、わたしが話せるのはこれで全部。どうしようか随分迷ったけど、そういう訳にもいかないしね。でも、ひとつだけ言わせてもらえるなら、なぜ今なのかということよ。あのときだったらなって、そう思うことはある、かな」

 

 それはつまり、ホグワーツの教壇に立つのであれば、今ではなく、あのときであって欲しかったということ。仮にそうなっていたなら、いろんなことが変わっていたのかもしれないという、いわばヘレナの愚痴のようなもの。だがもちろん、それはアルテシアのあずかり知らぬこと。今さらどうすることもできない。

 

「それで、どうするの? あなたなら、ゴーストを消滅させるくらいのことはできたりするんでしょうね。いいわよ、それでお詫びになるのなら」

 

 

  ※

 

 

 ダンブルドアの葬儀が終わり、学年末の休暇に入ったホグワーツ。デス・イーターによる襲撃事件の影響もあるのか、学校内に残っている生徒はいない。なので各寮の談話室は無人であり、男子寮・女子寮共に人の姿はない。

 だが今、グリフィンドール寮の談話室に、ふいに人影が現れた。太った夫人に合い言葉を告げるでもなく、いきなり談話室の中央あたりに姿を見せたのだ。そこには誰もいない、とわかっていたからだろう。転移の魔法により談話室へとやってきたアルテシアは、普段は他の生徒に占領されている暖炉の前へと歩を進める。暖炉に火は入っていないが、その前に座り、じっと暖炉を見つめる。そして、考える。そんなとき、ただ見つめているのに暖炉はちょうど良かった。

 考え事をするのには、クリミアーナの森が最適。それは十分にわかっているのだが、クリミアーナでは、友人たちやソフィアなどがアルテシアの帰りを待っているはず。その人たちと話をするより前に、頭の中を整理したかったのだ。

 ゆっくりと、ヘレナの告白を思い返していく。

 

(ウソは言ってない。ウソじゃないのはわかる。それで間違いないと思うんだけど……)

 

 あれは、すべて本当のこと。ウソは言っていない。だけど、まだ言葉にしていない部分はあるだろうとアルテシアは考える。だが、そうすると。

 

(どういうことになるんだろう?)

 

 ヘレナが持ち去ったという魔法書は、その後どうなったのか。ヘレナは、その魔法書をどうしたのか。

 当然それを、聞いておくべきだった。だがあのときは、ヘレナの告白を優先させたようなもので、質問を挟むというようなことはしていない。今になってそのことを後悔しているようなものだが、ヘレナに話をさせたのは間違いではなかったはずだ。頭の中を整理する時間をおいたのち、疑問に思うことは、改めて尋ねてみればいいのだと考える。

 それはさておき、クリミアーナ家の魔法書が大きく4つの系統に分けられるのは事実だ。先祖が4冊の魔法書を創っていたというヘレナの話と一致する。加えてヘレナは、ソレとは別の魔法書と、ロウェナの指摘により分離された本とがあったと言っている。ヘレナが持ち去ったのは、その分けられた本のほうだ。

 

(その本が、あのにじ色の玉にあった本なのかな)

 

 アルテシアがクリミアーナ家で学んでいる魔法書は、過去いずれかの段階で分割されていたことがわかっている。おかげで、魔法の使いすぎなどで体調を崩すこともしばしばだった。だが今では、そういうことはなくなった。それはつまり、アルテシアのもとにすべての魔法書が集約されたから。そう思っていた。だがそれではまだ不十分だった、のかもしれない。

 

(もう一度、ヘレナと話をしなきゃってことだよね)

 

 それが、一応の結論となるのか。しかしアルテシアは、暖炉の前から動こうとはしなかった。まだまだ考えることはあるのだろうが、まぶたが重くなってきたらしい。ゆっくりと目が閉じていく。

 

 

  ※

 

 

「本当にもう、わが娘ながら、いったい何を考えているのやら。申し訳なくて言葉もないわ」

 

 クリミアーナへ戻るからと、そのあいさつに訪れた相手を迎える言葉としては、あまりふさわしいものではないのだろう。だがヘレナによる魔法書の持ち去りがはっきりとしたことで、ロウェナとしては、とにかくお詫びするしかなかったのだ。

 

「もちろん、ヘレナは探させてるわ。ヘレナに好意を持ってくれてる男爵がいてね。彼に頼んだのよ」

「そうなんだ。でももう、いいわ。もう、いいのよ、ロウェナ」

「なにがいいのよ、大切なモノなのよ。あなたの魔法なのよ。それが失われるようなことにでもなったら、それこそ魔法界にとっての大きな損失でしょう? ほんとにわたし、どうすればいいのか」

 

 なおも、お詫びの言葉を並べていくロウェナに苦笑した顔を見せると、彼女は部屋の奥へと歩を進める。そこの本棚には、5冊の魔法書が並べてある。ロウェナが魔法書をよく見たいというので、少しの間貸し出していたのだ。本当は6冊あったのだが、そのうちの1冊はヘレナが持ち出してしまったため、ここにはない。

 

「これは、持って帰るわ。これからはクリミアーナで身近な人たちにだけ読ませていくことになるんだと思う。もちろん、我が子孫も含めてね」

「本当にごめんなさい。詫びて済むようなことじゃないのはわかってるけど、それしか言えなくて」

「いいのよ、もう気にしないで。今思えばだけど、あなたは、こうなることを心配してくれてた。わたしが、ちゃんとそのアドバイスを聞いていれば。むしろ迷惑かけたのは、わたしのほうだと思う」

 

 自分の得た知識や魔法を、どうやって残し、伝えていくのか。その1つの形としての魔法書。誰にでも、本さえ読めば魔法が手に入るということに、ロウェナは懸念を示していた。不特定多数への流出の可能性を心配したのである。クリミアーナには、希少かつ特異な魔法がある。その魔法を誰とも知れぬ者が使えるようになり、その魔法がどことも知れぬ場所で使われるようになる。それはきっと良いことではない、と思うのだと。

 そんな感想というかアドバイスを受け、まだ試作品のようなものであった魔法書は、新たな形式へと生まれ変わることになる。それが、教育用としての4系統の魔法書である。クリミアーナ本来のあらゆる魔法は、いわば総合版のような形で1冊の魔法書へとまとめられた。これで計5冊であるが、この5冊とは別に、流出を懸念したロウェナの意見を反映した1冊ができあがった。ヘレナが持ち去ったのは、この6冊めである。

 

「わたしね、考えたんだけど、この本は登録制にしようと思うのよ」

「登録制?」

「そう。誰がこの魔法書を学ぶのかを登録するっていうか、本に覚えさせるというか。とにかく、本人であればどこでも取り寄せて読むことができるし、読まないときは自動的に本棚に戻る。そんな仕掛けを考えたのよ。たくさんの人に学ばせるのは難しくなるけど、許可なく持ち出されることはなくなるはず」

「でも、本棚の場所を知ってれば、同じことじゃないかしら。その前に立てば、読めるんじゃないの」

 

 所詮は、本である。誰でもその手に取り、ページを開き、読み進めることができる。それは変わらないだろうし、そうでなければ、本とは呼べない。

 

「そうだけど、そこへ何日も、何ヶ月も通えるものかしら。それほど熱意のある人になら、本の貸し出し認めてもいいと思うよ。魔法書だって、納得するんだろうし」

「たしか、魔法を覚えるのには時間がかかるんだったわよね。なるほど、それならうまくいくのかも」

「そんな形でやってみようかと思ってる。何代か後の世代では、魔法書はきっと、もっとすごいことになってる。それを見てみたい気もするけど」

 

 どういうことか。いぶかるロウェナへ新たな工夫を説明していく。それは、つまりこういうこと。クリミアーナの魔法書は、世代を経るごとに更新されていく。具体的には、その本を学んだ魔女がその魔法書を超える魔女へと成長したとき。そのとき、魔法書は差し替わるのである。

 

「すごいわ、とてもいいアイデアだと思う。だけど、あれはどうするの? うちの娘が持ち去った魔法は、まさか、クリミアーナから失われたりはしないわよね」

「さあ、それはどうなるのかな。わたしにもわからない。この魔法書を学ぶことになった子孫の考え次第ってことになるでしょうね。そのとき、その娘がどうするのかを選ぶことになる」

「ええと、どういうことなの?」

 

 教育用に残す4冊はさておき、残る1冊の魔法書は、おそらくは誰もが学べる類いのものではないのだという。なぜなら、クリミアーナ家の当主となるべき総領娘へと残すことを想定し、あらゆるものを詰め込んだ本であるからだ。したがって、それらすべてを引き継げるだけの素質、能力といったものが必要になる。逆に言えば、クリミアーナ家にそんな娘が生まれてくるまでは、本当の意味での引き継ぎはできないということである。

 教育用の4冊によりクリミアーナの魔法は受け継がれていくだろう。そして世代を重ね、魔法書の改編が繰り返され、より高度に進化していく。その結果として、クリミアーナのすべてを引き継いでいけるだけの娘が生まれるときがくる。この魔法書を学べるだけの娘が、きっと現れるはずだと。

 

「そのとき、その娘が…… こんな言い方して申し訳ないけど、ヘレナに持ち去られたモノがあるって気づいたとき、取り戻そうとするのか、あきらめるのか。その選択に任せようって思うのよ。そのとき、どうするのか。クリミアーナ家の、最後の選択。そういうことになるのかな」

「けど、でも…… でも、その娘さんが気づかなかったら? そのときはどうするの? あなたの魔法が失われてしまうことになるけど、それでいいの?」

 

 ゆっくりと首を横に振る。否、ということである。

 

「よくないよ。だからね、ちょっとだけ工夫しようと思ってる」

 

 仮に気づかなかったとした場合。あるいは、気づいたとしても、その選択によっては、貴重な知識が失われることになる。ロウェナの懸念はそういうことだが、なにかしら工夫があるのだという。

 

「難しいことじゃないわ、いくつかヒントを残しておくだけよ。その娘が、イヤでも気づくようにね」

「ヒント?」

「ええ、ヒントよ。その娘の魔法力が高ければ高いほど、わたしの魔法書をどれだけ学んだか、どれだけ学べたかってことだけど、いくつものヒントで、最後の選択に近づけるようにするつもり」

「どうやって?」

 

 そう、問題はそこだ。自分の命など、とうに失われた何代もあとの子孫の時代。そんな、いつ頃とも知れぬ時代に誕生した後継者たる娘に、どうやってそのヒントを届けるというのか。

 

「簡単よ。魔法書に書いておけばいい」

「あ! なるほど」

「だからね、もう大丈夫なの。ヘレナのこと気に病んでるようだけど、何も気にしなくていいよ。ヘレナが持ち出したモノは、ちゃんとクリミアーナに返ってくることになる。いつかはわからないけど、そのときは必ずくる。だから、クリミアーナの魔法の歴史はこれで終わりじゃない。終わらないよ。きっと誰かが、思いを継いでくれると思ってる」

 

 そういえば。クリミアーナ家の裏手に広がる森の中にある墓地の、その墓標の一つには、こんな言葉が刻まれている。

 

 『そのときは突然やってくる。だが歴史は終わらない。意志を継ぐ者がいる限り』

 

「ほんと、気にしないでね、ロウェナ。大丈夫、心配なんかしなくていい」

「でも」

「いつかきっと、クリミアーナ家にわたし以上の魔女が生まれるでしょう。そしてその魔女が生涯を終えるとき」

 

 その子孫が学んだ魔法書は、新たな魔法書へと更新されることになる。そのとき、ヘレナが持ち去った魔法書の意味はなくなる。もうそれでいいと、ロウェナに告げる。

 

「でね。そのための準備っていうか、まずはこの魔法書からいくつか。本で言えばページになるけど、それを抜き出して分けておくのよ」

 

 そう言って杖を取り出すと、コンコンと、軽く本の表紙を叩く。それだけで作業は終わったらしい。少しだけ厚さの変わった魔法書と、新たに出現したにじ色の玉が1個。

 

「これは?」

「この玉にね、抜き出した分を入れてあるの。これをね、その娘が必要になるだろうときに、本人に届くようにしておくのよ。玉を壊せば魔法書に戻っていくから、その娘なら、欠けた部分はすぐに学べるはず。でしょう?」

「そうね。そうだとは思うけど、部分的に欠けた魔法書で、あなたの知識と魔法を学べるものなの? それで問題ないのならいいんだけど」

 

 その指摘に、苦笑が浮かぶ。何らの問題なし、ということではないらしい。

 

「もちろん、クリミアーナの魔女として立派に名を残す魔女になれるでしょうね。普通の魔女としてなら、問題ないはずよ」

「その言い方だと、何か問題はあるってことよね」

「魔法力が続かないってことはあるのかも。身体の中での魔法力の流れや組み立てが、あちこちで途切れたりおかしくなったりするはずだからね。疲れやすくて身体の弱い娘になったりするのかも。でも、それだけよ。ちゃんと魔女になれるわよ」

 

 そうとばかりも言えないだろう、とロウェナは思う。その娘はつまり、思ったようには魔法が使えない、ということになる。それは魔女としての大きなハンディだ。自分の娘がしでかしたことのために、そんな負の遺産を背負うことになるだろう未来の娘に、ロウェナは心の中で頭を下げる。

 

「あと、杖のことだけど」

「杖? 杖がどうしたの?」

「杖を使うのは、今日限り。あなたにあげるわ」

 

 それを、傍らの机の上におく。その音が、ロウェナの耳を打つ。

 

「これからクリミアーナの魔女は、杖を持たない魔女になる。再び杖を使うことになるかどうかは、やっぱりそのときの娘の選択に任せることになるでしょうね」

「で、でも。なぜ、そんなこと?」

「これからは、杖なしのほうがなにかと都合がいいと思んだよね。杖がなければ、マグルみたいに見えるでしょ。わたし、魔法界を離れるつもりなのよ」

 

 その理由としてあげたのが、ロウェナにとっては心痛の種となっているヘレナの所行のため。万が一にも、その失われた魔法書を悪用させないため、であるというのだ。

 クリミアーナには、ロウェナが言うところの希少かつ特異な魔法がある。結果的にその魔法は、知識と能力とに分けられ別々の魔法書へと収録された。知識とはその魔法の発動プロセスであり使い方、能力とは実現させるための魔法力。それらが一緒にならない限り、その魔法は、魔法として成立しない。魔法界を離れるのは、これら2つのモノをできるだけ縁遠いものとしておくため。

 

「本当にもう、わが娘のしたことで、こんなことになるなんて。申し訳なくて言葉もないわ」

 

 その説明を聞き、ロウェナは今にも泣きだしそうな顔で、頭を下げる。自分の娘の不始末によって、大事な友人が魔法界を去っていったのだ。だけどそれは、永遠ではない。いつの日にか、クリミアーナ家の娘がホグワーツに戻ってくるだろう。いつか必ず、魔法界に戻ってきてもらわねばならないのだ。そのために、何かできることはあるだろうか。

 ロウェナは、考える。自分も同じように、未来のその娘の助けになるような何かを残せるだろうか。何か、役に立つようなことができるだろうか。でも何か、何かせずにはいられない。

 なおもロウェナは、考える。果たしてロウェナには、何ができるのか。何ができたのか。このあとロウェナは、さまざまな心労が重なってのことだと思われるが、体調を崩してしまい、ほどなくしてその生涯を閉じることになるのだ。

 

 

  ※

 

 

 寝てしまうつもりなどなかったが、いつのまにか、うたた寝でもしてしまったらしい。目を覚ましたアルテシアは、周囲がずいぶんと暗くなってしまっていることに驚き、あたりを見回す。

 うたた寝と言うよりは、昼寝であろう。それなりに睡眠を取ってしまったようだ。しっかりと、夢も見ていた。誰もいない談話室、だからこそ眠れたのだろう。そして夢を見た、ということになる。

 

(あれは、夢? 夢だよね。夢、なんだろうけど……)

 

 まるでその場にいるかのような、妙にはっきりとした夢。だけど、夢は夢だ。その証拠というわけでもないが、どんな内容だったのか、はっきりしなくなっている。かろうじて頭に浮かんでくるのが、大理石の像。たしか、どこかで見たことがある。

 

(どこだったかな。あれは、ロウェナだから…… そうだ、談話室! えっ!?)

 

 グリフィンドールではなく、レイブンクローの談話室。アルテシアがそう思った瞬間には、視線の先にあるものが、見慣れた暖炉ではなくレイブンクローの像へと変わっていた。その像のすぐ前に、アルテシアは立っていたのである。

 

「ええと、わたし、魔法使ったっけ?」

 

 思わず、声が出ていた。状況から察するに、無意識に転送の魔法を使ってしまったのだろう。だからこそ、レイブンクローの談話室にいるのだ。そう考えたほうが自然だし、そうに違いないとは思う。思うのだが、いくらかの違和感が残るのも確かだ。

 そんな思いを抱えつつ、すぐ前のレイブンクローの像を見つめる。この像の前に立つのは、初めてではない。

 

(でも、なんだろう。なんだか……)

 

 その像が、何か言いたそうに見えるのは気のせいだろうか。何か語りかけてくるような、そんな表情に見える。ただの大理石の像が話をするとは思えないのだが、それでもアルテシアは、レイブンクローの像が目が離せなかった。

 誰もいないはずの談話室には、照明などは灯されない。次第に暗くなっていくのだが、それでもアルテシアは、その像を見つめていた。

 




 ヘレナの告白、それを彼女の話し言葉ではなく当時の場面を書くという形にしてみました。ヘレナが話すパターンでは、しっくりこなかったのです。それはさておき、ヘレナが魔法書を持ち去ったことで、魔法書にいくつか工夫が加えられています。そして、持ち去った魔法書はどうなったのか。アルテシアも言ってましたが、ヘレナには、まだ問いただす部分はありそうです。
 感想欄にご意見、ありがとうございます。1つ1つ返事を書くべきなのは分かってるんですが、そのうちに。申し訳ないです。ちゃんと読んでますので、またよろしくお願いします。

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