第121話 「就任要請」
アルテシアは、校長室にいた。マクゴナガルに会うために執務室を訪れたものの、あいにくと不在。どうしようかと迷ううちに校長室に来るようにとのメッセージを見つけ、ソフィアとともに転移の魔法で移動してきたのである。
だが、そこにスネイプもいたことは予想の範囲を超えていた。
「なにを、驚いているのだ。ともあれ、そこに座れ」
「そうしなさい、アルテシア。これからのことについて、少し話をしておきたいのです」
もとより、そのつもりで校長室まで来たアルテシアである。このまま帰るという選択肢はない。ソフィアと顔を見合わせてから、並んで椅子に座った。すぐに、紅茶が用意される。
まず、スネイプが口を開いた。
「吾輩は、これから帝王のもとへと戻る。不死鳥の騎士団の動きを、わが君にお伝えするという役目が残っているのだ」
「その後は、校長を引き受けてもらうことになっています。アルテシア、あなたにはスネイプ先生のあとの防衛術の授業をお願いしたいのです」
「あの、ええと…… すみません、状況が良く分からないのですけど」
さすがにアルテシアも、戸惑いをみせる。だがマクゴナガルからの説明は、ごく簡単なものでしかなかった。
「デス・イーターによってホグワーツが襲撃され、ダンブルドアが亡くなったのは知っているでしょう。となれば、代わりの校長を決めねばなりません」
「それで、スネイプ先生に決まったのですか」
そのスネイプは、普段通りの無表情。校長就任をどう思っているのか、表情からうかがい知ることはできない。
「正式には理事会での決定後となりますが、魔法大臣の意向でもありますからね。そうなることは間違いありません」
「えっと、では魔法省はすでに……」
「待て。おまえが何を考えたか想像はできるが、違うぞ。この件は闇の帝王とは無関係だ。しばらく前に話し合いが済んでいる」
「どういうことですか」
アルテシアが考えたのは、あの魔法使いの屋敷でのこと。あのときスネイプは、ヴォルデモート卿からホグワーツを支配下に置くため校長になれと指示されていたのだ。
「わたしが魔法大臣から聞いたところでは、ダンブルドアとスクリムジョールの間で話し合いがされていたようです。ダンブルドアの身に何かあれば、後任をセブルス・スネイプとするように、と。覚え書きのような書類もあるそうですよ」
「あの、もちろん疑っているわけではないんです」
アルテシアの視線が、チラとスネイプへと動く。それに気づいたスネイプが、フンと軽く鼻を鳴らす。
「では、なんだ。吾輩のことが気になるのか。そんな無駄なことに気を遣うな」
「あの、先生」
「黙って聞け。覚えているかどうかは知らんが、ダンブルドアは呪いを受けたことにより死期が迫っていたと説明したはずだな。そのことは、スクリムジョールも本人から聞かされて知っているのだぞ」
だからこそスネイプは、ダンブルドアを殺したという罪で闇祓いたちに追われることもなく、魔法省の指名によって校長になることができるということになる。
「まだ納得がいかぬなら、ご本人に聞いてみるがいい」
くいっとあごを動かし、スネイプが指し示した先。そこにはホグワーツ歴代校長の肖像画が並んでおり、ダンブルドアのものも、当然のようにそこにあった。
「本人は眠っているようだが、いずれ目を覚ますだろう。さすれば、普通に話ができるようになるはずだ」
今は無理だが、近いうちに目を覚ませば、他の肖像画のように話ができるようになる。その気があるなら、本人と話をすれば良いとスネイプは言うのである。
ダンブルドアが、魔法省側となにやら打ち合わせをしていたのは間違いないのだろう。葬儀の後に湖の畔で、スクリムジョールがハリーとそのような話をしていたし、アルテシアがマクゴナガルのところへ来たのも、そのことに関して何か情報がないかと考えてのことだった。だが、いずれダンブルドアと話す機会があるというのなら、今は保留ということでいいとアルテシアは考えた。それに、ティアラからなにがしかの追加情報があるかもしれない。
「では、アルテシア。話を進めますが、いいですね?」
アルテシアが軽くうなずき、マクゴナガルも同じようにうなずいて見せた。
「あなたを教授とするのには、大きく3つの理由があります。このところ防衛術の教授は毎年のように入れ替わってきましたが、あなたであれば、5年、10年と長く続けられるであろうということが1つ。2つめとして、早急に空いたポストは埋めておく必要があるということ」
「これを空席のままにしておけば、いつのまにか、どこからともなく誰かが就任してくるということになりかねん。それを避けるという意味があるのだ」
「でも、それを魔法省は承認するのですか」
「心配ない。新しい教授の任命は校長の仕事でもある。仮に吾輩が校長になれなくとも、そのときはマクゴナガル先生だ。おまえの担当教科が変身術となるだけで、特に問題は発生しない」
つまりアルテシアは、どちらか校長となったほうの科目を受け持つことになる、ということ。そのどちらを選ぶかとなれば、ホグワーツ入学以降に学び始めた変身術よりは、防衛術のほうがよりよい結果となるだろう。
「吾輩から話すことはそれだけだ、後はマクゴナガル先生とよく打ち合わせておくがいい。新学期のホグワーツで会おう」
「先生は、これからどうされるのですか」
「このあと、闇の帝王のもとへ向かう。指示どおりに校長となれる目処が立ったことも報告することとなろう」
「危険はないのですか」
「ふっ、おまえがあの屋敷を抜け出したことか。それなら、まったく問題ない。むしろ困っているのはベラトリックス・レストレンジだろう」
なるほど、たしかにそうだ。アルテシアがあの屋敷を抜け出したときには、既に見張り役は交代していた。ベラトリックス自らが申し出てその役目を引き受け、その後にスネイプが屋敷を離れている。ヴォルデモートの指示に従ってのことであり、逃がした責任が問われるのは、当然にしてベラトリックスだ。
「言っておくが、おまえは絶対に顔を出すな。既にヴォルデモート卿と会い、なにかしら話をしたはずだ。これ以上は必要ない」
「でも、先生。先生はなぜあの人のところへ行くのですか。なぜ、あの人に協力しているのですか。わたしのために色々としてくださるのは、なぜですか」
当然の疑問、かもしれない。だがその疑問に対するスネイプの答えは、直接的なものではなかった。
「吾輩は、吾輩であるからだ。誰の指示でもなく、自らの意思に従うのみ。自らの判断で行動すると決めたのだ。さすればどういう結果になろうとも、後悔することはない」
「ですけど」
「止めておきなさい、アルテシア。それでなくても、いまの魔法界には不穏な空気が満ちているのです。その中で、どのように立ち回るのか。どのように自分の立場を築くのか。それぞれが考えることだと思いますよ。あなただって、クリミアーナの森に帰り、そうしてきたはずです」
それは、そのとおり。アルテシアも、自身のこれからについてじっくりと考えてきたばかりなのである。スネイプもそれと同様なのだとするマクゴナガルの言葉が、するりとアルテシアの頭の中に入っていく。
だがもちろん、決めたとおりに、考えたとおりに物事が進むわけではない。ヴォルデモート卿の復活とダンブルドアの死という事実を踏まえ、今後デス・イーターたちの暗躍は一層ひどくなっていくだろう。そんな魔法界を前にして、己はどうあるべきなのか。
クリミアーナに戻り、魔法界のことには目をつぶって生きていく。それももちろん、立派な選択肢。だがそれでは、惰性のままに流されて生きるだけのことでしかない。それよりも、自分に何ができるのかを考え、自分が守ると決めたモノを守っていくべき。それが最も自分らしいのだと、既にアルテシアの心の中では結論がでている。
それが、クリミアーナの森のなかでのアルテシアの結論であり、思いは、そこへと落ち着いた。ならば、そこに向かって進むこと。今はその一歩を踏み出すだけに過ぎないが、この先どこまで行けるのか。今の時点ではわからない。だがせめて行けるところまで、行き着けるところまで行ってみるのだ。
いずれにしろ、相当な覚悟が必要になることだけは間違いない。スネイプも、そしてマクゴナガルも、同様な覚悟をしているのだろう。彼らも、自分にできることを必死にやろうとしているだけなのだ。
そういうことならば。
「とにかくだ。あちこちうろつくようなことはしてくれるな。今、おまえに出てこられては困るのだ」
「わかりました。邪魔になるようなことはしません。でも、校長になるのですから、新学期になれば学校に戻ってこられるのですよね」
「当然だ。もはやおまえには必要ないのかもしれんが、本来、おまえは7年生となるのだ。おまえのNEWT(Nastily Exhausting Wizarding Test)を実施するつもりでいる。この休暇中にせいぜい勉強しておくことだ」
試験や勉強という言葉が、その場の空気を少しだけ柔らかに変える。そんなところで、スネイプは校長室を出て行った。
※
マクゴナガルと、そしてアルテシアとソフィア。3人だけとなった校長室で、ソフィアが席を立ち、それぞれの紅茶を入れ替えていく。スネイプは去ったが、まだ話は終わらない。
「先生、聞いてもいいですか?」
「かまいませんよ」
「さきほど、わたしが教授になるのに3つの理由があると」
「ああ、その3つ目を話していませんでしたね。ですが、今さら不要でしょう。あなたは引き受けると言ったはずです」
そうだったかな、とアルテシアは考える。雰囲気からいっても今さら断れそうにもないことだが、はっきりと返事はしていなかったはずなのに。
「どうしました? ポカンとした顔をしていますが」
「えっ、ええと」
「あなたとは、OWL試験を前にした個人面接で、卒業後もホグワーツに残り教職に就くというような話をしたと思うのですが、違いましたか」
そんな話をした覚えが、たしかにアルテシアにはある。だがあのとき、本当にそうなれると考えていたのかどうか。そのことを、本当に望んでいたのかどうか。そのあたり、アルテシアには多少なりとも疑問が残る。
「わたしは、あなたに向いている仕事だと思っていますよ。臨時の講師ではない、正式な教授職に手が届くのですから、ぜひともそうしてやりたい。そう思ってのことですが、気が進みませんか」
「いえ。でもわたし、本当に教授になりたかったのかどうか。それを望んでいたような気もしますけど、わからないんです」
頭の片隅に、そんな思いがあるにはある。だけどそれは、クリミアーナの魔法を広めたい、もっとクリミアーナを知って欲しい。そういうことのような気もするのだ。なにしろクリミアーナは、かなりの長期に渡って魔法界からは忘れられた存在だったのだから。
「ソフィア、まだあなたの声を聞いていませんね。あなたはどう思いますか?」
「わたしですか。わたしは賛成ですけど、反対します」
「どういう意味です?」
「ルミアーナの家は、もともとクリミアーナから魔法を教えていただいた家でした。だから、アルテシアさまが魔法を教えるのはいいことだと思います」
だがホグワーツの教授となれば、ソフィアが卒業した後では、常に側に居るということが難しくなる。それが反対の理由なのだという。
「なるほど、そこまで考えてはいませんでした。しかしあなたは、アルテシアにとって必要な存在。そうですよね、アルテシア?」
「え? ええ、もちろんです」
「では、アルテシア。そのことも含め、考えてみてくれませんか? 無理を言うつもりはありませんが、新学期が始まるまで時間はありますよ」
「わかりました、そうします」
マクゴナガルの表情には、笑みが浮かんでいる。考えてみろとはいうが、おそらく想定されている答えは1つだけ。そのことにアルテシアも、苦笑いを浮かべるしかなかった。いずれにしろ、前向きに考えることになるだろう。
「それはさておき、安心しました。よく無事に戻ってきてくれましたね」
「すみません、わがままさせてもらいました」
「あなたのことですからね。心配いらないと頭で分かってはいても、どうにも気になってしかたがありませんでした」
もちろん、アルテシアがヴォルデモート卿と会ってきたことについての話であろう。絶対に安全だと理解はしていても、どこか不安がつきまとう。そんな気持ちだったらしい。
「それで、例のあの人とはどんな話をしたのです?」
「あまり話はできなかったのですけど、どうやらあの人は魔法書を学んではいないようです。興味はあったけど、途中で投げ出すことになったのだとか」
「そうですか。そのとき真剣に学んでいてくれれば、もしかすると魔法界を怯えさせるようなことはなかったのかも知れませんね」
実際には、学ぶことを放棄したヴォルデモートが多くの仲間と共に魔法界を暗闇の中へと陥れることになる。だが仮に、このとき真面目に魔法書を学んでいたとしたらどうなっていたのか。もちろん、マクゴナガルの思った通りになったという保証はない。
「ですがアルテシア、これでクリミアーナの魔法との関係は否定されました。すなわち、あなたの懸念は解消されたことになります」
「そうですけど、ある程度の期間はミルアーナ家に滞在されているので、なにかしら見聞きしているはず。少しは参考にしているかもしれません」
「ああ、それは気にしすぎというものでしょう。で、なんとか説得はできそうなのですか」
「難しいかもしれません。思い通りにはいかなそうだと感じました」
それが、アルテシアの正直な印象である。具体的にその話をした訳ではないのだが、アルテシアに不意打ちをしかけ、ダンブルドアを亡き者にしてまでも目指しているものが、ヴォルデモートにはあるのだろう。それが何であり、その先に何があるのか。今のアルテシアにはわからないが、それを容易に手放すはずがないであろうことは感じていた。
「明日、ということではないでしょう。ですが、遠い未来ということでもありません。そろそろ動き出すべき時だと思いますよ」
「わかっています」
あれは、いつの頃だったか。スネイプへと提出した『明日、魔法界が滅ぶとしたら何をするか』をテーマとしたレポート。そのなかでアルテシアは、滅びないための努力について書いている。まさに今、そのときが近づいているといったところなのかもしれない。
「ところでアルテシア、保護魔法についての話をしたいのですが」
「保護魔法、ですか」
「ええ、そうです。たとえば、クリミアーナ家を守っている数々の呪文。あれを、他の家にもかけてほしいと言ったらどうします?」
「他の家って、どこですか」
それ以前の問題として、実現可能なのかということがある。クリミアーナ家歴代の魔女たちによって施されたさまざまな呪文の全てを、果たして再現できるのかどうか。
「実は、この休暇の間にポッターが17歳の誕生日を迎えるのです。そのときポッターの自宅、マグルである伯母の家ですが、そこを出て新たな隠れ家へと移ることになっています。その新たな隠れ家へ、クリミアーナ家の魔法を施すことができないか。そんなことを考えています」
「ええと、なぜハリーは家を出るのですか。何か理由があるのですよね」
「デス・イーターたちからの襲撃を避けるため、と聞いています。その当時、ダンブルドアが何か手を加えたと記憶してますが、ポッターが成人したとき母であるリリー・ポッターの愛の呪文が解けてしまい、その保護を受けられなくなる。あの家が安全な場所ではなくなるのです」
「リリーさんの魔法の代わりになるように、ということですか」
「まあ、そんなところです。まったく同じである必要はありません。同程度、ということで十分でしょう」
要は、何らかの保護があればいいらしい。つまりは、ハリーを守る魔法が必要だということ。
「実を言えばこれは、スネイプ先生のためでもあるのです」
「どういうことですか」
「先ほどスネイプ先生は何もおっしゃいませんでしたが、ポッターが自宅を出て新たな隠れ家に移る、という情報があの人の側に漏れることは十分に考えられます」
秘密というモノは、知る人が多ければ多いほどに漏れる可能性は増していくことになる。リリー・ポッターが残した呪文の効力はハリーが成人するときまで、という事実を知っている人はそれなりにいるらしい。
アルテシアは、何も言わずにマクゴナガルの言葉を待っている。ソフィアも同じだ。
「であるのなら、それをヴォルデモート卿に伝えるのが自分であっても問題はない。スネイプ先生はそうおっしゃいました」
「あの、先生。どういうことでしょう? まさか、そのことも伝えに行かれたのですか」
「自宅を出る日時を伝えることにより、移動の際にデス・イーターたちから襲われることにはなります。ですが、あの人からのさらなる信用と信頼を得て、より立場は安定し動きやすくなるのです」
「でもハリーは……」
「もちろんポッターは、新たな隠れ家へと無事に移動してもらうことになりますよ。不死鳥の騎士団のメンバーが、彼を守るための作戦を練っていますからね」
スネイプは、その襲撃にデス・イーターの側として参加するらしい。襲うように装いながらも、さりげなくポッターを逃がすはずだとマクゴナガルは言うのだ。その修羅場を乗り切るため、新たな隠れ家へと逃げ込めるように動くだろうと。
もちろん騎士団側も、さまざまに安全のための方策を採るのだろう。だがそれが失敗したとき、どういうことになるのか。ハリーや騎士団の人たち、スネイプ。魔法界やクリミアーナの未来にも影響してしまいそうな気がして、ちょっと考えるのが怖くなる。
ならば、成功させればよい。それが一番良い選択肢ではないのか。そんな思いが頭をよぎる。だが、しかし。
「あの、マクゴナガル先生。スネイプ先生とどんな話をされているのか、詳しくお聞きしてもいいですか?」
アルテシアとしては、今回のことに限ったつもりはない。自分が知らないだけで、これまでも似たようなことはあっただろうと思うのだ。そんなとき、スネイプが何をしたのか。マクゴナガルが何をしたのか。あるいはダンブルドアや、魔法省の人たちはどう動いていたのか。
おそらくは、知らないことが多すぎるのだ。この1年でのドラコ・マルフォイが陥った苦境も、いつの間にか沙汰止みとなってしまったけれど、きっとスネイプが何かしたのに違いない。だからこその結果なのだろう。自分はただ、相談に乗っていただけに過ぎないのだ。もちろん状況によってはあの人の前に立つつもりではいたけれど、きっと先生たちのような覚悟はなかった。
だが、しかし。
アルテシアの気持ちが伝わったのか、マクゴナガルがわずかに微笑みつつ、小さくうなずいて見せた。
「少し、昔話をしましょうか。実はあなたのホグワーツ入学が決まったとき、ダンブルドアから、あなたを注意深く見守るようにと指示があったのです」
「わたしを、ですか」
アルテシアは知らないことだが、マクゴナガルがアルテシアを見守るようにと指示を受けたのは事実。そして同様に、スネイプにはハリーを注視していくようにとの指示が出されている。ただハリーの場合は、ハリーを狙ってくるであろうヴォルデモート卿が魔法力を回復させるか、あるいはその目途をつけるまでは心配はないとされていた。
「あなたは、最初の授業でいきなり薬を調合してみせた。それでなくてもダンブルドアが高く評価していたのですから、あなたに興味を持ったのは無理のないことだと思いますよ」
本来ならば、ハリーに目を向けるべきところ。だがスネイプは、ハリーに対し好意的ではなかった。むしろ嫌っているように見えたとはマクゴナガルの言い分だが、当時のアルテシアも同じ印象を持っていた。
「あなたには、謎も多かったですからね。あえて秘密にしたところもありましたが、なぜ魔法が使えないのか、制限を付けるのは何故なのか。知りたいことだらけだったろうと思いますよ」
そんな疑問をスネイプがどれほど解明できたかなど、アルテシアにはわからない。わからないが、それらの数々がスネイプに影響を与えたであろうことは間違いない。いま確実に言えるのは、それだけ。
「もちろん、あなたの思い、あなたの考えに反しない限りでいいのです。それがあなたにできることである限り、力を貸してあげるのは間違いではない。わたしはそう思いますよ」
誰に、あるいは何に。
具体的なことを、マクゴナガルが告げることはなかった。その必要などないということか、アルテシアも尋ねることはせず、軽く微笑んだ。そして、ソフィアに視線を向けると席を立つ。
「ありがとうございました、先生。えっと、ハリーですけど、無事に移動できるように頑張ってみます」
「そうですね、それがいいと思いますよ。では、新学期に会いましょう」
そんなところで、ソフィアが後に続き、校長室を後にした。
※
「これから、どうなりますか?」
廊下を歩きながらのソフィアの声には、どこか不安げな響き。そんなソフィアの頭を、ポンポンと軽く叩いてみせるアルテシア。
「さあね。なるようになるんじゃないかな」
たしかにそうだが、それでは答えになっていないようなもの。ソフィアが期待したのは、アルテシアがどうしたいのか、ということだっただろう。望む答えは得られていないのだが、質問を変えてくる。
「ポッターさんが隠れ家へ移動するのなんて、簡単ですよね。なんの心配もいりませんよね」
「さあ、それはどうかな。この場合、転送の呪文は使えないからね」
「えっ? でも、場所さえ分かれば。ティアラさんなら調べてくれると思いますけど」
なるほど、その場所がわかるのなら、ソフィアの言うようなことは実現可能となる。だが、可能だからと実行してしまってもいいのかどうか。それがアルテシアにはわからない。そうしたことによる影響の予測ができないからだ。加えて、これを実行した場合には気づかれてしまう、ということがある。ハリーやスネイプ、魔法省やヴォルデモート卿の周囲の面々が、それを知ることになるのだ。
笑みの消えた、少し厳しい表情となったアルテシア。なにやら考え込みながらも歩みを止めないその後を、ソフィアが歩いて行く。
ハリーからは、協力など不要と言われたばかりだ。できれば関与したことを知られたくはない。だが実際に移動させられるのだから、その本人が気づかないはずがない。転送呪文のことは知らないはずなので、例えばポートキーなどをうまく絡めればごまかせるかもしれないが、スネイプのことがある。さすがに、スネイプまでごまかせるとは思わない。
例のあの人を含めた闇の陣営と、騎士団や魔法省側との対立。その狭間でスネイプが難しい立場にあり、相当の覚悟を持って動いていること。そんな話を聞かされたばかりでもある。自分の不用意な行動が、その全てを台無しとしてしまう可能性はないのか。
その結果が見通せない限りは、手を出さないほうがいい。仮に関与するにせよ、マクゴナガルが言った範囲に留めておくべきではないのか。そんなことをアルテシアは考える。
「あらあら、深刻そうな顔をしてどうしたのかしら」
不意に、頭上から声が振ってきた。銀色っぽく輝く半透明の身体を持つゴースト、灰色のレディがアルテシアを見おろしていた。
※
おそらくは、西塔の最上部あたりにある部屋。その部屋に、灰色のレディ、ヘレナ・レイブンクローはだいたいいつもいるのだという。どこか見覚えのあるこの部屋で、アルテシアはヘレナと向かい合って座っていた。
ソフィアの姿はない。他の誰にも聞かせたるつもりはないと、ヘレナが拒んだからである。ならばとソフィアは、スクリムジョールの後を追っていったティアラを伴いクリミアーナに戻ることになっている。
「結局、こういうことになるのね。素直には卒業してくれなさそうな気はしてたけど、まさか教授になるとは思わなかった」
「早耳ね。もう知ってるんだ」
「母が望んだときには断った、と記憶してるんだけど。でも、私の思い違いよね。なにしろ、随分と昔のことだし」
昔のこと。それはつまり、ヘレナの母であるロウェナ・レイブンクローとクリミアーナ家の先祖との間でのことだろう。先祖が創設されて間もないホグワーツの視察に来たことは、組み分け帽子がアルテシアに証言している。だがヘレナはともかく、その当時のことにアルテシアは無関係なのである。なのにヘレナは、そのことを気にする様子もなく話を進めていく。
「あの頃、自分たちが得た魔法や知識をどう伝えていくのか。それを考えてたのよね。あなたの魔法書は、クリミアーナとしてのその実現ってことだった」
「そうね。魔法書のおかげで魔法を学べたし、いろんなことを知ることができたんだけど」
では、ロウェナの場合は? まさかロウェナも、何かを残しているのだろうか? このときアルテシアの頭をよぎったのは、レイブンクロー寮の談話室にある白い大理石の像だった。一度だけ、見たことがある。たしかアレを見て、ロウェナのことを……
「母とあなたは…… 面倒だからそう呼ばせてもらうけど、あなたと母は、よくその話をしていた。そして、学校に残って生徒たちの指導をって話が出たのよ。その時、私がどれほど喜んだか。きっとあなたにはわからないでしょうね」
「あの、それって」
「でもあなたは、その話を断った。なぜなの? あなたがずっと教えてくれていたら…… 私は、母よりも賢くなりたかった。あなた以上の魔女になりたかった。だから私は……」
そこで、ヘレナの言葉が途切れた。ただじっとアルテシアを見つめているのは、アルテシアに何か言ってほしいのだろう。そのアルテシアが、にっこりと微笑んだ。
「ロウェナ、言いたいことがあるのならちゃんと言いなさい。あなたらしくないよ、途中で止めるなんて」
「えっ、何を言ってるの」
「魔法を学びたいのなら、そう言えばいい。ゴーストだろうと関係ない。学ぶ心さえあれば、学べるはずです。力を貸しますよ」
「でもそれは、魔法書を読めってことでしょう。残念ね、そんなこと、もう私には無理なのよ」
どういうことか。それが、アルテシアにはわからない。意味を尋ねるアルテシアに、少しだけ驚いた表情を見せた後で、ヘレナは軽くため息をついた。
「わかってる。そのつもりだったし、話をするわ。もともと、そういう約束だったでしょ」
「約束?」
「ええ、そうよ。誰だったかしら? あなたにそう伝えてくれるように頼んでおいたんだけど」
たしかにアルテシアは、パーバティから、学校が休暇に入ったらヘレナと話ができると言われた覚えがあった。ヘレナとは、これまでにも何度か話をする機会はあったが、肝心の部分になるとはぐらかされてきた。そのヘレナがようやく話をする気になったのなら、この機会にじっくりと聞いておきたいところ。これまでの話の内容からいけば、ヘレナは魔法書が最初に創られた頃のことを知っている可能性が高いのだから。
「魔法書が欲しかったのよ。そこに、あなたの魔法の全てが書いてあるって聞いて、どうしても欲しくなった」
「それで、どうしたの?」
話すつもりではいるのだろうが、すぐには言葉がでてこないらしい。アルテシアのほうは、そんなヘレナを急かすようなことはせず、軽くうなずいてみせた。
ゆっくりでいいのだ。少しずつでもいい。とにかく、ヘレナが話してくれるのを待つ。そういうことにしたようだ。
少し長くなりましたので、ここで一旦切ります。ヘレナが知っていることを全部話してくれればいいんですが、さて、どうなりますか。
アルテシアに、防衛術の授業を担当するようにという話が出ています。そうなると、闇の陣営からの教授就任は難しい。さて、どうなりますやら。
次回は、ヘレナの告白内容についてです。