そんなわけですこーし修正してますが、改めて読み直す必要はありません。ともあれ、第10話を読んで下さいませ。
こんなに早起きしたのは、たぶん、生まれて初めてのことだ。確かめようはないけれど、そう言ってしまって間違いないはず。なにしろ、レイブンクロー寮ではまだ誰も起きてはいなかった。少なくとも、寮を出るまで誰にも会わなかったし、こうして医務室に着くまでにも、人影すらも見なかったのだから。
だけど、とここまで来てパドマは思う。こんな早い時間ではマダム・ポンフリーが、いやマダム・ポンフリーはどうでもいいが、肝心のアルテシアが寝ているのではないか。負傷して入院しているのだから寝ていてもらわないといけないのだけれど、でもどうせなら起きていてほしい。少しぐらいは話もしたいし、なにがあったのか、彼女の口から聞いてみたい。昨夜のうちにおおまかなところを聞いてはいたけれど、容体についても自分の目で直接たしかめたいのだ。
そのアルテシアまでの第一関門ともいうべき、医務室のドアは開いていた。昨夜はここでマダム・ポンフリーに追い返されたのだが、今朝はその心配はない。医務室にマダム・ポンフリーの姿はなかったし、たとえいたとしても、彼女は夜が明けるまで面会禁止だと言っていたのだ。日付も変わったのだから、もう自由に面会できるはずだ。夜が明けた、と言っていいのかどうかは微妙なのかもしれないけれど。
「あれ?」
病室には、先客がいた。姉のパーバティだった。
「ああ、あんたも来たんだ」
「そりゃあ、ね。これでも、一番乗りのつもりだったんだけど」
「あたし、昨日からいるんだ」
「え? どういうこと」
アルテシアは、眠っていた。そのベッドの脇に姉が用意してくれた、丸椅子へ座る。
「なんか、心配でさ。マダム・ポンフリーには何度も寮に戻るように言われたんだけど、医務室の外で待ってたんだ」
「一晩中ってこと?」
「そうなるのかな。しばらくしてマダム・ポンフリーが病室に入れてくれたんで、待ってた時間はそんなでもないんだけどね」
いったいパーバティは、いつから病室にいたのか。それも気になったが、ここに来た一番の目的はアルテシアのお見舞いであり、確認だ。なにがどうして、どうなったのか。なぜアルテシアが、こんなことになったのか。
「聞いたんだけど、トロールに襲われたんだってね」
「うん。でも大丈夫だよ。念のためもう1日入院するらしいけど、ケガのほうは心配ないってさ。トロールに襲われたにしては、奇跡に近いほどの軽傷らしいんだ」
「うわさじゃ、ロナルド・ウィーズリーが魔法で倒したらしいけど、そうなの? そうじゃなきゃ危なかったらしいけど」
「ああ、うん。そうだね。ウィーズリーはすごいよね。あの状況で必要な魔法が使えたんだもんね」
いちおう、会話はスムーズに進んでいる。だがパドマは、居心地の悪さを感じていた。いつもの姉とは、どこか違う気がする。そのため、居心地悪く感じるのだろう。どこが、と問われると困ってしまうけれど。
「あたしとハリーとね、ハーマイオニーとロン。4人で駆けつけたとき、アルテシアがトロールの棍棒で殴られてさ」
「えっ」
「あたしたちのほうへ飛ばされてきたんだ。なぜだか棍棒もいっしょにね」
「……」
「たぶん、声がでなかったんだろうね。でも、口だけは動いてた。右手がね、杖はなかったんだけど、こう、こうやって動いてさ。あんた、わかる?」
おそらくは呪文なのだろう。その口の動きと、そして手の動き。パーバティのそれを見て、思いつくことといえば。
「あたしだって、わかったんだよ。アルテシアは、魔法が使えないからさ。だからあたしにやってくれって。アルはね、あたしにやって欲しかったんだと思う。でもウィーズリーのほうが、少しだけ早かったんだ」
「ええとさ、それってさ」
「なんでアルは、魔法、使えないんだろう。そしたら、トロールをやっつけられたのに。なんであたしは、魔法、使ってあげられなかったんだろう。アルの代わりにトロールをやっつけられたのに」
アルテシアが眠るベッドの横に、姉のパーバティがいつからいたのかは知らない。どれだけの時間、ここに座っていたのかは知らない。でもパーバティは、姉は、ずっとここで、同じことを考えていたのだ。後悔にも似たことを。
「あのさ、お姉ちゃん」
「わかってるよ、パドマ。考えても仕方ないってわかってる。アルテシアは、無事だった。ひどいことにならずに済んだ。それを喜べばいいんだよね。それくらいのことわかってるよ」
「だったら」
言えたのは、そこまでだった。姉の目に光る涙。そんなのを見たのは初めてだったから。その意味が、わかったから。だから、何も言わなくていいと思った。いま必要なのは、時間なのだ。
姉妹が言葉を交わしたのはそこまでだった。アルテシアのそばで、静かな時間が過ぎていく。
※
「アルテシアの具合は、どうなの?」
病室に飛び込んできたのはハーマイオニー。続いて、ハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーが入ってくる。すでに朝食の時間になってはいたが、どうやら3人とも食事はせずに病室へと来たらしい。ハーマイオニーによれば、もっと早く来るつもりだったのに、男の子2人が遅れたのだという。
「それに、パーバティがあたしを誘ってくれてたら、あたしだって、もっと早かったと思うわ」
「ああ、ごめんなさい。今度からは、ちゃんと誘うわ」
「お願いね。でも、今度なんてないほうがいいのよ。それは忘れないで。こんなことはもう二度とないほうがいいんだからね」
総勢5人で、アルテシアのベッドを取り囲む。その中心たるアルテシア本人は眠っていたので、話題はどうしても昨日の出来事に及ぶことになる。
「けどさ、トロールなんて、どこから来たんだろう。トロールが学校にいるなんておかしいよね」
「スネイプが引き込んだんだと思う。あのとき、あいつの姿を見たんだ。4階に行こうとしていた。後姿だったけど、スネイプに違いないんだ」
あのとき、トロールがいることをハーマイオニーに知らせに行こうと急いだ。途中、パーバティを見つけて合流したが、そのときロンは、スネイプの姿もみたというのだ。自分たちがスネイプに見つかるわけにはいかなかったし、ハーマイオニーのところへ急ぐ必要もあったので、そのまま見過ごすしかなかったらしいのだが。
「でもスネイプが犯人だったとして、なんでトロールを。スネイプは、あたしたちを助けに駆けつけてくれたじゃない」
「あいつが、助けに来たとは限らない」
「じゃあ、何しに来たっていうの。スネイプは、アルテシアを医務室に連れていってくれたわ」
「まあ、まちなよパーバティ。ぼくは、こんなふうに考えてる。スネイプは、学校内の騒動にまぎれて4階に行こうとしていた。4階になにがあるか知ってるかい?」
パドマは、そのとき現場にはいなかった。なので、姉の意見も、ハリー・ポッターの言うことも、ただ聞いているしかなかった。レイブンクロー寮にまで漏れ伝わってきたうわさ話だけでは口をはさめない。
「なにがあるの?」
「新入生の歓迎会のとき、ダンブルドアが言ったこと、覚えてる? とても痛い死に方をしたくない人は、今年いっぱい4階の右側の廊下に入ってはいけません」
「あ、そういえば」
そんなことを言っていた。入学してすぐの校長先生の言葉だったので覚えてはいたが、どういう意味があるかとか、考えたことはなかった。
「しばらく前に、ぼくたちはその部屋に入ったことがある」
「あの日よ。あたしが夜中に出歩いてた日のことなんだけど、あたしたちは、その部屋で三頭犬をみたのよ」
「そうさ。なんで学校にあんなのがって思うだろ。ぼくたちもそう考えた」
ハリーが、そしてハーマイオニーと、ロン。だが3人がかりでしゃべっては聞くほうも大変だということで、ハリーが代表して話をすることになった。
「ハーマイオニーが言うには、三頭犬は仕掛け扉の上にいたらしい。何かを守ってるっていうんだ。何を? 誰から? 実はぼくたちがホグワーツに入学する前にグリンゴッツで事件があったんだ」
「ハグリッドの小屋に、日刊予言者新聞があったんだ。それに載ってた。七一三番金庫に侵入した者がいたんだぜ」
「ロン、ハリーが話すはずでしょ」
「…わかってるよ」
グリンゴッツの事件のことなど、パチル姉妹は知らなかった。だが、ハリーたちの話を黙って聞いていた。いったいその事件が、今回のトロール事件にどうかかわってくるのか。
「その金庫には、茶色の紙でくるまれた小さな包みが入ってた。ハグリッドがダンブルドアの指示でそれを持ち出すとき、ぼくもいたんだ。金庫はからっぽになったから、侵入者はなにも盗み出すことはできなかった」
「あ! つまりそれがいまホグワーツにあって、それを、そのなんだっけ? なんとかいう犬が守ってるのね」
パドマの声。思わず言ってしまってから、しまった、とばかりに口に手をあてる。だが、皆の視線が集まったのは一瞬だけ。ハリーがすぐに続きを話し始めたからだ。
「それがなんなのかはわからない。わからないけど、大切なものに違いないんだ。だから生徒たちも近づけないようにしてるんだ。騒動を起こしたのは、誰にも気づかれないように4階に行くためだと思う」
「それを盗もうとしたっていうのね。でもスネイプは、すぐにあのトイレに来たんじゃなかった?」
「そう。あのときはマクゴナガルが来て、そのあとでスネイプとクィレルが来たんだ。スネイプとクィレルはいっしょだったと思う」
「だったら」
「スネイプは、途中でクィレルに会ったんだ。だから4階の部屋には行けずに、しかたなくトイレに来た。ぼくはそう思ってる。話は戻るけど、三頭犬が何を守ってるのかをぼくたちは知らなきゃいけない。知らなきゃ守れないからね。それがなんであれ、スネイプが狙ってるのなら、それを守らなきゃいけないんだ」
パーバティは何も言わなかった。パドマも黙っている。なので、納得してくれたと思ったのだろう。視線をベッドへと向けたハリーは、アルテシアの目が開いているのに気づいた。すぐに声をかけようとしたのだが、ほんの一瞬だけ遅れた。
ハリーよりも、マダム・ポンフリーの声のほうが早かったのだ。いつのまにか、マダム・ポンフリーが病室に来ていた。
「あなたたち、もう授業が始まる時間ですよ。すぐに戻りなさい。患者が目覚めたようですから、少し診察させてもらいます。さぁさ、面会は終わりです。また夕方にでもいらっしゃい」
アルテシアの目が覚めたのなら、少しだけでも話をしたい。パドマもパーバティも、そう思ったに違いないし、アルテシアだって同じことを思っていたのかもしれない。だが、朝の面会はここまでとなった。
※
「具合はどうじゃな」
そう言ってダンブルドアが病室を訪れたとき、アルテシアはベッドに上半身を起こした状態で座っていた。何をするでもなく、ただぼんやりと自分の手を、ときおり手のひらを閉じたり開いたりしつつ、見つめていた。
視線が、ダンブルドアへと動く。
「校長先生、ですよね」
「そうじゃよ。そういえばこうして会うのは初めてということになるのう。ま、姿を見かけたことは何度かあるが」
「はい。わたしも」
ニコッと笑い、杖を振る。ベッドの脇に肘掛けのついた椅子が現れ、そこにダンブルドアが座る。
「そういうことが、わたしにもできるようになるでしょうか」
「もちろん、なれるとも。そのために毎日勉強しているんじゃないのかね」
「それは、そうなんですけど」
「自信がないのかね?」
無言でいるのも、立派に返事となるらしい。ダンブルドアは、二度三度とうなずいてみせた。
「少し、話を聞かせてもらおうかと思っての。昼食までにはもう少し時間がある。それまでかまわんかね」
「はい。昨日のことでしょうか」
「あのトロールは、ロナルド・ウィーズリーが倒した。浮遊呪文を使って棍棒を飛ばしトロールにぶつけたのじゃ。覚えておるかね?」
うなずく。だがアルテシアが覚えているのは、あのトロールが倒れたときまでだ。そのとき、床の振動とともに気を失い、気がついたときにはベッドに寝ていたのだ。場所がどこかはわからなかったが、聞き覚えのある声がいくつか聞こえた。ハリーやロン、パーバティたちの声だった。
「キミにはケガをさせてしまったが、おかげでさほどの被害もなく終息させることができましたな。感謝してますよ」
「いいえ、そんな。わたしは何もできずに逃げ回っていただけなんです。なにかの役にたったとは思えません」
ほとんど感情のこもらない、平坦な声だった。普段のアルテシアのことは知らないが、こんな陰気な少女ではあるまいとダンブルドアは思う。つまりそれほど、今回のことが彼女に影響を与えたということなのだ。だが、なぜだ。たしかにケガはしたが、今回のことはそれほど心の負担となるものなのだろうか。
「すみませんでした、校長先生。あのときわたしに魔法が使えていれば、ひとまずトロールの動きを封じることもできたはずなのに」
「ほう、トロールの動きをのう。それは麻痺させるということかね」
「いいえ、動けなくするというより、制限をかけるんです。そうすればハーマイオニーを安全に避難させることができたし、トイレを壊されることもなかったはずなんです」
このときダンブルドアの頭のなかにあったのは『ステューピファイ(Stupefy:麻痺せよ)』。相手を動けなくする魔法だが、どうやらアルテシアが思い描いているのは、その魔法ではないようだ。では、なにか。
「その制限をするというのは、どういうものなのか教えてもらえるかね。それがいわゆるクリミアーナの魔法なのかね」
「そうですけど、でも校長先生にも同じことができるんじゃないですか」
「おぉ、そうじゃの。たしかにそうじゃが、キミの言う動きの制限とは、いったいどういうものなのかね?」
だがアルテシアは、顔をあげてダンブルドアを見ただけだった。なにか言いかけはしたものの、口を閉じてうつむいてしまう。ダンブルドアは、軽くため息。だが、アルテシアは黙ってしまったわけではなかった。
「校長先生、4階には何があるのでしょうか。あのトロールは、4階の部屋をさぐろうとした人が、騒ぎを起こすために」
「待ちなさい。それはいったい、何の話じゃね?」
「トロールを操った人がいて、その人は、4階の部屋に隠してある物が欲しかったんだと聞きました。いったい、何があるんでしょうか。もう一度、同じような騒動が起きるのでしょうか」
「待ちなさい、というたがの、ミス・クリミアーナ。いや、アルテシアと呼んでもいいかのう」
拒否する理由はなかった。むしろ、クリミアーナと呼ばれるほうにこそ抵抗感があった。いまはまだ、クリミアーナとは呼んでほしくはない。それが本音だった。
「では、アルテシア。たしかに4階にはある物が隠してあるし、それを欲しがっている者がいることも確かじゃよ。じゃがの、お嬢さん。誰もそこには行けないように工夫がしてある。何も心配することはないのじゃよ」
事実、そこに隠された『賢者の石』は、いくつもの仕掛けによって守られている。簡単にはたどり着けないし、仮にそれを奪われたとしても、最後の保険もかけてあるのだ。
アルテシアは、下を向いていた。
「どうかしたかね、お嬢さん」
「校長先生、本当に、心配はないんでしょうか」
「むろんじゃよ、お嬢さんはなにも心配しなくてよい。それより、レモン・キャンディーはいかがかな?」
「え?」
顔を向けたアルテシアに、ダンブルドアは左手を差し出した。手のひらに、なにか載っている。
「レモン・キャンディーじゃよ。マグルの食べる甘いものじゃが、わしゃ、これが好きでな」
「あ、ありがとうございます」
それをアルテシアが受け取る。ダンブルドアは、微笑みながら立ち上がると、杖を取り出す。そして、いままで座っていた椅子を消した。
「ゆっくり食べるといい。わしはこれで帰るが、いつでも校長室に遊びにきなさい。魔法の勉強について、話もしたいしの」
ダンブルドアとしては、いますぐにでも、その話をしたかったはずである。だがアルテシアの様子からみて、日を改めたほうがいいと判断したのだろう。
ダンブルドアが病室を出たあとで、レモン・キャンディーを口に入れる。そのレモン・キャンディーが、アルテシアの口の中で溶けてなくなったころ、マクゴナガルが姿をみせた。
※
「ずいぶんムチャをしたものですね。減点したものか、加点したものかは、おおいに迷うところですが」
「すみません、先生。まさか、こんなことになるとは」
ベッドの上に、ローブが置かれる。学校の制服だ。アルテシアは、トロールと遭遇したときに着ていた、クリミアーナの白いローブのままだったのだ。
「あなたの部屋から持ってきました。退院するときにはこれに着替えなさい。そのローブが、あなたの命を守ってくれたのでしょうけれど、規則ですからね」
「わかっています。いま、着替えます」
「いいえ、いまでなくてよろしい。退院するときでかまいません。それより、言っておきたいことがあります」
いつにない真剣なまなざしに、アルテシアも表情を固くする。いったい何を言われるのか、と。
「そんなに、固くならなくてよろしい。魔法書のことです」
「魔法書、ですか」
「そうです。今回のトロールの件などから考えても、あの魔法書のことは、誰にも話さないほうがいいと思うのです。少なくとも、あなたが魔法を使えるようになるまで。できることなら、ホグワーツを卒業するまではそうしてほしいと思っています」
「それは、なぜですか」
マクゴナガルは、ダンブルドアのように魔法で椅子を出現させるようなことはせずに、壁際に置かれた丸椅子を持ってきて座った。
「詳しい理由は話せませんが、あの魔法書のことが知れ渡れば、それを欲しがる者が現れることになるでしょう。そうならないようにするためです」
「それは、トロールを操っていた人に対して、ということでしょうか。今回のようなことがまた起こるのでしょうか。4階には何があるのでしょうか」
「待ちなさい、ミス・クリミアーナ。そのことを、どこで聞いたのです?」
「校長先生です。4階にはある物が隠してあり、それを欲しがっている人がいると聞きました。校長先生は、なにも心配いらないとおっしゃいましたけど、そういうことでいいんでしょうか」
そこで、マクゴナガルは、大きくため息。すでにダンブルドアはここに来ていたのだ。そして、アルテシアから魔法書に関することを聞きだしたのに違いない。ダンブルドアのことだから心配はいらないと思うが、一歩遅れた、という感は否めない。
それに、アルテシアが4階のあの部屋のことを知っていることにも驚かされた。ダンブルドアが、自分からこの秘密を明かすとは考えにくい。いったいアルテシアは、どうやってあの秘密を知ったのか。
「4階のことは、校長先生がおっしゃったとおりですし、心配いらないというのも本当です。ですから、あなたはもう忘れなさい。他には、何を話しましたか?」
アルテシアは、答えない。その目をマクゴナガルに向けたまま、何か考えているようだ。マクゴナガルは、その目に見覚えがあった。あれは、クリミアーナ家を訪ねたとき。ホグワーツへの入学を決意しようとしていた、あのときの目だ。
「考えるのをやめなさい、アルテシア。何も考えてはいけません。あなたは、何も心配しなくていいのです」
「アルテシア、と呼んでくれるのですね、マクゴナガル先生」
「呼び方など、どうでもよろしい。とにかく、わたしに任せなさい。いまあなたがするべきことは、魔法を学ぶことなのですよ」
「もちろんです、先生。でもこのままでは、学校にはいられません。だってわたし、クリミアーナの娘ですから」
そこでアルテシアは、ニコッと笑った。アルテシアにとっては久しぶりの笑顔と言えるだろう。だがマクゴナガルにとっては、笑えるような気分ではなかった。
「それはどういう意味ですか? 何をするつもりなのです? すべて、わたしに話しなさい」
アルテシアは答えない。返事の代わりではないだろうが、ダンブルドアが来たときのように、右手を前に出し、手の平を上にして握り、そして開く。二度、三度。そして、改めてマクゴナガルを見る。
「マクゴナガル先生、わたし…」
「わかりました、アルテシア。あなたが退院したあと、わたしの部屋で話をしましょう。いまわたしが知っていることを隠さずに話します。そうすれば、さしあたっての危険など、なにもないのだとわかるでしょう」
なにか言いかけたアルテシアだったが、それをさえぎるようなマクゴナガルの声。真剣そのものであり、人によっては怒っていると感じるかもしれない。そんな目でアルテシアを見つめる。
「あのですね、先生」
「改めて言っておきますが、それまで、何もしてはいけませんよ。何も決めてはいけません。わたしの知っていることをあなたに話しますから、あなたもすべてをわたしに話しなさい。何をするにも、そのまえにわたしに話すのです。いいですね」
「…わかりました」
返事をするまでにためらいがあったような気もしたが、ともあれアルテシアに約束させた。そのことにマクゴナガルは、安堵を覚えたが、ほっとしてばかりもいられない。
この娘は、アルテシアは、すでになにごとかを決めたか、決めようとしているのだ。それが何かはわからないが、なんとしてもそれを聞き出さねばならない。そのためにも、自分も正直に話そうと思った。こちらが隠していては、相手も同じことをするに違いない。マクゴナガル自身、わかっていないことは多いが、それはそれとして、正直に告げるべきだろう。そうしなければアルテシアは、心配しなくてもいいのだと納得などしないに違いない。
実際のところ、なにがどうなっているのか、詳しいことはほとんどわかっていない。全体像を把握しているのはダンブルドアだけ。だが、差し迫った危険があるわけではないのも事実。いずれはヴォルデモートが関係してくるのかもしれないが、仮にそうなるとしても、それはまだまだ先のこと。どうなるのかはわからない。とにかく、魔法書の秘密さえ守りとおせばいいのだ。
アルテシアが、顔をあげた。
「では先生、とにかく一度、クリミアーナへ帰りたいのです。許可してもらえますか」
「それは学校を辞めるということですか。ダメですよ、アルテシア。そんなことは許しません」
さすがのマクゴナガルも、これには慌てずにはいられなかった。
前回に引き続き、トロールのお話を引きずらせていただきました。ちょっとしつこいようですが、主人公にとっては、これが大きな転機となるのです。そんなエピソードとしたかったんです。次回より、物語は新たな展開。そうしようと思っていますが、作者のくせに、なかなか思うようにはいかないんです。なんでだろ、とっても不思議です。