009
ワタシはアイツを許さない。
ワタシはあの男を許さない。
ずっとずっと好きだったのに、ずっとずっと愛していたのに。
アイツはワタシを捨てやがった――拒絶しやがった。
ずっとずっと傍に居たかったけれど、今はずっとずっと憎悪が湧いてくる。
この怒りを晴らさないことには――この無念を晴らさないことには、腸が煮えくり返っているこの状況が良き方向に進むことはないだろう。
どうすればいい、誰かに頼めばいいのか。
願い続ければ叶うのか。呪い続ければ叶うのか。
何を犠牲にしてもいいから、全てを犠牲にしてもいいから、ワタシはアイツに復讐したい。
復讐して逆襲して蹂躙して――完膚なきまで塵芥も残さずに葬り去ってやりたい。
全ての行為はあなたの為に、全ての好意はあなたの為に、全ての厚意はあなたの為に。
ワタシはあなたを咬み殺します。
010
死ぬかと思った――というか、本当に七回ほど殺されてしまった気がしてならない。
というのは大袈裟かもしれないけれど、それほどまでの苦行と地獄を見せられ味わわされ体験させられた俺は、愛望の部屋のベッドの上で絶賛ダウン中だった。心成しか、ベッドのフカフカ具合が心地良い。
俺に全力で攻撃と拷問を行ったはずの佳乃は汗一つ掻いた様子も無く、部屋の中央で不機嫌顔で胡坐を掻いている。
まだやり足りないとでも言いたげな、そんな不機嫌顔で、だ。これはそろそろ炙り蝦蟇ごと殺されてしまうかもしれんね。
知り合い程度の関係のくせに佳乃に最愛の恋人を売り捌いて売り払った張本人で真犯人、四十八願愛望は現在、俺が寝ているベッドに腰を下ろした状態で、若干体重を俺の身体に掛けた状態で、分厚い本をぱらぱらと捲っている。
チラッと表紙を覗き見てみれば、そこには『怪想戯画』という見たことも聞いたことも無いタイトルネームが。愛望が真剣な顔で読み耽っていることから察するに怪異関係の書物なのだろうけれど、どうせ見たところで俺には理解も把握も出来ないだろうから、ここはあえて見なかったことに――見て見ぬふりをすることにする――不本意だけどな。
頭をガシガシと乱雑に乱暴に掻き、俺はゆっくりと起き上がり、そのままの流れで後ろから愛望に寄りかかった。
後ろから彼女を抱きしめるかのような姿勢で、俺は愛望に寄りかかった。
「……なに?」
「いや別に。その本の内容が気になっただけだよ」
「人肌恋しくなっただけの癖に、よく言う」
「あ、やっぱばれてた? 流石は愛望。凄い洞察力だなー」
「私は大和の事なら何でも知ってる。スリーサイズも髪の伸びる周期も視力の変動具合も食生活の概要も学力成績の詳細も所持しているエロ本の数も――私は大和の事なら何でも知ってる」
「個人情報保護法が全く機能していない! そして何で最後の情報まで握ってんだよ意味分かんねえよどうやって知ったんだよ!」
「えっと、それは――」
「あからさまに見せびらかすかのように私様の前でイチャイチャすんなァァァァァァ!」
愛望が何かを言おうとしたまさにその瞬間。
ブッチィィ! と明らかに血管が破裂したであろう破裂音を合図に、佳乃が俺と愛望の間に素早く両手を差し込み、そのまま襖を開けるかのような動きで俺と愛望を遠ざけた――その時間、僅か三秒。
苦笑いを浮かべているであろう俺とキョトンとした顔をする愛望を交互に睨みつけ、佳乃はふるふると肩を震わせながら怒りを露わに言い放つ。
「貴方様方のイチャイチャのせいで全く話が進んでいない! さっさとそのオオカミの怪異とやらの正体を掴んで例の連続通り魔事件を解決しなければならないのではなかったのか!?」
『あ』
「あ、じゃねえよ! なんでそこでも見事なまでにシンクロするんだ貴方様方は! イジメか! フラれてハブられて怒り心頭な私様に対する当てつけか! 泣いちゃうぞ! 本当にここで大泣きしちゃうぞ!?」
そう言う佳乃の目には本当に涙が浮かんでいて、
そう言う佳乃の姿に俺たち二人は凄まじい程の罪悪感に襲われてしまっていた。
佳乃が悲しんでいる原因を作ったのは他でもないこの俺な訳で、佳乃の怒りの矛先が向いているのは他でもないこの俺だ。
一年間も彼女を避け続けるだなんていう最低で最悪な行為を実現してしまった、千石大和に対する怒りの槍が――今も構えられている。
それはきっと、彼女の怒りが収まるまで向けられているのだろう。
それはきっと、そう簡単には降ろされないほどのものなのだろう。
それはきっと、俺がどうにかしなければならない問題なのだろう。
憤怒に、
憎悪に、
嫉妬に、
激怒に、
激情に。
どれもこれもが俺に対するマイナスの感情で、どれもこれもが佳乃の精神を蝕んでいる――ある意味における俺の大罪。
五つの大罪。
一五八九年にドイツのペーター=ビンスフェルトが悪魔と関連付けた七つの大罪と近しいのかもしれず、
十六世紀の版画家ハンス・ブルクマイアーがそれぞれの大罪を正式に悪魔と関連付けた七つの大罪と近しいのかもしれず、
中世に動物と関連付けられた七つの大罪と近しいものなのかもしれない。
傲慢を司る――孔雀。
嫉妬を司る――蛇。
怠惰を司る――驢馬。
強欲を司る――狐。
暴食を司る――豚。
色欲を司る――山羊。
憤怒を司る――狼。
「って、狼……?」
待て、落ち着け。
今何が引っ掛かった? 今何かが引っ掛かった。
七つの大罪と関連付けられている動物の一覧を、もう一度頭の中に呼び起こせ。
絶対に見逃してはならないワードの数々が今、一瞬だけだが頭の中を過ったはずだ。
傲慢を司る――孔雀。
嫉妬を司る――蛇。
怠惰を司る――驢馬。
強欲を司る――狐。
暴食を司る――豚。
色欲を司る――山羊。
憤怒を司る――狼……っ!?
「分かった、分かりやがった……今回の連続通り魔事件に関係してる、怪異の正体が……」
考えてみれば、凄く簡単な問いだったのかもしれない。
分かってみれば、凄く簡単な謎だったのかもしれない。
通り魔事件の被害者の全ては、体格に違いはあるけれども、全員が全員男子高校生だ。さらに詳しい情報を述べるのならば、その全員の年齢は十八歳。
俺の年齢も、十八歳。
だが。
だけれど。
まだそれだけじゃ根拠付けられはしないし、確かな証拠とはなり得ない。もっと詳しくもっと深い、切り札のような証拠を探す必要がある。
例えば。
例えるなら。
更にもう一人被害者が出て、その被害者が
いや。
わざわざ新たな被害者など求める必要なんてものは無い、か。
これ以上の被害を出さないためには――それは絶対に無理なんだろうけれど――凄く良き手が一つある。
誰かが死ぬことも無く、誰かを失うことにもならない、最高で最上の切り札が――一つだけ。
加害者と被害者の二つさえ揃っていれば、俺の仮説は実証されるはずなのだから。
「愛望」
「……考えてることは分かったけれど、それが実証されたとしても……」
「大丈夫だ。全ての責任は俺が持つ」
全ての責任は俺にある。
俺が襲われたのは俺自身の責任で、俺が殺されたのは俺自身の責任だ。
自業自得だ。
石橋を叩いて渡らなかった結果が、今回の俺だ。
今回の連続通り魔事件だ。
通り魔事件を終わらせることは出来ないにしても、ある程度の犯人までは俺の身を犠牲にしてでも明らかにしておかなければならない。
その責任が、その義務が――今の俺には圧し掛かっている。
“負わされ”ている。
たった一度の失敗のせいで、たった一度の逃避のせいで、
俺はとんでもない程に厄介な怪異を出現させてしまった訳だ。
いや。
これは俺だけの問題じゃない。
今回の通り魔事件の被害者全員が、今回の通り魔事件の加害者全員でもあるのだから。
「佳乃」
「何だ?」
慌しくなっていた俺と愛望を眺めていた佳乃に、無責任ながらに声をかける。
佳乃は、平気そうな顔で返事をした。
内側や裏側に隠されている、燃え盛るような炎を隠したまま、佳乃は本心を隠して返事をした。
俺は言う。
責任を果たすために、義務を果たすために、千石大和は無責任な事を言う。
「今からもう一度浪白公園で――俺に向かって告白してくれ」
011
浪白公園。
何度見ても何度確認しても読み方が分からないそんな公園の中央で、
遊具が少ししかないことが特徴という風変わりな公園の中央で、
俺と佳乃は向かい合って向き合って睨み合っていた。
かつての関係など感じさせないほどの険悪さで、俺と佳乃は睨み合っていた。
愛望は仕事着――陰陽師のような装束を身に纏い、俺たち二人から少し離れた場所で立っている。今回の事件を解決するために、俺の仮説を実証するために、四十八願愛望はそこにいた。
佳乃は言う。
「何の説明も無しに私様はもう一度あの苦しみを味わわなければならないのか?」
「無責任だとは思ってる。最低で最悪な行為だとは思ってる――でも、この事件の真相を掴むためには必要なプロセスなんだ」
例えそれで、佳乃が深く傷つくことになろうとも。
例えそれで、俺たちの関係が崩れることになろうとも。
俺はこの真相を――この謎を解明しなければならない。
その責任が、その義務が――愚かな俺には“負わされ”ている。
佳乃は今にも泣きそうな顔で、今にも怒り狂ってしまいそうな顔で俺を睨みつけ、
「悲しかった苦しかった。ずっとずっと好きだった貴方様にフラれてしまって、私様は心の底から悲しんで苦しんだんだ。それなのに、そんな想いをもう一度、損な想いをもう一度、私様に経験しろと言うのか?」
「ああ」
と、俺は無責任に言い放つ。
「…………貴方様はずっとずっと変わらないな。ずっと子供でずっと愚直で、ずっとずっと馬鹿なんだ」
「分かってる」
「私様の想いに気づいていたくせに、あえて気づかないふりをしていた。私様を傷つけたくないからという馬鹿で愚かな理由一つで、ずっとずっと私様と仲良しごっこをしてくれていたな」
「自覚はある」
「…………私様は、この関係を終わらせたくない」
佳乃の目から、涙が零れる。
「ずっと貴方様に片想いで、ずっと親友で幼馴染みで! 今のままが楽しいんだ! ずっとずっと今のままで! ずっとずっとこのままがいいんだ!」
それは、生まれて初めて聞いた――廿楽佳乃の心の声だった。
それは、生まれて初めて接した――廿楽佳乃の本心だった。
馬鹿で愚かで愚直な千石大和を愛してしまった、馬鹿で愚かで愚直な廿楽佳乃の――
――馬鹿で愚かで愚直な本心だった。
「たった一度、たった一度だ! たった一度、貴方様の特別な存在になりたいと思っただけで、全ての関係が崩れてしまった! 全ての想いが壊れてしまった! もう歯車は噛み合わない! 咬み殺されてしまった歯車は、もう絶対に戻りはしない!」
それが、異変の前兆だった。
狂ったように怒ったように子供のように癇癪を起こした廿楽佳乃の姿こそが、全ての悲劇の始まりだった。
気づいた時には、俺の左腕が無くなっていた。
気づいた時には、佳乃の姿が消えていた。
気づいた時には、背後に気配を感じていた。
「そんなに俺に怒ってたんだな。今まで気づけなくて――気づこうとしなくて、本当にごめん」
そう言いながら、鳴きながら、俺は後ろを振り返る。
俺が振り返った先にいたのは、俺の左腕と共に駆け抜けていたのは、
「俺が今からお前の怒りを受け止めるから。思う存分やってくれ――佳乃」
狼のような毛皮に包まれ、
狼のような牙を持ち、
狼のような爪を持ち、
狼のような瞳を持った、
廿楽佳乃本人だった。
千石撫子です。
主人公の立場が私の実兄ということで出番が急激に無くなってしまった、悲劇のヒロイン千石撫子です。
なーでこーだYO。という次回予告をした次の日、暦お兄ちゃんに「お前そんなキャラだっけ?」と自分でも分かっているツッコミをされてしまったのは嫌な思い出だったりします。
不本意ですけれど、アレは台本通りだったから問題ないのです。
それではまずは、戯言を一つ。
大和お兄ちゃんが私の元を離れたのは、大和お兄ちゃんが高校に上がってすぐの事でした。あの時撫子、凄くびっくりしちゃったな。
ずっとずっと私の傍にいたはずの大和お兄ちゃんが、ある日突然姿を晦ましちゃったわけですからね。そりゃあ驚きます。
あれから一度も連絡を取り合ったり顔を合わせたりはしていないので、私は凄くお兄ちゃんの事が心配です。
時々存在毎忘れてしまいそうになるけれど、私は大和お兄ちゃんの事をいつも気にかけています。
『次回。無物語、第拾貳和――「よしのウルフ 其ノ陸」』
それでもやっぱり一番気にかけてるのは、私が一番気になっているのは――それでもやっぱり暦お兄ちゃんなんですけどね。