深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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お久しぶりです、コラボ第12話です。オリアンヌの番の時は謎ワードお休み、何かそんな感じです(意味不明)


Mind Game:第12話 比翼連理

「……お前達が何故この場所にいるのか、私にはわからない」

 

 一歩前に踏み出す。

 

「家族を人質に取られたのか。それしか生きる道が無いのか」

 

 もう一歩、踏み出す。

 相対する二人はその動きに応じ、二歩下がる。

 

 

「己が身を捧げても惜しくない主君がいるのか、何か別の理由があるのか」

 

 さらに、一歩。

 相手は何も答えないが、オリアンヌは言葉を続ける。

 

 

「お前達のような子どもが血で汚れなくて済むようにするのが、我々(軍人)の役目のはずなのだがな」

 

 

 先の激情が残ったまま、しかし瞳の奥に微かな悲しみの光を讃え、目の前の二人を見つめる。

 正確な年齢などわからないが、まだ年端もいかない少女ではないか。

 

 それこそ、特殊な生まれを除けば学校で友人と笑い合い、あるいは存分に趣味を楽しみ、人生を謳歌しているような。

 

 此度の襲撃は犯罪集団の組織的犯行、などと呼べる規模のものでは断じてない。

 その裏には国家やそれに匹敵する力を持った集団が関わっているのはほぼ確実だろう。

 

 外道が、とオリアンヌは内心で吐き捨てる。

 そのような力のある集団が、子を育む事もせずに使い捨ての刃にするなどと。

 

 

「だが」

 

 だが。その言葉通り、オリアンヌはそこで思考を切り替える。

 

「それは、今この場には関係の無い事だ」

 

 子どもだろうと、そこにいかなる事情があろうと。

 目の前の相手は、それ以前の前提として、主君の命を狙う暗殺者。

 そこに与えられる慈悲は無い。

 

 右腕を大きく振り被る動作。力を貯め込むかのように小刻みに震える右腕と、そこから生えた長い昆虫の牙。

 その予備動作を察知し、朦朧とした意識の静花を抱え、雅维は後方に跳ぶ。

 

 瞬間、雅维のガスマスクが剥ぎ飛ばされる。

 掠めた。後少し自分の対処が遅れていれば、頭を吹き飛ばされていた。

 

 冷や汗を拭う間も惜しみ後退し、雅维はオリアンヌを苦々しい表情で見つめる。

 

 その全身を覆う強固な鎧についての情報は既に任務に就く前から把握していた。

 

 ESMO手術"古代爬虫類型"『アンキロサウルス』。

 

 鎧竜という俗称で広く知られるグループの草食恐竜、その一種を再現したものだ。

 草食の動物、と聞いてパッと思い浮かぶのはどのようなイメージだろうか?

 

 恐らく、ライオンやチーターに捕食されるシマウマのようなものがまず思い浮かぶのでは無いだろうか。

 はたまた、いいや、肉食動物に対抗して打ち倒す事もできる力があるカバやゾウといった動物を思い浮かべる事もあるのかもしれない。

 

 オリアンヌの手術ベース、その一つであるアンキロサウルスは当然のように後者の地位にあった動物であると言われている。

 

 しかし、逃げの一手だけでなくやろうと思えば肉食動物と正面から相対する事ができる屈強な草食動物、という生存競争の中で近い立場にある現生の種の多くとこのアンキロサウルスでは、大きく異なっている部分が一点。

 

 

 刃の一撃に次いで振るわれる左腕の鎚を、雅维は軌道を逸らすのは無理だと判断し身を屈めてその下を潜る。

 

 それは、闘争に重点を置き特化した器官を有している、という点である。

 その力を宿すオリアンヌの左腕に発現している、瘤のような塊。

 

 それが、現生の種では見られない特徴である尾の先端から生えた骨が凝集した鎚である。

 角のような様々な役割を果たす器官でも無く、分厚い皮膚や巨躯、筋肉といった、生きる過程で必然的に役立つ特徴でも無い、ただ己が身を守り敵を叩き潰すための武器。加えて、捕食者の刃を安易に通さぬ強固な装甲。

 

 はっきり言って、相性は最悪である。

 雅维の手術ベースは正面きっての戦闘に用いられるような器官を持たず、敵対者を排除する手段は隙を突いての急所への一撃。

 だが、相手の全身が分厚い皮膚の装甲に覆われている限り、それは通用しない。

 先ほどオリアンヌが変態した瞬間の首を狙った攻防ではっきりとわかっている。

 

 大きな隙があれば目を狙う、というのも手だが、手練れの軍人であるオリアンヌがそう易々と隙を晒してくれるものか。

 

 あと少し時間があれば、全体の状況が変わる。

 最も上手くいくパターンがオリアンヌの抵抗を許さず交戦、そのままエドガーを狙う、という形であったが、こうなってしまうと仕方が無い。

 

 状況を判断するに、最善手は撤退からの仕切り直し。

 ……それも――――

 

「染さん……私は、いいから」

 

 一瞬でそこまで思考を巡らせていた雅维はそこで頭の中が真っ白になる感覚を覚える。

 致命傷、は免れたはずだが、大きな傷を負い、軟体動物型の再生能力があるとはいえ戦線復帰にはもう少し時間がかかるであろう静花。

 彼女が弱弱しく零した言葉は、至極単純な意味合いのものだった。

 

―――自分は見捨てて任務を遂行しろ。

 

「なん、で」

 

 雅维の思考が止まったのは、自分が考えもしなかった残酷な選択肢だから。……では無い。

 

 むしろ、逆だった。最善手は、ここで静花を見捨てて一時撤退する事。

 普段通りに動けない静花は、足枷になるからだ。

 

 撤退さえできれば、静花は再生能力で復帰できる。だが、そもそもオリアンヌを眼前にした今の状況で撤退できるかどうか、がそもそもの問題なのだ。

 

 だから、見捨てる。アネックス計画と裏アネックス、火星派遣計画という括りでの同僚。

 ここ何日か、任務で共に過ごした仲。

 

 暗殺者、という立場の人間からすれば、それは、『その程度の仲』で切り捨てられる。

 事実、雅维も一度はその選択をしようとしていたのだ。

 

 だが。

 それを当の本人に肯定されて、雅维は困惑していた。

 

――――――同じ班員にジェットさんって人がいるんですけど、すごく料理が上手なんです。

――――――これ、班長から貰ったんです! ……そ、そんな顔してもあげませんよ? ……い、1個だけならやっぱり……

 

――――――染さんのご家族とか班員の方々はどんな人なんですか? 私は――

 

 

「帰りたい、って、言ってたじゃないですか」

 

 オリアンヌは既に追撃の姿勢に移っている。言葉を交わしている暇など無い。

 

 合理的じゃない。おかしい。

 

 空白になった頭の中を新たに埋めるその言葉は、静花にも当の本人にも突き刺さる。

 

「家族のために頑張るって! お土産もたくさん選んだじゃないですか! なのに何で!」

 

 

 静花の呟きが『助けて』『置いていかないで』という内容であったならば、雅维は即座に静花を見捨てて撤退に移っていただろう。

 

 彼女のいつもの口癖のように『ごめんなさい』と言って。 

 大好きな家族のところに帰りたい気持ちはわかるけど自分も自分の事情で任務を遂行しないといけないから、と思って。

 

 だというのに自分はもういい、という言葉が納得できなかった。

 そんな理由で、自分は貴重な時間を空費している。

 

 思考がぐちゃぐちゃになり、何を言いたいのかもわからない。

 任務の為だ、しょうがない。そう思って、見捨てようと思ってたのに。

 そんな雅维に投げられた言葉は、ごく短いものだった。

 

「行って!」

 

 再度の、自分を捨てて逃げ出せ、との言葉。

 いよいよ猶予は無い。

 

 理解ができない。混乱している。

 でも、きっと選択肢はもう残っていない。

 

 念押しとばかりに過剰摂取に近い量の『薬』を投薬し、雅维は背を向ける。

 瞬間、その気配そのものがかき消える。

 

 

 

「……全く、もう……苦渋の選択、ってやつだったんだから」

 

 残された静花は、苦笑いをしながら溜息を付く。

 

 傷は少しずつ塞がっているが、油断すれば内臓が零れ出しそうと錯覚してしまう傷。

 どれだけ持つだろうか。まあ時間稼ぎぐらいはできるか。

 

 次は無いだろうし、パーッと使ってしまおう。

 

 

「エドガー様を害さんとする不遜な侵入者ではあるが……せめて、人並みに葬るくらいはしてやる」

 

 振り下ろされるオリアンヌの剛腕。

 回避は不可能。重く苦しい死が間近に迫り、そして。

 

 

 

「『家族』の皆の所には帰りたいけど、さ」

 

 静花の脳裏に、自分がこれまでお世話になった、なっている沢山の人が順々に浮かぶ。

 

 きっと、染さんは自分と同じようには思ってくれてなかったんだろうな。

 ちょっと残念だ。まあでも、当然なのかもしれない。

 

 何か、表に出せない複雑な事情がありそうな人だったから。

 きっと、そう易々とこちらに接触できる人間じゃなかったのかもしれない。

 

 だから、そう思ってもらえないのは、当たり前。

 

「……!」

 

 オリアンヌの腕が、宙で止まる。

 それを成したのは、オリアンヌの意思では無く、赤の触腕だった。

 

 右腕の刃で切断を試みるも、瞬間、オリアンヌの視界を触手が埋め、その体を押し戻す。

 

「でもね」

 

 口端から血が零れる。

 視界が少しぼやける。

 

 

――――――欣将軍は厳しいけど優しいお方なんです!

――――――すごく格闘術が上手な人がいて! もうしゅばばばー! って感じで!

 

――――――今度会ってみたい? ……えーっと、じゃあ、その……良かったら、リースちゃんの家族さんにも……

 

 

 数日の間に交わした言葉を思い出す。

 ああ、もうちょっと長生きしたかったなぁ。

 

 そうしたら、向こうにも、そう思ってもらえた、かもしれないのにな。

 

 

 

 

「たまには『友達』のために頑張るのも悪くないと思うのよね!」

 

 

 

 

 

(ホワン) 静花(ジンファ)

 

11歳 女性 中国

 

 

日米合同第二班 非戦闘員・中国第四班 間諜

 

 

マーズ・ランキング:92位

 

 

 

先天MO"軟体動物型"

 

―――――――ミミックオクトパス――――――――

 

 

 

 

 

MO手術"軟体動物型"

 

―――――――ダイオウホオズキイカ―――――――

 

 

 

邪悪なる海魔(ダイオウホオズキイカ)』が、捕食を開始する。

 

 

 

――――――――――――

――――――パリ市内

 

 

「撃て撃て! 確実に仕留めろ!」

 

 街を襲撃した、人間の胴体を無数に連ねた怪物。

 無限に湧き出てくるかと思われたそれの勢いは、突如として弱まった。

 

 しかし、だからと言って軍を引き下げるもできないのが悩ましいところである。

 未だに市民の避難は完璧とは言えず混乱している状態であり、さらには一部ではMO手術の被術者と思われる人間が散発的な襲撃を行っているという。

 

「……お怪我はございませんか!」

 

「諸君の働きのおかげでな。感謝する」

 

 怪物の掃討を行っている部隊の背後に控えているのは、一人の女性だった。

 

 金髪の美しい容姿をした彼女であるが、武器の類は持たず。

 軍服に身を包んではいるものの、戦闘に参加する様子も無い。

 

 一体この女性は何をしているのか。この光景を見ている外部の人間がいたならば、そんな疑問を抱くかもしれない。

 だが、直後にその疑問は氷解する事だろう。

 

 まるで精密機械の如く、女性は兵士達に役割を割り振っていく。

 彼女の名はステファニー・ローズ。このフランス共和国の軍の最高司令官にあたる共和国統合参謀長の地位に就く才女である。

 

 しかし彼女の素性がわかればまた別の疑問が湧くかもしれない。

 最高司令官が、何故このような最前線に出ているのか、と。

 

 

「……やはり、想定通り、か」

 

 怪物の死骸の山を検分し、ステファニーは呟く。

 

 彼女が今前線に出ている理由の一つは、ある事を検証するためだった。

 異形の怪物の動き。

 騒動が起こった直後、卓上の戦況図でそれを確認したステファニーはとある事に気付いた。

 

 奴らは降って湧いて暴れているだけのクリーチャーでは無く、明確な行動の指針に基づいて動いている。

 

 市民を街の外へ外へと追いやるかのような追い方。

 市民の逃げ道を塞がないように回避している動きすら見られた。

 これをただのパニックホラーのクリーチャーの動きとして見れば不自然極まりない。

 

 だが、『戦術』として考えれば、そこには答えが見えてくる。

 単純な話である。エリゼ宮殿から、市民を引き剥がしているのだ。

 

 その理由も、ステファニーには手に取るように理解できる。

 市民を逃がす、という行為そのものに意味があるわけでは無い。

 

 市民の保護に軍が出撃しなければならなくなる、という部分に意味があり、怪物たちはそれを狙っているのだ。

 目的は、エリゼ宮殿の防備を引き剥がす事だろう。

 

 ここから見えてくる事実は、怪物が『軍は市民の保護のために動かざるを得ない』という人間社会の事情を知った上での戦術に出ている、という点だ。

 

 そこから、この怪物は自然発生したものでは無く、何者かの手により生み出され、命令を下される、もしくは行動パターンを設定されて動いているという事がわかる。

 

 相手の目的はフランスという国そのものを狙った破壊行動。

 ならば、恐らくパターンとして設定されているであろうものがある。

 

 その考えの元、ステファニーは怪物の掃討を行い市民保護の部隊を援護する遊撃部隊に随行した。

 

 そして、異形の怪物がうろつく中であえて装甲車から姿を晒した。

 

 結果は想定の通りだった。

 ステファニーを狙い、怪物が殺到した。即ち、『要人を優先的に狙え』という行動パターンが存在している事も判明した。

 

 なので、ステファニーは『餌』として怪物の対処に同行しているのであった。

 

 もう一つの理由としては単純だ。『指揮系統の分散』。

 軍の最高司令官であるステファニーとエドガー、その双方が一カ所に固まっていた場合、もしもの事が起こった際に指揮系統が大きく乱れてしまう。

 そのため、ステファニーは今現在あえて宮殿を離れている。

 

「……」

 

 そのように現在彼女は動いていたのだが、現在はごく数分前の状況の変化について思案している所である。

 どうも、怪物の統制が崩れたように思われるのだ。

 

 各部隊からの報告によれば、動きに混乱が見られ、バラバラに行動する個体が目撃される頻度が高くなっているらしい。

 怪物を操っている大元に何かが起きたのだろうか?

 

 統率された意思を失った。大元と呼べる存在が消えた?

 

「……参謀長、いかがいたしますか」

 

 考えられる可能性は、時間と共に命令が消失し、全ての怪物がバラバラに行動を始める可能性。

 こちらは厄介であるがまだ問題の度合いとしては楽な方だ。

 

 市民の避難はある程度進んでいるため、散兵となった怪物を各個撃破していけばいい。

 

 しかし、考えられるのはもう一つの可能性。

 

「参謀長! 第二群より報告です! 至急、参謀長に判断を仰ぎたいと!」

 

「ふむ、何だ?」

 

 切羽詰まった様子の兵士にも、ステファニーの表情は鋼鉄のように変わる事は無い。

 冷静に状況を判断し、冷静に指示を下す。

 それこそが彼女の軍人としての強みである。

 

「怪物が、集合を繰り返しながら移動……エリゼ宮の方面に向かっているそうです!」

 

 そして、もう一つの可能性、として思案していたものは的中する。

 

 即ち、『指揮系統が失われた時の為の命令が存在する』である。

 

 

――――――――――――――

 

「逃がす、とでも思っているのか」

 

「……っ」

 

 触手と手足、合わせて十本。

 その猛撃を、オリアンヌは取捨選択して対処していく。

 

 手数、という点では手足と触手触腕、計10本で殴りかかる事のできる静花が優位であった。

 

 『蛸』や『烏賊』。

 時折海の怪物や神といった神話の存在のモチーフにされる彼らは、それに見合っただけの強大な力を有している。

 筋肉の塊であるが故の強大な筋力。自在に動かす事が可能な触手。相手の虚を突いた動きを可能とする重心移動。高い再生能力。それは、MO手術という技術によって得られる強みのバーゲンセールのような豪華さを持っている。

 

 アネックス計画、裏アネックスの双方の幹部搭乗員にこれらの生物を手術ベースとした人間が存在する事から、その有用性は疑うべくも無いだろう。

 

 

 だが、頭足類が『器用さ』で相手の上位を取る手術ベースならば、オリアンヌのそれは『正面突破』を突き詰めた手術ベースだ。

 

 静花は尊敬する劉将軍に頭足類の手術ベースを用いた戦闘術について手ほどきを受けてはいたが、まだ彼のように能力を十全に使いこなせるわけでは無い。

 

「く、ぅ……!」

 

 

 純粋な手術ベースのスペックでは十分に食らいついていく事ができる。

 しかし、実戦経験の差がこの戦闘の勝敗を決めつつあった。

 

 オリアンヌの鎚による横殴りの一撃を回避するか否か。

 直撃と同時に重心移動ですり抜ければ反撃に転じられるか?

 

 いや、もし失敗したら、待っているのは――――

 

 

 迷った。一瞬の攻防で、それが命取りだった。

 結果、即座に死は訪れなかったが、重心移動を上手くできずに中途半端に回避した形となり、

 腹が打ち据えられる。

 

「あぐっ……!?」

 

 内臓が傷ついたのか、口から血が零れ出し、さらには追い打ちのように先ほどから受けている傷による失血で意識が朦朧とする。

 

 今はそんな場合じゃないと己の頬を叩き、何とか意識を引き戻した静花。

 

「……ぁ」

 

 その目に映ったのは、小刻みに震えているオリアンヌの右腕の刃。

 回避不可能な斬撃が来る。わかっていても、それを回避などできないのは最初に受けた時の速度でわかった。

 

 ここまで、か。

 静花は諦観と共に手を下げる。

 

 任務、失敗しちゃったなぁ。

 

 最初に私がアレを避けられてたら上手く行ってたのかなぁ。

 

 死の間際、静花は自分のこれまでの行動を振り返り、目の前の相手から目を逸らして少しでも恐怖を和らげようとして。

 

 

『そうか。君は、研究室で育ったんだね』

 

 本当のお父さんみたいに慕っている人の顔が、浮かんだ。

 

『もしかしてこっちに配属になるかもしれないんだって? そうなったらよろしくな!』

 

 いつか裏切らないといけない、優しい人達の顔が、浮かんだ。

 

 

「なん、で……やだ……」   

 

 思い知る。

 いざそれに直面すると、思い出すのは過去の事で、自分が帰るのを待っていてくれるんだろうな、という人達がいるという事を。思い出して、実感してしまう。

 

 

「やだ、死にたくな――」

 

 しかし、恐怖に涙を流す姿で刃を止める程目の前の相手は甘くは無く。

 無慈悲に、刃に貯め込まれていた勢いが解放され―――

 

 

 

 

「そんなに怖いなら最初からそう言ってください……!」

 

 声が、聞こえた。

 同時にオリアンヌが振るった刃は、静花を逸れ、髪を微かに裂くだけの軌道で振るわれる。

 

 

「む……!?」

 

 オリアンヌの微かに驚いた声からは、それが彼女の意思によって刃を逸らした訳では無いという事がわかる。

 

「リースちゃん……私は、すごく酷い人間です」

 

 瞬間、まるで無から溶け出すかのように、オリアンヌと静花の間に人間が一人、現れる。

 

「沢山隠し事をしてて、嘘付きで、臆病者で……何日か話しただけだから、って見捨てようとしました。同じ計画の参加者、ってだけだから、見捨てようとしました。……でも」

 

 それは、頼もしい援軍、などでは無く。

 結局のところ、合理的な判断とは程遠い、暗殺者としては失格当然の選択しかできなくて。

 

 

「リースちゃんも『友達』なんて思ってくれてたのなら……自分だけ逃げるなんてできないじゃないですかぁ……!」

 

 

『作戦』を本当に第一に考えるのならば、静花を見捨てて、この後すぐに宮殿に殺到する支援部隊と枢機卿(アヴァターラ卿)の置き土産に紛れて暗殺を行うのが一番だっただろう。

 危険を冒してまでオリアンヌと再度の交戦を選ばなかっただろう。

 

 だが、結局のところ彼女達は大人として考えようとしていても、しかし根本の部分で子どもだった。

 

 ここを食い止める、と言ってもいざ死の間際になれば怖くて泣いてしまうし、

 どうせ立場が逆なら自分が見捨てられるんだから自分が見捨てる側なら遠慮無く、などと割り切ろうとしても、逆の立場だったら自分の事をこの子は助けようとしてくれるのだろうとわかってじゃあ自分も、とそちらに流れてしまう。

 

二人共、『友達』を見捨てる事が、できなかったのだ。

 

「梁さん……」

 

 繰り返すが、頼りになる援軍、では無い。

 二人がかりでも勝てる相手とは言い難いのだから。

 

 先のオリアンヌの斬撃も、雅维がオリアンヌの脚を払って姿勢を僅かに崩した結果にすぎない。

 雅维の隠密も彼女の手術ベースであるカイゾクスズキによって気配を隠蔽しているが、

 一度注目されてしまえばその後には大きな効果を望めなくなってしまう。

 

 

 

 オリアンヌの二つ目のベース、"古代昆虫型"リンガミュルメクス・ヴラディ。

 アリの一種であるこの生物の最大の特徴が、金属で補強された牙を有している事。

 

 さらに、並外れた強度のそれに加えて有している、現生種でも見られる特徴がもう一つ。

 

 

 それが、ケタ外れの速度での顎の開閉である。

 『アギトアリ』と呼ばれる彼らは、ほぼ180°まで開く事ができるトラバサミ状の顎を持ち、それを瞬間的に閉じる事により得物を捉える事を行う。

 その速度は昆虫サイズの時点の時速230kmにまで到達する。

 リンガミュルメクス・ヴラディもこのアギトアリと同様の機構を持っている可能性が高いと言われている種である。

 

 強固な装甲に鈍器、加えて高速の斬撃まで有する死角の無い相手。

 しかし、二人は今度は引き下がる、という姿勢を見せなかった。

 

 

「……戦友、か」

 

 再びオリアンヌに向き合った二人は、真正面から彼女を見据える。

 その姿を見て、しみじみと呟くオリアンヌ。

 

 思う所が無い、とは言えないだろう。友情だの何だの戦士として青臭い、甘いなどと断じる事もできない。

 むしろ微かに好感を覚える部分である。

 だが、それは命を奪わない、という理由には繋がらない。

 そこの割り切りを、オリアンヌは出来る人間だった。

 

 雅维に向けて鎚を振るい、同時に右腕を振り被り、高速の一撃のため、力を込める。

 雅维が回避しようが背後に控える静花を斬撃で仕留められる二段構え。

 

 万全の態勢を以て、オリアンヌは前進する。

 

「……!」

 

 瞬間、雅维の姿が掻き消えた。鎚が空を切った事を見るに、回避されたのか。

 だが、それならば前進して静花を仕留めるのみ。

 

 狂い無く、オリアンヌはそれを遂行しようとし。

 

 そこで、違和感に気付く。

 消えた、消えた? ならば、どこに?

 

「っ!」

 

 それを意識した瞬間、オリアンヌの眼前に、静花との間に割り込むように雅维の姿が映り込む。

 その場に居続けていたが認識から外れていた? 通常の擬態と異なる奇怪な能力のようだとオリアンヌは考え、

 目を狙い繰り出されたナイフを首を軽く傾けて避け、雅维に反撃しようとする……が、既に雅维はオリアンヌの懐に潜り込んでいた。

 

 両腕の武器による攻撃は近すぎて力が込められない。

 頭突きくらいしか無いが、読まれているだろう。

 

 再度の目を狙った攻撃を避けつつ、オリアンヌは後退して距離を取ると同時に、牽制に右腕に貯め込んだ力を解き放ち、高速の斬撃を繰り出す。

 

「く……ぅ……!」

 

 苦悶の声と皮膚を裂く感触。当たった。振り抜いた刃に血が付いている事を確認し、オリアンヌは攻撃の成果を把握する。

 

 視認するのも惜しいと言わんばかりに、雅维がいるであろう位置に鎚を振るう。

 

「させないっ!」

 

 だが、その一撃は三本の触手により抑え込まれた。

 しかしアリの剛腕も加わった一撃だ。三本がかりで抑え込むのがやっとで、静花の額に汗が浮かび、完全に塞がっていない胴の傷から血が滲み出る。

 

「ええい、邪魔だ!」

 

 高速の斬撃では無い、普通に刃を振るい、触手を切り払う。

 ダイオウホオズキイカの太い触手が二本、地面に落ちびちびちと一人でに跳ねる。

 

 

 視界を塞いでいた触手がを振り払えば、静花はどこに退避したのかその姿は消え、目の前にはナイフを手に向かってくる雅维。

 

「ちょこまかと小賢しいぞ……!」

 

 目を狙われない限りは致命傷にはならないため、雅维は大した脅威では無かった。

 厄介なのは多数の触手を動かす静花だが、その姿が見当たらない。

 

 向かってくる雅维は牽制で追い払い触手を出される前に静花の居場所を―――

 

「かかったね!」

 

「!?」

 

 オリアンヌの思考通り、触手が襲い来るのを視認する。

 だが、それはオリアンヌの想定外の位置……目の前の雅维の体から突如として現れたものだった。

 

『ミミックオクトパスの擬態』。本来であれば、毒を持つ危険な生物の真似をして天敵から狙われにくくするのがこの生物の主な擬態なのだが、静花が行ったのはその逆。

 自分という脅威を、雅维というオリアンヌにとっての脅威度の低い相手に見せかけ、隙を突いた。

 

「自分から出てきてくれるとはな……!」

 

 だが、不意を撃ったとは言え、正面からの奇襲。オリアンヌは即座に触手を迎撃する。

 ここで静花を捕捉している。さらに、雅维になり済ますためか、雅维が持っていたナイフも現在は静花が所有している。

 即ち、今現在雅维はオリアンヌにとって何の脅威にもならない。

 

 即座の連携にしては大したものだ。だが、詰めが甘い。

 オリアンヌは二人をそう評価する。

 

 そして、こちらさえ対処すれば後は脅威では無い、と静花に向け両腕で攻撃を仕掛け。

 

 

「かかりました、ね」

 

 自身の耳元で囁かれた冷たい声に、オリアンヌは即座に反応した。

 

 あえてノーマークだった雅维が、至近距離にいる。

 だが、だから何だと言うのか。相手に有効打は無く、だからこそ、このように近づかれても問題無いと判断したからこそ、オリアンヌは雅维を放置していたのだから。

 

 振り払うまでも無い。そこで、相方が戦闘不能になるのを見ているがいい。

 雅维を無視したオリアンヌ。それに対する雅维の答えが、オリアンヌの耳に手を当てる事だった。

 

 大きく息を吸い、同時に、静かに、しかし力強く地面に一歩踏み込む。

 

 そして。

 

 

 

「"発勁"」

 

 その踏み込みと同じく、静かな掛け声と共に、その一撃を撃ち放った。

 

 

 中国武術の極意、気を練り上げて放つそれは、強固な守りを無視し内部に打撃を通す事を可能とする。

 それを頭部に受ければ……結果は、見えていた。

 

 オリアンヌの巨体が膝を折り崩れ落ちていく。

 

 

 刃が無くとも、刃が通らずとも、届く技がある。

 それを隠し通した……というよりはナイフが殆どの箇所に通らないという特殊な相手だったという事情もあるが。

 

「ふぅ……」

 

「や、やったんですね……」

 

 オリアンヌが気を失っている事を再確認し、そこで緊張の糸が切れたのか、二人は力なくへたり込む。

 二人が負った傷は決して軽いものでは無かった。

 

 雅维は一度オリアンヌの刃を受け。

 静花は再生能力こそあるが数度の打撃により内臓へ受けたダメージが大きい。

 

 目の前には、ついに目標である大統領執務室の扉。

 今この状態で、エドガーと戦闘して勝つ事はできるだろうか?

 

 二人は、判断を迫られていた。

 

 時間をかければかけるほど相手の援軍の可能性が高くなる。

 だから、仕掛けるなら今がいいのだろう。きっと。

 

 でも、二人とも軽くない怪我をしていて……。

 

 時間は無いのに迷いに迷う。

 よし、決めた。

 

 一緒に考えて、導き出した結論。

 

 それを遂行しようと二人並んで歩き出した、その瞬間。

 

 二人が懐に持っていた通信機が、同時に緊急回線での連絡を知らせた。

 

――――――――――――

―――パリ市外

 

 建物の合間を縫って、超低空で輸送ヘリが一機、静かに移動していた。

 

 機内のキャビンには、兵士が数人。銃器の類は彼らが携帯しているもの以外には何も無い。

 彼らはコクピットへと続くドアを時にちらちらと見ながら、緊張した面持ちで待機していた。

 

 危険度の高い極秘の任務に就く彼ら。

 少しでも気持ちを落ち着けるために、何か面白い話でも切り出そう、と兵士の内の一人が声を上げた、その瞬間。

 

――バリン!

 

 破砕音と共に、機体側面の窓ガラスが砕け散る。

 

 鳥が激突したか! と兵士達は動揺に包まれる。

 だが、実際は鳥どころの話では無かった。

 

 

「あいたた……流石軍用ヘリのは硬いですね。もうちょっとこうやって外からガラス割って侵入したいな、という顧客のニーズに答えるべきだとは思いませんか、皆さん?」

 

 冗談のような状況で、それは割れた窓ガラスからキャビンに侵入してくる。

 割れたガラスがその肌を引っかき、ミミズがのたくったような血の線を書きあげる。

 

 だが、その傷跡は、みるみる内に塞がっていく。

 

 何者だ、と問う余裕がある相手などと判断した兵士が一人もいなかったのは、フランス軍の優秀さというべきなのだろうか?

 

 兎に角、彼らは飛行中のヘリに途中乗車してきた不審者に一斉に銃を向け。

 

「そう怖がらないでください。ただのハイジャックですから」

 

 全員同時に、その場に崩れ落ちた。

 

 死亡したわけでは無い。必死に立ち上がろうとしているがそれができない、という様子で、兵士達は床に倒れこんだまま痙攣している。

 

 それをごめんなさいね、と見下し、修道服を身に着けた少女――アレクシア・アポリエールは一人、兵士達のクッションを見回し、一番柔らかそうなものへと腰を下ろす。

 

「此度の任務は散々ですね。猊下と宣教団、さらにはアメリカ方面で航空部隊……猊下はともかくとしても私どもが動かせる最高戦力が一気にいなくなってしまい……困ったものです。まあ、命あっての物種と言うべきなのでしょうね」

 

 そう思いますよね? と兵士に唐突に話を振るアレクシア。勿論、答えなどあるはずも無い。

 アレクシアもそれはわかっているので薄く笑い、愚痴を聞いてくださってありがとうございました、と一礼。

 

 コクピットへと続くドアを鼻歌まじりにこんこん、とノックし、そして。

 

 

 

 

「あらあら! 可愛らしいウサギさん! こんにちは!」

 

「……は?」

 

 ドアが開き現れた相手は、兵士などでは無かった。

 

「このへりこぷたー……? の中には男の人しかいなかったでしょう? だから私、お話が合わなくて退屈していたの。お茶会をしましょう、ウサギさん?」

 

 目の前の何かは、アレクシアの左手を嬉しそうにぎゅうっと握る。

 

「……え」

 

 瞬間。アレクシアのその左手は、飛蝗の前足へと変わった。

 

「あ、え、え、」

 

「うーん、お茶会をするなら帽子屋さんを呼ばないといけないわ! 可愛いウサギさんはどちらにいらっしゃるのかご存じかしら?」

 

 唇に手を当て考え込んだ後、その何かはアレクシアの頭を撫でようとする。

 

「ひ、や、あああああぁぁ!!??」

 

 そこでようやく、アレクシアは目の前の現実を受け入れた。

 悲鳴を上げ、その手を振り払い後ずさる。

 

 

「……? どうしたのかしら? お腹が痛いの? プライドおじさまはよくいぐすり? をお飲みになっていたわ?」

 

 心配した様子で、アレクシアへと近づく何か。

 そこに、悪意は一かけらも無く。

 

「や、やめて! 来ないでください! 近づかないで! 私に、私に触らないで!」

 

 必死に両腕を顔の前に構えて抵抗するアレクシア。

 だが、目の前の相手を止める事など、叶うはずも無く

 

「まあ、いけないわ! ここは狭いんですもの! そんなに手をお振りになってはまたハンプティ・ダンプティが堀から落ちてしまうわ! ダメよ!」

 

 まるで言う事を聞かない子どもを窘めるかのように、アレクシアの右手をぎゅうと握る。

 瞬間、右手は何本もの縞模様の触手へと変わった。

 

「や、やだ、何ですかコレ! おかしいですよ! どうなってるんですか! やだ、やだやだやだ!」

 

 目に涙を滲ませ、人の力で開けるはずも無いハッチを必死に叩くアレクシア。

 

 

「そんなに怖がって……悪い夢を見てしまったのね? 大丈夫よ、ここにはジャバウォックもバンダースナッチもいないわ」

 

 

「来ないで……やだ、どうして私がこんな、何をして、何で、やだぁ……! 止めてください、下して、悪い事したなら謝りますから、やめて、やめて……」

 

 自分でも何を言っているのかわからなくなり大粒の涙と共に謝罪と拒絶を繰り返すアレクシアを、何かは見つめる。

 先ほどの心配している様子とは違い、しげしげと、何かを観察する様子で、アレクシアの目をただただ見つめる。

 

「何、ですかぁ……」

 

 

「あら、あなた」

 

 

 そこで、何かに気付いたかのように。その何かは、何かについて、アレクシアに何かを問うのだった。

 

 

 

 

「今、何回目?」

 

―――――――――――――

 

「……む、う」

 

 目を覚ましたオリアンヌが最初に見たのは、宮殿の天井だった。

 

「ッ! エドガー様は!?」

 

 そこで、意識が閉じる前の状況が一瞬で頭の中に流れ込み、慌てて起き上がる。

 

 何を愚かな事をしている!

 どれだけの時間自分は気を失っていた! 

 エドガー様はご無事なのか!?

 

 その問いに答える部下がいないという事実が宮殿の危機をこの上なく示しており、そして。

 

「大統領は無事だ。取り急ぎ対処を頼みたい事案がある」

 

 その問いに対する回答は部下では無く、上司から告げられた。

 鋼のような冷たさを持ったその声に思わず背が伸び向き直れば、そこには彼女の上司に当たる人間、ステファニーが立っていた。

 

「統合参謀長! ご無事でしたか!」

 

「ああ。私も今戻ったところだ」

 

 エドガーの無事に胸をなで下ろし、直後はっと気付き敬礼するオリアンヌに、彼女の上司であるステファニーはいつもの感情が読み取りにくい無表情に微かな苦悩を抱えた様子で返事を返す。

 

 

「すまないが治療をしている暇は無い。今現在、敵の残兵の総戦力が集結し宮殿に近付いている」

 

「……承知しました。では」

 

「貴様に、宮殿内での迎撃を命じる」

 

 きっぱりとした、反論の余地などないであろうステファニーの指示。

 異形の怪物とMO能力者。恐らく、指揮系統が失われればエリゼ宮殿を襲撃するように指示が出ていたのだろう。実際、兵士を市民の救助に絞り出した上で現在のエリゼ宮殿の防備が壊滅状態である事を考えるとこれは無謀な特攻では無く有用な戦術であった。

 

「……承諾しかねます。私が中庭で扉を守ります。エリゼの宮にこれ以上の侵入者は許されない」

 

 だが、オリアンヌの返したのは、いつものような是、の返事では無かった。

 

「……ならん。狙撃を考えれば、宮殿内での迎撃が確実だ」

 

 ステファニーの言葉は、理にかなった正論である。

 銃火器で蜂の巣になる危険性を考えれば、宮殿内での迎撃が正しい選択肢だ。

 それは、オリアンヌも納得の上であった。

 

「エドガー様は、中庭での迎撃を指示したのでは無いですか?」

 

 だが。ここフランスにおいては、ことオリアンヌにとってはそれ以上は存在しない、という理がある。

 

「……」

 

 押し黙ったステファニーの目が微かに困惑に揺れるのを、オリアンヌは見逃さなかった。

 

「……オリアンヌ。私は大統領への反抗心から、貴様に大統領の采配より自身の作戦を優先して伝えたわけでは無い。これは―――」

 

「……良いのです。統合参謀長。私は、エドガー様の為にありましょう。これだけは、例え貴女の命であったとしても譲れない」

 

 ステファニーは、エドガーのものとは異なる指示をオリアンヌに出そうとした。

 その真意をオリアンヌに伝えようとし、しかしそれを遮ってのオリアンヌの言葉に、口を閉ざす。

 

「わかった。尽力に期待する。……大統領に出撃の報告をする事を許そう」

 

 時間が無い。敵が迫ってきている。だが、その中でもステファニーはエドガーへの謁見の許可を与えてくれると言う。

 

「……いいえ、不要です。私がエドガー様に報告するのは、勝利以外には必要ありません」

 

「そうか」

 

 短く返事を返し、二人の会話はそれっきりだった。

 

 失礼いたします、とオリアンヌが背を向け、宮殿の中庭へと歩いていく。

 その場に残ったステファニーは、それを見送った後、大統領執務室の扉を叩いた。

 

 

―――――――――――――

 

「そうだ、来るがいい」

 

 眼前の黒の戦闘服の部隊と人間の胴体を連ねた怪物の群れに、たった一人向き合う。

 

 ハルバードを振るい、異形の怪物を一匹、叩き潰す。

 返す刃でもう一匹を。

 

「どうした、その程度か! エドガー様の首が欲しいのだろう!?」

 

 鬨の声を上げるオリアンヌの腹に、何本もの昆虫の牙……変態した襲撃者達の一撃が突き刺さる。

 

 『薬』はもう残っておらず、先の戦闘から時間が経過し既に変態は解けかけている。

 首からは変態で誤魔化せていただけの深い傷が開き血を流し、強固な装甲も薄れているため手傷を負い、さらには脳を大きく揺らされた。

 この状態で戦列に復帰している事自体が異常な状況であった。

 

 

「……終わりか?」

 

 突き刺さった牙に既に奴は能力を維持できていない、と勝利を確信した襲撃者達の顔色が代わり、その変わった顔色は次の瞬間首ごと宙に弾け飛ぶ。

 

 

 襲撃者達に動揺が走るも、元々単純な命令しか受け付けず、指揮者が死亡している異形の怪物は別だった。

 群れを成して人体の津波とも呼ぶべき歪な集団はオリアンヌの四肢を拘束し、その命を刈り取らんとする。

 

 

 振り払う。叩き潰す、引き裂く。自身の両腕の凶器と得物であるハルバードを振るい、オリアンヌは異形の群れを一体、又一体と始末していく。

 

 だが、その勇ましい光景を見て、襲撃者達は再び勝利を確信し、足を進めた。

 オリアンヌが、じりじりと後退していき、体に傷が増えていっているのだ。

 

 勝てる。もはや相手は死に体だ。目の前の相手は無敵の盾などではなく、複数でかかれば仕留められる相手だ。

 

 その通り、オリアンヌは既に限界を迎えつつあった。

 脚は動かず、手を振るった勢いで姿勢が傾くような惨めな状態だと自嘲する。

 

 ここが、自分の死地だ。

 

 

「……!?」

 

 だが、そこでオリアンヌの顔色が驚愕に歪む。

 どんな敵の攻勢にも、その数にも決して変わらなかったその表情が。

 

『オリアンヌ・ド・ヴァリエ近衛長』

 

 彼女の名を呼んだのは、耳に入っていた通信機だった。

 だが、ただそれだけで歴戦の武人である彼女の心臓は跳ね上がる。

 

 

 

「エドガー、様……」

 

 ……それが、敬愛する主君の声だったからだ。

 

 

 今この場で跪きたい気分だった。

 エリゼの宮を汚す冒涜を許した失態を謝罪したかった。

 日々のように、その偉大さを讃える言葉を即座に頭の中に浮かべた。

 

 

『ああ、いつものくどい世辞も謝罪も必要無い。体を動かしながら黙って聞け。一言だけだ』

 

 だが、エドガーはその反応を全て想定しているかのように否定する。

 

「御意に」

 

 震える声で、オリアンヌは沙汰を待つ。

 

 そして、エドガーからオリアンヌに告げられたのは、彼の言葉通り、たったの一言だった。

 それを最後に、通信は切れ、もう繋がる事は無かった。

 

 

「……ふ、はは」

 

 怪物を切り飛ばし、襲撃者の首を抉り取り、屍の山に立つオリアンヌ。彼女は、震えた声で笑う。

 4人殺した。12体殺した。だが、ここまでだ。

 

 二人の襲撃者が同時に、オリアンヌの首に刃を突き立てる。

 疲弊しきった体では回避も防御もできず。

 それは抵抗を与えずに貫通し、喉に風穴を開けた。

 

 

 化物め、仲間の仇だとばかりにオリアンヌに殺到する襲撃者達。

 

 だから、反応が遅れた。

 

 中庭の奥まで後退するオリアンヌをその分進んで攻撃していた。

 

 だから、もはや撤退など不可能な位置にあった。

 

 

 

 空の端に、何かが光る。

 

 襲撃者達もまた大統領暗殺補佐の為にえりすぐられた兵士である。

 空を切るその音に一拍は遅れたが気付きそちらに目を向け、そしてその表情は理解と共に恐怖の一色に染まる。

 

 

 巡航ミサイルだ。隣の陸軍基地からか、航空機から放たれたか。

 いいや、そんな事は問題では無い。それは、このエリゼ宮の中庭に向けて突き進んでくる。

 

 

 

 エドガー・ド・デカルトは正気か、と襲撃者の一人が思った。

 己の覇道が為、腹心の部下諸共焼き尽くそうとするなどと。

 

 オリアンヌ・ド・ヴァリエは正気か、と襲撃者の一人は叫んだ。

 これを承知の上で、自分達を迎撃しに来たのか、と。

 

 

 

「そうだとも……エドガー様なら、こうしてくれる(・・・・・・・)と信じていた(・・・・・・)

 

 茫然とその場に立つ。もはや叶わないと理解しながらも逃げ出そうとする。

 そんな狂騒の中で笑うのは、ただ一人の平常心を保った、狂信に等しい忠義を主に捧げる武人だった。

 

 

 血の気が失せ、立つのもやっとの状態で、オリアンヌは空を見上げる。

 

 統合参謀長はこの事を知っていた。

 だから、自分に宮殿内での防衛を命令した。

 

 この戦乱を乗り越えた後の戦力の減少を危惧したのか、それとも部下である自分に微かでも情を持ってくれていたのかはわからない。

 

 たとえエリゼ宮殿内部で交戦しても今の自分では侵入者を全て仕留められていたかはわからない。

 だというのに中庭で押し留めて諸共焼く、では無く防衛戦が突破されエドガー様に刃が届くリスクを飲んでまで自分が生存する可能性を選んだのは、それだけの価値を自分に見出してくれていたのだ。

 

 きっとそれはそれで、誇りに思うべき事なのだろう。

 

 だが自分は、エドガー様の盾として、外敵がエドガー様に決して触れる事を許さない道を選んだ。

 エドガー様は情に絆されるような事は無く、死に体の自分を最後の最後まで有効活用してくれると信じていた。

 

 だからこそ、統合参謀長が隠そうとしたエドガー様のお考えを言い当てる事ができたのだ。

 自分は、エドガー様の事を真に理解し、自分が思い描いた理想の主と現実には一片の違いも無かったのだ。

 

 

「……フィリップ、セレスタン……後は、任せた」

 

 空を見る。頬を撫でる風は涼しく、首に空いた風穴を通る風には、くすぐったい気分になる。

 不思議と悪い気分はしなかった。死ぬには良い日、というものなのだろう。

 

 

「残念だったな、賊軍ども――――――」

 

 

 空が閉じるように、終わりは近づいてくる。

 

 

 至らぬ身ではあったが、主を守り通す事ができた。それに……

 

 

 

――――――――大儀であったな

 

 

 他ならぬエドガー様より、最高の誉れを頂戴した。

 

 

 戦場で何かを考える間もなく消し飛ぶ最期を迎えると思っていたのだ。

 

 私には、それだけで十分すぎる。

 

 

 

「―――――(エドガー様)の勝ちだ」

 

 

 

 

 

 ああ、でも。ただ、一つだけ。

 

 

 お前達と一緒にエドガー様が天へ至る瞬間を見届けられないのが、少しだけ悔しいな。




観覧ありがとうございました!
もうちょっとしたらオマケ書き足すかもしれませぬ

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