深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第6話です。
下半神、ご期待ください。


Mind Game:第6話 正負天秤

――――最強であり無敵であり、至高であり究極のはずだった。

 

 このバランスを整えるために、幾度となく実験と調整を繰り返した。

 あらゆるサンプルを集め続けた。

 

 

 事実、数えきれない勝利に身を染めてきた。当然の事だ。神域に至った我が身に敵など無し。ニュートンの使いや他の勢力、自分を狙う不遜な愚か者どもを幾度となく葬ってきた。

 

 

 

 飛び散る鮮血、舞い踊る美脚。轟音を響かせる生殖器。

 血肉と絶叫のオーケストラが、私を満足させてくれる。加虐的な趣味があるわけでは無いが、それこそが私の道の正しさを証明させ、わが身を美しく彩ってくれるのだから。

 

 

 そうだった。これからもずっと、そうであるべきだった。だと、言うのに。 

 

 

 

――死に晒せ、若造(上半身はいりませんな)

 

 

 

「……ッ!? ……ハァ、ハァ」

 

 

 目を覚ました彼を出迎えたのは、白色の天井だった。

 動悸が激しく、彼が着用している着衣には汗が滲んでいる。

 次いで、周囲を見回す。

 

 これまた殺風景な、何もない立方体の内部のような形状の部屋。

 そして。

 

 

 

「おはよう、寝覚めは……あまり良くは無いようだね?」

 

 

「何者だ貴様……」 

 

 まるで何も変わらない日常であるかのように彼に朝の挨拶をかけたのは、金髪碧眼の青年だった。

 誰だ、この男は。敵なのかも味方なのかもわからない存在に、彼の警戒が強まる。

 

「初めまして、私はオリヴィエ……ニュートンの一族の人間だよ」

 

 

 瞬間、彼は戦闘態勢を取った。俊敏な動作でベッドから飛び上がり床に着地し、自身の白衣から軟膏を取り出す。

 ニュートンの一族。彼の属する集団にとって、天敵、犬猿の仲、言葉を尽くしても足りない敵対関係にある集団。それを目の前にして、彼はこの何もわからない状況でも即座に構える。

 

 だが。

 

「……ッ」

 

 ずきりという痛みが、彼の腰の辺りから響く。

 思わずそれにうめいた彼は、目線を落として確認する。

 

 そこにあったのは、腰のすぐ上の胴を一周する傷のようなもの。

 何だ、これは? 彼の優れた頭脳は、目の前の怨敵の事も飛ばし思考を開始する。

 

 

「まあ、落ち着くといい。お茶はまだ用意できないけどね。話してあげよう、君が何故ここにいるのか」

 

 

 頭の中を、記憶のような、どこか他人事な、映像記録か何かに思えるようなものが次々と流れていく。

 いつものように、侵入者を迎撃し。我が究極の肉体は、変わらぬ完璧な力を発揮し、たやすく奴らを叩き潰した。

 

 

「君は、一度死んだんだ」

 

「あ、あ、」

 

 徐々に、彼の体温が下がっていく。顔から、血の気が引いていく。容易く侵入者を叩き潰し、トドメを刺そうとし、そこで、乱入者が現れ、そして、そして、そして。

 

 

「君が神に至ったと思っていたその下半身は、無惨に切り落とされた」

 

「あ―――」

 

 

 がくりと、彼は目の前の敵から投げかけられた言葉と流れる記憶に同時に打ちのめされ、膝を付いた。

 嘘だ。騙そうとしても無駄だ。目の前のコイツに、そう言ってやりたかった。

 

 ただ、それを否定するには、彼の脳裏の映像と腰を苛む痛みは、あまりにも鮮明だ。

 

 

「つまり、こういう事だね」

 

「やめ、やめろ」

 

 オリヴィエは表情を変える事もなく、淡々とした調子で、ただの記録を読み上げるかのように言葉を繋いでいく。

 オリヴィエが何を言おうとしているのかわかったのか、彼の表情はみるみる内に迷子の子供のように歪み、目からは大粒の涙がとめどなく溢れ、まるで許しを乞うかのように呆然とした独り言がこぼれ出る。

 

 

 

 

「君の下半身は、完璧でも神でも何でもない、ただの下半身だったわけだ」

 

「――」

 

 彼は崩れ落ち、必死に自分の腰から下が付いている事を何度も撫でまわし、確認する。自分の、長年の成果の結晶。自分の人生の全てをかけた、最高傑作。それが、ただの――

 

 

「オ、オオオォォ―――――」

 

 目の前のオリヴィエの事もはばからず、彼は慟哭する。

 

 認めたくなかった、認めるわけにはいかなかった。だが、彼もそう薄々思ってしまっていたからこそ、同時に最後の砦である外部の評価が、内と外、自分と世界の認識が同じであると突きつけられてしまったからこそ、その事実は彼の心を砕き割った。

 

 

 一通り涙を流し叫び、茫然とする彼に、オリヴィエは自身の背負っていた槍を抜き、彼の喉へと突きつける。

 これはオリヴィエにとってただの確認作業だった。宿敵であるニュートンの一族の人間に命を脅かされ、それでももう抵抗をしない程に精神が摩耗しているかどうかの。

 

 

「さて、君には二つの選択肢がある」

 

 槍を持っていない左手の人差し指と中指を立て、彼にそれを見せる。

 

 

「一つは、このまま大人しく土に還る事だ。諦める事は決して間違ってはいない。私はそれを否定しないとも。最初から、分不相応な願いだったと納得する事だね」

 

 語調こそ変わらないが、まるで嘲るように、オリヴィエは一つ目の提案を向ける。彼は光を失った目のままオリヴィエを見上げ、何度か口を動かすが、それは言葉としては認識できないうめき声でしか無かった。

 

 

「では二つ目だ。正直これは、オススメしないのだけれど」

 

 少し間を置き、そして。

 

 

「もう一度、私の元で神を目指してみないかい?」

 

 ひそひそと、悪戯のアイデアを囁きかけるかのようなその言葉に、彼は微かな反応を見せた。ぴくりと体が動き、目線が上がる。

 

 

「私と共に歩む覚悟があるのなら、君のその素晴らしい技術と引き換えに、私が何もかもを与えようとも。研究材料も技術も、――その下半身が今度こそ神に至るための、欠片も」

 

 槍を引き下げ、代わりにオリヴィエはしゃがみこみ彼に目線を合わせ、手を差し出す。

 彼の視界が、何にも注目せずにぼやけていたそれが、目の前の得体の知れないニュートンの青年の姿にピントを合わせ、はっきりと姿を認識する。

 

 まだ、終わっていないと。自分の全てが、再び神に至ることのできる可能性が、残っていると? 

 

 

「いや、やっぱり忘れてくれたまえ。君も、誇り高き彼らの一員として、ニュートンの一族なんかと協力するのは、嫌だろう? 失礼な事を言ってしまった」

 

「あ、ああ、ああ」

 

 その言葉の意味を噛み締め、利害を熟慮した総合的な判断を下す時間は彼には与えられなかった。 

 

 唐突に、思い付きかのようにやっぱりやめだ、と手をゆっくりと引いていくオリヴィエに、彼はまるで親においていかれまいとする子供のように手を伸ばす。必死のそれは、緩慢な動作のオリヴィエの手にすぐに届き、縋りつくかのようにその手を握り。

 

 

 

「――ようこそ、神殿へ。相容れぬ存在ではあれど、君の狂気と妄執を私は、私だけは愛そう。アダム・ベイリアル・ハルトマン」

 

 

 溺れる者は藁をも掴む。

 

 

 

 ……では、泥の海に沈み、絶望に身を蝕まれながら必死に水面に顔を出した彼に差し出されたのは、一体何だったのだろうか?

 

 

 

――――――――――

 

「ふ、ははは! 無様、無様だな百燐(バイリン)!」

 

「むっ、ぐ……!」

 

 狂人、ハルトマンの笑いに応対する余裕は今の百燐には無かった。

 大量のスーパーボールを勢いよく叩きつけたかのように、大量の物体が部屋の床と壁と天井を縦横無尽に跳ねまわり、百燐に襲い掛かる。

 

 ハルトマンの腰から下をそのまま写し取った、下半身。

 数にして百に近いその全てが、百燐の前に立ちはだかり、ハルトマン本体への進路を阻み、退路を断つ。 

 

 

「この瞬間を待ち望んでいたぞ! さあ、我が子達になす術無く潰されるがいい!」

 

 

 左右から同時に、下半身が二つ襲い来る。

 思考能力を持たず、恐らくは本能で百燐を敵と認識して襲い掛かっているのだろう。

 

 それを、身を躱した後に右側から襲い来た下半身に向け剣を振るい、真っ二つにする。

 完全な再生は不可能なようでぴくぴくと痙攣するその分かたれた断片と剣の入った感触から、百燐は情報を集めていく。

 

 純粋な硬度としては、むしろ弱体化している。恐らくはこの能力を与えているのは脆い生物で、それが混じった事による影響なのだろう。

 

 本体であるハルトマンからは全体を再生できている事から、分離した事によってその全てを再生する事は不可能となっている。脚レベルならまだわからないが。

 体から離れると弱体化するのか?

 

 奇怪で厄介極まりない能力ではあるが、決して完全では無い。

 四方八方から襲い来る怒涛の連撃を紙一重で捌きながら、徐々に相手の速度に体を馴らしていく。

 

 先に戦ったハルトマンの速度や脚力と比べ微かに劣るがほぼ同じものを持っている。だが、速度の調整を一切行わずワンパターンだ。

 フェイントなどの搦め手を行う事も無く、さらには飛びかかって来たものを回避した際に、下半身同士が激突する事もある。戦術的な攻め方を持っていない、ただ突撃してきているだけだ。

 

 ただ、並みの軍人ではこれ単体に対応する事は困難だ

 

「おお、おお……! これこそが我が本願! 我が下半神、正しく神に至れり……! どうか御覧じろ、オリヴィエ様……我が完全なる姿を!」

 

 元々そうであったはずなのだが、さらに狂気に染まった瞳で、ハルトマンは下半身の猛攻を耐え凌ぐ百燐を見つめ、戦闘の前にも語った言を新たな主への言と共に繰り返すハルトマン。そこには、かつての彼には無いこべりつく汚れのような執着が混じっていた。

 

「……はて」

 

 そして、そんなハルトマンに対し、頭からどろりと血を流した百燐は、不思議だ、というように首をかしげる。

 

――――――パロロ

 

 学名『Palola viridis』。この種を初めとした、分離生殖(シゾガミー)を行う多毛類の総称。

 種によって異なるが、この種は年に一度の周期で集団を形成し、繁殖行動を行う。

 

 普段はイソメの仲間の大多数の生態に違わず、砂中や岩陰に潜む彼らは海面近くまで浮上し、放精放卵の一大パーティを催すのだ。

 しかし、多くの魚類や他生物にとってただでさえ美味しい食事である彼らが集団で集まり、さらには卵も放出される。これは、恰好の獲物である。

 

 事実、彼らだけでなく他の生物にとってもこれは宴の場なのだ。そして、その生物の中には人間も含まれる。

 アジアの島々の一部ではその群泳に際し祭りが開かれ、大変貴重な食物として重宝されている。

 

 さらには、豊穣と豊作の象徴とする聖なる生き物とさえも扱われ、文化的にも重要な生物でもある。

 

 その、パロロ達からすれば迷惑極まりない祝祭に我が身を犠牲にしないためにこの生物が編み出したのが、発達した生殖器官を持った下半身のみを切り離して生殖に送り込むという手段である。

 

 エピトークと呼ばれるその下半身は一人でに泳ぎ新たなる生の誕生と捕食による死が入り混じる宴へと興じ、仮に最後まで生き残ったとしても栄養を得る手段を持たないその身は儚く海の泡と消える。

 

 しかし、本体は安全な隠れ家に潜み生き続け、再び下半身を再生し、次の祭りへと備えるのだ。

 

 

 

 ……とはいえ、この奇妙ながらも実に合理的な生態を持つ生物は、MO手術という技術のベースとして扱うには実用性は否定されていた。

 

『ヒトの身を神へと押し上げるための手術』。それが、ニュートンの一族、その異端者の一族の中で行われていた、一族の奔流と同じながら、また別の形での成就を目指した研究だ。

 

 その試作として施す手術ベースとして、この生物もまた候補の一つだった。

 しかし、下半身のみを分離させたとして、何になるのだろうか?

 

 生存に必要な器官の多くを欠く人間を主とする下半身のみで活動できる時間は短く、再生能力は体の一部のみという事で十分には発揮できない。

 そもそも、脚だけでできる事などたかが知れている。それを増殖させられたところで、神に至るどころ戦力としてどうなのか。

 研究が進むにつれて、より有用な手術ベースが見つかり、この生物の遺伝子サンプルは研究データと共に眠る事になった。なっていた、のだが。

 

 

 

 

 

「下ッ! 半ッ!! 身ッ!!!」

 

 

 

 ……いたのである。この能力を、十全に使いこなせる人間が。

 生物の体の一部のみを体に備えさせる、『特定部位複合型』。

 

 それにより、脚や生殖器、下半身に由来する無数の能力を己が身に宿した、白衣を纏った魑魅魍魎の一人が。

 下半身そのものが、極めて高い戦闘能力を持つ人間が。

 

 

「私が、神に至る事のできる欠片が、ここに……?」

 

「ああ、そうだよ」

 

 

 神殿最下層、生命樹の間と一つ上の階層、その間にある、通常は立ち入る事のできない区画。

 荘厳な大扉の前で、オリヴィエとハルトマンは並び立っていた。

 

「約束を果たそう。『特定部位複合型』……素晴らしい技術だ。そのお礼は、ちゃんとしないとね」

 

「おお、おお……!」

 

 ハルトマンの身が、武者震いにぶるりと動く。

 ついでに、モロ出しになっている下半身のブツも同時に体の動きに連動して震えている事も同時に描写せねばならないだろう。 

 

 ハルトマンがオリヴィエに協力する事を選んでから、彼はこの時を待ち焦がれていた。

 アダム・ベイリアルとはまた異なった方向性の、歪に発展した技術。

 そこから槍の一族が相応の力を持っている事はわかったし、そもそも彼の上司というか代表というか、アダム・ベイリアルその人と普通にオリヴィエが親交を持っていた事に驚いたりなど、ハルトマンとしては自身の命を拾い上げたオリヴィエに従属する理由は十分にあった。

 

 何よりも、自分の下半身が、下半神に再び至る事のできる欠片という、甘言。

 

 まるで、幼き頃に戻ったかのようなワクワクと共に、その扉は開かれる。

 

 

 暗闇そのもの、広い部屋である事はわかるが、何が何だかわからない場所に、オリヴィエに促されハルトマンは足を踏み入れる。

 

「……おおぅッ!?」

 

 部屋に入ると同時に、足の裏に伝わる感触に、ハルトマンの背筋にぞわっとしたものが走る。

 何か、固めのゼリー状のひんやりしたものを踏んだような。

 

 

 

 

 思わず下を見ると、そこには半透明の固形物と、そこに根を張るかのように広がる肉質的な何かが広がっていた。暗い中で認識できる視界に映る床を、覆い尽くすように。

 

 

「~♪」

 

 楽し気に鼻歌を口ずさむオリヴィエは全くそれに動じていないようで、ハルトマンも仕方なくそれに付いて後へと進む。湿った空気と、空間全体を覆い尽くす歪な気配。

 

 

 おぎゃあ、おぎゃあ。赤ん坊の泣き声のようなものが、どこからともなく聞こえてくる。

 この場所は、本当に現実なのか? これまでの全ては、死ぬ間際の自分の夢だったのでは?

 

 そう、自分に問いかけて平静を保っていたハルトマンは少しして目の前に人間がいる事に気付く。

 

「紹介しよう。私の娘、リンネだよ」

 

 それは、小さな女の子だった。オリヴィエと同じくトーガを纏い、幼いながらも美しく整ってはいるが、オリヴィエと同じく相手を不安にさせる、作り物のようなどこか似た雰囲気を感じさせる顔立ち。

 

 その頭からは頭頂を中心点として円を描くような配置で触手が生え、長い髪の隙間から見える額には松の葉を3~4枚放射状に並べたかのような形状の模様が浮かび上がっている。

 

 そんな彼女は、茶色に寄った濃緑色と言うべきか、地面を這う根と同じ泥のような色の肉塊の上に玉座か何かのように腰かけていた。

 

「初めまして、ゲガルドの姫君。私の名はアダム・ベイリアル・ハルトマン。好きなものは――」

 

 

 

 

 

 

 

「さて、早速始めようか。前に言った通り頼めるかな、リンネ」

 

「……ん」

 

 ハルトマンの言葉を遮り、オリヴィエはリンネへと近づき、優しく『薬』を手渡す。

 それにリンネはこくりと頷き、己の身に用い。

 

 

 その頭頂から、多面体がぼこりと生える。元から生えていた触手と合わさり、王族の宝冠のように見えるそれに目を奪われていたハルトマンは、リンネのもう一つの変化と、その動きに反応するのが遅れてしまった。

 

 

「カ、ハッ……!?」

 

 

 自身の臍と股間の間くらいの部位に、深々と槍が突き刺さる。

 一瞬でハルトマンの目の前に移動してきたリンネが、その左腕から伸びた長い槍のような物体をハルトマンに向けて繰り出したのだ。

 

 

「あ、が、がああぁぁ!」

 

 

 そして、何かが体内に流し込まれてくるかのような熱さを伴った激痛に、ハルトマンは絶叫する。

 何が起こったのか? 裏切られた? そんな、何故?

 

 ぼこりとハルトマンの下半身が一人でに動き、体を突き破り蟹の甲殻を伴った脚が生える。他にも、ノミや蜘蛛の足が、他の生物の器官が、ハルトマンの下半身から発現する。

 

 それらは全て、ハルトマンが己が身に宿した『魔女の脚(バーバヤーガ)』の特性であった。

 能力が暴走している。何が起こった。

 

 地獄の苦痛が続き、ハルトマンが意識を手放しそうになった、瞬間。

 

 

「おや、耐え抜いたようだ、素晴らしい。おめでとう」

 

 ぱちぱちというまばらな拍手と賞賛の言葉を聞くと同時に、その痛みが消失する。

 自分の中に今までに無い何かがある事に気付く。

 

「これ、は……」

 

 我が下半身が、震えている。神に至る真なる可能性、力に。

 同時に本能で感じ取れる、新たな能力。ハルトマンは、感動に身を震わせ……

 

―――――――

 

「――――これが、貴方の思う神の、完璧な姿と?」

 

 

「……何?」

 

 

 宿敵を一方的に蹂躙する恍惚に浸っていたハルトマンは、唐突に投げかけられた百燐の言葉に眉を歪めた。

 

「無尽蔵の下半身、下半神のみで作られし楽土。それを築く事ができるこの力が、神以外の何だと言うのだ?」

 

 

 老いぼれの戯言だ、とハルトマンは一笑に付す。

 戦局の利は完全にこちらにある。

 今更負け惜しみを言うなど、百人切りなどもてはやされていようが、所詮は凡人か。

 

 ハルトマンは軽蔑の目を向け。

 

 

「もし、本気でそう思っているならば―――」

 

 そんなハルトマンへと返答として返されるのは、敵を見据えるそれとはまた違う、冷ややかな目線。それと同時に放たれた、

 

 

 

 

―――――期待外れもいいところですな、若造 

 

 

 

 失望の言葉だった。

 

 

「何が言いたい……!」

 

 我が下半神が、期待外れだと? 体から分離された下半身たちはその感情に呼応した細かい動きの調整はできないため、ハルトマン本人の荒ぶる感情を百燐に対し示すには彼本人が躍り掛からなければならないのだが、そうすればみすみす逆転の目を与えてしまう、という事が認識できる程度には彼は冷静であった。

 

 だからこそ、その代わりに理由を問う。

 

 

「最初に言っておきますぞ。これは私が優位に立つための挑発であると同時に、紛れも無い本心でもあると」

 

 

「……」

 

 額に青筋を立てるハルトマンに、悠々と百燐は語り始める。彼の言葉通りに、老練にして戦闘を好む、彼の内心そのものを。

 

 

「此度の戦い、貴方が私にリベンジを望んでいた、と聞いた時……良い事では無いのですが、少しだけ、楽しみだったのです」

 

 それは、百燐という戦場に生き刀を振るった男の、否定しようのない本能だった。

 アダム・ベイリアル。人類に災厄を齎す彼らを狩るのは、自分の使命であり、後に行く事となる新たな環境の若き上司の宿願でもある。

 

 ただ、それでもだ。殺すべき相手。逃してはならない相手。理解していて、それに違う事など無い。だが、彼の内心は、年甲斐も無い部分は、どうしても沸き立ってしまうのだ。

 

 強者との死合い、というものに対して。

 

 

「以前の邂逅、面妖な力も、思想も理解はできませんでしたが……その強さは、粗削り極まりないが確かにあった。だからこそ、神に至ったと傲岸に語るその姿を見て、私の血は滾っていたのですぞ」

 

「フン、その通り、それが現状だ。我が力、貴様を遥かに超えているのだからな」

 

 貴様の言う事と今の状況に何の相違があるのか。ハルトマンは百燐の言葉が理解できず、言い返す。

 

 

「貴方が神に至った――貴方の言う完全な下半身とは、数を頼みに押し潰すようなものだったのですかな?」

 

「――っ」 

 

 そこで初めて、百燐はその表情と言葉に、これまでハルトマンに対し一度足りとも見せていなかった感情――怒りを、見せた。

 彼が大真面目に刀を振るい戦果を上げる戦場は、強大な武を持った個……いわゆる英雄という存在に乏しい。

 だからこそ、完全な強さと美しさを目指そうと生物の能力を貪欲に取り込みその下半身を鍛え上げたハルトマンに対し、その部分に限っては評価していたのだ。

 個にして最強の力を求めたその姿は、現代の戦場では見る事のまず叶わない、我という個人だ、と主張する強敵の姿だったのだから。

 

 

 そんなハルトマンが、それを完成させたのだと。だが、蓋を開けてみれば、それは以前と同じものを大量に増やして、押し潰すだけ。

 

「貴方が求めた先にあったのは、このようなものだったのですか、アダム・ベイリアル」

 

 群がる下半神を切り倒し、だが、それでも全てを捌ききる事はできず、百燐の傷は増えていく。

 

 

 

「いや、ハルトマン。貴方という人間に、お聞きしたい」

 

 

 

 

 どうだったのだろうか。自分が求めた下半身とは、その終局に至った先にある下半神とは何だったのだろうか。

 幾度となく実験と調整を繰り返し、サンプルを集め、完成させたつもりだった。

 だが、それは神の座へと届くものでは無いのだと、現実を突きつけられた。

 

 

 そして、神に縋った。……いいや、違う。神の皮を被った何かに、跪いてしまったのだ。

 

 ……ああ、成程。

 

 

 改めて問われた言葉が、ハルトマンの内心で反響する。

 自分はかつて、どのような人間だったのだろうか。

 求めていたものとは、その極みにあると考えていたのは、どんな姿だったのだろうか。

 

 答えは、思ったよりも、ずっと簡単だった。

 

 

 

―――――その時点で、私は神に至る資格など失っていたのか。

 

 

 

「……ふ、ハハ、ハハハハ!」

 

 ハルトマンが、唐突に堪えきれない、というように笑い出す。

 百燐は、複雑な感情が入り混じったそれをただ静かに見る。

 

 

「我が、愛し子達よ……少し、下がっていておくれ」

 

 次いで、ハルトマンは百燐に次々と襲い掛かる己の下半神達に百燐に対するものとは別人のような優しい、穏やかな声で語り掛ける。

 

 瞬間、百燐に容赦なく牙を剥いていた下半神達は、一体残らず百燐達から下がり、ぴたりと停止した。

 

 

「……!」

 

 その下半身の動作に驚きの表情を見せたのは、百燐では無かった。

 他ならぬ、ハルトマンである。

 

 

 この能力を得てから、喜びのままに下半身を増やし続けた。これが新世界の新たな民だ、と狂ったようにはしゃいだ。……だが、愛し子たちは自分と心を通じ合わせる事ができなかった。

 

 本能のままに敵対者を殺傷し、そして短い寿命を終える下半身達。命令などできなかった、彼ら。

 なんと言う皮肉だろうか。それが、創造主、神という座に自分はいなかったと気付いて、認めて初めて、意思を通じ合わせる事ができたなど。

 

 

「龍百燐」

 

「……何ですかな」

 

 

 周囲には、愛する自分の下半身たちがいる。

 目の前には、一度自分の全てを否定し奪った宿敵がいる。

 

 誰かに委ねた時点で間違いだったのだ。跪いて教えを、救済を乞うた事が間違いだったのだ。

 ああ、不思議と、気分が軽い。 

 

 未熟な私が産み落としてしまった、朽ちる運命しかない愛し子達よ、許してくれとは言わない。どうか見守っていてくれ。これは、越えるべき試練だ

 

 私は、ニュートンやゲガルドの化物どもでも無い、同胞たちの誰でも無い。

 

 

 下半神達に戦闘を任せ百燐の戦闘範囲から逃げ回っていたハルトマンは、そこで初めて、一歩前に踏み出した。

 同時に、百燐も一歩前に出る。

 

 剣聖と、異形の探求者。

 

 

 両者の間に、ダクトから抜ける一陣の風が、吹いた。

 

 

 

 

 

 

「貴様に、決闘を申し込む」

 

 

――――――私自身の手で、この下半身こそが神であると、証明してみせよう。

 

 

 

 

――――――――――――――

 天秤というものは、片方が軽くなればもう片方が沈むものである。

 世界というのも、また同じなのかもしれない。

 

 

 同刻。それは、大自然の中の研究所などでは無く、笑いの耐えない、仕事を終えた人々が楽しむ夕暮れの街で起こっていた。

 

 

「ひ、ひぃ!」

 

「早く! こっちに!」

 

 蟻の巣に水をぶちまけたように、人々が逃げ回る。おしゃれなカフェの外座席のパラソルをなぎ倒し、優美な彫刻など目にも留めず。

 

 無数の怪物が、人々を追いかける。

 人間の胴体をいくつも繋ぎ合わせた、首から上も下半身も無い異形の生命体が、その腕を脚の代わりとして地面を這い回り、腕により高所からぶら下がりながら襲い掛かり人々を捕え、容赦なく殺戮する。

 

 

 それを押し留めんと抵抗するのは、ごくごく僅かな軍人と、わずか二人の観光客のみ。

 

 

 これは、何なのか。出来の悪いパニックホラーなのか。体調が悪い時に見る夢なのか。

 

 

 

 

 否。その答えの一端を語る人間が、一人。

 

 

 

 私は、新たなる神を迎える為に夜道を(まさぐ)る者。

 

 

 私は、苦痛から皆を解き放つために臓腑を弄り病巣を切り落とす執刀医。

 

 

 私は、偽りの神の命により芽を、枝を剪定する庭師。

 

 

 

 

 救済を与えよう。神無く、苦痛有る世界に資格を失ったまま、それでも生き続けねばならない哀れな(ともがら)に。

 

 

 

 試練を与えよう。いずれ極点に至る資格を持つ、いと貴き神の卵に。 

 

 

 

 奈落の底で、虹の衣を纏った赤色の枢機卿はかく語りき。

 

 

 

 ああ、巡礼の時間が今宵も訪れた。 




観覧ありがとうございました!

>おまけ

アヴァターラ「リンネお嬢様はかく語りき。『パパがいきなり連れてきた下半身丸出しの変質者は誰だったの?』と」

希维「いや私に言われても……って何でリンネちゃんが思ってる事わかるんすかその方法詳しく!!」

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