深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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『互いが互いを食らい喰らわれんが為に走り続ける』


Mind Game:第4話 厄災放浪

――フランス 某所

 

「もう一度確認するけど……本当にいいのかい?」

 

「何度も言わせるな、博士」

 

 思惑が渦巻くパリを離れ、ここはフランスの一都市。

 首都圏でこそ無いが、そこそこ発展している都市の、これまたそこそこ大きなビルの地下室に、その研究所はあった。

 

「いや……急患だ、ってエドガーの奴に言われた時はウチは市民病院じゃないんだぞ! と言いたくなったが、全く」

 

 ここ一時間の間に数度尋ね、それでも変わらない答えにやれやれと首を振りながら、白衣を身に着けた男――レオ・ドラクロワは滅菌容器の中に並べられた手術器具と、その横にある、薬液に漬けられた昆虫のビンを手に取る。

 

「問答をしている暇は無いのだ。できるだけ早く頼む」

 

 そんなレオへと焦りと少しの怒りが混じった声をかけるのは、ベッドに全裸で寝かされた女性だった。

 その身は嫋やか、という表現が似合うようなそれでは無く、鍛え抜かれている事が伺える筋肉に、全身に刻まれた無数の銃創や刺し傷の痕。ベットに預けている背中側にはまだ新しい傷があるのか、じわじわとベッドを赤色へと染めていく。

 

 

「術後はリハビリとか必要なんだってば。それにくどいようだけど、たぶん君、死ぬぞ」

 

 

 全く、困ったものだ。レオは軽い調子で患者である彼女に死を宣告しながら、ビンを振る。

 この女性、オリアンヌ・ド・ヴァリエは、以前にも彼の患者……というか、被験者になった人間である。

 現在レオが試験を進めている『E(エクティンクト).S(スピーシーズ).M.O手術』。その被検体として自ら名乗りを上げた一人がこのオリアンヌだ。

 

「……何を言う、博士。我が身の全て、とうの昔にエドガー様に捧げたもの」

 

 エドガーに絶対の忠誠を誓う彼女の事だ。それはもう、敵の多いエドガーを守るために奮戦し、多くのデータを取ってくれるだろう。そう期待して、無事手術が成功した彼女を送り出したが、まさか想定よりずっと早くズタボロになってエドガーから送り返されてくるとは、自他共に天才と認めるレオにしても予想外であった。

 

 しかも、あろう事か。時間が惜しいとばかりに碌な治療もされず運ばれてきたオリアンヌが、何を発した事か。

 

 

 

――もう一度、E.S.M.O手術を施せ、などと。

 

 私の手術ベースの軸となっているツノゼミを博士の選ぶ、最も強いESMO生物と差し替えろ。

 それを聞いた時、レオはうわごとを言っているのかこの女は? と思わず考えてしまった。というか、半分くらいまで口に出た。

 

 ツノゼミがMO手術のベースに上乗せされる理由。それは、昆虫の頑丈な甲皮、解放血管系といった強みを失わないまま多種多様な生物を身に宿すため。加えて、ツノゼミそのものの多様性により、あらゆる生物と組み合わせる事ができるため。

 つまり、メインとなる手術ベースとの相性さえ良ければ、理論的にはツノゼミの部分を別の生物に譲る事も可能である。事実、エドガーの情報網によればロシアでツノゼミの代わりに別の生物を用いた例が存在するという。

 

 しかし、だ。E.S.M.O手術はまだ完成段階では無く、成功率も通常のMO手術と比べ低い。さらに、オリアンヌは初期不良とでも言うべきか、E.S.M.O手術によって得たベースが歪な状態で発現してしまう時がある。

 

 その不安定な状態で、後付けでツノゼミを押しのけてE.S.M.O手術を施す? さらに加えて、今のような何本も刃物か何かで刺されて体内には毒が回っているズタボロの体で? 

 とても、命の保証などできるはずも無い。別にレオはオリアンヌの命の事はどうでもいいし、E.S.M.O手術の重複という中々取れないデータが得られるのは得と言えるのだが、貴重な被検体がまだ十分なデータも得られていないまま無駄死にするのは総合的に見て良いものとは思えない。

 

 

 だが、極めて低い成功確率、そこから導き出されるオリアンヌの運命をそのまま口にしたレオに、彼女は不敵に笑いかける。

 

 

 

「死ねば、私が捧げた忠義もその程度だったというだけの話だ」

 

 

 

「……」

 

 

 レオは嘆息する。

 どうして、この手術の被験者はどいつもこいつも頭のネジが三本程外れた人間ばかりなのかと。

 エドガーを狙いながらエドガーの駒として戦うらしい殺し屋の男といい、『報酬とか研究データとか色々弾むからエドガー様には内緒で!』などと言いながら飛び入りでやって来た宗教家のニュートン一族といい。外人部隊のあの子は凄くまともだったんだな。

 

 一通り、何故自分の所へはヤバい奴ばっかりやってくるのか、と嘆いた後。

 

 

「ああ、いいともいいとも! やってやろうじゃないか! 私が君に最強のドレスを仕立て上げてやろう! それこそ、ニュートンの化物どもとも互角……いや、ブチ殺せるようなものをな!! 死んでくれるなよ! その忠義とやらに誓ってな! 私の貴重な時間を無為にしないでくれよ!!」

 

 

 ヒートアップしたその声と勢いのままに、メスを振り上げた。

 

――――――――――

 

「……リースちゃん、これ」

 

「どうしたんですか?」

 

 夕暮れ時、パリ市街のホテルの一室。正座して新聞を読んでいた雅维は静花を招き寄せる。

 パリに到着して数日。二人は、情報収集に励んでいた。

 

 さくっとやって終わり、で済まない難易度の任務である以上、慎重にかかるのは当然である。

 相手は一国の長。さらに、ニュートンの一族の中でも上位に位置する能力を有した人間である。

 よーいドン、で決闘して勝ってみろ、と言われてもそう簡単にできるような相手でもないのに、さらに厚い警備網を掻い潜って、という条件が加わる。

 

 その為に、様々な方向から情報を集める必要があった。エリゼ宮殿の内部地図に関しては既に入手済みだ。その点については問題は無い。必要なのは宮殿を出た後の脱出経路や、見張りの警備員や兵士の配置、大まかな巡回ルートに関して。

 

 そんなわけで、二人は旅行客として街を歩き、こっそりとそれらに関して情報を埋めていた、のであるが。

 情報収集を始めて二日目の事、ある事に気が付いた。

 

 どうも、街全体から伺える様子として、警備の手が厳しい事に対して軍人を見かけないのだ。

 ここ数日、市内では警察官がせわしなく走り回っている場面に何度も出くわした。

 

 普段でも街の見回りは行われているらしいが、街の人に聞いてみれば、明らかに多いのだと言う。

 エリゼ宮殿を覗いてみればそこには大統領官邸の護衛を担っている国家憲兵隊と思わしき軍人の姿こそ見られるものの、平時以上の人員が配備されている様子は無い。

 

 それを疑問に思っていた二人であったが、その答えの一端は雅维が指差した記事に書かれていた。

 

 

 陸軍の上層部による会見を纏めた記事だ。

 正確な日時はぼかされているが、一週間程前から北海側の沿岸部で同時多発的に未確認の武装勢力が目撃されており、上陸の可能性も視野に入れて厳戒態勢での調査が進められている。

 

 成程、このパリが北部の都市である事も合わさり、この近辺に常駐している軍人の多くはそちらに割かれているのだろう。軍人が少ない、というのは好都合である。少し前に軍人が数十人という数で、テロ組織との戦闘により殉職したというのが大々的に取り上げられたばかりだ。本来ならば大統領府の防備はより固められているのだろうが、得体のしれない武装勢力などという目前に迫った脅威だ、致し方ない部分もあるのかもしれない。

 

 ここで二人の目はもう一つピックアップされている記事へと移される。

 

 それは、ここパリの話だった。

 ここ3日間で、行方不明者が急増。現在、14人が行方不明。

 被害者はいずれも夜間に外出していたところで行方をくらませており、行方不明になる直前に同行していた人間の証言から一人で歩いていた可能性が高い。深夜の外出で人気の少ない場所は避ける事。

 

 そのような記事だ。街が混乱しているのは二人にとっては好都合である。そこに付け込めるのだから。しかし、一方で気味の悪さも感じる。何故、お膳立てでもされているかのように自分達に都合の良い状況が整っているのかと。偶然、で考えを止めるのは、どうにも落ち着かない。

 

 

「……ねえ染さん」

 

「どうしましたか?」

 

 考え込む二人であったが。ふと、静花が顔を上げ、雅维へと顔を向ける。どこか不安そうな表情だ。

 

「何か、聞こえませんか」

 

 そこで、聴覚を周囲に向けて集中した雅维は、何かの鳴き声を聞き取る。

 

 

 

――じょうじ

 

 それは、二人が訓練で何度も聞いた事があるものだった。

 慌てて、窓を開け二人は聞こえた方向を覗き込む。

 

 だが、裏路地の暗闇は二人にその声の主を目で捉える事を許さず。

 二人は顔を見合わせ、頷く。

 

 夜の暗闇へと臨む調査が、幕を開ける。

 

 

 

 

 

 恐らく、これが行方不明事件の答えなのだろう。

 変態を済ませた雅维が前に、静花がその後ろに位置取り、暗闇に目を馴らすと同時に進んでいく。

 

 二人はどちらも隠密に長けた手術ベースを有しており、それが今回の任務に抜擢された大きな理由である。

 この夜の暗闇であれば相手からの視認もある程度は遅れるだろうが、それでも油断などできない。

 

 

 時々聞こえる鳴き声を認識し、それを道標として狭い通路を慎重に曲がる二人はこの事件について考えを巡らせる。

 何故フランスにテラフォーマーがいるのか。地球でも様々な理由でテラフォーマーが潜伏している地域があるという事は中国は把握しているが、雅维と静花が以前確認したリストにフランスは入っていなかったはずだ。

 

 ならば考えられるのは、何者かが外部から持ち込んだか、それとも国内で研究されていた個体が逃げ出したかだ。少なくとも表社会の一般人に対しては機密であるテラフォーマーという生物がおいそれと逃げ出せるような設備で管理されているとは考え辛い。フランスのような先進国であれば尚更だ。

 

 

 鳴き声が近い。二人は目配せをし、通路の端へと背を預け、慎重にその先を覗く。裏路地を深く進み、ここから先は廃屋が多くなってくる。全く管理されておらず、煤とこびり付いた黒い油。水に溶けた成分が壁にこびりつき層となりそこに微生物が繁殖したぬめりのある不快極まりない汚れ。誰も切る人間がいないために無秩序に伸びた蔦。腐食し穴の開いたパイプからぽたぽたこぼれる水。表向きの華やかな街並みとは対照的な、正に廃墟と呼ぶべき空間が二人の目の前には広がっていた。

 

「じ!」

 

「じょうじ!」

 

 そして、そこには二匹のテラフォーマーがいた……のだが。何やら様子がおかしい事に静花が気付く。

 

「……テラフォーマーって、あんなでしたっけ?」

 

 小さな声の問いに、雅维は首を横に振る。

 そのテラフォーマーは、どこか形態が通常のものとは異なっていた。それも、二匹でそれぞれ違う。

 

 片方のテラフォーマーの臀部から生えた尾葉。それが、通常の個体と比べやたらと長く、何やら折れ曲がっている。

 

 もう片方のテラフォーマーは、拳になにやら棘のようなものが何本も生えている。

 

 一体、こんな場所で何をやっているのか? 二人の疑問は、次の瞬間に解決した。

 

「じっ……!」

 

 拳から棘が生えたテラフォーマーが、もう片方を勢いよく殴り付けたのだ。

 

「ジョウッ!」

 

 だが、もう片方のテラフォーマーは機敏にそれを回避し、反撃する。

 突然の仲間割れに困惑する二人であったが、仲裁をする必要性は全くないため、ただそれを見守る。

 

 通常のテラフォーマーを上回る動作で、両者は両者の命を削り合う。

 それは不可解な行動であった。テラフォーマーは通常、社会的な生活を営む生物である。

 特にこの場所のような人間の生活圏では、互いに協力して活動するはず、なのだが。

 

 腕に棘を生やしたテラフォーマーが、背後へと翅を開き、飛ぼうとする。だが、それは叶わなかった。

 翅に、まるでくしゃくしゃにした紙のように無数の皺が刻まれており、それは飛行できるような状態では無かったのだ。

 

「じ……」

 

 予想外、とでも言いたげに自身の翅へと目を向けるテラフォーマー。

 しかし直後、その翅は切り落とされた。もう一匹のテラフォーマーの、対照的に鋭く、刃のようになっているぴんと伸びた翅によって。

 

 片翅を失ったテラフォーマーに容赦なく追撃の拳が振るわれ、テラフォーマーという種族の急所である胸部に拳が直撃し、甲皮が陥没する。

 

「ジョウ!」

 

 白目を剥き、崩れ落ち息絶えるテラフォーマー。勝者である尾葉の長い個体は、勝利の雄叫びだと言わんばかりに声を張り上げ。

 

「……」

 

 

 

 自身の胸部から生えたナイフが、そのテラフォーマーの視界に映った。

 背後に立った影。それを認識する事が、刺し貫かれる瞬間までテラフォーマーにはできなかった。

 そこに在ったのは、ガスマスクを付けた少女の姿。

 

 ナイフを引き抜き、がくりと膝を突くテラフォーマーを見つめる雅维だったが。

 

「梁さん!」

 

「っ……!?」

 

 瞬間、テラフォーマーの腕が、雅维へと伸びる。

 動揺する雅维の対処が一歩遅れる。何故? 確実に、急所である胸部神経節を潰したはず。それなのに、何故動ける?

 

 しかし、テラフォーマーの腕が雅维の喉に届く事は無かった。

 力強い触手がその腕に巻き付き、砕いたのだ。

 

 それと同時にテラフォーマーの頭部と喉に銃弾が撃ち込まれる。

 

「……あ、ありがと、リースちゃん」

 

「大丈夫ですか」

 

 

 静花の腰から生えた触手が蠢き、主の体へと戻っていく。

 雅维を助け起こし、しかし静花はテラフォーマーへの追撃を止めなかった。

 その腰から生えた触手により、手足を一本ずつ、丁寧に砕いていく。

 

 彼女に嗜虐的な趣味は無い。では何故、そんな事をしたのかと言えば。

 

「……どう考えても普通じゃないよね、これ」

 

「……はい」

 

 

 二人は表情を曇らせながら、それを見る。

 喉、頭、胸。テラフォーマーという生物の、おおよそ急所と呼べる部位を全て潰され、それでもまだその体は動きを止めていなかったのだから。手足を潰されたためもぞもぞと蠢く事しかできないが、未だ活動し続けている。

 

 思いがけず、調査しなければいけない事が増えてしまった。

 本国へと連絡し、判断を仰ぐべきだろうか。

 

 二人が相談していた、その矢先に。

 

 

 

~~~♪

 

 

 

 暗闇の廃墟には場違いが過ぎる、楽し気な歌声が耳に入って来た。

 透き通った、ソプラノの音。

 

 

 劇場や街中で流れてきたのであればうっとりと聞き惚れていたであろうそれに二人は機敏に反応する。

 歌声と同時に、歪な気配が場を包み込んだからである。

 強者の纏う剣のような殺気でも、野生の獣のようなそれでも無い。

 

 例えるならば、澄んだ水に泥団子を溶かした時のように、じんわりと汚れが広がっていくかのような、湿った不快感を伴った感覚。

 

 

 

「あら? なんて事でしょう!」

 

 

 二人が路地の道に身を隠した数秒後にその主は路地裏の奥から姿を現した。

 

 

 

 その姿を見て、静花と雅维は絶句する。

 

 

 

 そこに立っていたのは、若い女性だった。

 このような場所に年頃の女性が来る事自体が危険で仕方ない、異常な事ではあるのだが。

 論点は、そんな所では無い。

 

 

 

 

 女性の服装を一言で表すならば、赤紫……ワインレッドに染められたウェデングドレス。

 ベールに覆われた金の髪を纏めている髪飾りは、兎の耳のように二又に分かれた先端が空に伸びている。

 腰から下げられた懐中時計と、衣服の所々にあしらわれている帽子やチェス盤の意匠。

 

 そして、ドレスの腰の左右にそれぞれ描かれた、林檎の芯に巻き付く幼虫、という悪趣味な模様。

 

 そんな彼女は、口端に人差指を当て、不思議そうに二匹のテラフォーマーをスカートが汚れる事も厭わずしゃがみ込んで見つめている。

 

「どうしちゃったのかしら? ディーがガラガラを壊しちゃったの? それとも――」

 

 意味のわからない事を呟きながら、指先でテラフォーマーをつんつん突く女性。

 それを見つめる二人は、アイコンタクトを取るまでも無く互いに意見を一致させていた。

 迷う事なく『薬』を用い、身を隠す。そして、女性に背を向け。 

 

 

 

 

「――(からす)に啄まれてしまったのかしら?」

 

 くすくすという楽しそうな笑い声。

 二人が感じ取っていた歪な気配が、一層強くなる。

 まずい。捕捉された。二人は一目散に離脱を試みるが。

 

 

「リースちゃん! 逃げて!」

 

 

 瞬間移動か、と思う速度で間合いを詰めた女性が、雅维に向けて何かを振るう。

 対し、逃げる足を止め、振り向き様にナイフを振るう雅维。

 でも、と静花は雅维を止めようとするが、しかし雅维の表情を見て何も言えなくなる。

 

「……!」

 

 怯えるような表情と目の端に浮かぶ涙。未知の強敵である、という以上に何かがある。

 それを感じ取った静花は、少し考え。

 

「見捨てられるワケ、ないでしょ! もう!」 

 

 己を奮い立たせんとして声をあげ、踵を返す。

 

 

「まあ、まあ! 私と遊んでくれるのかしら! 私、アストリスって言うの! お友達になってくださる? 素敵な駒鳥(クックロビン)さん達!」 

 

 女性、アストリスが名乗りながら振り抜いたもの。それは、自身の腰の背側にあるリボンを止めていた金具……と見せかけた、二本の刃だった。

 鋏を二つに分解したかのような形状の、刃の部分に幾何学模様が走り、柄にも機械的な意匠を持ったそれを両手に一本ずつ携え、アストリスは嬉しそうに雅维へとそれを振るう。

 

 

 最初の一発は打ち合えた。でも、次は威力負けする。

 即座に危険を察知し、雅维はアストリスの振るった刃を迎え撃つ軌道で振るったナイフを手放した。

 空中で衝突した互いの武器。普通であれば、力を加える主から捨てられた雅维のナイフが弾き飛ばされて終わり、だろう。

 

 

――しかし、アストリスの刃は、雅维のナイフを()()した。

 

 刃の接触した部分から、ナイフが両断される。

 

「……!」

 

 想定以上の結果を見せつけられ、静花と雅维の顔色が変わる。

 アストリスの持っている刃が、ブレて映る。

 

 それは、二人の視界が霞んだわけでは無い。

 

 

「高周波ブレード……!」

 

「素敵でしょう? アダムおじさまが餞別に、ってくださったのよ!」

 

 

 静花が呻くようにその武器の名を呟き、自慢するかのようにそれを掲げるアストリス。

 高周波ブレード。振動剣とも呼称される、細かく超高速で振動する刃。高周波振動発生装置を仕込んだその刃は、刃物の切れ味のみに留まらず、その振動によって遥かに切断能力を向上させる。

 

 技術自体は既に医療分野や工作用のカッターにも用いられており、軍用ではアネックス計画でも専用装備の一つとして開発された、との噂がある。

 しかし、こんな場所で遭遇する事になるとは。

 

「私達は貴女と争うつもりはありません……ここは互いに退きませんか……?」

 

 ダメ元ではあるのだが、雅维はアストリスに和平を申し出る。

 相手の所属……は雅维には見当が付いているものの、その目的がわからない以上はどうしようもない。

 

「嫌ぁよ? 私もシドおじさまみたいに遊ぶの! 後でエドガー様がジャブジャブ鳥みたいにお怒りになられるのだもの! その分は目いっぱい楽しみたいの!」

 

「っ……」

 

 最初から、薄々わかってはいたのだが。

 そもそも、相手はこちらを同列の存在として見ていない。

 

 虫や小鳥を玩具にする子どものような思考なのだろう。

 停戦は無意味。ならば、すべき事は一つ。

 

 

 雅维は腰から予備に持ち歩いているもう一本のナイフをアストリスの喉にめがけ振るう。

 それを事も無げに自身の刃で迎撃し、もう一本を雅维の腹に突き立てようとするアストリス。

 

「お願い!」

 

「はい!」

 

 それが、好機だった。

 アストリスから見えない、雅维の影。そこに立つ静花が、六本の触手を伸ばし、アストリスの四肢と首を同時に狙う。

 ナイフは折られる。雅维は回避に専念せざるを得ない。だが、両腕を攻撃に回しているアストリスは、全方位から襲い来る触手に対し。

 

「まあ――楽しいわ!」

 

 その両眼が、同時に別の方向へと動き、6本の触手の軌道を捉え。

 両肘で、腕に巻き付こうとする二本の触手の軌道を逸らす。

 

 同時に宙に跳ね、足を狙った二本を回避し、首を狙った一本は狙いがずれて腹へと巻き付こうとするが、長さが足りず不完全な拘束となる。

 

「くっ!?」

 

 一瞬にして触手が全て捌かれた事を理解した静花が備えとして残していた最後の一本で着地したアストリスの首を狙うが、伸びた状態から手首の利きによって振るわれた刃によって触手が切り落とされる。本来であれば力を加えるのが難しい位置関係ではあるが、高周波ブレードの切断力による力押し。

 

 

 今の人間離れした体捌きで、雅维の中の疑惑が最悪の形で確信へと変わる。

 アストリスのドレスに刻まれた、喰いつくされた林檎に巻き付く幼虫――即ち、アダム・ベイリアルの印。

  

 それが示すのは、ニュートンへの反逆。

 

 だから、こんな事はあり得ないと思っていた。

 たとえ、人間の黄金比に従ったかのような美しい容姿をしていようとも。己が主と似た歩法を用いていようとも。

 

 

 

 まさか、アダムの下に付くニュートンの人間がいるなどと。

 

 

 アストリスというその名は雅维の記憶では一族の中にはいない。

 ならば恐らく、目の前の相手は普通の存在では無い。

 

 

「うふふ! 沢山動いちゃった! これで明日のお昼は沢山食べても大丈夫ね!」

 

 運動終わり、とでも言いたげに、アストリスは自身のドレスが開き覗いている胸の谷間からあるものを取り出す。

 ここにサブカルチャー好きの男性がいればこれが噂の……などと馬鹿馬鹿しい感動を覚えるのかもしれないが、残念な事に事態は切迫しすぎている。

 

「……?」

 

「それ、は」

 

 『変態薬』。二人も使っている、MO手術の力を用いるための薬剤。

 しかし、静花はそれを見て首を傾げる。

 軍人として、敵対したMO能力者に情報という分野に負けないように、変態薬の種類は教育として叩きこまれている。それは脊椎動物各種や昆虫型、甲殻型といったメジャーなものから、環形動物や棘皮動物型といったマイナーなものまで幅広い。

 

 だが。アストリスが取り出したそれは、静花の知識から来るどれにも該当しないものだったのだ。

 

 それを自身に用い、アストリスの体に変化が訪れる。

 不意を打つ事はできなかった。カウンターをされれば、今の自分達では対応できないからだ。

 

 

 アストリスの頭から、矢印のような形の物体が複数、まるで王族の宝冠のように、あるいは、墓標のように生える。

   

 最初の表面的な変化は、それだけだった。しかし。

 

「それじゃ、行くわ――」

 

 ずるり。

 気味の悪い音と共に、アストリスの腕が――

 

「――わぷっ!?」

 

 雅维のハンドサインにより、しゃがんだと同時に後ろにいた静花の口から黒い液体が吐き出され、それがアストリスの顔に直撃し、その視界を奪う。

 今なら殺せるか? 一瞬、攻勢に出る、という判断が二人の頭を巡るが。即座にそれを切って捨てる。

 相手の硬さも、再生能力の有無もわからない。外せば、確実に自分達が殺される。分が悪すぎる。

 

 

 そう判断し、二人は互いに能力を行使し身を隠し、全速力でその場を離れる。

 

 

「もう! 怒っちゃうから! 許さないから! 燻り狂っちゃう、ってくらいに!」

 

 ごしごしと目を擦り、アストリスが視界を取り戻したのは数秒経ってからの事だった。

 足の速さでは追いつけるだろうが、路地の構造からして、正確な相手の闘争ルートを知るのは不可能。

 そう判断したアストリスは、背を向けて自分が来た道を帰っていく。

 

 逃げられてしまった怒りと、勝手に出歩いた罰としてエドガーにお説教を受ける明日の自分の事を考え、しょぼんと髪飾りを垂れさせながら。

――――――――――

――『神殿』最奥部

 

「これはッ! どういう事だ! アダム・ベイリアル!!」

 

「おおっ、通信が繋がって早々に何で僕怒られてるの?」

 

 玉座の間に、怒声が響く。

 モニターに映る少年、その怒声が向けられた対象であるアダム・ベイリアルは悪びれる事も無く、露骨にびっくり! という表情をしている。

 

「まあ落ち着いて、フリッツ。アダム君が驚いてるじゃないか」

 

「くっ……」

 

 アダムに対し怒りを露わにした片眼鏡に白衣の研究者然とした青年、フリッツを宥めるのは、玉座に座るオリヴィエだ。

 

「そうだそうだ! オリヴィエ君の言う通り! ボーナスアイテムは早いもの勝ちの争奪戦って言ったでしょ! 負けたからって僕に当たるのはいけないよ!」

 

「そういう事を言っているのでは無い……!」

 

 普段は落ち着いているフリッツがこうも感情を剥き出しにしているのには理由がある。

 先日、オリヴィエとエドガー、両勢力への通達の後、地球に一機のロケットが不時着した。それは、アフリカ大陸に設けられたリカバリーゾーンの一つに落ち、表向きには月面基地からの物資輸送船の不具合、という事で片づけられた。

 

 アダム曰く『なんか盤の外で殴り蹴りしてる君達にスーパーアイテムをプレゼント!』との事で、その詳細なデータも同時に両勢力へと送信されていた。

 それを見て、オリヴィエはおや、と興味を惹かれ、エドガーは見るからに嫌そうに顔をしかめ。

 

 結局、距離的にその不時着地点に近かったエドガー陣営がそれを確保した後、オリヴィエが面白いなぁこれとフリッツにデータを見せた結果、こうなったのだ。 

 

「ふむ。君の所の『【S】EVEN SINS』のデータと交換したのが、こんな使われ方をしているとはね」

 

 オリヴィエとアダムの、現在のこの戦争が始まるより前に行われた技術や物資の交換。それによりオリヴィエがアダムへと渡したあるものが悪用されていた。とはいえ。

 

「ま、さ、か! オリヴィエ君はクレームとか付けないよね! ……君が人の事、言えたもんじゃないもんね?」

 

「その通りだね、私からは何とも。君にあげたものだ、好きにしてくれて問題なかったよ」

 

 それが問題であるとは、互いに思っていないようである。

 オリヴィエとアダム、互いの間に流れるのは、淀んだ空気。

 くつくつという暗い笑い声が、互いから漏れる。

 

「……貴方が問題無いのであれば、それで構いません」

 

 己が主は問題とは考えていないようだ。オリヴィエの意思をくみ取ったフリッツは、怒りを抑え込み、玉座の間からファイルを片手に、しかし苛立ちは抑え切れない様子で早足に足音を響かせ立ち去っていく。

 

「全く、フリッツ君はお堅いのがダメだと思うよ! ところでオリヴィエ君?」

 

「何かな?」

 

「希维ちゃんがいない代わりのその仲良し家族模様は僕への当てつけだったりする?」

 

 部屋を出るフリッツを見送った、その後。

 モニター越しのアダムのどこかじとっとした視線が、オリヴィエの顔から胸の辺りへと移る。

 

「……」

 

 正確には、玉座に座すオリヴィエの膝の上に座っている、幼い女の子へと。

 オリヴィエに髪を梳かれていた女の子は、アダムの視線に気付いたのか、それに感情の籠っていない澄んだ青色の視線を返す。

 

「希维は用事で暫く帰らなくてね。独りでここに座っているのはどうも落ち着かないんだよ」

 

「そっかー。何でかわからないけどプライドと仲良く話してくれてたみたいだからお礼とか言っときたかったんだけど。あ、リンネちゃんこんにちは、アダム・ベイリアルだよー」

 

 笑顔で手を振るその姿は、アダムの容姿もあり自分より小さな子に興味津々な子どもにしか見えない。

 事実、興味の対象ではあるのかもしれない。……その方向性は、外見とは程遠いものであるのだろうが。

 

「……」

 

 しかし、そんなアダムへと返される目は冷たい。小さい子が他人をじっと見つめるのはよくある事であるが、その理由は多くの場合興味からによるものである。しかし、リンネがアダムへと向けるのは、ただただ、目を向けられた事を感じ取ったからそれに何となく反応しただけ、という無関心。

 

「ちょっと! おたくの娘さん塩対応すぎない!?」

 

「そんなものだよ」

 

 ちぇーなんだよーとわざとらしくぼやきながら、アダムは再びオリヴィエへと目線を戻す。

 急に呼び出されたものの、特にそれ以上の用事は無いようだ。

 

「他に用事が無いなら、僕はこの辺で失礼するよ」

 

「ああ、ではまたね、アダム君。ほら、リンネも手を振って」

 

「……」

 

 ひらひらと手を振るオリヴィエと、それをそのまま返すアダム。微動だにしないリンネ。

 白陣営の(キング)とゲームマスターの対談は、こうして終わった。

 

「じゃあねオリヴィエ君! 引き続き頑張って! リンネちゃん! ――君は大きくなったら、絶対に美人さんになるよ!」

 

 

 狂科学者の、どこか含みを持った言葉を締めとして。 




 観覧ありがとうございました!
 コラボ回では何となく思いつきにより意味ありげなワードが前書き欄に入る事になりました。

 二人の詳細な能力等は次の戦闘シーンにて!
 次々回辺りから本格的な戦闘に突入する予定であります。


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