人を超えた存在、というのはどのようなものなのだろうか。
それを語るには、まず人、という存在が何であるのかを考える必要がある。
動物界脊索動物門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属の一種、ホモサピエンス。
知恵の木の実を食らい、神にのみ許された権能である善悪の知を獲得し代償として死の運命を背負った生物。
様々な学問で様々に言い表す事ができると思うが、今回は私のよく知る部分の学問に照らし合わせて簡潔にそう考えるとしようか。
人に在って、他に無いもの。ヒトという一生物を、これが紛れも無いヒトであるのだと言わしめるもの。
それは間違い無く、高度に発達した知能と『心』、ではないだろうか、と私は思う。
塩基配列という答えもまた真理かもしれないが、少し無粋なので捨てるとしよう。
勿論、ヒト以外の生物にはそれらが無い、などというつもりはない。
しかし、知能の高い生物を現す時に、人間はよくこう表現する。『何歳児並みの知能』、と。
それこそが、ヒトという生物の絶対的な能力をこの上無く指し示している。
彼らはヒトという生物の知能の成熟段階、その後ろにいるのだ、と言っているのだから。
『心』というのも、知能の発達に際して副次的に発達する概念だ。
霊長類やイルカはヒトのそれに近い高度なものを持っているが、それでもヒトには及ばない。
……当然だ。我々は原罪を背負い、それを獲得したのだから。
無論、宗教観と生物学的見地を混ぜて考えるのは愚かだと事はわかっている。だが、宗教というものもまた、ヒトにのみ確認されている概念だ。敢えて合わせて考えるのも一興というものだろう。
とにかく、人を人たらしめているのはその智慧と『心』であると言える。
では、その人が人を超える、という目的を成すには何を目指せばいいのか。
簡潔に言えば、知恵の木の実では無い方、だ。
ヒト、万物の霊長、という言葉が指すように、あらゆる生物の頂点に立つ存在。
なるほど、確かにそうだろう。我々の先祖は神の知を獲得し、それを用いて他のあらゆる生物を蹂躙し版図を広げてきた。そうして惑星の支配者となったこの生物は、そう呼ぶに相応しい。だが、それを可能としたのはあくまで知、なのだ。その肉体は、あまりに脆く儚い。
家畜として生殺与奪を握り、糧としているどれだけの生物に素手で勝てる?
首輪を付けた愛玩動物がいきなり我を忘れ襲ってきたら、勝てる自信はあるか?
病魔に敗れるのもまた、他の生物への敗北と言えるのではないか?
あらゆる生物の頂点。間違ってはいないだが、それは傲慢ではないだろうか、とかつての私は考えたのだろう。
我々は、ヒトという生物を、脆弱な肉体を超えるべきなのだ。
ヒトが蹂躙し超えてきた、永遠の寿命を持つ生物のように。強靭な体を持つ生物のように。ヒトに真似できない様々な技能を持った生物達のように。
生物界でもトップクラスの能力を多く持つ生物。我々は、そのヒトを品種改良し続けている。だが、それだけでは足りないのだ。それでもまだ、ヒトという存在は脆いものであると感じるのだ。
長い時間を、待ち続けた。その間にも研鑽と改良を重ね、今この段階に辿り着いた。
既に生命の樹は獲得した。私が、それを思い描いたその出発点の段階で。だが、それでもまだ足りない。
――私は、もう一つの生命の樹を手に入れなければならない。
―――――――
「聞こえなかったかな? 君達を間引こう、と言ったのだよ」
男、マルクは目の前に立つ火星の戦士達のそれぞれの反応が気に入らなかったのか、もう一度繰り返す。
その反応は様々であった。
大多数の、何を言っているんだこいつは、というもの。意味がよくわからなかった、というもの。そして。
「……お前が、"裏切り者"か」
「成程ね……最初から、寄生虫が紛れ込んでいた、ってわけか」
剛大とダリウス、二人の班長が、目の前の男を見据え、構える。
第三班の副長。その人間が自分達に対して明確に敵対姿勢を取っている。普通に考えれば、これは第三班の裏切り行為であり、その黒幕は班長であるエリシアである、と考えられるのかもしれない。しかし。
そう判断するには、第三班の動きはあまりにも友好的すぎる。着陸直後に"裏切り者"に襲われ、共に基地に入り、基地防衛の為に戦い、"裏切り者"総指揮官であるアナスタシアとの交戦に班長と副官が参加し。
寝首をかく機会はいくらでもあったというのに、第三班はそうしていない。それどころか、多大な犠牲を払いながらも他の班に協力している。
第三班の第四班との裏での繋がりも疑われてはいたが、最初からそうでなかったか、それとも想定外の事態により他班についたのか。
少なくとも、剛大とダリウス、二人は第三班、という括りでは敵ではない、という結論を出していた。
「あー、残念。第三班が疑われて地球でつるし上げの学級会! みたいなのを期待してたけど、これじゃ無理だね」
マルクは笑い、その背に背負った槍を抜き、弄ぶ。
「一班二班、五班は上手く行って、次はココ! って感じだったけどまあ丁度いいか」
「後ろの連中は六班の連中か」
その場の人間に意味が伝わらない事を語るマルクに、剛大は次を問いかける。
「よくおわかりで! ……まあ、随分数は減っちゃったんだけどね。あのご老人、いきなり敵の大群に私の協力者を選別して突入するのだから、とんでもないよね。他にはジョセフ君の協力者も混じってたみたいだけど見事に減っちゃったよ、どっちも始末、って事はあの人はあの人で何か思惑でもあったのかな?」
相手は話す事が好きなのか、ぺらぺらと流れるように言葉を吐く。
重要なようで今の状況ではそこまで重要とも言えない、裏第六班の事情。
第六班にもマルクの協力者が混じっていた。今マルクの背後にいるのがそうなのだろうが、それは数が減っている状態である、と。
さらには、裏第六班にもまた裏切り者は混じっていたが、それは班の総意ではない、少なくとも班長であるエレオノーラの意思とは異なっている。
「ふむ、少し勝手に話しすぎてしまったようだね、申し訳ない。次はそちらが話していいよ」
「間引く、とは?」
この男は敵であり、この火星で暗躍……などというには大して動いていない様子であるが、少なくとも好意的な存在ではないという事が明らか、という現在、剛大はさらに追加で質問をする。
「あー、本当なら適当に観戦するだけ、にしようと思ってたんだけど、想像以上に君達強くてねぇ……残り過ぎたんだよ、だから帰れないようにするか、直接始末しようかなって」
「あ、それとダリウス君、フライングは無しね」
突如、ダリウスの背後、他の班員とダリウスを挟むような位置に移動していたダリウスの専用装備、消音装置付きの無人機が火花を散らして墜落する。
「!?」
驚愕の表情を見せるダリウス。己の能力がどのようなものであるのか、この無人機がどのような性質であるのか、相手はそれを把握している。そして、それよりも。
マルクは、コイントスの要領で親指で弾いた小石により、それを行ったのだ。
「……まあいいや、温まってきた頃だろう。これ以上の説明は不要だね、勇敢にも火星の戦場を生き抜いてきた君達の物語は、最後の最後でいきなり出てきた登場人物に殺されて終わるのさ。何と虚しい話だろうね」
マルクはその手に持った槍で一度地面を突く。それが、あまりに唐突な開戦の合図であった。それと同時に、マルクの背後にいた第六班の班員達が宇宙艦を奪取しようと駆けだす。
「っ!」
一瞬で間合いを詰めたマルクの槍が、剛大の喉元に向けて放たれる。
それをすんでのところで回避し、反撃の一撃を加えようとするが、すでにそこにマルクの姿は無く、拳は虚しく空を切った。
それは、本来であれば剛大達が支援するアネックス計画の方で運用されるベース生物であった。
それも、素体となる人間が強ければ幹部搭乗員と肩を並べる程の戦闘能力を持つものである。
「遅いなぁ」
剛大の拳が空を切ると同時に、ダリウスの右肩に付いでほぼ同時、という速度で左肩に槍が突き刺さり、血が流れ出す。
相手の反撃が来ると同時に次の攻撃目標に襲い掛かる、凄まじい機動力。
それをこの生物は可能としている。
「どうしたんだい、一位の名が泣くよ」
テラフォーマー、人間大のゴキブリの瞬発力は一歩目から時速320kmに相当する。
これは、あらゆる生物の中で最速――ではない。
同程度の
それは例えば、蜘蛛。『マーズ・ランキング』9位、マルコス・エリングラッド・ガルシア。彼の手術ベースである、『アシダカグモ』。
待ち伏せにより奇襲を仕掛け、空気の流れを捉える体毛によりゴキブリの動きを先読みしその瞬発力により捕食する、網を張らない狩人。
だが、それに匹敵する生物がもう一種。
彼らは、奇襲という知恵は用いない。走り、追い、捕え、食らう。ただそれだけ。
ゴキブリと速力の真っ向勝負を挑み勝利する、ただそれだけ。
背に開いた大きな気門は大量の酸素を供給し、低空を飛行する昆虫をも跳躍して捕える程の運動能力とゴキブリを上回る機動力を備え、さらにはアシダカグモの弱点であるスタミナの少なささえも克服している。
『オオゲジ』。それが、マルクの手術ベースである。
「お前ら……ここは俺達が何とかする、非戦闘員は脱出の準備を急げ!」
「」
剛大の声で、戦場に加わろうとしていた裏アネックス連合軍と第四班の班員達はあるものは宇宙艦へ、またあるものは宇宙艦の防衛のために変態を行おうとしたが。
「いやいや、間引く、って言ったじゃないか」
変態を行おうとした内の二人の首に一瞬にして穴が開き、力なく倒れこむ。
おかしい。剛大はダリウスを庇い攻撃に備えながら思案する。
『オオゲジ』は強力なベース生物だ。しかし、その能力を獲得したマルクのランキングは12位。近い能力を持つマルコスが『マーズ・ランキング』で9位という事を考えると、若干低めと言える。何故なのかと言うと、『裏マーズ・ランキング』が対テラフォーマーでは無く対MO手術被術者戦を評価したランキングだから……ではない。
その機動力は、対テラフォーマーであろうが対MO手術被術者であろうが有効だ。
……マルクは、お世辞にも本人が強い人間ではなかったのだ。剛大はU―NASAの幹部搭乗員会議で各班のランカーの戦闘訓練のビデオを見ていた。勿論、12位のマルクの戦闘シーンもそこには映っていた。
剛大の感想としては、その速度に振り回されて体の動きが追いついていない、であった。さらには、威勢の良い口調で訓練用クローンテラフォーマーを罵っていたが当の本人がどうにも弱腰で攻撃の機会を逃している。
しかし、今相対している相手は。
能力を十二分に活用しているばかりか、人間離れした動きで自分達を押している。対MO手術被術者、つまりは同族を相手にする以上、ランキング下位とランキング上位が戦った場合、相性の良し悪しはあれど上位が勝つ可能性が非常に高いと言えるだろう。
だが、疲労が溜まり傷だらけの剛大と、能力を除いた直接的な戦闘能力は高くないダリウス、理由があるとはいえ幹部搭乗員二人を相手に圧倒している目の前のこれは、何だ?
「……雅维、君は、私を裏切るのかな?」
剛大とダリウスの、仲間を守る、という動きすら追いつかない高速の移動で、マルクは雅维の目の前へと現れる。至極穏やかな口調で、何も映さないその瞳での問いかけ。
「あ……うぅ……」
それに対して、雅维は体を震わせる事しかできなかった。明確な否定もできず、肯定もできず。
無言という答えで相手が何と判断するのか、目の前の存在が、マルクという
だが、やっぱり貴方に付きます、などとは言わない。
「どなたか知りませんが、雅维が怯えています……離れなさい!」
冷たく笑ったマルクが雅维の首に手を伸ばした瞬間。死角から放たれた蹴りがマルクに襲い掛かる。
しかしそれに対応し、マルクは一歩横に動く。
「おやおや、暴力的だなぁ……同盟相手じゃないか、第四班の班員君よ」
「黙れ……!」
プラチャオの追撃の蹴りを軽く槍を持っていない右手で捌きながら、マルクは後退する。
同盟相手というのがマルクという人間の所属である第三班なのか、それとも別の何かの事なのか。それを考える暇などはなく、マルクはプラチャオのまだ傷が十分に塞がっていない喉を掴み、地面に叩きつける。
それだけで傷口が開き、プラチャオの首に巻かれた包帯の赤が濃くなっていく。
「ああ……これだから人間は弱っちいね……嫌になるなぁ……」
影の落ちた表情で追撃に槍をその目に向けて振り下ろそうとするマルク。
しかし、それが果たされる事は無く、その槍は背後から加えられた衝撃によりマルクの手を離れ、地面に落ちた。
「仮とは言え協力者……一時的とはいえ俺の部下だった男の部下だ……勝手にどうこうしてくれるなよ」
その殺気を敏感に捉えたマルクが背後の剛大に反撃として拳を放つ。
それを避けきれず、剛大の腹にそれは突き刺さり、アリの筋肉によって守られていたため内臓にまでは達しなかったが、鈍い衝撃が走る。
「ぐっ……」
これまでの長い戦闘、一度迎えた限界を無理やり乗り越えてはきたもののついにそこで体力が尽きたのか、剛大はその重たいわけでもない一撃で膝を付いてしまう。
さよならだ、とわざとらしくひらひらと手を振り、マルクは落とした槍の代わりだ、とでも言いたいかのように貫手で剛大の心臓に狙いを定める。その目の前に明確に迫る死を見て、剛大は口を開く。
「……ダリウス、やってくれ」
それは、命乞いではなかった。マルクの背後に浮かぶのは、一機の無人機。マルクは剛大の狙いを一瞬で理解し、背後に跳ぼうとするが、一歩遅かった。
襲い来る衝撃が、剛大とマルクの体を打つ。
一瞬で体が粉々に砕かれる、ダリウスの本気の一撃というわけではなく、それよりも弱い、それはただの爆音。
しかし、それだけで十分であった。
「……!」
鼓膜が破れる事による一時的な目眩。それにより、マルクの手元が狂い、地面に貫手が当たり、貫通するわけもなく抵抗により止まる。
それは、認識のミスであった。
認識を改める必要がある。しかし、それがこの状況に何だと言うのだ、とマルクは冷静に分析する。
剛大は既に戦闘不能、両腕を潰したダリウスも、三機に減った無人機の可動範囲に限界がある以上、完全に味方を巻き込まない攻撃は困難だ。適当なタイミングで無人機を叩き落とす事もできる。
幹部搭乗員二人を無力化した。終わりだ、とマルクは槍を拾おうとした。
「……誰だお前、って顔してんな」
その槍を踏みつけるのは、哺乳類型の特徴を示した変態を行った、一人の男。
「チャーリー・アルダーソンだ。幹部以外雑魚扱いなんて悲しいな、ちゃんと覚えてくれよ?」
オオゲジの能力による機動、槍を拾おうと屈んだ姿勢からの高速の回避は叶わず、その顔に拳がめり込む。
態勢を起こしながらも反撃を繰り出そうとするマルク。しかし、直後に襲い来た蹴りにより、左足が砕かれその姿勢が崩れる。
「……プラチャオ・ムアンスリン。貴方が誰だかは知らないが」
その状態でも動けるのか、マルクは回避しようと右に跳ぶ。しかし硬い壁のようなものにぶつかり、直後腹に鈍い一撃が入り血を吐きながら吹き飛ばされる。
「第五班所属、ダニエル・アードルング。ここで死んでもらう」
左足と腹に受けた殴打を受けてなお、マルクは起き上がる。
しかし、起き上がった瞬間に耳に入って来た爆音により、一瞬動きが狂う。
「楊
動きは遅れたもののその隊服のポケットから注射器型の『薬』を取り出し変態しようとするが、それを首に差そうとしたその時、その左腕は大きな槍に肩を貫かれた事により動かせなくなり、だらりと垂れる。
「耳いてぇ……どいつもこいつも殴り技で死ね死ねばっかで……アネックスの皆ならもっと連携プレーとかするんだろうな……あ、俺重森健吾。ちーっす」
マルクは、囲まれていた。
その攻勢の最後にいたのは、両腕が巨大な槍状に変態した見るからに軽そうな青年。
「ま、アレだな、呉越同舟な感じだが敢えてこう名乗らせてもらおうか」
第四班の二人を横目で見て、健吾は軽く息を付く。
だが、すぐにその目はマルクに向き、その殺意に満ちた表情で、しかしにやりと口を歪め、はっきりと、誇るように言い放つのだった。
「国連航空宇宙局特別火星探索部隊支援計画、各国
観覧ありがとうございました。
アネックス一号の皆の見事な連携と比べて暴力的すぎる。