深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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お久しぶりです、前後編でお送りします。

主にバトル&回想となっています。




第39話 "私"の話 (前編)

 インターネットの海にて、最弱、と呼ばれている魚類が存在する。

 

 

―――水面からジャンプするというダイナミックな動きをするが、着水した時の衝撃で死ぬ

 

―――餌にした小魚の骨が喉に詰まって死ぬ

 

―――付近の仲間が死んだショックで死ぬ

 

―――皮膚が弱く、触られただけで跡が付き、それが原因で死ぬ

 

 列挙していけば限りがない、何故自然界にいるんだと言われても仕方がないあんまりな情報の数々。

 

 だが。

 

 

 それらのほとんどは、虚偽である。

 彼らの体は確かに弱い。

 

 触れれば手形が付いてしまうし、彼らの体内は蟲の楽園である。

 だが、その数々のあんまりな情報の裏には確かな真実がある。

 

 

 その最弱と呼ばれる生物が、一つの種として大自然の生存競争を生き抜いているという事だ。

 

―――――――

 

 わたしは、どうやらとっても頭がいいみたいです。

 周りの人はみんな、私を褒めてくれるんです。

 

 嬉しいなぁ。だったら、もっと頑張らなくちゃ。もっと頑張って、みんなに喜んでもらわなくちゃ。

 

 わたしは、要領がよくないんです。男の子はそれでからかってくるし、女の子はひそひそと私の悪口を言っています。ええ、しょうがないんです。悪いのは私なんですから。皆に認めてもらわなくちゃ。

 

 

 

『自分がたくさんいたら楽しそうだよね』

 数少ない友達の一人が、そんな事を口にしたのは、いつの日だったでしょうか。

 ふと、考えてみました。

 

 自分と同じ考え方の人が、沢山。仲良くできるんだろうなぁ。友達もいっぱいできるだろうなぁ。仲たがいもしないでしょう。だって、みんな自分なのですから。

 

 勉強しました。それはもうたくさん。そして、たくさん知りました。重い病気の人が、これが実用化されたら助かるかもしれない、という事。ちょっと残酷で認められないかもしれない技術である、という事。

 

 沢山の人が救われる。ええ、いい事ではないですか。何故認められないのでしょうか。

 そうだ、はっきりと実績を出せばいいんです。そう考え、わたしは研究を始めました。

―――――

 

 人間と呼ぶにはあまりに痛ましい、アナスタシアの姿。体の所々は異形へと変形し、自らの体に改造を施したのか、尻尾のように尾てい骨から生える長く、おぞましい三本目の腕。

 

 

 無数の寄生生物の能力が一つの人体に宿り、蠢いている。理屈として、ヨーゼフは理解していた。

 αMO手術の術後には、特定の生物の通常のMO手術の成功率は非常に高くなる。それこそ、ほぼ確実、というほどに。

 0.3%の手術の成功が条件で30%がほぼ100%に。狙ってできるものではないのであくまでもオマケ程度のメリットだ。αMO手術をさらに施す場合も成功確率こそ上がらないものの近縁種という本来の条件を無視して行う事ができるのだが、流石にそこまでのチャレンジャーは普通ならばいないだろう。そう、普通ならば。

 αMO手術 魚類型『マンボウ』。彼女は、これを狙ってやったのだ。最初から、無数の寄生虫の能力の核とするために。

 

 

「ねえ、博士……どうですか? 凄いでしょう?」

 

 心から嬉しそうに、答えを期待した様子でアナスタシアはヨーゼフに伺いを立てる。

 それの答えは、無言で首を横に振る事だった。

 悲しそうな目、それを見て、アナスタシアは首を捻る。

 

「そう、ですか……だったら、実戦でわかってもらいます!」

 

 言うなり、アナスタシアは杖で地面を叩く。

 それに敏感に反応し、異形のテラフォーマーが二匹、左右からヨーゼフに向かって突撃する。

 

 普通のテラフォーマーに比べ、やや低速。しかし、わき腹や尾葉のあるべき部分から手足が生えているという異形、盛り上がった筋肉、そして、全身から生える棘。

 

 報告の姿に近いが、全身から生える棘、というものがあるという点で少し異なっている。

 その棘をちらりと見て、ヨーゼフは分析する。

 

「『オニヒトデ』の棘、か」

 

 猛毒の棘と再生能力。第四班副官、欣のベース生物。その棘が、いや、恐らくは、その能力の全てが異形のテラフォーマーに移植されている。

 

 元々はテラフォーマーの臓器であるモザイクオーガン。それは、生物の能力の移植を簡単に行う事を可能とし、わざわざ危険な手術を行わなくても問題なく能力を手に入れる事ができる。

 

 そして、その生物の能力のサンプルが、例えばそれを手に入れた人間の体の一部があれば十分に能力を手に入れる事が可能なのだ。

 

 オニヒトデの能力持ち、つまり欣の腕を何本か切断して、テラフォーマーに手術を施したのだ。

 

 迷いなく、ヨーゼフはアメーバを展開しテラフォーマーの突撃を受け止める。

 アメーバは液体状と言えない事もないが、元はヨーゼフの体の一部であり、液体みたいな固体、というのが実情だ。何本もの棘と力任せの一撃。棘は突き刺さりそれに仕込まれた毒も合わさって激痛を与える。

 しかし、ヨーゼフは退かない。

 植物プランクトンであるフィエステリア。異形のテラフォーマーは本来ならパワーではとても抑えられない相手だ。

 だが、現実には受け止める事ができている。

 何故なのか。

 

 それは、ヨーゼフの現在の姿が物語っていた。

 次々とアメーバは展開していき、その体は徐々に人間のものから遠のいていく。

 『薬』を、普段より多めに使っているのだ。

 

 自身の体の心配など、後遺症の事など考えられる状況と相手ではない。

 アナスタシアもきっとそれは同じなのだろう。理由は異なるだろうが、自身の体の状態など顧みない状態である。

 

 五分五分の攻防。だが、それは相手が2体の異形のテラフォーマーに限った場合の話。

 

「がっ!」

 

 ヨーゼフの鳩尾に、黒色に変色し硬化したアナスタシアの拳が叩きこまれる。

 異形のテラフォーマーにも移植されている『ハリガネムシ』の能力。それは、部位の硬質化だけでなく、ハリガネムシの体内を支える強靭な筋肉による筋力強化も担っている。

 

 異形のテラフォーマーを食い止めるためのアメーバを左右に割き、そちらに集中も割かなければならない状態で、さらにアナスタシアも攻撃を仕掛けてくるというこの状況。

 

 吐き気と苦痛を堪えながら、一歩後退、そして、左腕から生えたストロー状の器官、ペダンクルと呼ばれるフィエステリアの捕食器官をアナスタシアの左胸に向けて放つ。

 硬化が間に合わず攻撃は左胸に到達し、穴を開ける。

 本来ならば死は免れない、意識を奪える可能性も高い致命の一撃。

 

 だが、ヨーゼフは悪寒を感じペダンクルを引き戻す。

 変化は、ヨーゼフが直感するのとほぼ同時に起こった。

 

 アナスタシアの心臓に開いた穴が、みるみるうちに塞がっていく。

 あのままペダンクルを戻さなければ、再生した肉とその部位を覆う硬化に埋まって動かせなくなるところだった。

 

 左右のアメーバを一部呼び戻し、もう片腕で再度振るわれるアナスタシアの拳を包み込むようにして迎撃する。

 やけに感覚が軽い。……こちらにも、嫌な直感。

 

 アメーバ越しに、アナスタシアがクスリと笑うのが見える。

 その腕は、元の白い肌。……硬化していない。

 

 直後、ヨーゼフは、何かが体に侵入してくる感覚を覚えた。

 

 

―――――

 勉強して勉強して勉強して。わたしの周りには、誰もいなくなってしまいました。大人の人達は、最初は褒めてくれたのに、少しずつ気持ち悪がって。友達は、何か違う場所にいる人を見るような目をして。

 わたしは、皆と仲良くしたいのに。わたしはただ、皆の役に立つ何かを作りたいだけなのに。

 

 運動は苦手です。元々、どんくさい性分のわたしは、勉強の事に加えてさらに皆を苛立たせてしまうのでしょう。

 

 

 そんなある日、わたしは自分の研究を発表する会に参加しました。

 これで認められれば、きっとみんなわたしを見直してくれるはず。そう思い、わたしは頑張りました。

 そこで、ある人と出会いました。優しい、そして何より、わたしよりはるかに凄い研究者と。

 

 いつか、あの人に認められるような研究成果を出して見せる。世界のため、未来のため。あの人と同じ、わたしが目指していたその目標は、いつしかあの人に褒めてもらうための道具になっていたのかもしれません。

――――――

 

 迷う事なく、ヨーゼフはアナスタシアに触れられた部分のアメーバを、自分の肉の一部を岩に叩き付け力任せに引きちぎる。

 これまで不可解だった全てが繋がり、一つの答えを導き出す。

 

 あまりに悍ましい、理論上は可能でもそれをする事への恐怖と狂気。

 何を思ったのか。何が彼女を追い詰めたのか。

 

 じりじりと迫って来るアナスタシアの皮膚のところどころが細い線上に盛り上がり、動き回る。

 麻薬中毒者の幻覚のようなその光景。だが、ヨーゼフはそれが幻覚ではないと確信した。

 

 まず初めに、MO手術として持っている能力。

 

 硬化と筋肉強化。それを担っているのは、『ハリガネムシ』の能力。

 

 心臓への致命傷を一瞬で塞ぐ高度な再生能力。頭部さえ無事であれば全身を再生することも可能な寄生虫『ニホンカイレットウジョウチュウ』の能力。

 

 

 だが、これら二種はマンボウの寄生虫ではない。

 

 

 大きく異なる生物の因子が拒絶反応を起こし、本来ならばマンボウと同時に能力を得る事はできない生物たち。

 では、何故。簡単な事だ。生態的に関連する生物ならば重ね掛けが可能。それは、マンボウ、ベース生物だけに適合される法則ではなかったのだ。だったら、何か。そんな事、わかりきっているではないか。

 

 そもそも、MO能力の受け皿となっている生物は何か?

 

 その生物がMO能力を獲得するために移植した臓器の持ち主、その生物は何か?

 

 そうだ。本来昆虫を宿主とする『ハリガネムシ』。

 

 人間を終宿主の一つとする『ニホンカイレットウジョウチュウ』。

 

 

 『人間』と『テラフォーマー(ゴキブリ)』。それらも、含まれていたのだ。

 

 

 ……しかし、それは大した問題ではないのだ。

 アナスタシアの持っている能力の幅が増えただけ、だけで済ませられない厄介な状況だが、それをだけで済ませなければならないほど重たい事実がもう一つある。

 

 

「……君の体の中は、どこまで人間だ?」

 

 思わず呟いたヨーゼフに、アナスタシアは苦笑する。命の取り合いに、無駄口は不要だ、そう言いたいのか。

 そんなヨーゼフの考えを即座に否定するように、アナスタシアは白衣をたくし上げる。

 

 いきなりのサービスシーン、これが何もかも終わった平和な地球なら、第三班の連中がすごく喜んだかもしれないな。そんなくだらない事を考えるような暇はなく、露わになった白いお腹から、ぼとぼとと何かが産み落とされる。

 

 正確に表現すれば、腹の所どころに赤点ができ、直後、細長い何かがアナスタシアの体外に放出される。

 地面に落ちぐねぐねと動くそれは、それで独立した一つの生物である事をはっきりと示していた。

 

 

 最悪の答え合わせだった。

 アナスタシアは、自身を寄生虫の巣にしていたのだ。薬無しで変態できるαMO手術の特性を生かし、寄生虫にとって住みやすい環境であるマンボウの特性を常時発動。無性生殖の特性を持つ寄生虫の能力を使い、体内に数十、へたをすれば数百という種の寄生虫の卵を生成し、生み出す。それは何に使われているのか?

 

 異形のテラフォーマーに施された『ハリガネムシ』の能力。そして、異形のテラフォーマーを異形のテラフォーマーたらしめる特性。

『リベイロイア吸虫』。哺乳類や水鳥を終宿主とする、中間宿主の両生類を多肢の奇形へと変化させる寄生虫。

『ハリガネムシ』『トキソプラズマ』。宿主である生物の脳に影響を与え、行動をコントロールする寄生虫。

 

 これらを用いて、テラフォーマーを改造し、操っていたのだ。

 

 

「おわかりいただけましたか、博士」

 白衣を元に戻して腹を隠し、先ほどと変わらぬ憂いを帯びた笑みを浮かべ、アナスタシアはヨーゼフにまるであやすかのように、説得するかのように言葉をかける。

 

 

「もう後戻りなんてできないんです、救いなんてないんですよ」

――――――

 痛い。寒い。ああ、わたしは、こんな所で終わるのでしょうか。

 人類の未来のためだと言われて、わたしは喜んで協力しました。

 

 すやすやと眠る、わたしと同じ遺伝子を持った無数の赤ん坊。彼女たちは、どのような人生を歩むのでしょうか。こんな事を望むのは間違っているのかもしれません。でも、せめて幸せになって欲しい。

 この研究は最後まで見届けなければならない。

 そんな私に突きつけられたのは、銃口でした。

 

 私の持つ技術さえ手に入れば、用済み。笑っちゃいますよね。ドラマチックですよね。悪い方向に。

 

 命からがら逃げだして、雪山で倒れ、無数の風穴を体に開けられて死を迎える。これが私の人生、なのでしょうか。

 

 思い返せば、こんな人生も悪くは―

 

 

 

 いや、そんなわけがない嫌だ嫌だこんなところで終わるなんてそうだこれはきっと夢なんですあはははははわたしったら何考えてるんでしょうこんな山谷大きい人生なんてわたしみたいなつまらない人間にあるわけがないじゃないですか笑っちゃいますねもうあんなに素晴らしい人たちに会えて立派な研究者になろうって思っておもしろいくらいに上手くいって国家機密研究なんてものに関わらせてもらって自分と同じ赤ちゃんがたくさん?いやーすごいですね私14ですよ14にしてわたし何百何千の子持ちですよおもしろいですねうふふあれあれもしかして子どもじゃなくて妹っていうのでしょうかこのあたりの事はよくわからないので誰か教えていただけるとありがたいですねえ誰か、誰か、誰か……助けて……くださいよ……

 

―――――――

 

 異形のテラフォーマー二匹の攻撃を紙一重で回避しながら、アナスタシアの攻撃を捌き、時に反撃を繰り出す。

 

 オニヒトデの能力持ちである異形のテラフォーマーは勿論の事、アナスタシアにさえ直接の接触は避けるべきだ、という重たい条件が圧し掛かる。

 

 寄生虫の中には、脳を食い荒らす種も存在する。本来ならばゆっくりとした食事で症状もそれに合わせてゆっくり進行していくのだが、それを大量に体内に注ぎ込まれたら。それらの全てが、脳を食う、それだけを考えて体内を動き回る、そう考えたら。

 それは、本来の生態ではない。だが、異形のテラフォーマーがアナスタシアの指揮に従っているところを見るに、アナスタシアは寄生虫を完全に御する何らかの方法を持っている。

 

 一度体内に潜られてしまっては対処方も何もあったものではない。そのまま、頭へと移動して……である。

 硬化、筋力強化、再生に加えて触れられただけで死がほぼ確定するその能力。

 ヨーゼフの作り出したαMO手術の概念、そして能力の重ねがけというさらなる発展形。それを応用したアナスタシアの生み出したクローン技術を用いたαMO手術の成功体の移植によるαMO手術の複数保持。

 

 同じ目的のために前を向き、それを叶えるために高みを目指した二人の科学者の生み出した技術。それは、邪悪な形で結実していた。

 

 そして今、その力を振るい全てをぶちこわしにしようとする、かつてあらゆるものを奪われた哀れな科学者と、狂気に囚われ奪ってしまった無数の命、それを償おうと戦う科学者。両者の意思が激突し、雌雄を決そうと暗色の火花を散らす。

 

 

 異形のテラフォーマーは既にテラフォーマーとしては死に体のようなもので、その行動はハリガネムシに、さらに言えばそのハリガネムシを操っているアナスタシアにコントロールされている。だから、本来は通用するはずのフィエステリアの毒素は効果が薄いようだ。

 ならば本体であるアナスタシアの方なら……と考えたが、動きが鈍る気配すらない。

 そもそも、流石に異形のテラフォーマーとの視界の共有まではできないであろうアナスタシアが異形のテラフォーマー2匹を操りながら自分も戦う、というのは無理があるので、実際には戦え、くらいの大雑把な命令をしているだけなのだろうが。ハリガネムシの特性からしてもそこまで複雑な命令は出せないはずだ。

 

 

 何とか態勢を立て直し、状況を打破しなければ、と考えるが、相性も戦力差もありすぎる。

 毒を空気中に散布してしまったせいで増援を呼ぶ事もできない。敵の増援も防げるとはいえ、ヨーゼフの完全なミスである。

 

 アナスタシアの三本目の手が、尻尾のようなそれがまるで蠍の尾のようにアナスタシアの両手での抱擁を拒絶するヨーゼフの懐に潜り込もうとする。硬化していない。それはつまり、寄生虫を送り込もうとしているという事だ。

 

 硬化した部位での攻撃ならば防御する、最悪でも体で受ければいい。しかし、これは触れた時点で触られた部位によっては死が確定する。首など掴まれたら、それこそ最後に一矢報いる事すらできず絶命するだろう。

 

「キ゛ィィィ!」

 

「!? しまっ……!」

 

 身を翻したヨーゼフの体を、巨大な弾丸のような黒と棘の塊が捉え、吹き飛ばす。

 左腕で咄嗟に顔は守ったものの、ボキボキという音に肉を掻きまわされる有機的な音が合わさり、致命傷に近い傷を負わされたのだと痛みが麻痺しているヨーゼフは掠れゆく意識の中で考える。

 

 限界だった。体も、精神も。

 相性の悪さによって徐々に追い詰められる戦況。αMO手術の副作用によって徐々に失われていく人間の思考。昔馴染みの変わり果てた姿を突きつけられた事によるショック。

 

 自分は十分に頑張ったのではないだろうか。

 もう、アナスタシアの言う通り、楽になってもいいのではないだろうか。

 

 そんな、甘えに近い、死という救いを求める感情が心の奥底からひょっこりと顔を出す。

 馬鹿を言うな、とそれを押しとどめようとするが、その抵抗さえ弱弱しい。

 

 

「……安心してください、博士。貴方を一人にはしませんから。私の体ももうもたないでしょうし……」

 

 柔らかな、慈愛に満ちた表情でアナスタシアは両手を広げ、ヨーゼフに近づいていく。

 このまま、彼女の胸の中で最期を迎えるのもそれはそれで―

 

 

「エリシアちゃんも来ますから。私と博士、エリシアちゃんたち、私の子たちと、向こうでゆっくり幸せに過ごしましょうよ」

 

 

 死後の世界など、ヨーゼフは信じていない。元々の気質もあるのだが、それを信じたら、ヨーゼフが奪ってきた彼らが死後に楽しく過ごしている、などと甘い考えで自分の贖罪に甘えが出てしまいそうだからだ。

 

 だが、そこではなかった。ヨーゼフの心に去来したのは、一つの走馬灯と呼ぶべきものだった。いや、ヨーゼフが人間性を喪失していく過程で忘れてしまった記憶の一かけら、と呼ぶべきか。

 

「はかせー、一つ、約束してほしい事があるのです」

 

 

 銀髪の小さな、しかし確かな意思を持った少女が、ヨーゼフに、数多くの子どもを実験室送りにした悪魔に対して微笑みながら、少し不安そうな顔で話しかけてくる。その手には包装がされた箱が握られていた。

 

「どうした、実験の順番がつかえている。早くしろ」

 

 それを冷たい目で見下ろし、ヨーゼフは急かす。

 

「はかせはね、いつか私と同じような……うん、私の妹に会うかもしれないのです」

 

 少し言葉を詰まらせながら、少女はヨーゼフに自分の意思を伝えようとした。その時のヨーゼフは、それをとっとと聞いて実験を進めたい、としか考えていなかったが。

 

「そうしたらね、えっと」

 

 

 

 

「守ってあげて、欲しいのです。私にそうしてくれたみたいに」

 

 

 あの時の彼女は、何を思ってあの言葉を、自分に言ったのだろうか。

 自分が実験材料にされ、殺されるとわかっていて、最後のお願いが、それだったのだろうか。

 

「……あぁ……」

 

 もう、自分は長く持たない。それは、わかりきっている事だ。目の前の変わり果てた仲間も、それは同じ事。

 だが。そんな自分達に。未来ある子どもを付き合わせてははならない。

 

「……思い出すのが、あまりに遅かったな……」

 

「博士?」

 

 両手を伸ばすアナスタシア。それを拒絶するかのようにヨーゼフは一歩後ずさり、そして首にかけていたペンダントを、青みがかったスミレ色の宝石が入ったそれを右手で握り締める。

 

「君たちは、こんな恐怖に耐えていたんだな……」

 

 それから手を離し、白衣のポケットに手を突っ込む。その行為の意味を察したアナスタシアの目が驚愕に変わり、強引な様子で手を伸ばす。だが、一歩遅かった。

 

 

 白衣のポケットから、大量のカプセルの入った瓶を取り出し、迷う事なく口の中に流し込む。

 ぼこぼこと沸き立つような変異、それと同時に間近に迫る死を感じながら、ヨーゼフは力の限り叫んでいた。

 

 

「そうだ……私は……未来を救う事で償うのだ!」




観覧ありがとうございました!

天才科学者オリキャラ枠は一人でいい!という決戦ですが、決着は如何に……
次回もお楽しみに!

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