フランスのとある名家の一人娘。漫画やアニメで想像される典型的なお嬢様。
エミリーは、そのような立場で生を受けた。
しかし、その暮らしは長くは続かなかった。彼女がまだ10歳になるかならないか、という時だっただろうか。
家が炎上し、暴漢に襲撃された。一言で表せばそれしかない。もう少し詳しく言えば、ギャングに煽動された家の使用人の手引きによって火災が発生、騒ぎに乗じてギャングが襲撃したのだ。
家の人間はこの一件によりほぼ全員死亡、友人の家に泊まっていた彼女のみが難を逃れた。
貧しく、暗い世の中で上流階級から一気に孤児になった彼女を引き取ろうとする家はどこにもなく、彼女は半ば売られる形でオンボロな孤児院から中国の孤児院と言う名のスパイ・兵士養成施設に送られる事となった。
厳しい訓練。半分以上の確率で死ぬという謎の手術。辛い事は沢山あったが、彼女はいつかこの現状が変わると信じて日々を過ごしていた。
そんなある日。『薬』を使った初めての実戦形式の演習が行われたのだ。彼女の相手は施設の中でも仲の良い少女だった。
病気がちで体も弱く、演習当日は特に体を壊していた少女を見て、エミリーと孤児院の院長は少女を演習に出させず休ませろ、と訴えたが、施設の運営側はそれを認めず。演習は普通に行われる事となった。
大丈夫、大丈夫だから。
咳こみ、青ざめた顔で目の前のエミリーに告げる少女。
安心して、戦いはせずに適当に終わらせるから、とエミリーは耳打ちし、演習が始まった。
全員の能力が正常に作用するか確認する、との事で施設の子ども達は順番に変態していく事に。
少女の順番はエミリーの一つ前だった。
少女が弱った体で『薬』を打ち込み、その姿がベースとなった生物の特徴に染まっていく。
……途中まで、上手く行っているはずだった。
少女の体についての情報が施設側に十分に把握されていなかったのか。バグズおよびMO手術の特性に関する情報が十分ではなかったのか。今となってはそれはわからない。
少女が、苦しみだした。いつもの体調不良だ、放っておけ。訓練が嫌だから仮病を使っているのだろう。
そういって職員は無視した。
少女の体調不良。それは、先天的な内臓、特に肝臓と腎臓の機能不全だった。
少女の経歴をエミリーは知らなかった。西洋人の少女がここにいるという事は自分と同じく何かの事故や事件でここにいるのだろう。そう思ってエミリーはあえて聞かなかった。でも、親友だった。
そんな親友は、エミリーの目の前で、巨大な昆虫に姿を変えて死んだ。
―――――
「……ねえ、シロ君。いざという時は私を捨ててくださいまし」
時すでに遅しであるが侵入者を探知したからなのか明かりの付けられた研究所を後目に、二人は夜道を歩いていた。
シロは何も言えない。力を持っていながらそれを使えない、外から見たら使いたくない、と言っているだけの彼女を責める事ができない。物心ついた時には家族が死んでいて、友達もいなくて一人ぼっちだったシロに友達が死ぬというのがどんな気持ちなのかはわからない。でもきっと、それはとても悲しい事なのだろう。その出来事がどんなにトラウマなのかは実際に見ていなかったからわからない。でも、それは心に恐怖を刻むには十分すぎる出来事だったのだろう。
かといって、彼女に全面的に同情してそんな事なら『薬』なんか使わなくていい、とも言えない。
二人は決して余裕があるような状態ではない。いつ追手がくるかもわからない、こんな生活がいつまで続くかもわからない。金も船長の厚意でもらった給料以外ない、パスポートが無いからアルバイトもできない二人の生活は、山で食材を探してそれを食べたり闇市に売ったりして小金を稼いで成り立っていた。
追手が来たら戦わなければならないし、そうなったら変態が手っ取り早く、それでいて有効な手段でもある。
考え無しの若者二人の逃避行。そう言い切れるほど軽い話ではないのだが、それでも資金の確保ができない以上生きていく事はできない。
「なあ、エミリー」
「なんですの……」
「これ、やるよ」
シロはエミリーに自分の持っていた拳銃を投げ渡した。突然の事で少し反応が遅れたが、エミリーはそれをあわあわと受け取る。その隙に、シロはエミリーのポケットに入っていた薬を一つだけ残して奪い取る。
「役割分担だ。俺が変態担当、お前は銃担当で」
「……へ?」
シロは横を向いたままでエミリーにその表情は伺えなかった。
でも、自分の持っている銃を渡して薬を奪ったという事は、自分は変態だけで戦うからそっちは銃だけで戦ってくれ、という考えの現れだった。
「俺にはその……お前がどれだけトラウマ持ってるかなんてわかんないけどさ」
シロは恐らく自分より少しだけ年下と思われるエミリーの頭にぽふん、と手を乗せる。
「本当に辛くなったら相談してくれよな、いつでも話聞いてやれるの今は俺くらいだしさ」
「ごめん……なさい……」
何かを失う、という生い立ちと最初から何もない空っぽ、という生い立ち。それはどちらも辛い。
それでも、シロは自分の事を気にかけてくれるという。
自分と同じくらい、もしかしたらそれ以上に辛いはずなのに、甘えたりせずに強く生きようとしている。
自分はそれができずに頼ってばかりで、それがエミリーにとっては辛かった。
「あとアレだ……まあこんな状況になっちゃったけどさ」
「楽しくいこうぜ、せっかくここまで来たんだからさ!」
「……! ……はいっ!」
「君たち、こんな時間にこんな場所で何をしているのかね?」
巡視の警官に声をかけられ、二人揃って慌てて逃走する。
何やら面白おかしそうな笑顔を浮かべるシロにつられてエミリーまで自然に笑いが浮かんでくる。
いつかは解決しなければいけないのはわかっている。でも今は、彼の好意に甘えよう。
折り合いがついたとはとても言えない過去と先に広がる薄暗い未来、しかし今だけは。
そんな事を考えながら、エミリーは夜道をへろへろになりながらひたすらに走っていた。
――――――――
「ケバブー、おいしいケバブはいかがっすかー」
街中でケバブを売る青年、七彦。
食い逃げに失敗しアルバイトをする事になった不幸、というか因果応報なシロとエミリーと同じ逃亡者である。
そんな彼の朝は早く、起きてすぐに朝の支度、それから屋台の用意を始める。
あまり価値が無いと判断されたのか規則のゆるい訓練所にいた彼は基本的に夜型で、早寝早起きの生活は少し辛い。
「眠ぃ……」
人通りが少ないのをいい事に大きなあくびを一つ。それからうとうととし始めたのだが……
「君……おい、君!」
声をかけられ、その眠りは急に覚まされた。
「うおおおおおおおおい! すいません寝てましたクレームだけはご勘弁を!」
情けないほどにぷるぷると震えながら目の前の声をかけてきた人間に頭を下げる。
彼に声をかけてきたのは身長二メートルに近い長身にがっしりとした体格、短めの髪をオールバックにした軍服の中年男性だった。七彦と同じアジア人である。
「おお、中国語は通じるようだな」
うとうとしていた所を急に呼ばれたので頭が回らなかったが、彼にかけられた言葉は中国語。
「少し道を聞きたいのだが……」
「ああ、イタリア行の鉄道線ですか。それならー」
七彦は地図を開き、男性に説明する。バイトを重ねる事によって何故か得た道案内能力である。
「おお、ありがとう、お礼にケバブを二ついただこうかな」
「ありがとうござっすー」
男性は説明を理解した様子で頭を下げ、ケバブを受け取りその場を去っていく。
「ふう、危ない危ない」
客は去り、再び静寂が戻る。心地よい日差しの中、再び七彦は眠りにつこうと……
「おーい、君ー」
「ハイイラッシャッセー!!」
素早く身を起こし、客に対応する七彦。
ふと思ったが、また中国語で話しかけられた。今日はやたらと中国人に遭遇する日だ。
今度の客もまた中年の男性、長い髭を蓄え、先ほどの客よりさらに長身で眼鏡をかけている。
「心地よさそうなところごめんね、イタリア行の鉄道線は……」
「はい、ああいってこういったら着きますね」
「なるほどなるほど、ありがとう。お礼と言うのも変だけどケバブ二つ注文しようかな」
「あざーっす」
「いやー、仕事でこっちに来たんだけど連れに置いていかれちゃってね」
両手にケバブを持ち、フレンドリーに七彦に話しかける男性。
そういえばさっきの人って……と思う七彦だったが、眠気で頭が回らない。
「そういえば君、どっかで見たことあるなあ……」
「ハハ……気のせいじゃないっすか?」
「だよね、うちの国の施設を逃亡した人に似てるなあ、とか思ったけど他人のそら似か」
そう言い残し、男性は屋台を後にした。
冷や汗ダラダラの夏彦である。
――――――
数日前にそんなやり取りがあったとも知らず、シロとエミリーは無賃乗車でイタリアにやってきていた。
「しかし俺たち、結構ハイペースで移動してんな……」
「追手がいつ来るかわかりませんもの、仕方ないですわ」
どこから証拠が出るかわからない現状、一カ所に留まるのは得策ではない。
そう考えた二人が次に選んだのは、イタリアの荒原地帯だった。
ほとんど住宅の無い、申し訳程度の山と森、後は荒野というこの場所。
一つだけ周りの住宅と比べて大きな博物館のような建物があるが、それ以外は辺鄙な田舎だ。
隠れるところこそ少ないが、人口の少なさから地元住民からの情報で見つかる、という事は少なそうだ。潜伏するには悪くない場所だ。
「さて、今日泊まる所を探すか」
「わ、牛さんがいますの!」
放牧されている牛、確か施設にも牛がいたな、とシロは牛を追いかけようと走り出す。
……と、数歩走った途端に博物館のような建物の庭の植木を整えていた老婆に気づかず、体当たりをしてしまった。
「あいたたた……」
ひねったのか、足首を押さえる老婆。慌てて謝るシロとエミリー。
二人は謝るが、その老婆を確認して一瞬びくっと体を震わせる。
何故なら、その老婆の背丈はシロよりも二回りは大きかったからだ。
「ごめんなさい! お家にお運びします!」
「あらあら、ありがとう」
二人がかりで老婆を背負おうとしゃがみこむ。
老婆は朗らかな笑顔で二人に応対する。怒ってはいない様子。
だが、シロは直感でこの老婆に自分と同類の雰囲気を感じていた。
表面では穏やかだ、でも、何か底に暗く冷たいものがあるように思える深き海のような雰囲気。
そして、何の根拠もないが、きっとこの老婆は自分と同じく人を殺した事がある。
そんなシロの見定めを知ってか知らずか、老婆は穏やかな笑顔のまま二人に話しかけた。
「……そうそう、二人とも、時間があればお茶していかない? 一人で寂しかったのよ、お客さんになってくれないかしら」
観覧ありがとうございました。
次回、戦闘入るかもしれません