次々回くらいからバトったりしますよ! ……たぶん
ドイツの最南端に位置する農村地帯にぽつんと建っている研究所があった。
いや、正確には居住区と研究所が混合されている建物と言った方がいいのだろうか。
二人が各地を時には駆けずり回り、時には非合法の手段を駆使して集めた情報によれば、ここでかつてMO手術に関する研究が行われ、今では資料の保管庫兼研究員の貸家になっているという。
ならば、二人が望む『薬』をここで手に入れられる可能性が高いかもしれない。
研究そのものはすでに終了しているため資材や『薬』などが撤去されている可能性もあるが、それでも一番リスクが少なく侵入でき、かつ手に入れられる可能性が高いのがここだった。
現役で研究が行われているドイツの国家研究所に忍び込むのは泥棒稼業一日目の二人にとっては危険すぎるし、ヘタをすれば死にかねない。そんなこんなで、今現在二人は研究所の入口門をくぐったすぐ先に位置する庭園に来ていた。
「広いですわね、シロ君」
「そうだな。しかも錆びついているけど遊具が置いてある」
よくある噴水と植木の数々。これだけならよくある庭園なのだが、なぜか鉄棒や滑り台、その他諸々の公園にあるような遊具が多く設置されている。しばらく整備されていないようですっかり赤茶けてしまっているのが不気味な雰囲気を漂わせていた。
「まさか研究者の人が遊んでいたわけでもないでしょうし……不思議ですわ」
「たぶん職員の子どもが見学にでも来た時のためなんだろう」
まあ重要なのはそこではないため、適当な答えを出して先に進む二人。
庭園は部分的に生垣で迷路のように入り組んでおり、思わず迷いそうになったので、先に見えた何か塔のようなものを目印にそこに向かっていく。音を立てないようできるかぎり生垣には接触せずに、そろそろと慎重に。すでに大きな研究は行われていないとはいえ一般人に対しては存在自体が機密のMO手術なのだ、警備員がいるのはほぼ確実だと思っていいだろう。
「入口に到着、か」
その塔はちょうど生垣を抜けた先にあり、二人の間に一安心の笑みが漏れる。
少しの間を置き、エミリーが塔に何か文字が描かれているのを発見し近寄った。
「あら、実験慰霊碑って書いてありますわ」
「へぇ」
「やっぱ遺伝子関連ですし実験動物とか使うん……っ!?」
シロはあまり興味が無さそうで塔よりもその先の研究所を眺めていたが、エミリーが何かに気が付いた様子で突然言葉を切ったのを聞き、振り向く。
「どした?」
「シロ君……これ……」
暗くてよくわからないが、何やら青ざめた様子のエミリーの顔を見て、シロはその視線の先にあるものに目を向ける。そして、言葉を失った。
二人が見ている慰霊碑、その説明の下に、数十人の人間の名前が列挙されていた。
まさかここに所属していた研究者の名前が書いてあるわけではないだろう。
二人はすぐにこの名前の数々が記されている意味を察し、押し黙った。
二人とも目を瞑ったまま手を合わせ、何も言わずに立ち上がって研究所の入口へと向かう。
「……俺たちが幸せだったとは言わねえけどよ、やっぱ命あってのもんだよな」
シロがエミリーに聞こえないようぽつんと呟き、エミリーの手伝いで入口のドアのロック解除を始める。
このような手先を使う技術ではエミリーがシロを大きくリードしている事は、これまでの共同生活でよくわかっていた事だ。というよりも、二人のいた孤児院兼訓練施設では男は前線の兵士として、女はスパイとしての技術を主に仕込まれていたため、その影響といえよう。
ものの数分でドアは開き、研究所内部への道が開かれる。
シロは手早く研究所の中に入っていき、少し遅れているエミリーに声をかける。
エミリーは振り向き、慰霊碑を眺めていた。シロは気が付かなかったとあるもの。列挙されていた人名の一番下にあった人間の姓。なにやらもやもやするものがある。だが、それは後で考えるべきだ、と首を振り、ドアを再び閉めてシロを追いかけていくのであった。
―――――
入り組んだ迷路のような研究所の内部。唐突に現れた巨大な容器に入れられた動物の死骸を見てエミリーが悲鳴をあげそうになったり警備員のものと思われる足音に耳を澄ましながらこそこそ歩いたりと様々な事がありながらもなんとか研究所を巡り、いくつかの部屋に侵入してみた。
しかし、ほぼ成果はゼロ。それどころか、生活の跡すら無い部屋や実験室内でほこりを被った器具などばかりだ。
壁も古びており、いかにも何かが出そうな雰囲気だ。
二人の間に、嫌な予感が駆け巡る。
これひょっとしてもう完全に放棄されている建物なんじゃないだろうか。
そもそもここに住んでいる研究員なんていないんじゃないだろうか。
でも、ここまで来たからには最後まで。そんな感覚で二人は廃墟探検を続行する事にした。
入口のドアに仕掛けてあった電子ロックが生きている以上、この建物にはまだ電気が通っており、ならば電気を必要とする何かがあるはずだ。二人はそう考えて先へ先へと進んでいき、研究所の最奥部へとたどり着いた。
入口に特別な仕掛けは無い。ただの木製のドアだ。遠くに聞こえる微かな足音を警戒しつつ、二人はドアを開け素早く中に入った。
その部屋は、書斎と居住区、そして研究室が融合したような歪な構造になっていた。一応研究用の区画と書斎、居住区は強化ガラス製と思われる壁で区切られているが、何やらおかしな場所に迷い込んだ気分だ。
研究こそ我が生きがい、みたいな人が持ち主なのだろうか、と二人はなんとなしに考える。
明かりが部屋の外に漏れるようなガラスなどが無い事を確認した後、シロはライトを付ける。
ある程度は夜目が利く二人であるが、詳しく調べるならやはり明かりはあった方がいい。
「うーん、シンプルな部屋だ」
「無趣味な人なのかしら」
ライトで部屋の端々まで照らしてみてわかったのは、自宅のような区画にも特に趣味といえるような品は何もなかったという事だ。シンプルなデザインの家具の数々に、書斎に隙間なく並べられたタイトルからしてよくわからない難しげな本の数々。
どんな人物なのかわからない。だが、エミリーが書斎の一部にあった学術とは関係なさそうな本の数々を見つけ、引っ張り出してくる。五冊だけ周囲から浮いている本や資料と、その本に挟まれていた学術書と思われる一冊。
二人はテーブルの上にそれを並べ、一冊一冊確認する。
一冊目は警視庁報告書と短く書かれたクリアファイルに入っている資料だ。
日本語で書かれていて、どうやら国の重役が襲撃された事件の報告書らしい。
二冊目はサンゴ礁の写真集だった。数十年前、ヘタすれば百年以上前のまだ豊富にあったサンゴ礁の写真を集めた本のようだった。
三冊目は絵本だ。題名は『人喰らいエスメラルダ』。表紙絵はボロ布を纏った赤毛の女の子がナイフとフォークを手に食卓に座っていて、食卓の皿の上に盛られた料理は肉の塊の上に何かの生き物の手が乗っているというもの。何か寒気がしたため、二人は読まずに本棚に戻した。
四冊目は学術書のようだった。次世代の遺伝子工学の発展について書かれた本だ。
五冊目は、クローン生物を扱う倫理に関して書かれた本だった。特に人間のクローンに関する是非が子どもにもわかるような表現を使って議論形式で描かれていて、二人は少しの間興味深く読んでいた。
六冊目はヨーロッパ全土の裏社会を支配していた犯罪組織『カラマーロ』のプロファイルだった。扱われている情報を見るに機密資料のようなので普通に手に入るとは思えない。アジアやアメリカにまで魔手を伸ばしていたという情報を見て、改めてあの船の人たちはとんでもない人たちだったんだな、と思わされた二人である。
……絵本から機密資料まで整合性が無く、結局この部屋の住人はどんな人間かわからなかった。
少し無駄な時間を使ってしまったかな、と反省し、部屋の散策を続ける。
「ん、これは」
金庫を発見し、何とか開けようとしているエミリーを横目に、シロは棚で倒れていた写真立てを発見した。
そこに入っていた写真は、茶髪と金髪の混じった青年、眼鏡をかけたアジア系の青年、その二人の間で楽しそうに笑う銀髪の女の子というものだった。全員白衣である。
微笑ましい光景だ。だが、全員白衣というのに何か違和感があるし、それに……
「なあ、エミリー」
「どうしましたの?」
エミリーが振り向くのと、金庫が開いたのはほぼ同時だった。
「これってさ、院長じゃね?」
そういってシロが指をさしたのは、真ん中の女の子。
「院長先生って本業は科学者みたいですし、そうかもしれませんわね」
エミリーも納得した様子で頷く。左右どちらの青年がこの部屋の主かはわからなかったが、二人の孤児院の院長、アナスタシアと面識がある様子だ。偶然が重なった事に、ひそかな驚きを見せる二人。
「金庫の中身は……ん、写真と資料ですわね」
壁に埋め込むタイプの金庫だが、あっさりと開きすぎた。中身を盗まれないよう守る、というよりも外に出さないようにする、という意思をエミリーは感じていた。
写真の一枚目は、家族と思われる三人の写真だ。溌剌とした様子の金髪の美しい女性と先ほどの写真の西洋人らしい青年が眼鏡をかけたと思われる男性と、その男性が少し困った表情で抱いているまだ3.4歳ほどの小さな女の子。
裏側には日付と共にゼップルと、という文字がドイツ語で書かれている。字面からしてこの男性の愛称か何かだろうか。
もう一枚はどうやらこの研究所で撮られたもののようで、眼鏡に白衣の男性が多くの子ども達と共に笑顔で写っていた。
子ども達は黒人も白人も黄色人種もごちゃごちゃで統一感が無い様子。
「あら、これも院長先生かしら」
エミリーが見ていたのは、青年の白衣の袖をぎゅっと握って俯いている女の子。
他の子ども達よりも青年にくっついている所を見ると、懐いていたのだろうか。
「いや、よく似てるけど他人のそら似、ってやつじゃないか? 流石にこんなにちっちゃくは無いだろう」
「……言われてみればそうですわ。でも……」
「?」
シロの不思議そうな目になんでもない、と慌てて手を振るエミリー。
二人の興味は次の資料に映った。ほとんどが難しい用語や化学式で読める部分は少ない。だが、一部分に二人の見慣れた単語があり、それが目をひいた。
―――――
―MO手術の重ね掛けについて―
人間とツノゼミ、そしてさらにもう一種の遺伝子を一つの体に共存させるという一昔前なら絵空事として切り捨てられていた事案、それを可能とする免疫寛容臓の力には驚嘆を隠せない。
しかし、一つの疑問がある。三種の遺伝子に対応できる。……ならば、もう一種加える事は可能だろうか?
遺伝によって能力が子に受け継がれ、その子にMO手術を施す事によって複数の能力を適応させる事が可能である、という事はすでに判明しており、日本で一例、米国で一例が報告されている。中国にも一例があるという噂もあるが、正確な情報はこちらに来ていない。すなわち、理論的にはもう一種の生物に適応できるだけの容量が免疫寛容臓にはあるという事だ。しかし、実際には日本と米国の二例は再現性が無く、恐らく何らかの偶然と考えられる。日本の例は人工的に作り出された存在、との噂もあるが、確定情報ではない。
ならば、私が行うべきアプローチは、普通の人間に二種以上の手術を可能にする事である。
どのような条件なら可能になるのか。可能にできるのか。
幾度もの実験が行われ、出た答えと得られた技術は、半分は想像通りだった。
組み込んだ一種目の生物と遺伝的に近い種類の生物なら、十分に成功は望める事が判明した。
また、想定外だったもう一つの条件として、一種目と生態的に関わりの深い生物での成功が望める、という事も判明した。
具体例を挙げると、蟹の一種とその蟹と共生関係にあるイソギンチャクの一種の掛け合わせが成功したのだ。
また、αMO手術においては二種目で通常のMO手術を施した場合に成功する可能性は非常に高く―――――
―――――
「……複数能力ってカッコよくね?」
「私にはよくわからない世界ですわ」
雑談をしながらも写真と共に資料を丁寧に金庫に戻し、実験室の扉を開ける。
二人には理解できない実験器具が並んでいるが、二人はそれを無視して棚を開けた。
そこにあったのは、無数の注射器状の装置とそこに入っている液体。
運がよかったのか、拍子抜けするほどあっさりと、薬は見つかった。
「えーと……こんなにすぐに見つかっていいものなのか……」
「ま、まあいいんじゃないですの」
「……これって使えるのかなあ」
「うーん」
「じゃ、俺が試してみる」
「へっ!?」
思い切りの良さにエミリーが止める間も無くシロは首筋に注射器を刺す。
みるみる間にシロの姿は変わっていき、船で見せた姿に。
「うん、使えるな」
満足げに頷き、シロは注射器の一本をエミリーに差し出す。
「じゃあ、エミリーも試しに一回」
「……え、ええ」
少しためらう様子を見せながらも、エミリーは注射器を受け取り、自分の首に近づける。
「ん?」
シロが不思議そうな顔をしているのを見ながら、注射器を首へ、首へ。
手が震え、定まらない。必死に左手で震える右腕を押さえるが、あまり効果は無い様子だ。
シロが何かを言っている。けれども、頭の中に様々な色がバラまかれてその内容は耳に入ってこない。
「ゲホッ……うえぇ……」
異変を感じ取ったシロがエミリーの体を支えようとするのとエミリーが吐いてその体が崩れ落ちるのは、ほぼ同時だった。
そして、壁にもたれかかってへたりこみ、辛そうに、申し訳なさそうに涙を浮かべた目でエミリーは、シロにこれまで隠していた自分の秘密を明かしたのだった。
「ごめんなさいシロ君……私は……『薬』が……変態をするのが……怖いんですの……」
観覧ありがとうございました。
次回、エミリーちょっと過去編とイタリアへ旅立ったりします
~おまけ~
七彦「近況報告:色々あってケバブ屋でバイトする事になりました」
ヨーゼフ「久しぶりに自宅に帰ったと思ったら本棚荒らされてるし思い出の写真見られてるし実験室にはゲロ吐かれてるし何なのだ一体」