一応話に一区切りついた展開、一日目が終了です。
『棘皮動物』
ヒトデ、ウニ、ナマコ、ウミユリなどの仲間を指す。
彼らは動物界全体から見ても特異な構造を持ち、多くが明確な進行方向を決める前後の体軸を持たず、頭すら存在しない。そして、それに付随する感覚器や中枢神経も。
その中でも最も凶暴な捕食者の仲間である『ヒトデ綱』。
彼らは小型の底生生物にとって緩慢な怪物である。
その進行方向に存在する生物は体の裏側にある口で食らいつくされ、骨片と言われる多数の部分に分かれた内骨格は強固な構造を保ちつつ柔軟な動きを可能にし、骨片で形成された頑丈な皮膚と原始的で単純な体構造が可能とする著しく高い再生能力は反撃で致命傷を与える事を許さない。
人間にはその見た目から装飾品や生きたおもちゃとして扱われる事が多い彼らは、海の小動物達にとって災禍以外の何物でもない。
「う……おぉ……」
剛大は欣の拘束を解こうと己の頭を掴んでいる欣の腕を攻撃する。だが、思うように力を加えられない上に変態した事で得ている強固な防御力によってあまりダメージを与える事はできないでいる。脚技も、欣の腕と位置で巧みに封じられている状態だ。
一方の欣は、剛大の頭を掴んで締め上げる事でトドメを刺そうとしていた。
剛大の抵抗によって傷つけられた腕はほぼ一瞬で修復され、先ほど腕ごと引き裂かれた肩もほぼ元通りになり、新たな棘が生えてきている。
「君の頭が砕けるまで少し時間があるようだ。君にも理解できているだろうが、解説してあげよう」
欣の声色は冷静だった。油断する事も無く、だが自分が敗北するというイメージも無い。軍人としての彼の状況判断だ。
「私のベースは『オニヒトデ』。我々の住むアジアでは、美しいサンゴを食い荒らす害獣だな。……尤も、今の地球にサンゴなんてろくに残っていないがな」
力を緩めるでも強めるでもなく、欣は続ける。力を強めれば火事場の馬鹿力でさらなる抵抗をされてこの優位を覆されるかもしれないし、緩めればその隙に抜けだされる可能性が高い。ならば、現状維持が一番だ。
「先ほどの攻防でわかった通り、非常に高い再生能力と毒棘によるアクティブな防御と骨片の集合体によるパッシブな防御を併せ持った強力なベースだ。近接戦闘を主体とする君には最悪な相手と言えるだろうな」
武と健吾、日本班の二人が援軍に駆け付けようとするが、それをプラチャオが牽制し、近づけさせない。
このままでは、剛大が死ぬのはほぼ確定といえる。
「そこでだ、君の死はもうすでに確定している。だが、それを回避する手段がある、と言ったら君はどうするかな?」
苦悶の表情を浮かべている剛大の目に疑問の光が宿る。この状況で自分を生かす? どういう事だ? と。
「無論、タダとは言えないな。こちらが出すカードは君と部下たちの命、君が出すカードは今君たちが持っている本部の情報、設備は我々で把握しているのでね、そこにいる人員など……といった形でどうだろうか」
今現在、ここでは大きく分けて3つの戦いが行われていた。欣と剛大、班長同士の一騎打ち。プラチャオと日本班のランカー二人の戦闘。俊輝と静香に対する、気配を消すガスマスクの人間と欣を運んできた鳥類ベースの中国班員、裏切り者勢数人の部隊。
剛大が危険状態、後の二つは互角。俊輝達は若干押し気味ともいえる。
しかしこの状況、日本班は上位戦闘員のほとんどを投入している戦いだ。しかし、中国班には少なくともここにいる4人を除いてまだ12人の班員が控えている。
それが未知数であり、さらに裏切り者勢のまだ見ぬ強者もいるだろう。
総合的な戦況からすれば、非常に危険な状況と言わざるを得ない。
「断る」
剛大は一瞬思考し、答えを出した。自分が仲間たちの情報を吐けば、その情報を元に本部は襲撃を受け、大きな損害を受けるだろう。
自分の命だけなら判断する間も無くその答えが出せた。だが。
「……すまない、お前ら」
仲間たちの命を捨てる、その事実が判断を鈍らせた。
「そうか、残念だ。ではもうそろそろさようならだな。君には生きていて欲しかったのだが」
剛大の頭から響くミシミシという音。ここまでか、と覚悟を決める剛大。
だが、ふいに頭をがっしりと掴んでいた欣の腕が放される。
「むおおぉッ!?」
それとほぼ同時に、驚きの声と共に目の前の欣の姿が消えた。
何が起こったのかわからず、困惑する剛大。
足元を見ると、そこには大きな穴が開いていた。
そして、もう一カ所、剛大の近くに穴が開く。
「柔らか地面で助かった……あー、疲れた! じゃなくて! 班長、武、健吾、俊輝、静香、とっとと入れ!」
穴からひょこっと顔を出し、矢継ぎ早に告げたのは、剛大、俊輝と一緒に拓也の捜索を手伝い、静香たち援軍を呼びに戻っていた非戦闘員、翔だった。変態による影響であるピンク色になった肌と出っ歯がコミカルだが、本人は至って真面目だし、今この場にいる日本班の皆にとっては救世主以外の何物でもなかった。
泥だらけのその姿からは、ずいぶんな量の土を掘り進んで来た事を思わせる。
「し、将軍!」
プラチャオが慌てて落とし穴に落ちた欣を救出しようとするが、欣の重量と深い穴によって簡単にはいかない。
ここぞとばかりにその脇を抜け、穴へと駆ける武と健吾。
「何をしている! 私の事はいい、早く奴らを追え!」
欣の怒号でプラチャオははっと顔を上げ、穴に入る二人に向かってダッシュする。ヒクイドリの脚力なら追いつく事は容易だ。
「させるとでも思ったか」
しかし、プラチャオの追撃を全力ダッシュで阻む男が一人。
カミキリの大顎が、後ろに飛び退いたプラチャオの眼前を通過する。
毒の散布を終え、欣を輸送してきた鳥類ベースの中国班班員と空中戦を繰り広げていた静香も、一直線に穴へと突っ込む。
「逃がさないよ!」
そんな静香の頭上から、勝気な高い声と共に翼を広げた女性が猛追してくる。こちらも、運動能力としては普通の小鳥であるズグロモリモズと比べて明らかに優位だ。
「早まったね、中国の人!」
だが、身を翻し女性の方に向き直り、脱出穴を小柄ながらも翼で覆い隠すような体勢となった静香が、両翼に付いている小型の扇風機のような器具を向ける。
直後、オレンジと黒の粉塵が舞い散り、周囲の空間を猛毒の結界が包み込んだ。
たまらず後退する女性だったが、その顔には笑みが浮かんでいた。
はっと何かに気づいた静香。自分に向けて、大振りのナイフが飛んでくる。
翼を広げたままでは、穴に避難もできない。思わず目を瞑る。
だが、そのナイフが喉を貫く前に俊輝が静香を抱きかかえ、穴に半ば落ちる勢いでダイブした。翼が思いっきり穴に当たり見るからに痛そうだな、と俊輝は一瞬申し訳なく思ったが、今はそんな事を考えている場合ではない。
出来る限りの力で入口付近の土を砕き穴を埋め、緩やかな下り坂となっている脱出経路を猛ダッシュ。
時々通路周囲の土を大顎で薙ぎ払い穴を塞ぐのを忘れない。毒が空中に拡散しているので穴の入口にはしばらくは近づけないだろうが、一応の措置である。
前を走っていた四人と合流し、相当離れた地上に出た時には、全員が疲弊しきった顔をしていた。
「あ、えと、どこ触ってんのよ、じゃなくてそのえっと、ありがと……」
目を白黒させて顔を真っ赤にした静香とその言葉を照れくさそうに受ける俊輝、はやし立てる健吾に溜息をついて栄養補給をする三人。
脱出口の向きは本部側に向いていて、穴を掘った翔いわく、『掘り進みすぎて戦場を通りすぎてしまった。せっかくだから本部への安全な通路に使おうと思った。反省はしていないしむしろ感謝してもらいたいと思っている』
という言い訳がましい謝罪会見のような口調で冗談めいて話していたが、皆は本当にそれに感謝し、翔を胴上げでもしたい気分であった。
だが、いつ中国班や裏切り者の追撃が来るかわからない。道を急ぐべきだ、という剛大の意見に全員が賛成し、疲れた足取りで再び歩を進めるのであった。そして、彼らが見る空には、夜の闇を追い出し、再び太陽が昇りつつあった。
――――――
「え、本部と合流? 火星の基地を制圧? あー、博士に一歩リードされちゃったかぁ」
赤毛の青年が、宇宙艦から怖々と顔を出した通信員の少女の報告を聞いて少し考え込んだ後、顔を押さえた。
ライバルである他班に先を越された悔しさと、戦況の好転。良くもあり、少し悪くもある展開だ。
「ん? どうしたの? もう終わったから出てきていいよ」
「それはわかっているんですけど……班長、これは」
「ああ、気にしないで、宇宙艦の中にいれば君たちは大丈夫だったから。避難した戦闘員の皆も無事だったろ?」
班員を全員集めてくれ、という指示で、通信員の少女は怯えた顔で弾かれたように宇宙艦の中に戻って行った。
「やっぱ怖がるよねえ、これは」
戦闘が終了し、静寂に包まれた夜明けを迎えた米国第一班。
クレーター底に存在する自分の宇宙艦を一瞥し、ひとつ嘆息する。
そして、そのクレーターの爆心地に佇む青年は、静かに笑みを浮かべた。
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