剛大と向かい合うプラチャオ。右腕の骨は先ほどの攻防でその機能を失い、力なく垂れ下がっている。
だが、彼の目から闘志は全く消えていない。
一瞬の、瞬き一つで生死が分かれるのではと思う程の緊張の中、プラチャオは考える。
自分が任された任務は他班の偵察、いざという時はそれらと交戦する事。
もし自分が敗れ、力尽きたとしても、相棒である隠密活動担当の娘が情報を持ち帰ってくれる。
自分はスラム出身の貧乏人だ。だから、国の陰謀とか、高度な機械とかそんな事はわからない。
そんな自分が持っているのは、神が憐れんでくれたからなのか与えられたこの格闘技の才能と、班長からもよく言われる不器用な性格、それだけ。
なぜレーダー機器などで探知せず、わざわざ人間を斥候に出すのか。そもそも自分達のやっている事は正しいのか。
……そんな事はどうでもいいのだ。自分はただ、自分を救ってくれた
目の前の相手は、我々の任務の最大の障害の一人、裏アネックス計画の幹部搭乗員が一角、日本班班長、島原剛大。
自分の出発とすれ違いざまに帰ってきた班長は、彼の事を少し頭が固いが強い信念を持っていて任務に忠実で、そして何よりも強い人間だと評価していた。その時の班長の少し悲しげな顔の理由を自分は理解できなかったが。彼は強い。その一言が、自分の中の闘志に火をつけた。
今の自分は、久しぶりに熱くなれそうだ。
「フッ!」
掛け声と共に一瞬でプラチャオの目の前に移動しトビキバアリの牙で腹を狙う一撃を放つ剛大。
この時初めて、プラチャオはトビキバアリが瞬発力に関しても優れた能力を持つベースである事を理解する。
できる限り体力の消耗を防ぐため紙一重で回避するが、少し掠っただけでその攻撃は容赦無く皮膚を切り裂く。そして、その隙を潜ってプラチャオがストレートを剛大の顔に向かって繰り出す。
それは読めていた、とばかりに腕でガードする剛大。
筋肉の塊であるその腕は、先ほどプラチャオを退けた時と同じように、ダメージを軽減する。
だが。
「ッ!」
剛大は違和感に気づいた。軽すぎる。力が全く入っていない。その理由にはっと気が付き、回避行動を取ろうとした。
「……?」
突然、視界がぼやける。敵の攻撃ではない。一体どうした事か。瞬間の事であるが、それのせいで対応が遅れた。
剛大の脚から鈍い音が響く。見るまでもない。脚には、ベースの影響でナイフの様に鋭くなったプラチャオの足が突き刺さっていた。そして、剛大が受け止めたプラチャオの腕は、右腕。折れていてまともに戦闘では使いようが無い部分だ。そう、それに攻撃力を要求するならば。
だが、それを考えなければいくらでも使い道はある。例えば、フェイント。
「確かに貴方は強い、欣将軍とタメを張れる程に。けれど」
「僕だって、単純なガチンコなら
脚にダメージを受け、姿勢が崩れた剛大の顔に、プラチャオは本命の左腕で拳打を繰り出す。
それをまともに受け、吹き飛ばされる剛大。
立ち技において世界最強を誇る格闘技、ムエタイ。その語源は、タイで使用される言語の一つ、クメール語で『1』。1対1の格闘を意味する言葉である。多様かつ高度な足技を中心に激しいパンチ、フェイントを特徴とし、するかつてタイで興った王国では軍隊で実戦格闘術として使われていた伝統的なものだ。
そして、彼はその優れた格闘技の才能を最大限に発揮できるベースを授かった。
彼の生物もまた、彼に類似している凶悪な力を持っている。
その脚力、時速50kmを叩き出し、怒り狂う彼から逃れる事など叶わない。
足に備えられた丈夫な刃物のような鉤爪、その標的となった獲物に生存を許さず。
空への憧れなどとうに捨てた。
彼もまた、一つの世界最強を有している。
それは、『世界で最も危険な鳥類』。
プラチャオ・ムアンスリン
MO手術"鳥類型"『ヒクイドリ』
剛大は受け身を取り、起き上がる。脚にダメージを受けたが折れてはいない。だが、戦闘に支障が出るほどに動きが鈍るのが自分でもわかり、舌打ちする。
「さあ、急いで僕を倒さないと、大変な事になるかもしれませんよ?」
―――――
「ちっ、あいつ、どこ行きやがった」
徐々に戦線が引き離されていく。懐から攻撃してくる相手。敵の攻撃、その全てが奇襲だ。
非戦闘員の二人には危険すぎるので少し距離を置いて逃げるよう言った。
だが、自分は
敵はカメレオンか? それとも、変色できるイカか何かだろうか。いや、そもそも理屈から違う。
目視できないわけではない。気配が全く感じ取れないのだ。
先ほどから、相手の攻撃の直前になるまで全くその存在がわからない。
目の前に相手が現れる。相手の動きによって起こった風が体に触れる。そこで初めて、相手の場所を把握して反撃できるという状態だ。
「どうなってやがるんだ、こりゃあ……」
周囲を見渡す。どこにいるのだろうか。いざ相手が攻撃してきて、それに対応するという時になれば、相手は明確に目に見える姿をしている。だから、相手は見えなくなるベースではない。
見えないだけなら、気配や殺気を感じ取る事ができるし、そもそも攻撃の寸前にのみ透明化を解くというのはおかしな話だろう。
「360°どこにもいません、もちろん前方にも……っておわっ!」
ぐるりと周囲を見渡して、正面に向き直った俊輝の心臓目掛けて機敏な動きで大振りのナイフを構えた男が襲い掛かってくる。
俊輝は内心大慌てだったが、必死に冷静を装って対策を考えていた。
ガスマスクのような顔全体にかかるものをはめているので顔は見えないけど、たぶん男。いや、今そんな事はどうでもいい!
まただ。きっと奴は、ずっと前方にいたに違いない。自分が気が付かなかっただけで。でも、なぜ?
疑問に思うが、今は対応するのが先だ。変態した事で腕から生えているオオキバウスバカミキリの刃でナイフを撫ぜるように接触させ、軌道を逸らさせる。よし、これで反撃を……
「ちっ」
だが、その俊輝の願いは残念ながら叶わなかった。
舌打ちし、身を
「……くそ、今度はどっちに逃げたんだ?」
さっきからずっとこの調子である。相手は全く深追いをしてこない。徹底した一撃離脱、その上致命傷を与えるような大振りの攻撃も全く行ってこない。浅い一撃を繰り返し、あくまでじわじわと俊輝を追い詰めにきている。
すでに十数回に及ぶ攻防の結果、俊輝の体にはいくつもの切り傷が付き、不運にも甲皮が無い部分に当たった3カ所からは血が流れ出していた。
「げっ、班長押されてねえかこれ!? そろそろコイツに構っている暇も無くなってきたな」
背後を振り向き剛大の戦闘を見て俊輝は焦っていた。
何か、この状況を打開する策はないのか。
時間稼ぎをする。無理だ、このまま時間を稼いで有利になるのは向こうだ。
ここから猛ダッシュ、敵を無視して班長の元に急ぐ。いや、そうなったら相手は致命傷になる一撃を放ってくるかもしれない。
静かな戦場で、じりじりと時間だけが過ぎ去っていく。そして時たまその静寂を破るナイフとオオキバウスバカミキリの攻防。
もう片方では、高い脚力を持つ2つのベースの激突。
だが、二つとも徐々に押されつつある。
日本班分隊の連合軍への合流は、ここに来て現実味を失いかけつつあった。
観覧ありがとうございました。
次回、たぶんバトル&会話パートです