深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第98話 権力の価値

――数日前 U-NASA本部

 

 日が回り、数時間が経とうという時刻だった。

 周囲に立ち並ぶ研究施設や宿舎の殆どからは既に灯りが消え、セドリックが独り立っている訓練用の広場は一面の暗闇に包まれている。

 

 タバコの煙をくゆらせながら、彼は遥か彼方の空へと視線を上げる。

 よく晴れた、雲一つない冬の夜。

 天高くに見える緑の星は、今日も美しく、だが同時にどこか妖しく輝いていた。

 

「……」

 

 業務を終えた後、こうして邪魔する人間のいない場所で独り静かに空を眺めながら一服し、宿舎へと戻る。

 それがセドリックの日課だ。

 

「おや、おや! ここにいらっしゃいましたか!」

 

 だが、彼の一日の終わりはこの日だけ、少し違った。

 真夜中の広場に、声量こそ大きくはないがよく通る声が響く。

 

 

 突然の闖入者に体の方向も表情も変えず、セドリックは声の主へと目を向けた。

 視界に映りそのままセドリックの正面へと歩み寄ってきたのは、見知らぬ男であった。

 

 年齢は三十半ば程だろうか。

 眼鏡にスーツ姿の、U-NASAの職員としては珍しくない恰好をしている。

 少し地味ながらも整った顔立ちに浮かんだ穏やかな表情は、しかしセドリックには胡散臭く感じられた。

 

「初めまして。この度、U-NASAの運営顧問を拝命いたしましたランベールと申します」

 

 運営顧問。その言葉を聞いて、セドリックは己の記憶の中から男、ランベールの名前と顔を思い起こす。

 同僚、同じくU-NASA上層部の人間から先日渡された資料に顔写真と名前があった……と。

 それを皮切りに、資料の内容が次々とセドリックの脳裏に浮かび上がっていく。

 

 第六支局からの出向。

 運営顧問、というのは表向きのポジションであり、実際のところは『例の一族』に関連した事情に明るい人間らしく、U-NASAの機密性が高い分野の職務を任せられる予定である、と。

 

「セドリック・カルヴァートさん。お噂はかねがね伺っております。20年以上に渡り、U-NASAへ向けられた刃を影から守り続けてきた功労者であると」

 

 一族に関係した事情。

 それは情報戦だけでなく時に直接的な命のやり取りも含むであろうことから、U-NASAを防衛する軍事力の要、MO手術被験者たちを束ねる立場であるセドリックとも関わり深い立場であるだろうとも聞いていた。

 

「……これはどうも、ご丁寧に。しかし今日はこんな夜更け故、詳しい話はまた後日詰めさせていただこうか」

 

 これから協力して職務に当たるであろう相手。

 しかし友好的でにこやかな挨拶にセドリックが返したのは、鉄面皮と感情に乏しい声だった。

 セドリックは海千山千、数多くの政争を生き抜き椅子を守り続けてきた老獪な政治屋だ。

 その本能と実戦で培った感覚で察していたのだ。

 この男は、信用ならない存在であると。

 

 さらに個人的な事情を混ぜるとすれば、セドリックにとって今はプライベートの時間だ。

 そこに土足で踏み入られるのを彼は好まなかった。

 

「おやおや、嫌われてしまいましたか。ご挨拶として、貴方が好みそうなお話を持ってきたのですが」

「……」

 

 だが、次いでの言葉にこの場を立ち去ろうとしたセドリックの足が止まる。

 

「単刀直入に言いますが……我々(・・)と、手を組みませんか?」

 

 それを『話だけは聞いてやる』という意思表示と受け取ったのだろう。

 ランベールは、短く端的に用件を告げた。

 セドリックという男の日課についてわざわざ調査し、この時間であれば他の誰にも知られないであろう、という確信の元で接触したその真の目的を。

 

 

「失礼ながら、貴方のことを調べさせていただきました」

 

 先の我々、という単語。

 ただそれだけで、詳細へと入るまでもなくセドリックは理解した。

 この男が自分に提案したのは、U-NASAへの裏切りであると。

 己は、男が属する何かへの勧誘を受けているのだと。

 

「いや、完璧な経歴です。名門大学を成績上位で卒業、そのままここU-NASAに就き、宇宙飛行士候補生から転向し経営部門に所属、それからはU-NASAの警備・防衛を管轄する役職としてとんとん拍子で出世して最高会議の一員に。皆が羨み妬むでしょう!」

 

 その我々、とやらの説明か。

 次に語られる内容を予測していたセドリックは想定と違った言葉に目を細めた。

 まるで履歴書を読み上げるような経歴の羅列に、これまでいつもの不満げな表情が微かに歪む。

 

「……ですが、違う。完璧などではない。何も満ち足りていない。何よりもそう言いたいのは、貴方自身であるはずです」

 

「学生の頃には頂に立てる程ではなく、一度目指した宇宙飛行士の道も外れ……」

「それからは政争の日々。政敵を排除し、己の職務として外敵を始末し。組織を敵対者から守る聖なる職務であるというのに、血に汚れた男だと後ろ指を差され、栄光ある最高会議の一員と言えど末席に近い位置に置かれている」

 

「……我慢ならないでしょう? 己はもっと評価されるべきだ。そう考えているのでしょう? これまで、あらゆる手を尽くしてのし上がり続けてきた貴方は、この程度の立場では満足していないはずです」

「……」

 

 ランベールは一歩、二歩とセドリックへと歩み寄る。

 先ほどまでであれば間違いなく手ひどい拒絶を受けていたはずの接近に、当のセドリックは動きを見せなかった。

 

「実を申しますと、私も同じなのです。より高く、より高く。己の地位を、存在価値をさらに上へと押し上げたい。その欲求を持ち、その熱をがどれ程のものか深く理解している」

 

 笑みを深くし、ランベールは手を差し出す。

 

「だからこそこうして、同類の貴方に声をかけたというわけです」

「成程な。他の連中にも同じようなこと言ってんのか?」

 

 握手を拒否しながらも、もはやセドリックから目の前の男との話を打ち切り帰る、という選択肢は消えていた。

 

 少なくとも言葉を用いた戦いにおいて決して愚かな相手ではない。

 セドリックはランベールの事をそう評価する。

 もし仮に自分がこの会話を録音しており、ランベールを『この男は外部勢力のU-NASA侵攻の先鋒である』と音声証拠と共に議会で追及しようとしても、逃れられる余地を残すようにしか語られていない。

 

『我々と手を組みませんか』。

 その言葉は言外の意味でこそ裏切りを読み取れたとしても、『なんと、まさか録音されていたとは! 内部派閥(・・・・)への勧誘を知られてしまうとは、これは手痛い!』などと簡単に言い逃れができてしまうような言葉でしかないのだ。

 

「いいえ。皆さんには先にご挨拶(・・・)だけ済ませましたが……こうしてお誘いするのは、貴方だけです」

 

 そしてランベールが会話の中で用いたのは、いざという時の言い逃れの技巧だけではなかった。

 

 一度欠点めいた部分を指摘した後で、自分も同じ弱みを持っている、自分と相手は似た者同士である、と示し友好的感情を誘発する。

 あなただけを評価しているから特別扱いです、という賞賛、承認欲求を充足させる。

 それらを決してオーバーに騒ぎ立てるわけではなく、あくまで自然な会話の流れに滑り込ませ、半ば無意識下の内に相手の敵対的意思を挫きこちらへの好意を沸き立たせる。 

 

 実際のところ、そのようなランベールの話術がセドリックにどこまで通用したのかは彼にはわからない。

 セドリックの常に不機嫌そうな表情は、この会話を通して多少の揺らぎこそあれど殆ど変わらなかったからだ。

 だが、それに関してランベールが深く思考する必要などもうなかった。

 

「……いいだろう。もっと詳しく聞かせるがいい」

 

 その結果は、彼の望み通りのものだったのだから。

 

 

――U-NASA本部 中央会議室

 

 そして、時は現在へと戻る。

 普段であれば暖かな陽が差しこんでいる特殊強化ガラスの天井は、準戦時体制という事で上空からの強襲を避けるため、分厚いシャッターに閉ざされている。

 

 そうした後に電灯の灯りに照らされた会議室では、順調な会議の進行によりいくつもの方針が決定していた。

 

「それでは……『U-NASAのアメリカ合衆国からの独立宣言および宣戦布告』は全会一致の決定という事でよろしいでしょうか!」

 

「異議ナシ」

「素晴ラシイ!」

「問題アリマセン」

 

 かくんかくんと壊れた人形のような動きで首を縦に振る参加者、U-NASAの最高幹部たちを見回し、ランベールは喜色と共に頷く。

 

「さて、次の議題は……『ローマ連邦への全面的な医療・MO技術の供与』についてですが――」

 

 

『第七特務および特殊敵対勢力対策局の解体、および機密保持の観点から所属MO手術被験者の速やかな廃棄処分』

『滞在中の元裏アネックス日本第二班の内通疑惑の追及』

『国防総省へのU-NASA派遣部隊の撤退要求』

『敵対国家首脳への暗殺部隊の派遣』

『U-NASAのアメリカ合衆国からの独立宣言および宣戦布告』

 

 

 わずか数十分の内に議決されたいくつもの内容は、論理的に破綻していると言っていいものばかりだった。

 防衛戦力をひたすらに引き剥がし、一国家組織とは思えぬ独断先行をし、その上でアメリカという国家そのものに対して背を向ける……どころか、堂々と敵対的姿勢を取る。

 

「ローマ連邦は我々U-NASAの支局が存在する国であり、我々の重要な友邦です! それ故に、技術協力を行うのは当然ですね!」

「まあ、少し性急な話なので……現場のミスによりローマ連邦でなく他の国(・・・)に情報が送られてしまう、などという事故が起こるリスクはありますが……まあ構いませんね?」

 

「ソレクライハ問題無イデショウ」

「構イマセン、構イマセン!」

「サア、コレカラ忙シクナリマスナ」

 

 そしてまた、否はひとつもなく全会一致により会議は踊る。

 

「いやはや……いやはや! このように迅速に話が進むのは、偏に皆様の優れた能力のおかげですね!」

 

 外部から俯瞰して見ている者がいたとすれば一瞬でわかる事実であるが、今のこの会議室の状況は平常ではない。

 正気を失ったかのような運営方針が次々と出され、それがひとつの異議もなく次々と承認、可決されていく。

 

 いつの間にか元々座っていた人間をどかし議長席へと座っていたランベール──『紫色の枢機卿』ランベール・ノウア・アポリエールはぱちぱちとしきりに拍手をする。

 

 まるでU-NASAという組織そのものがひとりでに死を選ぶかのような選択を繰り返しているその異常の正体は、彼の右腕にあった。

 

 中身が薄らと透け内部の肉が伺え、さらにはうねうねとひとりでに蠢いている。

 いつの間にか変質していたそれを、一目で見てわかる異形を指摘できる平常な精神の持ち主は、もはやこの場には残されていない。

 

 αMO手術“寄生生物型”『ユーハプロキス・カリフォルニエンシス』。

 和名も無く聞き慣れないその生物は、吸虫と呼ばれる寄生生物の一グループに属する種である。

 

 寄生虫の中には、特定の生物を幾度も乗り継ぐことで初めて子孫を残せる、複雑極まりない生活環を有する種が数多く存在している。

 卵が特定の生物に食べられ、さらにその生物が特定の生物に食べられ。

 その困難な条件をクリアする確率を上げるため、いくつかの寄生生物は特異な能力を発展させた。

 

 

 それが、『宿主の行動のコントロール』。

 ランベールがその力を宿す彼らに寄生された魚類は、まるで狂ったかのように水面で激しく動き回り、時に水上へと飛び跳ねる。

 その奇行の理由は決して、体内を侵される苦しみに暴れているわけではない。

 

 脳へと入り込んだ彼らが神経伝達物質量を巧みに操作し、彼らの最終的な宿主となる水鳥に捕食させるため精神と行動を狂わせているのだ。

 具体的な一例を挙げれば、セロトニンの減少によるドーパミンの過剰分泌。

 

 人間がそれを受けることで引き起こされるのは、幻覚、妄想、興奮状態、依存症といった諸症状が挙げられている。

 

 αMO手術による手術ベースの特性のさらなる強化と、類似の能力を有する手術ベースの研究が進んでいる中国との技術提携による特性の最適化、そしてアポリエールという家系が連綿と築き上げた精神誘導の技術。

 これら全てが組み合わさる事によって、自然界を強かに生きる命の力は、最悪の洗脳技術へと結実する。

 

「さて、それでは皆様、少々お待ちを」

 

 理不尽な決定の数々を実行へと移すべく、ランベールは詳細な命令を下すべく準備を始める。

 既に脳を侵され正常な思考能力を失ったU-NASAの高官たちは、邪教の司祭の……その背後に蠢く者の意志を遂行するための駒となる。

 

「ああ、オリヴィエ様もさぞお喜びになることでしょう」

 

 ……決して、議会で決定した全てが上手くいくと思う程ランベールは愚かではない。

 米国そのものに喧嘩を売って勝てるなどと考えていなければ、アネックスの精鋭に勝るとも劣らない腕利きたちを始末できるとも考えていない。

 

 彼に求められたのは、U-NASAの機能不全と信用の失墜、アメリカという国の本格参戦の抑止である。

 

 直接的な軍事力ほどさほどではないが、U-NASAという組織はMOを用いた技術や医療の先進技術を数多に抱えている。

 そんな彼らが国家に反旗を翻すような集団だと認識されてしまえば、国家単位での研究は大きく遅滞する事になるだろう。

 仮にこの一件を解決でき敵対勢力による洗脳の結果だったという事実が判明したところで、では組織内の間者は完全に始末できているのか、という疑念も生じる。

 

 また、アメリカが主導し国連が関わるU-NASAという組織を容易く侵すだけの力があると理解すれば、アメリカは槍の一族との戦いで迂闊に戦力を派遣することが難しくなる。

 

 直接的な殺傷ではなく、呪毒で臓腑を侵すが如き悪意。

 

 

――ランベール君。教皇様はああ言ってるけど、私は君のような野心ある人間にこそ期待しているんだ。

 

 ランベールへとそれを命じた主からかつて賜った言葉を、彼は生涯忘れることはないだろう。

 あの日あの時から、ランベールの忠誠と信仰は教団から別の場所にある。

 

 主よ、全てはあなた様の思うがままに。

 

 己自身も計画を遂行するべく、ランベールは立ち上がり。

 

 

「どうやら遅刻したようだ。悪いな」

「おや、セドリックさん」

 

 そこで、入口の大扉が開け放たれた。

 立っていたのは、顔にいつもの不機嫌さを湛えた男。

 ランベールに協力を誓った、U-NASAの裏切者であった。

 

「事は既に済みました。もはや繕う必要などありませんよ」

「ここの連中は皆、お前に忠実なお人形ってわけだ」

 

 そうか、と頷き、セドリックは己をじっと見つめる目の数々――己の同僚たちへ親指を向ける。

 そして、もう正気に戻る心配は無いんだな、と確認する。

 

「はい。先日お話しした通り、最初から脳に『種』は植えていましたからね」

「結構だ。んじゃ、後はお前が命令を下すだけってワケだ」

 

 ランベールの肯定に、セドリックはもう一度頷き。

 

 

 

「逆に言えば――ここでお前が死ねば、止まるワケだな?」

 

 懐から取り出した拳銃を、部屋の奥に構える枢機卿へと向けた。

 

 

「なるほど、なるほど! 実に興味深い行動です」

「実に貴方らしい考えだ。同僚たちはこのザマ、ここで私を殺せばU-NASAの支配権はあなたのもの! ……と、考えたのですね?」

 

 しかしランベールは裏切者のさらなる裏切りに全く動じることはなかった。

 銃を構えたままのセドリックに怯むこともなく、むしろ楽しげな様子さえうかがえる。

 

「私の傀儡になった彼らを操れたならなおよし、使い物にならなかったとしても唯一の上層部の生き残りとなれば、再建の際にはかつての体制を知る人間として頼られ、U-NASAのトップとなることも叶うわけだ!」

「……」

 

 黙ったままのセドリックにひとしきり一方的な予想を告げた後。

 

「……それで、どうなさるわけで?」

 

 まるで煽るように、おどけるようにランベールは両手を肩まで持ち上げた。

 

「ああ、何故私がこのように平然としているのか。状況を説明して差し上げましょう。ここに控える彼らは『紫色の宣教団』。私の腹心……というか、護衛ですね」

 

 ランベールの周囲を守るのは、生気の欠片も感じられない、修道服を身に着けた無感情の男女たち。

 『紫色の宣教団』。

 彼らはランベールの能力を注がれ続けた成れの果てであり、彼の為に命を捨てることに一切の躊躇も無い、そのような感情が欠け落ちた信徒たちである。

 

「一人残らず手術によって強化済み、死も恐怖も無き精兵です。貴方ひとりで、どうにかなるとでも?」

 

 

「ンな事わかってんだよ。だから、こうするっつーわけだ」

 

 沈黙を破り、セドリックが動く。

 銃の引き金を引く――と見せかけ、それをランベールへ向けて投擲する。

 最初から、こんなものを使うつもりなど無い、とでも言うように。

 

 

 そして懐から取り出した武器を見て、ランベールの表情が変わる。

 

 

 それは、薬品が充填された注射器――変態薬だったのだから。

 

 

 ミシミシと音を立て変異していく眼前の敵対者に、邪教の司祭は。

 

 

「ふ、は。ハハハハハ! 愚か、あまりにも愚か! ええ、エエ! 知っていますとも! 貴方がかつて『手術』を受けていたということは! そして……」

 

 欠片も動揺することもなく、嘲弄の声をあげた。

 

「バグズ2号計画の参加者として認められなかったということも! まさか金目当てに集まったクズどもより劣るなんて、思いもしなかったでしょう!!」

 

 まるで、これまで我慢していたものが溢れだしたかのように、柔らかな笑みは邪悪そのものへと変じる。

 丸眼鏡の向こうからセドリックを見下ろす瞳は、嘲笑と憐れみに満ちていた。

 

 

「そんな貴様のような落ち零れのクズが、オリヴィエ様に次期教皇とご期待いただいたこの私に! ランベール・ノウア・アポリエールに! 敵うと思ったのですか!」

「まさか……少し同情して似た者同士、などと言ってあげたおかげで勘違いしてしまったのですか!!? それは申し訳ない、あまりに惨めで涙が出ますねェ!!」

 

 ランベールが小さく片手を振ると同時、宣教団とU-NASAの幹部たちが一斉に動き出す。

 雪崩のように放たれる罵倒と愚弄の言葉が終わり、セドリックはようやく口を開く。

 

 

「クソガキィ! 今だ!」

 

 それは、反論ではなかった。

 突然大声を上げたセドリックに、次いで起こった状況の変化に、ランベールと使徒たちの対応は一瞬遅れた。

 

 轟音と共に、天井のシャッターが開かれ一面に陽光が差し込む。

 突然の光源と音に反応し、その場に揃う人間たちの注意が引き付けられる。

 

『いい加減覚えてよオッサン! ボクにはノンナって名前があるんだけど!?』

 

 通信機から聞こえてきた少女の怒声を無視し、セドリックは駆け出す。

 

 

「防衛システムの乗っ取り……ですが、ここに兵器などは無いのですねェ! せいぜいが一瞬の目くらましに──」

 

 ランベールの認識は、普通であれば何も間違ってなどいない。

 第七特務の協力によりシステムの一部の起動権限を奪い返しはしたが、できた事と言えば派手に機械を動かし気を引いただけ。

 

 戦力は変わらずセドリックひとり、それも直接攻撃型のベースが殆どを占めるバグズ手術では、この物量と戦力差を覆すことなど叶わない。

 

 ヒュン、と何かが投擲される音と共に、宣教団のひとりが小さく呻き声をあげる。

 彼が己の腹を見れば、杭のような投擲武器が突き刺さっている。

 だが、甲皮の一部を貫かれただけ。

 致命傷などではない。

 

 何人もの同僚たちが、突貫するセドリックの脚を掴み地面に磔にしようと試みる。

 

 

「ハハ、残念でしたねェ……まあ、落ち零れにしては十分──」

 

 それはランベールにとって、必然であった。

 何かを勘違いした旧式の役立たずが、人類としても技術としても最先端を行く自分たちに敗れ去る。

 

 

――だが。

 

 瞬間、衝撃と共に投擲武器を受けた宣教団の男とセドリックに触れていた同僚たちが、死と痙攣により戦闘能力を失った。

 

 ある者は、セドリックの両腕に形成された鋭い顎で切り裂かれ。

 またある者たちは、突然に身体を激しく跳ねさせ、地面に崩れ動かなくなる。

 

 

「な、ア?」

 

 何が起こったのか、理解できない。

 そこで初めて、ランベールの表情から余裕が消える。

 

 

 びしゃりと散る、赤色の彼方。

 返り血を浴びながらランベールを睨む、獰猛な瞳。

 その周囲には、バチリ、バチリと空気が爆ぜる音が絶えず響いていた。

 

 

――それは、バグズ2号計画最高責任者、アレクサンドル・グスタフ・ニュートンをして「手術ベースに選んだのは失敗だった」と言わしめた生物であった。

 

 弱かったから? 否。

 彼らの戦闘能力は近縁種により強いものこそ存在するが、昆虫の中でも指折りのものを有している。

 

 希少種でありサンプルの採取が十分でなかったから? 否。

 生息地域こそそう広いわけではないが、彼らは決して個体数が少ない生物ではない。

 

 では、何故。

 科学者に理由を問われた時、アレクサンドルはこう語ったという。

「この生物を用いるのは、5年、10年早かった」と。

 

 彼らは昆虫どころか、あらゆる動植物を含めてもなお特異な性質を有していた。

 だが一方でその特異さ、通常変態時の出力の低さ故に、バグズ2号計画当時の技術水準では十分どころか一分さえも真価を引き出せなかった生物である。

 

 

 しかし、その欠点を最新の技術で補うことができれば。

 当時には存在しなかった、手術ベースの特性を強力に補助する機器を用いることができれば。

 

 

「さっきから適当な事ばかり抜かしやがって。俺がテメエを殺す理由なんざわざわざ説明させるな、不愉快だ」

 

 セドリック・カルヴァート。

 常に怒りと不満に満ち、権力欲に取り憑かれた男。

 U-NASAの職員たちは彼の人格についてそう囁き、恐れ蔑む。

 それらの全ては、事実だ。

 

 

 だがしかし、その怒りと不満が何に向けられているのか。

 それほどまでに権力を求める理由は、何であるのか。

 

 気難しく他者を寄せ付けない彼の事情を知る者は、U-NASAにはもはや数える程もいない。

 

「一つ目。勝手な推測で話を進めるヤツは不愉快で仕方ない」

 

――あまりセドリックを悪く言わないでやってくれ。頑固だけど、意外といいヤツなんだぞ?

――将来の夢、か……? ほんとはな、お前と同じなんだ。でも……

 

 脳裏に電気信号が走り、記憶から言葉が形作られる。

 思い出されるのは、もはや失って戻れぬ過去の追憶。

 

 

「二つ目。俺はプライベートの時間に土足で踏み込んで来るヤツを信用しない事にしている」

 

――危険なのはわかってる。でも、止めないでくれ

――……っざけんな、力不足だってのか!! 俺じゃ、あんなクズどもより役に立てねぇってか!?

――残念ながら、君がどう足掻こうがこの計画はもう止まらないのだよ

 

 自分は何もできなかった。

 あの時、自分に力があれば何かが変わっていたのかもしれない。

 

「──三つ目。お前は、U-NASAに手を出した」

 

――もしも、だが。万一の時の為に頼みたい。

――俺の■が、その先に挑む人たちが、再び宙を目指せるように

 

 お前はどうして、俺に面倒事を押し付けるんだ。

 ああ、くだらない。まったくもって、忌々しい。

 

「……俺達の夢をよ、こんな奴らに渡せねぇよな?」

 

 彼はいつも、怒りと不満に満ちている。

 権力を求め続けている。

 

 

 

「なあ、そうだろ――ドナテロ」

 

 それがただ一人の友との約束に手向けられたものであると知る人間は、もはや数える程もいない。

 

 

 

 

セドリック・カルヴァート

 

 

 

 

国籍:アメリカ

 

 

 

 

50歳 ♂ 184cm 79kg

 

 

 

 

 

専用装備:M.O.H兵器・生体接続型発電器官最適化機関『蜜蝋の翼(イカルス・オリエンタリス)

 

 

 

対生物多目的投擲具『偽・雷機雷(ボルテージマイン・レプリカ)

 

 

 

 

旧式人体改造:バグズ手術

  

 

 

 

 

 

―――――――――――――――オリエントスズメバチ―――――――――――――――

 

 

 

――陽光の十字軍(オリエントスズメバチ)抜剣(エンフォース)




観覧ありがとうございました!

―おまけ―

剛大「専用装備の名前元が……被っている……!?」
セドリック「俺に言われても知らん」

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