深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第92話です。主にバトルです。



第92話 月下氷刃

「……」

 

 つぅと汗が頬を伝い、顔の線に沿って顎に流れ、落ちる。

 どうする。考えろ。健吾は動揺の中でも務めて冷静を保とうとする。何故彼女がここにいるのかを論ずるには、状況は切迫しすぎている。

 

「運命とは、酷いものですね。知っていましたけど」

 

 上月(かみづき)千古。健吾の実家の剣術道場の師範代で、現在は健吾達第二班はまだ詳細を知らぬU-NASAを襲撃してきた敵勢力に身を置いている少女。そして、かつての日本第二班の幹部搭乗員候補。

 

 健吾に目線を向ける千古。その笑顔に少しだけ悲し気な色が混じる。

 

「……あまり、こちらの世界に首を突っ込むのは、オススメしません」

 

 その言葉は、先の襲撃のような激しい調子では無かった。

 親が子を心配するかのような、心配そうな、優しげな気配すらある。

 

 ……だが。

 

「っ!」

 

 瞬間、千古の姿がぶれる。一瞬でユルキの眼前まで間合いを詰め、腰の太刀に手をかけ、それを振り抜かんとする。

 

「待ってくれ師範代!」

 

 それはユルキの前に立ちふさがり、何とか目視できたその手を押さえた健吾によって止められた。

 健吾が千古の反射速度を上回ったわけでは無い。かつて幾度となくその剣術を見ていたが故の、予測が偶然当たった形である。

 やはりだ。本気で来れば自分は今死んでいる。何もしなければ自分達は助かる。千古は第二班の自分達まで殺そうとはしていない。

 でも、第七特務は違う。半ば巻き込まれる形だった自分達とは違い、恐らくは明確な敵対関係にある。そう健吾は考える。

 どうすべきか。第七特務の二人を差し出してでも、この場を。その選択肢も、場合によっては。

 

 

「私は、探し物をしにここに来ています。本来ならばそれ以外をするべきでは無いのですが」

 

 太刀の間合いの内である健吾から距離を取る事も無く、そのままの状態で千古は語る。

 ここまで距離を詰められても勝てる、という確信があるのか、健吾が攻撃を仕掛けてはこないと考えているのか。

 

「……ですが。我が主を嗅ぎまわる犬を、見つけてしまったもので」

 

 瞬間、千古の瞳がすっと冷たくなる。その目線は健吾から外れ、ユルキに、次いで美友に。

 

「ああ、死ぬべきです。我が主に盾付かんとする者は、悉く。何故健吾さんは、その邪魔を?」

 

 これが師範代の本来の素なのか。いいや、と健吾は自身の頭の中に浮かんだその考えを否定する。

 何か、機嫌が悪い? 健吾の知る限りでは、気分を害している時の彼女の様子に近い。

 

 言葉は慎重に選ぶべきだ。

 自分だけじゃなく、皆の命も危うい。

 

「もしかして、健吾さん達も彼らの仲間入りをしてしまったのですか?」

 

「違い、ます」

 

 正確には友人の一人がです、などとは口が裂けても言えない。

 まずい流れだこれは。

 

「では、私の邪魔、しないでくださいね?」

 

 その言葉を言い終わる前に、千古が動き出す。

 健吾の横をすり抜け、美友(メイヨウ)に肉薄する。

 

 ユルキが迎撃のため鎌でその姿を捉えんとするが、あと一歩という所で身を捩られ、回避される。

 踏み込んだ千古はその刃を、反応すらできていない美友に再び振るおうとし。

 

 

「だめぇ!」

 

 それは再び、美友が突き飛ばされるという形で空を切った。

 

「……美晴さん」

 

 困惑の目で美晴を見る千古。

 だが、表情とは裏腹に、剣を収める事はせず、再び振ろうと構えている状態である。

 

「……あ、ありがと……でも」

 

 助けられた当の美友は、自分の命が潰える所だったと認識し顔を青くしながら美晴に礼を言う。それは、今この状況で自分を庇いなどすればどうなるのか、重々承知しているからだ。

 それに答える事はせず、ダイブする勢いで突き飛ばしたため倒れこんだ状態から必死に起き上がり美晴は千古の前に立つ。

 

 体は震え、目には涙が浮かぶ。

 美晴は非戦闘員だ。手術ベースこそ戦闘に適したものであるが、だが真正面からの戦いをこなすには限界がある。それも、このような強者を前にしてしまえば。

 

 

「……ごめんなさい、ごめんなさい! 友達、なんです!」

 

 その謝罪は、健吾と千古に同時に向けられたものだった。

 何を、やっているんだ。健吾は顔を青くしながら、美晴を見る。同時に千古への言い訳の言葉を考える。

 違うんです、こいつバカなんです! 違う。許してやってください! これも違う。

 

 少しだけ、考えた末に。

 

 

「翔、武ィ!」

 

「応!」    

 

 健吾は、自分が考え得る限り、最悪の選択肢を取った。

 美晴を切り捨てようとする千古の体に、変態した武の巨体が激突する。同時に、翔の拳に形成された齧歯類の歯が、千古の頭を打つ。

 

「よく言ったぞ美晴! その子を連れて撤退しろ!」

 

 ああ、何て愚かなんだ。叫ぶように声を上げ、泣き笑いを浮かべながら、健吾は千古へ向けて走り出す。

 だが、それでいい。

 自分が美晴の立ち位置で、千古の眼前に、班員の皆の誰でも、立っていたら。

 自分はきっと、美晴と同じ選択をしてしまうだろう。

 

 何が第七特務だ。敵対していたから最悪見捨てりゃ大丈夫、だ。

 俺達の一人の、友達だったじゃないか。

 

 俺達の一人の、可愛がっている……かは知らないが、大切な部下じゃねえか。

 俺達の隊長(剛大さん)は、俺の憧れるあの人は、やべぇ敵だからって、俺達を、よその班員を、見捨てるような人だったか?

 

 武と翔はすぐに俺の意図を汲み取ってくれた。俺がそう言うとわかっていたからこそ、たぶん準備をしていて素早く応じてくれた。

 美晴は怪しい連中に与していた友達の為に命を張った。

 

 ああ、何だ。覚悟ができてなかったの、俺だけかよ。

 

 さあ、行こう。自分が一番、千古の動きに慣れている。速度でも反射でも体術でも敵わないが、対応する事ができる。健吾は気を引き締める。

 

「ユルキ! カバー任せたぞ! 師範代の速さに何とか食いつけんのお前だけだ!」

 

 自分の命令を聞いてくれるかはさておき言葉を飛ばしながら、健吾は変態により得た長槍を構え千古へと躍りかかる。

 齢にして11。年齢相応の小さな体。だが、油断などできるはずもない。隙など存在しない。

 

 昔に一度、模擬戦でボコボコにされた時に聞いた。こんなに若いのに何でこんなに強いのか。

 彼女は笑いながら、でも少しだけ嘆くように、言っていた。

 

 私が特別なのではなく、生まれた家と流れる血が特別なのです、と。

 

 今ならその意味がよくわかる。『ニュートンの一族』。人間の頂点を極めたその一角に身を置く超越者。

 だが、と。

 

「覚悟してくれ、師範代!」

 

 手術ベースの重い鎧も合わさった武の突撃と形成された歯で威力が加算された硬い翔の拳。生身、それも小柄な少女の体でそれを受け、無事であるはずが無い。健吾の一撃は、オーバーキルと言える。……普通ならば。

 

 知っていた。相手が、普通の人間とは違う事を。

 知らずとも、状況の不自然さから理解できる。大重量の突撃を受けて、体勢一つ崩していないのだから。

 代わりに、足元のコンクリートにヒビが入っている。

 

 単純な物理攻撃は効果が薄い。毒なら通じるかもしれないが、残念ながらこの場にはその系統の能力はいない。美友の能力ならばもしかしたら、であるが、それを与えられる程相手は鈍くない。

 

「ラァ!」

 

 健吾は槍を、千古の脇腹に向けて突き出す。武の首を刎ねんとしていた千古は、健吾の攻撃を見て身を翻し離脱する。

 やはりだ。やろうと思えば避けられただろうに、攻撃後の体勢が崩れた隙を狙って刈り取るためにわざと、攻撃を受けていた。

 

「……貴方達の意思はよくわかりました。改めて、この前はありがとうございました」

 

 行儀よく、千古は武と翔、健吾と撤退していく美晴に向けて頭を下げる。

 

「打算が無かった、というわけではありませんでしたが……とても楽しかったです。これは、本心から」

 

 先ほどから千古はずっと、悲しそうな表情をしていた。

 一度宴会の席を共にした仲であるが、千古はとても楽しそうにしていた事を健吾は思い出す。

 きっとそれは、彼女の言葉通り偽りでは無いのだろう。

 千古の私生活は謎に包まれているが、恐らく厳格な実家で、遊ぶ、ハメを外して楽しむ、という機会も無かったのかもしれない。

 

 だが、それでも千古は自身の主の為に、邪魔をするならばそんな自分達を始末する事を厭わない、と。

 それはきっと、自分達が千古に挑んでまで友人を、仲間を守らんとするそれと同じなのだろう。そう考えると納得ができる、と健吾は内心で悲し気に理解する。

 

「でも、もうお終い、です。きっと、最期の一瞬まで皆さんの事は忘れません」

 

 未練を振り切るように、自分に言い聞かせるように呟き、千古は懐から『薬』を取り出し自身に施す。

 そして、変化が訪れる。

 

 

 肌が薄く暗い黄緑色へ変化し、腕の数カ所にまるで区切るかのように節のようなものが形成される。

 顕著な変質は、その髪に表れた。美しい、黒の長い髪が、まるで波が広がるかのようにその根本から黄色や金がかかった白色へと変わっていく。

 

 同時にそれと呼応するように、体内から人工の光が漏れ出し、光源に乏しい地下の空間をぼんやりと照らす。

 

 

 ……ここからだ。健吾は、改めて気を引き締める。

 

 裏アネックス計画。その幹部搭乗員候補、正確には一時的には幹部搭乗員として就任していた千古の、その能力。健吾はそれを知っていた。当時は健吾に対し隠す理由も無い、正しいものであるはずだ。

 

 だが。それは、共にU-NASAに訪れた時の千古の能力だ。正直な所、強い生物とは思えなかった。他の幹部搭乗員の僅かな戦闘資料で見たような、広域を一瞬で殲滅するようなものや、際立った近接戦闘能力が得られるようなものでは無い。

 多少の再生能力と、多少の頑丈さ。それだけ。裏アネックスのランキング最上位である幹部搭乗員と肩を並べているのは、千古の素体としての高い戦闘能力のおかげなのだと、そう思っていた。

 

 ならば考えられるのは、さらに新たな手術ベースを得ている。……もしくは、体内で光を放つもの。

 αMO手術に加えて得られる、同系列の能力。どちらかと言えば、有用なのは直接的な戦闘能力というよりは毒を持つ種が多い『型』である。近接戦闘能力に加え、搦め手にも対応しているか。

 それとも、体内で光を放っているもの。それは、幹部搭乗員の一部に与えられている、体内内蔵型の専用装備と同じものと思われる。

 

 専用装備を与えられて、それを披露する事無く千古はU-NASAを去った。

 ならば、これによって元の特性が強化されている、と考えられるが。……強化してどうにかなるような生物とも思えなかった。

 

 そこまで思案した時、千古が動く。だが、それは激しい近接戦のものでは無い。ただ、右手を前に出し、それを、すうと空を手刀で切るかのように、地面と水平にスライドしようと――

 

「伏せろ!!」

 

 健吾がそこで危険を察する事ができ叫んだのは、最大の幸運としか言いようが無かった。

 その場の全員が、健吾の言葉を聞きいれる、もしくは同等の危険を察せる人間だった事は、幸いである。

 

 瞬間、とても小さなひゅん、という音ともに。空間が切り裂かれる。

 

 千古が振るった手。その軌道の延長線上、能力の射程範囲に不幸にも立っていたテラフォーマーが、5匹同時に胸を境に上下に切断される。

 

 

「……ハハ、何だ、これ」

 

 身を躱した健吾が、茫然と呟く。衝撃波? 鎌鼬(かまいたち)? 何だ、コレは。飛ぶ斬撃なんて、マンガの世界だけで十分―

 

 

 などと内心で冗談を言っている暇など存在せず、千古が駆けだす。

 子どもの遊びのように、手刀を縦に、その延長線上にユルキを捉え、振り下ろす。

 先の一撃を見ていたユルキはそれに機敏に反応し離脱するが、それを逃さない、というように今度は千古は軽く砂でもかけようとするかのように足を狭い範囲で振る。

 

「くっ!」

 

 

 姿勢が崩れながらも何とかジャンプしてそれを避けるが、恐らく次は無い。

 着地してふらついたユルキに、再び大振りの手が、異次元から襲来するが如き不可視の刃が襲い来る。

 

 

 

――考えろ。

 健吾は、来る薙ぎ払いに備え姿勢を低くしながら、思案する。

 目に見えない攻撃の正体。相手の手術ベース。専用装備。できる事は、何だ。

 それから、この攻撃が何であるのか推測する。

 

 ああでもない、こうでもない。生身の技能、では勿論無い。

 専用装備を単純な兵器として使っているわけでもない。

 専用装備のみで機能しているのなら、変態をする理由が無い。

 

 変態。手術ベース。強くない。……。…………。

 

 

「くっ、そっ!」

 

 健吾が行ったのは、槍を振り上げる事だった。ユルキの胴体を割断せんと振るわれた手、その延長線上全てを両断する、不可視の絶刃。

 見えないそれを、無謀にも槍でかち上げるかのように、力を込めて振る。

 

 瞬間、かしゃん、という、何かが砕けたほんの微かな音が、響いた。

 

「……おや」

 

 強者と言えど、自身の死が怖くない、と言える人間は少ない。

 自身の最期を感じ取り、ユルキは思わず目を閉じた。

 

 

――。

 

――――?

 

 痛みも、こぼれ落ちる血も、何も感じない。

 はっと目を開いたユルキ。

 

 視界には、手を振り切った千古。だが、ユルキの胴は繋がっており、その体には傷一つ無い。

 

 

「……お見事です。以前より、センスがあるとは思っていました」

 

 健吾はどっと冷や汗が流れるのを顔の気持ちが悪い感触で感じ取る。

 正解、と褒めるような千古の表情と、目を細めないと認識すらできない、宙に散るきらきらと光る極めて細かな欠片。

 

 それは、割れた窓から散る破片と、よく似ていた。

 

 

 

 

 

―――――切断、とは何か?

 

 加工から闘争まで、自然から文明まであらゆる分野で利用される、発生する事象、切断。

 しかし、その詳細な原理の全ては未だ解明されてはいない。

 

 もう少し単純な話に落とし込むとしよう。

 よく切れる刃物、とは何か?

 

 鋭さ。なるほど確かにそうだ。鋭ければよく切れる。当たり前だ。

 では、理論上単分子サイズまで刃先を鋭くできる黒曜石等の物質が、最も鋭い刃物か?

 

 それは、正しいと同時に違う、というのが答えだ。

 刃先の細さを鋭さ、というならば、それは正しい。しかし、実用的かと言われると首を横に振らざるを得ないだろう。

 

 刃先が細やかというのは、同時に脆いという事である。簡単に欠け、すぐに刃物として機能しなくなる。

 また、切断という行為には鋭さだけでなく刃を対象に押し込み引く、という動作も必要となるが、余りに脆い刃ならばその時点で加えられた力に耐えられず欠けてしまう。

 

 そのような事情で、現行の刃物は切断の工程に耐えられる強度と鋭さを両立した鋼のものが一般的となっている。

 

 

――――しかし。もし、一度の使用で使い捨てていい、と言われたら? 刃を押し込む段階で砕けないように力を加える方向を巧みに制御できる技術があるならば?

 

 

 

 

――――それを断続的に生産できるシステムと使い捨てにできる状況、その一度の切断を脆い刃を砕かせず遂行できるだけの技巧。その全てが合わさり初めて、最も鋭く最も脆い刃は、正しく最も鋭い刃物へと変じる

 

 

 

 

「ええ、ええ。よくわかりました。先輩として誇らしいです。でも、諦めてください」

 

 絡繰りは、これでわかった。だが、わかった所で、どうする。

 全く好転していない状況に顔を歪める健吾を、共に鍛練を積んだ門下生を、千古は喜びと同時に非情の目で見つめる。

 

 

 

 その特性を宿した身が、その髪の示す特性が。月を望む二つの生物が、トンネルを吹き抜ける生ぬるい風に(さら)われ、微かに揺れた。

 

 

 

「我が身、我が刃。その全ては、いずれ神へと至る貴きお方へと捧げたものなのですから」

 

 

 

 

 

上月 千古

 

 

 

 

 

 

 

 

国籍:日本

 

 

 

 

 

 

 

 

11歳 ♀  148cm 39kg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

αMO手術"植物型"

 

 

 

 

 

―――――――――――――――マダケ―――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

              +

 

 

 

 

 

MO手術"植物型"

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――ススキ―――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

専用装備:珪素刃形成制御・操作装置『SYSTEM(システム):Mh'ithrha(ミゼーア)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『裏マーズ・ランキング』元同率3位




観覧ありがとうございました!
物理学に詳しい方はん?ってなる部分かもしれませんがお許しくだされ

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