深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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 第87話。ほっこり&……な回です。


第87話 平穏と恍惚

 何も知らない人間が見れば文化財と間違ってしまいそうな古い雰囲気の邸宅に、彼らは集まっていた。

 その家の形状を一言で表すならば、周囲を竹林に囲まれた小さ目の武家屋敷のような何か、とでも言えばいいのだろうか。

 

 厳かな雰囲気のそこには、十数人の人間が集まっている。上流階級がお茶会でもやっているのか、そう思われても仕方ない立地であるが、実際にそこに集まった人々の姿はそれとは大きく異なっていた。  

 

「……やりましたねお姉ちゃん本気だしちゃいますよ!」

 

「げぇー! やべえ逃げろ逃げろ!」

 

 広い庭をそれでも所狭しと駆け回る小学生程の子ども達とそれに混じる周囲と一人だけサイズの違う二、三回りくらい年上に見える少女。

 鬼ごっこをしている彼ら彼女らを居間で大きいサイズの炬燵に入りながら眺める十人程の、男の比率が高い人々。

 

「元気だなアイツ……精神年齢が近いんだな」

 

 みかんの皮を剥きながらそれを微笑まし気に見つめるのは、二十歳程の青年だ。

 浴衣を着て穏やかに笑う彼。普段の軽薄そうな雰囲気は鳴りを潜め、その佇まいにはいっそ上品、とまで言える程のオーラを醸し出している。余り彼と付き合いが深くない人間がその光景を見たとすれば、『誰だお前! 本物をどこへやった!』などと大真面目に詰め寄る事だろう。

 

「健吾にーちゃん! へいへい!」

 

「はいはい、しゃーねぇな」

 

 そんな彼の元に、庭を駆けずり回っていた男の子の一人が駆け寄って来る。靴を脱ぎ捨て、炬燵に体当たりを仕掛けん勢いで突っ込んで来た末に餌を待つひな鳥のように口を開けるその姿に苦笑しながら、青年、健吾はそのみかんを半分に割り、片側を豪快に男の子の口に突っ込んだ。

 

 

「……すまないな、健吾」

 

「お構いなくー。ってもタダとか嫌いっすよな。これまでアンタに世話になった恩からのポイント支払いとでも思っといてくれ、ハンチョー」

 

 よし頑張って来いと肩を叩き、庭に再び突撃していく男の子を見送りながら、健吾は自分に投げかけられた少しだけ申し訳なさの滲んだ声に対応し、砕けた調子でそっちの方を向く。

 

 そこにいたのは、一人だけ炬燵に入っていない青年だった。別に炬燵の場所が無いわけでは無い。

 彼が炬燵に入る事ができないのは、車椅子に乗っているからだった。

 

 裏アネックス計画第二班班長、島原剛大。若々しさが残りながらも常に固い表情のせいでどこか威圧的な印象を与えてしまう彼は、普段の生真面目さが多少ほぐれた様子で健吾に対しそれは良かった、と声のトーンを落として返答する。

 

 

 日本支部の所属人員である裏アネックスの第二班。裏アネックス計画が終了し帰還した彼らは、その多くがそれぞれの理由でアメリカのU-NASA本部に残っていた。

 重傷を負ってそのまま安静という事で治療が続いている静香。

 本人はめちゃくちゃ動揺しながら否定していたが、それに付き添って、さらにその後そのままU-NASA内部で就職先まで見つけたようであちらに残っている俊輝。

 本部への出向許可の期間がまだまだある事を利用してU-NASAをあれこれ見てみよう、と考えていた翔と健吾、武。

 抱えきれないお給料が! この隙にアメリカ観光です! などという美晴。

 そして、複雑な立場で帰る場所の無いためU-NASAに身を置いている拓也。

 

 彼らの中で唯一、即座に帰国し、さらにはいざという時の予備人員という立場ではあるものの長期の休暇を貰ったのが剛大だった。

 それだけを聞くと班員がそれぞれ頑張っているのに自分だけ、などと非難されてしまうのかもしれないが、その理由は複数あった。

 

 まず最初に、暫くは戦える体では無かったという事。

 火星の幾度もの激戦を潜り抜け、全身に傷を負った彼は裏アネックス計画以前に足を悪くしていたという事もあり、αMO手術による強化と計画参加の条件としての治療を受けはしていたが、傷がそこに響いてしまったのだ。

 

 第二に、剛大の家庭的事情。まだ若い頃に両親を失い、残された幼い弟妹達。剛大がわざわざαMO手術を受け計画に参加した理由でもある。一家の長たる彼が、愛する家族を残して無事帰れるかもわからない戦いに赴いたのだ。それから生還して火星で命を落とした班員達を弔った後に第一に思う事が家族に会いに行くという事だったとして、誰がそれを批判できようか。

 

 このような事情により、剛大は第一線を退いて今こうして穏やかな日々を過ごしていた。

 それでも自分一人、という申し訳なさがあるのか定期的に手紙をU-NASA本部に送っている。

 それを皆で集まって読む(あとついでに飲み食いする)のが第二班の恒例行事となっている事を当の彼は知らないが。

 

 

 そんなある日、それはU-NASA本部から第二班人員に下された命令だった。

 日本での調査任務。故郷だから慣れてはいるが何故わざわざ自分達が日本に? とも思ったが、テラフォーマーが関わっているかもしれない、そもそも現在第二支部では戦力が不足している、という説明を受け、一応の納得を得た。

 でも何で今のこのご時世に戦力が不足しているのか、と聞いてみたが、帰ってきたのは、『主力のMO能力者が悉くアメリカ観光に行ったまま帰ってこないからです』という皮肉交じりの回答だった。何も言い返せない。

 

 日本における軍組織、自衛隊から戦力を出せばいいのではないか? と思うかもしれないが、それもまた今回の任務の特性上、難しい話だ。()()()との接触が多分にあり得る場所のため、迂闊に銃器を持ち歩くわけにもいかないのだ。

 日本は公務員がMO手術を受ける事を推奨していない。そのため、MO手術被術者を抱えている民間警備会社にでも依頼をすればいいのではないか、とも思われたが、どうもその辺りは表に出せない事情があるようだった。

 

 

 ……というのが、彼らが何故ここ日本にやって来たのか、という流れだ。 

 さて、ここまでで、重要な情報が抜け落ちている。

 それは、当の彼らがいるこの場所は何なのか、という点。

 

「伊予、皆の分のお茶を入れてくれないか? あと適当にお菓子も頼みたい」

 

「はーい、待っててくださいね皆さん」

 

 剛大の言葉で、制服に身を包み炬燵にくるまっていた少女が立ち上がり、ぺこりと行儀よく礼をして居間から出ていく。

 いやいや自分達がやるよ、と引き留めようとした同じくコタツ組の翔と武だったが、剛大の目配せによりその言葉を引っ込める。

 

 

「さっすが長女ちゃん、よく働いてくれるな」

 

 健吾は伊予の背中を見送っていたが、次の剛大の一言にその口を閉じる。 

 

「健吾、家賃だが、ようやく纏めて払える」

 

「……」

 

 ここは、剛大と家族の暮らす家だった。もっと情報を付け加えるならば、2年程前に2600年代では絶滅危惧種のトタン屋根の素敵な実家を引き払って移って来た家である。

 

 この広いながらも時代に逆行したようなデザインの家は、健吾の家の持ち物だった。

 剛大がこの家に住んでいるのは、U-NASAで火星開発計画の幹部搭乗員として勤める事になった経緯に関係している。

 彼は本来、本来幹部搭乗員としての人員では無かった。

 それを務めるはずだった人間が突然U-NASAを離れてしまったため、繰り上がる形でその任に就いたのだ。αMO手術を受けた人間二人と多数の上位戦闘員。この事件と呼べるものが起こらなければ、裏アネックス計画日本第二班は北米第一班に次ぐ最強クラスの部隊となっていただろう。

 

 しかしそうはならず、突然の幹部搭乗員という要職を担う事になってしまった剛大には多くの負担がかかる事となってしまった。

 その罪滅ぼし、というわけでは無いが、任を辞した人間のお付きの者として計画に参加する予定だった健吾と関係者である実家から剛大に新しい家が格安で貸し出されたのであった。

 

 本来であれば無料で良い、といった健吾とその実家であったが、剛大がそこはきちんと支払うと言って聞かなかったのである。結果として他様々な場所への返済もあるだろうと剛大を説得し、家賃の支払いは一時中断していたのだが。

 

「ん……ああ、その事なんだけどな、班長」

 

 健吾は言葉を詰まらせる。全く生真面目な人だ、と。

 その先を言おうとした健吾であったが、物音を聞きつけ瞬間的に口を閉じた。

 

「お待たせしました!」

 

 トレーに乗った湯呑と茶菓子。それの重みに少しだけ腕が下がりながらも、伊予が部屋に戻って来る。

 礼を言いながら健吾は立ち上がり、それを受け取った。

 

 

「……ところで、拓也は」

 

 話題を変える剛大。兄弟達の前でこの話はしたくないのだろう、その心境をくみ取り、健吾はそれに乗る。

 

「ああ、アイツだけお上から許可出なくて来られなかったんだ。色々話したい事はあるっつってたんだけど」

 

 今この場に集まった元第二班。俊輝と静香はしょうがない所ではあるが、そこには拓也の姿は無かった。

 U-NASAの防衛戦力として離れられないのか、それとも生きている事がわかれば狙われる身だ、迂闊に外に出られないのか。理由は定かでは無かったが、とにかく来られないようで本人も残念がっていた。

 

 前々から日本行ってみたい、って言ってたからせっかくの機会だったのにな、と残念そうに笑う健吾。

 

 

「そうか……」 

 

 それに一言で返す剛大の心境を、健吾は汲み取り切れなかった。

 剛大にとって拓也はなりゆきではあったものの部下の一人で、皆と共に時間を過ごした人間だ。最後に会ったのは調査隊として俊輝と静香と共に宇宙艦を離れた時だった。

 拓也が実は第四班の班長、『裏切り者』の司令官にして最高戦力であり、第一班、第二班と交戦しテラフォーマーの襲撃により停戦、その末に仲間をテラフォーマーから庇い行方不明に、そして奇跡的に帰還してきたという経緯を剛大は記録や証言から知っている。

 

 地球に戻ってあまり間をおかず日本へと帰国した剛大は拓也に会っていない。

 きっと、色々な事を話したかっただろう。元部下であり同時に仇敵でもある。そんな相手に班長は何を語るだろうか。自分みたいな頭の軽い若造にゃわからない。そう思い、健吾は何も言わなかった。

 

「ところでお前達……追い出したいというわけでは無いが、仕事はいいのか?」

 

 すっと目を細めた剛大に、炬燵を囲んでいた全員の背がすっと寒くなる。第二班班員だけでは無く、妹の伊予まで。あ、これお説教モードなのでは? と。

 

「ええ。調査に出るのは明日からですから。今日だけはゆっくりとしようかと思いまして」

 

 そこで声を上げたのが、これまであまり話していなかった武だった。少し口数が少ない所がある武であるが、班長がどのような状態であろうとも物怖じせずに話しにいける貴重な人間なのである。

 

「そうか……いや別に説教とかじゃないからな」

 

 周りの態度の意味に気付いていたのか、いやいや違うと手首から先を振る剛大。

 話は再び、穏やかな団欒へと戻っていった。

 

 

 

 

――――――――――――――

「じょう」

 

「じ」

 

「じょうじ」

 

 複数のトンネルが連絡するホール状の空間。そこに、数にして数百というテラフォーマーがひしひしと蠢いていた。

 だが、その様子はどこか通常の彼らのものとは異なっていた。

 

 それは虚ろ、と表現するのが正しいように思われる。

 テラフォーマーの通常個体は感情が乏しい。確かにその瞳は虚ろ、と呼べるのかもしれない。

 

 ……違うのだ。その虚ろ、は感情を映さないという意味では無い。

 むしろ、逆だ。テラフォーマーには似合わない、夢見心地、というような。うっとりとしている、というのが正しいのかもしれない。起きながらにして幸福な夢から覚められていないような、そのような調子。からだもふらふらとその姿勢を維持しきれていないのが伺える。

 

 

 

 

「みんなー! 今日は集まってくれて本当にありがとー!」

 

 

 そんな不気味な集会に、声が響く。それは、ホールに、それに繋がるトンネルにぎゅうぎゅうに詰まっているテラフォーマーが何故か開けている、中央のスペースからだった。

 元気に溢れた、だが露骨に()()を狙ったかのような、甘ったるい声。

 

 テラフォーマーはそれを聞き、口々に声を出す。

 それが何を意味するのかは人類の殆どにはわからないが、まるで喜びを表現している様子だ。

 

「うんうん、皆今日も元気! 私は嬉しいよー!」

 

 ギチギチに詰まりながらも揺れ動くテラフォーマー達がまるで魔除けの聖域であるかのように近寄らない、部屋の中央。そこに立っていたのは、一人の少女だった。

 

 ゆるふわ系とでも言うのだろうか、セミロングの先が丸まった茶色混じりの黒髪に、間違いなく整っている、と判断できる、美人、というよりは可愛らしい、に分類できる容貌。

 

 その手にはマイクが握られ、その身には黒と紫というその与える印象からすれば落ち着いた色合いの、しかし露出が多めのさらに周囲にアピールする意匠をところどころにあしらった舞台衣装とでも呼ぶべき服装。その、強調されているという事もあるが元々豊かなものであると主張する押し上げられている衣服の胸部に刻まれている、何らかのロゴだか紋章だかと呼ぶべきもの。

 

 

 そう、彼女を一言で表現するならば、この異常な状況をあえて現代文化に例えるとするならば、ライブ中のアイドル、であった。

 

 これがライブコンサートとでも言うならば、主役である彼女と同時に観客達もいなければ寂しいというものだろう。

 

 否、種族こそ違うがその熱さは変わらない、とでも言いたいのか、テラフォーマーは次々に声を上げ、ついにその禁忌を破り、空いていたスペースへと我さきに、しかし彼女の立つスペースだけは開け、近づいていく。

 

 少女の足元に、何かが置かれた。それは、パックに入った肉。まだ土のついた野菜。スーパーに売っていそうな、調理済みのお惣菜。

 

 食べ物だけでなく、アクセサリーやぬいぐるみ、銃器といった雑多なものが次々と、テラフォーマー達によって積み上げられていく。時に、武装した兵士の死体を見せ、置く事はせず離れていくという個体も。

 

「わぁ、ありがとー☆」

 

 周りに殺到したテラフォーマーが、我先にと少女に手を伸ばす。それは、熱狂と呼ぶにふさわしい光景である。

 彼女は少しだけ照れくさそうに笑いながら、テラフォーマーの内の一匹を、他と違い腰布を巻き腕にミサンガを巻いた個体が差し出した手をその小さい両手で包み込むように握る。

 

 がくがくと震えるテラフォーマー。憧れの存在に握手をしてもらえるというのは老若男女問わず感動を見せる状況である。しかし。

 少女の手から、じわりと液体が滲み出る。汗と呼ぶには粘度の高い、さらにスポンジを軽く押したかのように次から次へと、ゆっくりであるが絶え間なく出てくる透明なそれを、テラフォーマーは握手をほどき両手で受け止め。

 

 それを、まるで砂漠を彷徨っていた旅人がようやくオアシスを見つけたかのように必死の様子で口に運んだ。

 瞬間、その瞳は恍惚と快楽にだらしなく歪み、全身は小刻みに痙攣する。感動と呼ぶには余りに大げさなその行動。

 

「えへへ! 皆もそんなに急がないで! 夜はまだまだこれからなんだから!」 

 

 周囲のテラフォーマーは、先を越された事を怒るかのようにそのテラフォーマーに目を向け、遠くにいる個体は夢見心地の様子のまま少女に手を伸ばし続ける。

 

 

 

 

 それは、個我を持たないある種で完璧な生命、などとは程遠い姿だった。




観覧ありがとうございました!

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