ほぼ会話パート。希维がめっちゃ長々と喋ります。
「何……だと……」
エスメラルダが、腹を踏みつけられ呻きながら、希维を睨み付ける。
その言葉は、エスメラルダにとって理解ができないものであった。
返してあげる記憶。それが、最初から無い?
「……私は、ただ貴方を、命令に反した貴方をこれ以上は許さないと処断しに来ただけなんすよ、でも」
しかし、それが手酷い裏切りを意味する、それだけは理解でき、憎しみに満ちた表情で絶叫せんとする。だが、その口から吐かれるのは血反吐のみ。
「オリヴィエ様が、せめてもの慈悲だと。最後に、教えてあげて欲しいと。そう仰ったんすよ」
教えてあげる? 何をだ。教えてあげる。オリヴィエが上から傲慢にそう言ってのけるのは、削れていた自分の記憶について、というのが第一候補として挙げられる。だが、それは希维の最初の一言で否定されている。
「その前に、アンタは誰だ」
エスメラルダとの会話の隙を突き、ダリウスが希维に向け突きつけようとした毒針。しかし、その一撃は本人には届かず。
……というか、それを行おうと動き始めた瞬間に、銃口を額に向けられるという形で阻止される。
「希维・ヴァン・ゲガルド。『槍の一族』の当主、っす。肩書的には哲学博士、心理学の修士と……『ティエラ』、あ、量子スパコンの制作チームっすね、のパトロンと……まあそんな感じの華の25歳っすよ。もっと必要? これ以上はちょっと恥ずかしいっす」
あと何かでかい企業の株主とかやってたっけ、後で確認しとくっす、とあっけらかんと言う希维。
後半の情報はどうでもいい。若さに似合わず何やら偉い肩書を持っているというだけだ。『槍の一族』。ダリウスにとって、火星で聞き覚えのある言葉だった。
「あ、火星では妹がお世話になりましたっす」
エスメラルダを片足で踏みつけたまま、丁寧にお辞儀をする希维を見て、ダリウスは微かに感じていた既視感の正体に気付く。二度の裏切りの末に火星で捕えた、第四班に所属していた少女と、似ているのだと。
「んー、まあ、詳しいご挨拶は後で、今はちょっと、できれば静かにしていただきたいっす」
その言葉に、ダリウスは口を閉じる。
言いたい事は多々あるものの、今は状況に従うべきだ。
少しの動きでわかる。相手の練度は相当のものだと。このまま下手な動きをした瞬間に命を奪われると。
今更命が惜しいわけでは無い。だが、このような意味のわからない相手に殺されるのは、内心が許さない。
「さて、エスメラルダさん。貴方に、大事な事を教えてあげるっす」
踏み踏みと腹を踏む足に力を加えては抜いてはとしつつ、希维はエスメラルダの目をじっと見る。
「死んだ人は、生き返らないんすよ?」
「……何を」
血を吐く合間から出た声を、希维は聞いてはいなかった。
死者の蘇生。それは、他ならぬ希维の主であるオリヴィエの語る言葉だ。
それを、否定するなど。
「ああ、簡単に結論から言いましょうか」
ぞわり。希维の、笑顔で細まった瞼から微かに覗く瞳。そこに光る冷酷な光に、ダリウスは得体のしれない邪悪な気配を感じ取る。
「貴方、そもそも『エスメラルダ・オースティン』なんかじゃないんす」
――――――――――
「希维、人間の心とは、何から形成されるものだと思う?」
「うーん、難しいっすねぇ。単純に考えて記憶と思考……意識っすかねぇ」
オリヴィエのお茶の時間。それに付き合っていた希维は、ふと投げかけられたその質問に、適当な相槌を打っていた。
「うん、だいたいそんな感じだろうね。ではそれは、どのようにして作られるものだろうか」
「記憶、自我……それを形作るのは実経験の積み重ね、かなと」
その通りだ、とオリヴィエは紅茶の入ったカップに口を付ける。
直後、少し眉をひそめ、そのカップを離すオリヴィエ。
「そう、例えば君が茶葉と間違えて私が保管していた毒草を使ってしまったとしよう」
「ふむふむ……え」
「このように、現実で得た体験が記憶へと移行し、私は君の入れたお茶はまず毒見が必要だと言う事、君はお茶を入れる時にはまずラベルをよく見る事という教訓を覚え、私は危うく毒殺されそうになった、君は危うく主君を毒殺しそうになったという苦い体験という記憶を得る」
「ごめんなさい! 許してほしいっす!」
「こうして、人間は経験から新たな知見を得て、知識を蓄え、それは人格の形成へと繋がっていくわけだ」
ふうと溜息を付き、オリヴィエは希维のカップに手を伸ばし、それをぐいっと一杯煽る。
「では、だ」
「何の経験も無くして、しかし記憶と人格を持った人間というものを作る事は可能だろうか?」
心なしか顔が青ざめているオリヴィエを見ながら、どうでしょうか、とだけ答え、希维は医療室に慌てて通信を繋げた。
――――――――――
「大変だったっすよ? 『どうせなら強そうな……そうだな、大昔の殺人鬼でもモデルにしてみようか』って感じで軽く言いだすんすよ、オリヴィエ様」
「何を……言っている……」
まるで、遊んだ楽しい思い出の感想を語るように、希维は話を続ける。
『槍の一族』の、その本拠で行われた、一般的な倫理では禁忌に触れる研究についてを。
「肉体は簡単だったっす。丁度子孫がいる、ってわかったので刑務所でダリウスさんの父上のを拝借して増やして、ちらっとオリヴィエ様のを混ぜたら強くなるかな、なんてやってみて。まあそこは慣れた作業っすから楽でした。目はやっぱり狂気重点で赤色がいいかな、なんてやりましたけど、赤目ってアルビノの人以外では無いですよね。ちょっと失敗だったっすかねぇ?」
「問題だったのはやっぱり記憶なんすよねぇ。辛かったっすよ。ベースになるストーリーがあるのはまだいいとしても、実際それを作るために頭の中を掻っ捌いて神経細胞の配置と電気信号の発火パターンを微調整してどのような像が生まれるのか一々確認して。記憶の時系列の層とかまだ未解明な部分が多いっすから全部手探りで。半導体を手動で作る方がよっぽど楽だと思うっすねぇ」
感慨の籠った声色のはずなのに、どこか平坦に聞こえるそれ。ただ、実験記録を読み上げるような。
「ああ、安心して欲しいっすよ。全部それで作る、なんてのは不可能だったから生まれた後でちゃんと色々教えたっすよ。知ってるっすか? 人間の記憶、証拠となるものがあったらそれが偽物でも勝手に補完して作り出しちゃうんすよ。貴方の記憶、間違い無く多少は貴方が実際に学習したものっすよ。それが現実の出来事かはノーコメントっすけど」
「性格については、まあ記憶からの影響も大きいですが同時に感情に影響を与えるホルモン分泌の遺伝子を調整していい感じに。やっぱり狂った殺人鬼って感じっすからね。人を傷つけた際にセロトニン……幸福を感じるやつが沢山出るようにとかちょっといじってみたっす。エスメラルダさん、まさにひゃっはー!って理不尽に怒りぶつけて人殺すって感じでいい塩梅っすよ」
「こうして、完成っす。可哀想な過去から復讐に燃え、狂気のままに人を食らう悲運の食人鬼! って。ええ。でも、ダリウスさんとこの血がいいんすかねぇ。凄いベースに適合しちゃって、こんなに強くなって」
「……誇ってもらっていいっすよ。貴方、800年前の人喰いの女の子とは違う人間っすけど、オリヴィエ様と私の傑作っす」
口を挟む余地などなく、連続で語られる内容。それは、どこか我が子の成長記録を自慢する親のような。あるいは、実験の成果を誇る研究者のような。または、子どもの人形遊びのような。
エスメラルダは、それをただ聞いていた。自分の出自を、いいや、出自でありながらそれですらない、自身がどのように作られたのか、という情報を。
「は、はは」
「何の……為に……」
エスメラルダから乾いた笑いが。ダリウスから怒りを込めた言葉が同時に放たれる。
「……何の為? 決まっているじゃないっすか? 人の記憶と心ってゼロから全部作れるのかなって実験っすよ」
希维の回答に対する返答は、言葉では無かった。ダリウスの毒針が、希维に向けて振るわれる。
「リック……撃ってくれ!」
同時に通信機に叫ぶ。ダリウスの怒りの一撃と射撃要請。それは、二つ同時に、同じ理由で空振る。
「……!?」
[班長? さっきからアンタと倒れてる奴以外誰もいねぇぞ?]
希维の姿が、一瞬で消えたのだ。それは変色能力で背景に溶け込んだなどというレベルでは無い、存在が瞬間的に消え失せた、そのような感覚だった。
「全部、嘘だった、のか? 彼の事も、私の、あの日々も」
「……いいえ? 記憶というものに嘘も真も無いっすよ? 本当に貴方が現実で体験した事なのか、と言われれば、まあいいえとしか。貴方の旦那様、記憶形成の時にオリヴィエ様が顔の造形するの飽きたとかで作ってなかったんすよね、そういえば」
瞬間、再び希维が姿を現す。エスメラルダに耳打ちするように、腰を曲げて顔を近づけ。
「ッ……! 生き返らせてやる、などと……偽りだったのか!」
「うーん、ロドリゲス卿みたいに死体だったりデータだったりあればそのままそれ使えるんすけど、貴方は特例っすねぇ……貴方がちゃんとしてくれれば、愛しの彼もちゃんとそれっぽく作ってあげたってオリヴィエ様は仰ってたっすけど」
「貴様ぁ!」
希维の言葉に怒りを叫んだのは、当のエスメラルダでは無かった。
再びその姿を視界に捉えたダリウスが、堪えきれなくなり、駆け出す。
ダメだ。根本的に、価値観が、心のすり合わせを行える余地が存在していない。
最初、ダリウスは相手が停戦の交渉の為に訪れたのだと考えていた。
エスメラルダの仲間で、暴走した彼女を止めながら、ここで手打ちにしようとでも言いだすのだと。
しかし。それは、致命的な勘違いだった。
『槍の一族』。世界の裏で蠢く、現在裏アネックス計画関係者が主として所在を追っている集団。
かの『ニュートンの一族』の一角であり、世界の各地で怪しい動きを見せているという存在。
脅威である事はわかっていたが、どこか他人事のようで無自覚だった。
――ここまで、醜悪なのか。
覚悟を決める。今この場所で、滅さなければならない存在だ。
相討ちになってでも。
「ま、強そうな方を始末するのもついででいいっすかね」
ダリウスが動こうとした瞬間。希维がその動きを読んだかのように、銃をダリウスへと向けて、迷いなく発砲する。至近距離の銃撃。回避など不可能なそれはダリウスの額に向けて放たれ。
「―――!」
それは、どこにそのような余力があったのか、倒れこんだ状態から跳びあがったエスメラルダの胸に突き刺さった。
「……んー、まあいいっす。オリヴィエ様からの伝言は済んだっすから、私はこれで。私も鬼じゃないっすから、最後にダリウスさんと話す機会くらいは許しますよ」
エスメラルダが何故、自分を庇うような真似を。
ダリウスにそれを考えるだけの心の余裕は無かったが、目の前の敵へと、待て、と声に出そうとした。
だが、擦れてそれは口からは意味の無いうめき声としかならない。
手を、口吻を伸ばすが、それはエスメラルダとの一戦で疲弊しきった体では届かず。
いっそ、能力で。そう思ったが、異常を悟ったのかゆっくりだがこちらに近づいてくるリックの姿が見える。ダメだ。
そして、敵の姿は、最初に現れた時を逆再生したかのように、夢のようにかき消えた。
「……ふふ、ああ、私は、また全てを奪われるのか……いや、違うか。最初から、何も無かったんだな」
「……」
その場に取り残されたダリウスとエスメラルダは、先ほどと同じように佇んでいた。
先よりも顔色が悪くなり、もう既に血が足りなくなり、意識も朧げになっている。
「……何で、さっき、俺を?」
「ン……? ああ、未来のある子を守るのは、親の義務だ」
脅威は去った。だが、もう助からないのは人間の弱っていく姿をよく知るダリウスははっきりと認識していた。
だからこそ、最後に聞いておきたかったのだ。その真意を。
「ああ、妄言じゃないとも……私は、君の父の細胞を基に作られたんだろう? だったら、まあそんな感じじゃないか?」
わからなかった。ダリウスにとって、エスメラルダという人間は最後まで。
矛盾の塊だ。子孫として殺そうとして、それが全て虚構だったというのがわかったのに、今度は守ろうとして。
「ところで君、鈍感なんだな……ああ、やっと思い出せた。私は前に君の呪いの話をオリヴィエの奴から聞いていた。忘れていたよ」
「何を……」
死の間際に、微かに理性的な表情を浮かべるエスメラルダに、ダリウスは困惑する。
「君、もうとっくに仲間を……いいや、私が言う事じゃないな、……君が、いつか自分自身で気付く事だ」
くすりと柔らかに笑うエスメラルダ。
全く理解が出来なかったが、どこか嬉しそうなその表情。
「じゃあね、可愛い子孫。あっちで本物の方にあったら、伝えておいてあげよう。私達の先に立つ子は、何だかんだで生きてるよ、ってね」
「……ああ、さようならだ、俺の先祖じゃなかった誰か」
「つれないなぁ……ま……こっちにはゆっくりと……来ると……いい……」
死へと向かうはずの敵が笑い、自分は仇を、憎い敵を討ったはずなのに暗い顔をしている。
掠れた声は、それで最後だった。
爆発によって発生した黒煙が、振り始めた雨によって少しずつ晴れていく。
しばらくは止みそうにないという事が一目でわかる黒雲が、空を覆っていた。
観覧ありがとうございました!
そもそも狂人って事で最初から半分程は狙って書いているのですが、それを差し引いてもあまりにも最後の方の心情が分かり辛すぎる気がするので、もしかしたら今後書き加える事があるかもしれません。