「『科学技術は神の領域に突入した』と言われた技術で何であるか、知っているかな」
「『ゲノム編集』っすかねぇ……今ちょっと忙しいので、できれば失礼したいんすけど」
「ご名答。我が一族の主たる者が思ったよりも賢くて何よりだよ」
「生物の設計図を組み換え、望むがままの生物を生み出す事を可能とする、その第一歩に踏み込んだ時代に言われていた事だ。生物の創造、確かに神のみに許された権能と呼ぶに相応しい」
「あ、正解だけど話続くんすかこれ?」
「だがね、私はこれは酷い思い上がりだと思うのだよ。ああ、確かに下等な系統の生物を産み出す場合には間違っていないだろう。けれど、高等な生命、特にヒトに関してはこの程度で神を名乗るなどと」
――――――――――――
『ブレヴィサナ・ブレヴィス』
アフリカ大陸に分布するセミの一種。黒を主にところどころ赤と緑の混じった体色は、この辺りに生息する昆虫の比較的多くに見られる特徴である。
その最大の特徴が、鳴き声の大きさである。
他のセミと同じく体内の多くを占める発音器官から発せられる音量は夏の風物詩、などと呑気に風情を楽しんでいられるようなものでは無い。
その辺りの木にとまったこの虫の鳴き声を二時間聞き続ければ聴覚に異常をきたし。
隣の家族や友人、恋人との談笑は殆ど伝わらなくなる。
まあ、それで済むならば、迷惑な、だが精一杯生を謳歌している昆虫としか映らないだろう。
それが、昆虫のサイズであるならば。
「……キミにも、心を許す友達ができたのかな」
焦り、部下の名を通信機に呼びかけるダリウスを、エスメラルダは何をするでもなくのんびりと感慨深そうに眺める。その表情はどこか嬉しそうで、この状況がどのようなものか知らない人間がそれを見てその台詞を聞き二人の外見の相似している要素も踏まえれば、内向的な親戚に初めての友達ができた事を喜んでいる、などと見えるかもしれない。
一部は間違っていない。彼は部下の命の危機を心配していて、その命の危機に追い込んだのが彼女本人であるという点を除けば。
[あー、大丈夫……じゃねえけど……とりあえずまだ息は止まってねぇかな? 第七の爺さんが助けてくれた]
何度かの呼びかけの後、通信機から聞こえてきた消えかけの声に、ダリウスは胸をなで下ろす。
生存は確認できた。だが、すぐに支援を再開するのは困難だろう。
そこで、顔を上げ正面を見据える。
「……ン、話は終わったかい? 結構な事だよ。まだ続けるかい?」
先の一撃でわかっていた事ではあるが、エスメラルダには根本的にダリウスに対する能動的な殺意が無い。
本気で仕留める気でかかってきていたなら、リック達を排除する際にわざわざダリウスの方向に対する加害を抑え込む必要性が全くないからだ。
エスメラルダの頭上を渦巻く数百の黒色の卵状の機械。
ダリウスは、それを知っていた。
『
酒の席でダリウスが自身の専用装備の設計者、ヨーゼフから聞いた、没になった設計案の一つ。
近代兵器とMO能力の複合。アメリカという国は裏アネックス計画で火星に戦力を派遣するにおいて、単純にMO手術の戦力評価というだけでは無く、地球の戦場においての有効なMO手術の運用法も見据えていた。
ダリウスの専用装備も、軍の要請を受けたUーNASAから現場であるヨーゼフに向けて要望が出され、それの概念を基に設計がされていた。
それは、『音による広域破壊を用いた手術ベースと無人兵器の相互運用』。
それを受けて開発された設計図の一つが、エスメラルダの体内に埋め込まれ、そこから一部が体外に出て腕に伸びる金属の糸であり、それとリンクした空中を渦巻く誘導爆弾だ。
音響誘導ホーミング弾『ペスト・オーゼカ』。それは、日本のある組織でも運用されているものと同系列の、音を電力に変換して推進する兵器だ。
音を効率的に集中させ、それを圧電素子によって電力へと変換しそれによって可動する。
その発電量は極めて少ないものの、しかし。
数百メートル悉くを薙ぎ払う程の出力を受ければ、それは音量の暴力によって大量の電気を生成する事が可能となる。
そして、カメラにより動体を優先して誘導するだけでなく、それを管制し手動での操作も可能とする、体内内蔵型の制御装置。
広域を音で薙ぎ払い、さらに外周を誘導爆弾の雨で焼き払う。正に破壊の権化と呼ぶべきその機能。
さらには、というより内蔵の装置に関してはこちらの機能はオマケ程度のものだ。その本来の機能は、同じく物理的破壊を伴うような爆音に対する、逆位相消音。
近年注目されている、騒音対策。それは、特殊な装置とスピーカーでその騒音を解析し、逆の波形の音をぶつける事によりそれを撃ち消すというものだ。
音による攻撃の厄介さは、今後の戦争を変えると言われるMO手術戦において重要なものであると軍関係者は考えていた。
隠密性という点では真逆に位置する存在ではあるが、その脅威は『防御不能』という点だ。
物理的破壊を伴うようなものはαMO手術でも無い限りほぼほぼあり得ないが、通常のMO手術ベースであってもある程度の音量を出す事が可能な生物であれば聴覚の破壊と急性の音響外傷による平衡感覚の破壊によって戦闘能力の大部分を奪い取る事が可能である。
それに対抗するための機能が、この装備には盛り込まれている。
相手の音を解析し、それの逆位相の音を生成しそれによって相手の音を無効化する。
本来防御が不可能な物を無理矢理ねじ伏せる。
ダリウスの専用装備の一案は、このようなものであった。しかし、ここで問題が発生する。
周囲に他の存在を許さない圧倒的な破壊能力。
他の存在を許さない。それは当然ながら、敵対的存在にのみ適応できるような精妙さなど持ち合わせてはいない。
軍部としては真に残念な事に、裏アネックス計画は単独での任務では無く、複数人で構成された班単位で事に当たる計画である。
よって、この案はあえなく放棄され、無人兵器は火力こそ落ちるものの特定方向への加害を抑え込み味方へ被害が及ぶ事を防ぐ消音装置内蔵の無人機に、内臓装置は出力の調整に特化した、集団戦を考慮したものへと変更された。
「……っ」
エスメラルダが装置の内蔵された左腕をひょいと振る。
同時に、それに従うように上空の誘導爆弾が3発、ダリウスに向けて飛来した。
その速度はそこまで高速とも言えるものでは無い。
しかし、ダリウスにとって、それは重い負担としてのしかかる。
純粋な体術にダリウスはそこまで長けているわけでは無い。
二発を回避し、一発を腕から生えた口吻で右に弾き飛ばす。
「いいんだよ、いつでも降参して」
同時に襲い来るのは、エスメラルダの持つ巨大なフォークの如き三叉の槍だ。
腹を狙い繰り出された回避困難なそれを、背後に跳んで対応時間を稼いだ後、それを自身の毒針で受け止める。
エスメラルダの言葉に、挑発の色は無い。
むしろ、ダリウスを慈しんでいるかのような、少し心配しているかのような、そんな様子だ。
「男の子というのは無茶をするものだ。死なない程度で止めて欲しいな」
背後に下がったダリウスに、再び爆弾が降り注ぐ。
下がれば爆撃が、近づけば錬度で己に勝る格闘戦に持ち込まれる。
前にも後ろにも困難が待ち構えている。さらには。
「――――!」
数秒に一度放たれる、いいや、実際には撃たざるを得ないダリウスの爆音と、それに対応するエスメラルダの爆音。両者がぶつかり合い、自然には見られない事象、音と音の衝突によりそれが境界で消失する。
ダリウスが自身の音による攻撃を行う限り、エスメラルダはそれを撃ち消すために自身の最大出力を撃つ事はできない。
エスメラルダの瞬間的な音量は両者の元となる生物で比較すればダリウスの百倍近くにまで到達する。
実際には減衰や技術的な限界からそこまでの開きは無く、加害半径で比較すれば通常時では二倍程度であるが、その出力には明らかな差が存在している。
だが、ダリウスが己の戦場に引きずり込む事ができれば、少なくとも音による戦闘では互角となる。
ダリウスの内心の爆発するような感情に呼応するかのように、今の変態で行える全力の一撃が振るわれる。
しかし、それは難なくエスメラルダによって止められる。
不思議と、ダリウスはその感情が少しずつ冷えていくのを感じた。
相手に対する好感が生まれたわけでは無い。むしろ、憎しみは消えず、さらに燃え盛る。
だと言うのに、何故だろうか。違和感がある。戦闘の最初から抱いていた、それより前に感じていたそれは、実際に相対しさらに増していた。
互いの武器を交え、爆音を激突させ、次々と投下される爆弾を捌いていく。
奇妙な感覚が消えない。
「ン……! あとは、あの人さえ戻って来れば、なぁ!」
一方のエスメラルダは、その真逆だった。
燃え盛る感情。風に煽られた火のようにその目は爛々と輝き、その振るう剣と槍は、爆音と爆弾は、勢いを増していく。
ダリウスを殺すつもりは無い、とは彼女本人のあまりに移ろいやすい感情の中で、数少ない確固たるものだ。
しかし、それは死ななければいい、というだけ。
ダリウスの攻撃は、エスメラルダからすればじゃれついているようにしか見えない。
近接戦闘はあっさりと捌く事ができるし、音も己のそれと比べては余りにも小さい。
余りにやんちゃな子には教育が必要だろう。手を捥ぐか足を捥ぐか。遊ぶのはどれくらいまでにしておこうか。
次の瞬間にはよしもう運動はやめてゆっくりと話がしたいな、となる感情の振れ幅。
エスメラルダがダリウスを即座に仕留めずに交戦を続けるのは、奇跡的にその選択肢を引き続けているから、ただそれだけの理由だ。
やろうと思えばいつでも終わらせられる。両者には、それだけの戦闘能力の差があった。
ダリウスにもそれはわかっている。わかっているからこそ、怒りに支配されずに好機を待っていた。
相手が自身を仕留めんとする感情へと転じない事を祈りながら、最小限の反撃に留め致命傷を負わないように。
……そして、結末は驚く程気まぐれに、唐突に訪れた。
「うん、運動はもういいかな。そろそろ終わりに――」
エスメラルダの呟きと同時に、その振るう刃が鋭さを増す。
このままでは抑えきれない。確信と共に下がったダリウスを狙い済ましたかのように多少薄くなった頭上の渦の一かけら、一発の誘導爆弾がダリウスに向け正確な軌道で落下してくる。
半ば弾き飛ばれる形で下がったダリウスに、それを弾くか打ち落とすか、その余力は無かった。
ここまでか。そう、覚悟をした。
―――だが突如、誘導爆弾は空中で炸裂、四散した。
[ヒュウ! さっすが、優秀な観測手がいりゃあ違いますわ!]
今だ班長。通信機から聞こえてきた、いつもの通りのお気楽なそれと、それに続く言葉に、ダリウスは状況を一瞬で理解した。飛来する誘導爆弾を正確に射抜くその精度があれば、エスメラルダの頭を貫く事も可能だっただろう。いいや、確実にだ。
観測手。第七特務のあの老人がそれを担ったのだろう。
狙撃手と観測手、担当が逆だったのならば、恐らく狙いはエスメラルダだった。
……いや。どちらを狙うにしろ、恐らく吹き飛ばされて遠くなった距離だ。観測手と狙撃手、二人が協力して事に当たらなければ成り立たなかっただろう。
爆弾を狙うのか、エスメラルダを狙うのか。一瞬で判断し修正し射撃、などとできない以上、事前に話し合っていた。
『エスメラルダの撃破』よりも『ダリウスの命』を優先すると。
純粋な損得で考えれば、優先されるべきはエスメラルダの撃破、だ。相対する脅威の排除はほぼイコールでダリウスの生存に繋がる。だが、逆は違う。ダリウスが生き続けているからといって、エスメラルダを倒せるかはわからない。むしろその可能性は低い。
だと言うのに、その当然の損得に従わないと、彼らは決めていたのだ。
「――!?」
「……だったら」
高い位置での爆発により周囲に広がった黒煙により、エスメラルダの視界が塞がれる。
自身の両腕の武器を振るいながら、黒煙に向けて突貫し、その先にいるダリウスを捉えんとする。
だが、エスメラルダの視界に映りこんできたのは。
「その期待に、応えよう」
そこで、ダリウスはエスメラルダとの交戦から初めて、嬉しそうに笑った。
エスメラルダの視界に映り込んだそれは、待ち望んでいた、焦がれる彼とよく似ているであろう、愛しい子孫の笑顔。
―――では無く、左眼に突き刺さる寸前の、一本の毒針だった。
「ぁぁ――――!!」
ダリウスに向けて突き進む前傾の姿勢では、回避など叶わず。
それは容赦無く、左眼を抉り、射して潰す。
「おの……れ……おのれえェェ!」
エスメラルダはそこで慌てて背後に跳びのき、反射的に自身の最大出力を放とうとする。
数秒にも満たない一瞬の攻防で、優位が覆される。強い苦痛が己の身に襲い掛かる。
もはやその思考から手加減が消し飛び、周囲を全力で破壊せんと腹の発音器官が震え、破壊の嵐が零れ出さんとする。
しかし、そこに肘の一撃が加えられた。タイミングを合わせた強い衝撃により、それは停止する。
「……終わりだ、ご先祖様みたいな何か」
同時に、ダリウスは注射器を二本、首へと差す。
そして、飛び上がった。
空を覆う渦の、その上空へと。
そのリソースを音による攻撃へと割いているため、通常の投薬量での変態では十分には得られない、その背に生えた翅による飛行能力。
そして。
爆音が、空から地上へと叩きつけられる。
空中で待機モードとなっていた誘導爆弾に指示を出すだけの時間的余裕はエスメラルダには無く。
その全てが、爆音で押し出されるかのように地上に乱雑に吹き飛ばされ、しかしエスメラルダの専用装備によって自動で反撃が行われ、両者の音の押し合う領域で力に押し負け、全ての爆弾が同時に起爆し、空を一瞬赤色が、その後黒が覆い尽くす。
視界の半分を喪失したエスメラルダは、未だその苦痛に左の眼窩とその周囲を掻きむしる。
黒煙を突き破ってダリウスが突貫してくる、それに、気付く事など、その余裕など、最早無く――
「……ああ、負け、か」
左眼と腹に穴が開き、地面に転がるエスメラルダ。どこか虚し気に呟くその目からはこれまでの戦闘で見せていた享楽も憤怒の炎も消え、ただ光の消えかけたものだけが残る。
その最大の武器、腹の発音器官。そこに空いた穴からはとめどなく血が流れ出し、周囲の地面を染めていく。
「……ンン……また、私は殺されるのか? 今度こそ――」
自身を見下げる、冷たい瞳。ダリウスのそれを見て、エスメラルダは少しだけ、おかしいな、と二重の意味で思う。
もう一度会いたかった、可愛い子孫。彼と自分の遺した、遥か数百年を超えても残っていた、その残滓。
私は、そんな君に、このようにただの敵対者のように、自分が散々捌いてきた食肉のように、無残に殺されるのかと。それが少し皮肉に感じて。
もう一つ。何故自分は、こうも昂っていたのだろうか。
君とは積もる話が沢山あった。何故、それなのに、自分はこうも、戦う事を優先していたのだろうか。もっと早期に、戦いを止める、君の手足を割いて大人しくさせてから話をする、という方が私は良かった、そんな気がするのに。
ふむ、どうだったろうか。まあ仕方ないか。これが自分の結末か。
エスメラルダは、擦れた視界でダリウスを見て、そして弱弱しく手を伸ばす。
「さいごに、てをにぎって、くれないだろうか。そして、よかったら、わらって、ほしいな」
腹の風穴から、空気が漏れ出す。ダリウスは、笑いはしなかった。
ただ、先から続く無表情のまま。
「さようならだ、忌まわしい誰か」
そして、その手を、そっと取った。
「いいや、これからずっと一緒だとも」
そこで、ダリウスは異常に気付く。穴が開き血にまみれたエスメラルダの腹が、微かに動いている。
それが、能力を放つ前兆である事はもはや改めて考えるまでもなくわかる事だった。
まずい。これが、狙いだったのか。ダリウスは咄嗟に腹に一撃を加えて止めようとするが、まだ余力を残していたのか、取った手を引っ張られ、姿勢が崩れる。
「君は、きっとこれからさらに辛い道を歩むだろう……だから、ここで私と眠ろう……」
まずい。今度こそ、どうしようもない。狙撃を要請……いや、ダメだ。間に合わない。
「――ッ!」
「!?」
しかし、ダリウスにとってそれは幸運だったのか不運だったのか。
エスメラルダの腹が、勢いよく上から押し付けられたかのようにへこみ、その一撃は不発となる。
直後、ダリウスにはその突然の事象の正体がはっきりと認識できる。
「いやいや、何してんすか?」
ずるりと、泥沼から何かが姿を現すような、歪な気配を伴い、それは姿を現す。
いや、姿を現す、という表現は正確では無い。視界の端に微かに映り込んでいた、注目の外にあったものにはっきりと目線を合わせてそれを認識したかのような、そんな感覚。
突如として、エスメラルダの腹を踏みつけている人間が、そこに居た。
歳は二十半ばほどの、黒髪をポニーテールにした、スーツの女性。
「とんだ命令違反、約束違い。まあ、お互い様っすよねぇ」
人懐っこい微笑みを浮かべたその女性は、しかし呆れたような声色で、エスメラルダを見下ろし、そして。
「貴方に返してあげる記憶なんて、最初から無いんすから」
冷たく、言い放った。
観覧ありがとうございました!
ここで一つ、宣伝をば。
以前よりお世話になっておりますKEROTA様の連載されているテラフォーマーズ二次創作、『贖罪のゼロ』にて拙作とコラボを行っていただける次第となりました! わぁい! KEROTA様には改めてお礼を申し上げます!
拙作にお付き合いいただいている読者の皆様、この機会に是非、あちらの作品も是非是非お読みになってください! 絶対損はしないと断言いたしますので!
……といっても、恐らく拙作を読んでいただけている方であちら様を読んでいない、という方はそうそういないであろう名作ですのでこれに該当する読者様はほぼいないかな、とも思いますが。
……というかもしそうなら何でこっちの作品なんか読んであちら様の作品読んでないんですか?(普段お世話になっている読者様に喧嘩を売る作者の屑)
あちらにはコラボの第一話が、こちらでもコラボの話を書かせていただく予定なのですが、こちらの話の区切り的に次の二章が終わったタイミングになるかと思うのでもう少し先になります、お楽しみに!
あ、あと次回、本格的に第二部の暗い部分が出てくる回です。